様々な要因が絡んだ末の結果、なのだろう。
あの場で最も速やかに行動できたのは、獣並の反射能力と機敏性を有しているアルフだった。
そしてアルフは近くにいた仲間を守るために、落下してきた大岩を砕くという選択をした。動けた人間が迅速に対応したのだ。間違っているなどとは言えようはずもないベターな選択。
だが、障壁を展開するという手もあるにはあった。いくらここに至るまでに傀儡兵との戦闘を繰り返していたといっても、障壁の一つくらいは張れただろう。俺の障子紙と違い、強固な盾を作り出せるアルフなら大岩の荷重にも耐えられたはずだ。
――因果は連鎖する――
アルフよって大岩は砕かれ、幾つかの破片となった。元が巨大な岩だった為、その破片もまた、破片と呼ぶには大きすぎた。
岩石の破片は辺りに飛散し、距離があった俺たちにも飛散した岩石片は及ぶ。
――不運は不運を呼び、連なる――
岩石片がこちらに迫った時、俺は背後に控えるアリシアのカプセルへ被害が及ぶ危険性に思い至っていた。しかし自分とアリシアのカプセルを守れる強度と範囲を併せ持つ障壁を展開できなかった。魔力が不足していたのだ。
防御魔法が発動しなかった俺も危険ではあったが、ネックレスの台座から浮かび上がっていたエリーが魔力流を放出して俺の身を守ってくれた。
魔力流は直線にしか伸びない。俺に迫る岩石片しか払い除けられなかった。
――訪れる不幸は群れを成す――
プレシアさんであれば、殺到する石ころ如き、容易く
だがそれは、デバイスがあれば、の話だ。
アースラや俺たちにも降り注いだ雷撃、次元跳躍攻撃などの魔法を目にするとつい忘れてしまいそうになるが、プレシアさんの本職はあくまで科学者だ。そのプレシアさんのフォローをするために、リニスさんは戦闘技術に精通している面もある。
虚数空間に身を投げた時、プレシアさんはデバイスである杖を手放してしまった。相次いでハプニングが発生する上、目まぐるしく動く事態に直面し、プレシアさんは
――更に悲運は
大きな震動による不安定な足場の中、アルフと同様、動きを取れる人はいた。リニスさんだ。
リニスさんは俺やプレシアさんよりも後方に位置していて、岩石片が到達するまでにほんの僅かの差ではあるが時間があった。思索を巡らすだけの数瞬の余裕はあっただろう。
ただ、ここでもつきに見放されていた。
プレシアさんと同じく、デバイスを失っていたのだ。
一瞬の判断が戦況を左右する実戦に身を置いているリニスさんは、突発的な出来事にも慌てずに対処できる。それだけの能力がある。
デバイスがなくとも、やろうと思えば魔法は行使できたはずだが、刹那の中で天秤にかけ、使わないという決断をした。魔法を使わず自分の身を動かし、自らの主人であるプレシアさんに飛びかかって身体を押して、岩石片の脅威から防いだ。
俺と激闘を繰り広げた疲労、底に近い魔力、自身のコンディションと魔法の不発という危険性を考慮した時、安易に魔法に頼ることはリスクが重すぎると考えたのだろう。
実際、リニスさんは魔法が使えずに佇立していたプレシアさんを守れている。リニスさんの取った行動も正しかったのだ。
各々自分が今どうするべきかを考えて、各々自分ができる範囲のベターな行動を取った。間違ったことをした者は誰一人としていなかった。
だが結果として、アルフは打撃により大岩を砕いて小さくはない岩石の破片を散らすことになり、俺はただ指を
岩石片は無防備なアリシアのカプセルに打ち据えられることになる。
いくらカプセル自体が浮遊していて劣悪な足場を進めるといっても、衝撃に強いわけではない。猛スピードで飛来する拳大から人の頭くらいの大きさのものまである石、もしくは岩がいくつもぶつかればバランスを失う。
ガラスの正面にもいくつか岩石片が当たって
甲高い音を響かせてガラスを撒き散らし、アリシアを包み込んでいたオレンジ色の液体は流れ出す。アリシアは無菌のカプセルから、薄汚れた岩の床へと投げ出された。
俺たちは
「アリシア……っ! アリシアっ!?」
真っ先に現実を認識し、意識を取り戻したのはプレシアさんだった。
叫びながらアリシアへと駆け寄り、抱き上げる。アリシアの身体はぐったりとして力なく、プレシアさんにされるがままだった。
「こんなのッ……たちの悪い冗談だろ……ッ!」
ここまできて、ここまで頑張ってきて、なのにこの仕打ちか。後はアースラに戻るだけだったというのに。
無論、アースラに帰投してからも様々な苦労は待ち構えているが、少なくとも最善への結末までが見えていた。すぐそこにまできていたのに、なのにまだ、運命などというくそったれな呪縛は俺たちの足を絡め取る。
幸せになど、なれはしない。
そう示すかのような所業だ。
「アリシアっ……アリシアっ!」
プレシアさんは愛娘を抱き締め、名前を呼び続ける。
そんな悲愴感に満ちた光景を、俺はただ見ていることしかできず、呆然と立っていた。
後ろから弱々しい足取りで近づき、リニスさんが隣に並んだ。
「私の……判断ミスです……っ」
「誰の責任だとか話し合ってる場合じゃない。リニスさんが動かなかったらその時はプレシアさんが大怪我を負っていたんだ。リニスさんは正しかったよ。誰も……悪くなかったんだ……ッ」
プレシアさんは言っていた。カプセルに満たされていたオレンジ色の液体は、身体を維持させるものだと。その液体が流れ出した今、アリシアの身体を守るものはない。遠からず朽ちていく。
「こんな終わりかたが、あんのかよ。あっていいのかよ……」
プレシアさんも、リニスさんも、フェイトも、アルフも、みんな努力を尽くした。己が発揮できる最大限で努力を尽くしたのだ。
足を棒にしてジュエルシードを探し、寝る間も惜しんで研究して、血涙を絞って非道な行いを強いて、それでも己が信念を貫いてきた。すべてはたった一つの願いを叶えるため。たった一人の愛する家族を救うため。
そのためだけに頑張って、それ以外のほぼすべてを捨ててまで頑張ってきた人たちに対する仕打ちが、これなのか。
間違っている。絶対にこんな結末は間違っている。
「認めはしない……こんなもの、絶対に……っ」
「徹……」
絶対に、何をしてでも何をかけてでも絶対に、助けてみせる。
頭の中に理論はある。時間をかけて慎重に念入りに、細心の注意を払ってやりたかったが構いはしない。設備を整えて万全の体制で行動に移したかったがやむを得ない。
いつだって、時は待ってはくれないのだ。
もしかしたら玉座の裏の部屋には、研究室には予備のカプセルがまだあるかもしれない。大きな爆発があったがまだ破損せずに残っているかもしれない。
しかしここから不安定な足場の中、研究室まで向かっていては時間がかかりすぎる。どう見積もっても十分はかかる。
それでは、間に合わないのだ。
思考回路はトップギアで回転させながら、俺はプレシアさんに近づいて尋ねる。
「プレシアさんは、アリシアが死んだとは思ってないんだよな」
「徹君……何を」
「だってそうだろ。死んだと思ってるんなら、こんな、まるで大きい試験管みたいなカプセルにアリシアを入れる理由がない」
「……ええ、そうよ。アリシアは死んでいないと、私は信じているわ。ただ応えることが出来ないだけ、動くことが出来ないだけ……魂が抜け落ちてしまっているだけなのよ」
「だからアリシアをカプセルに入れて、あの液体で中を満たした。肉体を維持するだけの構成要素を含んだ液体を。一つ聞き忘れていたんだ。その中に魔力は含まれているのか」
「徹君、様子がおかしいわよ……?」
「いいから、答えてくれ」
「っ……徹君の考える通りよ。特殊な工程を挟むことで魔力粒子を注入しているわ。炭酸ガスを水に混ぜるのと似たようなもの、と言えば理解はしやすいかしら」
「それなら大丈夫だ」
プレシアさんは驚愕に目を見張る。
何が大丈夫と言えるのか、そう問うような表情だった。
一度思索を打ち切り、目の前の女性に意識を集める。愛娘を抱き、悲痛な面持ちのプレシアさんをまっすぐに見つめて、言う。
「アリシアを助けるよ。今、ここで」
「……どうやって助けるというの? 機材もなく、ジュエルシードは暴走を加速させ、足元は今にも崩れ落ちそうで、君は立っているのもやっとの状態。こんな環境の中で……どうやって助けるというの?」
プレシアさんはアリシアを抱き締めながら、俺に問う。
このままではアリシアの本当の死を待つだけ。とは言っても、この空間で実際にアリシアに処置を施すのが現実味に欠けるというのもまた事実。
プレシアさんからすれば、俺が現状を真正面から認識しようとしていないと疑うのは仕方がなかった。
「周囲にばら撒かれるジュエルシードの魔力密度が弱まっている。この機を利用する
爆発や揺れは収まっているけど、これは一時的なものよ。引き波のように、大きな波を作るために力を蓄えてる。長くは続かないわ」
「わかってるよ。だから、現状から悪化しないように抑えてもらうんだ」
「抑えてもらうって……そんなこと、誰が出来るというの? ロストロギアの、しかも暴走している代物の魔力を抑えるなんて、誰にも出来はしないわ」
「プレシアさんの懸念には、行動で応えるよ。……エリー」
俺が呟くと、頭上数メートルで浮かんでいた鮮やかな空色の宝石が目線の高さにまで下りてくる。降り止まない落石を警戒してくれていたようだ。
エリーは俺の額にちょん、と触れる。
途端、空色で埋め尽くされた。
ジュエルシードの群れから放たれる肌を刺す魔力波も、頭上からの止むことなき落石も、ぐらぐらと体幹を揺さぶる震動もない。耳を澄ませば小鳥のさえずりや木々の葉擦れの音が聞こえてきそうな、エリーの穏やかな世界。
「主様……なんなりとお申し付けください」
気づけば、目の前にはエリーがいた。音もなければ、空気の流れの変化も気配もない。
一周回って自画自賛になってしまいそうなので
「時間が欲しい。頼めるか?」
「お任せください。……しかし、私にはこれ以上悪化させないようにしかできません。あの数が相手では現状維持しかできません。……どうかご理解ください」
「酷くならないだけでも充分だ。ありがとう」
「申し訳ありません……。ですが、主様がやるべき事を成し遂げるまでは必ず抑えます。ですから主様は何も心配なさらず、後悔しないために前を向き続けてください」
エリーは右手を伸ばし、約束です、とはにかみながら小指を立てる。
白魚のようなその指に、自分の指を絡ませた。
「言われなくても……そうするつもりだ」
いたいけな少女のような純潔さで、けれど妙齢の女性のような妖艶さで、エリーはふわりと頬を綻ばせる。
そのワンカットを目に焼き付けて、意識は現実へと戻った。
俺のおでこにくっついていたエリーは離れ、浮上する。
俺のそれより少しだけ低いエリーの体温は、まだ小指に残っていた。
「ジュエルシードが……人の意を汲み取ったというの……?」
再度上昇するエリーを仰視しながら、プレシアさんがぽつりとこぼした。
エリーは浮遊を続け、十三個のジュエルシードの真上を陣取る。
大きな波を放つために力を蓄えていたジュエルシード群は、まるで脈打つかの如く同心円状に魔力波を発射した。その莫大な魔力の密度で編まれた波は庭園の至る所で被害を及ぼすはずだったが、同じ波形、同じエネルギー量の魔力波がぶつかったことにより相殺される。
「どうして……人の指示に従って独自に動くのも不可解だけど、その魔力量もおかしいわ……」
「徹と戦っている時から普通のジュエルシードとは違うと思ってはいましたけど……まさか、十三個のジュエルシードにたった一つで太刀打ちできるほどとは……」
池に投げ込まれた石によって水面全体に波紋を広げるような魔力波を、エリーはさして慌てる様子もなく消し去る。
「俺も、不思議に思ってたんだ……。他に封印処理を施したジュエルシードはなにも変化がなかったのに、なんで海で封印した九つのジュエルシードだけエネルギー量が減っていたのか」
人には及びもつかないほどの魔力を、エリーは有している。
だが今回は、同じロストロギアが相手なのだ。エリーたった一人で同格のジュエルシードを、しかも十三個に対処するなど単純に計算すれば確実に押し負ける。
しかしエリーは見事にやってのけている。まるで小さな子どもをあしらうかのように、若干の余裕さえ覗かせながら抑え込んでいる。
なぜエネルギー量において下回っているはずのエリーがこうも勝負ができているのか。
プレシアさんたちが所持していた十三のジュエルシードうち、海鳴市沖の海上で奪取した八つは魔力量が減少していたとはいえ、他の六つはロストロギア足るだけの魔力を持っている。いくらエリーに科されていた封印は解かれているといっても、敵う道理など本来はない。
そこまで考えて俺は思い至った。合算すれば通常のジュエルシード八つ分に相当するジュエルシード群にエリーが対抗できる、その理由に。
「俺が海で九つのジュエルシードを封印しようとした時、エリーも手伝ってくれていた。邪魔者を排除しようともがくジュエルシードの魔力流を、エリーが代わりに引き受けてくれた。俺はその行為を、しっかり理解していなかったんだ。エリーは俺を守ると同時に、封印処理の障害になるジュエルシードの魔力を吸収していたんだろうな。だから九つのジュエルシードは魔力量が減っていた。今になって思えば、あの後のエリーの宝石体はそれ以前と比べて綺麗になっていたし」
「そ、そんなことがあり得るというのですか……」
「信じ難い仮説だけど、それが事実だとしたらとんでもないことね……。リニスが確保した八つのジュエルシードは魔力量が他のものと比べて四分の一程度にまで低下していたわ。あの場にあった九つのジュエルシードからそれぞれ平均七十五パーセントずつ吸収して、その上もとあった魔力も含めて計算すれば、たった一つだけでジュエルシードおよそ八つ分に相当するわよ……」
「莫大で膨大な魔力を内包して、しかもそれを我が物としてコントロールできてるんだから、そのあたりはさすがエリーって感じだ」
「……気になっていたのだけど、そのエリーというのはあのジュエルシードのことなのかしら?」
「当たり前だよ。俺の相棒だ」
「そ、そう……」
「慣れてください、プレシア。徹はこういう人間なんです」
クエスチョンマークを浮かべるプレシアさんに、リニスさんはそう説明した。
「これでジュエルシードによる危険性の問題は解消された。すぐに取り掛かるよ」
濁った青白い波で塗り潰されそうになるキャンパスを、どこまでも透き通った空色で上書きする。ジュエルシードの波紋が広がるたびに、エリーは打ち消す。
その光は、不安や恐れまでをも消し去った。
「今ならまだ、なんとかなる……助けられるんだ。動かない理由なんてない」
「ジュエルシードの暴走による庭園の崩壊はタイムリミットが多少延びましたが、それでもこの場は危険です。床にはひびが広がって、天井部からは石や、時折大きな岩まで落ちてきています。徹の相棒が止める前に、ジュエルシードは凶悪なまでの魔力を振り撒きました。庭園の基部は重大な損傷を受けたでしょう。魔力波がなくとも、崩れ落ちることが考えられます。なにより……徹、あなた自身が……」
「徹! そっちは大丈夫だったか?!」
「クロノ?」
リニスさんの語りの途中で、帰還ルートの入り口近くにいたクロノがこちらにまでやってきた。その後ろには他のメンバーもついてきている。
一様に心配そうな表情をしている中、青褪めている人物が一人だけいた。
先頭を走ってきていたクロノは、整ったその顔貌に焦りの色を滲ませている。
俺、プレシアさん、リニスさんをちらりと見て目立った傷がないのを確認すると少し安心したようにため息をこぼした。
アリシアの姿はプレシアさんの身体で隠れて見えなかったようだ。でなければ微かといえど安心するなんてできはしない。
「さっきの揺れで大規模な崩落があったみたいだ。想定していたルートがダメになった。しかも入り口も埋まってしまったんだ。エイミィや、他のオペレーターも脱出経路の再構築を急いでいるが……」
「ならちょうどいい……手を貸してくれ」
「手を貸せって、一体何に……」
ここでクロノはようやく、アリシアを視界に入れたようだ。
肌色の面積があまりにも多い足が見えたのだろう、プレシアさんの斜め前に移動する。一糸かけずにプレシアさんの腕の中にいるアリシアを認めるや、ふいと目を背けた。
もといたポジションにまで、クロノは戻った。少しだけ顔が赤かった。
「アリシア、だったか。……その子は巨大なカプセルに入っていたはずじゃなかったか?」
「そのカプセルが割れたんだ。このままじゃアリシアは本当の意味で死んでしまう。だから、ここで助ける。手伝ってくれ」
「手伝えと言われれば手伝うが……なにをすればいいんだ。意識もなく、呼吸もなく、心拍すらない。そんな患者に対する治療法なんて僕は知らないぞ。そもそも、その子はもう……」
「確かに生きているとは言えないかもしれない。でも、死んでない。助けられるんだ。そんで手伝いってのは簡単だ。俺はこの場所から動けないから、落ちてくる岩を防いでほしい」
クロノから視線を外し、俺はクロノの後ろについてきていたなのはたちに目を向ける。
「なのは、ユーノ、フェイト、アルフ。お前たちも頼む」
四人に声をかければ、元気よく頼りになる了承を得ることができた。三人分の声しかなかったが。
「あ……あたしの、せいで……」
顔面蒼白となって返事もしていなかったアルフが俯きながら呟く。
「アルフは悪くない。アルフはフェイトや、なのは、ユーノを守ったんだ。下を向くな、胸を張れ」
「でも……あたしが岩を壊さなかったら、こんなことにはならなかったよ……」
「たしかに岩を破壊する以外にも方法はあった」
「……っ」
「でも、違う方法が安全だったっていう保証はない。岩を砕こうとせずにフェイトたちを連れて逃げようとしてたら間に合わなかったかもしれないし、障壁で防ごうとしていたら岩の重さで床が崩れていたかもしれない」
「そんなのわかんないよ……。もしかしたら他の手段でやっていれば、アリシアはこんなことにはならなかったんじゃないかって、頭の中そんなことばっかりぐるぐるして……」
「他により安全なやり方はあった可能性もあるし、なかった可能性もある。どのやり方がより良かったかなんてわからねえよ、少なくとも人間にはな。でも一つ断言できることは、アルフが岩を破壊するという手を取ったから、こうしてみんながここにいるんだ。手遅れにはならない。みんな、生きてここにいる」
「でもアリシアはッ!」
「アリシアはこれから助ける。最初から助けるつもりだったんだ。それが早まっただけだ。まかり間違った責任を感じてるってんなら、協力してくれ」
アルフは顔を上げて、決して合わせようとしなかった目を俺に合わせた。眉を曇らせていたが、それでも少しだけ口元を緩めた。
「徹、ありがとう……」
「礼を言われることじゃないけどな。どんな状況だって、可能性はゼロじゃないんなら頑張ればなんとかなるんだ。だからなんとかするぞ」
俺の暴論にアルフは泣きそうな顔になりながら、小さく笑った。
「わかった……徹の口車に乗っとくよ」
表情はあまり晴れてはいなかったが、声には張りが戻った。意識をアリシアへの罪悪感から、この場をどう乗り越えるかにすり替えることができたのならそれで充分効果はある。
話し終えたアルフの隣にフェイトが並ぶ。手を伸ばしてアルフの手を握り、フェイトは微笑んだ。
言葉はなく、アイコンタクトのみであったが、姉妹にも似た主従関係にはそれだけで気持ちは通じるようだ。
「安全も確保された。さっそく始めよう、プレシアさん」
「そうね……わかったわ」
プレシアさんは床に羽織っていた丈の長いマントを敷き、その上にアリシアを横たわらせる。
肌の露出面積が多いプレシアさんの衣装なのでもしやと思っていたが、やはりというべきか背中がざっくりと開いていた。気が咎めるので目線を別のところへと移すが、移した先にはアリシアがいた。さらに罪悪感が増していく。
アリシアの横に膝をつき、手を伸ばそうとした時、床となっている岩盤が苦しむように軋み声をあげた。外縁部ではさらに崩れ、俺たちがいる場所にも小さな亀裂が入る。
頭上を見上げるが、エリーは依然として変わらずジュエルシード群の魔力波を打ち消している。この震動は新しい魔力波によるものではない。もう基盤が損壊した庭園では自重を保つことさえ難しくなってきているのだ。
ごごご、と地響きのような、不安を煽る音が耳を打つ。
「と、徹お兄ちゃん! 上!」
なのはの声が聞こえて、仰ぎ見る。
俺たちの真上。岩でごつごつした天井から再び岩や石が落ちてくる。
直径の大きいものは多くはない。アルフが破壊した大岩のようなサイズはないが、それでも人間の身体に当たれば容易く骨を粉砕するだろう。頭に直撃すれば、岩そのものの重量と重力による加速で西瓜を割るみたいに頭蓋をばっくり破裂させる。
とても見過ごせるような落下物ではないが、今は頼りになる仲間が大勢いるのでそちらに任せよう。
「スティンガースナイプ」
岩と岩を擦る耳障りな震動音を、ボーイソプラノが貫く。
クロノの誘導制御型射撃魔法、スティンガースナイプが降ってくる岩の群れを突っ切る。螺旋状の軌道を描くそれは、目にも留まらぬ速さで噛み砕く。
速度、誘導性能、威力の三拍子が揃った優秀な魔法だ。いや三拍子どころか、弾道が螺旋を描いているので動きが読み辛いし、ボイスコマンドによって弾速が急激に上がりもする。相手取る時は非常に厄介だが、味方となるとこうも頼もしい。
「案外、多い……」
しかしその一弾の性能の高さ故か、弾数を多く用意できないようだ。落ちてくる岩石の量が多く、手が回らない。
全てを撃ち砕くことはできなかったが、それでもよかった。直径の大きいものだけでよかったのだ。
なぜなら。
「徹お兄ちゃん、姿勢を低くしててね。障壁張るの!」
「ああ、頼んだ」
なのはがいるのだから。
その
突如、床が大きく傾いだ。
「わひゃうっ」
全員が、がくんとバランスを崩す。もちろんなのはも、例外ではない。
杖の先端を天井に向けていたが、意識の外にあった足場の不安定さにより身体が前につんのめる。体勢と集中が乱れ、なのはは基礎中の基礎である防御魔法の構築をフェイルした。
落下してくる岩石群のうち、大きめの岩が一つ、俺の近くに迫っていた。当たりどころが悪ければ骨くらい折るだろうが、頭部に命中しない限りは『とても痛い』くらいで済む。
懸念は俺よりもアリシアだ。ただの幼女であるアリシアに当たれば、そうじゃなくても消えかけの灯火が確実に消える。優先すべきはアリシアである。
「はは……やっぱり、母親だ……」
俺の身体でアリシアの上半身を守ろうと身を乗り出すが、すでにプレシアさんが覆い被さっていた。
子のためなら意思とは関係なく身体が動いしまう。それが親というものなのだろう。
戦闘班ではなく、デバイスも持っていないプレシアさんではすぐには魔法も使えない。バリアジャケットすら着用していないのだから、身体能力は普通の女性と遜色ない。
アリシアは守れても、プレシアさんが怪我をすれば娘はとても悲しむだろう。そんな思いはさせたくない。
俺は、アリシアを庇うプレシアさんの上にかぶさる。
なんの疑問も持たなかった。『守りたい』と、ただそれだけを思った。
「…………?」
石や岩は、いつまで経ってもいつまで待っても、落ちてこなかった。自分の身体に硬い石が打ち据えられる感覚どころか、床と接触する音すら聞こえなかった。一つたりとも、である。
おそるおそる見上げれば、茜色に輝く球体が浮かんでいた。
ひらひらと舞い落ちる灰色の燃えかすを手に取ってみる。これはもしや、石だったものなのか。
「あれ……いつの間にロストロギアが……」
ユーノの小声が聞こえたのでそちらを見やれば、不思議そうに懐やポケットをまさぐっていた。
魔導炉を撃砕したのち、ユーノには瓦礫の中から夕暮れ色のロストロギアを、あかねを探して持ってきてくれるように頼んでおいた。
降ってきた岩石を防いでくれたのは、どうやらユーノの服から飛び出したあかねのようだ。広範囲に魔力を放出して消し飛ばしてくれたのだろう。
エリーはもはやロストロギアの中でもトップクラスの魔力量と推測されるが、一歩譲るとはいえ、あかねもやはり相当なものだ。
「あかね、助かった。……ん、なんだ?」
俺が礼を言うと、あかねは地平線に傾く太陽のような色彩の光で瞬く。
このあたりはやはり慣れや親しみや連れ添った時間の差なのか、エリーの時は点滅すればすぐに気持ちがわかるのだが、あかねの場合は今ひとつ判然としない。たぶん、礼はいらねぇよ、的なニュアンスかと思われる。
頭上にいたあかねはふよふよと高度を下げて近づき、俺の鼻頭に触れる。
あかねが瞬いた。視界はあかねの魔力色に染められる。直後、引っ張り込まれるような感覚。
気づいた時にはあかねが管轄する夕暮れ空の世界にいた。
「よぉ、困ってるみたいだな」
哀愁を誘う日暮れ間近の夕焼け色をバックに、あかねは悪戯っぽく口角を上げた。
「ああ、困ってるな。ていうかユーノと一緒に来てたんならもう少し早く出て来とけよ」
「かはは、悪ぃな。疲れて寝てたんだわ。青いのの魔力波が目覚まし代わりになったぜ」
「睡眠とか要るのかよ……お前」
そんなことより、と話を区切ってあかねが一歩、歩み寄ってくる。笑顔のままで、この世界と同じ夕暮れ色の瞳をきらきらと輝かせていた。
早く仕事をくれ、とでも言わんばかりに俺の目の前で少女は腕を組んだ。
「ジュエルシードはエリーが抑えてくれてるんだけど、落石に関しては不安が残ってる。メンツ的には過剰なほどの戦力、問題は足場が悪いことだ。足元が揺れて体勢は崩れるし、いつ床に穴が空くかわからないってのは集中が阻害される。だから、あかねには足場をなんとかしてもらいたい。……頼めるか?」
「さっさとそれを言えってんだよ。任せろ。俺もあんたの覚悟に報いてやる。青いのばっかりにかっこいいことさせてらんねぇしな」
「だから、俺はそんな立派な覚悟とか大それたものはないって……」
「まだそんなこと言ってんのかよ。かはは、そんじゃ俺のひとり言ってことでいいや」
組んでいた腕を外して左右に広げ、大袈裟に溜息をつく。やれやれ、という心境を表現しようとしているのだろう。
多少いらっときてもおかしくはない仕草だが、
「徹、やりたいようにやれ。俺は全力で手伝ってやる。……でも、後悔するような中途半端なことは絶対すんな。どんな結果になっても、俺は徹の隣にいてやるから。失敗した時は俺の胸を貸してやるよ」
「はっ……縁起悪いこと言ってんなよ。まあ、万が一にもそうなった時はあかねのない胸を借りるかな」
「なっ……あ、あるからな! 着痩せするタイプなだけでけっこう……んん、そこそこはあるからな!」
自身の魔力よりも鮮やかな赤色に頬を染め、胸元を両手で隠した。
そのあかねの仕草からして、本人の言うところの『そこそこ』もないかもしれない。
「なにがなんでも足場は崩させない。徹の背中は守ってやる。だから、気兼ねせずやってこい」
これは応援じゃねぇ、約束だ。そう言ってあかねは、まだ仄かに頬を染めたまま、握り締めた右手の拳を俺に伸ばした。
「ああ、任せた」
小さく笑いをこぼしながら、差し出された小さな手にこつんと自分の拳をぶつける。
拳に伝わる微かな、でも確かな感触を忘れないように目を瞑り、心に落とす。
目を開いた時には、現実世界に回帰していた。
あかねは俺から離れると床から十センチほどまで高度を下げ、魔力を放った。茜色の魔力は渇いた砂に沁み込む水の如く、全体に行き渡る。亀裂が入った岩盤には隙間を埋めるように魔力が満たされ、俺たちのいる付近一帯には膜を広げるように魔力がコーティングされる。
断続的な微震すらも体感できないくらいに安定した。これならもう、体勢を崩して魔法がキャンセルされることもないだろう。
「徹君……もう大丈夫だと思うのだけど……」
俺があかねの仕事に感服していると、身体の下から申し訳なさげな声が弱々しく聞こえた。
あかねの世界に旅立っていたせいで忘れていた。アリシアを庇うプレシアさんを庇っていたのだった。
これは壁ドンならぬ、床ドンとでも呼べるだろうか。壁ドンよりもさらに通報待ったなしな匂いがぷんぷんする。
と、そこまで考察を深めたところで首根っこを掴まれた。
「いつまでプレシアを押し倒しているのですか、徹。これ以上は刑罰の対象になりますよ」
「ち、ちがう……俺は守ろうとしただけで……」
「あまりそういう迂闊な行動は慎んでください。緊迫した状況を忘れましたか?」
「忘れてるわけない。あかねも手伝ってくれたんだから、すぐに取り掛かるよ」
俺はリニスさんに半ば強制的に、もといたアリシアの隣のポジションまで引っ張り戻された。
背中からの圧迫感がなくなったことで、プレシアさんはアリシアの無事を確認してからおずおずと離れる。少し頬を紅潮させ、それを紛らわすように顔にかかった髪を小指で払った。
「アリシアの中に
「任されました。徹……アリシアをよろしくお願いします」
アリシアの中へ潜らせる魔力にのみ意識を傾けなければ、おそらく成し遂げることはできない。肉体に注意を払っている余裕などないのだ。
身体の管理を、ちょうどプレシアさんから引き剥がすために俺の後ろにいたリニスさんに頼み、とうとうアリシアへと相対する。
アリシアの胸の真ん中に右手を静かに添える。なにも衣服を着ていないからか、それともオレンジ色の液体から出てしまったからか、アリシアの未成熟な小さい身体は内心、ぞっとするほどひんやりとしていた。急速に体温が低下している。
動揺に感づかれたのか否かはわからないけれど、俺の右手に重ねるように、プレシアさんが手を置く。緊張からか恐怖からか、プレシアさんの体温はアリシアのそれより低く冷たく、しかも小刻みに震えてもいた。
「お願い、徹君……アリシアを助けて。重荷にしかならないことはわかっている、プレッシャーにしかならないことはわかっているけど、でも……それでもお願いするしか私には出来ないの……。アリシアを……助けて」
怖くないわけがない。実の娘の生死を、今日あったばかりの男に託さなければならないのだから不安でしょうがないはずだ。気が気じゃないだろう。
それでも俺を信じて任せてくれたのだ。
ならば俺は、俺のできる限りを尽くさないといけない。尽くさなければ嘘になる。
「助けるよ、助ける。みんなで生きてここを出て、そしてみんなで笑ってご飯でも食べよう」
「っ……。ありがとう……徹君」
右手の甲に、きゅっと力が入れられた。プレシアさんの手から送られてくる力だった。その手は、少しだけ温かくなっていた。
数多くあった問題は、ほぼ解決した。
ジュエルシードの暴走はエリーが食い止めてくれている。頭上からの危険な落石はクロノやなのは、フェイト、アルフ、ユーノ、みんなが防いでくれている。いつ崩落するかわからなかった床はあかねが支えてくれている。
最後の問題は、俺自身で解決するしかない。俺が乗り越えさえすれば、届く。みんなが笑っていられる未来は、すぐそこだ。手を伸ばせば届くのだ。
運命なんていう残酷なものが存在するのかどうかはわからない。
だが仮に、運命なんていうひどく曖昧なものがあったとしても、俺は認めない。
その運命とやらがアリシアを殺そうとしていても、俺は認めない。
運命なんて下らないものが彼女たちの道を強制するなど、俺は認めない。そんなもの、決して認めない。
「そんな結末認めない」
魔力を込める。アリシアの体内の、さらに奥。リンカーコアへと俺は潜る。