「お疲れ様でした、徹」
瞼を開いて最初に見たものはリニスさん、最初に聞こえたものは
「ああ……リニスさん。お疲れ様、向こうはもう大丈夫だ。魔導炉は跡形もなく破壊、なのはとユーノは無傷、あかねも傷一つない。ちょっと考えていた作戦とは細部が変わっちゃったけど、なんとか成功だ」
「徹ならなんとかするだろうと思っていましたが、やはり不安でしたよ。爆音がこちらにまで響いていたので」
「こっちにまで音が聞こえてたのか……さすがなのはのスターライトブレイカーだ」
左腕どころか左半身からリニスさんの温もりを感じていると、胸元でなにやらごそごそと動く気配。ネックレスの台座からジャンプしてエリーが飛び出してきた。
ふわふわと浮き上がり、俺の鼻先に身を擦り寄せている。どうやらエリーも俺を慰労してくれているようだ。こそばゆいが、その気持ちはとても嬉しい。
リニスさんとエリーに感謝の言葉を述べ、周囲を見渡す。作戦開始前よりさらに、なんと言うべきだろうか、しっちゃかめっちゃかになっていた。
外の真っ暗な景色が占める面積が増えている。これはつまり、射撃魔法やらなんやらによってダメージを受けていたホールの壁が、なのはのスターライトブレイカーの余波でさらに崩れ落ちたということなのだろう。
なのはの砲撃の凄まじさを実感して、ふと思った。本来は実行に移す前に考えていて
「り、リニスさん……あのさ。魔導炉は破壊できたわけだけど、魔導炉からの魔力供給が断たれたこの時の庭園って……どうなるの?」
「魔導炉から生成される魔力によって移動要塞と化していましたからね。そう遠くないうちに……」
目を細めて明後日の方向を見るリニスさんに、俺は
ネガティブな想像で脳内を埋め尽くしている俺をちらりと見て、リニスさんはくすくすと笑みをこぼす。
「冗談ですよ。あの子がいた魔導炉ほどではないですけど、ここを維持するには充分な規模の予備の魔導炉はありますし、循環している分の魔力だけでしばらくは持ちますから。メインの魔導炉の不調や点検に備えてサブを用意しているのは当然でしょう? そもそもあの子を捕らえていた魔導炉はスペック的に持て余していましたから」
「そ、それもそうか。はあ、よかった……めちゃくちゃ焦った……」
「さっきの徹の表情、すごく面白かったですよ」
「趣味悪いよ、リニスさん」
ちょっと頭を働かせれば考えついたものだった。いくら強力な魔導炉があるといっても長期間稼働させていればどこかしかの部品にガタがくる。メンテナンスで休止させている間、代わりとなる魔導炉があるのは当然だった。
無駄にどきどきしただけだった。
「さて……それじゃ行くか」
体力も気力も空っぽになるほど全力を尽くしていたので
それでも右足に手をやって全身の力を使って立ち上がる。
リニスさんを元の状態に戻し、協力も取り付けることができた。暴走状態に陥っていた魔導炉は停止(実際には停止どころか破壊だし、実行したのは俺ではなくなのはだけれど)できた。魔導炉という監獄に囚われていたあかねも救出することができた。
予定と異なったことばかり起きてはいたが、ここまでは考え得る限り最高の状態で進んでいる。
しかし、だからといって万事解決とはいかない。
まだ乗り越えなければいけない大きな山がある。その山を攻略する為にリニスさんの協力が必要で、その為にリニスさんと死闘を演じた。本題は依然として悠然と立ち塞がっているのだ。
他にやりようがなかったとはいえ、ホールでの戦闘でかなりの時間を費やしてしまった。リニスさんが敗れ、魔導炉が瓦礫と
リニスさんも疲れているだろうし言うまでもなく俺も疲れているが、なんならこの場で泥のように眠ってしまいたいが、すぐに行かなければならない。休む暇などありはしない。
「あ、れ……?」
立ち上がろうとして、かくんと膝が折れる。床に倒れそうになったところをリニスさんが俊敏な動きで抱き留めてくれた。
「徹、大丈夫ですか?!」
「ごめん、ちょっと足に力が入らなかった……」
膝を折った体勢でリニスさんが正面から抱き留めたので、ちょうど顔はリニスさんの胸元あたりに位置していた。
「……っ」
足に、力が入らないのだ。上半身も動かすのが辛く
エリーとの
「リニスさん、ごめんね……肩借りちゃって」
「そんなことはどうでもいいです! というよりも座ってください! こんな体調では動けないでしょう、休むべきでは……」
「いや、でも、急がなきゃ……」
アンサンブルの後、目立っていた傷は治療されていたが細かなものは治っていなかった。これは重い手傷を優先して治療したということだろう。そのため他の部分には手が回らなかった。
いや、もしかすると全く別の要因も考えられるかもしれない。体力としてではなく、魔力の過剰消費による身体機能の低下なのかもしれない。
前にも似た経験はあった。体力としてはまだ余裕があるのに、魔力の残量が少なくなったら心拍数が上がったり、身体が途轍もなく重たく感じたりと。
だとしたら、少しの時間休めば回復するというものでもない。
ううむ、これは困った。
リニスさんの肩を借りつつ立つ。疲れに起因するものか、目まで
「徹……あなた、左目……」
「ああ、そっちは血が入っちゃったからね……ちょっとばかり調子が悪いんだ。気にしなくていいよ」
「そう、なんですか。と、とりあえず座って……」
「気合い入れればなんとかなるって……早く行かなきゃ」
「そんなことを言っても……身体が気持ちについていけてないです」
ふらつく足に力を込めようとするが、なかなか命令に従ってはくれない。焦りばかりが募る。
リニスさんの肩を借りながら休む休まないで言い合っていると、エリーがふよふよと浮かび上がった。俺もリニスさんもエリーに気を取られて黙り込む。
目線の少し上まで上昇すると、俺の額めがけてエリーが突進した。ぺちんっ、というとてもいい音がした。音と比例して、痛みも相応に。
「でゅあっ!」
「ああっ、徹!?」
おでこを撃たれた俺は、情けない悲鳴を叫びながら床に倒れ込んだ。
「こんの石っころ! 私の徹になんてことをッ……。大丈夫ですか、徹……」
床に仰向けに倒れた俺をリニスさんはすぐに抱き起こしてくれた。
尻餅をつき、未だぴりぴりとした痛みが残る額を押さえてエリーを見やれば、空色の宝石は浮遊しながらけたたましい光を放っている。要約すれば、無理をするな、と
「何をぴかぴかと……反省しているのですか?!」
「いや、いいよリニスさん。エリーの言う通りだ。俺が悪い」
「石っころはなにも喋っていませんけど……」
仲間を頼ることの大切さは学んだはずだったのに、もう忘れてしまっていたようだ。日頃からの習慣とは恐ろしいものである。
「あはは……そうだよな。俺一人じゃ限界がある」
「徹……大丈夫ですか? 倒れた拍子に頭でも打ったんですか……? なにか幻聴でも……」
笑って、身体から力が抜けた。落ち着いてようやく自分で認識できるが、どうやら肩肘を張っていたようだ。まだ残されている難題を前にして、緊張してたり焦っていたりしていたのだろう。
床に腰を下ろしたまま、エリーに手を伸ばす。
「悪い、エリー。また力を貸してくれ」
そう言うとエリーは春の木漏れ日のように穏やかに輝くと、俺の手に近づき、触れる。硬いはずの宝石が、なぜか柔らかく感じた。
きゅっ、と苦しくならない程度に握り込み、口元へ寄せる。艶やかにして鮮やかな空色の宝石に口づけをして、胸の中央へと運んだ。
「
俺の中に、俺の身体の奥底にエリーが沈んでいく感覚。
視界がスカイブルー一色に染まる。全身が眩く輝き、光が収束した時にはエリーと一つになっていた。
『疲れはあるかと思われますが、こちらの方が幾分かは楽でしょう』
『ああ、ほんとだな。ずいぶん違うもんだ、また頼らせてもらうよ』
『いえ……先ほどは失礼を致しました』
『いいよ。叱ってくれる人がいるのはいいことなんだ。また間違えそうになったら構わずやってくれ。少しくらいは手加減してほしいけどな』
『も、申し訳ありません……』
それ自体が光を放っているかのような空色の髪をかき分けて額をさする。痛みはないのに、温もりだけは残留している気がした。
「ありがとう、リニスさん。もう大丈夫……リニスさん?」
背中に添えられたリニスさんの手を握りながら、キーが高くなった声で謝意を述べる。
「…………」
すぐ隣に寄り添うリニスさんは、それはもう驚きに
リニスさんは驚きに手を震わせながら手元まで引き、ようやく言葉を発した。
「こ、ここまで鮮烈に変わるとは……」
「戦ってる最中に見てたでしょ……。二回目のほうがびっくりしてるってどういうことなんだ」
「あの時は魔力が暴走してて、夢を見ているみたいにうつろでしたので……。もしかしたらあれは夢で現実ではなかったのかも、と思ってました。それにしても……綺麗ですね」
「俺としては複雑な褒め言葉だ……。とりあえず、身体の調子は良くなったから早く動こう」
すっく、と立ち上がる。身体は重いし動かし辛くはあるが、先とは比べるべくもない。自分だけで立てるし、足にだって力は入る。また走れる。まだ、走れる。
「そ、そうですね……訊きたいことは山ほどありますが、向かいながら話すとしましょう」
「うん、答えられる範囲ならなんでもどうぞ」
俺は勢い良く立ち上がった際に舞い上がった髪を撫でつけながら、へたり込んでいるリニスさんに右手を差し出す。
きょとん、とした表情の後、リニスさんはなぜか顔を赤らめながらおずおずと俺の手を取った。
「あ、ありがとうございます……」
「どういたしまして。俺はここからどう行けばいいかわからないんだ。リニスさん、道案内よろしく」
「は、はい……こっちです」
俺の隣に並んで立ったリニスさんはくるりと反転し、俺となのはとユーノが入ってきた入り口とは反対側の扉へ足を向けた。床を蹴り、走り出す。
俺はふわりふわりと揺れる尻尾と彼女の背中を追う。走りながら手櫛で髪を整えるリニスさんの様子がとても目を引いた。
☆
狭い通路を進んで、ある場所で止まった。リニスさんの視線の先には薄暗く幅も狭い階段。
「ここをずっと下まで降りればすぐです……行きましょう」
目の届く範囲には灯りも見えない階段を、リニスさんは降り始める。
「リニスさん、大丈夫? 体調は万全とは言えないだろ。疲れたなら少しペース落としても……」
「何度も言っているでしょう? 私は大丈夫です。仮に魔力なしでもこれくらいの距離なら駆けられます。心配してくれるのは嬉しいですが……私のことより、自分の心配をしてなさい」
リニスさんは人差し指を立てて、めっ、という風に俺を叱る。形はどうあれ叱られているのになぜだろうか、胸がときめくのは。この心拍数の上昇はきっと走っているからだけではない。
たん、たん、と床を踏み叩く音が壁に反響する。
床を蹴る度に長い髪が目の前を右に左に踊る。目障りとまでは言わないが、
文句を言い出せば髪だけではない。胸部についた二つの柔らかい母性の象徴も、走っていると上下に弾んで少し痛い。女性は大変だ。このセリフを太刀峰の目の前で言ったら刺されそうだけど。
益体もないことをつらつら考えていると、俺の斜め前を走って先導してくれているリニスさんがちらりと振り向いた。
「その格好……私が言うのもなんですけど、ちょっとあられもないですね」
「うん。リニスさんは人のこと言えないけど、確かにそうだな……」
今の服装はエリー先生デザインのものではない。俺がもとから着ていた服だ。激闘により随分
この場には俺、リニスさん、エリーの三人しかおらず、唯一男の俺が女性の身体になっているので誰に
『エリー、バリアジャケットって展開できる?』
『展開することは可能ですが、色々とグレードダウンしてしまいます。アンサンブルの一段階目では出来ることが限られていますので』
『グレードダウン……どの程度? 布地が少なくなるとか?』
『いえ……さすがにそのようなことは』
粗末な外見を向上させるためにバリアジャケットを展開しても、布地が減ってしまっていてはかえって
『拳甲や脚甲を展開せず、防御力をバリアジャケットとは呼べない数値にまで下げれば可能です。まさしく衣服にしか成り得ませんが……』
『戦うわけじゃないからそれでいい。頼めるか?』
『お任せください。私も今の主様のお姿は気に病んでおりました』
ちょっと言い過ぎではなかろうか、とも思ったが限られた中で頑張ってバリアジャケットを展開してくれるのだから、文句が言える筋はない。
右足で床を蹴り、左足で着地する頃にはバリアジャケットの構築は済んでいた。なんたる早業。
「おお、服としては充分……ん?」
エリーが前もって伝えてくれていた通り、戦闘に用いる装具は外されているが、着るだけならばなんら不都合はない。不都合はないのだが、いろいろ減ったぶん、なぜかいろいろ増えている。
首元にはシルバーのネックレス、淡い青色のブレスレット、ウエスト辺りにはベルトが付け加えられている。視界の端を髪がちょろちょろしないな、と思って手をやれば、頭の後ろにはシュシュのような布で髪が纏め上げられていた。
『エリー……たしかに装備は減ってるけど、代わりに装飾が増えてるぞ』
『装具とバリアジャケットのスペックに魔力を割かずに済んだ分、処理能力が余りましたので。ファッションとして扱うとのことなのでどうせなら、と』
『いや、街に出かけるとかじゃないんだから……。いいんだけどさ』
エリーのプロ意識には感心するべきかせざるべきか、とても悩む。
バリアジャケットの件についてエリーに、ありがとう、と声をかけて目を前に向ける。リニスさんと目があった。眉を
「全裸お着替えシーンはないんですか」
「ない」
くだらない理由で機嫌を損ねていた。
「しかし、嫉妬したくなるほどのプロポーションですね……。背は私より高いですし、足もすらりと……なのに胸もある。これは徹の理想像か何かですか?」
「違うよ。基本的に外見はエリーに引っ張れてるんだ。俺の要素は目つきと、あとは多少身長が反映されているくらいだな。ていうかリニスさんもスタイルいいのになに言ってんの」
「セクハラです」
「残念だったな。今は同性だ」
「同性でもセクハラになります?」
「マッサージや医療行為などと偽って
くすくすと楽しげに笑って、しばらくすると彼女は表情を真剣そのものに引き締めた。
リニスさんは真摯な瞳で問いかけてくる。
「その状態……副作用などはないんですか?
「その愚問には主様がお答えになったでしょう。これ以上深度を深めなければ、現在の初期段階であれば副作用も乗っ取りもありません」
俺がリニスさんの問いに答える前にエリーが答えてしまった。口を挟む間もなくエリーは続ける。
「もう一段階制御を緩めても主様の精神力をもってすれば耐えられます。三段階目は主様であっても危険になりますが、そこまで制限を取り払うことなどそうはありません。よってあなたが心配する必要など皆無です」
「石っころにではなく徹に訊いたのですが。……まあ、今のところ危険がないのであれば私としても安心です。精々励みなさい、石っころ」
「言われるまでもありませんね、泥棒猫。あなたこそ、主様の足を引っ張らないように尽力することです」
話のテンポ的にも入れないし、話の流れ的にも入り辛かった。
非常に雰囲気は険悪であるが、お互いに言葉を交わしているということはまだしも良い方向に向かっていると言えるのではなかろうか。間に挟まれている俺としては仲良くして欲しい限りではあるが。
俺をほったらかしにして、エリーとリニスさんは言葉を弾丸に変えて撃ち合う。
「だいたいなんのつもりですか、不意をついて主様の唇を二度も奪うとは。盛りのついた猫ではあるまいに」
「
「っ、粘膜接触で浮ついてるおぼこには理解が及ばないでしょう。ヒトツになる感覚というものは」
「こっの……。徹が受け容れなければ気持ちも伝えられない石っころが随分と大きな口を……」
「主様はどこぞの猫と違い包容力に富んでいらっしゃいます。光の点滅の加減で主様は不肖私の感情を理解してくださるのです」
「ふふ……カラダで癒すことができない石っころは感情論でしか訴えられませんか」
「肉体的接触にしか価値を見出せないとは……。おぼこで淫売とは手の施しようがありません。清廉な付き合いというものができないのでしょうか。主様の側につくのに相応しいとは到底言い難い。即刻離れることを望みます」
銃撃戦ならぬ口撃戦がだんだん白熱してきている。二人の間で火花が散っているように見えるのは錯覚であってほしい。
そろそろ止めなければ殴り合いにまで発展してしまいそうだ。こんなところで仲違いをしている場合ではないというに。
『エリー』
『あ、主様……これは違うんです。あの発情猫が……』
『だとしても淫売は言い過ぎ』
『うぅ……』
肉体の主導権を返してもらい、次はリニスさんに注意勧告する。走りながらだったので感覚が戻った瞬間は少しふらついた。
「リニスさん。言い過ぎだよ」
「えっ、徹……さっきの聞こえて……」
「メインの人格がエリーになっていても視覚も聴覚も共有できるんだ」
口調や振る舞いが俺に戻ったのを見て取り聞いて取り、リニスさんは
『ふふっ……どうやら猫は、私の意識が表出している時は主様には何も聞こえないとでも考えていたようですね。私が会話に割り込んだのですから少し頭を巡らせれば思い至るでしょうに』
『エリー』
『はい、なんでしょう主様』
『仲良くしてとまでは言わない、ただ喧嘩腰に喋らないように。ちょっと反省してなさい』
『はい……』
エリーにお灸を据え、口論のもう片割れ、リニスさんに意識を向ける。
すぐ近く、斜め前を走っていたはずのリニスさんの後ろ姿が随分と離れてしまっていた。どうやらスピードアップしたようだ。
足に魔力を回して追いかける。ブーツの底が小気味良い音を奏でた。
「リニスさん、ちょっと待って。いきなりなんで急いでんの……」
時折肩を壁に擦りながらリニスさんの隣に並ぶ。彼女の顔を見れば、目元に涙を蓄えて下唇を噛み締めていた。
尋常ならざる状態に動転しつつもリニスさんの手を掴んで一先ず引き止める。
「ど、どうしたの? 一応言い過ぎたエリーには怒っといたけど……でも、実際リニスさんも口が過ぎてたからね? おあいこってことでこの場は流そうよ」
「私っ……ちが……」
「え、なに?」
「……石っころには、あんなこと言いましたけど……私そんなに、軽い女じゃなくて…………」
「大丈夫だって。わかってるから。キス一つで顔真っ赤にする人が、そういったことに慣れてるわけないってわかってるから」
どうやらエリーが言った『淫売』が効いていたらしい。
エリーとの口論の際に放った言葉も強がりと言うべきか大袈裟と言うべきか、自分を大きく見せるための誇張のようにも思えていた。
意外と子供っぽいところもあるようだ。
「経験だって、なくて……好きになったのも徹が……」
「オッケー、もう大丈夫! リニスさんも反省してるってことだよな。それならいいんだ、エリーもリニスさんも痛み分けで両成敗。これで決着としよう! ほらリニスさん、道教えて! 早く行かなきゃいけないし」
「は、はい……。あの、本当にわかってくれましたか……?」
「リニスさんの言いたいことは寸分違わず理解したから大丈夫。これからはエリーと、家族みたいに、とまでは言わないから喧嘩しない程度にそこそこで接してくれると嬉しいな!」
このままもじもじと一生懸命言葉を紡いで誤解を解こうとするリニスさんを見ていたら、なにかが決壊しそうになる。主に理性や常識、倫理など。
つい癖でなのはにやるようにリニスさんの頭をかいぐり撫でてしまった。ぴょこんと生えた猫耳の撫で心地は悪魔的である。
年上相手にやるのはどうかと思ったが、予想に反して抵抗やらお怒りやらは買わずにすんだ。どころか気持ちよさそうに、それこそ猫のように目を細めて受け入れている。
病みつきになりそうだったが心を強く持って手を離す。寂しそうに物足りなさ気な表情をしたのが心苦しかったが、リニスさんは頭に両手を置くとにへら、と
「あともう少しだったはずです。急ぎましょう」
進行方向、下へと続く階段を見てリニスさんが言う。声自体はこれまでの凜としたものが戻っているが、いかんせん頬が緩みっぱなしだったので体裁は取れていない。
「おう。がんばろう」
もちろんリニスさんの表情には突っ込みを入れず、彼女に
緩やかにカーブしている階段は長く、時折踊り場のようなそこそこ開けた空間があっていくつか道が分岐している。その踊り場には申し訳程度にあかりが灯されているが、間隔が空きすぎて階段自体はほぼ照らされていない。
下層へ潜るたびに闇は濃くなるが、リニスさんは迷いなく道を選び、迷いなく暗闇へ突き進んでいく。近くにいるはずのリニスさんの背中さえ
階段を踏み外すのも通算何度目か数え切れなくなった。体力とか足とか云々より先に足首を挫きそうな不安が強まる。
「めちゃくちゃ暗いのに、なんでリニスさんはそんなに早く行けるんだ? 道を完璧に覚えてんの?」
先導してくれているリニスさんに、コツみたいなものがあればいいなと淡い期待を抱きながら尋ねてみる。
「この時の庭園は広いんです、うろ覚えに決まってるじゃないですか」
「じゃあなんで」
「夜目がきくんです」
「さすがにゃんこ……」
「にゃんこはやめてください」
リニスさんがすいすいと進めるのは持って生まれた眼によるものらしく、残念ながらコツではないようだ。
このままいつ足を捻挫するかもわからない恐怖に堪え忍ばなければいけないのか、と落胆しているとエリーが救いの手を差し伸べてくれた。
突如宙に空色の球体が強い光を放ちながら浮かび上がり、俺から前方数メートルの位置を維持して浮遊し続ける。足元や針路を照らす。
空色の光に照らし出された階段の壁面や床は想像していたよりも古めかしい。スカイブルーの光彩と周囲の劣化状況のミスマッチがおどろおどろしさを際立たせていた。
「もうすぐ外縁底部……プレシアがいる場所です」
「そう……か」
長く暗くじめっとした道程も終わりが近くなってきた。
だが近づくにつれて、降りていくにつれてどうしようもないほどに胸騒ぎがする。赤熱した金属の塊から輻射熱を浴びているような感覚。身を焼かんばかりのじりじりとした威圧的なプレッシャー。
斜め前を
『主様……これはジュエルシードです』
エリーの声が脳内に響く。
『力が解放されつつあるジュエルシードの魔力波……。私と一つになっている主様にはそれが顕著に感知できているのでしょう』
『ジュエルシード……。そういえばプレシアさんの手にはいくつもあったんだったか……』
意識から抜け落ちていた。暴走していたのは魔導炉だけではない。
フェイトとアルフが集め、プレシアさんが所持しているジュエルシード。その数、十三。総数二十一あるジュエルシードの過半数を占めている。あかねを
タイムリミットはすぐそこまで近づいている。
「この扉の向こう側です」
階段を下りきり、直線の廊下を進んだ突き当たりに黒ずんだ木製の扉が待ち受けていた。永い年月手入れもされずに放置されていたのか、
「むっ……」
リニスさんは建て付けの悪くなったそれのノブに手を掛ける。がちゃ、がちがちゃ、と音を鳴らすが開かれない。押しても引いても動かない。上げても下げても、やはり開かない。
一歩引き、リニスさんは振り向いて俺を見た。きらきらと、淑女然とした過剰なまでの笑顔で口を開く。
「徹、申し訳ありませんが少しだけ後ろを向いていてもらえますか?」
首肯し、俺は身体を反転させる。させたと同時に背後から途轍もない音がした。ばきぃっという、ちょうど木材でも叩き壊したかのような音。
「リニスさん?! どうし……」
驚いて急いで振り返れば、道を遮り沈黙を守っていた木製の扉がなくなっていた。
「何をしたかは乙女の秘密です。訊かないでくださいね?」
「と、扉開いたんだ……よ、よかったよ」
リニスさんの足元に木屑が見えたような気がしたが、きっと無関係だ。
恐れ慄きながら俺は開け放たれた扉の枠をくぐった。
時の庭園の下端、その景色はほとんどが黒く塗り潰されていた。庭園の外、黒い部分はユーノが注意していた虚数空間というやつなのだろう。
その虚数空間では、魔法の一切が発動しない。
岩盤から削り出している、のだろうか。ごつごつとした岩が点在していて、平らに開けた場所がある。上方も岩でできているあたり、おそらくは人の手で岩盤を切り開いたと見える。当初からそうだったのか、それとも魔導炉とジュエルシードの影響によるものなのか、岩の床は
「いた……。プレシアさんと……あれはフェイトか」
見渡していて、ようやく発見した。
岩盤から削り出したかのような空間の一番端っこ。そこに珍妙な形状の杖を手にしている女性がいる。プレシアさんだ。
プレシアさんに真っ向から向き合う形でフェイトがいて、フェイトの数メートル後ろにはアルフもいる。
フェイトが母親と話をできていることは内容がどうあれ喜ばしいことだが、それよりも俺はプレシアさんの隣にある物体に目を引かれた。意識を奪われた。
「アリ、シア……」
女性の中では長身と推測されるプレシアさんの頭を、優に超えるほど背が高いカプセル。生物の肉体を残したまま保存するためのホルマリン管のような見た目のそれに、膝を抱えるような体勢で一糸纏わぬ少女が入っている。
褐色透明の液体にいながらにして眩く輝くような長髪。フェイトと瓜二つの少女。順序では、フェイトが瓜二つと言う方が正しいのだろう。クローンであるフェイトのオリジナルとなった存在、アリシアがそこにいた。
フェイトよりも一回り小さな体躯の少女は、周囲の環境や喧騒など意に介さないと言外に表現するかのように、瞼を閉じて
距離はあったが、耳を
か細い声で必死に言葉を紡ぐフェイトと、感情が排されて平坦なプレシアさんの声。
プレシアさんの口から飛び出した一言は短く、だからこそ心の奥底まで響いて、突き刺し
「あなたなんか、もういらないわ……」
一番最初に聞こえたセリフは、胸を引き裂く悲しいものだった。