そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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自分のすべきこととして、自分の成すべきこととして

「出来損ないの人形と……話すことなんてないわ。あなたは用済みなのよ」

 

 アリシアが膝を抱いて眠るカプセルに左手を添えながら、プレシアさんは横目でフェイトを見やる。

 

 右手に持つ、彼女の背とほぼ同じ長さの杖はアリシアを守るように横に倒されている。どちらが大切なのか、優先順位を見せつけるようだった。

 

「私、は……母さんの期待に……応えられなかったかもしれません。ジュエルシードを集めきれなかった……なのはや徹たちに誠意で報いたかった……。不手際は確かにあったから、それで叱られるのは仕方ないと……思います。そのせいで、アリシアを助けるためにジュエルシードが必要な母さんから怒られるのは……当然だとも思います。だから、私は……恨んではいません。私に笑いかけてくれた母さんを忘れられません。私はまだ……母さんを……」

 

「あなたが! っ……あなたが、私をどう思っていようと関係ないわ!」

 

 床に刻まれている亀裂を挟んで、フェイトはプレシアさんに話し掛ける。手を伸ばしているその姿は、元の穏やかな生活に戻りたがっているようにも、母親の温もりを求めているようにも見えた。

 

 だが、プレシアさんはフェイトの言葉を遮り語調を荒げて退ける。フェイトが差し出す手を、振り払う。カプセルから離れた左手は、血が出るのではと思うほど力が込められ震えていた。

 

「あなたはもういいの……いらないのよ。どこへなりとも行けばいいわ。その顔で私の近くをうろつかないで。……不快、なのよ…………消、えなさい」

 

 爆ぜるような語気でフェイトの言葉を封じ、ついで顔を見るのも嫌というふうに目を背ける。フラットな口調に戻り、淡々とフェイトに言い連ねる。

 

「目障り……だと言うのなら、いなくなれと言うのなら……私は、離れます……。遠くに……行きます。それが母さんの願いなら、私は従います。でも……それでも、どれだけ距離が離れていても……私は母さんに、幸せになってほしいと思うから……」

 

 プレシアさんの言葉を浴びるたびに悲痛な表情を見せるフェイトは、だが母親へと手を伸ばす。

 

 その手を一瞥してプレシアさんはちらりとある場所へと目を向ける。円柱状の柱が岩盤から縦に、何本も伸びていた。この開けた空間にはいくつか入り口があるのか、まるで階段のような構図になっている。

 

 円柱形の柱の一つに見覚えのある少年がいた。クロノの姿だ。傀儡兵との戦闘で怪我を負ったのか血が頭から目の上を通っている。片目を瞑って手にはデバイスを携えていた。

 

 クロノはすぐにプレシアさんを取り押さえるつもりはないようで、動く準備は万全整えつつも親娘の会話を見守っている。

 

「リニスさん、プレシアさんは……」

 

「プレシアはフェイトを受け容れませんよ……受け容れられないんです。今生の別れでも、二度と顔を見ることができなくても……優しい声は掛けられません。穏やかな微笑みも、さよならも……その手で抱き締めることさえ……」

 

「なんで……っ」

 

「すぐ近くに管理局の執務官がいます。フェイトとの話を聞かれれば、拘束あるいは保護される際に心証が悪くなると考えているのでしょう。ジュエルシードを集めるための道具として教育……洗脳と言い換えてもいいですけど、そういった関係にあったと思わせなければいけない。親と子の関係ではダメなんですよ。自分の意思でジュエルシードを集めていたと思われてはいけないんです。自分より立場が上の相手から命令されて、無理強いされて、従わざるを得ない状況に立っていたことにしないといけないのですから」

 

 本当の娘の代わりに生み出されたクローンで、娘の記憶も転写したのに期待したようにはことがうまく運ばなかったから、ジュエルシードを集めさせてフェイトを捨てる。その上身代わりのクローンとして造り出されたことを暴露され、悪罵痛罵を浴びせられたという流れがあるからこそ、みんなの心情はフェイトへ傾き、同情する。()いては酌量の余地も生まれるのだ。

 

 しかしここでプレシアさんがフェイトに優しく接してしまえば、作り上げてきたイメージ、心象に綻びが生まれてくる。疑いの種を蒔くことになってしまう。

 

 管理局の目があっては、プレシアさんは本心をフェイトに伝えることはできない。

 

 いくらリンディさんやクロノが助けてくれようとしても、本人の意思で魔法という技術が存在しない世界で魔法を行使しながらジュエルシードを収集していたとなれば、情状を汲み取り減刑をはかることは難しい。だからこそ、プレシアさんはフェイトに想いを伝えられない。罪を減免させる、これこそがプレシアさんの願いなのだから。

 

「本心を打ち明けるだけの時間は作れるはずだったのに……。傀儡兵の数が足りていませんでしたか……」

 

「リニスさんが戦いに負けて、魔導炉が停止したことはプレシアさんも知ってるんだろ? なら、もうあんなことしなくたっていいはずなのに、なんでまだ……」

 

 小さな声で独り言ちるリニスさんに、俺は尋ねた。

 

 俺はプレシアさんたちが描いていた絵図を見抜き、真相を知った。リニスさんとの勝負に勝ち、協力も取り付けた。管理局サイドへ説明する時には俺が渡りをつけてリニスさんに証言してもらえれば、それでプレシアさんの考えていた策は根底から瓦解する。

 

 リンディさんでもクロノでもレイジさんでも誰でもいいが、今はまだ管理局の人に話していないだけだ。やろうと思えば、いつでもプレシアさんの作戦をひっくり返すことはできる。

 

 あのような胸を切り裂くセリフを吐くことは無意味なのに、なぜプレシアさんは頑なにフェイトを拒絶するのか。

 

「私が管理局に全てをばらしてしまうまえに、命を絶つつもりなんですよ」

 

「は……? なんで、そんなことしたところでなにになるって……」

 

「私はプレシアの使い魔です。主人からの魔力で形を保っています。その魔力供給がなくなってしまえば、生き続けることは不可能ですから」

 

「そんな、そんなこと……」

 

 そんなこと、認められるものか。そう言いたくても、言葉が喉から先に出てこなかった。

 

 魔導炉が停止した以上、所持しているジュエルシードだけでは忘却の都アルハザードへは届かない。持っている数こそ十三だが、その総エネルギー量としての内訳は十三には遠く及ばない。

 

 海鳴市の沖合にて、九頭龍から回収されたジュエルシード九つ。そのうち八つをプレシアさんサイドは奪取した(実際はリニスさんがどさくさに紛れて掠め取った)のだが、原因は未だはっきりとはしていないけれど、それらのジュエルシードが内包するエネルギー量は著しく減少していた。こちらで回収できたジュエルシードを調べた結果、通常のものと比べて七十五パーセント減。およそ四分の一にまで落ち込んでいた。

 

 こちらに来るまでにリニスさんに確認を取ったところ、やはり九頭龍から回収できたジュエルシード八つはエネルギー量が少なかったそうだ。

 

 すなわち、数こそ十三もあるが、実質的な数値で言えばジュエルシード七つぶんにしかならない。七つであっても常軌を逸した魔力量だろうが、それではアルハザードへは辿り着けないと考えている。

 

 アリシアを助けるための、存在するかどうかも危ぶまれている奇跡への切符が失われた今、フェイトを助けることにのみプレシアさんは全力を注ぐ。

 

 プレシアさんはたとえ見苦しいと見られても、最後まで諦めないのだろう。足掻(あが)いて、(もが)いて、侮蔑の視線を受けても大切なものを守ろうとする。堅固に意固地に、でも一途にひたむきに、自分のすべきこととして、自分の成すべきこととして貫き通す。

 

 人の力なんぞあてにはしない。自分だけを信じて、自分の願いのために突き進む。

 

 プレシア・テスタロッサという女性は、孤立無援でも四面楚歌でも寄る辺がなくても形影相弔(けいえいあいとむら)う状況であってさえ、一つの覚悟と願いを持って断崖へ歩みを進める。

 

 そんな人に、どうすれば俺の計画に協力してもらえるというのだろう。自分の信念を貫く人に、どこまでも貫ける人に、俺のやり方を認めさせるなどできるのか。

 

 心が沈んでいくのを感じながらも、それでも目は親娘へと向け続ける。どれほど辛くとも、目を背けることだけはしなかった。

 

 時折遠くで轟く爆発音を聞きながら、プレシアさんとフェイトの会話に注意を向ける。フェイトは言葉を交わす度に、華奢な身体を震わせて瞳を潤ませていた。

 

「……っ」

 

 プレシアさんに認めてもらえるだけの信用を勝ち取る自信がない。今日会ったばかりの、しかも敵対している俺をプレシアさんが信用できる道理などない。なにをどう説明しても、どれほどの言葉を尽くしても、幾つものパターンで想定しても、認めてもらえる答えが出ない。

 

 奥歯を噛み締め、手を握り込む。一手仕損ずるだけで全てが水泡に帰する。迂闊な真似は、最悪の結果にしかならない。

 

 渦中に飛び込む決心がつかなかった俺の耳に、プレシアさんの声が届く。

 

「私はね、フェイト……」

 

 ひどく、冷たい声。

 

「あなたを……一度たりとも愛したことはなかったわ」

 

 地を這うように低い言葉は、かろうじて保たれていたフェイトの心を容赦なく斬りつける。

 

 フェイトの身体が初めて、ぐらりと(かし)いだ。

 

「あなたなんか……っ」

 

 続く言葉が耳朶(じだ)を叩いた瞬間に、俺の足は動いていた。失敗できないという重圧で重くなっていた足が、自分も気づく前に床を軋ませるほど踏みしめて飛び出していた。

 

 信用を得るための説明などは頭から抜け落ちていた。複雑で煩雑(はんざつ)な理屈云々はなにも考えていなかった。本能で『それはダメだ』と、ただそれだけを考えていた。

 

 リニスさんの声を後方に置き去りにして、足場用の障壁を展開させて跳躍移動まで駆使し、視線の先の金色へ駆ける。

 

 プレシアさんは、止まらない。

 

「大嫌い……だったわ」

 

 傷つけられても耐え続けたフェイトの心が、ついに限界を迎えた。目元から頬へと雫が伝う。フェイトの身体が崩れ落ちる。

 

 だが。

 

「そいつは嘘だ……」

 

 フェイトが倒れてしまうその前には、間に合った。背中に手を回し、軽くて細い身体を支える。こんなに小さな身体で母親からの痛烈な言葉に耐えていたのかと思うと、胸が締めつけられるような気分になった。

 

「そんな嘘は……認められない」

 

 フェイトを支えながら、まっすぐとプレシアさんの両目を見る。プレシアさんは急に現れた闖入者()に目を見開かせていた。

 

 手に微かな感触がした。腕の中に収まっていたフェイトが手を握っていた。

 

「と、とお…………だれ?」

 

「…………」

 

 エリーとの和合(アンサンブル)を解くの忘れていた。

 

 腕の中から出ていこうとはしないが、両手を胸元にやって困惑と怯えが入り混じった複雑な表情をしている。

 

 そりゃあフェイトだって、いきなり顔も知らない背の高い女に抱かれたら驚きもするだろう。

 

『……エリー、悪いけど解除を』

 

『承りました。あと五秒早く解いておくべきでしたね』

 

 わかっていたのなら自主的にやってもらってくれても良かったのに、と思うのは他力本願と責任転嫁が過ぎるだろうか。

 

 右手でフェイトの身体を支えつつ、左手は胸の中央に持っていって浮き出てきた空色の宝石をキャッチする。一瞬の閃光を経て、元の姿()に変化した。

 

 アンサンブルを解いたことで、身体能力や体調までもアンサンブル前に逆戻りだ。目は(かす)むし足は重いが、エリーと一体化して魔力が循環したぶん治癒が早まったようで、膝はかくかくしなくなった。

 

 自分の力だけで立てることを確認すると、前方にいるプレシアさんへ目を向ける。

 

「君が、フェイトやアルフが話題に上げていた徹君……かしら? 初対面を相手に『嘘』とは、あまりに失礼ね」

 

 突然割り込んできた女に驚き、その女が男になってさらに驚いていたプレシアさんはもう、気を持ち直していた。

 

 視線で人を殺せるのではと思えるほどに鋭利な眼光で俺を射る。足が竦みそうになるのを懸命に堪えた。

 

 これほどの威圧感を受けても立ち続け、面と向かって話をしていたフェイトの凄さを思い知る。

 

「と、徹……私、がんばったんだけど……だめだった……」

 

 ごめんね、と俺の服を握り締めながら、フェイトは呟く。俺に心配させないようにとフェイトは笑顔を作ってみせるが、逆に悲愴さを強めていた。頬を濡らす涙が、沈痛さを助長させていた。

 

「だめじゃない、全然だめじゃなかった……ここに来て、一対一でプレシアさんと話したんだから……」

 

 金色の頭に手を置く。

 

 フェイトはアースラでプレシアさんから酷い言葉を幾つもの浴びせられた。一時は心を閉ざしてしまうほどに、何回も何回も。

 

 そのフェイトが、もう一度拒絶されたらと思うと足が竦みそうになる、そう言っていた小さな少女が、必死に踏ん張って自身の想いをプレシアさんに伝えた。

 

 プレシアさんの翻意は促せなかったとしても、その頑張りには確実に意味がある。無駄なんてことは決してない、駄目だったなどとんでもない。

 

「フェイト、お前は正しかったんだ。胸を張れ」

 

 プレシアさんの決心を(ひるがえ)させるために何を言えば良いかなんて、事ここに至っても全く浮かばない。見当もつかない。

 

 ならば、この場で考えながらプレシアさんと話をするしかない。もとより人の気持ちを一から十まで把握するなどできないのだ。

 

 意を決して、プレシアさんへと向き直る。逸る心臓を無理矢理落ち着けながら、口を開く。

 

「あなたは嘘をつくのが苦手なんだ。そしてそれを自覚している……。すぐに態度にも表れてしまうから、フェイトを自分から遠ざけた。顔を見たら、辛辣(しんらつ)に振舞えるか自信がなかったんだろう」

 

 プレシアさんは俺の発言が癪に障ったように頬をひくつかせた。眼の鋭さはより一層増す。

 

「……勝手なことを言わないでくれるかしら。何を根拠に……」

 

「アースラでの通信映像……あなたの心理状態が仕草として表れていた」

 

 プレシアさんのセリフを半ば強引に断ち切る。

 

 一度勢いが途絶えてしまえばイニシアチブは取り戻せない。プレシアさんから放射されるプレッシャーに呑まれないようにするには、自分のペースを維持しなければならない。

 

 苛立ちからか、剣呑さを弥増(いやま)していくプレシアさんの目を、しかし俺は真っ向から見つめて逸らさない。

 

「感情が表出してしまうことを恐れて、こちらに多く背を向けていた。あなたは背後のアリシアに目を向けているつもりでも、心は常にフェイトに向いていた……フェイトのことを考えてずっと行動していたんだ」

 

 わかりやすく動揺してくれればありがたかったが、そこまで簡単な相手ではなかった。しかし、表情には出ずとも変化は現れている。揺さぶりは効いている。

 

 アリシアのカプセルに添えられている左手、その指先がぴくりと動いたのを見逃しはしない。

 

「あなたは本当に、嘘をつけない性格だよ。喋り方にも出てる。異様なほど抑揚がない、常に一本調子でフラットだった。声の出し方から嘘をついていることがバレたらいけないと思い、意識しすぎたんだろう。でもそっちに気を傾けすぎて他が疎かになっていた。話のピッチが早くなったり遅くなったり、まるで情緒不安定だったよ。矢継ぎ早に自分から話して、早く終わらせたいという気持ちが透けて見えていた。声が震えてしまった時は声を張り上げて誤魔化したりもしてた。心にも思ってないことを言っている時の典型だ。口に出すだけでも辛かったんだ」

 

 アースラで見た光景を必死に思い出しながら話を続ける。

 

 あの時確かに舌鋒鋭くフェイトを糾弾していた。言葉ばかりに囚われたら悪感情しか抱けないが、それを演技であるという前提でもう一度見直した時、プレシアさんの立ち居振る舞いには違和感を感じざるを得ない。

 

「気づいていたか? フェイトと直接会話していた時も、多くの情報を教えてくれていたんだよ。ころころと落ち着きなく姿勢が変わっているし、目線も一定の範囲に収まっていない。片手は杖を持っているからなんとかなっているけど、もう片方の手は誤魔化せずにふらふらしている。だからアリシアのカプセルに手をやってるんだろ。あちらこちらへ動かしたら怪しまれるという知識はあるんだ。杖を前に置いているのは、自分と相手の間に壁を置きたがっている仕草で、(やま)しいと思っている左証だ」

 

 眉が僅かに動く。忌々しいとでも言いたげな表情だが、なまじ反論すればぼろが出ると危惧してか何も発しはしなかった。

 

 ただせめてもの反抗か、カプセルからは手を離した。俺が言うような心情ではないと宣言するかのようだった。

 

 俺は続ける。

 

「フェイトが喋ると、そのたびに突き放すように鋭い言葉を浴びせているのは、自分とは密接な関係がないということを俺たちに示したいんだろう。目を背けるのは、嘘でもそんなことを言いたくないからだ。顔を見たら胸で(つか)えてしまうから、目線を外すしかなかった」

 

「……偏った解釈だわ。君の個人的な見解でしょう。皆が皆、善人とは限らないのよ」

 

「左手、痛くない?」

 

「っ……」

 

 カプセルから離したプレシアさんの左手は強く握り締められていた。俺との会話に集中するあまり、そちらへの意識が散漫になってしまったのだろう。

 

 苦虫を噛み潰したような苦々しい顔で俺を()めつける。

 

 尻込みしそうになるが、足に力を込めて退かずに相対する。

 

「身体や声がふらつく一方で一貫している……し過ぎている部分がある。あなたの意志だ。(かたく)ななまでに毅然としていて、そこだけは小揺るぎもしなかった。自分で気づいてはいないだろうけど、プレシアさんさ、喋らない時は固く口を閉じて、時間が長くなると下唇を噛んでるんだよ」

 

 左手が少し持ち上げられ、途中で止まる。

 

 口元を隠せば俺の言葉を認めることになる。そう思って腕を止めたのだろうが、動かした時点でもう遅い。

 

「手は握り込んで、唇を噛み締めている……気を張っている証拠だ。バレてはいけない、隠さないと。そう思えば思うほど人間にはどうしても力が入る。隠せるとしたら、そいつは相当悪巧みに精通している人間くらいだろうさ。あなたはそういう人間ではないみたいだね。そうまでなるほど、そこまで思い詰めるほどの覚悟にあなたは身を置いている。考えられる答えは一つしかないよ」

 

 話し始めと現在とで、プレシアさんの表情は大きく変わってしまっている。知ったような口を利く若造への不快感から、それ以上喋るなというような焦燥の色へと。

 

「やめなさい、黙りなさい……」

 

「もういいだろう。あなたに嘘はつけない」

 

「もう……やめて」

 

 こうべを垂れ、目を伏せる。肩を落とす。蝙蝠(こうもり)の翼を彷彿とさせる杖の先端は床に接していた。

 

「あなたは、フェイトを愛しているんだ。愛しているからこそ、こうまで偽るんだ。愛する娘を守りたい、その一心で」

 

 目線を俺ではなく床に向けたまま、プレシアさんは開口する。

 

「知ったふうな口をきかないで貰えるかしら……なんの関係もない部外者が……っ」

 

「たしかに徹は部外者ですが、内情は知っていますよ」

 

 プレシアさんに、リニスさんが答えた。驚いて声がした方を見れば、いつの間にかリニスさんが俺の左隣に並んでいた。

 

 リニスさんの声に反応してプレシアさんもばっと勢いよく顔を上げる。驚愕に目を見開いて、一つため息をついて腑に落ちたように瞼を閉じた。

 

「リニス……あなたが?」

 

「いいえ、ほぼ彼自身で。管理局への妨害行為やフェイトへの攻撃などから」

 

「そう……」

 

 何を、という主語が欠けているがそこはやはり長年連れ添った主従故か、一切の滞りなく会話は流れる。

 

「そして徹との賭けに負けたので、プレシアには悪いですが証言することになりまして

……リニス、わざと負けたりしなかったでしょうね」

 

「しませんよ、真剣勝負だったんですから」

 

「つい最近魔法を知ったばかりの魔導師にあなたが負けるとは思えないわ」

 

「イロイロあったんですよ、お互いに」

 

「なによ、イロイロって。いやらしいわね」

 

「いいい、いやらしいことはにゃに一つしてませんよ? 本当ですよ?」

 

「落ち着きなさい、怪しすぎるわよ」

 

 プレシアさんは穏やかな笑みまで湛えて、リニスさんを(たしな)める。その変貌ぶりは憑き物が落ちたかのようだった。

 

 視線をリニスさんから隣の俺にずらす。

 

「徹君、もう知っているとは思うけど一応改めて自己紹介するわ。私はプレシア・テスタロッサ。リニスを使役している魔導師で、この時の庭園の主で、アリシアと……フェイト(・・・・)の母親よ」

 

 俺の右隣、フェイトの顔をしっかりと見て、プレシアさんは『フェイトの母親』と明言した。

 

 プレシアさんの唇がいくつか形を作る。文字数として六文字。読唇術の心得があるわけではないので自信はないが、『ごめんなさい』と動いたように見えたのは俺の見間違いではないだろう。

 

 俺の服を掴んだままだったフェイトは俯いて肩を揺らす。フェイトは声を押し殺すように泣いていた。

 

 俺は屈んで目線をフェイトに合わせた。

 

「信じ続けてよかったな。やっぱりフェイトは正しかったんだ」

 

「とおっ……ありがとっ……っ。ありがとぉ……」

 

 左手は未だに俺の袖を握って離していないので、フェイトは右手で頬に流れる涙を拭う。だが、いくら拭っても瞳から溢れる雫は止まらない。

 

 フェイトの涙は悲しいからではなく、嬉しさからの涙ではあるが、やはり小さな子が泣いているところを見るのは嬉しいからといっても少し心が痛む。

 

 俺は左手を伸ばす。

 

「ほらフェイト、もう泣くなよ。せっかくの美人さんが台なしだぞ」

 

 頬に手を添えて親指で払いながら冗談めかしてそう言うと、わりと強めに抱きついてきた。泣き顔を見られるのは恥ずかしいけれど涙は止まらないから抱きついて見られないようにしよう、という考えだろうか。それは泣き顔を見られるのと同じくらい恥ずかしい気もするのだけれど。

 

 姿勢を下げていたのでフェイトの頭は俺の肩辺りに来ている。ふわりと舞った金の御髪が顔に当たった時に、謎の電流がぞくりと背中を駆け抜けた。脳内をどろどろに溶かすようなこの甘い香りが原因なのか、それともフェイトが俺に魔力でも当てたのか。前者の可能性が高すぎて悲しくなる。

 

 涙で湿った感触と一緒にどこかくぐもった声が飛んできた。

 

「徹だって……人のこと言えないよ。引きずり回されたみたいなぼろぼろの格好してるのに」

 

「ほっといてくれ。俺だっていやなんだよ」

 

「フェイトがこんなに懐くなんて。本当に仲が良いのね」

 

 俺とフェイトのやり取りを眺めていたプレシアさんがぽそりと口にした。杖を手放しているところからすると、自分に抱きついて欲しかったようだ。割って入ってごめんなさい。

 

 そういえばプレシアさんに自己紹介してもらっておいて、俺は返していなかった。こんな無礼はない、と慌てて立って名乗ろうとしたが、フェイトがひっしと抱きついたまま離れてくれない。

 

 仕方がないのでフェイトはそのままやりたいようにさせておき、プレシアさんの方を向く。

 

「名乗るのが遅れました。逢坂徹と言います。えっと……自称なのはの兄貴分で、他称ユーノの兄貴分で、フェイトたちとは……お友だち? です」

 

 プレシアさんのやり方を見習って自分の名前と身内の人間との関係を説明したのだが、なぜだろう、とても薄っぺらい。おそらく特筆すべきことではないからだ。

 

 そんな俺の自己紹介に、プレシアさんはくすりと笑った。二人の娘を持つプレシアさんは――こんな言い方をすればしこたま(はた)かれそうだが――そこそこの年齢はいってるはずなのに、笑顔はとても若々しく見えた。美魔女、というやつなのだろう。暗色を基調とした服と大胆な肌の露出という外見は、美魔女どころかまさしくイメージ通りの魔女であるが。

 

「徹君、あそこで立っている管理局の執務官にこっちに来るよう話を通してもらえるかしら」

 

「ん……わかった」

 

 もうプレシアさんは危ないことをしない、との旨を伝えてこちらに来てくれるようクロノに念話を繋げる。しばらくの沈黙の後、了解の思念が届いた。

 

 プレシアさんが武装解除、デバイスである杖を手放していたことが大きいようだ。もしやこれを見越してプレシアさんは警戒されにくいタイミングで杖を床に転がしていたのか。目論見を隠匿(いんとく)するような腹芸は苦手でも、やはり頭は回るようだ。本職は科学者なのだから賢いのは当然といえば当然だが。

 

 クロノが柱から小気味好い着地音を鳴らしながら下りた時、頭上の岩盤が爆ぜた。

 

 全員が仰ぎ見れば、桜色の閃光と瓦礫や噴煙の中から二つの人影が飛び出してくる。魔導炉の対処に回っていたなのはとユーノだ。

 

 リニスさんから、プレシアさんは時の庭園の下層にいるとの情報を聞いたので、なのはとユーノとは下層で合流しようという算段になった。その際、細かな道を念話だけで説明するのは至難なのでなのはには、とにかく下に潜ってくれ、とだけ伝えていた。しかしいくら俺の説明が足りず道がわからなかったとはいえ、砲撃でぶち抜いてくるとは思いもしなかった。

 

「徹お兄ちゃん! やっと会えたの!」

 

「なのは、良かった。場所わかったんだな」

 

 ふわり、と天使が羽を舞い散らしながら下界に降り立つかのように、桜吹雪と見紛う魔力粒子を纏いながらなのはが飛行魔法を器用に調節してすぐ近くに着地した。

 

 聖祥大附属小学校の制服に似た純白のバリアジャケットには、ところどころ破損はしているがひどい手傷などは見当たらない。大きな怪我はせず来れたようで一安心だ。

 

「あ……兄さん、お疲れ様です……」

 

「ユーノ、なんかお前随分くたびれた感じに……」

 

 なのはの後ろにいたユーノも続いてやってきた。

 

 砂埃や(すす)で顔や服は汚れているが、特に負傷箇所は見受けられない。となれば、肉体的に疲れたのではなく精神的に疲弊したということなのだろう。

 

 猪突猛進全力全開の一点突破でここまでやってきたなのはのフォローがよほど(こた)えたと見える。

 

 降り立ってすぐにユーノは膝に手をついて呼吸を整え、打って変わってなのはは疲れの色など一切見せず、てとてとと俺のところまで歩み寄る。

 

「わたしがんばったんだよ! 下で合流しようって言われてどこに行けばいいかわからなかったけど、なんとかここまで…………なにしてるの?」

 

 後光でも差しているのかと錯覚するほど眩い満面の笑顔で近づき、俺とフェイトを見て立ち止まった。後半の『…………なにしてるの』は地を這うかのように低く響いた。つぶらな瞳はすっ、と据わる。

 

 なのはの小さなおててに握られているレイハは、まるで『やっちまいましょう、マスター』みたいな歪んだ光を放っている。再び生きて会えたことによる喜びは一転、死への恐怖へと変わった。

 

「なのは……なのはっ」

 

 なのはの声がしたことでやっと気付いたのか、フェイトは俺から離れてなのはのもとまで駆け寄った。

 

「わわっ。ふぇ、フェイトちゃんどうしたの?」

 

「私の気持ち、通じたんだ……母さんにっ……。みんなの、おかげでっ……」

 

「ひゃあっ! ぷ、プレシアさんなの!」

 

 抱きついてきたフェイトの背をぽんぽんと撫でていたなのはは、ここでようやくプレシアさんを視界に捉えたようだ。ちょっとどころではなく反応が遅すぎるが、今は口を挟むべきでないことは俺にもわかる。(つぐ)んでおく。

 

「そんなこと、ないよ。フェイトちゃんががんばったからだもん。泣かないで、かわいいお顔に涙は似合わないの」

 

「なのは……徹と同じようなこと言うんだね」

 

「…………」

 

 フェイトとハグしたままのなのはは、フェイトの肩越しに俺をじとっと見る。

 

 いや、たしかに似たようなセリフは言ったがなのはほど男前な言い回しではなかったぞ。(なじ)るような視線を受ける(いわ)れはない。

 

「そういえばクロノはどこに……」

 

 フェイトのことはなのはに任せ、クロノを探す。クロノに焦点が合わさった時と重なるようになのは、ユーノが合流したので見失ってしまっていた。

 

 きょろきょろと見回せば、いた。みんなとは少し距離をとって、なにやら小声でプレシアさんと話をしている。

 

 重い足を引き摺って近づき、ようやく耳に届いた。

 

「……それなら、母さ……艦長の手も借りれば、なんとか……。しかし……」

 

「ええ、わかっているわ……。無理を聞いてくれてありがとう。あの子たちを……よろしくお願いするわね」

 

「だ、だが……ちょっと待ってくれないか? 僕の一存では決められないが、艦長から意見を仰げば……まだ、なにか……」

 

「今でも相当無理を通しているのでしょう。これ以上は君達の立場も危うくなるわ。ここまで聞いてくれただけでも充分よ」

 

「……全力を尽くす。すまない……」

 

 聞こえてきた会話は、不穏な気配に満ちていた。暗い表情で、重いトーンで、二人の周囲だけ空気が張り詰めていた。

 

「お、おい……クロノ、なんの話をしてるんだ? 早く帰ろうぜ。ジュエルシードは今も暴走してるし手がつけられないからそれは諦めて、早くアースラに……」

 

「徹……それはできないんだ」

 

 沈痛そのものといった面持ちで、クロノは言った。

 

 できない、できないとはなんだ。

 

 フェイトとプレシアさんは、まだお互い気まずいところはあるだろうが大筋和解できた。一時暴走したがリニスさんも今は通常運転に戻っている。アリシアを取り戻すのは、時間はかかるだろうが一応頭の中では考えがある。

 

 なにももう問題はないはずなのに、なぜ、できないんだ。

 

 俺の表情がそう語っていたのだろう。クロノは俺を一瞥して目を伏せ、説明する。

 

「彼女たちには時空管理法違反に加えて、管理局艦船への攻撃の疑い、ロストロギアの不正使用の容疑が掛けられている。フェイトとその使い魔アルフは道具として使われていたと判断して、弁護に等しい釈明はできる。だが……プレシアに関しては弁明のしようがないんだ。フェイトたちを守ろうとすれば、その責任はプレシアに押しつけることになる。このままアースラに戻っても艦内に入った瞬間拘束、拘留だ。本部での裁判では実刑判決は免れない。おそらく百年単位の幽閉となるだろう。彼女たちの別れは……時間の問題だ」

 

「待て……待ってくれ。言い(つくろ)うことはできるだろ。管理外世界での魔法行使は、危険な代物であるロストロギアを善意で回収しようとした……とか。俺たちとの戦闘は、互いにジュエルシードを悪用する人間だと誤解していたとかって……」

 

「相変わらず舌が回る……。ジュエルシードの悪用はどう説明する? 現在も暴走状態が悪化しているジュエルシードはどう申し開きするんだ?」

 

「封印が完璧じゃなかったんだ。一つのジュエルシードから魔力が漏れて封印処理が外れてしまえば、周りのジュエルシードとの相乗で力の解放が早まる。それで暴走状態にまで陥ったって言えばいい。二つ以上のジュエルシードが共鳴するような反応を示すのは、沖合で発見した九つのジュエルシードで確認が取れてる。アースラのデータに映像も残ってるだろう。プレシアさんたちが管理していたジュエルシードは利用しようとしたんじゃない、保管中に暴走してしまったんだ」

 

「強弁なようでいて筋は通っている……か。上手い言い逃れだ。だが、アースラへの攻撃はどう弁解する」

 

「っ……」

 

 管理局艦船への攻撃容疑。これだけは俺も対処に困っていた。手は回したが、それが効果を上げるかどうかは賭けに近い。

 

 そういった不安から、クロノの追及に対して言い淀んでしまう。

 

 クロノはしばし俺の返答を待ち、深いため息をついた。

 

「徹の言い分で他の罪状は通せるとしても、艦船への攻撃容疑は誤魔化せない。それ一つあれば、他の容疑についても疑惑は払拭できなくなる。かえって怪しまれるだけだ。母さ……艦長にもどうしようもない。守ろうとするのなら、フェイトと使い魔のアルフだけだ。欲張れば全員拘束される。仕方のない……ことなんだ」

 

「ちょっと、ちょっと待って、くれ……。ちょっとだけでいいから時間を」

 

「もういいわ、徹君。ありがとう」

 

 左肩に手が置かれた。俺の言葉は、プレシアさんに遮られた。

 

「私がいれば、フェイトやアルフにまで追及の手が及ぶ。厳しい取り調べを受ければ嘘をつけないあの子達では口を割ってしまうわ。だから、全ての罪を私に被せて、私が消えるのが一番良いのよ」

 

「それは違う、プレシアさん……。なにがあっても子どもに親は必要なんだよ……っ!」

 

「あの子達と、仲良くしてあげてくれると嬉しいわ。私はもう……近くにはいられないから。後のことはよろしく頼むわね」

 

「待って……待ってくれ! まだ……っ!」

 

 プレシアさんは俺に告げると、迷いのない足取りで歩き始める。方向は、岩でできた床の端。落ちれば魔法の使えない虚数空間、まさしく断崖絶壁。

 

「徹……怖い声。どうしたの?」

 

 俺が大声を出したことでみんなが集まり始めた。

 

 緊迫した雰囲気を感じ取ったフェイトが声を掛けてくる。

 

 フェイトの問いかけには、プレシアさんが答えた。

 

「フェイト……酷いことばかり言って、つらい思いばかりさせて本当にごめんなさい。これからたくさん苦労はあると思うけど……アルフと一緒に、強く生きなさい」

 

「え……か、母さん……?」

 

 プレシアさんは視線を横にずらし、橙色の髪を捉えると止まった。

 

「アルフも悪かったわね。酷いことをしたわ」

 

「や、やめなよ、そんな……お別れみたいなこと言うの……。あたしは全然気にしてないよ……」

 

「フェイトを支えてちょうだい。一人にするのは不安だから……」

 

「こ、これから……っ、またっ、一緒に暮らすんだからっ、そんなこと……っ」

 

 涙ぐんでいるアルフに、プレシアさんは微笑みかけた。

 

 最後に、リニスさんへと向けられた。

 

「リニス、悪いわね」

 

「プレシアが選んだのなら……私は構いませんよ。ただ、こんな最後は迎えたくありませんでしたが……」

 

 リニスさんはちらりと俺を見て、プレシアさんに答えた。

 

 その様子を眺めていたプレシアさんは目を瞑ってくすりと笑う。ちょっと待ちなさい、と一言呟き、右手を伸ばした。

 

 手の動きと連動するように、床に転がっていたプレシアさんの長い杖が持ち主の手元まで引き寄せられる。ぱしん、と乾いた音を鳴らして握られると、先端部をリニスさんに向けた。

 

「プレシア、これは……」

 

「暫くの間身体を保てる程度には魔力を送っておいたわ。誰かいい相手でも見つけて、使い魔の契約を書き換えることね。あなたの能力のままでは維持するだけでも魔力がかかりすぎるでしょうから、書き換える時には能力に制限を掛けて消費魔力量を減らしなさい。管理局の書庫を探れば使い魔の契約に関する書物も出てくるでしょう」

 

「プレシアっ、私はあなた以外には!」

 

「使い魔の罪は、主人の罪。リニス、あなたは契約によって無理矢理従わされたことにしなさい」

 

「プレシア!」

 

「リニス……私からの最後のお願い(命令)よ。幸せになりなさい(言うことを聞きなさい)

 

「この捻くれ者っ。わかりました、プレシア……」

 

 アリシアを頼むわね、と一言囁き、棘が幾つか伸びている杖の下端を地面に突き立てた。

 

 プレシアさんを中心として紫色の魔法陣が浮かび上がる。魔法陣が出現したということは魔法を使ったはずなのだが、特に現象は現れない。

 

 目では異常を発見できない。しかし肌で、途轍もない力が動いているのがわかる。ざわざわとした胸騒ぎが不安感を駆り立てる。

 

 胸元で強く震えるものがあった。エリーが空色の光をぴかぴかと瞬かせている。警報(アラート)を表現するかのように、エリーはひたすら強く警戒を示してきていた。

 

 エリーの警告と、治まらない胸騒ぎ。高温の物体が近くにあるような、じりじりとした魔力の圧迫感。アンサンブルでエリーと一つになっていた時に感じた、ジュエルシード(・・・・・・・)の感覚。

 

「すぐにここから逃げなさい。じきに崩れるわ」

 

 どのような術式か定かではないが、さっきのプレシアさんの行為はジュエルシードの暴走を進めるものだったのか。

 

 アリシアのカプセルの、さらに上あたりにジュエルシードはあった。十と三つのジュエルシードがぐるぐると回りながら青白い閃光を迸らせている。

 

 遠雷のように、どこかで爆発音がした。ぐらぐらと、時の庭園自体が揺れる。

 

 俺たちがいる下層も危うい。床には至る所で亀裂が生じ、いつ崩れるかわからない。

 

 この床、削り出された岩盤のような床が崩れれば、その下には何もない。虚数空間が広がるのみ。岩の破片や瓦礫が落下する様子から重力はあるようだ。ならば、重力に従ってどこまで続いているかもわからない奈落へと自由落下することになるのだろう。それは、死とイコールだ。

 

 早くこの場を離れないといけないのに、しかしプレシアさんを置いていくなどできない。ここで彼女に全ての罪をなすりつけて見捨ててしまっては、頑張ってきた意味がない。

 

 揺れる足場で懸命に踏み止まりながら、プレシアさんを見る。彼女は、笑っていた。

 

 これでいい、これが最善だ。そう言うかのように、悲しげに微笑んでいた。

 

 プレシアさんの周りの岩盤から、ぴしっ、と音がした。同時に|裂罅《れっかが走る。

 

「こんなことなら、早くに諦めておくべきだったのかも……しれないわね。今さらそんなことを考えても……もう遅いけど……」

 

 亀裂は恐ろしい速さで伸びて、彼女の周囲をぐるりと回る。ばきぃっ、と一際大きく、岩が砕ける音がした。

 

 プレシアさんはアリシアのカプセルを自分から遠ざける。ホバークラフトに似た技術でも利用しているのか、床から浮き上がっているカプセルは滑るように移動し、アルフの手元で停止した。

 

「フェイト、リニス、アルフ……どうか元気でね……」

 

 プレシアさんの足元付近の岩盤が一気に崩落する。徐々に彼女の身体が沈んでいく。

 

 俺たちに向けられていたプレシアさんの表情は、最後まで笑顔だった。

 

 そして。

 

 彼女は、魔法が一切使えない暗い空間へと、沈んだ。


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