そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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泣いてしまいそうになるほど、痛かった。

 

 

「逢坂徹君。どうか理解していただけませんかねぇ?」

 

「…………っ」

 

そこは会議室のような空間だった。広めの室内には半円状のテーブルが置かれており、そのテーブルのちょうど真ん中に男が座っていた。

 

扉の両側には警備員なのか、二人の局員が杖を手にしながら立っている。

 

警備員もどきを配置しているところに、一切信頼していないと言外に意思表示されているようで、まず入室した時点から怪訝に感じていた。今となっては一周まわってどうでもいいことだが。

 

「これもすべて、市民の安全を守り、安心を提供するためなのです。いやぁ、私も心苦しく思うのですけれど、しかしこれが私たちの仕事でしてねぇ」

 

「……ええ、市民が安心して暮らせるように尽くすのが……っ、管理局の役目、ですからね……」

 

テーブルの真ん中に座る男はアロンツォ・ブガッティと名乗った。細長くつり上がった目。オールバック風に後ろへ撫でつけた髪型に、優しさなど一欠片も見て取れないにやにやとした笑顔もどきの顔。

 

階級がそこそこ上なのか一般局員とは少し違った管理局の制服を着ているが、普通の局員と違った印象を受けたのは服装からではない。この男から滲み出る気味の悪い雰囲気からだ。喋り方や振る舞いの端々から隠そうとしても滲み出る、強烈なまでの違和感。雰囲気が普通の職員とは明らかに違っていた。

 

初めて顔を合わせた瞬間から居心地の悪さを覚えていた。言葉を交わして確信した。この男とは馬が合わないと。仮面のような面と芝居じみた弁舌は、こちらを挑発してきているのではと勘繰ってしまうほどだ。

 

背中に毛虫が這い回っているような嫌悪感に耐えて前口上を聞き終わると、本題に入った。

 

挨拶の段階で気分が悪かったが、本旨は反吐が出そうだった。

 

「いやはや、なんとも聡明な青年ですねぇ。そう言って下さるのはありがたい限りです。ならば、君が保有する二つのロストロギアを管理局に委譲してもらえますよねぇ?」

 

三十代半ばほどに見えるこの男は、エリーとあかねを渡すようにと(のたま)った。これは決定事項であると、通告してきた。

 

「………………」

 

こうなることは予想して然るべきだったのに。

 

いかに俺が持つロストロギア、エリーとあかねの安全性を叫ぼうと、暴走なんてしないと断言しようと、管理局の上の人間には信じてはもらえない。ロストロギアを運用できるというメリットを声高に訴えても、上層部はメリット以上に暴走するかもしれないというデメリットを避けるだろうと、予想して然るべきだった。

 

「いやはや、会議でも『考慮するに相当する程度のメリットはある』という意見も出たのですがねぇ、査問委員会の大意としては『万が一が起こった際のデメリットは余りにも大きく、そのリスクは決して看過はできない』と纏まってしまったのです……」

 

歯噛みする俺に、アロンツォ・ブガッティは眉を曇らせて、まるで申し訳なさそうに言う。

 

しかし。表情、仕草、声のトーン。そのどれもに嘘臭さがちらついた。演技が見え透いていた。

 

立て板に水を流すように、台本でもあるんじゃないかと疑ってしまいたくなるほどに滑らかにして淀みなくブガッティが喋り、そして終える。

 

俺の隣から舌打ちが聞こえた。

 

クロノが苦々しげに顔を歪めていた。

 

クロノもいろいろと手を回してくれていたことは知っていた。報告書も出来うる限り、エリーやあかねの印象をよくするようにしてくれたそうだ。

 

しかし、目の前の男のほうが、アロンツォ・ブガッティのほうが上手(うわて)だった。

 

「くそっ…………」

 

後手にまわったどころじゃない。策すら準備していない状態で、完全に理論武装した相手とやりあえるわけはない。既に堀は埋められている。

 

そもそも、俺以外にエリーやあかねと意思疎通できる人間がいないのだ。

 

コミュニケーションを取れると。意思疎通できるんだから暴走なんてしないと。俺がどれだけ必死に熱弁したところで、相手が理解することも納得することもないだろう。和合(アンサンブル)をして見せたところで外見上は融合(ユニゾン)と大差はないし、見た目の変化で乗っ取られていると判断されてもおかしくない。さらに分が悪くなる。

 

切り返すだけの刀がない。撃ち返すだけの弾がない。言い返すだけの言葉が、ない。

 

だからといって諦めてしまえば、エリーとあかねは再び暗く冷たい檻の中だ。

 

考えても考えても、現状を打破できるような答えは出ない。取っ掛かりのない現時点では思考が空転するばかりだ。

 

この際、目の前のコイツを脅して決議を(ひるがえ)させるか。

 

追い詰められた結果、暴挙に行き着きかけた俺を諌めるように、胸元と手首にぱちり、と静電気に似た刺激が走る。

 

言うまでもなく、話題の中心人物であるエリーとあかねだった。

 

「……この一件は『海』の管轄です。失礼ですが、『陸』の所属であるブガッティ一等陸尉に権限は……」

 

エリーとあかねの行動に判然としない俺をよそに、クロノはブガッティに反論する。

 

気づけばクロノは俺の上着を掴んでいた。

 

エリーも、あかねも、クロノも、俺が血迷った行動に打って出ようとしたことを察していたのだろう。

 

「…………ふぅ」

 

三人に言葉なく窘められ、俺は頭を冷やす。冷静に考えを詰め、どこかに糸口がないか探す。

 

こちらの都合も考慮せずに命令を突きつけてくるブガッティには、憤りはある。それでも努めて冷静に、ブガッティの一挙手一投足に注視し、ひとつひとつの言葉に意識を向ける。

 

すべてを覆すような大きな手がかりでなくてもいい。少しでもこちらを有利にするだけの言質(げんち)がほしい。

 

「事件自体はそうでしょうねぇ。ですがご存知の通り、ロストロギアの扱いに関しては古代遺物管理部の管轄です。私は管理部の課長も務めておりますし、本件に関しては私に一任されましたので口出しする権利はありますよぉ?」

 

「……徹は……逢坂徹は、少なくとも今所持しているロストロギア二つとはコミュニケーションが取れており、かなり親密な友好関係を築いています。ロストロギアが暴走する恐れは限りなく低いと思われますが?」

 

「そういった内容の報告もありましたねぇ。ロストロギアとコミュニケーションを取る……それが事実ならば学術的にも素晴らしいことですが……しかし、それを証明する事は難しいですよねぇ?なにより、管理局の上の方々も市民の皆さんも納得できないでしょう。みな、目に見えるリスクを排除したいと、排除するべきだと考えますから。しかもそれが……言い方は悪くなってしまいますが、肩書きも実績もない年若い少年となれば、尚更でしょうねぇ。なにしろ、扱っている物が物ですから」

 

「……実績というのであれば不足はないのではありませんか?厳しく難しい事件の解決に、尽力してくれた一人なのですから」

 

一秒にも満たない短い時間、ブガッティの目つきが鋭くなった。すぐに元に戻ったが、反応はあった。

 

ブガッティにとって(くちばし)を突っ込まれたくはない点なのかもしれない。

 

幾つか電子音が鳴る。ブガッティがなにやら携帯端末を操作していた。

 

「……報告書に目を通した限りではそうですが、少々疑問が残るんですよねぇ。逢坂少年の適性を見た限り、活躍するのはとてもじゃないですができそうにありませんから。他の資料と合わせて確認すると、尽力したのは彼の知人である少女と、敵対していた勢力から寝返った少女のように思えますがねぇ。報告書を作った担当者が捏造……いえ失礼、何か思い違いでもしていたのではないですか?」

 

おそらく俺の能力数値が電子端末から出力されているのだろう。以前にアースラで魔法適性から魔力から、なにからなにまで調べた覚えがある(そしてへこんだ覚えもある)。

 

その時に測定した俺のスペックデータをブガッティは閲覧しているようだ。

 

悔しい気持ちはもちろんあるが、反論する言葉は出ない。

 

プレシアさんの一件に絡んだ一角(ひとかど)の人物たちと比較した時、俺の能力が全体的に著しく見劣りするのは俺自身が重々身に染みている。報告書にどのように記述されているかはわからないが、あの一件の中、俺程度のスペックで活躍できるなんて普通は考えられない。誰でも(いぶか)しむ。

 

その弁論は腹立たしいが、最低限の筋が通っていた。

 

「……この奸物(かんぶつ)め、何を根拠にそのような出鱈目(でたらめ)をっ……」

 

隣にいたからなんとか聞こえたが、およそクロノの口から発されたとは思えない言葉が小さく聞こえた。ブガッティの言い様には、クロノも相当頭にきているようだ。

 

「……ならば、肩書きです。本日、試験があったのはご存知でしょう」

 

「ええ、当然です。嘱託魔導師認定試験ですね。常に人員不足ですからねぇ……『陸』は」

 

「『海』も、です。逢坂徹はその試験を受験しました。まず間違いなく、合格しているでしょう。嘱託とはいえ、魔導師です」

 

「それで肩書きとしては充分だろう、と?軽犯罪の赦免や贖罪であればそれでも良いでしょうが、今回の話はロストロギアですよぉ?」

 

「……それでは、足りないと?」

 

まるで煽るようにブガッティが言うが、クロノはどこまでも同じスタンスで構える。

 

ブガッティは笑顔、というよりは嘲笑のように表情を変化させた。侮るあまりに演技ができていない。侮蔑の姿勢がありありと見て取れた。

 

「他の嘱託魔導師の方々には失礼になるでしょうが、いくらなんでも格が足りないでしょう。嘱託魔導師でも評価に値する実績を残している方はいます。しかし、それは一握り……ほんのひとつまみほどです。ロストロギアを管理するだけの魔力も、非常事態に対処するだけの経験もない。極めて幅広くかつ深い知識と、優れた戦闘技術を認められた執務官等であればまだしも……ロストロギアを任せても良いだろうと判断するだけの信頼と責任が、その身分にはありませんねぇ」

 

役職的にクロノとブガッティのどちらが上なのかは俺にはわからないが、ブガッティの態度は明らかにクロノを見下したそれだった。明らかに格下だと軽んじていた。

 

だから、なのだろう。

 

クロノ・ハラオウンを侮ったが故に、ブガッティは決定的なミスをした。迂闊で、不注意で、致命的な失言をした。

 

 

 

「なるほど、執務官であれば妥当である、と……そういうことなのですね」

 

 

 

下手(したて)に出て、腰を低くしていたのは、隙を見出した時に喉元に食らいつく為の準備動作だった。機会を待っていたクロノの反撃だった。

 

何を言い出すのだ、と言わんばかりのブガッティの顔。頬が、かすかに引き攣っていた。

 

「は、はは。……クロノ執務官(・・・)、それは貴方がロストロギアを管理する、という表明でしょうか?いかに貴方といえど、個人でロストロギアを安全に管理するのは難しいと言わざるを得ないのでは?」

 

「はい。その為の能力、特殊な技術を僕は持ち合わせていません。ですが彼には、この逢坂徹にはその技術がある」

 

特殊な技術なんて大層なものではないが、旗色を(かんが)みてここは口を(つぐ)んでおく。

 

ブガッティが口を出す前に、クロノは立て続けに捲し立てる。

 

「プレシア・テスタロッサの一件では、目まぐるしく変化する戦況に適応し、その上、戸惑う仲間に指示を出せるほどの危機対応能力を発揮しました。実戦経験についてなら度重なる戦闘を経ています。すでに並の魔導師を凌ぐものでしょう。仲間を統率して目的を明確にし、全員で事にあたった。彼の粉骨砕身の尽力により、死亡者、行方不明者ゼロという、規模を考えればこれ以上ないほどの結果で事件に幕を下ろした。ここにこれからの活躍を足せば、充分実績足り得るでしょう」

 

「……しかし、今の彼は嘱託魔導師になったばかり、いや、『なるだろう』という段階でしょう。これからどれだけの歳月がかかるかわかりませんねぇ。まさか、彼が執務官になるまで待っていろ、などとは言いませんよねぇ?」

 

「次の執務官試験はたしか三ヶ月後、でしたか」

 

「…………まさか」

 

「三ヶ月後。その試験で合格しなければ、全面的に古代遺物管理部にロストロギアの管理をお願いしましょう」

 

ここで初めて、ブガッティの能面のような笑みが崩れた。眉間に皺を寄せ、忌々しげにクロノを()めつける。

 

「その三ヶ月をこちらが律儀に待つ道義はありませんが?……それに、私たちは『海』のように決定事項を容易に翻すような優柔不断ではないものですから」

 

「彼の持つロストロギアは二つとも、とても大きな魔力を有しています。そのうち一つは他のロストロギアをも凌駕する極めて膨大な魔力を秘めた代物です。封印し、管理するにしても、確乎不抜(かっこふばつ)を隠れ蓑にしたお役所仕事では申請を通すのに時間がかかるでしょう。三ヶ月くらいは余裕では?」

 

なんかぎすぎすしてる。本題と違う場所で火花が散ってる。

 

管理局は『陸』と『海』で管轄が分けられていて、人材や予算の割り振り、あとは一般市民からの極端な人気の差なんかで仲が悪いと聞いてはいたが、よもやこれほどとは。

 

「そ、そもそも!ロストロギアを安全に管理できるという彼の証言には信憑性がないでしょう!」

 

とうとうブガッティは声を荒らげた。時間がかかるのは事実なのか、そこには論を重ねずに黙認してしまった。

 

言葉尻を(あげつら)うようなクロノの言に苛立ったのだろうが、ブガッティも同じようなやり方でこちらを丸め込んできたのだ。同情する道理はない。

 

たしかにブガッティの言う通り、今の俺の言葉には信頼や信用なんてものはない。信じてもらえるだけの立場にいないからだ。そこは正しい。

 

だが、ブガッティは間違えた。切り返すタイミングを誤った。

 

まず何より、三ヶ月という時間から追及すべきだった。無言の肯定は、避けなければならない悪手だった。

 

「申請に時間がかかる事は認めるのですね。そちらは封印処理や委譲・受領・管理の申請を進めて構いません。その間に、逢坂徹は執務官の資格を得ます。合格できなければ進めていた手続き通りにそちらへ。合格していれば、そこでもう一度はっきりと、ロストロギアを安全に管理できると公的な場で宣言させましょう。その際、安全確保のため万が一に備えて魔力を制限する措置も取りましょう。執務官という肩書きならば、信用してもらえるのですよね?ついでに執務官である僕と、巡航L級八番艦次元空間航行艦船艦長のリンディ・ハラオウンが、逢坂徹の宣言を保証しましょう。これで責任の所在も明らかにできます」

 

これなら全ての問題が解決しますね。

 

そうクロノは言い放った。自分すらも賭け皿にのせて、毅然とした態度のまま締め括った。

 

クロノの頼もしさ、安心感には心が震えた。なんでそこまで俺を信じてくれるのだろうかと泣きそうになった。

 

だが勝手にリンディさんも巻き込んでしまっていいだろうか、と不安にもなる。

 

目線を向けると、クロノは俺の視線に気づいた。俺が尋ねようとしていることを察したのか、ほんの少しだけ唇の端を上げて、ウィンクで返答した。

 

なに格好つけてんだ馬鹿野郎格好良過ぎなんだよ馬鹿野郎。

 

緩みそうになる頬をなんとか引き締めて、ブガッティへと目線を戻す。彼は頭を垂れ、テーブルの一点を見つめながら拳を固く握りしめていた。

 

なんとか、なったのか。

 

これ以上突っ込んでこないという事は、クロノの出した条件を認めた、という事でいいのだろう。

 

首の皮一枚繋がった。

 

クロノがブガッティからもぎ取った条件は恐ろしくハードルが高いのだが、それでも、救いが全くなかった最初に比べれば天と地ほどの差がある。これからは学業の合間合間で管理局の仕事をこなすことになりそうなので大変ではあるが、これでエリーとあかねを傍に置いておけるのであれば苦ではない。むしろ喜々としてやってやる。

 

クロノたちと同じ道に進みたいとも考えていたし、フェイトやプレシアさんたちの力にもなりたいと思っていた。当初の人生設計ではもう少し時間にゆとりを持って取り組んでいくつもりだったが、いい機会だ。手が届く範囲にあるものはすべて、掴んでやる。

 

「……っ、こ……までは、計画……いが……る」

 

俺が気概に燃え、決意を固めていた時、掠れた声が正面から聞こえた。

 

最初は呪詛でも唱えているのかと思った。地を這うような低い声の主は、ブガッティだった。ぶつぶつぶつぶつと、生気をなくした濁った目で独りごちていた。

 

「三ヶ月……。予……早め……なんとかでき……。あとは……二つ……の手に」

 

表情はすべて抜け落ちたように固まったまま変わらず、ただ唇が何言かを紡いでいる。見るからに常軌を逸していた。

 

なにを言っているんですか、と問い質そうとした矢先、ブガッティが顔を上げた。

 

飢えた獣のようにぎらぎらと血走って、しかし木のうろのように洞洞と底暗い瞳を、俺たちに向ける。

 

コンクリートじみた無表情が、ゆっくりと笑みに似た形に作られた。湖に張られた氷が割れていく様を彷彿とさせる、唇の動きだった。

 

「……いいでしょう。三ヶ月後、逢坂徹君にロストロギアを任せられると周囲にそう信用されるだけの肩書きを得ることが出来れば、逢坂徹君にロストロギアを(ゆだ)ねましょう。古代遺物管理部としても、強力な封印処理や厳重な管理に不必要なコストは掛けたくありませんから」

 

先程の異様を見るにどんな暴論を持ち出してくるか肝を冷やしたが、口に上したことといえばクロノの案の全面肯定だった。

 

「…………ふぅ。そう、ですか。……了承してもらえてよかったです」

 

長く、息をはいた。

 

気づかなかった。呼吸を忘れていた。それほどに緊張していた。

 

その緊張はブガッティが条件を認めるか否かになのか、それともブガッティの禍々しい雰囲気になのかはわからない。

 

「……では、僕たちは失礼します。また三ヶ月後に」

 

これ以上ブガッティと会議室にいたくなかったのはクロノも同様だった。眉間にしわを寄せながら、申し訳程度に会釈して踵を返す。

 

「……それじゃあ、俺も失礼します」

 

クロノに(なら)い、後に続こうと扉の方向へ一歩踏み出す。

 

「逢坂徹君。忘れていますよ」

 

退室しようとした俺を、ブガッティは呼び止めた。

 

ブガッティに向き直る。俺が『なにを?』と訊き返す前に、ブガッティは手を出して、言った。

 

 

 

「ロストロギア。二つ。忘れていますよ」

 

 

 

「……は?」

 

言葉は問題なく耳に入った。なのに、いや、だからこそなのか、こいつが何を言っているのか即座に理解できなかった。

 

唖然呆然と立ち(すく)む俺に代わり、クロノがブガッティの要求に反論した。

 

「アロンツォ・ブガッティ一等陸尉。その話は三ヶ月後の執務官試験の合否によって、逢坂徹に委ねるか、古代遺物管理部で管理するか、既に決まったはずですが」

 

字面でこそ落ち着いたものだが、その語調には明確に嫌悪と苛立ちが滲んでいた。

 

「ええ。そう決まりましたね。ですがそれは、逢坂徹君が執務官の資格を得て、資格に値するほどの技術と知識があると証明でき、所持しているロストロギアの安全宣言をした後、その宣言を上の人間に認められたらです。今現在はそうではありません。嘱託魔導師認定試験を受けたばかりという段階の彼に、ロストロギアを持たせたままでは危険でしょう?」

 

「っ!」

 

俺とクロノ、どちらともなく息を呑む。

 

詰めが甘かった。

 

エリーとあかねを傍に置いておくことを念頭に考えすぎた。どうすれば一緒に居られるか、その条件を満たすことばかりを重視しすぎていた。先のことばかりに目を向けすぎて、足元が見えていなかった。

 

クロノが、ブガッティ本人から言葉巧みに掴み取った条件。

 

三ヶ月後。執務官の試験に合格すればエリーとあかねを信任してもらえるようになるかもしれない。

 

しかしそれは、条件を満たせば二人を近くに置いておけると証明すると同時に、条件を満たしていなければ二人を預かる資格がないということもまた証明してしまっている。

 

「さぁ。ロストロギアをこちらへ」

 

条件を満たしていない今、ブガッティの命令を拒否することはできない。ブガッティの論を否定すれば、それはつまり、クロノがもぎ取った逆転の条件をも否定することになる。

 

打つ手はない。逃げ場もまた、ない。

 

「逢坂君が自分から渡してくれないとなれば、少し乱暴な手段になってしまいますがねぇ」

 

会議室の空気が張り詰めた。

 

背後で足音が聞こえる。会議室の扉の両側で黙って佇立していた局員のものだろう。

 

一歩一歩近づく足音は、チェックをかけられた俺へのカウントダウンにも思えた。

 

「そのような扱いを、この僕が許すとでも?」

 

風切り音とともに、ソプラノボイスが響いた。

 

威圧的な声と雰囲気を隣から感じる。隣に立つクロノが杖を取り出し構えていた。

 

まだ年若いとはいえクロノの実力は『陸』の局員にも知られているのか、背後から近づいていた警備員もどきの局員二人は立ち止まっていた。その二人から、(にわ)かに警戒心がぶつけられる。

 

会議室内が、一触即発の剣呑な緊張感に包まれた。

 

「…………っ」

 

これ以上は、だめだ。

 

この場に限れば、クロノの邪魔をできる魔導師はいない。警備員もどきの局員二人もそこそこは戦えるのかもしれないが、クロノの障害となる程の戦闘能力は持ち合わせていないだろう。目の前のブガッティからはそもそも魔力を感じられない。

 

クロノの戦闘能力は管理局内においても別格なのだ。この場の制圧なら、クロノであればわけはない。

 

だが、ここで暴れてしまうと管理局内でのクロノの立場が危うくなる。『陸』と『海』の仲は険悪なこともあるし、クロノがなにか弱みを見せれば、しかも『陸』の管轄内で不祥事を起こせば、『陸』の人間は必ず糾弾してくる。目の前のこの男(ブガッティ)は、率先して指弾するだろう。

 

なのに。

 

非難され、責任を追及されることがわかっているはずなのに、クロノはこうして俺の盾となろうとしてくれている。自分に降りかかる面倒ごとの一切を顧みず、こうして俺を庇おうとしてくれている。

 

その気遣いに、その優しさに、これ以上甘えることはできない。

 

でも、エリーとあかねをブガッティの手に渡したくはない。暗くて冷たい檻の中に戻したくはない。

 

まともな手立てなんてない。

 

思考が収束していく。視野が狭窄していく。

 

答えに導かれる。おそらくは、まともじゃない答えに。

 

「んっ……な、なん……だ」

 

懊悩(おうのう)する俺に、ちくりとした刺激があった。

 

会議室内の風景が遠ざかっていくような感覚。

 

頭の中に声が響いた。

 

『ここが限界でしょう、主様。圧倒的に劣勢だった状態から、相手を譲歩させたのです。これ以上を欲すれば分が悪くなります』

 

『青いのの言う通りだぜ。一つたしかなのは、ここで暴れたってなんの解決にもなんねぇってこった』

 

エリーと、あかねの声。二人が均衡を取りながら俺を魔力的に引っ張ることで、強制的に整合(セッション)状態に持ち込んだのだ。

 

『ここが限界って……だけど、このままだとお前らがっ!』

 

『食い下がったとて、あの下賤の者からは何も望めません。主様と少年執務官の立場が危うくなるだけです。意に沿わないとしても、ここは退くのが賢明かと。…………(しか)るに、私たちを渡したくないが為に、この場を暴力で解決しようなどと愚かな行動に打って出ようとするならば、その際は(はばか)りながら不肖この私、全力で主様を止めさせて頂くことを前もって宣言いたしますのでご了承ください』

 

『べつに今生(こんじょう)の別れとかじゃねぇんだ。徹が活躍して実績作って、三ヶ月後にシツムカン?とやらになっちまえばそれでまるく収まるんだろぉが。たった三ヶ月じゃねぇか。俺や青いのがこれまで生きてきた時間からすりゃ、寝て起きるみてぇなもんだっての。……ちなみに、俺も徹が馬鹿なことしでかそうとしたら止めっからそんつもりでよろしく』

 

『な、なんでっ……その条件だってクリアできるかわからないってのに……っ。仮にクリアできたとしても、もしかしたらその三ヶ月のうちに実験とか研究とかされるかもしれないんだぞ!』

 

『だからといって、ここで拳を振るったとしても状勢が好転する訳ではありません。我が主様。既に申し上げております通り、「主様に不利益が発生するかもしれないという可能性が僅かにも存在するのであれば」、私はそれを否定したいのです。出来得る限り、主様には辛く苦しい思いをして欲しくはないのです。この場で騒動を起こせば、主様の立場が危うくなってしまいます。どうかご理解ください』

 

『そういうこった。「徹に迷惑かけるようなことなんてしねぇ」。俺も言ったろぉが。だだこねても徹に迷惑かかるだけなんだ、んなことできねぇよ。……そりゃ俺だっていじくり回されんのはいやだけどよぉ、それ以上に徹の荷物になりたかねぇんだ。……察せよ、そんくらい』

 

『ぅ……っ』

 

言葉が出なかった。

 

こいつらは俺のことを本当の意味で考えてくれていたのに、俺は自分のことしか考えていなかった。

 

エリーが傍にいる日常が当たり前すぎて、あかねが傍にいる環境が楽しすぎて、二人を一時でも失うことを恐れていた。二人の気持ちも考えずに、無理を押してでも、無茶を冒してでも、無謀を通してでも、自分の信念を貫こうとしていた。

 

無思慮に無計画に動いた結果、二人が悲しむことになるかもしれないと、そこまで考えが及ばなかった。

 

『……なあ、エリー……あかね』

 

希望の光も何もない状態から、クロノが頑張ってブガッティから引き出した条件だ。台無しにはしないし、できない。

 

そしてエリーとあかね(こいつら)は、三ヶ月後、俺が必ず条件を満たして戻ってくると信じている。心の底から、信じてくれている。

 

なら、俺はーー

 

『ちょっとだけ、待っててくれるか……?』

 

ーーその信頼に、応えなくちゃいけない。

 

『絶対にお前たちを迎えに行く。少しの間だけ、待っててくれるか?』

 

懸命に言葉を絞り出す俺に、エリーは『ふふっ』と上品に、あかねは『かははっ』と荒っぽく笑う。

 

『ええ、主様が立派になって迎えに来てくださるのをお待ちいたします』

 

『ぜってー迎えにこいよな!それまでは大人しくして待っててやらぁ!』

 

『ああ……っ、見違えるくらいに立派になって迎えに行ってやる。あかねもなるべくおしとやかにな』

 

『主様の元に帰ってきた暁には、念入りに丹念で肌理細(きめこま)かなお手入れをお願い致しますっ!』

 

『今育ててる花を枯らしやがったら承知しねぇからな!俺に代わってちゃんと世話しといてくれよ!』

 

『……ああ、全部まとめて任せとけ。……じゃあな……ちょっとの間、お別れだ』

 

どうか無理だけはなさらずご自愛ください。

 

せいぜい這いつくばってあがいてくれ。

 

と、最後に二人の気持ちが溢れんばかりに込められた激励の言葉を頂いた。

 

その言葉を境に、近くに感じていた二人の魔力がどんどん遠ざかっていく。

 

気がつけば、意識はふたたび会議室に戻っていた。整合(セッション)が解除されても、右手首と胸元には彼女たちの温もりが(ほの)かに残っていた。

 

「…………はぁっ」

 

これから二人と再会するまで、最短でも三ヶ月もある。その三ヶ月の間、彼女たちの温もりと贈ってくれた言葉を忘れないように、ぎゅっと瞑目(めいもく)して心に刻みつける。

 

数秒ほど固く目をつぶり、そして開く。まぶたを開いた頃にはもう、覚悟は決まっていた。

 

「クロノ、あいつらとの挨拶はもう済んだ。ありがとう」

 

「…………僕の手抜かりだった。……すまない」

 

俺が感謝の意を述べると、クロノは俺がどういう答えを出したのかすぐに理解したようだ。杖を下ろし、項垂(うなだ)れた。

 

大活躍どころではないほど活躍してくれたのに申し訳なさそうにするクロノの頭に、ぽんと手を置く。

 

「いや、クロノのおかげで希望の糸が繋がったんだ。本当に、ありがとうな」

 

プライドが高く、子ども扱いを嫌うクロノだが、今回は俺の手を払いのけようとはしなかった。

 

感謝していることが伝わったのか、クロノは下唇を噛み締めてはいるが顔を上げてくれた。これだけ俺を助けてくれているのに、自分の力が足りなかったことを悔やんでいるようだ。

 

俺の先輩は優しいなあ、泣けてくるよ本当に。

 

「自分の手で渡す。あんたたちの杖は必要ない」

 

クロノが杖を下げたことで警備員もどきの局員二人が停止させていた足を性懲りもなくこちらに向けようとしてきていたので、敵意やら害意やら殺意やらいろいろ乗せた眼光をそちらに放っておいた。局員お二人は俺のお願いを聞いてくれたようでなによりだ。

 

無力感と敗北感を一歩一歩踏みしめて噛みしめながら、ブガッティに近づき、正面に立つ。

 

「…………エリー、あかね」

 

名を呼ぶ。しばしの間かたかたと惜別の情に揺れた。かちり、とネックレスとブレスレットの台座から外れる音が鳴った。

 

服の首元と袖口から、空色と夕焼け色の綺麗な石が浮かびながら現れる。二人は直進し、手のひらを上に向けたままのブガッティの手にゆるやかに移動し、降り立った。

 

「はい。たしかに受取りました」

 

ブガッティは前もって用意していたのか、テーブルの下からアタッシュケースのような箱を取り出し、その中にエリーとあかねを入れた。

 

ケースを閉める間際、見えてしまった。怯えるように、悲しむように、不安げに揺れる二つの光を。

 

咄嗟に拳を握り締めた。振りかぶってしまいそうになった腕を、必死の思いで食い止めた。

 

「……扱いには充分にご注意を。あなたの身の安全が保証できませんから」

 

「粗雑な扱い方をすればこのロストロギアが暴走する、と?」

 

「いいえ。その二人に傷でもつけようものなら、俺があなたをただでは置かないって意味です」

 

「はぁ、そうですかぁ。細心の注意をしておきますねぇ。では用件は済みましたのでお帰り下さって結構ですよ」

 

俺の捨て台詞など歯牙にもかけず、ブガッティはどん、と音を立ててアタッシュケースを床に置き、扉に視線を向けながら俺とクロノに退室を促した。

 

そこからはクロノに連れられてアースラまで戻ったが、どうにも記憶が曖昧だ。ブガッティに殴りかからなかったことは覚えているが、失礼します、と体裁を取り繕ったかどうかすら記憶にない。

 

アースラに帰艦して落ち着いた時、痛みを感じた。ふと見れば、右手を強く握り締めすぎて出血していた。

 

でも、右手の肉が裂けていたことよりも、シンプルなデザインのネックレスとブレスレットが軽くなってしまったことのほうが、泣いてしまいそうになるほど、痛かった。

 




停滞は衰退に等しい、らしいです。

平和な日常は、危険な非日常があってこそ。いつまでものほほんとしてはいられませんよね。

一般人に近い若者にロストロギアを二つも持たせるほど、時空管理局は寛容ではないだろうし、危機感も希薄ではないと考えております。逆に持たせ続けている方が違和感があるなー、と。どうせ管理局からの干渉を避けられないのなら、と割り切っていろいろぶち込んでいくことにしました。よろしくお願いいたします。

お迎えしたい子がいるのです……

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