そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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『フーリガン』

 

 

 

報告の議では、まだよかった。

 

敵勢力についての報告を行なっていたのが主に俺とランちゃんだけで、他の部隊長もしくは部隊長代理の方々は被害状況以外では二言三言くらい口を開いていただけだったが、まだ、よかった。

 

敵魔導師の人数の概算、平均的な力量、多用する魔法、使用された戦術、連携行動。そのほかにも、地の利は向こうにあること、敵のトップは残虐かつ聡明であること。

 

それらを伝えた上で、今後取るべき行動について、議題が移った。

 

そこからが、誤解を恐れず有り体に言ってしまえば『クソ』だった。

 

「総員で仕掛ければいい。この付近に生存者がいないことは確認できたのだ。ならば一気呵成に粉砕すればいい」

 

何も、学んでなどいなかった。

 

頭が痛くなることに、これは一個人だけの意見ではない。それに同調する者も何人かいるのだ。

 

しかも、現在の隊を横に広げて敵部隊を探す、などという配置で進行させようと話を進めている。

 

そのように部隊を展開して行われた今日の捜索でどういう目にあったのか、もう忘れているのだろうか。

 

「無策で突き進めば今日の二の舞です。地の利は相手にあります。待ち伏せされ挟撃された今日のように、一度隠れられてしまえば詳細な地理情報を持たないこちらに察知する術はありません」

 

このままではまた無意味に血が流れることになると思い、そう意見具申したのだが、俺の進言は嘲笑とともに一蹴された。

 

「慎重であることと臆病であることは違うぞ、若いの」

 

年だけ重ねた無精髭の自称熟練魔導師曰く。同じ手は喰わない。待ち伏せの可能性を考慮しつつして進む。我々は優秀なのだから問題はない。

 

とのこと。

 

呆れや怒りを悠々と飛び越えて、逆に笑えてきてしまうほどだった。

 

同じ手は喰わないというが、その根拠も、次受けた場合の対処法も述べられることはなかった。考慮しつつ進むというが、その際の部隊の展開や進軍する速度にはなんの言及もされなかった。我々は優秀であるというが、その証明はどこにあるのか。その優秀な部隊が本日どのように敵部隊に良いようにされたのか憶えていないのか。

 

という各疑問点を、可能な限り丁寧にして並べて尋ねてみた。

 

「若造が口答えするな!我々の命令に従っていればいいのだ!」

 

「それほど怖いのならば新入り共を纏めて後方で固まっていろ!臆病者はいらん!」

 

との回答を頂いた。

 

いやはや、頼りになる先輩方だ。戦場ではさぞかし味方の血を大量に流してくれることだろう。もしかしたらこのやり取りは対ストレス訓練だったりするのかもしれない。

 

もう議論を重ねるだけ時間と労力の無駄になることは悟ってしまっているが、このままでは(なし崩し的に任されたとはいえ)俺を隊長代理として選んでくれた部隊の人たちに申し訳が立たない。

 

「この場に限定すれば彼も諸君も立場は同じである。軽率な発言は控えるように」

 

反論に打って出るため立ち上がろうとしたが、その前に他の隊長代理に対して注意するような発言が出た。

 

短絡的な判断をする人たちを窘めたのは誰あろう、俺とランちゃんを呼びにきていた隊員さんだった。会議の前に名乗っていたが、例の隊員さんはマルティス・ノルデンフェルトというらしい。

 

それ以上に驚くのは、なんとこの人、現時点の指揮官なのだ。

 

これも会議の前段階で説明があったのだが、司令部の襲撃により元々の指揮官が負傷し、とてもではないがタクトを振るうことができなくなった。それは指揮官以下の階級の方々も同様だった。

 

指揮権の継承を繰り返し、結果的に指揮官の下の下の下を務めていたマルティス・ノルデンフェルトさんが指揮官代理につく運びとなったらしい。ノルデンフェルトさんは司令部が強襲された際には野営の道具や食料などの確認で偶然席を外しており、上官たちのようにノックアウトさせられることはなかったそうだ。

 

俺に厳しいお言葉をくださった隊長代理さんが、指揮官代理のノルデンフェルトさんにじめっとした視線を向けながら口を開く。

 

「そうは言いますがね、指揮官代理。こうまで非協力的で腰が引けている若者を無理に前線に配すれば、かえって危険ではないですかね」

 

「最悪、部隊まるごと敵前逃亡……なんてこともありえますよ。代理で来た者がこうも弱気ならば、その下の者らも小心者ばかりでしょうしね」

 

若そうな(といっても俺よりは断然年上だろうが)部隊長代理が見下すような笑みを浮かべて同調した。

 

なるべく大人しくしておきたかったが、さすがに仲間をこうまで侮辱されて口を(つぐ)んではいられない。

 

口を開いて大きく息を吸う。

 

が、吸った息を言葉にする前に俺の口に手が当てられた。隣に座るランちゃんの手だ。

 

どういうつもりなのかとランちゃんを見やる。

 

彼は、とても穏やかに微笑していた。

 

俺の口元から手をどけると、ランちゃんは挙手をしてノルデンフェルトさんへと意見を述べても良いか尋ねる。許可を得ると、丁寧に礼を言い、にこりと笑んだ。

 

「私は上空で援護射撃を行っていましたので、地上の様子は『よぉく』見ておりました」

 

ランちゃんの凛として力強い美声が天幕全体に響く。声音には柔らかさがあるのに、自然と人を黙らせてしまうような圧力が含まれていた。

 

「ほぼ全ての部隊が敵の待ち伏せを受け、動揺している中……こちらの彼が一時的に指揮を取った部隊は人員を消耗させることなく、さらには味方部隊への援護まで行いました。敵魔導師の撃滅に成功すればすぐに他の援護に向かっていましたので姿を確認することはできなかったかもしれませんが……心当たりはありませんか?急に敵からの攻撃が止まったり、などなど」

 

そう問われて、多くの隊長代理が不機嫌そうな顔で目線を下げた。ランちゃんに言われた通り、心当たりはあったらしい。街の中を駆けずって助けて回った甲斐があった。

 

「他にも、複数の部隊が遭遇したでしょうけれど敵部隊が撤退行動に移った際、殿軍を務めた強力な魔導師も彼が相手をしました。彼が殿軍の相手をしなければ、負傷者の人数は今の二〜三割は増えていたことでしょう」

 

ランちゃんが言い切るか否かといったところで、ダンッ、とテーブルを叩く音がした。俺に辛辣な言葉を吐いていた無精髭の隊長代理だ。

 

「あの魔導師をだと?!出鱈目を言うな!誰も確認できないから、嘘を言っているのだろう!」

 

「いいえ、事実ですよ」

 

無精髭の隊長代理の発言を否定したのはランちゃんではない。他の部隊の隊長代理だ。その人は、首にゴーグルをさげていた。

 

「撤退し始めた敵部隊の追撃に出た私たちは()の魔導師の干渉によって返り討ちにあいました。二人が継戦困難となり、窮地に陥った私たちの代わりに彼が例の魔導師と交戦したのです。彼が受け持ってくれていなければ、私たちの部隊は治癒術師一人しか生き残らなかったでしょう」

 

ゴーグルの隊長代理さんの話を聞いて、思い出した。コルティノーヴィスさんと戦った場で生き残っていた二人の魔導師、そのうちの一人だ。

 

ゴーグルの隊長代理さんは俺の視線に気づいたようにこちらを見て、わずかに口元を緩めた。

 

俺たちにとっては背中を押してくれる追い風だが、無精髭の隊長代理はこの流れは面白くなかったようだ。顔を真っ赤にして喚き散らす。

 

「なぜ貴様はその若造の肩を持つ?!」

 

「肩を持つも何も……事実ですので」

 

「後ろ暗いことがあるんじゃないだろうな?!協力するよう吹き込まれたんだろう!?」

 

「……彼に協力することで、私に一体どのような利益があるというのですか?私は事実を述べているだけです」

 

「そんなわけあるか!?()は、あの裏切り者のアルヴァロ・コルティノーヴィスは、AAランクの魔導師だぞ!?そんな魔導師に、そこの臆病者が太刀打ちできるわけないだろうが!?」

 

「そこの隊長代理さぁん?貴方のことは()から『よぉく』見ておりましたよぉ?」

 

口角泡とともに失礼な発言の数々を飛ばす無精髭に、背筋が寒くなるような笑顔でランちゃんが割って入る。

 

「貴方の部隊も他の部隊と同様、隊長が倒れていましたねぇ。街の北東で防御戦闘を行なっていた部隊が貴方の所属していた部隊だったはずですが……おかしいですわぁ」

 

無精髭の隊長代理は目を見開き、顔を青ざめさせた。いったいどんな変調をきたしたのか、あれほど(やかま)しかった口は随分動きが鈍り、広い額は脂汗が滲んで光を反射させている。

 

「そ、それがなんだというのだ。何がおかしいというのだ」

 

「私が上空で援護射撃をしていた際、貴方がいたとされる部隊は、敵勢に挟まれながらも奮戦し、全員多かれ少なかれ負傷していました。今は治療用天幕におられるはずです。ですが戦闘中、貴方は隊を離れて一人で動かれていましたわ?あれはどういった作戦行動だったのでしょう?」

 

「なっ……ど、どうやって……っ!」

 

どうやってそんなことを確認したのか、と無精髭の隊長代理は問い質したかったのだろうか。

 

戦闘中にもかかわらず部隊から抜け出してしまえば敵前逃亡と取られても文句は言えない。そんなことを言わせないために、無精髭の人は反論しようとしていたのだろう。

 

しかし、『どうやって』と口にするということは、自分が部隊から離れていたことを半分以上認める言い回しになる。語るに落ちている。今更口を閉じても、もう手遅れだ。

 

「同部隊の隊員は皆さん怪我を負われ、無傷なのは貴方だけ。……ふふ、実にお元気そうで何よりですわぁ」

 

「きっ……貴様ァッ」

 

無精髭の隊長代理はテーブルを殴りつけ、あくまでも上品に笑っているランちゃんを視線で射殺さんばかりに睨みつける。デバイスでも持ち出しそうなほどの激昂ぶりだ。

 

俺が苛立ちを覚えていたのと同じように、ランちゃんも無精髭の人の振る舞いには腹に据えかねるものがあったようだ。

 

「……もう良い」

 

紛糾の様相を呈し始めた会議を強引に断ち切ったのは、指揮官代理のノルデンフェルトさんだ。眉間に深い皺を刻み、こめかみを押さえたノルデンフェルトさんは苦々しい表情のまま、続ける。

 

「ここからの行動を通達する。我々は…………」

 

 

「…………」

 

「徹ちゃん、気を取り直してちょうだい。お嬢ちゃんからは文句を言われるとは思うけれど」

 

「……どんな顔して会えばいいんだか……。怒るだろうなあ、アサレアちゃん……」

 

「機嫌をとるためになにか考えておかないといけないわねぇ」

 

天幕から続々と人が出ていく。

 

俺とランちゃんはノルデンフェルト指揮官代理の指示により、未だ席を立ってはいなかった。

 

隊長代理の皆々様が退室するまで暇なのでランちゃんと雑談していたが、ぴりぴりとした圧迫感を感じて発信源へと目をやる。

 

「ッ……」

 

ランちゃんの発言によって、敵前逃亡の疑いがかかった無精髭を生やした隊長代理だった。物凄い形相をしてランちゃんを、あとついでに俺も睨んでいる。

 

無精髭の彼が外に出るまで、ランちゃんは睨み返すでもなく無視するでもなく、涼しい笑顔で鋭い視線を受け流していた。大した胆力である。もしかしたらランちゃんはこういった(しがらみ)が鬱陶しくて、嘱託魔導師に身を置いているのかもしれない。

 

そんな考察をしていると、ぽん、と肩に手が置かれた。

 

「あまり君の力にはなれなかった。すまない」

 

振り返って仰ぎみれば、ゴーグルを首からさげた人だった。会議と呼ぶべきか口論と呼ぶべきか悩ましい時間の中、こちらの有利になる発言をしてくれた隊長代理さんである。

 

「いえ、あの時に声を上げて頂いて助かりました。でも、あの発言であなたもあの人に失礼なことを言われてしまったし、逆恨みを買ったかもしれません……申し訳ないです」

 

「いや、いいんだ。私は事実を口にしたまでだからな。それにあの人は誰に対してだってあんな態度だ、あの人に逆恨みされているのは私だけじゃないさ。ただ、あの人みたいなとち狂った局員ばかりではないことは、知っておいてもらいたい」

 

「ちゃんとした局員さんが大多数で、あの無精髭の人みたいなのはごく一部というのは、あなたと話していてよくわかります」

 

「そう言ってもらえるとありがたい」

 

ゴーグルをかけている隊長代理さんが俺の肩から手を離して天幕の出入口に目を向ける。一歩踏み出して、そこで踏み止まった。

 

「危うく忘れるところだった。今日は君のおかげで助かったよ。部隊の仲間を代表して礼を言う。ありがとう」

 

一瞬何の話だろうかと戸惑ったが、会議中に口に上していた援護の事だと思い至る。

 

当初こそ突出してしまった味方部隊を助けに行く目的でいたが、結果的にコルティノーヴィスさんとのやり取りがメインとなってしまったので俺としては助太刀したという印象が薄れていた。

 

それどころか、ゴーグルの人たちを下がらせたのも、任務継続のためこれ以上負傷者を増やしたくない一心からだったのだ。礼を言われてしまうと逆に心苦しい。

 

「救援には半分ほど間に合っていなかったんで、礼なんて……」

 

「あの二人がやられたのは功を焦って突っ走ったからだ。君が来なければ愚か者二人を回収できずにいただろう。私自身も無事でいられたかわからなかった」

 

君たちの部隊の子たちにも伝えておいてくれ、と残してゴーグルの人も天幕から出た。

 

「まともな人がいることを知れてよかった。わりと本気で」

 

「そうねぇ。ただ残念なことに、目立つのは頭のおかしな人ばかりなのよねぇ。そういう人に限って声が大きいから嫌になるわぁ」

 

ランちゃんとため息をついている間に、天幕からはあらかた人がいなくなっていた。

 

残っているのは俺とランちゃん、ノルデンフェルト指揮官代理だけとなった。

 

「宣言通りに君たちに苦労と多大なる精神的苦痛を与える羽目になってしまったな。すまない」

 

ノルデンフェルトさんは会議中に座っていた席から移動し、俺とランちゃんの正面に座った。

 

「この天幕に着くまでの道で少し話は聞いていましたが、まさかこれほどとは考えが及びませんでした」

 

俺がノルデンフェルトさんにそう返すと、ランちゃんが俺の肩をぽむぽむと叩いた。

 

「大丈夫よ、徹ちゃん。あの無精髭の人ほど厄介な魔導師は、種々様々数多くの魔導師を擁する『陸』でもそうはいないわ」

 

「その厄介な部類の人と仕事をしなきゃ行けない時点でだいぶ大丈夫じゃないんだけど」

 

「彼は歳を重ねている分、妬みや嫉みといった感情と、エリート意識を(こじ)らせているのだよ。しかし長く隊にいて、悪い意味で言動が一貫しているため、彼の指示に従う者も多い」

 

「明日の作戦も……そういった人たちに対する配慮、ですか?」

 

紛糾した会議の結果。

 

明日の作戦は、無精髭の隊長代理とその取り巻きたちが声高に訴えていた内容と、ほとんど同一のものだった。部隊ごとに横並びになり、ローラーでもかけるように進み、敵勢を発見し次第叩いていくという内容。

 

本日行われた生存者の捜索活動及び索敵行動とほぼ同じである。異なる点といえば、先遣を担っていた俺たちの部隊も横並びの一部と化すことくらいのもの。

 

結局、奇襲や挟撃への対抗策や、障害となる瓦礫が多くある街の中での進軍速度など、問題点は取り残されたままだった。

 

「時間が限られているということもあった。負傷者も少なくない。乱れた指揮系統では複雑な策を施すのは難しい。なにより、彼らの案を却下すればさらに不平不満を募らせ、モチベーションも低下するだろう。彼らの働きが鈍くなれば、さらに苦労するのは私たちだ。どこかで折り合いをつけなければならない」

 

まるで駄々を捏ねる子どもだがな、とテーブルに手をつきながらノルデンフェルトさんは吐き捨てた。

 

「……どうするかなぁ……」

 

街の全域に広がって捜索すること自体を否定するつもりはない。身を隠しているかもしれないと前情報を得ているのだから、管理局の隊員さんたちも注意深くなるだろう。敵さんたちを炙り出すこともできるかもしれないし、見落としてしまっていた生存者を発見できるかもしれない。

 

そういった利点はある。あるにしても、このサンドギアは存外広いのだ。必然、物理的なローラー作戦を行うにしても、ある程度の距離を開けて散らばることになる。部隊が散らばった時に強襲でもされれば、人数が減って疲労の溜まった部隊では押し負ける公算が高い。

 

それに加えて敵の指揮官の悪辣さに比例した辣腕っぷりだ。どのような用兵をしてくるかわからない。

 

敵の情報が不足している。

 

「あ、そうだ。これがあったんだった」

 

「徹ちゃん、どうしたの?」

 

ここまで考察して思い出した。無精髭の隊長代理さんのインパクトが強かったせいで、話したかったことを失念してしまっていた。

 

尻のポケットからとあるものを引っ張り出し、テーブルに載せる。

 

「なにかしら?」

 

「紙と……指輪かね。これは?」

 

「敵の小隊長っぽい魔導師から回収した紙束と、指輪状のデバイス?みたいなものです。俺に知識がないからなのか、読み解けない部分もありました。提出しようとしていたんですけど、いろいろあったせいですっかり忘れていました」

 

「会議の最中に出さなくて正解だったわね。あの小汚い無精髭がさらに噛みついてきていたでしょうから」

 

「紙の方は……塗り潰されている箇所が多すぎる。知識の有無で理解の程度が変わるものではないな。この指輪も、尖ったセンスをしている以外には特に何も変わったところはないが」

 

「そうですねぇ、やはり紙のほうにしか情報はなさそうですわぁ」

 

俺が管理外世界出身だから予備知識が不足しているのかとも思ったが、やはり紙束はどうやっても部分的にしか解読は困難なようだ。

 

「そうなんだよな、指輪には名前と思しき文字しか書いてないし」

 

「え?」

 

「ん?」

 

「……へ?」

 

なにやら話が噛み合わない。

 

「指輪には何もないわよ?」

 

「う、うん。その文字以外にはなにも……」

 

「違うのだ。君の言う文字も、刻まれてはいないのだよ」

 

「え?いやいや、俺はたしかに……あ、ありがとうございます」

 

ノルデンフェルトさんから手渡され、指輪の裏側を確認する。

 

二人の言う通り、何もなかった。胸にざわつきを感じてデバイスにハッキングを仕掛けてみたが、その中にあるはずの射撃魔法の術式すら、綺麗さっぱりなくなっていた。

 

イニシャライズされたハードディスクみたいに空っぽだ。デバイスに残っていなければおかしい術式データさえ、残されていない。所有者から一定時間離れると全消去されるような仕掛けでもあったのだろうか。

 

「この、指輪だった……よな。俺の思い違いか?いやいや、んなわけ……」

 

「指輪には何と刻まれていたのだ?」

 

「ええと、『フーリガン』とありました」

 

「『フーリガン』……徹ちゃん、本当に?」

 

「ああ……人の名前なのか?」

 

「いいえ。それは組織の名前よ」

 

「噛み砕いて表現すれば、犯罪組織、といったところかね」

 

「犯罪組織……だから、この街にこんな襲撃をしたのか……」

 

「でも、おかしいのよね……。犯罪組織と一口に言っても『フーリガン』という組織はそれほど強大な組織ではなかったのよ。組織よりグループって言い方をしたほうが的確なくらいの規模なの。ただ、そのグループのリーダーは有能だったみたいよ。そのせいで時折、管理局も苦労したらしいしねぇ」

 

「規模は違うけど、敵の頭が賢くて手を(こまぬ)いているってのは現状と同じだな。だとすると、敵対勢力は『フーリガン』であたりか」

 

「それがね、徹ちゃん。『フーリガン』のリーダーは数ヶ月前に逮捕されてるのよ。たしかまだ裁判は終わっていないはず。だから今回の事件は『フーリガン』の名を騙った違う組織かも……」

 

「いや、あの裁判は決着がついている」

 

ノルデンフェルトさんはテーブルに広げた数枚の紙に目を落としながら、ランちゃんの言葉に訂正を加えた。

 

「あら、それは知りませんでしたわ」

 

「嫌疑不十分で不起訴処分となった案件だ。よって大々的に公表していない。知らなくても無理はないだろう。私としては、あの案件は喉に小骨が刺さったような気持ちの悪さを感じたものだが……」

 

「ということは……」

 

「ああ。不起訴処分となった以上は拘留しておけない。釈放されたよ。再び『フーリガン』の指揮を執っていたとしても不思議ではあるまい」

 

「その『フーリガン』には、コルティノーヴィスさんの相手をできるような魔導師がいたんですか?」

 

「……いない、はずだ。AAランクを超える魔導師を擁する組織であれば、警戒されていて然るべきだろう。これまで関わった事件に、そのような魔導師が投入された報告はない」

 

「コルティノーヴィスさんが管理局を離れて『フーリガン』についた理由はわからずじまいか……」

 

「それよりもこっちの方が何かを掴めそうよ」

 

考え込む俺に見せつけるように、ランちゃんは紙をぴらぴらと揺らした。

 

「クレスターニの秘術……これはまず間違いなくクレスターニ人形劇団の人が使っていた操作系の魔法ね」

 

「クレスターニ……」

 

「なにかご存知なのですか?」

 

「人形劇団の話は知らなかったのだが……クレスターニ…………どこかで聞いた覚えはあるのだが……。たしか、奴の口からクレスターニという単語を……聞いた記憶がある」

 

「奴、というのは……」

 

俺が尋ねると、ノルデンフェルトさんは深く頷いた。

 

「……ああ。アルヴァロ・コルティノーヴィスのことだ」

 

「ノルデンフェルトさんはコルティノーヴィスさんと交友があったんですか?」

 

「……同期だったのだ。奴の方が階級はずっと上だったがな。年に一度か二度ほど、酒を酌み交わす間柄だった。このようなことになるとは終ぞ想像し得なかったが」

 

少し悲しそうに、そして理解にできないというように、ノルデンフェルトさんは愁眉(しゅうび)を寄せた。

 

「正義感の強い男だった。心優しく、犯罪者に対しても穏やかに接し、事を荒立てずに穏便に済ませようとするような、高潔な男だった」

 

「穏やかに、穏便に……とてもそんな様子は見て取れませんでした。会話も成立しないまま戦闘になりましたから……」

 

「家族思いで、子煩悩で、家族との時間を増やすために出世の道を捨て、嫁の実家があるこの街に移り住んだほどなのだが……君たちの話によれば、そのようだな……。未だに私は……いや、事ここに到ればもはや意味を持たない感傷か」

 

目を閉じて一つ息を吐くと、ノルデンフェルトさんはスイッチが切り替わったかのように、表情に帯びさせていた憂愁を取り払った。

 

「情報は断片的であるが、どうやら奴の……コルティノーヴィス家に今回の一件は関連しているような節がある。隊列から離れるため危険はあるだろうが……君の部隊には調査を頼みたい」

 

ランちゃんが敬礼したのを見て、続いて俺も敬礼する。

 

「拝命します」

 

「拝命致しますわぁ」

 

今日行われた任務とは違うが、これはこれで他の部隊から突出する形になる。

 

果たして、ノルデンフェルト指揮官代理から承ったこの特務を聞いて、アサレアちゃんはどういう反応を示すのか、すこし怖くもある。

 

 


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