そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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もうリアルの女に幻想は抱かない。


いずれは朽ちて、地に還る

 

「……はあ……」

 

六時限目の授業が終了したことを告げる鐘が鳴る。

 

普通なら長いお勉強の時間から解放されたことで気分も晴れやかになるものだろうが、俺の心は分厚く湿った雲がかかったように陰鬱だった。

 

「……いい加減、その鬱陶しい溜息をやめろ」

 

「鬱陶しいはひどいだろ……」

 

「朝から一日中我慢しているんだ。それくらい言う権利はある」

 

机に項垂(うなだ)れる俺に、恭也が心底(わずら)わしそうに言う。

 

今日は、アルフと別れを告げたその翌日だ。

 

身も心も重たかったが、平日なのでもちろん学校はある。骨の代わりにタングステンでも埋め込まれたのかと思うほど重く気怠い身体を引き()るように登校した。

 

ちゃんと登校はしたが、ちゃんと授業を受けたかどうかは見る人による。机に突っ伏して溜息を吐き出しているせいか、今日ばかりは授業中に先生方から問題をあてられることもなかった。

 

「……(こら)えようとしても勝手に出てくるんだ、仕方ねえだろ。傷心中なんだ、もうちょっと優しくしてくれよ」

 

「その傷心の理由を説明もしないくせにどの口が言う。それによく考えろ。俺が優しくしたところで何かが変わるのか?」

 

「……いや、そりゃ変わらんけどさ。それに恭也が俺を優しく慰めるなんて絵がそもそも浮かばねえ……」

 

「そうまで断言されると無性に(しゃく)だが……」

 

「徹がこんな風に落ち込むなんてめずらしいわよね」

 

「……忍か」

 

六時限目の授業が終了し、担任の飛田先生が行うHR(ホームルーム)も(若干二名(俺と恭也)が雑談していたことを除けば)つつがなく終了。帰り支度をするクラスメイトをかき分けて、忍が俺たちの席にやってきた。

 

「機嫌が悪かったりもどかしげにしてるのは最近多かったけど、落ち込むのはなかったものね。また例のアレ(・・・・)絡みなの?」

 

例のアレ、とは魔法関連の話をざっくりと指しているのだろう。一般人が多くいる教室で魔法がどうのなどとは、さすがに忍も口にはしない。ちゃんと他言無用という約束は覚えてくれているようでなによりだ。

 

「……そっち(・・・)じゃねえよ。厳密に違うわけでもねえけど、本質は違う」

 

「なによ、はっきりしないわね」

 

「無駄だ、忍。背後でずっと溜息を吐かれて鬱陶しくて俺も訊き出そうとしたが、どうやっても答えようとしない」

 

「鬱陶しいはやめてくれ……」

 

「へー。徹のことだし、まさか恋愛絡みではないでしょうけど」

 

「…………」

 

どストレートだった。

 

思わず目をそらす。それがいけなかった。

 

その通りですと言わんばかりの反応をしてしまった。

 

俺が反論の一つもせずに目線を窓に向けたことで、ただそれだけのことで、付き合いの長い二人は気づく。顔なんて見なくてもわかる。気配でわかる。経験でわかる。

 

「……え?ほ、ほんとに?あんた……」

 

「……おい、徹。違うのなら違うと否定しろ。今なら間に合うぞ」

 

「…………」

 

違わない。全くもって違わない。

 

否定どころか、なんなら肯定しないといけないほどだが、それもできない。したくない。

 

結局、苦い顔をしながら窓ガラスを穴が開かんほどに睨みつけるだけだった。

 

「ほんとなのね。あー……まさか、徹が……」

 

「しかも恋あ……そっち絡みで沈んでいるということは……」

 

「振られたのね。失恋したのね」

 

「忍、あまりはっきりと言ってやるな。しかし……それなら一日中溜息ばかりついていたのも納得だな。鬱陶しいなどと言ってしまったのは訂正しよう。すまなかった」

 

「……勝手に話を進めてんじゃねえよ。それに、失恋ってほどのものでも……たぶんなかったんだ。それ以前の感情だったんだ。……それ未満の感傷だったんだ」

 

頬杖をついて、風に揺れる樹梢(じゅしょう)を眺める。

 

アルフに抱いていたそれが本当に恋愛感情だったのか、今となっては自分でもわからない。

 

吊り橋効果みたいな、そんな外的要因によって作り出されたまやかしだったのではないかとさえ思えてくる。

 

死力を尽くした戦闘と、ジュエルシードを封じた際の、極限に近い緊張状態のせいで上昇した心拍を、恋愛のそれと勘違いしたのではないだろうか。

 

それは、アルフも同じなのかもしれない。

 

通常の魔法戦闘では味わうことのできない血湧き肉躍る肉弾戦。一歩間違えば街どころか国、国どころか世界が隣近所を巻き込んでまとめて吹き飛ぶような常軌を逸した状況。綱渡りに近かった時の庭園での出来事を、ともに解決した。そして、アルフ自身の発言を引用するが、『大事なもの、ぜんぶ守ってくれた』などという思い違い。

 

恋愛感情とは非なる心臓の律動と、まかり間違った恩義。

 

それらが合わさって、恋慕の情と取り違えた。

 

口幅ったいことだが、根元は気のいい敵とか、あるいは親しい仲間、くらいだったのかもしれない。それが、枝葉に至るにつれて意味合いがすり替わった。

 

人間は合理性に基づいて考え、行動する生き物だ。

 

心臓が高鳴ったのはなぜか、感情が揺れ動くのはなぜか、と推し量り、好意を抱いているからだと誤った答えを叩き出す。

 

つまりは、恋とは何か、愛とは何かを理解できていない若者にありがちの青臭い思い上がり、勘違いだったのだ。きっとそうだ。そのはずだ。

 

であるならば、恋愛感情以上でも以下でもない、どころか恋愛感情ですらないこんな気の迷いは、時間とともに膨らんだのと同じように、時間とともに(しぼ)んでいくのだろう。いつしか枯れて、散って、腐って、気がついた頃には人生の肥料になっているのだろう。

 

時間が解決してくれる。そんな使い古されているフレーズに(すが)るとしよう。(よど)んで(わだかま)る感情も、刻みつけられるように痛む感傷も、いつかは消えてなくなるのだと。

 

幸いというべきか、生憎というべきか、直視したくない記憶に蓋をするのは慣れている。胸をかき乱すこの気持ちが風化するのも、そう時間はかからないだろう。

 

ゆらゆらと風にあてられる若葉を窓越しに見やる。

 

この青々とした葉と、同じようなものだろう。この胸の痛みと、同じようなものだろう。

 

いずれは朽ちて、地に還るのだ。

 

なるべく平然を装いはしたが、不貞腐(ふてくさ)れているように二人には聞こえたのかもしれない。ぽんと、肩に手が置かれる。間を置かずに、頭にも手が置かれた。

 

肩は恭也で、頭は忍だ。

 

「これも人生経験だと割り切れ。徹が選んだのだからその女性も相当素晴らしい人なのだろうが、魅力的な女性は身近にもいるだろう。とりあえず、なんだ……今日はとことん付き合ってやろう」

 

「……私の立場としては悲しんでいいのか喜んでいいのかわからないけれど……まあ、とにかく!今日は私もあんたの気がまぎれるまで付き合うわよ」

 

「……ありがとよ」

 

恭也は窓の向こうの景色を憂いを帯びた目で見つめて、忍は教室の片隅をちらりと一瞥してから、そう言った。

 

恭也と忍(こいつら)にこういった話をするのは恥ずかしいというか気まずいことこの上ないが、気持ちが楽になったことは事実だった。

 

相手は誰だとかどこで知り合っただとか、多少は興味が湧くだろうにそちらへの質問はなく、なのに深く気遣ってくれる。恥ずかしくて気まずいが、なぜか居心地は悪くなかった。

 

「……ん?」

 

ふと何の気なく、忍が目を向けていた方向へと首を動かす。

 

「ちょちょちょっと!べつにさっきの話と関係ないから!」

 

「忍……露骨すぎるだろう」

 

そこには鷹島さんを挟むように、長谷部と太刀峰がいた。二人はなにやら熱心に鷹島さんに話しかけていて、当の彼女はどうやら困っている様子だ。

 

「太刀峰はともかく……長谷部がやっているとしつこいナンパみたいにも見えるな」

 

「こう言うと長谷部さんから怒られそうだが、並の男よりも人気があるのはもはや周知の事実だからな。以前に違うクラスの女子生徒から、ファンレターなのかラブレターなのかわからない手紙を受け取っていたぞ」

 

「その手紙の件なら、私と綾ちゃん、真希ちゃん、薫ちゃんの四人で協議した結果、限りなくラブレターに近いファンレターってことで決着がついたわよ。女バスで活躍してるのを見てファンになったらしくて、思いの丈と応援のメッセージが綴られていたわ」

 

「……それは長谷部にとって喜んでいいことなのか?」

 

「応援してもらえることは嬉しい、とは言っていたわよ?」

 

俺が休んでいた(停学を食らっていた)期間の話も交えてお喋りしていると、こちらの視線に気がついたらしい太刀峰が唇をわずかに動かしながら指をさしてきた。距離があるので何を口走っているのかまではさすがに聞き取れなかったが、太刀峰のことだ、どうせ碌でもないことだろう

 

太刀峰の言葉に反応したように長谷部もこちらを振り向く。俺たちを見据えた途端に、ぴこんっ、と効果音でも出しそうな勢いで表情を明るくした。

 

長谷部と太刀峰はいくつか言葉を交わすと、両側から戸惑う鷹島さんの手を取ってこちらに近づいてきた。

 

先んじる形で俺から放つ。

 

「おい、長谷部、太刀峰。鷹島さんをいじめてんじゃねえよ」

 

「いじめてなんかいないさ。ただお願いをしていただけでね」

 

「……そう。お願いを、してただけ……。しつこく」

 

「断るということができない鷹島さんにしつこくお願いをするのはもはや強制だろうが」

 

「い、いえ、私はあの……」

 

「真希ちゃんと薫ちゃんはなにをお願いしていたの?」

 

「はたから見ていると鷹島さんはあまり乗り気ではないように見えていたが」

 

「それが、ちょっと部活のほうで問題が起きてしまってね……」

 

「っ……」

 

女バス絡みで『問題』と聞いて、思わず腰が浮いた。足に当たった椅子が、なんとか倒れずに済んだが音を立てて床を擦る。

 

長谷部と太刀峰を含めた女バス部員の数名は、以前に自然公園でたちの悪い男たちに襲われかけたことがあった。遅れ馳せながら現場に着いたことでなんとか事なきを得たが、あの出来事はその場にいた女の子たちの心に深い爪痕を残した。

 

今この場にいる二人も、恐怖がぶり返して泣いてしまうほど弱っていた。同じく女バス部員の笠上(かさがみ)果穂(かほ)さんと顔を合わせた機会があったが、その子はトラウマで男性恐怖症に近い症状が出ていたほどだ。

 

その件が尾を引いて再び何かあったのでは、と想像するのは難しいことではなかった。

 

「……大丈夫。そっちとは、関係ないよ」

 

さっ、と血の気が引いたが、いつの間にか隣で佇んでいた太刀峰が俺の服の袖を摘んで見上げながら否定した。

 

「あ、ああ……。そうか、よかった……」

 

並大抵のことではおおよそ変化のない太刀峰の表情が、どこか柔らかく見えた。

 

だから、だろうか。ささくれ立った心中がすぐに落ち着いていくのが自分でもわかった。

 

「騒がしくして悪い。……んで、その問題じゃないんならどんな問題があるって……な、なんだ、どうした」

 

俺と太刀峰を除いたメンツが、じっとこちらを見ていた。

 

鷹島さんに至っては少しばかりじとっとした目つきになって、柔らかそうな頬をハムスターばりにぷくっと膨らませている。いったいなにが詰まってるんだろう。

 

押してみた。

 

「きゅぷひゅいっ!なっ、なにするんですか?!」

 

「いや……ひまわりの種でも入ってるのかなって思って」

 

「入ってるわけないですっ!」

 

「あんたなにしてんのよ……」

 

「お前らこそこっちをじっと見てたろ。なんなんだよ」

 

「薫と逢坂がずいぶん通じ合っているように見えたからね」

 

「通じ合ってるって……」

 

ちらと太刀峰を見やれば、もういつもと変わらぬ無表情に戻っていた。

 

「……?」

 

俺の視線に気づくと首を傾げた。

 

しばし何か考えるようにして、理解したふうに唇の端を初見ではわからないくらい微量に上げる。親しくなって初めて気づけるほど些細に、もとからたれ気味の目尻を下げる。

 

「……逢坂は、考えてる、こと……意外とわかりやすい。……優しい、から」

 

「は、はぁっ?……い、いきなりなに言って……」

 

「……こんな顔してるのに」

 

「オチを用意してんじゃねえよ」

 

太刀峰は小柄な体躯とたれ目、落ち着いた色合いの青いセミロングの髪とがあいまって、外見だけなら穏やかそうに見える。ただそれはあくまで外見だけであって、中身までそうではないというところが肝なのである。

 

エッジの効いた冗談を吐けてご満悦な様子の太刀峰をさばいてみんなに向き直る。

 

「むむぅっ……」

 

またもや鷹島さんは頬を膨らませていた。

 

ので、手を伸ばす。

 

「な、なにも入ってませんから!つっつかないでくださいっ!」

 

「ああ、飲み込んだの?」

 

「もとからなにも入ってませんよ!?」

 

「徹、綾ちゃんをいじめないの」

 

「綾音をいじるのが楽しいのは同感だけれどね」

 

「うん……リアクションが、ばつぐん」

 

「鷹島さんが涙目になってるからそろそろやめて差し上げろ、徹」

 

「俺だけ狙い撃ち……。ごめんね、鷹島さん」

 

「も、もう……困っちゃいますから、もうしないでくださいね?」

 

「それは約束できないかな?」

 

「約束してくださいよぉ!」

 

「はあ……。女子バスケットボール部の話に戻らなくていいのか?」

 

恭也が呆れ顔で本題に引き戻す。

 

その言葉に長谷部と太刀峰は小さく『ぁ……』と呟いた。完全に忘れていたようだ。

 

「そうだった、うっかり忘れていたよ」

 

「……うっかり」

 

「本当に困ってんのかどうかわかんねえな……」

 

さらりと髪を流しながら長谷部は視線を斜め上へと向ける。時計を確認していた。

 

「思ったより時間がなくなってしまったね。歩きながら説明しようか」

 

「……は?いや、なんで説明すんのに歩く必要が……」

 

「……はい、立つ。ごー」

 

「いや、いやいや、ここで喋りゃいいだろ?なんで動かないといけないんだよ。ていうかどこ行くんだ」

 

急かすように太刀峰が服を引っ張って強引に立たせてくる。

 

目的地も明かされていないが、すでに長谷部は教室を出ようとしていた。しかもいつの間にか机のサイドにかけておいた俺の(とくにこれといって物が入っていない)鞄を持って行っている。一瞬気を使ってくれてるのかとも思ったが、同時に逃げ道をも奪っている。なんという押しの強さ。

 

「ちょっ、ちょっとっ!真希、薫!逢坂くんにも用事や予定があるんだから、そんなむりやりにはだめだよ!それに逢坂くんは……」

 

「最近忙しそうにしてるけど、今日は大丈夫じゃない?」

 

「そうだな。これから忍の先導で何か食べに行くかどうするかといったところだったのだから、徹も今日はスケジュールが空いていたのだろう」

 

俺の意思が介在しないところで予定が組まれつつあるが、実際今日はクロノとの訓練もなく、空白となっている。

 

責任のある立場にいるクロノは、それだけ消化しなければいけないお仕事の量も多いのだ。これまで連日付き合ってくれていたことのほうが奇跡的と言える。

 

「ま、いいか。たまには」

 

どこに行こうとしているかも聞かされていないのであまり気乗りはしないが、どうせ嘱託魔導師試験用の実戦訓練はできないし、学科のほうは既に、というかとっくに出題範囲は学習し終わっている。新しく構築した魔法を使いこなす練習はしなければいけないが、それは夜にでもやればいい。

 

今は気楽に友人たちと遊んでも、ばちは当たらないだろう。

 

なにより、アルフとのことでもやもやしたこの気持ちを誤魔化せるのなら、俺にとって救いに等しいのだ。

 

 

頻繁に逸れる長谷部太刀峰両名の話から読み解くに、どうやら女子バスケットボール部の問題というのは、部員のメンバーの多くが欠席してしまっている、ということらしい。なんと部長さんまでいないとのことだ。

 

女子バスケットボール部の部長さんは生徒会長も兼任しているため、生徒会絡みの仕事でやむなく欠席。他の部員も体調不良や家の用事などで休んでいたり、と。この学校はあまりスポーツに熱を入れているわけではないので、そもそも部員の人数が少ないということもある。

 

そこまで部員の出席率が低いのなら、いっそのこと部活自体を休みにしたらと提言してみると『もうすぐ他校と練習試合することになっていてね』『……勝敗は同じ数。勝ち越すか負け越すか、瀬戸際……』と熱く返された。因縁の相手との試合が控えているようだ。

 

女子バスケットボール部以外にも体育館を使う部活はある。よって体育館は屋内系運動部が持ち回りで使用しているらしい。試合形式で練習できる数少ない日なので、可能な限り練習したいとのこと。

 

「つまりは試合形式で練習したいから、その頭数を揃えるために呼んだってことか?」

 

「まあ、ざっくり言ってしまうとそうなるね」

 

「だから鷹島さんにも声をかけていたのか」

 

「そう。……綾音は、運動神経壊滅してるけど、人がいないと、できないから……」

 

「そんな数合わせだけの理由で私誘われてたのっ!?」

 

「ふふっ。冗談……だよ」

 

「もうっ、薫っ!」

 

「ただでさえ部員の人数は少ないのに、不運なことに体育館を使える今日に限ってことさら少なくてね。僕と薫を含めても六人しかいないんだよ。スリーオンスリーならできるけど、試合に向けての調整ができなくて困っていたのさ」

 

「……だから、忍さんと……高町くんにも、入ってほしい……んだけど」

 

「いいわね!楽しそう!体育の時間だけじゃ物足りないのよね。身体があったまってきたところで終わっちゃうから」

 

「俺も構わない。最近は昼休みに徹とワンオンワンしかしていなかったからな。経験者の中に入っての試合は勉強になりそうだ」

 

「…………あれ?真希と薫を含めて六人で……逢坂くんと忍さん、高町くんがお手伝いで入って九人……バスケットボールの試合はたしか五人対五人で十人……一人足りないんじゃない?」

 

鷹島さんが指折り数えて、疑問を唱える。人数を数えるという、算数の中でも初歩な計算で指折りしてたのはそこはかとなく鷹島さんの成績が心配だけれど、可愛かったからまあよし。成績のほうはテスト前に頑張って頂こう。

 

鷹島さんの疑問に、長谷部が体育館の扉を開きながら答えた。

 

「なに言ってるのさ、綾音を入れてぴったり十人じゃないか」

 

「え……ええぇっ?!わ、私、できないってあれだけ断ったのにっ」

 

「大丈夫、逢坂と同じチームに入れておくよ。逢坂がフォローしてくれるさ」

 

「私が言いたいのはそういうところじゃなくて……って、逢坂くんのこともそうだよっ。逢坂くんは、目が……」

 

鷹島さんが縮こまりながら言い淀む。彼女がそんなに申し訳なさそうにする理由も、目のことを気遣うこともないのに。無論、心配してくれるのは嬉しいが。

 

俺が鷹島さんに気を使わなくても大丈夫だよ、と伝えるその前に、太刀峰が口を開いた。

 

「……大丈夫だよ、綾音。ちょっと前に……阻止、されないように……左側から飛びついたけど、防がれた……から」

 

「どうしてわざわざ左側からっ……それは飛びついたの?……抱きついたんじゃなくて?薫……私、もっとくわしくお話し聞かせてほしいな」

 

「あ……。ち、ちが……。ちょっと、いつもの……冗談、で……」

 

ゆらありと、幽鬼じみた足運びで鷹島さんが太刀峰を問い詰める。

 

堕天しかけている鷹島さんをいつもの天使に戻すため、間に割って入る。

 

「まあまあ、鷹島さん。心配してくれるのはありがたいけど、杞憂ってもんだよ。人のいるいない程度なら、音とか風とか気配とかでだいたいわかるんだ。多少のスポーツくらいなら問題ないよ」

 

「あぅ……いえ、そんな……。って気配ってなんですか?!音や風ならまだわかりますけどっ」

 

「え?わかんない?恭也なら目つぶっててもどこから近づいてくるとかわかるけど。なあ?」

 

「俺を巻き込むな。……まあ、集中していればわかるが」

 

「わかるんですかっ?!」

 

「ほらね。だから大丈夫だよ」

 

「あ、逢坂くんがそう言うのなら……はい」

 

とりわけ特殊な人物を例に挙げたが、鷹島さんは納得してくれたようだ。それも俺や恭也への信頼度が高いからだろう。

 

「そういうことだから、鷹島さん。一緒にがんばろうね」

 

「はい…………あれ?」

 

「さあ!綾音の了承も取れたことだし、運動に励むとしようじゃないか!」

 

「……おー」

 

「まるで詐欺のような手法だったのだが……」

 

「ほら、綾ちゃん!着替えに行くわよ!」

 

「え?あれ?……あれ?」

 

いつのまにかバスケをやる運びになってしまって当惑する鷹島さんを、忍が強引に手を取って更衣室に引き摺り込んでいった。

 

普段の姿からではとても運動ができるようには見えないので鷹島さんには申し訳なく思うけれど、しかしどうせならいつものメンバーで遊べたほうがいいだろう。一人だけ枠の外で見学というのも寂しいものだ。

 

もはや誘拐に近い形で連れ去られた鷹島さんとほか女子三名を見送って、ふと思った。

 

俺たちはどうすればいいのだろう。

 

「恭也、どうする?今日、体育の授業なかったしジャージとか持ってきてねえんだよな」

 

「昼休みにバスケするときと同じでいいだろう。スラックスは仕方ないとして、カッターシャツを脱いでおけば」

 

「それでいいか。服、どこに置いとくかな」

 

体育館の入り口できょろきょろしていると、きゅ、きゅっ、と床を鳴らすバッシュの音が近づいてきた。

 

桃色の髪を頭の右側で纏めている女子生徒。この子とは一応面識がある。以前一度昼食をご一緒した笠上(かさがみ)果穂(かほ)さんだ。

 

「お久し振りです、逢坂くん。長谷部さんと太刀峰さんが人を集めてくるとおっしゃっていましたが、まさか逢坂くんだったなんて。わざわざご足労いただいて、ありがとうございます」

 

礼儀正しく丁寧な物腰。笠上さんはわざわざ謝意まで述べて、頭を下げた。

 

笠上さんを含めた部員たちは長谷部と太刀峰が来るまで個人練習をしていたのか、既にユニフォームに着替えていた。

 

ユニフォームは白を基調とした清楚な印象で、どことなく制服の色合いとも似ている。

 

バスケットボールのユニフォームは、ものによってある程度の差はあるだろうが首回りや脇などがゆったりしたデザインになっている。動きやすいようにとの配慮だとわかってはいるが、その格好で頭を下げるものだから胸元がえらいことになっている。

 

もちろん笠上さんはインナーを着ていたのだが、彼女の圧倒的な質量を誇る胸部がお辞儀をした際に重力に付き従って服を下へ下へと押し下げてしまい、さらにけしからんことになっていた。

 

「い、いいからいいから!俺たちもちょっとした運動のつもりで来てるんだし」

 

このままだと罪悪感で胸が張り裂けそうなので、笠上さんの肩を掴んで少々強引に姿勢を戻させる。

 

下げていた頭を元に戻すという所作だけで胸元がふよんと揺れた。比較的ぴっちりとした制服とは違い、ユニフォーム程度の防護性では彼女の豊かな双丘は抑えきれないようだ。

 

非常に目のやり場に困る。スポーツブラを着用しているとは思えない弾み方だった。

 

挨拶の時点でどぎまぎしていると、こつんと恭也に肘を当てられた。初対面だから紹介しろということだろう。

 

手を恭也に向ける。

 

「笠上さん。こいつは高町恭也。俺とは腐れ縁で、クラスも同じなんだ。基本的に悪いやつじゃないから安心していいよ」

 

「初めまして。……ってなんだ、基本的にとは。笠上さん、と言ったな。よろし……く」

 

「っ……あ、逢坂さっ……」

 

「あー……」

 

恭也が言い終わるかどうかくらいの時には、もう笠上さんは俺の背中に隠れてしまっていた。

 

初めて顔を合わせた女子生徒からのあまりにもあんまりなリアクションに、恭也は固まってしまった。

 

そうだった。笠上さんにはこれがあったのだ。あまりにも自然と会話できてしまっていたのでつい説明し忘れていた。

 

「恭也、これはな……」

 

「……なるほど。徹はいつも初めて会う人間には必ず距離を取られているが……こんな気持ちになるのか。これはなかなかくるものがあるな……」

 

「やめろ、俺まで巻き込んで傷つくのはやめろ。傷つくんなら一人で傷つけ。笠上さんは……自然公園の話の時にいた女バス部員の子たちの一人だ。あの件でちょっと男が苦手になったんだ」

 

「ああ、その一件の……ん?徹の背に隠れているが、それは平気なのか?」

 

恭也が首を傾げて俺の後ろのほうに視線を向ける。俺の背中にしがみついてぷるぷるしている笠上さんを見ていた。

 

「助けに入ったのが俺だったからなのか、詳しいことはわからんが俺は大丈夫らしい」

 

「……ほう」

 

「その目を直ちにやめることだ。でなければ俺は、恭也が笠上さんにセクハラして怯えさせていたと忍に報告しなければならなくなる」

 

「まことにすまなかった」

 

脅しをかけると、速やかに恭也の態度が変わる。今この瞬間このシチュエーションでは、俺の発言のほうが信憑性があった。

 

「……とりあえず俺は離れておいたほうが良さそうだな」

 

「す、すいません……私、まだ、やっぱりだめで……」

 

「大丈夫だって、笠上さん。一緒にバスケやってれば怖いやつじゃないってのはわかるはずだから。ちょっと強面だけどな」

 

「誰に言われても良いが、徹にだけは言われたくない」

 

「うるせー」

 

恭也に雑に返す。すると、俺の背後から、鈴を転がすような笑い声が聞こえた。

 

「ふふっ……。あ、す、すいません……」

 

すぐに謝って再び俺の陰に隠れてしまったが、怯えるばかりだった先ほどよりかは進歩したと言えるだろう。

 

「いいんだよ、笠上さん。それより、服を置いときたいんだけど、どのあたりならいい?端のほうに置いといていいのか?」

 

「それなら更衣室でも……あ、今は長谷部さんたちが使われていましたね」

 

「それもあるけど、仮に誰もいないとしても女子しか使っていない更衣室に入るのはさすがに抵抗があるよ」

 

そう言うと、笠上さんはくすりと笑んだ。

 

「それもそうですね。失礼しました。逢坂くんが噂に聞くような人ではなくてよかったです」

 

「噂については俺は耳を塞ぐことにしてるんだ、悪いね」

 

女バスにあてられているコートの、端のほうに移動する。

 

体育館を一つの部活が占有しているわけではなく、所々でカーテンのようにネットが引かれていくつか区切られている。幸い女バスは入り口から一番近いところで練習をしているが、体育館の奥のほうではバドミントン部とバレー部が活動中だ。男女で体育館を使う日を分けているのか、どちらも女子だった。

 

「長谷部さんから少し聞きましたけど、学校で流れている噂はほとんど嘘なんですよね?」

 

「ほとんどじゃない。全部だよ全部。根も葉もないただの噂」

 

「全部ではないだろう。二年三年の先輩諸氏を殴り飛ばしたのは事実じゃないか」

 

「えっ?!」

 

「おい、恭也。いらんこと言うんじゃない」

 

「そ、そういえば、自然公園でも乱暴な人たちを一人でやっつけていましたし……」

 

「だ、大丈夫だぞ?悪い人にしかそんなことしないからな?」

 

「声裏返ってるぞ」

 

「てめえが余計な情報を付け加えてくれやがったからだろうが」

 

恭也を睨みつけるが、当の本人はどこ吹く風といった様子で体育館の壁際に鞄を置き、カッターシャツを脱いでいた。今更この程度の睨みが効くような相手ではなかった。

 

さっきの発言で男性恐怖症のくくりに俺も含まれたのではと不安になりながら笠上さんに振り返る。

 

「ぁ、うぅ……」

 

「え、あれ……?」

 

笠上さんは未だに俺の背にいて、シャツを握っていた。

 

ばちんと目があって、笠上さんはふいと逸らす。なぜか顔を赤らめていた。

 

「逢坂くんは私たちを守るために怪我までしたのにこんなこと言うのは、人としてどうかと思うのですが……」

 

俺と至近距離にいて、しかも服をつまんでいて、頬を紅潮させ、顔を伏せているというこの光景を、俺たちとは反対側の位置にいる部活の仲間に見られているのだが、笠上さんの尊厳を守るためにも伝えるべきなのだろうか。

 

「信頼できる方が……その、精悍(せいかん)であられるというのは、こっ、心強いなぁ……と、安心、してしまい……。す、すいませんっ」

 

そういえば、以前昼食を共にしたあと、太刀峰から笠上さんの話を聞いた気がする。

 

詳細は濁していたが、笠上さんのお家はなかなかに立派なようで、笠上さん自身のお淑やかな性格もあいまって親族から溺愛され、大事にされているとのこと。そんなゆえんあってか、太刀峰は笠上さんのことを『お嬢様』などと表現していた。によによしながら喋っていたので、きっといい意味で言っていたのだろう。

 

なぜバスケットボール部に所属しているのか不思議なくらいではあるが、印象としてはぴったりくる。世間慣れも男慣れもしていない、箱入りぎみのお嬢様だ。

 

「い、いや別に気を悪くするようなことでもないから、いいけど……」

 

ともあれ、まずい雰囲気であることは理解している。

 

なにより恭也が口元を押さえながら、しかしにやついているのを本気で隠そうともしていない様がとっても癪である。

 

どうやってこの場を穏便に済ませるか考えていたのだが、答えに行き着く前に、小さな影が紺色の尾を引きながら物凄いスピードで俺の懐にまで踏み込んできた。踏み込んできた速度そのままに俺に接触した。

 

「きゃっ……」

 

「ぐぉぅぶっ?!」

 

躊躇(ちゅうちょ)のなさは驚嘆に値するほどだ。俺にできたことといえば、被害が及ばないよう笠上さんを離れさせるくらいだった。

 

「……口説かせるために呼んだんじゃ、ない……っ」

 

動きやすいようにか、ボリュームのある髪を後頭部で束ねた太刀峰である。その小さな頭が俺の腹に突き刺さっていた。なのはの突進もかくやというほどの威力である。

 

白のユニフォームに着替えて戻ってきた太刀峰は一歩下がって俺を仰ぎ見る。たれ目はつり上がり、口元もへの字になっていて、太刀峰にしては珍しいほどに無表情が崩れていた。

 

腹部の衝撃に耐えながら、俺は太刀峰の発言を否定する。

 

「くふっ……く、口説いてねえよ……」

 

「うそ。果穂の顔……恋する乙女に、なってた……」

 

「な、なっ、何をおっしゃるんですか太刀峰さんっ!」

 

「笠上さんの世間体のためにもそれ以上はやめてあげてくれ」

 

「庇う……やっぱり」

 

「だから違うって……っ!」

 

俺は慌てて顔を背ける。

 

笠上さんとも身長差はあるが、笠上さんよりも十センチ以上背の低い太刀峰だと俺との身長差はかなりのものになる。太刀峰の目を見て喋ろうとすれば、自然、見下ろす形になる。

 

普段の服装では感じたことはなかったが、今の太刀峰はユニフォーム姿だ。首元、及び胸元の警備が平常より甘かった。どこがと明言は控えるが、身体のとある部位が笠上さんより控えめなこともあり、どう表せばいいかわからないが、より深く(・・・・)見えてしまった。

 

「……?…………っ?!」

 

急に視線を外した俺のリアクションで、太刀峰も俺が何を見たか気づいた。気づいてしまった。

 

バッシュで床を鳴らしながら機敏な動きで跳びのき、胸元を両手で押さえる。

 

「こ……の……っ」

 

太刀峰は、これまで俺が見たことない表情をしていた。瞳を潤ませて、唇を固く結んで、羞恥(しゅうち)に頬を染めていた。

 

「こんな……こんな、貧相なの見て……なにがうれしいのっ」

 

本心を言えば、嘘偽りない本音を言えば、語弊があるかもしれないがそれを承知で言えば、めちゃくちゃときめいた。

 

本人が自虐的に口にしている貧相なそれを意図せず見てしまったことは、いっそこの際関係ない。

 

いつも無表情で何を考えているのか判然としない太刀峰が。いつも手に余る冗談で困らせてくるあの太刀峰が。恥じらって赤面しているというギャップに、形容しがたいほどにときめいた。

 

「ご、ごめん……ほんと、なんか……」

 

太刀峰から目線を外し、自分でもどんな形になっているかわからない口元を隠す。

 

顔を背けていても、太刀峰の姿を見ないようにしていても、頭が先程の光景を鮮明に瞼の裏に映写する。これは消し去ろうとしても、しばらくの間は焼き付いて離れてくれそうにない。

 

「……逢坂、顔……真っ赤」

 

「……うるせえ。お前も似たり寄ったりだろうが」

 

太刀峰の言う通り、きっと俺の顔も赤いのだろう。汗をかきそうなくらい顔が熱いのだ。自覚はある。

 

「……こんなの、でも……逢坂は、いいんだ……」

 

ぱたぱたと手で扇いでいると、太刀峰の口がかすかに動いた。俺も平静とはかけ離れた精神状態だったし、もとから声を張るタイプでもない太刀峰の呟きは俺の耳に届かなかった。

 

「本当にすまん。誓って言うが、わざとじゃないんだ」

 

「……もう、いい。わかってる。わたしも……冷静じゃ、なかった。……ごめんなさい」

 

「な、なんで太刀峰が謝るんだよ。謝らなきゃならないのは俺……」

 

「そうよ、薫ちゃん。謝るべきは徹よ」

 

心臓を槍で貫かれたかと思った。心胆寒からしめるほど、冷たい言い様だった。

 

「身長差を利用して女の子の胸元をのぞき込むなんていう不届き者に、謝る必要はないわ」

 

「し、忍っ……おま、見てたのかよ……」

 

「あ、逢坂くん…………」

 

「ち、ちがうんだ、鷹島さん……。あの、本当に偶然で……」

 

「逢坂も年頃の男の子だからね。婦女子の胸に目がいくのは自然の道理だよ」

 

「長谷部……」

 

「ただ残念ながら僕と逢坂では十何センチも差がないから、僕の胸元をのぞくことはできないね」

 

「フォローしてくれてんのかと一瞬期待した俺が馬鹿だった……」

 

太刀峰の数メートル後ろに、忍と鷹島さん、長谷部がいた。太刀峰がユニフォームに着替えて出てきてたんだから、それも当然だろう。太刀峰にばっかり意識が傾いていて気がつかなかった俺が悪い。

 

忍は氷でできた日本刀の如く、底冷えするほど鋭利なオーラを放ちながら仁王立ちしている。その隣の鷹島さんは、まるで飼い主に見捨てられた仔犬のような瞳で俺を見つめていた。唯一、長谷部だけはいつも通り爽やかな笑みを浮かべながら立っていた。

 

試合が始まる前に、怒れる忍の手により試合ができない身体にされそうだ。

 

 




展開に迷いましたが、これ以上暗い話をやると僕の心がもちそうになかったので明るめにシフトしました。

前半は失恋の痛みを必死に忘れようとしている男の話。

後半はようやく訪れた平穏な日常を楽しむの図です。

本筋に入るとなかなかほのぼのとした話ができないので、今のうちにいっぱい遊んでおきます。

2017年4月28日8:58
誤字修正。

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