そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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禍々しさに溢れた微笑み

「ロストロギアを、しかも内包魔力量の極めて多い種類のロストロギアを、その少年は自在に使いこなせているのだろう?それに管理局への入局を希望しているという話ではないか。ならばその少年の力を有効に利用し、その少年の手によってロストロギアを存分に活用させればよい。戦力が増えるに越したことはないはずだ」

 

五十代後半程度の男が、数枚の書類を見下ろしながら言う。

 

やや肯定的なその物言いに、半円状に並ぶ座席の左端に座る白髪混じりの男が反論する。

 

「よく考えてから発言を願いたい。お遊びの延長線で作った道具ならばいざ知らず、この議題の少年が保有しているものは正真正銘のロストロギア。危険性が高すぎる」

 

白髪混じりの男の論調に共鳴するように、その隣の小太りの男が続いて口を開く。

 

「そしてあろうことか、この少年が保有している数は二つなのですぞ!何か少しでも異常が生じれば、どのような被害が発生するかわからない、予想がつかないではありませんか!有り得ませんな!ロストロギア関連の事件・事故がどれほど悲惨なものになるか、ご存知ないのですか!?」

 

「そう、そこが論点です」

 

小太りの男のヒステリックじみた発言を受け流すのは、半円状の座席の右側に座る四十代前半頃に見える細身の男。

 

その男は、あくまで冷静に話を進める。

 

「この少年は、人々にとって脅威となるロストロギアを扱えるレアスキルか、それに類するような特殊な技術を持っているかもしれない。これまではただの危険物として封印死蔵されていたロストロギアを、何らかの形で役立てられる可能性を僅かだとしても有しているのです。これを深く議論もせずに『危険だから』の一言で無闇に潰すのは、あまりに惜しくはないでしょうか?」

 

細身の男の提言に、左側に座る面々は苦みばしった顔で黙り込む。(もたら)される利益の多さ・大きさは一考するに足るだけのものがあった。

 

「たしかに、メリットを考えると容易く切って捨てられる議題ではないですねぇ」

 

会議室内の趨勢が右側へと傾き始めた時、これまで沈黙を守っていた、三十代中盤というこの中では最も若い男が口を開いた。その男の目の前のテーブルの上には、アロンツォ・ブガッティと書かれたネームプレートが置かれていた。

 

扇形の座席の中央に座し、会議の動向を静観していたアロンツォ・ブガッティは横長の鋭い目をいやらしげに細め、続ける。

 

「ですが、もし万が一の事態が発生すれば、その被害も桁外れとなってしまうでしょうねぇ」

 

語尾を間延びさせる喋り方と、語るその内容に、右側に座る面々は眉根を寄せた。

 

室内を覆っていた雰囲気がにわかに険悪になる。荒んできた空気を察しているのか察していないのか、彼は表情を変えることなく、なおも平然と喋り続ける。

 

「その少年を疑っているわけではないのですがねぇ。万が一、いやいや億が一ほどもないでしょうけれど。もしも、その少年に二つもの強大なロストロギアを預けたままで、更には管理局で厳重封印している数多のロストロギアを調べ、研究し、取り扱っても良いとの許可を出したとして。もしも、それで少年の心に魔が差してしまったとしたら?第一級指定されているロストロギアを多く持ち出された上で謀反……おっと失礼、言い間違えました。多数のロストロギアを持って離反されたとしたら?離反でなくとも、調べている中で操作を間違えて暴発、という危険性もあるかもしれませんねぇ。寛容な判断も良いのかもしれませんけれども、メリットを見越して投資するのも良いのかもしれませんけれども。しかし物が物だけに、万が一億が一があった時のリスクにも目を向けるべきではないでしょうかねぇ」

 

あくまで個人的な見解ですが。人一倍臆病な私は悲観的に考え過ぎるのですよ。

 

笑顔のようななにかを顔面に貼り付けて、ブガッティはそう締め括った。

 

個人的な見解。一人の意見。そう切り捨ててしまうのは簡単なのかもしれないが、そうできないほどの説得力を孕んでいた論理の展開だった。

 

これまで管理局で活用されずに無駄に捨て置かれていたエネルギーを有効利用できるようになるのでは。こういった希望的観測にも似た意見で統一されていた座席右側に座る男たちへ、冷や水を浴びせる格好となった。

 

右側に座る男たちは苦虫を噛み潰したような渋面で口を噤む。

 

打って変わって水を得た魚のように勢いを取り戻したのは、左側に座る面々だ。

 

真っ先に嬉々として身を乗り出したのは、ヒステリックな小太り男。

 

「その通りですな、ブガッティ委員長!まさしく仰る通り!利益を追求するのも大事でしょうが、リスクマネジメントも考慮に含めなければ話になりません!ええ、そうですとも!」

 

小太りの男を始めとして、左側に座る者たちはブガッティの意見に総じて同調する。

 

これほどまで議会の流れが決定的に変わったのは、立て板に水な喋り方に加えて、ブガッティの立場も一因となっている。彼が腰を下ろしている座席の位置と、小太りの男の口振りからもわかるように、ブガッティはこのとある(・・・)委員会の委員長を務めていた。

 

決定権と発言力。その二つは、他の一委員とは明確に、そして公的に隔絶されている。

 

「……………………」

 

しかし、反論どころか抵抗の一言も発されないのには、まだ理由があった。

 

暗い噂と黒い影。アロンツォ・ブガッティにはどろどろと(よど)んだ裏の顔があると、まことしやかに語られている。

 

真偽は定かではない。裏づけもない。真相を知る者は表側にはいない。

 

けれど、魔法を使えないアロンツォ・ブガッティが、三十代半ばという異例のスピードで時空管理局地上本部の高官にまでのし上がったことは事実だった。

 

権力と地位、刃向かえば自分の身が危うくなるやもしれないという恐れ。

 

この会議室において、ブガッティに真っ向から抗議できる者はいなかった。

 

「皆々様思う所はあるでしょうけれど、委員会(・・・)全体の意見としては粗方定まったわけですので、このあたりで決議と参りましょうか?」

 

意図してやっているとしか思えない、慇懃無礼で憎たらしい喋り方のブガッティは、つり上がった目を細めて聞き取りやすい発音で会議を締めにかかる。

 

閉会を示唆する言葉に、委員の反応は真っ二つだ。座席の左側は満足げに口元を歪め、右側は憎々しげに表情を歪めていた。

 

「逢坂徹少年の保有するロストロギア二つは我々が回収し、厳重で適切な封印処理を施した後、古代遺物管理部で保管。以上となりますが、質問などございますか?」

 

委員全員の顔を眺めたブガッティは、誰からも否定や反論がないことを確認し、ここでようやく本物と思われる笑みを覗かせた。だが、到底その笑みは綺麗なものではなく、ましてや純粋なものでなんてあるはずもない。まるで生贄を手に入れた悪魔のような、禍々しさに溢れた微笑みだった。

 

「それではこれにて、査問委員会(・・・・・)を閉会いたします。皆さん、ご苦労様でした」

 

 

 

 

 

 

俺は今、久方ぶりに窮地を味わっていた。

 

額からは汗が滲み、心拍数はまだまだ上昇を続ける。手足は言うまでもなく、頭のほうもフル回転で働かせ続けている。一つでも歯車が狂えば、もう取り返しはきかない。

 

ここはある種の、戦場だ。

 

「三番さんオーダーだ。きのこたっぷりホワイトソースオムライスと、牛挽き肉のミートグラタン。あと、濃厚カルボナーラ。飲み物は……」

 

「ドリンクくらいてめぇでやれ!」

 

「徹。一番さん、オーダー追加よ。海鮮ピラフと季節の野菜カレー。あとミックスサンドイッチ、ソースはからしマヨ。大至急ね」

 

「ちょっ、忍!大至急は無理だ!その前の注文が既に詰まって……」

 

「徹くん、根菜のサラダと四種のチーズドリアが入ったわ。ちょっと大変だと思うけど……じきに落ち着いてくると思うから、がんばって?」

 

「あ、あの、桃子さん……さすがにもう限界が……」

 

「徹、ワッフルが二つ入った。レモンソースとメープルだ」

 

「なぁ、恭也……俺がいる場所ってファミレスとかじゃないよな?」

 

「何を惚けたことを言っている。当たり前だろう。翠屋は喫茶店だぞ」

 

「そのわりにはさっきから通る注文ががっつりしすぎだろが!あと数多すぎ!桃子さんをこっちに回してくれよ!」

 

「悪いがフロアもギリギリなんだ。我慢してくれ。それに大口の予約が入っていたから徹にヘルプを頼んだんだぞ。忙しいのは当然だ」

 

「そりゃわかってたけど、ここまでだなんて聞いてねえんだよ!」

 

本日、俺の顔色と同様に空一面真っ青の快晴を記録した五月十一日。俺は翠屋の厨房で目を回していた。

 

事の起こりは昨日だった。

 

姉ちゃんにはエリーとあかねの存在もバラしてしまったので、誰に気兼ねすることもなく和合(アンサンブル)してエリーに料理を教えたり、あかねたっての要望で、これまで雑草を育てるだけだった庭を活用してガーデニングに勤しんだりして過ごしていた折、一本の電話が入った。相手は恭也、用件は時間に余裕があれば手伝いに来てくれないか、というものだった。

 

その電話がかかってきたのが、ちょうど昼過ぎあたり。エリーとのお料理教室も、あかねとの園芸活動にも一段落ついていたので了承の意を返しておいた。あかねはもう少し庭のほうをいじりたかったようだが、俺が『人間と同じで、植物もあんまり触りすぎたら育たないぞ』と雑な怖がらせ方をすると、あかねには覿面効果があって『そんじゃ、あとは明日にする』と考えを変えてくれた。

 

正直な話、親しい間柄からの用件でなければ断っていたところだ。

 

先日、正式に嘱託魔導師の試験を受けることが決定した。俺はその試験に備えて勉強や、実技試験に向けての戦術の組み立て、新しい魔法を使いこなすための訓練をもう始めている。まかり間違っても気晴らし以上の余裕など見せてはいられないのだが、今回はそれらを後回しにしてもいいと思えるほどの頼みだった。

 

俺はもともと、軽食喫茶《翠屋》で働かせてもらっていた。しかし、エネルギー結晶体であるジュエルシードが、ここ海鳴市に飛来し、それらの回収のため、(いとま)を頂いたのだ。常識知らずにも、いきなりに、である。

 

なのに桃子さんは嫌な顔一つせずに了承してくれたのだ。

 

そんな経緯と恩義があるので、忙しかったり困ったりしているのであれば何をおいてでもお手伝いしたいと常々考えていた。

 

なので嘱託魔導師試験の準備もほっぽり出してお手伝いに来たものの、まさかこれほどまでにてんやわんやな様相を呈するとは、想像の埒外であった。知らない間に『軽食』喫茶とは思えないメニューが目白押(めじろお)しに並んでいるし。

 

現時点で通されているオーダーを恨みがましい目で睨めつけていると、ヘルプを呼んだ張本人がやってきた。

 

「もともとお客さんからは予約を承った時に言われていたんだ。ここで食事をしたい、とな」

 

疲労を感じ始めた俺を尻目に、恭也はカウンターとフロアを繋ぐテーブルに肘をつく。テーブルの横に据え置かれている注文伝票を挟む金具に、追加のオーダーが書かれた紙をかしゃん、と音を立てながら挟んだ。

 

「だから食材を仕入れておいて、メニューも特別なものを用意したんだ。予約の人数が途中で増えたため、人手が足りなくなったことだけは予定外だったが」

 

「それで俺を呼んだのはわかるけどなあっ、だからって俺一人増やしたところで何になるんだよ!せめてもう一人くらいバイト必要だろ!」

 

「忍も手伝いに来てくれてるぞ」

 

「あいつはもう従業員で勘定してる。店の人間に含めてんだよ」

 

「そう言うがな、急には集まらないものだ。徹くらいしかな」

 

「ああほんとにな!俺が来なかったらどうするつもりだったんだ!?」

 

「徹なら来るだろうという確信があったからな、そこに心配はなかった」

 

「へいへい、ありがた〜い信頼ですね」

 

「というわけだ、もうしばらく厨房は任せた」

 

「は、はあ?!待てよおい!というか待って!?」

 

ホールが一段落つけば母さんがキッチンに入るから頑張れ。恭也はそう言い残して客席へと向かった。

 

それはつまり、そっちが一段落つかなければ俺はずっと一人なのでは。迂遠な死刑宣告みたいなものだった。

 

「やばい、ほんとにやばい。キッチン(こっち)は言うまでもないが、ホール(あっち)だって忙しなく動いてる……あの外面だけは美少女の忍が頬を引き攣らせてるほどだ。キッチンに桃子さんがきてくれるのは、いつになるかわからない……」

 

考えをまとめるためにぶつぶつと呟きながら、されど注文は片っ端から処理し続けていく。

 

出来るだけ料理は並列的に作業しているが、人間の身体構造上、焼き具合や仕上がりを同時に確認できる数には限度がある。『手』もそうだが、なにより『目』の数が足りなかった。

 

「せめてもう少し同時に料理を見ることができれば効率よく作れるってのに……ん?」

 

閃いた。

 

 

 

 

 

 

「恭也、三番さん上がりだ」

 

「わかった。……む、飲み物を忘れているぞ」

 

「てめえこそ忘れんな!自分でやれっつっただろ!」

 

「フィッシュアンドチップスとエッグベネディクト入りまーす。徹、一番さんの注文は?」

 

「あと海鮮ピラフだけ。もうすぐできる。てか、エッグベネディクトとかメニューにあったのかよ、ここ何屋さんなんだ……」

 

「徹くん。注文のほう、どうかしら?」

 

「根菜サラダとチーズドリアね。できてるよ」

 

「あらあら、もう出来てたの?早いわね」

 

「それはあれだよ、えっと……めちゃくちゃがんばってるから……」

 

「うふふっ。そうね、とても頑張ってくれているわね。さすがだわ」

 

「ま、まあね……あはは」

 

さきほどまでとは比較にならないくらいに料理を提供するスピードが上がった。複数の調理箇所を管理し、次々に完成させていく。

 

これというのも少々ずるい手を使っているからである。端的に言えば、魔法を使っちゃってるからである。

 

厨房内での移動は体内を駆け巡る魔力をコントロールする循環魔法を使って足に集中させて文字通りに駆け回り、焼き物や揚げ物やオーブンで作る品物の出来上がり具合はサーチ魔法を設置してつぶさに監視する。無駄な時間をカットした結果、盛り付けなどのどうしたって足を止めなければいけない仕事に時間的余裕を持たせることができた。作業のひとつひとつを効率化することで、まるでいじめのような注文のラッシュに対応したのだ。

 

まあ、桃子さんはこのあたりのことを音や匂いや焼き色で判別できるんだからすごい。魔法というグレーな手を使ってもひーこら悲鳴を上げている俺とは年季が違う。

 

「思いがけないところで第三の目が役に立っちゃったぜ。店の手伝いにきてんのか、魔法の練習にきてんのかわかんねえけど……」

 

ぼやきながら物陰に隠れ、冷蔵庫に入れておいたお茶を一口含む。

 

必要に迫られていたからとはいえ、つい最近教わったサーチ魔法なのにずいぶんと扱いに慣れてきた。出力は落としているとはいえ循環魔法の使い勝手も掴めてきたし、思わぬところで成果があったものた。

 

「ぷはぁっ。お茶がうまい。たったそれだけで、こんなに幸せなんだなあ」

 

まだいくつかは製作途中だが、波はひとまずおさまったようだ。先刻のような雪崩じみたラッシュはない。よって合間を見計らって小休止を取る。休憩はもらうものではなく、作るもの。

 

言い訳のように持論を展開しながら残りの品物も仕上げていく。

 

軽食喫茶と銘打ちながらがっつりした料理を提供していることに一抹の違和感は禁じ得ないが、とりあえずお客の腹が満たされれば俺の出番は蓋然的に減少していく。

 

それもそのはず、この店は本来は喫茶店だ。各種デザートと、それに合う各種紅茶、コーヒーを主力商品として掲げている。ある程度胃袋が満たされればあとはデザートに食指が動くはずなので、メインディッシュ担当の俺はほぼ御役御免だろう。

 

これですこしゆっくりできるな、と目算を立てていたのだが、ホールから早歩きでやってきた恭也を見て悪い予感がいや増してきた。

 

「徹、オーダー追加だ。読み上げるのも大変だから伝票置き場に差しておくぞ」

 

「それは有り体に読み上げるのも大変なくらいのオーダーが入ったってことだよな……。仕方ない、もうちょい頑張るか」

 

相当な数を捌いたはずだがメインディッシュはまだ足りなかったようだ。どうあれ注文が入った以上は俺の仕事、割り当てられた役割を果たすのみである。

 

少しばかり疲労のため息をついて、気を取り直していざ取り掛かろうかという時、からんころんと聞き覚えのあるドアベルの音が耳に届いた。『いらっしゃいませ』と桃子さんのほわほわした声。

 

冷や汗が垂れる。本格的に不安になってきた。

 

作り終えていた料理を何品かトレイに載せてお客さんのテーブルへと向かった恭也と入れ替わりで、忍がやってきた。店の書き入れ時もあって疲れの色も透けて見えるが、それでもなぜか頬を緩めながら話しかけてくる。

 

「徹、徹っ!予約の団体様、第二弾よ。またたくさん注文入ると思うけど、気張りなさいよ!」

 

「てめっ、それを言うためにわざわざこっちにきたのかよ……っ!」

 

「あんたの切羽詰った顔を見るのは楽しいもの。ふふ」

 

「こっの!いい性格してやがるな、ほんとに!」

 

「お褒めの言葉ありがとう」

 

流し目と妖艶な笑みを残して、忍はホールに戻った。

 

さらに言い募ろうにも、ホールに行くにはキッチンからぐるりと回らなければいけないし、この場から大きな声を出せば客席にも届いてしまう。ぽつねんと残された俺はぷるぷる震える手を、恭也が持ってきた伝票へと向ける。

 

「…………はぁ、今きてるオーダーのぶんからやってくか。また忙しくなりそうだし」

 

俺は諦めて、体内を循環する魔力の出力をちょみっと引き上げてさっさと仕事に取り掛かることとした。

 

 

 

 

 

 

「くそぅ、恭也め……散々こき使ってくれやがって」

 

夜、ベッドにうつ伏せになりながら愚痴をつぶやく。湯船に肩までどころか頭までずっぽり浸かったが、すべての疲労は抜けなかった。

 

団体様の第二波を捌き切ったと思えば、第三波、第四波、と続いて息つく暇もありはしなかった。厨房を走り回って体力を削られていたのは言うまでもないが、常に多数の箇所でサーチャーを稼働し続けていたので魔力までじわじわと消耗したのだ。

 

嘱託魔導師の試験勉強の他にも身体強化用の循環魔法と、左目の代わりとなるサーチ魔法を使いこなす特訓もしないといけないな、なんてアースラでクロノと喋っていたが、もはや特訓が不要になってしまうくらい今日一日で身体に馴染んでしまった。やっぱりこういう分野は、実戦ならぬ実践してみるのが一番習熟が早い。

 

おかげでとっても疲れたけれど。ていうか魔法を使うことになるとは思っていなかったのだけれど。

 

「だめだ……もう動きたくない、ベッドに沈みたい……」

 

家事はいろいろ残っているが、久しぶりの翠屋でのお仕事で疲労困憊の俺は風呂から上がってから数十分ほど、服もまともに着ずにベッドに倒れ込んでいた。

 

枕に顔を押し付けている俺の頭に、こつんこつんと軽いものがぶつかってくる。

 

「あかね……後から構ってやるから、ちょっとだけ充電させてくれ……。体力とか気力とか魔力とか」

 

スリープモードに突入した俺の頭部に数分前からちょっかいをかけてくるのは夕焼け色の球体、あかねだ。

 

ずっと魔導炉に閉じ込められていたあかねにとっては見るもの何もかもが新鮮らしく、よくあれはなんだこれはなんだ教えてくれ構ってくれと催促してくる。一番のフェイバリットはやんちゃな性格に似合わずお花である。自宅の庭をフラワーガーデン化させるという目標まで作っているが、そんなにすぐに花は育たないので(花の植え替えで済ませるのではなく、種や球根の段階から育てようとする気概ぶりなのだ)今のところはお花屋さんで購入してきた数輪をリビングにある花瓶に挿してその欲求を誤魔化している。

 

あかねによる頭部への刺激によって、俺はまだ眠りこけずにすんでいた。

 

だが、あかねとは逆に、俺を夢の世界へ送り出そうとしている光もあった。

 

「エリー……それやばい、超きもちいぃ……」

 

うつ伏せの俺の背中の上のほうに位置どったエリーが、自身の魔力を俺に供給してくれていた。若干の気だるさを感じるまで魔力を消費した俺にとってはとてつもない癒しだ。同時に魔力圧を絶妙にコントロールして俺に魔力を当ててくる。ちょうど按摩(あんま)のような、身体のこりをほぐす感覚に近い。あかねのかまって攻撃がなければ数秒で意識を手放していた自信がある。

 

翠屋から家に帰ってきてからというもの、空色の宝石・エリーと、夕焼け色の宝石・あかねは、俺の傍らをずっとついて回っていた。おそらくエリーは俺の身を慮ってのことだろうが、あかねはどうなのだろうか。時々意思を汲み取りにくい光り方をするので判断に困る時がある。

 

『……ぉい、とお……。寝て……?……おぃ……』

 

「……ん、なんだ……?」

 

微睡(まどろ)みに耽溺(たんでき)していると、頭の中にソプラノボイスが響いた。波が引くように、さぁーっと意識が覚醒していく。クロノからの念話だ。

 

『はいはい……起きてますよぃ』

 

『む……ハスキーボイス?……声が奴と違う。間違えたか?』

 

『奴』とは誰のことだ何言ってんだこのバカヤローは、と内心考えないでもなかったが、クロノが『念話を送る相手を間違えた』と思った理由は、どうやら俺にあった。

 

「髪、長くなってら。エリーから魔力を貰いすぎたか」

 

心地よかったからといってエリーから魔力を受け取り過ぎていた。和合(アンサンブル)状態とまではいかないが、身体的特徴が女性に傾き始めている。男か女か一見では判別できないあやふやな状態だったのだ。

 

頬に触れてこそばゆい深い海のような色合いになっている髪を耳にかけると、寝転がった姿勢から姿勢を変えて胡座(あぐら)になる。あくびを噛み殺しつつ、もう一度クロノに返答する。

 

『クロノ、俺だ。逢坂徹で合ってる』

 

『やはり合っていたか。ぶっきらぼうな喋り方、立場が上の相手にもかかわらず不遜な口調、間違いなく徹だな』

 

『どこで俺だと認識してるんだよ……。ちょっと魔力を使い過ぎちまってな、エリーから魔力を供給してもらってたんだが、魔力をもらいすぎた。半分和合(アンサンブル)みたいな状況になってんだよ』

 

『ほう、なるほど。半合(ハンサンブル)ってところか』

 

『妙に語呂のいい単語を作ってんじゃねぇよ』

 

半合(ハンサンブル)、なかなかどうして耳触りのいい音になっている。ちょっと気に入ってしまいそうだ。

 

『そんで?なんのご用だ?ちなみに学科の復習なら今日はやってねえぞ』

 

『どうしてやっていないのにそこまで堂々と言えるんだ……。学科で必要な範囲は一通り終わってしまっているからな。こちらもどうせ真面目に勉強なんてしていないと踏んでいる。用件はそこじゃない』

 

『そこは踏まえるなよ。ちゃんとお勉強してるかの確認じゃねえんなら、なんの用なんだ?』

 

『前もって予定を空けておくように言っておこうと思ってな。来週の土日には用事を入れるなよ』

 

『土日に何があるってんだよ。……まあ予定なんて決まってないんだけど』

 

『一番近い試験に徹の名前をねじ込んだ。金曜の夜に出発して土曜に試験を受けてもらう。日曜は念のためだ。担当の者には無理を強いたんだ、感謝しろよ』

 

『っておいっ!いくらなんでも急すぎるだろ!学科はともかく実技はそんなに作戦詰められてねぇんだぞ!』

 

『なに、慌てるな。あと一週間ある』

 

『ばっ……数えなおせ!今日は日曜日だぞ!あと一週間切ってるだろうが!』

 

『だいたい一週間じゃないか。いったい徹はなにを案じているんだ?テスタロッサ家の騒動の渦中にいても生き残ったんだぞ。実力を発揮すれば、なにも障害はないだろう』

 

『あっけらかんと言ってのけやがって……』

 

『心配しなくていい。教練ならこれからも職務の合間を縫って手伝ってやる。だからちゃんと土日は予定を空けておくように』

 

『いやうんありがとう、でもちょっと待て!さようならの段階に入ってんじゃねえ!』

 

『そうだ、もう一つあった。できれば次来るときには前持ってきていたお茶とお茶請けをまた持ってきてほしい、と母さんが言っていた』

 

『お、おお……あれな。わかった』

 

『ちゃんと伝えたからな。それじゃ』

 

『っておい!』

 

必要事項を全て伝え終えるや否や、クロノはぷつんと念話を切る。最後のほうで単なる伝言が挟まったことで試験について深く言及することができなかった。

 

「……まじかよ」

 

もう少しゆとりがあると思われた試験までの期日が、いきなり一週間以内にセッティングされた。筆記も実技もゆっくり準備すればいいかな、なんて悠長に構えていたが、そんな暇をクロノは与えてくれないらしい。

 

「今度の土曜日……すぐじゃねぇか。……用意しとくか」

 

もしかすると、これはクロノの作戦なのだろうか。尻に火をつけられたことで、焦りと背中合わせのやる気が出てきた。(まぶた)を下に引っ張ろうとする眠気も霧散した。

 

何からやるかは決めていないが、とりあえずベッドから下りてぐっと背伸びする。背骨と肩がぱきっと鳴った。

 

「二人とも、手伝ってくれよな」

 

自分の部屋の扉を開ける。

 

俺の斜め後方に浮遊しながらついてくる二つの宝石が、タイミングを合わせたかのように瞬いた。

 

 

 




不穏な空気が漂い始めましたが、次から何話か緩いのが続きます。

本当はすぐに嘱託試験のほうに行く流れだったのですが、ほかのキャラクターにあまりにもスポットライトがあたっていませんし、後日談をとの感想も頂きましたので書き足すこととなりました。

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