そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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「月が、綺麗だな」

 

「うっわ……もうこんな時間じゃねえか……」

 

俺の部屋で騒ぐだけ騒いで、リビングに戻って時間を確認すると思ったより遅くなっていた。

 

明日も平日だ。俺はもちろん、アリサちゃんやすずかも学校がある。夜更かしせずに早く就寝しておかないといけない。これで寝過ごした暁には忍に何を言われるかわからない。

 

というか、さらに言えば学校は学校でも、テストがあるのだ。テスト前日の夜に詰め込みでテスト勉強せずにこれだけ余裕を見せていられるのは、二人とも普段からちゃんと予習復習をきちんとしているからこそだろう。

 

「はやく寝ないとな。その前に歯磨きと……」

 

「えぇーっ!もう寝んの?!夜はこっからやで!」

 

「このあほ。俺はまだしもアリサちゃんとすずかは明日も学校があるんだ。夜更かしはさせられない」

 

「俺はまだしもって、徹も学校あるでしょ」

 

「これで二人を寝坊させてみろ。忍にめちゃくちゃ怒られるぞ、もちろん俺がな」

 

「徹さんが怒られるんだ……あ、お姉ちゃんに連絡してない……」

 

「忍には俺から言っといたから大丈夫だぞ。安心しろ。そんなに顔を真っ青にしなくていい。気持ちはわかるけど」

 

「いややーっ!もっと二人と遊びたいーっ!」

 

「子どもかよ。我慢しろ」

 

「もっときゃっきゃうふふしたいーっ!」

 

「もう充分しただろ」

 

「もっとなでなですりすりしたいーっ!」

 

「よく臆面もなく大声で言ったなこいつ……俺が言ったら絶対殴るくせに」

 

「あたりまえや。徹がやったら事案やからな。同性なら合法や」

 

「合法とか言ってる時点で相当やばいよ。とにかく寝る。これは決定事項」

 

「うぐぐ……はぁ、しゃあないかぁ……」

 

「わたしももっとお姉さんと遊びたいんだけどなー」

 

「明日は一度家に帰らないといけないからね……仕方ないよ」

 

「困んのは徹だけやないもんなぁ、アリサちゃんもすずかちゃんも困んねんもんなぁ」

 

「有り体に俺が困るのは別にいいって言ってるよな。まあ一日二日くらいならオールできるけど。なんなら夜のほうが頭が働く気がする」

 

「徹は夜、元気なのね」

 

「意味深なセリフになってるよアリサちゃん」

 

「ふふっ、夜はお盛んなのね」

 

「寄せていっただろ」

 

「夜のほうが元気って、吸血鬼かいな」

 

「…………」

 

「前もこんな話をした気がするぞ」

 

「徹が吸血鬼やったら尚更(なおさら)お天道様に顔向けでけへんなっ!」

 

「そうそう、そんで俺はこう突っ込んだんだった。『後ろめたいことしてねえよ』テンプレなボケをかましてんじゃねえ」

 

あの時は姉ちゃんはいなかったし、アリサちゃんとすずかの代わりに長谷部と太刀峰がいた。

 

なのに、まるでその時の会話を聞いていたかのようなやり取りである。

 

「……ったらよかったのに……」

 

「え?」

 

「……なんでもないです。歯磨き、どうしたらいいでしょうか?」

 

「歯ブラシとか持ってきてないものね」

 

「安心しぃ。な、徹」

 

「おう。予備があるからそれ使えばいいよ」

 

「意外に準備いいのね」

 

「余計な言葉がついてるけど……まあな!念のためにいつも用意……」

 

「なんか女を泊まらせ慣れてる感じがするわね」

 

「なんで女に限定した!ただの予備だよ、俺の分と、姉ちゃんの分のな」

 

だいたい話がまとまったところで、姉ちゃんがぱちんと柏手を打った。

 

「はい、決まったんやったらはよ歯磨きしよか。それよりどうゆう並びで寝る?うちはアリサちゃんとすずかちゃんのあいだーっ!」

 

テンション高く言い放ちながら、姉ちゃんは一階に降りていく。

 

一段降りるたびにふわふわっと揺れる長い茶色の後ろ髪を三人で追う。

 

「俺は関係ないから別にいいけど、さすがに一つのベッドで三人は狭いだろ」

 

「なに言うてんの?徹も一緒やで」

 

「みんなで一緒に寝るの?いいわね!旅行みたいで!」

 

「え、えぇっ」

 

「いやいや、ぜんぜん無理だろ。アリサちゃんやすずかの家にあるようなサイズじゃないんだぞ。ぜったい誰かベッドから落ちるって。いや、たぶん俺だろうけど」

 

「さすがにうちもシングルベッドで四人は無理って分かっとる。せやから」

 

姉ちゃんは歯磨き粉をつけた歯ブラシを(くわ)えて、びしっと俺を指差した。

 

「ヒビンギュりふほんひいへへみゅ!」

 

「なに言ってんのかさっぱりだわ」

 

 

 

 

 

 

どうやら姉ちゃんは『リビングに布団敷いて寝る』と言っていたらしい。

 

なるほどたしかに、テーブルやらなにやらを片付ければ布団を人数分敷くこともできる。それなら俺もベッドから落ちずに済む。

 

ふだんベッドで寝てるアリサちゃんも床に布団敷いて寝るのは新鮮だそうで、楽しそうにしている。それにつられてすずかも楽しそうだ。修学旅行的な気分なのだろう。修学旅行まだ行ったことないだろうけど。

 

テーブルとソファをリビングの端っこに寄せたのは俺だったし、人数分の布団運んだのも俺だったけど、楽しそうなので、まあいい。

 

それよりも、だ。

 

「すぅー……すぅー……」

 

「こいつ……なにも手伝わなかった上に、敷いている布団でごろごろして邪魔した挙句、ずっとやかましくしてたくせに、真っ先に寝やがったな……」

 

「きっと疲れてたんですよ」

 

「そうね。お姉さんお仕事終わりだもの」

 

三枚目を敷いた時には布団の上をころころ転がっていたはずなのに、四枚目を持ってきた頃にはすでに寝息を立てていた。姉ちゃんは、ばちんとブレーカーが落ちるように眠りに落ちるのだ。

 

「お布団かけときましょ。なんか寒そうだし」

 

「そうだね。猫みたいに丸まってる。……なんだかかわいいね」

 

敷布団の後に運んできた掛け布団の両側を二人で持って、姉ちゃんにかける。

 

苦しくならないように顔は出るように調整して、二人は姉ちゃんの顔を覗き込んだ。

 

「目がぱっちりしてるからかしら?閉じてるととたんに幼く見えるわね」

 

「わぁ……まつ毛長い。鼻高いし肌も綺麗……お風呂上がりにお手入れしている様子なかったのに……」

 

「……こんな言い方したら失礼かもしれないけど……」

 

「なに?アリサちゃん?」

 

「お姉さんって、黙ってるとすっごい美人よね」

 

「……う、頷きづらいよ……」

 

おもしろい会話をしていた。

 

もうちょっと二人のやりとりを見ていたいが、そうこうしているうちに夜も遅くなりつつあるので就寝を促すとしよう。

 

「明日もテストがあるんだろ?早く寝ないと明日に響くぞ」

 

「多少の寝不足でパフォーマンスが落ちるような頭の出来じゃないわ!」

 

「アリサちゃん……そこは、ふだんから勉強頑張ってるから、って言ったほうが誤解も少ないし印象もいいんじゃないかな……」

 

「即座に断言するとこはかっこいいけどな。それでも、だ」

 

「仕方ないわね。徹が忍さんに怒られるのは可哀想だし」

 

「同情してくれてありがとうよ」

 

「それじゃあ、どうやって……ね、寝ます?」

 

「ん?あー……そうだな」

 

姉ちゃんはアリサちゃんとすずかに挟まれて寝たいとかって、寝る前なのに寝言を垂れ流していたが、結局布団の端のほうで熟睡している。

 

姉ちゃんの要望通りにするか、それとも並びを変えるか、すずかは迷ったのだろう。

 

「徹が真ん中、わたしは端っこ、すずかは徹とお姉さんの間。で、いいんじゃない?」

 

「……え?」

 

「ぇっ、えぇっ?!」

 

「俺が間に入んの?いやじゃないの?」

 

「逆になんでいやだって思うの?」

 

「えっと……ほら、だって」

 

「いやならそもそも泊まらないでしょ?」

 

「そう……なの、か?」

 

「そうよ。一緒に寝ることも含めてお泊まりじゃない」

 

「そうなんだ……すずかは、それでもいいか?」

 

「はっ、はいっ。ね、眠れるか、わかりませんけどっ」

 

「それは一番困るぞ」

 

「大丈夫よ、いざやってみればなんだかんだ寝ちゃうわよ」

 

「そ、そう?」

 

「そうそう。大丈夫大丈夫」

 

なんだかアリサちゃんの勢いに流された感は否めないが、おかげで並びはすぐに決まった。

 

アリサちゃんの決定力と判断力の高さは実に秀でたものがある。良いか悪いかはその時々だろうけれど。

 

「はい、それじゃあ決まったことだし寝るぞ。布団に入れー。電気消すぞー」

 

「は、はい……」

 

「いつもこんな時間に寝ないのよね。寝れるかなー」

 

「寝なさい。おやすみ」

 

ばっさりと切って伏せて、電気を消した。

 

 

 

 

 

 

電気を消して横になって、それから一時間ほど経った頃だろうか。

 

アリサちゃんには寝るように言ったものの、俺としても日付が変わる前の時間に寝ることはあまりないので眠気がこない。それ以前に今日は学校から帰ってきてお昼寝しちゃってたのであった。そう考えるともうちっとも眠くない。

 

『寝れるかなー』なんて言っていたアリサちゃんからは規則正しい寝息が聞こえる。今日はかなりテンション高く遊んでいたので、疲れもあったのだろう。実に羨ましい寝付きの良さだ。

 

「…………」

 

「……ん?」

 

目をつぶって寝転がっているだけの時間を過ごしていると、隣でごそごそっと動いた。すずかだ。

 

俺の横で寝ていたすずかが布団をゆっくりとどけて起き上がった。

 

トイレにでも行くのかなと思っていたが、寝起きの足取りとは思えない確かな歩みでリビングを歩く。みんなを起こさないようにとの配慮だろう、驚くほど静かな足音で、トイレとは逆、ベランダのほうへと歩く。

 

足音と同様に開閉音に細心気をつけて窓を開けて、すずかは外へ出ていった。

 

「……アリサちゃんは……寝てるな」

 

隣でアリサちゃんが健やかに寝入っていることを再確認してから、俺も布団を出る。

 

すずかのことなのでおかしなことはしないと信頼はしているが、だからといって心配していないわけではない。おそらく初めて出るだろう俺の家のベランダだし、暖かくなってきていても夜に薄着では肌寒い。風邪でもひいたら、寝坊するよりも大変だ。すずかは最近よく体調を崩しているようだったし。

 

姉ちゃんは一度寝れば起きるまで寝てるのでアリサちゃんを起こさないようにだけ気をつけて、俺もすずかのあとを追った。

 

すずかに(なら)って、ゆっくりと窓を開ける。

 

薄暗くて見えにくいが、小さなシルエットは空を見上げているようだった。

 

「夜空を眺めるんならもう少し厚着してくれよ」

 

「ぴぅっ……と、徹さん……っ」

 

どこから出したのかわからない声を出して、すずかは勢いよく振り返った。

 

波打つようになびくすずかの長い髪が、月光を照らし返した。

 

「叱りにきたんじゃないから安心しろ。寝れなかったんだろ?それなら夜風を浴びるくらい別にいいって」

 

「あ、りがとうございます……」

 

これでもすずかとは付き合いが長い。月明かりの逆光で顔がはっきり見えずとも、声のトーンで悪いことをしたと思っていることくらいは察することができる。

 

まあ、最近は忍の家に行くことも少なくなってしまったので、めっきり顔を合わせてお喋りする機会も減ってしまった。前のほうが距離感も近かった気がする。

 

「俺も寝れなくてなー」

 

「徹さんも?」

 

「学校から帰ったあと昼寝してたからな。ぜんぜん眠たくない」

 

「ふふっ、それは眠れませんね」

 

ようやく笑ってくれたようだ。くすくすと、口元に手をやって上品に笑う。いつもながら、お(しと)やかだ。

 

笑って揺れるすずかの艶やかな髪に月の光で天使の輪が浮かぶ。ふと、声をかける前の、空を見上げるすずかの姿を思い出した。

 

「星でも見てたのか?」

 

「えっと、はい。星もそうですけど、その前はお庭も眺めていました。前きた時とはずいぶんお庭が様変わりしていて、驚きました」

 

「様変わりっていうか、むしろ生まれ変わったくらいの異変だな。……ちょっとガーデニングに精を出すようになってな」

 

精を出していたのは、俺ではなくあかねだったが。

 

「お花、いろいろ咲いてて綺麗です」

 

「もうなにがどれやらわからないんだよな。最初は観賞用の花ばっかり植えてたはずなんだけど、いつのまにか姉ちゃんがこそっと食用の種を()きやがったから」

 

以前庭の手入れをしようとしたら、見覚えのない芽やら葉っぱやらが伸びてきていて驚いた。水やりを頼んでいた姉ちゃんに事情を聞けば『あかねちゃんもいろんな花が咲いてるほうが嬉しいやろうから!』と申し開いた。

 

べつにそれ自体は悪いことじゃないし、その気持ちもありがたいし、庭が賑やかになることは俺だって嬉しいが、なぜ境目も作らずに適当に植えてしまったのか。おかげで花の種類がしっちゃかめっちゃかだ。

 

「真守さんらしいですね」

 

「事前に言っといてくれれば食用、観賞用って区分けすることもできたんだけどな」

 

「うちでもやってますけど、食用は育ててないんです。お姉ちゃんとやってみようかな……っくしゅ」

 

「おい、やっぱり冷えちゃったんじゃ……」

 

「ち、違います、大丈夫ですっ。えっとあの、か、花粉症でっ」

 

「すずか花粉症とかなかっただろ。ったく……」

 

「徹、さん?」

 

座り込んですずかと目線を合わせ、手を引く。膝の裏に腕を回して持ち上げる。

 

「近くにいれば寒くはならないだろ。ついでに俺もあったかい」

 

「えっ、ちょ、ちょっとっ……」

 

「暴れんなよ、落っこちるぞ」

 

「は、はぃ……」

 

落ちないように、もう一方の手を背中に回す。これなら安定するし、多少は風除けになるだろう。

 

「寒くないか?」

 

「あ、あたたかい、です。……とても」

 

「それならよかった」

 

すずかが腕の中で縮こまってしまった。おかげでとても抱えやすい。

 

恥ずかしそうなので見ないように空を見上げる。

 

「ずいぶん晴れてるな。こんな街の中なのに星がよく見える。月が、綺麗だな」

 

「そっ、は、えっ……。そう、そうですねっ。月が、綺麗です……」

 

すずかは今思いっきり顔を伏せているのだが、どうやって見ているのだろう。俺が来る前に散々見ていたのだろうか。

 

「んー……案外見えるけど、さすがに今見えている星がどんな星でなんの星座に含まれるとかまではわからないな」

 

「へ?……あ、あぁ……」

 

何か残念がるような、強張っていた力が抜けていくような声だった。

 

「すずか?」

 

「いえ、なんでも……徹さんでも、知らないことあるんですね。なんでも詳しいのかと思ってました」

 

「俺も知らないことは知らないぞ。星座の本とかは読んだことあるけど、星の名前とどんな並びかを知ってるだけ。テストで使える分くらいだな。こうやって眺めてみると、それだけじゃどうも実用的じゃないらしい。どれがどの星か判断つかない」

 

「わたし、わかります。星空はよく眺めてるので」

 

「おお、それはすご……そのせいで朝起きれないんじゃ……」

 

「今の時期だとですねっ」

 

少々強引にすずかが空に手を伸ばした。

 

白くて細い指先で、星空のキャンバスをなぞる。

 

「春の大曲線を一つの目安として眺めるとわかりやすくて……」

 

「どうした?」

 

「ここだと見える範囲が限られていて、説明はできなさそうです……」

 

「なんと……」

 

夜空を眺めるだけならまだしも、星空を楽しもうとすると、ベランダでは少々空が狭かった。

 

こうなったら、予定外に時間を使っちゃうかもしれないが、あの手を使うしかないか。尻切れで布団に戻ってしまっては、もやもやしてしまう。

 

「……すずか」

 

「はい?」

 

「眠たくなったか?」

 

「いえ……逆にベランダに出る前よりも目がさえちゃいました……」

 

「奇遇だな、俺も同じだ。そんなら眠たくなるまで付き合ってもらうぞ。せっかくの綺麗な夜空だ、ちょっとくらい夜更かししてもばちは当たらないだろ」

 

「……え?」

 

戸惑っているすずかを抱えたまま部屋に戻る。

 

「ど、どこに行くんで……」

 

開閉するすずかの唇を、人差し指をくっつけて無理矢理停止させる。

 

「しっ。二人が起きたら大変だろ?」

 

アリサちゃんならまだいいとして、姉ちゃんが起きてしまうと近所迷惑も甚だしくなる。騒がしくなるのが目に見えている。

 

静かにゆったりと会話して指で星を追うのが醍醐味なのだから、おおよそ風情を解さない姉ちゃんはお呼びでない。

 

「っ、っ!」

 

どうやらすずかもわかってくれたようだ。全力で頷いていた。

 

そうこうしているうちに、忍び足でリビングを通過。一度俺の部屋に寄ってから、階段を上がって三階へ。

 

「こっち……三階、くるの、初めてです……」

 

「そうだろうな。滅多に人を通さないし」

 

「そ、そう、なんですか」

 

「だから、今から行くとこは、客人ではすずかが初めてかもしれないな」

 

「は、初めてっ、ですかっ?」

 

「ああ。たぶん、恭也も忍も……行ったことないと思う。そんな記憶はないな。とくに行く必要もないわけだし」

 

「わ、わたしが……恭也さんも、お姉ちゃんも行ったことないところに……」

 

三階に上がり、ちょっと進み、段差が二段あるところの扉を開く。

 

すぐに、ひんやりとした夜風と、澄んだ空気がなだれ込んできた。

 

「……屋上。ちょっと前に掃除したからそこまで汚くはないと思うけど……どうだろうな」

 

「わぁっ……空、星……綺麗に……」

 

我が家の屋上。昔はここで洗濯物を干したり遊んだりもしていた覚えがあるが、今の暮らしになってからは洗濯物はベランダで事足りるし屋上で遊ぶという年齢でもなくなったので、めっきり出ることはなくなった。それでも、屋上という場所はゴミがたまりやすいのでちょくちょく掃除にはきている。

 

そこそこ広いのでバーベキューなどにはいいかもしれないが、そういったイベントをする時は恭也の家かとくに忍の家の敷地内でやることが多いので結局屋上はあまり使う場面がなかったのであった。

 

「夜空眺めるぶんには、なかなかいいな」

 

この周辺はマンションもほとんどなく、だいたいが三階建て、高くて四階建てくらいだ。なので屋上に上がって仰ぎ見れば、天穹(てんきゅう)を削る無粋なコンクリートも悪戯書きのように空を区切る電線も、視界に入らない。

 

「ここなら星、見やすいです」

 

「そうだろ。そんで、もう一つ工夫だ。こんな機会そうそうないからな。楽しもうぜ」

 

俺の部屋から持ってきていたシーツを広げる。そこで座って、すずかを降車させた。

 

「あ、終わっ……はぁ」

 

「なに一息ついてんだ。これからだろうが。ほら、寝ろ」

 

「え、ぁ、ひゃっ……っ」

 

シーツの上でため息をついているすずかの肩を掴んで仰向けに寝かせた。

 

「屋上だと吹きっ(さら)しになると思ってな、ちゃんと掛けるためのタオルケット持ってきたんだ。これで完璧だ」

 

「っ、ぁぁっ、ち、近っ……」

 

「んっ……案外床が冷たいな、それに固いし……。すずか、ちょっと失礼するぞ」

 

「ま、まだっ……なにか、するんで……ひゃぁぅっ」

 

まだ若いので大丈夫だろうが、もし肩や首、腰を痛めてしまうとかわいそうなので、抱き上げてそのまま俺の上まで移動させた。これなら床より温かいし、固くもないので身体を痛めないだろう。その上からタオルケットをかぶせる。防寒対策もばっちりだ。俺としても、すずかが指差す星の位置を目で追いやすくなるし。

 

「よし。さ、始めようぜ」

 

「あ……あぁ、はわ……」

 

「ん?泡?」

 

すずかがぷるぷる震えてあわあわ悶えている。

 

いくら外でもここまですれば寒くはないはずなので、凍えているわけではないようだ。もしかすると少し馴れ馴れしくしすぎたのだろうか。昔、忍の家で遊んでいた時はこのくらいの距離感でいたのだが。

 

「あれ?もしかして夢?あ、そっか、こんなこと現実に起こるわけないもんね。これはわたしの夢なんだ。夢なら覚めないうちに楽しんだほうがいいよね、うん」

 

「……すずかー?」

 

ぶつぶつと小声な上に早口で、(まく)し立てるように言い切った。俺に聞かせるために言ったのではないようだ。

 

「あったかいですね」

 

「ん?そうか、よかった。俺も背中以外はあったかいぞ」

 

「……はぁ、こうしてると、なんだか小さい頃みたいです」

 

「ついさっき俺もそのこと思い出した」

 

今も充分小さいよな、といういらない相槌は飲み込んだ。

 

「ふふっ、えへへ……」

 

すずかはもぞもぞと動いて、俺の顎の下あたりまで移動する。こちらに顔を向けて笑った。いつものお上品な微笑ではなく、昔みたいな幼い笑みだった。

 

仰向けになって指を夜天に差し向ける。

 

「この時期だと、春の大曲線を見つけるとほかを探しやすいんですよ」

 

すずかがとある一点を指差す。

 

どうやら話は天体観測に移ったようだった。

 

「春の大曲線ってのは聞いたことあるぞ。えっと……柄杓(ひしゃく)みたいな形の北斗七星の柄にそって伸ばして、うしかい座のアルクトゥールス、おとめ座のスピカを辿って、からす座までの曲線を呼ぶんだよな」

 

「さすが博識ですね。あたりです。それでは、どこにあるかわかりますか?」

 

「…………」

 

本で読んだだけの知識なので、実際にどのあたりなのか、どれがどの星座なのかわからない。仕方ないじゃない、本みたいに線が引かれているわけじゃないんだもの。

 

「今夜はよく晴れているので、いつもより見つけやすいですよ?」

 

「…………」

 

なんだかいつもよりすずかが意地悪だ。

 

「ふふっ、ごめんなさい。ふだんできないから、つい」

 

「……すずか先生は厳しいなぁ」

 

「えへへ。それではまず、北斗七星を見つけましょう。北斗七星は……」

 

言って、すずかは指を差す。

 

俺がどれだかわからないと弱音を吐くと、顔を寄せて視線を近づけた。

 

おおぐま座の腰と尻尾を形成する北斗七星をようやく見つけた。おおぐま座の一部なのに、北斗七星の方が有名というのはちょっぴり可哀想である。

 

「その先にあるオレンジ色の明るい星、わかりますか?あれがうしかい座の一等星です」

 

「おお!わかるわかる!あれがアルクトゥールスか……周りと比べてもずいぶん明るいな」

 

「そうです。だから目印にするには打ってつけってことです」

 

「なるほどなぁ……あ、すずか、近くにあるあの青白い星はなんだ?」

 

「ふふっ」

 

「え、なに?」

 

「あれがさっき徹さんが言ってたスピカですよ。おとめ座の」

 

「ああ、あれか!はー……写真とか載ってたけど、生で見るとずいぶん違うんだな……」

 

「見る時期によっても見え方が違いますからね」

 

「それじゃあ、この曲線を引いてった先にからす座があるのか……どれだ」

 

「一度見えるとすぐにわかりますけど、見つけるまではわかりにくいんです。さっきのアルクトゥールスやスピカみたいに明るくもないから」

 

「曲線の先……曲線の先……」

 

「特徴的な四角形をしていますよ。えっと……台形、なのかな?スピカからちょっといったところに……っ」

 

丁寧に教えてくれようとして、視線を合わせようとしたのだろう。スピカとからす座の距離感ばかりに気を取られて、俺たちの距離感が疎かになっていた。

 

頬と頬が、優しくぶつかった。夜風に熱を奪い取られた顔には、その柔らかさと温もりはとても刺激的だった。

 

接触と同時に、すずかの指の動きも解説も停止してしまった。

 

「す、すずか?」

 

「ぁ、ぁ……っ、位置が近いほうが、教えやすい、よね……うん」

 

「すず……」

 

「あ、あれ、です……あの台形みたいなのが」

 

「お、おー?……あ、あれか」

 

すぐに離れるかと思ったが、頬をくっつけたまま離れない。どころか、そのまま天体観測を再開した。

 

俺としては無理矢理離れさせる理由はないし、くっついたらすぐにからす座も発見できてしまった。すずかに問題がないのなら、別にいいだろう。

 

「この春の大曲線を目安にして、ほかの星座を探すと楽なんです」

 

「そうだ、春の大三角ってあるじゃん?アルクトゥールスとスピカと、あともう一個デネボラを結んだやつ。デネボラってどれ?」

 

「デネボラはしし座のしっぽの先で……」

 

すずかが差している方向に、とても薄い紫みたいな白い星があった。すずかと同じように俺もデネボラらしき明るい星を指差す。

 

「あの明るいやつか?だとしたら、ずいぶんとんがった三角形になるな。二等辺三角形だ」

 

「それ……たぶんレグルスです。そのまますすっと横にスライドして……て」

 

「て?」

 

「手、少々お借り……します」

 

身体を少し起こして、すずかが両手でふわっと俺の手を握る。すすっとちょっとだけ横に移動させた。すずかの手は、熱いくらいに温かいのに、なぜかぷるぷる震えているのが不思議だった。

 

「わかります?」

 

「わかりますん」

 

「『わかります』なのか『わかりません』なのか、わたしにはわかりません……」

 

「わかりません」

 

「それなら最初からそう言ってください」

 

すずかに優しく叱られてしまった。ちょっと癖になりそうだ。

 

肩を落として、もう一度身体を寝かせる。おっかなびっくりしながら、また頬をくっつけた。そこまでしてさっきと同じようにしなくてもいい気がするけれど。

 

「えっと……ちょっと、イメージしてください。さっきの大曲線、ありますよね」

 

「春の大曲線だな。一度見つけられたら本当にすぐに見つけられるんだな」

 

「はい。その曲線でぐるっと円を描くようなイメージです。その円の中心にあるのが、デネボラです」

 

イメージ。

 

さっき見つけた春の大曲線。その曲線をからす座で止めずに、コンパスを使って円を作るようなイメージ。夜空に描かれた円の中心点、そのあたりを凝視する。

 

「おっ!あった!あれかぁ……レグルスより光弱くない?」

 

「レグルスはしし座の一等星で、デネボラは二等星なので、すこしだけ見劣りしちゃうかもしれませんけど……」

 

「これで春の大三角完成か。写真だとわかるけど、自分の目で見つけようと思うと大変だ。教えられながらでやっとだし」

 

「でも、これで徹さんも見つけられるようになりましたよね」

 

「……位置が変わらなかったらはっきりと『はい』って応えられるんだけどな」

 

「くすっ、季節によって変わっちゃいますからね。そのせいで見えなくなる星もあれば、そのおかげで見えるようになる星もあるので一概に悪いことじゃないですよ?」

 

「それもそうだな。今回は春の大三角だったけど、やっぱり有名な夏の大三角もちゃんと見てみたいな。デネブと、アルタイルと、ベガ……だったな」

 

「夏も楽しいですよ。明るい星多くて、眺めていて楽しいです。星がわかると星座も見つけたくなって、星座を見つけるとなんでそんな名前の星座になったのか、由来に興味がわくんです。わたし、本を読むのも好きですけど、本のお話を読むのとはまた違うおもしろみがあって」

 

「それはわかる。かに座とか、しし座とかひどくておもしろいよな」

 

「そうっ、それを星座にしちゃうのって星座がいっぱいあってっ。読んでいて飽きませんっ」

 

「その繋がりで言えば、日本にも星に関する有名な話があるよな。織姫と彦星が」

 

「こと座のベガと、わし座のアルタイルですね。どっちも一等星で、夏だとすごく見つけやすいんです。あ、でも……ちょっと残念です」

 

「なにが?」

 

「六月だと、春と夏の星をどちらも見ることができるんですよ」

 

「ほんとに?めちゃくちゃ楽しそうだな」

 

「一つの空に春の大三角と夏の大三角があるのは壮観です。ただタイミングはシビアですけど……。六月の……半ばくらい、だったかな」

 

「それは見てみたい。こうして天体観測してたら俺も興味わいてきたわ」

 

「そう、ですか?よ、よければ、また付き合っていただけると……」

 

「それ俺のセリフだな。今日だって俺が屋上に連れてきたわけだし」

 

「じゃ、じゃあ……っ」

 

弾んだような、期待を込められた声。天体観測という趣味はすずかくらいの年齢の子たち相手では人を選ぶだろうから(高校生くらいの年齢層でもそうは多くないだろうけれど)同好の士を見つけられて嬉しいのかもしれない。

 

俺としても、一人では手が出しづらい星の世界を詳しく教えてもらえるのはありがたい。この夜遊びは実に楽しかった。次も是非、すずかに教えてもらいたい。

 

「付き合ってもらえるか?すずか」

 

「ぇぁっ……は、はい……っ」

 

予想できた誘いだろうに、とても驚いたように喉の奥で吐息をもらして、こくこくと頭を小刻みに前後させた。温かかったすずかの体温が、わずかに上がった気がした。

 

 


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