そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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多くの感想ありがとうございます。元気と勇気をもらっております。





果たすべき義理

 

驚くべきことに、俺が作った数々の品を姉ちゃんはぺろりと完食してしまった。いや、わりと多くの量を俺も食べたのだが、それを踏まえてもその小さな身体のどこに入るのと問いたくなるほどの量を姉ちゃんは食していた。ハムスターそこのけな頬張りっぷりには少しばかり引いたが、美味しいおいしいと笑顔で再三褒めてくれたので、まあよし。

 

「そんでなぁ、上司の人から電話かかってきとってなぁ」

 

「それっていつ?」

 

「二日前やなぁ」

 

「……電話、出たの?」

 

「出たかなぁ?あんまり記憶ないねんなぁ」

 

「記憶ないって……俺が言うのもなんだけど、だめでしょ」

 

「そんでさっき携帯確認したらな、留守番電話にメッセージ入っとってなぁ」

 

「で、どんな内容だった?」

 

「有り体に言うたら、クビやね!」

 

「元気よく言うな」

 

夕餉(ゆうげ)を終えて一息ついた後、今は台所で二人並びながら食器の後片付けをやっていた。今晩の御雑作(ごぞうさ)は心配させてしまったお詫びでもあったわけだし、俺がやるからゆっくりしていてとは言ったのだが、頑として譲らなかったので一緒に洗い物をしている。

 

今話している内容は、ここに至るまで何をやっていたか、である。特段聞き出そうとしたわけではないけれど、適当にだべっていたら二転三転してこんな話題に行き着いた。

 

どうやら姉ちゃんは俺の安全を気に病むばかりに仕事を無断欠勤してしまいーーさらにそれを繰り返した挙句まともに関係者へ連絡を取ることもなかったーー結果として解雇の憂き目にあったのだと。

 

いやもう、本当にどうしたらいいのか。職場の人たちからすれば、同情の余地こそあれど連絡ひとつ寄越さない人間にはなんらかの処断をせざるをえないだろう。相手側の立場に立った場合、悪いのは絶対的にこちらなのだ。

 

自業自得と切って捨てたいところだが、大本には俺がいるわけで、それはつまり責任の半分くらいも俺になるわけだ。厳しく突き放すわけにもいかなかった。そもそも姉ちゃんを『厳しく突き放す』なんてことはどんな状況であれできないけれど。

 

「はぁ……終わってしまったことを蒸し返しても仕方ない、か。それじゃ、どうする?さっき話してた時空管理局の話にも戻るんだけど、手伝いって言っても一応嘱託……派遣社員みたいな形になるらしいから、微々たるものだとは思うけど給料もあるらしいんだ。働き次第では、あと節約してればそれでどうにかできるかもしれないよ。……まだお手伝いしていいって許可をリンディさんに頂いてもないけど」

 

「やっ、働く!またお仕事探して働く!弟に完全に養われるゆうのはちょっと姉の威厳的なソレがアレやから!」

 

「後半ふわっふわだな。別に気にすることもないでしょ。俺が多少稼いで、それで姉ちゃんが家のことをする。これまでと逆になったって考えればいいんだ。主婦みたいなものって感じでいいんじゃない?」

 

「やん。徹知らへんの?姉弟は結婚できひんよ?」

 

「血縁関係がなかったらできることはできる……って、そんな話をしてるんじゃないんだってば」

 

「あはは、わかってるて」

 

俺がそうツッコミをいれるのを待っていたようだ。姉ちゃんは陽気に笑い、続けた。

 

「お世話になった人らにお返しせえとは言うたけど、さすがにまだ学業のほうに重心を置いといてほしいからなぁ。やっぱりうちが働く!」

 

「そう、か……わかったよ」

 

かちゃかちゃと食器を鳴らしながら洗い、水で(すす)ぐと水切りのための皿置きに立てかけていく。

 

全部終えてタオルで手を拭く姉ちゃんが、ふと思い出したようにこちらを振り返ってきた。

 

「忘れとった。電話のとこで言うとかなあかんことがあったんやった」

 

「あれだけ話を脱線させておいてよく口に出せたな」

 

まあまあ、などと言及をいなしながら手に持つタオルを鞭のようにしならせて俺の顔面をぺちんと打つ。派手な音がしただけで痛くはないけれども、それにしたって追及の回避が乱暴すぎる。

 

「徹の携帯に着信いっぱいあったで。恭也くんあたりが用事でもあったんちゃうかなぁ」

 

「着信があったっていう情報しかないのに相手が恭也に絞られてる。不可解だ」

 

「頻繁に連絡してくる友達なんて恭也くんの他にそうおらんやん。忍ちゃんやったら一件二件くらいで控えそうやし、真希ちゃんや薫ちゃんも以下同文」

 

「んむ……まあ弁解のしようもないんだけど。っていうか、え?そんな何回も着信あったわけ?」

 

「せやなぁ、うちもほとんど放心状態やったからあんま憶えてへんけど、でもそんな状態でもなんか携帯いっぱい鳴ってるなぁって思ったから、やっぱり多かったんちゃう?」

 

そこから姉ちゃんは『お風呂入ってくる〜』とあくびを我慢しながら間延びした声でリビングを出ていった。俺が帰ってきて安心したのとお腹が満たされたことで、眠気がどっと押し寄せてきたのだろう。気が緩んでいる時は子どもみたいな姉である。湯船で寝てしまわないか心配だ。

 

「……嫌な予感はするけど、無視するわけにはいかないよな……」

 

姉ちゃんから遠回しに返信するように促されたので、気は進まないながらも着信を確認する。

 

携帯は五月三日、なのはとフェイトが決闘をして、プレシアさんたちの本拠地へと出撃した日からリビングに置いている充電器に挿しっぱなしだ。まさか最終的にあれほど激しいものになるとは想像していなかったが、大なり小なり戦闘になることが分かっていたので携帯は持参していなかった。

 

充電プラグを引っこ抜いて回収。ソファに腰掛ける。

 

「ほんとにめちゃくちゃきてるし……」

 

通話の着信、メールともに二桁を超える数が届いていた。アドレス帳に登録されてる件数は少ないのに。

 

ひとまず順に、一番最初に送られてきたものを見てみる。

 

最初は電話。相手は(なんだか妙に腑に落ちないが)姉ちゃんの予測通りに恭也からだった。恭也は二件続けて、その次に忍からも着信が入っている。

 

あいつらのことだ、電話に出ないとなればメールで用件を伝えてくるだろう。なので折り返す前にメールのほうを確認しておく。

 

未読のマークがついているメールのうち、一番早く届いているのはもちろん恭也。内容は『どうせ暇を持て余しているだろう。家の手伝いがないから久しぶりに遊びに行くぞ』というもの。土曜日の朝頃に受信された、俺の都合をまったく意に介していないこのメールは、恐ろしい事に原文ままである。俺が悪意的に捉えているわけではない。気心の知れた間柄というのも考えものだ。

 

恭也から大体一時間後に忍からもメールがあった。こちらは省略するが、要するに『あんた一体どこで何をしてるの』といったもの。

 

おそらく俺が電話なりメールなりに一切出ず、なおかつ返さないことを不審に思った恭也が忍にも伝えたのだろう。もしかしたら忍も一緒に遊ぼうなどと予定を立てていたのかもしれない。だとすると大変申し訳ない思いを抱くのだが、俺はその時大変な思いをしていたのでどうか許して頂きたい。ていうか最初から二人で遊びに、もといデートに行けばいいのに。

 

「あ、鷹島さんからもきてたのか」

 

土曜日の昼前頃に鷹島さんからもメールが届いていたが、今は恭也たちの案件から片付けたいので後で確認しよう。

 

しかし不思議だ。恭也や忍が相手だと返信しなかったら後で何言われるかわからないという強迫観念に苛まれるのに、鷹島さんからだとなんだか申し訳ないなあという罪悪感に苛まれる。

 

昼前から夕方くらいまで恭也と忍から断続的に添付ファイル付きのメールが来ている。添付ファイルをロードすると、出掛け先の写メ。食べた物などの写真だった。

 

「くっそ、こいつら……俺がえっせらほっせら頑張ってる時に楽しそうにっ!」

 

きっと『俺たちはこんなに楽しんでるんだぜ、羨ましいと思うんなら早く来い』という嫌がらせのつもりなのだろう。なんなのすごく楽しそう羨ましい俺も行きたかった。

 

メールも電話も着信が多かったのは、こういう嫌がらせと同じタイミングで電話をしていたからか。

 

日が沈むくらいの時間帯に別れたのか、そこから次のメールまでの時間がかなり空いていた。

 

最後のメールはほぼ深夜近かった。夜遅くに着信を入れてくるなんて、思慮深い恭也らしからぬ振る舞いだ。

 

「うっおぉ……」

 

メールを開いて、思わず声が出た。

 

『お前は今、何をしている』

 

たった一行(いちぎょう)の本文。件名もなし。普通ならどういった用件の話なのか、何を指しているのかなどまるでなにも伝わってこないが、だが今回に限っては俺の心臓を槍で突き刺したかのような衝撃が確かにあった。脳内では、俺を問い質す恭也の声が完全再現の上で再生されたくらいだ。

 

「受信時刻は夜遅い……あ、そうか。なのはが家に帰ってきたくらいの時間なのか」

 

プレシアさんたちとの一件の、事実上の落着を見たのが土曜日のこと。緊迫していた事態が二転三転したことで時間の把握なんぞできていなかったが、概ね大団円を迎えてアースラに帰投し、リンディさんに簡単な報告をして艦を降りたとすれば、だいたいこのメールが送られてきたくらいの時間になるのだろう。

 

「んん……でも、なのはが全部話したのか?桃子さんや士郎さんにならともかく、妹のことになると限りなくめんどくさい人間になるあの恭也に?」

 

なのはから恭也に直接これまでのことを説明したとは考えにくい。賢いなのはであれば恭也に話せば、恭也が俺に対して何らかのアクションを起こすところまで考えが及ぶだろう。いろいろと気にかけてくれるなのはが俺を窮地に追いやるようなことしないと思われる。いやはや、年上の矜持など欠片もない。

 

となれば、恭也が自力で察したか。勘の良さには実績と信頼がある恭也のことだからこれならありえる。

 

ただ、察するに至るまでの情報はどこにあったのかはわからない。恭也は表情や雰囲気から違和感や妙な気配を感じ取ることには長けているが、逆に言えばそういった情報源がなければ気づくことは出来ない、はずだ。

 

テスタロッサ家の事件がひとまずの解決を見たのだから、なのはが暗い表情や悩んでいるような雰囲気を出すこともなさそうなものなのだが。

 

いや、そもそも論点が違うのか。

 

「気付かれたとか気付かれてないとか、そんなことはもう……関係ないんだ」

 

俺が心配させていた人たちは、なにも姉ちゃんだけではない。恭也にも忍にも、程度や感情の差こそあれ心配させてしまっていたのだ。

 

特に恭也の場合、家族(なのは)が絡んでいる話なのだから、説明しないわけにはいかない。

 

俺は今日まで黙っていたわけで、それを親友二人は口を挟むことなく見守っていてくれた。ならば果たすべき義理というものがある。

 

「よ……っ、よしっ!腹くくれ、俺!」

 

携帯を操作。メールの受信トレイを閉じて、新規作成画面に移動する。

 

宛先は『恭也』。

 

件名は『大事な話がある』。

 

本文には『明日、忍も連れて時間を作ってくれ』。

 

たっぷり十秒くらいかけて、ゆるゆると緩慢な動きで送信ボタンを押した。

 

電話でも用向きは済ませられるだろうが、それは避けた。こればっかりは顔と顔を突き合わせて、直接言わなければならない。電話口で中途半端に片付けるなんて、してはならないのだろう。

 

「む……むむ……」

 

恭也は今どきの若者らしからず、日頃から携帯電話を携帯していない。なのですぐにメールが返ってくる保証なんてないのだけれど、携帯を握り締めて待つ。

 

無駄に緊張しているのが自分でわかってしまう。いつの間にかソファの上で体育座りしているし、心臓の鼓動が早くなってきているし、ディスプレイなんか穴があくほど見つめていた。

 

むずむずとした隔靴掻痒(かっかそうよう)の感を味わう。早く返信が来てほしいような、けれど返信の内容が怖いので来てほしくないような、そんなもどかしさ。なんだこれ、気になっている人からの返事を待つ乙女か。

 

神経の糸があらぬ方向に引っ張られるような気持ち悪さに耐えきれず、ふうぅぅっ、と一度大きく息を吐いた。

 

と同時に、電子音を撒き散らしながら携帯電話が震えた。

 

「ぬぁりゃあっ!」

 

俺も一緒に震えた。落ち着こうとしていたところに不意打ちが来たので大変驚いた。

 

画面を確認すれば、安堵というか落胆というか、やはり恭也からだ。内容は極めて短く、簡潔だった。

 

件名は俺が送ったものから変えられておらず、本文には『わかった。明日の放課後、忍の家で』とだけ。

 

「はぁ……。なんか、もう緊張してきた……」

 

恭也と連絡がついたので、これ以上返信を待つことに精神力を削られなくてすむのだが、恭也との予定ができてしまったので次は明日への不安が生まれてしまった。

 

これは(つまび)らかに白状すべきことを後回しにし続けて、遠回しに逃げ続けてきた清算なのだから、うやむやになんてできないし逃げられないことはわかっている。わかってはいるのだけれど、それはそれとしてやっぱり気が重い。

 

もう一度、今度は違う意味で大きなため息をつきながら、力が入っていた足をだらんとカーペットに垂らした。頭はソファの背もたれ上部に乗っける。張り詰めていた神経が緩み、どっと疲れた気がした。

 

落ち着きを多少取り戻した頭が、一階の物音を捉えた。浴室の扉が開く音。姉ちゃんが風呂から上がったのだろう。

 

なんだかもう、さっさと風呂を済ませてぐっすり寝たい。なので、残っているメールを手早く確認する。

 

メールの受信トレイの上のほうに、つまり日付が割合新しいほうに、長谷部と太刀峰の名前があった。ほぼ二人同時に送信されていて、両方確認したら両方『バスケしようぜ!』という主旨。受信日時は今日の午前、というか朝だった。

 

なんで平日の朝っぱらに、しかも停学中の俺を誘ってるんだと心なし二人を小馬鹿にしていたが、カレンダーを見れば本日五月六日火曜日の欄が赤く彩られていた。振替休日というものである。

 

なるほど、だから誘ってきたのか、と一瞬納得しかけたが、それでも停学中の人間を呼び出すのはいかがなものだろう。

 

でもなんだかんだで俺も遊びたいので、また機会があれば俺も誘ってくれ、と送っておいた。

 

「おっと、忘れるところだった。鷹島さんからもきてたんだった」

 

鷹島さんからは日曜日に受信があった。新しいメールがいくつか入っていたので下のほうへと追いやられてしまっていて、危うく返信せずに風呂に入るところだった。とはいえこんなに時間があいてから返すのもどうかと思うが。

 

「ん?添付ファイル?」

 

鷹島さんは画像データも乗っけて送ってきたようだ。ダウンロードして画像を開く。

 

「ぶっ……げほっ、こほっ!」

 

思わず噴いた。そしておもむろに携帯を伏せた。誰に隠すというわけでもないが、『これ』を事情を知らない人が目にした場合あらぬ勘違いをしかねない。

 

「いや……めちゃくちゃ可愛いんだけど、妹を隠し撮りするって鷹島さん何やってんの……。バレたら絶対怒られるだろうに」

 

果然といったところではあったが、画像データは写メだった。

 

撮影場所は鷹島さんのご自宅、そのリビングルームのようだ。中央で被写体となっているのは鷹島綾音(たかしまあやね)さんの妹、鷹島彩葉(いろは)ちゃん。

 

件の彩葉ちゃんは当然っちゃ当然だが、部屋着だった。淡いピンク色をした薄手のパーカーと、ちらりと見えるのは白色のインナーシャツ。パーカーと同じ意匠のピンクのショートパンツ。わかりやすく遺伝した、姉とそっくりのふわふわした髪は、無造作に頭の横側で纏められていた。

 

年齢相応ではあるのだろうが、俺が抱いていた印象よりも幼い姿を晒している彩葉ちゃんは、しかしカメラを意識していない。というか意識がない。

 

写メ越しでもわかるお高そうなソファで横になって、彩葉ちゃんはお昼寝ーーと呼ぶにはメールが送られてきた時間からして早すぎるのだが、なんなら二度寝と表現すべき時間なのだがーーしていた。

 

もうそれだけでも致命傷になるほど、画面いっぱいに殺人的なまでの可愛さが満ち満ちていたのだが、さらに上乗せしてきた。

 

「なんでニアスまで一緒になって寝てるんだ……?」

 

ソファの上で仰向けに寝る彩葉ちゃんのちょっとはだけたお腹の上に、純白にしてつややかな毛並みをした子猫、ニアスが丸まっていた。二人(一人と一匹)揃ってお昼寝の先取りだった。

 

奇跡のような刹那の愛らしさを切り取った素晴らしい一葉であることは理解出来たが、なぜこんな写メを送ってきたのか、否、贈ってくれたのかわからない。共感してほしかったのだろうか。それなら俺は全身全霊万言を費やして共感するけれど。

 

写メに目を持っていかれすぎて読んでいなかった本文を今更ながら読んでみる。

 

ふむ。送ってきた鷹島さんからすると、(彩葉ちゃん)のここ最近の体たらくは慚愧(ざんき)の念に堪えないらしい。送られてきた俺からすれば、その可愛らしさは歓喜の念に堪えないが。

 

ともあれ、以下がメールの全文である。

 

『ここのところ、逢坂くんと会えていないからか、彩葉が(ニアスもですけど……)だらけています。目に見えて元気がありません。添付した写真は、宿題をやろうとしていたのに途中で諦めてしまった、の図です。姉としてこれは見過ごせません。なので、彩葉に活を入れるためにもまた今度、時間や予定の都合がつく時で構わないので遊びにきてもらえませんか?』

 

改めて見返してみると、彩葉ちゃんが横たわっているソファの前には足の短いテーブルがあり、画像の端っこには教科書とノートらしきものが見切れていた。ペンすら筆箱に片付けられていないところを見ると、睡魔に抗えずに討ち取られたのか、怠惰にあえなく呑み込まれたのか。

 

「ていうか、俺が行ったところで変わらんだろ……」

 

メールを読んだ俺の率直な感想であった。

 

しっかり者の彩葉ちゃんがだらけているのは、家の中でリラックスできている証拠だろう。あるいは春のぽかぽか陽気にあてられているのか。何はともあれ、気を抜ける場所があるのはいいことだ。

 

どちらにしても、鷹島さんには悪いがどちらかといえば俺は彩葉ちゃん寄りの、休みの日には休みたい人間なので口を出すことは(はばか)られる。

 

「でも、うん、そうだな。彩葉ちゃんがだらけてしまっているのは俺のせいらしいし、それにまた勉強教えたいし、ニアスともまた会いたいし……うむ。同級生の女の子の家行ってみたい」

 

折角いろいろと言い訳を並べていたのに、最後の最後で本音が建前を押しのけて前面に出てきてしまった。

 

以前にもお誘いをされたことはあったが、その時はのっぴきならない用事があったのでお受けすることができなかったのだ。今度くらいはいいだろう。前回と違って重大な案件を抱えているわけでもないのだから、純粋に楽しんでもいいだろう。

 

ちなみに、忍の家には何度も訪問しているがあれは例外。カウントしない。

 

というわけでメールを返しておいた。文頭には返信が遅れたことについての謝罪を少々。その次に、俺が行って何か変わるとは思えないけどそれでも良ければぜひ、と。

 

送信を確認したところで、ぱたぱたと軽快な跫音(きょうおん)を奏でながら姉ちゃんがリビングに戻ってきた。

 

「ふあぁ。ええ湯やったぁ。お次どーぞ」

 

「案外早かったね。眠そうにしてたから、もしかしたら湯船を()いでるんじゃないかと思ってたけど」

 

「お風呂場限定の慣用句を作りなや。ちゅうかなんで知ってんの?お湯につかっとったらうとうとしてもうて、あやうく溺れそうになったからすぐに上がってん」

 

「本当に寝てたのかよ……。危ないし、茹で上がって湯あたりするぞ」

 

「はっ……もしかして覗いとったんっ?!」

 

「頭の中まで茹だってんのかな」

 

携帯をテーブルの上に置き、風呂に入る準備をする。着替えはリビングの隅っこに用意されて、というかほっぽり出されていたのでそれを引っ掴んだ。

 

「姉ちゃんも疲れてるでしょ。早く寝なよ」

 

なにやら『油断しとったわぁ、もう』などぶつぶつ言いながらくねくねしている姉に声をかけた。

 

すると、風呂上がりだからか上気している頬に手をあてながら姉ちゃんがーー

 

「うん、(ねや)で待っとく」

 

ーーなどと頭の悪いことをのたまったので、つるりとしたおでこをノックするように小突いた。姉ちゃんは、みゃっ、と尻尾を踏まれた猫みたいな悲鳴をあげた。

 

「なにすんねん!ええ音鳴ったわ!」

 

「いや、お風呂に浸かりすぎて脳みそが溶けて流れてったのかと」

 

「あるわぁ!頭ん中にいっぱい詰まっとるわぁ!」

 

小さな手で一生懸命殴ってくるので適当に謝っておいた。

 

しばらく拳を振るうと気が済んだのか、ふんっと鼻を鳴らして姉ちゃんはそっぽを向いた。

 

口を尖らせながら、言う。

 

「先に寝とく。おやすみっ!」

 

怒ってますよ、と言外にアピールする姉ちゃんは部屋に向かう。

 

行ってしまう前に姉ちゃんの肩にかかっていたタオルを取り、頭に乗っけて存外長いセミロングの髪を拭く。毛先に水が滴っていたのだ。

 

「寝る前に、しっかり髪を乾かしなって。風邪ひくかもだし、朝起きた時すんごい髪型になるぞ」

 

「うちのほうが年上やねんからなぁっ、お姉ちゃんやねんからなぁっ」

 

わしゃわしゃと水気を拭いとっている間、姉ちゃんはやいのやいのと文句こそ言ってくるが、抵抗はしなかった。

 

あらかた吹き終わると、俺は姉ちゃんの長い髪を纏めてタオルで巻く。

 

「年上なら身嗜みもちゃんとやっといてほしいね。はい、できた。じゃあおやすみ」

 

「むぐぐ。…………おやすみ」

 

白いほっぺたを今は桜色に染めて、ぷくっと膨らませた。反論したいが言葉が見つからなかったのだろう。

 

姉ちゃんはタオルからはみ出た髪のひと房を手慰みにくるくる巻きながら、俯きがちにリビングの扉を開けて出ていった。

 

「風呂入って、俺もさっさと寝るか」

 

姉ちゃんの髪をタオルで巻いた時に邪魔になってほっぽり出していた着替え一式を床から拾い上げ、あとを追うようにリビングを出て一階に降りる。

 

「明日は、気合入れなきゃな」

 

待ち受ける恭也との予定を思いながら、脱衣所に入る。

 

全部打ち明けた時、恭也と忍に何を言われるか、何をされるかを考えると背筋に寒いものを感じるが、それでも募っていた不安は和らいでいた。きっと、長谷部や太刀峰、鷹島さんからのゆるいメールが尖っていた神経を解してくれたのだろう。

 

どう表したらいいものか。二人の親友以外の人間に、こうまで安心を与えられる日が来ようとは思わなかった。





次話は友人たちへの説明行脚、と思いきやアースラに向かいます。


しばらくはテンポよく更新できると思います。書き溜めがだいたい二十万字ほどありますので。


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