そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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その想いまでは、

 

コルティノーヴィスさんがすでに亡くなっているのだと仮定すれば、納得のいく説明がつけられる。ジュリエッタちゃんとジュスティーナさん、二人の心に消えない、癒えない傷をつけることになるけれど。

 

『…………』

 

「けほっ……こほっ。ごほっ、がふっ……げほっ」

 

コルティノーヴィスさんの背後でジュリエッタちゃんがかすかに動いた。足元をふらつかせ、震える手で口を押さえて、苦しそうに咳をしていた。

 

咳がおさまると、もとの幽鬼のような体勢に戻る。かすかに見えた手のひらは赤黒く染まり、口の端には血が滲んでいた。

 

喀血(かっけつ)、していた。

 

ジュリエッタちゃんがどういった容態なのか、その理由を解き明かしそうな現象を、左目が感じ取っていた。

 

少女の身体から発され続けている妙な流れの魔力。強くなったり弱くなったりと不安定に波打つそれは、まるで力が尽きかけた蝶か、風に揺られて消えそうな蝋燭(ろうそく)の火だ。

 

不安定な魔力の波に加えて、血色の悪さ、手の震え、ふらつき、咳、喀血。

 

似たような症状を俺は知っている。俺も身を以て味わったことがある。

 

「……魔力の過消費。……保有魔力の、枯渇」

 

魔法を使い過ぎたことが原因の魔力切れ。血を吐くほどともなれば、リンカーコアに多大なる負担を強いていることは確実だ。魔力欠乏の度合いはかなり深刻なレベルにまで進行している。

 

「ああ……これは、久しぶりだな……」

 

人形劇場で、母親であるジュスティーナさんからジュリエッタちゃんの話を聞いていた。

 

ジュリエッタちゃんは、クレスターニの家系に代々継がれてきた操作系魔法・ドラットツィアは扱えるが、だからといって正式に魔法を学んでいるわけではない。一般的なミッドチルダ式の各種魔法は知らないし教えられてもいないので無論、使えるわけはない。

 

ジュスティーナさんと同様、あくまで傀儡師であり人形遣いであって、魔導師でも魔法使いでもない。

 

ジュリエッタちゃんが扱える魔法はドラットツィアだけ。

 

そんな彼女が重度の魔力欠乏に陥っているということは、その操作系魔法(ドラットツィア)を過度に使用し続けているということにほかならない。

 

そして、これもまたジュスティーナさんが教えてくれたこと。ドラットツィアは人形を操る魔法だが、人の形をしていれば、あとは才能があれば、例え対象が大きくなっても操作できる、と。

 

ジュスティーナさんのお祖母様が動かしたという五メートルの藁人形に比べれば、この程度は可能な範囲、なのだろう。約百八十から百九十センチの男を操ることも、不可能ではないのだろう。

 

なんとも、(はらわた)が煮えくり返りそうになる話だ。

 

「この絶望感と苛立ちは……久しぶりの感覚だ」

 

『フーリガン』のトップ、リーダーは邪智狡猾(じゃちこうかつ)にして悪辣無比(あくらつむひ)であることは、これまでの行いでわかった気がしていた。

 

だが目算が甘かった。そんなものではなかった。

 

父親を殺めて、その上で父親の実の娘に操らせ、生まれ育った街を蹂躙させる蛮行の手伝いを強制させる。

 

これほどの悪人を罵る言葉を、俺は持ち合わせてはいない。

 

「救えないのなら……せめて」

 

感情も魂すらもない(むくろ)と、心身ともに削り果てた少女を見つめて、拳を握り込む。

 

もはや、誰もが笑顔で終わる結末など、望めない。俺が、俺たちがここにきた時点でそんな結末は望めるべくもなかった。

 

だとしても、せめて。

 

コルティノーヴィスさんの名誉だけは、取り戻してあげたい。ジュリエッタちゃんがこれ以上傷を深くしないよう、救い出してあげたい。

 

それが、それだけが、きっと俺のできる唯一の贖罪になると信じて。亡きコルティノーヴィスさんのせめてもの救いになると願って。

 

『ランちゃん、もう……援護射撃はいい。これ以上あの人の身体を傷つけたくはない』

 

『傷つけたくないって……だからって無抵抗のままじゃ、徹ちゃんがっ!』

 

『いや……もう、わかったんだ。わかってしまえば、簡単だった。もう俺一人で対処できる。だからランちゃんは、先に後退してるユーノたちについて指揮してやってくれ』

 

『いきなりなんとかなるものじゃあないでしょう?』

 

『大丈夫、だから。……ユーノたちと合流したら、アサレアちゃんから話を聞いてくれ。きっとランちゃんなら、すぐにわかる』

 

なんて要領を得ない説明なのだろうと、自分でもわかっている。

 

だとしても、それで納得してもらうほかなかった。丁寧に事情を説明する暇はない。

 

『……自暴自棄になったってわけじゃ、ないのよね?』

 

『あたりまえだろ。……俺はいつだって最大限の最善を求めるような、欲張りなんだから』

 

『……ふぅ。信じてるわよ』

 

『悪い。助かる』

 

呆れたようなため息をついて、それでもランちゃんは俺の意思を尊重してくれた。

 

崩れかけた家屋の屋根を一歩二歩後退(あとずさ)りして、ユーノたちが向かった方角へと飛翔した。

 

付近に飛ばしておいたサーチャーでランちゃんの後ろ姿を見送って、両の目で正面を見据える。憐れな操り人形と、痛ましい人形遣いを。

 

「終わらせるよ。これ以上……苦しみ続けないために」

 

 

 

 

 

 

俺一人で大丈夫、というのは決して強がったわけではない。頼りになるランちゃんを退がらせるだけの理由と、自信がある。

 

昨日の時点で、少なからずおかしいと思った部分はあったのだ。

 

『…………』

 

「遠距離攻撃の可能性はない、打撃技だけ警戒すればいい……」

 

「っ……ごほっ」

 

肉薄してくるコルティノーヴィスさんの拳がぎりぎり届かない距離を維持し、回避し続ける。

 

疑問に感じる部分の一つというのが、これだ。

 

ランクの高い魔導師というわりには、コルティノーヴィスさんが使用する魔法の種類が限定されすぎている。ランちゃんが推測するにはミドルレンジからロングレンジの攻撃手段もあるはずなのに、それらの一切を未だに俺たちは見ていない。どころか、防御魔法すら使っていない。

 

その謎に対する一定の解答は、左目が導き出した。

 

「……動いても動いても、金魚のフンみたいにコルティノーヴィスさんにくっついて回る魔力の帯……あれがドラットツィアか」

 

ジュリエッタちゃんから放出され、コルティノーヴィスさんへと集まる異形の魔力。それは人形を操るドラットツィアの魔法であると同時に、繋がったラインを使ってコルティノーヴィスさんへ魔力を送っているのではないかと、俺は()(はか)る。

 

つまりは、既に亡くなった身であるコルティノーヴィスさんのリンカーコアを使って、ジュリエッタちゃんが魔法を行使していたのだろう。そうでなければ、コルティノーヴィスさんの身体に纏っている移動系、肉体強化系の魔法の説明がつかない。正規の訓練を受けていないジュリエッタちゃんは、ドラットツィア以外の魔法を知らないのだから。

 

しかし、それら展開されている魔法ももう長くは続かないことを、左目が捉えてしまう。

 

「昨日より、魔力が薄い……」

 

昨日戦った時よりも、もやもやとした異様な魔力の色彩に厚みがない。

 

ドラットツィア自体は維持できているが、送られている魔力の量が落ちていた。

 

ジュリエッタちゃんの魔力が底をつきかけているためだろう。その推測を(しょう)するように、腕が(かす)んで見えるほどの異次元的な連打は繰り出してこないし、姿が消えたと錯覚するほどの高速移動も今日は路地裏で一度披露しただけだ。明らかに昨日よりもパフォーマンスが落ちている。

 

ジュリエッタちゃん自身も、無理をして魔法を維持しているせいで身体機能に支障をきたしているほどだ。昨日戦った時の機動は一時的ならともかく常時発動はできないだろうし、防御魔法に割く魔力なんて残っていない。射撃・砲撃魔法なんて(もっ)ての(ほか)なはず。

 

仮に、俺の自慢の防御術式・魚鱗すら剥がし飛ばした例の連打を使ってきたとしても、今となっては対処のしようもある。

 

「げほっ、がふっ、ごほ、ごほっ……っ」

 

『…………』

 

「っ……ちぃっ」

 

風に煽られる蝶のようにひらひらと逃げる俺に焦れたのか、ジュリエッタちゃんは無理を押して高速移動術を利用した連打を使う。

 

「来るとわかってても、速い……けどっ!」

 

機関銃じみた連打を、超高速演算状態(テンポルバート)で処理しつつコルティノーヴィスさんから距離を取ろうと画策する。

 

ジュリエッタちゃんの魔力が続く限りは暴風雨のような拳撃が吹き荒ぶことになるが、初見の時とは違って今は対抗策がある。

 

「ここなら……やりにくいだろ」

 

『…………』

 

「っ、ごほっ……っ」

 

動いているのはコルティノーヴィスさんの身体だが、その実、動かしているのはジュリエッタちゃんだ。コルティノーヴィスさんの身体に刻まれた戦闘の記憶を残響再生(ナッハイルスピーレン)で読み取り、人形操作魔法(ドラットツィア)で操っている。

 

稀少技能(レアスキル)とクレスターニの秘術を絶妙に組み合わせた連携技で、一見付け入る隙がなさそうにも思えるが、そうではない。

 

「その角度なら俺がコルティノーヴィスさんの背に隠れて……見えにくいだろ」

 

あくまでも、攻撃対象をジュリエッタちゃんの目で見なければいけないのだ。

 

昨日戦った際にランちゃんから支援射撃を受けた時は急に動きが悪くなったし、先ほど路地裏で廃墟を倒壊させた時は無理に突撃してこなかった。舞い上がる土煙に視界を遮られるからだ。

 

唯一と言える『穴』。そこを突けば、コルティノーヴィスさんを地面に引き倒すことは難しくとも(しの)ぐことはできる。

 

コルティノーヴィスさんという強固にして強大な『壁』を、乗り越えることができる。

 

ジュリエッタちゃんの哀しい魔法を止めに行くことが、できる。

 

ジュリエッタちゃんが望む『救い』と、俺がしようとしている『救い』は、きっと違うのだろうけれど。

 

「……覚悟を決めろ。そのために俺は、ここにいるんだから……」

 

ここからは速さが何よりも重要になる。コルティノーヴィスさんの拳撃を振り切り、ジュリエッタちゃんの目が追いつかないほどの、爆発的なまでの速度が必要だ。

 

魔力付与魔法と比べて出力に劣る現時点の循環魔法では難しいのなら、さらに深みに、より高みに、研ぎ澄ます。

 

「……自分で引いた限界の線なんて、踏み越える」

 

ぴりぴりとした痛みが熱を持って大きく広がっていく。

 

弱音を吐きそうになる自分に言い聞かせるように、呟く。

 

「げほっ、がふっ…………る、さい」

 

体内を巡る魔力をコントロールする循環魔法。既にその出力は上限だ。これ以上出力を上げれば身体が内側から爆ぜるかもしれない。

 

だから、上げるのは出力ではなく、体内を循環する魔力の範囲。より深く、より細かく、魔力の線を全身に延ばす。

 

意識を体内へ向ける。

 

「先へと歩き続けなきゃ、上へと目指し続けなきゃ……死んでるのと同じだ」

 

思い浮かべたのは、俺よりも先を進み、上に立つ仲間たち。彼ら彼女らの背中。

 

「っ、ごほっ、げほっ…………ぅ、るさい」

 

血管、神経、筋肉、骨。

 

さらに奥へ。

 

細胞レベルにまで魔力を行き渡らせるイメージを。

 

苛烈な戦いに耐え、過酷な運動に順応できる身体を。

 

頭の中で思い描いて実行した途端、身体の至る所で炸薬が弾けたのかと思った。時の庭園でエリーと和合(アンサンブル)の強度を引き上げた時のような、意識が根こそぎ(さら)われそうなほどの衝撃。痛みを超えた感覚が押し寄せる。

 

「……っ、いけないんだっ」

 

それでも耐えられた。一度同じくらいの衝撃を味わった経験があったことと、やり遂げなければいけない使命があったおかげだろう。

 

目の前の苦しいんでいる少女を救うこと。才覚目覚ましい仲間たちの隣で肩を並べること。そして、囚われたエリーとあかねを救うこと。

 

そのために今以上の『力』が必要なのであれば、例えこの身が朽ちようと求め続ける。

 

「同じ場所で立ち止まってたら、いけないんだっ!」

 

「ごふっ……っ、うるさいっ!」

 

全身を(さいな)む熱と痛みを誤魔化すように()えると同時、ジュリエッタちゃんもまた血を吐きながら叫んだ。

 

彼女の(たけ)りと同期するように激しい魔力が放たれる。これまでよりも強い方向性を有した魔力がコルティノーヴィスさんへと送られた。

 

『ッ…………』

 

きっと、俺の見間違いか、それでなければ勘違いだろう。人形よりも感情が見えなかったコルティノーヴィスの瞳に一瞬、されどたしかに、光が(とも)ったように見えたのは。

 

それが見間違いでもなければ勘違いでもないと気づいたのは、一秒にも満たない時間の後だった。

 

コルティノーヴィスさんの左腕が霞む。防御体制を整えたが、彼の左の拳は寸前で止められた。

 

驚く俺の視界の端で、何かがかすかに動いた気がした。

 

『ッ…………』

 

右の拳が、すぐそこまで迫っていた。

 

「フェイント……っ!?」

 

咄嗟(とっさ)に障壁を張り、寸毫(すんごう)作ることができた空白の隙に左手を挟む。

 

これまで一度もなかったバリエーションだった。

 

ジュリエッタちゃんは記憶を読み取れるといっても、読み取った記憶通りに完璧に操ることは難しかったのだろう。フェイントや立ち回りなどの心理的駆け引きは一度も見せなかった。

 

ここまで温存する理由なんてない。

 

だとすれば、思い至るのは一つの可能性。

 

自分で引いた限界の線を俺が踏み越えたのと同じように、ジュリエッタちゃんも自分の能力の先へと辿り着いた。

 

「これはっ……っ、昨日よりもっ……」

 

魔力に余裕があった昨日よりも速く、重く、鋭い一撃だった。

 

盾代わりにした左腕から、嫌な音とともに凄まじい痛みが生じる。腕がまだくっついているのが不思議なほどの破壊力だ。

 

『ッ…………』

 

循環魔法のステージを引き上げていなければどうなっていたかわからない。ステージの引き上げが間に合ってよかったと安堵した俺の背筋が凍る。

 

「もう、次がっ……」

 

コルティノーヴィスさんは拳を振り抜いた勢いそのまま回転。高速移動術を使用した上で、回転による遠心力、強靭にして柔軟な筋肉と足や腰を駆使した捻転力。それらの生み出されたエネルギーを余すことなく乗せて、蹴りの動作に移っていた。

 

高速機動下においてこれほど身体の末梢に負担のかかる動きをすれば、毛細血管が切れるとか筋肉が傷つくとかそんな低いレベルの影響では済まない。もっと深刻なダメージを負う。

 

この後の戦いを捨ててまで、俺を潰しにきた。

 

「っ……」

 

正面から受け止めるのは愚策だ。それはすぐにわかる。仮に魚鱗を展開しても、互い違いに四層重ね合わされた障壁の全てを裂き、砕き、貫くだろう。

 

だからといって、拳撃を左腕で防いだことで崩れた体勢ではすぐに回避もできない。腕か、胴体の一部か、最悪頭部か、必ずどこかを抉り飛ばされる。

 

追い込まれた俺は、閃きを求めてコルティノーヴィスさんを見やる。

 

『…………っ』

 

視線が交錯(こうさく)した気がした。

 

すでに亡くなっているはずのコルティノーヴィスさんの瞳が語りかけてきている気がした。

 

「っ…………」

 

どこかで飛び交っている念話が混線しているのか、それでなければ俺の妄想や幻覚だろう。

 

そうでなければ、おかしいのだ。死者が生者にメッセージを送ることなど、ありえない。ありえてはいけない。

 

だからこれは、俺の妄想であり、幻覚だ。

 

 

 

『救ってやってくれ』

 

 

 

そう、暗褐色の瞳に語りかけられたなどと感じたのは、きっと。

 

でも、だとしても、俺は受け取ってしまった。

 

娘を苦しませ続けながら戦い続けている父親のメッセージを、受け取ってしまった。

 

ならば、もうやることは一つしかない。

 

「ああぁぁッ!」

 

死神の鎌のように横薙ぎに振るわれる回し蹴りの軌道上に、魚鱗を斜め(・・)に展開させる。崩れた体勢から屈むまでの、一瞬足らずの間でいい。時間を稼ぎ、死神の鎌の軌道を上へとずらす。作り出した安全地帯へ姿勢を低くして逃げ込んだ。

 

『…………』

 

魚鱗の障壁四層のうち二層を引き剥がし、三層目に深々と爪痕を残した蹴りは俺の頭上数センチを通り過ぎた。人体から発生させることができるのかと危惧するほどの風圧。音すらも置き去りにしたのか、後になってから風切り音のように似た異音が俺の耳を(つんざ)いた。

 

コルティノーヴィスさんの右足を覆っていた管理局の制服は膝から先の布が吹き飛び、その身には裂傷が散見された。それでもおそらく、外側よりも内側のほうが被害は大きいだろう。

 

「どう、やって……っ、ごほっ、げほっ」

 

「もう……終わらせる!」

 

もうこれ以上傷つけてはいけない。コルティノーヴィスさんのご遺体も、ジュリエッタちゃんも。

 

低くした姿勢のまま、右手は地面を掴み、両足は地面を踏みしめる。

 

「一息に、突破する!」

 

高速移動術、襲歩。以前までとは体感速度がずいぶんちがう移動術で、コルティノーヴィスさんの脇を駆け抜ける。

 

いや、吹き抜ける、と訂正すべきかもしれない。

 

たしかに俺は、コルティノーヴィスさんに妨害されずにジュリエッタちゃんのもとまで近づくために、全身全霊の力は込めた。

 

だが俺は勘違いしていたのだ。循環魔法のステージを引き上げた、その意味と効果を。

 

コルティノーヴィスさんの拳撃一発で左腕が使用不能になったことから、思ったほど強度は上がっていないのかと誤解していたのだ。

 

こうして動いてみて、ようやく実感した。前の段階とは比べるべくもない。魔力付与すら余裕を持って上回る。

 

つまり何が言いたいかというと。

 

一息どころか一歩でジュリエッタちゃんのすぐ斜め後ろにまで到達した。移動の際につきすぎた勢いを殺すために着地時に発破を使って運動エネルギーを地面に放出したくらいに。

 

「っ……げほっ、っ……」

 

すぐ近くで鳴り響いた爆音にジュリエッタちゃんが振り返るーー

 

「……念のため、視界を塞がせてもらうよ」

 

ーーその前に、俺は背後に移動して彼女の目元を手で覆う。

 

ジュリエッタちゃんの使う魔法は、攻撃する対象も攻撃させる対象も、どちらも視認して操作しなければならない。俺が背後にいることはわかっても、コルティノーヴィスさんがどこにいるか正確にわからなければまともに操ることはできないだろう。

 

それにここまで近づけばジュリエッタちゃんが人形操作魔法(ドラットツィア)を解除しなくても、俺がハッキングで強制的に停止させられる。

 

こうなった時点で、詰み。チェックだ。

 

これで、終わりだ。

 

「や……め、て……ごふっ、げほっ。はな、して……」

 

「っ…………」

 

視界を奪う俺の手を外そうとジュリエッタちゃんが手をかけるが、外せない。外せるわけがない。

 

彼女の手は凍えているかのように冷たくて、小刻みに震えて、まるで力が入っていない。

 

ジュリエッタちゃんと同じような症状を経験した俺からすれば、こうして未だに二本の足で立ち続けられていることがすでに異常だ。ここまで魔力欠乏が進行していれば、ただ呼吸をすることでさえも苦痛を伴う。

 

そのはずなのに、どうしてこの子は。

 

「もう、やめるんだ。ぜんぶ、終わった……終わったんだ」

 

「お、わって……ないっ……ごほっ。いうこと……きいたら、お母、さんを……かえしてくれるって、ごほっげほっ……言ってた。ちゃんと、やれば……お父さんを助けてくれるって、言ってた……。だか、ら……」

 

「っ……だから君は、こんなことをしていたのか……。お父さんとお母さんを助けるために……街を破壊した奴らの命令に、従っていたのか……っ」

 

おそらく、というよりもおおよそ間違いなく、コルティノーヴィスさんは家族を人質にされたために『フーリガン』に敗北したのだろう。正攻法でコルティノーヴィスさんを下すような魔導師など『フーリガン』にはいない。

 

『フーリガン』は最大の障害であるコルティノーヴィスを打ち取った後に、次はジュリエッタちゃんを脅した。母親と父親の命を交換条件で突きつけて、協力するように迫った。

 

「あたしが、やりとげれば……また前の生活にもどれるんだからっ……ごほっ、ぐぶっ……。お父さんと、っ……お母さんが、いる……いつもの生活に……げほっ」

 

ジュリエッタちゃんには、その脅迫を突っぱねる手段などなかっただろう。協力しなければジュリエッタちゃんを含めて全員殺されるのだから、そもそもほかに取れる選択肢は存在しないのだ。

 

「くそがっ……くそ野郎どもがッ……」

 

『フーリガン』は、ジュリエッタちゃんとの約束を守る気など毛頭なかった。

 

俺たちの部隊が人形劇場の近くまで進んだ時、『フーリガン』の魔導師たちと戦闘になった。だが、(かな)わないと判断したのだろう。人形劇場にいた魔導師たちは撤退を始めた。劇場の隠し部屋で倒れていたジュスティーナさんの傷の具合から(かんが)みるに、『フーリガン』は劇場から逃げ出す前に、射撃魔法なりなんなりの攻性魔法を使ってジュスティーナさんを負傷させた。

 

結局、『フーリガン』の連中にとってみればその程度の存在だったのだ。脅迫の材料だから生かしてはおくけど、管理局に保護されていろいろ喋られるのは都合が悪い。逃げる際に一緒に連れていくには邪魔になる。だから、分が悪くなれば口封じする。そのくらい低い優先度。

 

コルティノーヴィスさんについては、もはや言葉にするまでもない。

 

果たすつもりなんて欠片ほどもない約束、だったのだ。

 

「……君のお母さんは管理局が保護してる。だから、もう魔法を解いてくれ。これ以上は君の身体に障害が残る可能性もある」

 

「ごほっ、げほっ……だ、め……。最後、まで……やらないと、っ……お父さんを助けてもらえない……から」

 

ジュリエッタちゃんは、ここまできてもまだ『フーリガン』の命令に従っていた。両親を助ける、なんていう薄っぺらい約束を盲目的に信じていた。

 

それほどまでに、この少女は追い詰められている。この子がどれだけ苦しんでいるかは、苦しめられているかは、理解している。

 

それでも頭に血が上ってしまった。『フーリガン』の屑どもに苛立ちが募りに募って、積もりに積もっていたせいだ。こんなこと八つ当たりみたいなものだとわかっているのに、口が動いてしまう。語気が荒くなる。

 

「助けてもらえないって……ッ!もう助けられないことはッ、君が一番わかってるだろッ……だってッ!」

 

人形を操作するためだけの魔法、ドラットツィア。精巧に作られていればいるほど、複雑な動きも取らせることが可能。センスにも左右されるが、五メートル近いサイズの藁人形さえも操ることができる。

 

この魔法を使える条件は、人の形をしていることと、もう一つ。ジュスティーナさん曰く、絶対的な条件が存在する。

 

「その魔法は……ドラットツィアはッ、命があるものは操れないって君が一番わかってるだろうッ!」

 

生きているものは操れない。だからこその、人形(・・)操作の魔法。

 

その原則を、ジュリエッタちゃんが知らないわけがない。

 

「わかっ、てる……わかってる、よ……」

 

「じゃあ、なんでッ」

 

「それでも……お父さんを、助けてくれるって、言ったから……ごほっ、ごほっぐふっ……お父、さんを……っ、んぐっ……助けられる魔法を、知ってるって言ってたから」

 

「ッ!」

 

頭の中の血管が切れそうになる。一瞬、視界が赤く染まったほどに怒りがこみ上げる。

 

死んだ人を生き返らせる魔法。

 

そんな夢のような魔法を追い求め、探し求めた人を知っている。見つからなかったという結果も、その結果に行き着くまでに起こした事件と犯した罪も、知っている。

 

それだけの無理をしても、それほどの無茶をしでかしても、亡くしてしまった人を取り戻す魔法なんて見つからなかったことを、俺は知っている。

 

「そんな都合のいい魔法なんてないッ!天才と呼ばれるほどの魔導師が長い年月血が滲むほど努力と研究をしても見つからなかったんだ!そんな魔法なんてないんだよッ!」

 

「でも、助けてくれるって……言った、から……だか、らっ……」

 

「っ……そうか。……わかったよ」

 

わかった。わかってしまった。

 

ジュリエッタちゃんは『フーリガン』を信じているわけではない。ただ、(すが)っているのだ。

 

現実を直視したくなかった、目を逸らしていたかった。頑張れば助けられるんだと、自分に言い聞かせていたのだ。

 

ある意味では、言い訳のようなものなのだろう。

 

大好きな母親から教わった魔法で、大好きな父親の身体を操って戦わせて、生まれ育った大事な街を蹂躙(じゅうりん)する犯罪者たちの手助けをする。

 

見たくないものをたくさん見てきたはずだ。やりたくないことをたくさんやってきたはずだ。

 

そんなことをやり続けるのは大人でも難しい。子どもでは不可能に近い。普通の精神状態では、まず、できない。

 

だから、両親を助けるためだと自分に言い聞かせた。言うことを聞いていれば助けてくれるのだと信じ込ませた。自分すら騙して、心すら殺して、縋り付いた。

 

そうやって必死に自分がしていることを正当化しなければ、先に心が壊れてしまう。

 

ならば、ジュリエッタちゃんはどこまでも付き従うだろう。助けてもらえるまで命令に従い続けるだろう。これで助けてもらえなければ、やってきたことがすべて無駄になってしまうから。犯罪者たちに協力しただけになってしまうから。

 

そんな自分を、許せないから。

 

ジュリエッタちゃんが自分で止まることができないのなら、誰かほかの人が止めるしかない。俺が止めるしかない。

 

頭に上った熱を冷ますように、長く息を吐く。

 

悲しい人形劇の幕を下ろす。

 

「……君の魔法に直接介入して停止させる。このまま続ければ、最悪の場合本当に君が死んでしまう。……痛みや不快感があるかもしれないが、我慢してくれ」

 

「っ……だ、め……っ、やめてっ……。このままじゃ……お父さんがっ」

 

「……君のお父さんに『救ってやってほしい』って……頼まれたんだ。お母さんのところへは俺が責任を持って連れていく。だから……お父さんのところへは連れていけない」

 

「や、やめっ……」

 

ジュリエッタちゃんは悲痛な声で目を覆っている俺の手を剥がそうとする。力の入らない手で懸命に抗う。

 

それでも俺は、この子を離すことはできなかった。

 

「……ごめんな」

 

「っ……ぅ、ぁ……」

 

ハッキングを開始する。デバイスを持っていないのでリンカーコアから直接魔法を停止させる。

 

ジュリエッタちゃんの身体に魔力を流し、奥深くまで潜らせて、すぐにそこまで辿り着いた。

 

「こんな状態で……」

 

ジュリエッタちゃんの体内を流れている魔力量を覗き見て、愕然とする。

 

アリシアのリンカーコアを診察したこともあるが、病み上がりのアリシアよりも身体を循環している魔力量が少ない。リンカーコアから生み出される魔力、自身が持つ魔力のほとんどをドラットツィアを通してコルティノーヴィスさんに注いでいた。

 

こんな状態で、どうやって自分の足で立ち、意識を切らさずにいられたのか。

 

ふと考えて、すぐに答えは出た。考えるまでもなかった。

 

それほどまでに、果たしたかった願いがあるのだろう。

 

それほどまでに、家族を助けたかったのだろう。

 

「ぅ、ぁ……っ、おとう、さ……っ」

 

擦り切れそうな意識の最中(さなか)にあっても、この子は父親を想っていた。

 

その悲愴なまでに一途な姿に罪悪感が込み上がる。

 

俺に何ができるわけでもない。死者を蘇らせるなんて、俺にはできない。いや、誰にだってできないし、できてはいけないのだろう。

 

「っ……本当に、ごめん……」

 

「ゃ、だ……っ、お、とうさ……」

 

それでも、こんな結末しか迎えることができなかったことに、ひどい無力さを感じる。

 

俺のしていることが本当に正しいのかわからない。後々、恨まれるかもしれない。このままやりたいようにさせることが、もしかしたらこの少女にとって一番の幸せに繫がるのではとさえ思える。その先がなくても今が幸せなら、と。

 

でも、俺は。

 

「でも……俺は、君は生きるべきだと思うんだ……。この先つらいことも悲しいことも多いだろう。でも君のことを、お母さんが待っているんだ……っ」

 

「っ、ぉ、かあさん……」

 

ジュリエッタちゃんの目元を覆う右手に、濡れた感触があった。同時に力が抜け、抵抗が弱まった。

 

俺の言葉が届いたのかはわからない。もしかしたら単純に気力が尽きたのかもしれない。

 

だとしても、ジュリエッタちゃんが自分の願いを諦めた以上、俺はその意志を引き継がなければ行けない。

 

ジュリエッタちゃんのお父さんーーコルティノーヴィスさんを蘇らせることはできないけれど、それでも。

 

「……最大限の努力はする。君がなるべく幸せに過ごせるように……。だからせめて今だけは、ゆっくり休んでくれ……」

 

「ぁ……」

 

ジュリエッタちゃんが展開し続けていた人形操作魔法(ドラットツィア)を切断、停止させる。

 

魔法と一緒に、張り詰めて続けていた神経と緊張まで切れてしまったのだろう。失神するように、少女は眠りに落ちた。

 

俺に寄りかかる倒れたジュリエッタちゃんの背中を支える。軽くて、華奢な身体。この幼い身でずっと、歯を食いしばって頑張っていたのか。

 

「よく、がんばったな……」

 

繊細なガラス細工を扱うように抱きとめる。

 

少女の視界を奪っていた右手を外す。

 

「……すぅ、すぅ……」

 

長い睫毛(まつげ)が涙で濡れていた。

 

心が軋む思いだが、強張っていた表情が今は緩んでいる。その寝顔は、起きていた時よりもずっと幼く見えた。

 

「……ん?」

 

左目が、変化を捉えた。

 

ジュリエッタちゃんの身体から放たれ続けていたもやもやとした魔力の帯が途切れる。その魔力の帯を左目で追って行けば、離れた場所でコルティノーヴィスさんが佇んでいた。

 

『…………』

 

魔力の帯の後尾がコルティノーヴィスさんに追いついたら、魔法の効果が切れて、本当に終わる。終わってしまう。

 

「…………」

 

コルティノーヴィスさんは、この幕引きをどう思うだろうか。生ける(しかばね)ならぬ、死せる人形であっても、愛娘の(かたわ)らにいることのほうが本望だったのではないかと、つい詮無い考えを巡らせてしまう。

 

誰が何をどう想おうと、もう取り返しなんてつかないのに。取り戻せなんて、しないのに。

 

『…………』

 

「えっ……」

 

魔力の帯が完全に取り込まれる寸前、こちらを向いていたコルティノーヴィスさんの口が動いた。俺が夢を見ているのでなければ、勘違いや見間違いなどではない。

 

発声はされない。表情も変わらない。

 

ただ唇が、言葉を紡ぐ。

 

 

 

『ありがとう』

 

 

 

理屈なんてわからない。残響再生(ナッハイル・スピーレン)で読み取った記憶のまま、ジュリエッタちゃんが無意識下で操ったのかもしれない。

 

可能性は探れるが、答えはわからない。

 

だとしても、この言葉は間違いなく、コルティノーヴィスさん自身の想いだ。

 

たった一言を、その言葉を、俺は受け取った。

 

「っ……俺はなにも、救えていません……」

 

眠っているジュリエッタちゃんを抱きしめる。

 

その想いまでは、受け止めきれなかった。

 


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