そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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この一言に集約される

「徹、この案件の資料を取ってくれ」

 

「はいよ」

 

「徹くーん、さっき淹れてくれたお茶のお代わりもらえるかしら?」

 

「さっき淹れたのは……玉露か。すぐに用意するよ」

 

「徹くん、あの、私もお代わりを……」

 

「あはは、わかった。エイミィのぶんも持ってくる」

 

「ごめんね、ありがとう。お茶って、こんなにおいしかったんだね……私勘違いしてたよ」

 

「リンディさんが点ててたのは抹茶だったし、いろいろオプションが付け加えられてたからな。あれがお茶の全てではないのだよ」

 

クロノから頼まれた資料を棚から抜き取り、デスクの脇に置いておく。

 

次いでリンディさんとエイミィのお茶のお代わりを用意するため、お盆に二人の湯呑みを乗せて艦橋(ブリッジ)を退室する。

 

給湯室に該当する場所はないので食堂まで足を運ぶ道すがら、俺はふと思った。

 

「俺の考えてた手伝いとは、なにかが違うような……」

 

現在時刻は十一時過ぎ。場所はL級次元航行艦船八番艦アースラ艦内。

 

そこにて俺は、お手伝いというか雑用らしきことをしている。昨日の気合やら覚悟やらは何だったのかという話だが致し方なきこと。気合と覚悟を入れすぎた結果なのである。

 

 

昨晩、普段より早めに寝たこともあって、起床時間もそのぶん早くなってしまった。太陽が顔を出す前、外がまだ暗いうちにベッドを出て(なぜか隣に姉ちゃんがいた)溜まっていた家の仕事を片付けていたのだが、それも姉ちゃんが起きてくる頃には終わってしまって暇を持て余していた。なんせ恭也との予定は学校が終わってから。放課後なのだ。時間はたっぷりと残っていた。

 

俺は絶賛停学中、姉ちゃんは晴れてニートの仲間入りなわけで、朝食を()ったあとは二人してだらだらしていた。ほかの人たちが学業や労働に勤しんでいる中、姉弟揃って家で(くつろ)ぐなんていう堕落的な悦楽に浸る。これが本当に幸せ。

 

十時を過ぎたあたりで姉ちゃんは仕事を探しに行くとのことで外出することになり、俺はそれを見送ろうとしたのだが『暇やったらお世話になった人たちのとこにお手伝いに行ったら?善は急げ、や!』と半ば命じられる形で俺も家を出た。

 

 

という単純明快な経緯を辿り、早速クロノと連絡を取った俺はいろいろお土産を持参してアースラまで馳せ参じたのだった。

 

「これも手伝いといえば手伝いだし、まあいいのか。どんな形であれ、これが『今の俺にできること』……だしな」

 

食堂の人たちに手を上げて挨拶し、少々調理場にお邪魔する。

 

俺はお茶の準備をしながら、クロノとした話を思い返していた。

 

アースラに乗艦して、俺はすぐにクロノに用件を説明した。世話になったお礼をしたいと、フェイトたちの力になりたいと。

 

世話になったお礼、という点に関しては『僕たちは僕たちの職務を果たしただけだ』とクロノは若干照れくさそうにしていたが、フェイトたちの力になりたいという流れになった時、顔に苦渋の色を浮かべた。

 

俺は何か手伝えることを探そうなどと考えていたが、まず大本にして根幹に、リンディさんやクロノたちの手伝いをするには、少なくとも『嘱託魔導師』という明確で厳密な『資格』が必要なのだそうだ。

 

今回の一件(プレシアさんの案件)は特殊だったために例外的な措置を執ったが、それは通常からは外れたやり方だった。その特殊な事案が解決した今は、例外を適用することはできない。つまり俺が手伝わせてもらう、ひいては仕事を回してもらうには、せめて『嘱託魔導師』というオフィシャルな肩書きが必要なのだ。

 

言い換えれば、その肩書きを手に入れれば誰に(はばか)ることなく手伝えるわけなのだが、その場合、今度は俺の資質が道を(はば)む。

 

「嘱託魔導師の試験……。そりゃあ、戦闘能力の試験もあるよなぁ……。前線で働くことを前提に考えてるんだもんなぁ……」

 

茶葉の入った急須にお湯を注ぐ前段階、湯温が高すぎるのでお湯を冷ますために湯冷ましへ移しながら、ため息混じりに呟く。

 

クロノが言うには、決して戦場で働くだけが嘱託魔導師ではないらしいのだが、やはり大多数は違法時空渡航者なる人たちや、魔法なりなんなりで人に危害や損害を与えた犯罪者を取り押さえるというのが仕事内容なのだそうだ。稀に事務的な仕事をする人もいるけれど、一般的には前線で戦うというイメージ。

 

となれば、戦闘という分野における素質や能力が試験で主軸に()えられるのは自然なわけなのだが、しかし俺にとって相当厄介な関門になることは想像に難くない。

 

あの時(・・・)クロノが烈火の如く怒ってたのは……こういった背景があるからだったんかねえ」

 

『あの時』というのは二日前、二つの魔法適性を失ったと明かされた時のことだ。俺の何処吹く風といった態度に、クロノ少年はそれはもう峻烈(しゅんれつ)に息巻いた。あまりの勢いに驚き、とても記憶に残っていたがその理由が今ならわかる。

 

浅かれ深かれ、時空管理局に所属する際にはどこまでも魔法の素質という(しがらみ)がついて回るのだ。素質に乏しい俺では元から困難だったのに、適性を失って難易度がさらに上がった。だというのに、それを深く気に留めていない様子を見せていれば『何を考えているんだこのバカヤロウは』とクロノがぷっちんきちゃうのも無理はない。

 

「クロノたちの手伝いをするにしても、フェイトやプレシアさんたちの助けになるにしても、ここから始めるしかない……か」

 

戦えるだけの力を手に入れる。俺が前線の起用に耐えうる人材だと知らしめるだけの力を手に入れる。まずはそこから始めなければならない。

 

姉ちゃんの助言もあり、狭まった視界についての打開策には心当たりがついている。ならば同じように、戦闘に直接関与するタイプの魔法も、俺の主力だった魔力付与魔法の代替品も見つけることができるかもしれない。

 

「よし……頑張るか」

 

目標は定まった。希望も生まれたし、やる気も出てきた。目処もなかったこれまでとはモチベーションに雲泥の差がある。

 

問題があるのなら一つずつ解消していけばいいのだ。さしあたっては、リニスさんにご教授願いに行くとしよう。

 

「手伝いのほうも、ちゃんと果たさなくちゃな」

 

適温にまで下げたお湯を急須に注ぎ、右に一周、左に一周、急須の中のお湯を回転させる。湯を巡らすと、しばし浸して各湯呑みに少量ずつ廻し淹れていく。最後の一滴まで注ぎ切り、湯呑みをお盆に乗せ直してリンディさんとエイミィのぶん、ついでにクロノのも完了だ。

 

二週目、三週目にはなってしまうが、お邪魔させて頂いた食堂の人たち用にも注いでおく。大丈夫、人によっては二杯目の味のほうが好きって人もいるくらいだし。

 

さて、リニスさんに会うにはクロノもしくはリンディさんクラスの役職の人の許可が必要だ。上司の心証は良くしておかねば。

 

お盆の上に、持ち込んでおいた茶の子を乗っけて、俺は颯爽と厨房を退出した。

 

 

「いきなり真面目な顔をして来たので何かと身構えれば……。嘱託魔導師試験のために魔法を教えて欲しいなんて……なんとも味気のない話です」

 

「俺にとっては味のある話だぞ。……苦みだけど。逆に味気のある話ってなんなの」

 

「甘いお話です。プロポーズされるとか、愛の告白をされるとか」

 

「ああ、わかった。俺が悪かった。だからこの話はおしまい。用を済ませちゃおう」

 

「やることやっちゃいましたし」

 

「この話終わりだっつってんの。というか『やることやっちゃった』とか絶対外で言うなよ!あと頬も染めるな!深刻な誤解をする人もいるかもしれないから!」

 

フェイトやアルフが収容されていた部屋とほとんど同じ間取りの部屋に、リニスさんは留置されていて、今は俺もいる。

 

これまたフェイトやアルフの時と同様、時空管理局と相対していた犯罪者という扱いではない。監禁などでは一切なく、軟禁よりも自由度は高い。空調完備だし、小型ではあるが冷蔵庫もある。一種のビジネスホテルのようなものだ。

 

審理や事情聴取にも協力的だったそうだし、事件の裏側についても同情の余地がある。アースラの職員さんたちも(あんなに大事になったというのに)好意的なので部屋に閉じ込めておく必要はなさそうに見えるが、やはりそうもいかなかった。いくつかの罪は減免となっているが最終的な判決は出ていないので、形だけ『拘留』という体裁を未だ取っている。

 

「もういいよな?話戻すよ。前にリニスさんが使ってた魔法を……なにきょろきょろしてんの?」

 

脱線した路線を戻そうとしたが、リニスさんは猫耳をぴくぴくさせながら周囲を見回している。警戒しているような雰囲気だ。

 

名を呼ばれたリニスさんはびくんと尻尾を直立させると、こちらに焦点を合わせた。

 

「いえ……プロポーズやら愛の告白やらと口にしたので、あの小うるさい青いのが飛んでくるかと思ったのですが……」

 

「ああ……それでか。つまりきょろきょろしてたのはツッコミ待ちだったと」

 

「あいつのことを憎からず思ってたんだな、みたいな目を今すぐやめてください!そんなこと一切ありません!」

 

「時の庭園でやってた口喧嘩も本気じゃなかったんだなあ。よかったよかった」

 

「やめてくださいってば!風評被害です!」

 

「風評被害って……エリーと仲良くすることにどんな経済損失があるというのか……」

 

リニスさんは顔を真っ赤にしながら耳を伏せさせてしまっていた。どうやら本当に恥ずかしいようなのでこのあたりにしておこう。

 

「そ、それで、いつも徹にくっついている青いのと……あかね、と名付けたのでしたっけ?その二つ……二人?は、今は?」

 

「あの二人なら俺の部屋でお留守番してる。時の庭園でめちゃくちゃ働いてくれただろ?それで疲れたみたいで、最近よく寝てる」

 

「寝てる……ロストロギアが?」

 

「俺が声をかけても反応が鈍いし、寝てるんじゃないかな」

 

「はぁ……なんというか不思議ですね……」

 

「そう?あかねは時の庭園でもちょっと寝てたって言ってたし、普通なんじゃない?」

 

「……そもそも持ち主の考え方が不思議でしたね」

 

などと少しばかり失礼なことを言いながら、リニスさんはベッドから腰を上げて部屋の隅へ。

 

俺に背を向けているので左右に揺れるふわふわの尻尾がよく見える。触りたいという欲望は必死に我慢。

 

「ミネラルウォーターとミルクの二種類を局員の方が冷蔵庫に用意してくれていますが、どちらにしますか?」

 

それじゃミネラルウォーターにしとこうかな。

「やっぱりにゃんこだからミルクを用意されてるのか……」

 

「たぶん考えていることと言っていることが逆になってますよ」

 

頭にぽこん、と軽い衝撃。上から降ってきたものを手に取ると紙コップだった。

 

ドリンクや紙コップもアメニティーグッズと言えるのだろうか。たぶん局員さんの配慮だと思うが、相変わらず行き届いている。

 

俺は投げつけられた紙コップにミネラルウォーターを注いでもらい、ベッドの傍らに置かれていた椅子に腰掛ける。

 

「それで、魔法を教えてほしいとのことでしたが」

 

戻ってきたリニスさんは俺の向かい側、さっきまで座っていたベッドに戻り、手に持つマグカップをサイドテーブルに置いた。一つだけマグカップを用意されていたようだ。お茶目な局員さんが置いておいたのだろう、可愛らしい猫がプリントされたマグカップだった。

 

そのマグカップには、ミルクが注がれていた。

 

「やっぱりミルクにしたんだ。さすがにゃんこ」

 

「服をはだけさせて大声で叫びましょうか?面白いことになるでしょうけど」

 

「ごめんなさい」

 

一つ咳払いを挟み、ようやく本題へ移る。

 

「前に倉庫で戦った時のこと憶えてる?市街地の外れの」

 

「あそこで戦って、徹には獣の如く襲いかかられましたのでよく憶えてますよ。とても怖かったです。思い出すだけで身震いします」

 

冗談めかした口調だが、尻尾がぴったりと身体にくっついているのでどうやら嘘でもないようだ。

 

「そう言われても俺は戦いの後半は記憶がぼんやりしてるんだよな。リニスさんもエリーを奪おうとしたし、痛み分けってことで」

 

「痛み分けと言いますけど、傷の数なら徹のほうが圧倒的に多かったのですが」

 

「傷を創ってくれやがったのはリニスさんだったのに、なにを他人事のようにっ。……って、いや、俺が聞きたいのはそこじゃなくて」

 

「あら……?倉庫の戦闘で私が使った魔法を教えてくれ、という話かと思っていたのですが……違ったのですか?」

 

きょとんとした表情で、リニスさんは首をかしげた。

 

魔法の教授を申し入れて、それで倉庫の話になれば戦闘中の魔法のいずれかと普通は考えるだろう。疑問に感じるのは当然だ。

 

しかし、そこではない。

 

「ああ。あの時リニスさん自身が言ってたことなんだけど、俺が倉庫街にスタイリッシュに到着したところを見てたって」

 

「えっと……徹の世界では自分の身体で地面を削ることをスタイリッシュと表現するのでしょうか……?」

 

「言わねえよ、言うわけねえよ。はいはい、わかりましたよ、言い直しますよ。俺が倉庫街の地面を無様に転がったシーンを、リニスさんは見てたんだよな?」

 

「それなら気持ちよく『はい』と言えます。息ができなくなるほどの笑撃……いえ、衝撃でした」

 

笑いを懸命に噛み殺して、リニスさんは答えた。いや、到底隠せてはいないのだけれど。身体が小刻みにぷるぷるしているし、唇の隙間から空気が漏れているし。

 

「………………」

 

「ふふっ、ごめんなさい。馬鹿にしているわけではないんです」

 

じとぉっ、とした目線を投げつけると、リニスさんはもう取り繕うことすらせずに笑っていた。俺の頭を撫でて『ごめんなさい。続きをどうぞ』と言うので、仕方なしに話を戻す。

 

「……で、そのシーンって、実際に目で見てたわけじゃなかったんだよな?」

 

「ええ。あの時に言ったか憶えてはいませんけど、サーチ魔法を。視覚情報を使用者に送信する端末を作り出して飛ばす、という魔法です。もしかしてそれを?」

 

「そう。それを教えてほしいんだ」

 

すっとリニスさんの瞳が薄く閉じられる。重たい空気が部屋に流れた。

 

「その理由は……左目の眼帯(・・・・・)と関係があるのでしょうか?」

 

今更ながら手で左目を覆う。かさりとした感触が手に伝わった。

 

右目の視野での動作に慣れるために、昨日から目の病気や怪我などで使う眼帯をしていたのだ。使い始めるとこれが思いの外馴染んでしまって着けていることを忘れていた。

 

「……これは、まぶたが、えっと……腫れちゃってて……」

 

俺自身があまり意識してなかったし心構えもしていなかったこともあって、咄嗟(とっさ))にうまい言い訳が出てこない。

 

「っ……」

 

事ここに至って下手な言い逃れをしようとする俺にリニスさんは業を煮やしたのか、驚くほどの力で俺の左腕を引っ張った。引っ張られた衝撃で、右手に持っていた紙コップは床に落としてしまう。

 

一応魔法は使えなくさせられているはずなので、おそらく合気道かそれに類する技術を悪用したのだろう。体重と筋力量で劣っているはずなのに、俺を軽々とベッドに押し倒す。俊敏な動きでマウントポジションを取った。

 

俺の腹部に(またが)り、リニスさんは眉を曇らせて俺を見下ろす。

 

「この部屋に入ってきた時から、どう切り出そうかと悩んでました。その『左目』はどうしたのかと、いつ尋ねようか迷っていました。尋ねるのが……怖くもありましたから」

 

「それじゃあ訊かなきゃいいのに。……気にしなくてもいいんだからさ」

 

俺の上に乗ったまま、リニスさんは首を横に振る。こちらを見つめる瞳は、とても悲しそうな色をしていた。

 

「ダメです。気にしないなんてできません。見ないふりなんて、絶対に……。眼帯……取りますね」

 

「やめとけって。気に病むだけだから……っ」

 

リニスさんの指が顔の左側に迫る。

 

抵抗を試みようとしたが、まるで関節技でも決められているみたいに腕が固定されて動かない。それなりに鍛えている男子高校生が、華奢な猫耳女性に右手一本で両手を拘束されていた。なんとも情けない図である。

 

そうこうしている間に、耳にかける紐をゆっくりと外して、リニスさんは眼帯を取ってしまった。

 

「徹。私に、見せてください」

 

(まぶた)を固く閉じていた俺に、まるで懇願するようにリニスさんは言う。

 

こうなってしまえば、きっとリニスさんは俺の容態を把握するまで解放してはくれないだろう。この人は案外(かたく)なであることを、俺はよく知っているのだ。

 

ため息をつきながら、目を開く。

 

リニスさんは息を呑んだ。

 

「っ、銀灰色……」

 

苦しそうに、悲しそうに、歪む彼女の表情。

 

だから、見せたくなかったのに。この人のこんな顔を、見たくなかったのに。

 

「徹……この瞳、この左目は……光は……」

 

一音一音振り絞るように紡がれる問い掛け。ここまできてしまえば、嘘をつくのはリニスさんへの裏切りも等しい。俺は正直に答える。

 

「光は……見えないな。こんなに近くにいるのに、左目はリニスさんを映してくれないんだ」

 

「っ……。なんてこと……」

 

拘束していた両手を放すとリニスさんは下唇を噛み締めて、俺の胸元に手を置いた。

 

その姿は見るからに痛々しくて、俺以上につらそうで、かける言葉を見失った。

 

「時の庭園にいる時にも……薄々異変には気づいていました。体調の悪化は目に見えていましたが、そちらは激しい戦闘の直後でしたので多少の異変はあるだろうと思いました。しかし……目にも変調をきたしているのはおかしくないだろうかとも、思っていました……」

 

俺の身で起きたことなのに、どういったタイミングで身体に異常が現れていたのかわかっていなかった。どうやら、リニスさんとの戦闘を終えた辺りで異常の種は散見されていたようだ。

 

「無茶をしているのは、わかっていました……。徹の素質で私と正面切って戦うなんて本来できないのですから、どこかで無理をしているのは、わかっていました……」

 

リニスさんは声を荒げて、ぎゅうっと俺の服を握り締める。

 

きっと彼女の心を(さいな)むそれは、罪悪感だ。俺だけに苦労を押し付けてしまったと思い込んでしまっている。自分を責めているのだろう。自責の念が、彼女の良心を軋ませている。

 

「普通の状態ではなかったのは、目に見えていました……。魔法を使って、魔力を使って吐血するなんて尋常の沙汰ではありません……。わかって、いました……わかっていたのにっ!」

 

そういうつもりで打ち明けたわけじゃないんだ。

 

俺が今そう言ってもリニスさんは良しとはしないだろう。本人()からの赦しがほしい訳ではないのだ。きっと、自分で自分を許せないのだ。

 

「何とかしてくれると頼って、期待して、(すが)りついて、もたれ掛かって……徹の無茶を見過ごしました。……いえ、違いますね……。きっと……見ないふりをしていたんです……」

 

俺の服を掴んで、リニスさんはまるで懺悔するかのように語る。

 

「……どれだけ徹の身体に負担がかかっていたかなんて、私が一番知っていたのにっ……私はっ」

 

俺の頬に、一滴二滴と雫が(したた)った。彼女の瞳から、溢れていた。

 

「リニスさん、俺は……」

 

二の句が継げない。言葉が詰まる。

 

どう言えば、彼女に理解してもらえるのだろう。どうすれば、彼女に俺の気持ちを伝えられるのだろう。

 

そう考えて、考えるのをやめた。口に出す前にあれこれ考えては想いが淀む。言葉が腐る。

 

この際、ちゃんと形にならなくてもいい。心の内側から滲み出てくる、もやもやとして形にならない感情を吐き出してしまえばいい。

 

「……正直なところ、けっこうつらいことも……あった」

 

「っ……そう、ですよね。それが当たり前で……それが、当然で……」

 

有耶無耶(うやむや)にして(けむ)に巻くことはしたくなかった。建前でお茶を濁すなんてできなかった。強がって虚勢を張るのも、今日はなしにする。

 

全部話し終えた時、俺とリニスさんの関係がどうなるかはわからない。今の関係を壊しかねない話をすることが正しいなんて判断もできない。

 

でも、何の確証もないけれど、このまま曖昧にすることだけは間違っていると、そう思った。

 

「左目が見えなくなった。俺の主力だった魔力付与は失った。使い物になるまで苦労した射撃魔法ももう使えない。これからどうすればいいか、不安も……やっぱりある」

 

「ごめん、なさいっ……っ、ごめんなさいっ」

 

ぽたぽたと大粒の水滴が俺の頬に落ちる。

 

リニスさんの感情が溢れてからは、もう止め処(とめど)なかった。それこそ小さな子どものように泣いていた。隠しもせずに、泣いていた。

 

「今だって暗中模索なんだ。どうやったら役に立てるか……手探りで探してる。だからリニスさんに会いに来たってのもあるけど、見つけられるかわからない。またみんなの隣に立てるかわからない……」

 

頭の中も、言いたいことも、ぐちゃぐちゃになってまるで要領を掴めていない。

 

違うのに。こういうことじゃない、こういうことじゃないはずなのに。彼女に伝えたいことは、伝えるべきことは。少なくとも、彼女の表情を苦悶や悲哀に歪めるようなことじゃない。

 

なのに、あと一歩、言葉が核心に届かない。

 

「ごめん、なさいっ……私の、せいです。私の罪……っ。絶対に、なんとしてでも……償います。それでも許せないなら……気が、すまないなら……私は、もう……っ」

 

『あなたには……』と、震える唇で、濡れそぼつ声で、リニスさんは続けた。

 

俺にはそのセリフの続きを予想できてしまった。

 

とっさに俺の胸元にあった彼女の手を取る。このままではリニスさんが離れてしまうと、直感的に思った。

 

「待って……待ってくれ、リニスさんっ!全部言わせてほしいんだ。たしかにつらい思いはした。苦しかったし、痛い目にもあった。この先を考えると不安になるし、諦めたくなるほど悲観したこともある。これは事実だし、実際にそう思った……っ!」

 

「……やっぱり、私では……あなたのそばには……っ」

 

もう耐えられないというように、リニスさんは顔を背ける。

 

まだ終わってない。まだ伝えきってないんだ。俺の心の『ありのまま』は、まだ。

 

だから彼女の手を引き寄せ、俺を見てもらうために彼女の頬に手を添える。

 

「だけど、それでもっ!」

だけど。

 

それでも。

 

後悔だけはしなかったのだ。

 

この一ヶ月弱で様々な思いをした。

 

痛かったし、苦しかったし、つらかった。怖かったし、悲しかったし、怯みそうになった。悩んだし、戸惑ったし、諦めそうにもなった。無力感を味わったし、絶望に打ちひしがれそうにもなった。自分の不甲斐なさを恨んだし、他人の才能を羨んだ。

 

でもそれだけじゃなかった。楽しかった。喜びもたしかに存在した。なにより出逢いがあった。幸せと呼べるものを見つけられたのだ。

 

数で言えば、苦労したことの方が多い。でも大きさと密度なら嬉しかったことの方が断然(まさ)っていた。

 

自分の中にある(モノ)なのに、自分で気づくのがずいぶん遅れてしまった。でもようやく理解して、ようやく決心がついた。ようやく決着がついた。

 

つまり、俺の気持ちは、この一言に集約されるのだ。

 

「……だけど、俺は……リニスさんたちの味方になれてよかったって、心の底からそう思えたんだ」

 

諦めないでよかった。重圧に押し潰されないでよかった。不安と恐怖から逃げ出さないでよかった。期待に応えられてよかった。最後まで信じることができてよかった。リニスさんたちを救う手助けができて、本当によかった。

 

これらが実際に言葉として口に出したのか、それとも頭の中で浮かんだだけなのかわからない。

 

ただ一つ断言できることは、彼女の涙の理由を変えられただろうということ。

 

「徹、あなたは本当に……変な魔導師です」

 

声は依然としてか細く、か弱くて、身体は小さく震えている。その姿はもはや気の毒なほどで胸が痛むが、しかし、彼女の表情には笑顔が戻っていた。

 

掴んでいたリニスさんの手からは温もりと、俺の手を握り返すかすかな力を感じられた。

 

俺も自然と笑みがこぼれた。

 

「いいんだよ、変だろうが普通じゃなかろうが。(はな)から魔導師らしさなんてなかったんだから。一般的な魔導師になろうなんて、今更考えてない」

 

俺が開き直ってそう言えば、リニスさんは赤く泣き腫らした目を細めてくすくすと笑う。

 

「一般的ではないということは、これからもたくさん苦労しますよ?何もかも違うのですから。戦略も戦術も、使う魔法も訓練の方法も。これまで先達(せんだつ)が築き上げて磨き上げてきたマニュアルを参考にできないんですから」

 

「べつに構わないな。これまでだって大体そんな感じだったし。またトライアンドエラーでいろんなものを試していくだけだ」

 

ここ一ヶ月のことを思い返しながら、俺は強気に出てみた。

 

魔力付与や射撃の適性があった頃でも、ところどころ先輩たち(ユーノやクロノ)に助言はもらったものの、特殊が過ぎる俺の戦い方はほぼ我流で組み立てていた。最初から一般的な魔導師を基準にした戦術をお手本にするなんて、できてはいなかったのである。ならば以前とさほど変わりはしないのだ。

 

これでは強気というより諦観のほうが正しい気がする。

 

「私は、本当に……この人が……」

 

リニスさんはしばし目を伏せて沈黙していたが、こくりと生唾を飲むと口を開いた。

 

「そ、それでは……私はこれから風変わりな魔導師さんの、お、お手伝いをしなければ、いけませんよね……?」

 

「ん?ああ、そうそう。そうだった。そのために来たんだ。リニスさんから視野を広げるための魔法を教えてもらおうと思って、クロノとリンディさんから許可をもらったんだった」

 

重く暗い話に舵が切られてしまったおかげで、この部屋に来た理由を失念してしまっていた。今回の主題は目の代用品となる魔法(リニスさん曰くサーチ魔法)の教導なのである。

 

上半身を持ち上げ、早速ご教授願うため起きあがろうとしたが、肩をとんと押されてベッドに戻された。

 

というか、肩を押さえつけられている形だ。押し倒された、という表現が一番近い。

 

「そういう、意味ではなく……っ、さ、察してください……」

 

押し倒された俺は頭の中が疑問符でいっぱいだったが、押し倒したリニスさんもリニスさんでなぜかいっぱいいっぱいだった。心配になるくらい頬は紅潮して、瞳をうるうるさせている。

 

ちょっと、なにがどうなってるのかわからない。

 

「えっと……だから魔法、教えてくれるんだろ?寝たままじゃやりにくいんじゃ……」

 

後遺症について詰問されていた時とはまた様子が異なるリニスさんに、俺は若干尻込みしながらも話しかける。

 

喘ぐように息を吸ったり吐いたりするリニスさんは、俺の肩を押さえていた手を徐々に動かしていく。

 

「私は……徹、あなたのお手伝いをすると、言っているんです。あなたに仕えると、言っているんです」

 

「はぁ……はぁっ?!つ、仕えるって、そもそもリニスさんはプレシアさんの使い魔だろ。それに手伝いって……魔法を教えてくれればそれでいいんだけど……」

 

「私はプレシアの使い魔ですけど、徹に仕えることに対してプレシアは嫌な顔はしませんよ。それにこれから管理局で働くのなら……口幅ったいことですが、私は便利だと思いますよ。徹にできない事は私に任せてもらえれば」

 

「いや、プレシアさんにも信頼してもらえてるのは嬉しいけどもっ!でもそこからなにがどうなればリニスさんが俺に仕えるとか、あとこの体勢になるのかさっぱりわからない!」

 

懸命に説明を求めるが、しかし、的を外れた解説ばかりで判然としない。俺はベッドに仰向けにされ、リニスさんは俺の下腹部に跨ったままで、姿勢もいたって改善されてない。

 

展開のまずさを予感し始めるが、動きの起点を封じられているせいで下半身はまともに力が入らないし、腕を押さえられているので上半身もなかなか自由が利かない。

 

なんだか脳裏にデジャヴがよぎる。

 

「仕える……そう言ったじゃないですか。ご奉仕です」

 

「それは聞いた!でも、なんで仕えるなんて話になったのかわからないし、この姿勢のまま固定されなきゃならない理由もわからない……ってなに奉仕って?!」

 

「やはり仕える相手が男性なので……あの、ほら……ね?」

 

猫耳まで真っ赤に染めてながら、はにかむように微笑んだ。

 

自分で言っておきながら恥ずかしそうに笑顔で誤魔化して、少し首を傾ける所作にはとても、とんでもなくぐっときたが、そういうことではない。

 

「あのさ、リニスさん。ちょっときつい言い方になるんだけど……負い目を感じてこんなことしてるんならやめてほしい。相手の弱みにつけ込むようなことはしたくない」

 

さすがにここまでされて行為の意味に、奉仕(・・)の意味に気付かないほど、俺も純真無垢ではない。

 

わかった上で、一歩引いた。罪悪感が根底にあるのなら、この行為は間違っていると断言できたからだ。きっとお互いに後悔することになる。

 

俺がそう忠告すると、リニスさんはむすっ、と頬を膨らませた。大人な雰囲気を纏うリニスさんの、子どもっぽい仕草というのはとてもギャップがあった。幻滅したとかでは決してなく、好印象だったのは言うまでもない。

 

「私が、罪の意識でこんなことをする女だとでも?」

 

「ぅ、いや……」

 

右手は俺の腕に添わせ、左手は俺の胸のあたりを(まさぐ)らせながら、リニスさんはぐっと顔を近づけた。

 

下半身はともかくとして、上半身を縫いつける圧力は既にない。今なら振り払えるはずなのに、俺の身体は動かなかった。なんなら口も満足に動かなかった。もごもごと濁った音を吐き出すのみである。

 

こういった経験に乏しい、もしくは皆無といっていい俺みたいな思春期真っ只中の男子高校生には、あまりに荷が重いシチュエーションだった。

 

リニスさんは目元に淡褐色(たんかっしょく)の髪を垂らしながら俺の耳元に顔を近づけ、囁くように呟いた。

 

「想い人にだけ、ですよ。徹にだけ、です……」

 

ぞくりと、背筋に電流が走ったようだった。

 

耳から入り込んだその甘く艶のある声色は、感覚という感覚を蹂躙し脳内まで侵食する。思考を薄く濁らせる。

 

抗いがたい甘美な陶酔感を、懸命に理性が食い止める。

 

「ちょっ……ちょっと待って!リニスさんの気持ちはわかった。と、時の庭園でのこともあるし、正直わかってたけど今はリニスさんの気持ちにこた、応えられないっ。年齢的にも立場的にも責任を取れない。だから、とりあえず、この場ではまずいって!」

 

今にもばらばらに空中分解しそうな思考を必死に掻き集めて口に出す。

 

男としてだいぶ不甲斐ない回答に、しかしリニスさんは呆れることなく、なんなら口元に慈愛に似て非なる笑みを浮かべて俺に頬ずりした。理性という名の堤防に大きな亀裂が走る。

 

顔のすぐ隣でリニスさんの体温を感じた。耳のすぐ近くで彼女の声がした。心臓の律動が早くなるのは、これはもう仕方がない。

 

「責任は取らなくてもいいですよ。そんなに大事に想ってくれていると知ることができただけで私は満足ですから……。他に好きな人がいて、その人と添い遂げるのだとしても……愛してくれれば、それだけで……。何番目でも、情愛を傾けてくれるのならそれだけでいいです……」

 

「その考え方は、なんというかこう……(ただ)れてる!倒錯(とうさく)してる!」

 

「できるのかどうかわかりませんが、もし子どもができたら私がひとりで育てます」

 

「俺クズ過ぎるだろっ!?」

 

飼い主に甘える猫が如く、気持ちよさそうに目を閉じて顔にすりすり胸元にすりすりと、リニスさんは俺に擦り寄る。

 

使い魔は元の種の性質を多少有しているのは、外見からだいたいわかっていたつもりだったが、考え方もそちらに寄ったりするのだろうか。猫の子育ては基本母猫がするらしいのだ、鷹島さんが言うには。

 

いや、そんなことに思いを馳せている場合では決してないのだが。絶賛貞操と将来の危機なのだが。

 

「ですから……徹は、何も考えなくていいんですよ?悦楽に浸ってしまえばいいんです……快楽に溺れてしまえばいいんです」

 

「ちょ、ほんとに待って!絶対いろいろまずいって!い、一応、形ばかりとはいえリニスさんは勾留されている身の上なんだし、そういうことするのはっ!」

 

「私に襲われたとでも言えばいいです。安心しきって油断してたら身動きを封じられた、と」

 

「そんなこと言っちゃったらリニスさんの印象が悪くなるだろが!」

 

「ここまでされても私のことを考えてくれているんですね……。なおさら自制が利かなくなりました」

 

腹部に伝わる圧迫感と、こそばゆい感覚。さわさわと身体を這い回り、撫で回す。どうやらリニスさんが俺の服の内側にまで触手を伸ばしたようだ。

 

背中に流れる電流の強度が一段階引き上げられた。

 

「っ!ほ、本当にそろそろまずいから、このあたりでやめ……っ!」

 

四の五の言ってる場合ではなくなった。このままではなし崩しに一線を越えかねないので、リニスさんの暴走を抑えようと両手を動かした。いや、動かそうとした。動かそうとしたのだが、結果的に動かなかった。

 

「手が……ど、どうやってっ!」

 

まるで気が付かなかった。いつの間にか両手が拘束されていた。

 

もう頭の中はパニックである。魔法は使えないはずなのにどうして、と考えて、手首から伝わる柔らかな肌触りと微かな伸縮性で答えに行き着いた。おそらくタオルかなにかで俺の両手を縛っているのだ。

 

察知される前に人を縛り付けるという恐るべきこの手腕、いつかどこかで味わったことがあるぞと俺の記憶が警鐘を鳴らす。

 

「徹のほうから求めてきてほしかったところではありますが……これはこれでありです」

 

「ありってなにがっ!」

 

「怯えた表情も、また乙なものですね」

 

「だめだ!やっぱり肉食系なんだ!」

 

男子高校生の両腕を腕一本(魔法なし)で封じ込め、リニスさんは俺のシャツをしゅるしゅるといやに時間をかけながらまくり上げる。上半身がおおよそあらわになった。

 

俺の頭上で、ごくりと喉を鳴らす音。見上げれば、リニスさんの目の色が変わった気がした。

 

「ここ、これはあくまでも奉仕です……。徹に仕えると誓ったのですから……仕える身としての存在価値は、お仕事をして役に立つこと……ご奉仕して疲れを癒してこそであるとっ、私は結論付けますっ……っ!」

 

「リニスさんはプレシアさんの使い魔だし、俺はリニスさんを雇い入れたつもりはないし!ていうかその奉仕とやらは誰のためなんだ誰の!」

 

「主人の望む望まないにかかわらず疲れを癒すのがお仕事です!」

 

「望んでないことしちゃダメだろぉっ!」

 

この状況はあれだ、海鳴市にあるフェイトたちのアジトでの惨事と同じだ。おかしなスイッチが入ったバージョンのリニスさんだ。

 

あの時と違うことは、ここはアースラの中の一室で、しかも個人の部屋であるということ。つまり、誰も助けにきてくれない。あの時紙一重で間に合ったフェイトやアルフはここには来てくれない。

 

これが相部屋とかなら、もしかしたらプレシアさんも同部屋になっていた可能性がなきにしもあらずだったのに。助けてくれる人がいたかもしれないのに。いや、そもそも勾留という体裁を取っている手前、主犯格クラスを二人同じ場所にするなんてありえないだろうけれど。

 

「くっ!こっの……」

 

ばたばたとリニスさんの拘束から逃れようとするが、頭よりも上のあたりで押さえつけられた腕では力も入りにくく、解けない。

 

俺の決死の抵抗に、リニスさんは困ったようにため息をついた。

 

「もう……暴れないでください。服が脱がしにくいです」

 

「脱がされてたまるかぁっ!」

 

「脱がずに、でも私はいいんですけど、あいにく服の替えがあまりないので……」

 

「もうこのアホはほんとにもうっ!……リニスさん。場の流れでこんなことするべきじゃないって。恥ずかしながら俺も経験がないし、うまくいくとは……」

 

言いたくはなかったが、恥を忍んでやめるように言う。

 

俺も初めてだし、時の庭園でリニスさんも経験がないとか口走っていたことを憶えている。未経験二人がこんなテンションとシチュエーションで事を構えて、うまく運べるべくもない。

 

気まずい空気になるのが目に浮かんでしまうので制止したのだが、リニスさんのリアクションは俺の予想とはまるで違った。そして俺の発言はまるで間違っていたことを知る。

 

「はは、初めてでしたかっ!そそそれならわた、私と一緒ですね!だだい、大丈夫ですっ。経験はなくとも知識ならありますしっ、それにこういうことは……ほ、本能でわかるというものです!」

 

「いや、ちが……そういうことじゃ……」

 

「痛いのは最初だけです!」

 

「えっ?!こっちが痛いの?!」

 

これまで見たことないくらいめちゃくちゃ満面の笑みをされた。言葉の通じなさが五割増しくらいになったし、目なんか血走っている。最後の最後で、俺がリニスさんのあるかどうかもわからないなけなしの理性を吹っ飛ばしてしまったようだ。

 

「だいじょぶ、大丈夫です!徹は天井のシミでも数えてくれていればっ……それで何もかも済みますので!」

 

「立場がっ!立場が逆になってんぞおい!」

 

「前は邪魔が入りましたからね……今度こそ堪能します。まずは、そう……首元からですね……じゅるり」

 

「だれか、だれかぁ?!」

 

必死に助けを求める俺と、ぎらぎらと瞳を輝かせるリニスさん。まさしくいつかのあの日の再演である。

 

フェイトたちのマンションではなんとかなったが、もうどうにもならないかもしれない。

 

諦めてしまいそうになったが、遅ればせながら今回も救いの手は差し伸べられた。

 

遠くで小さく、ぷしゅっと空気が抜ける音。続いてスライドする扉と、かちゃかちゃと陶器のような材質が接触する音。明るく陽気な女の子の声。

 

「ごめんねー、リニスさん。遅れちゃって。お昼ご飯持ってき……た……んだけど……ぅぉぉ……」

 

アースラ通信主任兼執務官補佐、俺と同い年の十六歳。リンディさん、クロノに続くアースラのナンバースリーこと、エイミィ・リミエッタがカートを押しながら部屋に入ってきた。

 

「ちょうどいいところに!エイミィっ、たすけ」

 

もちろん突然差し込まれた希望の光に手を伸ばしーー手は動かないので目線と口だけだがーー救いを求める。

 

しかし、俺の要請は途中で断ち切られた。誰あろうエイミィに。

 

「お、お取り込み中失礼しましたぁ〜……。なるほど、アレくらい押せばいいんだ……ふむふむ」

 

がらがらと、食事を載せているであろうカートを引いてエイミィは部屋を出ようとした。目の前に、どんな意味であっても問題な行為が繰り広げられているのにもかかわらず。

 

「ちょおいこら!なに神妙な顔して引き返してんだよ!待って、助けて!」

 

「……さて。続けましょうか!」

 

「ちょっ、まっ……おおああぁぁっ!」

 

 

 

 

 

 

エイミィが部屋を出て扉が閉まった時は本気で絶望したものだが、一旦外に出てある程度冷静になったのか、再度入室したエイミィはリニスさんに『だめだよリニスさん。こういうのは手順を踏んで、逃げられないように外堀から埋めてかないと』などと的を外したことを言ってリニスさんの蛮行を止めてくれた。それでも興奮冷めやらぬリニスさんを鎮めるのには苦労はしたが。

 

結果的に、エイミィは助けてくれた。助けてくれたのだが。

 

エイミィはリニスさんの強行手段にも打って出る攻めの姿勢に感化され、リニスさんはエイミィの念入りな根回しにインスピレーションを受けて意気投合し、二人は急激に仲良くなった。この光景を見るに、今後の動向が実に不安で心配だ。楽しげにガールズトークを交わす二人の笑顔はまったくもって年相応で輝いて見えたが、話の内容は耳を塞ぎたくなるような末恐ろしさである。

 

服を着直して部屋の隅っこに退避した俺は、ぽそりと独語する。

 

「……クロノにそれとなく注意を促しておくべきか……」

 

教えを乞う相手を間違えた気がしないでもない。

 

 

 




リニスさんが出てくると話が長くなるの法則。
シリアスもコメディも、ちょっとえっちな感じでもなんでもできるこのユーティリティ具合は、書いていてとても楽しいです。ただ、話の展開上残念なことにリニスさんの出番はここからちょっと遠くなってしまいます。

2017年4月2日現在、後日談的なお話を書こうとしているのですが、少々スポットライトを当てる人物に迷っております。本筋に持っていく前に一話で済むようなお話をあと二つほど挟めそうなので、リクエストなどありましたら感想欄にでも挙げて頂けたらと思います。どこまでご希望に添えられるかはわかりませんが、ぜひよろしくお願いします。

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