そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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「魔女狩り」

本日のテストも無事消化。

 

登校さえできればテストは一切問題ないのであった。

 

ただ、俺は無事だったが、無事では済んでいない友人が二人ほど机に突っ伏しているけれど。

 

今日のテストの科目が暗記系に集中していたことと、昨日の忍の家での勉強が効いているのだろう。

 

「徹。あんた、すずかに手、出してないでしょうね」

 

「……またかよ」

 

二人の友人、長谷部真希と太刀峰薫の燃え尽きたような灰色の後ろ姿を自分の席でぼんやりと眺めていると、忍に机をどん、と叩かれた。

 

「何回も言ったけど、姉ちゃんもアリサちゃんもいたんだからな」

 

「すずかのテンションの高さを考えて、なにかあったと考えるのが自然よ。つまり徹が何かした。QED」

 

QED(証明終了)すんな。途中の推論がぶっ飛んでるだろ。……というか、朝にすずかと会ったのか?よく時間あったな」

 

「そのくらいの時間はあるわよ。顔合わせて満面の笑みであれこれ話されたからあんたにしつこく聞いてんのよ。あんなにきらきらした笑顔、久しぶりに見たくらいよ」

 

「なるほど、それで今日は教室に入って来るのが遅れていたのか」

 

声のする方向を振り返る。帰る準備を整えた恭也が(かばん)を肩にかけて立っていた。

 

「そうよ、恭也。すずかが珍しいくらいに、にこにこ顔でずっと喋るものだから、止めるに止められなかったのよ。結局ノエルが学校に間に合わなくなる、って割って入ってくれるまでね」

 

頭を抱えながら、忍はため息を一つ。遠くを見つめながら続けた。

 

「家に帰ったらまた続きを聞いてねって言われちゃったのよ……」

 

「愛する妹とのおしゃべりだろうが、聞いてやれよ」

 

「私だってすずかといっぱいおしゃべりできるのは嬉しいけど、その内容がほとんど徹絡みなんてっ」

 

「なんだよ別にいいだろ!」

 

「気持ちはよくわかる。なのはから徹の話を聞かされた時は俺も同じ気分になる」

 

「お前もかい!」

 

「しかし、すずかとアリサちゃんを徹の家に泊めるのなら、一緒になのはも誘ってやってくれればよかったんだが……またへそを曲げてしまう」

 

「朝も言ったけど、そもそも泊まりなんて予定になかったんだって」

 

なのはも呼んであげればよかった、ということは朝、恭也に言われて初めて気づいた。アリサちゃんが一人で泊まるのは心細いだろうと思ってすずかも一緒に泊まるような流れに持っていったが、その時になのはも誘っておけばよかった。今度なのはに会った時が怖い。

 

「そういえばすずかの髪型が変わってたんだけど、あれは?」

 

「あれは姉ちゃんの仕業だ。出来はどうだったよ」

 

「最高だったわ。思わず抱きしめたもの」

 

「髪型?なんの話だ?」

 

「朝に姉ちゃんがすずかとアリサちゃんの髪をいじったんだよ。すずかは猫耳になってた」

 

「猫耳……髪型でか?そんな髪型があるのか……」

 

「めちゃくちゃ可愛かったわ。また今度真守さんにお礼言わなきゃ」

 

「礼なんていいだろ」

 

「あれだけ可愛いものを見せてもらったんだから、お礼言うのが筋ってもんでしょ」

 

「大丈夫だって。姉ちゃんが言ってた。今度は姉妹揃って猫耳にしたいって」

 

「……え」

 

「それがお礼の代わりになるだろ。だから気にしなくていいって」

 

「わ、私はいいわよ……猫耳はすずかだけで、お礼は別に用意するから……」

 

「そうか?わかった、姉ちゃんにはそのまま伝えておく」

 

「そ、そのまま……って?」

 

「忍はいいって言ってた、って」

 

「それをそのまま伝えたら絶対に真守さんはポジティブな意味で受け取るだろうな……」

 

「え、遠慮するって伝えときなさいよ!」

 

「それだと姉ちゃんは『遠慮なんかせんでええよ!』って言うだろうな」

 

「逃げ道がないじゃない!」

 

「なに言ってんだ、相手は姉ちゃんだぞ。最初から選択肢なんて『はい』か『是非』しか用意されてねえよ」

 

「ニュアンスの違いでしかない」

 

「逃げ道なんてなかったのね……ふふ」

 

「似合うんじゃね?黙ってりゃな」

 

俺の軽口にもつっこまないところを見るに、どうやら忍の意識はどこか遠くへ旅立ってしまったようだ。

 

諦めが入った忍の後ろから、長谷部と太刀峰、加えて鷹島さんがやってきた。運動能力にのみパラメータが振り切られているバスケバカの二人にしては珍しく、歩いている。机に突っ伏してシステムダウンしていた二人を、鷹島さんが再起動させたようだ。

 

「どうした、長谷部、太刀峰。昼間に外を出歩いちまったゾンビみたいな動きで」

 

そう冗談を叩くと、長い瞬きをして長谷部が俺に目を向ける。

 

「脳を酷使しすぎたよ……」

 

「もう、頭……動、かない……」

 

「なんだよ。まるで頭蓋骨の内側に脳みそが詰まっていたみたいな言い方して」

 

「なんて失礼な!」

 

「傷ついた……ばいしょーを、要求する……」

 

「賠償って意味わかってんのかな」

 

「今日は昨日の分までバスケに付き合ってもらうしかないね、これは!」

 

「……暗く、なるまで。これは、せいとーな要求である」

 

「テスト勉強はどうすんだよ」

 

「昨日やったさ!」

 

「どうせお前らが昨日やったのは今日のテストのぶんだけだろ」

 

「もう、電池切れ……バスケして、充電……しないと」

 

「運動なんてしたら充電どころか放電にしかならねえよ」

 

「長谷部さんも太刀峰さんも、案外元気……なのだろうか」

 

「真希も薫も、軽く運動すればほんとに元気になると思います。昨日はがんばってじっとしていたほうなので、いっぱい動きまわりたいんじゃないでしょうか?」

 

「……まるでしばらく散歩してもらえなかった犬のようだな」

 

「ふふっ、だいたいあってます」

 

「真希ちゃん?薫ちゃん?また泊まり込みでじっくりお勉強したいのかしら?」

 

「ひぃっ?!す、すまない忍さん!」

 

「ぷるぷる……っ」

 

昨日は忍に叩き込まれたようだ。二人のテスト後の憔悴(しょうすい)っぷりからして、そうだろうとは思っていたが。

 

「し、忍さん、そのあたりで……。集中して取り組むのも大事ですけど、息抜きも必要ですから……」

 

「綾ちゃん……。息抜きのティータイムは必要以上にあったはずだけど」

 

「…………」

 

鷹島さんが口を(つぐ)んで忍から目を逸らした。助け舟は沈んだようだ。

 

「し、仕方ないじゃないか!勉強ばかりしている時に、庭にバスケットゴールを見つけてしまってはっ!」

 

「行かざるをえない……これは発作、みたいなもの……」

 

「昨日バスケやってたのかよ!まるで一切休憩してなかったみたいな口振りだったくせに……って、あれ?忍の家にゴールなんてあったっけ?」

 

「ああ、あれはつい最近作ったそうだ。長谷部さんと太刀峰さんがバスケ好きだから、遊ぶために、あと自分の練習用に頼んだのだそうだ」

 

「うっわあ……まじかよ」

 

さすが、リッチである。広い庭だけでは飽き足らず、バスケのゴールまで置いてしまうとは。というか、結果的に二人のために作ってるではないか。

 

「どうしても身体を動かしてリフレッシュしたいっていうから、勉強を中断して庭に出たのよ。そしたら仕事を終わらせたファリンまできたものだから……」

 

額に手をやり、やれやれと頭を振る忍。バスケバカ二人に加えて、無尽蔵のスタミナを持つファリンの手綱を握るのは大変だったろう。少し同情する。

 

「でも、忍さんも楽しそうでしたよ?」

 

「うっ……」

 

「ってお前もやっとったんかい!」

 

「仕方ないじゃない!断れなかったのよ!」

 

「そんじゃその間、鷹島さんは?一緒にやってたわけじゃなさそうだけど」

 

「私はノエルさんに紅茶を淹れてもらって、一緒に見学してました。見てるのも楽しかったですし、ノエルさんとのおしゃべりも楽しかったです!」

 

「鷹島さんも息抜きできたんだ。よかったよ」

 

「はいっ!」

 

「ふむ……」

 

恭也が思案顔でこちらを見た。

 

「徹、今日は勉強会に参加できるのか?」

 

「んあ?できるけど?」

 

「よし、それでは長谷部さんと太刀峰さんの要望も取り入れて、こうしよう」

 

恭也が折衷案を提出した。

 

 

 

 

 

 

学校の校門でノエルさんに拾ってもらって、忍の家に到着。男女に分かれて動きやすい服に着替え、勉強部屋として充てられている一室に集合して恭也が折衷案の内容を説明した。

 

恭也の案とは、つまりこうだった。

 

スリーオンスリーで勝負して、俺たちが勝てばテスト勉強に集中、長谷部たちが勝てば可能な範囲でバスケにも時間を割く。

 

どちらが勝とうが負けようが勉強もするし、バスケもできる。比重がどちらに傾くかは勝負に委ねるという、公平なものだ。机に向かってばかりだと身体も鈍るし、ちょうどいい運動だろう。

 

「忍さん。忍さんの希望とは反対になってしまうけれど、手は抜かないでもらえると僕たちとしては助かるよ」

 

「はぁ……わかってるわよ。勝負事で手を抜くなんて無粋なことしないわ」

 

「さすが、忍さん……わかってる」

 

「……この異常なまでの意欲をほんのひとつまみだけでいいから、学業にも割り振ってくれれば……」

 

バスケ以外のことでは全く見せないやる気を迸らせている二人に、忍は嘆息した。

 

チーム分けは前に女子バスケットボール部で組んだ編成から少しいじっている。

 

長谷部、太刀峰、忍がチームを組み、対してこちらは俺と恭也、鷹島さんとなっている。

 

気炎を吐きながら真剣に柔軟体操している長谷部と太刀峰に、恭也が呟く。

 

「バスケットボールという競技の何が、長谷部さんと太刀峰さんをあそこまで駆り立てるのだろうか……」

 

「しゃあねえよ。あのあほ二人は集中力や熱意を含めた全パラメータを運動関連に注いでんだ。常人が考えたって答えは出ねえよ。……鷹島さん、ごめんね。見学させてあげられればよかったんだけど」

 

「いえ、いいんです。私、運動は……と、得意とは口が裂けても言えませんけど……」

 

「……う、うん、まあ……そうだね」

 

このメンツの中では、並の人間でも立つ瀬はないだろうけれど。スポーツを得意とする人間が多すぎるのだ、この空間は。

 

「得意どころか、どちらかといえば苦手ですけど、でもみんなと一緒に遊ぶのは好きなので!私、精一杯がんばります!」

 

「ありがとう。前みたいな活躍を期待してるよ」

 

「前も、逢坂くんのフォローがあったからこそ、ですけど……」

 

「なに言ってんの。俺が指示しなくてもいてほしい場所にいてくれてたりしたでしょ。それに、シュートが決まったのは鷹島さんが体育の授業を真面目に受けて練習してたからだよ。鷹島さんの努力の成果なんだから、誇っていいよ」

 

「そ、そんな……えへへ」

 

賛辞に、鷹島さんは照れ臭そうにはにかんだ。なんとまあ、同い年とは思えないほどに愛らしい。

 

「俺たちが勝って、すぐに勉強会に戻ろう。テスト落として補習になったら、休日潰されちゃうんだからな」

 

「はいっ!」

 

やる気に満ちたまん丸の瞳をきらめかせ、真面目な鷹島さんは準備運動し始めた。まるで小学生のラジオ体操みたいだが、本人は至って真剣だ。

 

鷹島さんを眺めていたが体操を始めたところで視線を外す。運動するということで全員動きやすいようジャージを着ているのだが、だぼっとしたジャージを着ていても、鷹島さんが柔軟体操をするたびに身体の一部が激しく自己主張してくるのだ。

 

彼女は背は低いのにとある部位は育っていて、なのに本人は無自覚なので、目のやり場に困る。

 

目を逸らした先には、なにやらこちらを観察して考え事をしている恭也がいた。

 

「なにかあったか、徹」

 

「なにか、って、なにが?」

 

「いや、人の使い方が上手くなっているような気がしてな」

 

「……その言い方だと、なんか俺すげえ嫌なやつみたいなんだけど」

 

「すまん、他意はない。ただ、人との接し方が少し変わったように思えてな」

 

接し方が変わった。

 

自分では気づかなかったけれど、他の誰でもない恭也がそう言うのなら、たしかに変わったのだろう。

 

そう言われて思い当たるのは、つい先日の嘱託魔導師としての仕事だ。

 

これまででは自分のことだけ、もしくは近くの仲間のことだけを考えていればよかったが、大人数に指示を出さないといけない立場を経験した。

 

個人の能力や人格を把握し、それらに合わせた指示をしなければうまく回らないことは、先輩兼教官兼上司の背中を見て学んでいた。クロノとリンディさんの見様見真似だったが、頭ごなしにあれやこれやと命令するだけではいけないのだ。

 

そういった経験と意識が、すこしずつ俺の深層で根付き、芽生え始めているのかもしれない。

 

「まあ、あれだ、ちょっとした考えの変化があったんだ。……パラダイムシフトってやつだよ」

 

「……違う世界に関わることか」

 

「あー、いや……隠そうとしてるわけじゃなくてだな」

 

「構わん。徹がいい方向に変わっていっているのなら、何もかも喋れとは言わない」

 

かすかに笑って、恭也は言った。

 

なんだか妙に気恥ずかしくて、俺は恭也に背を向けた。見透かされているようで、照れ臭かった。

 

「……さて、そんじゃ軽く運動するとしようぜ。今回は女バス部の時みたいに特別ルールもねえんだ。細かいこと気にしないで楽しめるなあ、恭也」

 

「ああ、そうだな。テスト勉強は大事だが、このところ身体を動かせていなかったんだ。せっかくの機会、楽しませてもらおう」

 

息抜きと呼ぶにはお互い気合が入りすぎている余興が、今始まる。

 

 

 

 

 

 

運動着から着替え、教科書やノートが広がっているテーブルに向かっているのは、俺と恭也の二人だけ。

 

残りの女性陣四人のうち二人、鷹島さんと忍はソファに横になり、長谷部と太刀峰は部屋の隅のほうでふわふわとしたカーペットに寝転がっている。

 

四人とも薄地のタオルケットを布団がわりに、健やかな寝息を立てていた。

 

「俺たち、なにしにきたんだっけ?」

 

「……息抜き、テスト勉強のフラストレーションと運動不足解消の為のバスケだったが、体力の消耗が大きすぎたな……」

 

こうなったのも、気持ち良さそうな顔でぐーすか寝ているバスケバカ二人が余計な提案をしたせいだ。

 

 

 

 

 

 

スリーオンスリーを始めるにあたり、勝負のルールを明確に定めていなかったことが長谷部と太刀峰に付け入られた原因だろう。

 

俺はてっきり、十ポイント先取とかだと早とちりしていた。いや、テスト勉強の息抜きならばそうであるべきだし、他のみんなも軽いミニゲームとして捉えていたはずだ。

 

だが、バスケバカの二人は違った。

 

三対三でバスケをする公式競技、五分のピリオドを二回行うというスリーバイスリーの公式ルールですらない。五人ずつのチームで行う通常のバスケのルールをそのまま持ち込んできやがった。つまり、十分のピリオドを四回行う、というもの。

 

こんなことになってしまった原因をさらに遡れば、作ってもらったというコートにも問題があるともいえる。いや、ある意味では問題がなさすぎたのだが、そのことがなにより問題だった。

 

俺はてっきりバスケットゴールだけ、もしくは公園で見られるようなハーフコート分くらいの広さをイメージしていた。しかし、いざ現場に到着してみれば、完成して間もないぴかぴかのオールコートだったのだ。

 

新品のコートを思う存分駆け回りたいという二人の言い分はわからなくもないのだが、なんせ人数は両チーム合わせて六人。通常ルールの五人制バスケでも走り回らなくてはいけないのに、オールコートの変則スリーオンスリー。もちろん交代できるような控え要員はいない。有り体に言って、運動量が馬鹿だった。

 

鷹島さんは第二ピリオドの途中で事切れてしまい、忍ですら第三ピリオド前半の時点で足が死んでいた。

 

終盤は、俺と恭也とバスケバカ二人の四人しかコートの中で動いていなかった。

 

後から聞いた話だが、どうやらテストの準備期間で少し前から部活動が強制的に休みになっていたらしく、抑圧されたバスケ熱がここにきて爆発したようだ。昨日の息抜き程度のお遊びでは、ガス抜きにはならなかったらしい。

 

結果として、俺たちのチームが勝利をもぎ取ったが、試合終了のブザーがなった時、コート上に二本足で立っている者はいなかった。

 

俺は四つん這いになってばくばくと騒々しく鼓動を掻き鳴らす心臓を押さえていたし、あの恭也ですらコートに膝をついて天を仰いでいた。

 

長谷部と太刀峰は仰向けに大の字で倒れていた。年頃の女の子が晒していい姿ではないが、制止することも(たしな)めることもできなかった。

 

こんな惨状になる前にもう少しセーブしていればよかったのだが、プレイしているその瞬間はスタミナの温存なんて考えられなくなるくらい夢中になっていた。ランナーズハイに近しい精神状態だった。それだけ楽しかったということなのだが。

 

ともあれ、体力は使い果たして、身体中汗だくで勉強などできようはずもなく、まずは汗を流すこととした。女子陣を先に向かわせて、次いで俺と恭也。

 

バスケバスケとうるさかった為逃していた昼食を、ノエルさんの手料理でご馳走になる。

 

空っぽのタンクに燃料が注がれるような、渇いてひび割れた大地に水が染み入るような、多幸感にも似た感覚だった。

 

激しい運動をして、お風呂でさっぱりとして、とても美味なご飯を頂いた。そんな状態の人間が、空調がバッチリ効いてとても過ごしやすい室内でじっとしていれば、どうなるか。

 

答えは出ていた。

 

お腹が膨れた赤ちゃんよりも迅速に、長谷部と太刀峰は夢路へと旅立った。本能に従う野生動物のそれだった。

 

どうせ無理に起こしたって使い物にならないし頭に入らないのは明白だったので仮眠を取らせ、残っているメンバーだけで先に始めておくこととした。

 

したのだが、鷹島さんは会話が八割以上成り立たず、忍も忍で、長いまつ毛を上下にふらふらと揺れさせていた。重そうに(まぶた)をこじ開けようとしていた。

 

これではとてもではないがテスト勉強になどならないので、ほとんど意識のなかった鷹島さんと忍をソファに運んでこちらも仮眠を取らせた。鷹島さんと忍、ついでにカーペットで雑魚寝している長谷部と太刀峰にも、ノエルさんから借りたタオルケットをかけておいた。

 

結局生き残ったのは、体力と持久力ついでに耐久力に定評のある俺と恭也だけだったのだ。

 

 

 

 

 

 

「はあ……あの時、長谷部と太刀峰の勢いに流されずに断っていればな……」

 

「今更言っても仕方ない。実際楽しめたことは事実だ。あれだけ本気に近い力を出したのは久々だった」

 

「いやまあ、そりゃすげえ楽しかったけど。俺たちだけでやっとくか、勉強」

 

「そうだな。と言っても、徹は必要ないだろうに」

 

「別にいいんだって。念のための復習と、あとはバスケバカ二人に教える時の手順の確認もしときたかったし」

 

広げられた恭也の教科書とノートに視線を落とす。

 

一応女子たちを起こさないように部屋の隅っこに移動しているが、なるべく静かに喋る。この程度の音と声で起きるような神経はしていないだろうけれど。

 

かりかりとノートにペンを走らせる恭也を視界の端に捉えながら、ぼやく。

 

「はー……俺たち紳士だなー」

 

「俺たちを信頼しているのだろう。徹は直接見たことはないだろうが、長谷部さんも太刀峰さんも、他の男子の前では砕けた態度は取らないし、このように油断しきった姿も晒さない。本心を見せる相手は選んでいるようだ」

 

「……それもどうなのかとちょっと思うけどな。ま、この程度の据え膳で飛ぶような理性はしてないけどな」

 

これしきで手を出していたら、いったい何度リニスさんと一線を越えているかわかったものではない。

 

「……まるでそういった機会がなんどもあったような口振りと態度だな」

 

相変わらずの鋭さだなこの侍。

 

「無節操に行為に及ぶような男でないことは知っているが、避妊はしっかりするようにな」

 

「うるせーよ。したり顔のところ悪いが、そこの問題の答え、間違ってるからな」

 

「む……」

 

無駄口と減らず口と憎まれ口を叩きつけ合いながら二人で勉強。集中していたとは言えないが、内容はどうあれ会話が弾むからか勉強は捗った。

 

「んっ……んん。……いつのまにか、寝てた……」

 

「ぅん……んゅ……。あぇ、そふぁ……」

 

「あ、起きた」

 

ノエルさんが差し入れしてくれた洋菓子をつまみながら勉強を続け、時計の長針がぐるりと三周回った頃だった。

 

ごそごそと衣擦れの音がしたかと思えば、か細く声が聞こえた。目を向ければ、忍と鷹島さんが起き上がりつつあるところだった。

 

「休めたか?休めたのなら、そろそろ本来の趣旨を思い出すべきだと思うが」

 

「このままだと、長谷部と太刀峰……と鷹島さんも、忍の家にもう一泊だな」

 

「……んー?」

 

「ふぁ……はふ……」

 

「まだ寝てんのか」

 

「忍は目が覚めるのに時間がかかるが、どうやら鷹島さんも寝起きは良くないようだな」

 

「ほれ、忍。時計見ろ時計」

 

タオルケットを膝にかけ、髪は少々乱れさせたまま目元をくしくしと(こす)っていた忍に、時間を確認するよう指を差して促す。

 

忍はぼんやりとした眠そうな瞳で、豪奢な柱時計に顔を向けた。目をしばしばさせながら時計の針の位置を見定める忍は、次第に元から大きな瞳をさらに大きく見開かせた。

 

「さ、三時間……」

 

「お昼寝にしては、ちょっと寝過ぎかもな」

 

「あ、あんたたちっ、なんで起こさなかったのよ!」

 

「まさか怒られるとは思わなかったぜ……」

 

「勉強どころではないほどに眠たそうにしていたから、ソファまで運んだというのにな」

 

「それはありがとっ!でもそこから気を使いすぎでしょ!今日なんのために集まったのかわかんないじゃない!」

 

「おお、同じ話を恭也としてたぞ」

 

「してたぞ、じゃないわよ!なら起こしなさいよ!お昼寝なら一時間とかでいいでしょ!」

 

「気持ちよさそうに寝てたから起こすに起こせなかったんだ。あと時間を忘れてた」

 

「本音は絶対忘れてたのほうでしょ!もうっ、もうっ!」

 

「忍。そこまで焦るのなら、文句を言う前に今すぐ長谷部さんや太刀峰さんを起こして勉強…………あと鷹島さんを起こし直したほうがいいんじゃないか?」

 

「すぴー……」

 

「綾ちゃん二度寝してる!」

 

「朝弱いって話を彩葉(いろは)ちゃんから聞いたなー。起こしてすぐに洗面所かなんかに引っ張って行くべきだな。髪もふんわり具合が増してるし」

 

「綾ちゃんたちが補習になったら徹と恭也のせいよ!」

 

「なぜ責任が俺たちに……」

 

「責任が発生するんだとしたら、俺たちじゃなくて長谷部と太刀峰だろ」

 

ぷんすか怒りながら、忍は乱暴に鷹島さんを叩き起こし(事実、白いほっぺたにうっすら朱がさす程度にぺちぺち叩いていた)、次にお昼寝事件の元凶である長谷部・太刀峰両名に向かう。二人の顔に手を置いて、掴む。

 

「うぅぐ……」

 

「……ぁぐ」

 

小さな呻き声が部屋の端で聞こえた。その呻き声は、時間の経過とともにボリュームを増していく。

 

目覚めのアラーム代わりのアイアンクローだ。ご丁寧に、二度寝しないよう、徐々に加える力が上がっていくというスヌーズ機能付きである。

 

「いだ、いだだっ!起き、起きました!忍さんっ、僕起きたので離してくださいっ!」

 

「いたいぃ……っ、ううぐぅ……」

 

「一番お勉強が必要な貴方たちが、なぜ、寝ているのよ」

 

「す、すまないっ、逢坂も高町くんも強くてっ、燃えてきちゃったものでっ」

 

「その、まま……っ、身体の芯まで、燃え尽きた……っ」

 

「貴方たちがしたルールの提案をはねのければよかったと、私はとても後悔しています」

 

「ううっ、ごめんなさいっ」

 

「ごめん、なさいっ……」

 

こちらに背を向けているので忍の顔は見えないが、それはそれは恐ろしい、鬼や閻魔もかくやという表情をしていることだろう。

 

あのアイアンクローの被害にあうのは決まって俺、もしくは一緒に恭也がやられるくらいなものなので、人がやられているところを見るのはとても新鮮だ。安全な場所から眺めるだけというのは、性格の悪い話だが、実に愉快である。

 

「ほら、真希ちゃん、薫ちゃん。起きたなら顔洗いに行くわよ。あと髪も整えないと。そんな姿で男の前に出すわけにはいかないわ」

 

「そうだね、せめて髪は整えたいところだよ」

 

「……ふあぁ、ぁふ……。わたしは、顔……洗いたい。まだ眠い……」

 

「そうね、早く行きましょ」

 

「綾音はお昼寝せずにずっと勉強していたのかな?」

 

「……綾音も、疲れてそう、だったのに……」

 

「え?綾ちゃんなら先に起こして」

 

「くぅ……くぅ」

 

「綾ちゃんっ!」

 

鷹島さんはソファの背もたれに身体を預けるようにして、まさかの三度寝に(ひた)っていた。

 

よく寝る子である。よく寝るから、とある一部がよく育っているのかもしれない。背は育たなかったみたいだけれど。

 

「この子はっ!まったくもうこの子は!」

 

「綾音は起きるの苦手だからね。……はっ!僕たちと同じように罰ゲームが必要ではないかな!」

 

「うん。そうする……べきっ」

 

自分たちが忍のアイアンクローに苦しめられたからか、長谷部は鷹島さんへの罰ゲームを所望した。太刀峰も、ここぞとばかりに乗っかった。

 

二人の言葉に、心底呆れた様子だった忍は、にやりと黒い笑みを浮かべる。

 

「そうね。ここまで起こしたのにまだ寝ようとするなんて、これはイタズラされるのを待っているという可能性まであるわね!」

 

「そうだよ!イタズラ待ちだ!」

 

「慈悲も、容赦も……必要ないっ」

 

姦しい娘三人のボルテージは上昇していく。こういう悪ノリになった際、いつもはブレーキ役になる鷹島さんが夢の中なので、それはもうアクセル踏みっぱなしである。止める奴などいない。

 

「……いや、ついさっきまで全員寝てたろうに……」

 

勉強を続けながら傍観している恭也が誰ともなしにぽろりとこぼした。

 

俺はそんな恭也を必死に止める。

 

「やめろ、恭也。火の粉がこっちに降りかかるだろうが。こういう時はな、楽しく眺めてるのが一番なんだ」

 

「相変わらず(すこぶ)る最低だな……。いや、しかし、な……」

 

「なんだよ、鷹島さんに同情してんの?」

 

「いや、三度寝してる鷹島さんにもある程度非はあるだろうから同情はできないが」

 

「おおう……」

 

俺の性格は捻じ曲がっているが、恭也も恭也でなかなか辛辣(しんらつ)である。

 

「ただ、どうしてだろうな。ここで止めないと良くないことになりそうな予感が……」

 

「ここで止めても三人からやいのやいのと文句を食らうだけだ。鷹島さんは可哀想だけど、しかたない。観戦してようぜ」

 

「そうか?なら無理にとは言わないが」

 

「ん?なんだよ、なんか妙な言い回しをするな」

 

「徹にとって良くないことが起きそうだな、と思っただけだ。徹が別にいいのなら、それでいい」

 

「……やめろよ、お前の直感は怖えよ……」

 

お侍さんの不吉な予言はあったが、だとしてもバーサーカーに近い今の三人を止める手立てなど俺は持ち合わせていない。行く末を見守るしかできない。

 

冷や汗をかきはじめた俺をよそに、忍は幸せそうに眠りこけている鷹島さんに魔の手を伸ばす。

 

「無防備に寝てるんだもの……ふふ、襲われても文句は言えないわよね」

 

頭と下半身の(たが)が緩んでいる変質者みたいなセリフを吐きながら、忍は舌舐めずりして黒くて悪い笑みを一層深めた。

 

「お風呂に入った時は疲れてて、スキンシップどころじゃなかったのよね……くふふ」

 

そして、鷹島さんの小柄な体躯に不釣り合いなほどに良く育まれた胸部へと触手を向ける。

 

「っ、わぁお……」

 

忍の手のひらが、鷹島さんの豊かな双丘に優しく触れた。

 

「んぅ……」

 

「本当に綾音のは大きいね……運動する時は困るだろうけれど」

 

「……これは、綾音の罰に見せかけた……巧妙な、罠…………ねたましい」

 

甘やかな吐息をもらした鷹島さんと、苦々しい呪詛をこぼした太刀峰が、悲劇的なくらいに対照的だった。

 

「これは……ある種の魔法ね。手が離れないわ」

 

彼女は何を言っているのだろう。

 

「柔らかい、けど跳ね返すような弾力……そしてずっしりとした重量感。身体は小さいのになぜこんなに大きくなるのかしら」

 

「……わたしも、知りたい。知りたいっ……っ」

 

「か、薫……まだ成長期だから、ね……」

 

あまりにも太刀峰が切実で泣きそうになる。

 

そうこうしている間にも、忍はさらに突き進む。触れるだけでは飽き足らず、ぐい、と手に力を入れた。

 

「んっ、ぁっ……んぅ……」

 

「やっばい、これやっばいわ……やみつき。綾ちゃんかわいいっ」

 

どう好意的に捉えても、やっばいのは忍である。寝ている少女の胸を鷲掴みにしているこいつほど、罪深い人間はいないだろう。

 

鷹島さんの吐息に、甘やかなものとは別に艶っぽさのような色が混じり始めた。その声だけでも、なかなか心臓に悪い。血の巡りが速くなる。

 

しかし、熱と勢いを増してきた血液はすぐに冷やされることとなる。

 

調子に乗って忍が変態行為をエスカレートさせたその時だった。

 

「ゃ、ゃめっ……んぅ」

 

鷹島さんがか弱い力で忍のセクハラに抵抗しようとしたのだ。押せばすぐに流されてしまいそうなほどの、儚い抵抗だった。

 

「あはは。ごめんね、綾ちゃん。いつまでたっても起きないからイタズラを……あれ?寝てるの?」

 

とうとう起きたのかと思われたが、違った。

 

現実で身体を触られていたからだろう。それが鷹島さんの夢に影響を与えた。

 

だから、つまりは、寝言である。

 

「あいさか、くんっ……っ。だめっ、れす……みんなが、ちかくに……んぅ」

 

頬を染め、(あえ)ぐように絞り出された言葉は熱っぽく、胸を圧迫されて苦しそうな表情には色気すらあった。

 

だが、寝言である。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……いや、いやいや。俺は無実だろ」

 

寝言。あくまでも寝言だ。俺は関係ない。

 

鷹島さんの夢には登場しているのかもしれないが、それとこれとは別である。俺は何もしていない。

 

少なくとも、セクハラの実行犯である忍と、その共犯である長谷部、太刀峰に冷たく睨まれるような(いわ)れなど皆無だ。

 

「さっき徹が言っていた『この程度の据え膳で飛ぶような理性はしてない』というのは、もしや……」

 

「いつもは鋭い直感をなんでこういう時だけ外すんだよ!こんな状況で火に油を注ごうとすんな!その話は今まったく関係ねえよ!」

 

「事情聴取を始めるわ」

 

「始めるのはテスト勉強であって事情聴取じゃ……いやその前に身嗜みを整えるって話はどこに……」

 

「私の綾ちゃんに手を出した。よって有罪」

 

「取り調べも何もなく判決!さっきのはどう見ても鷹島さんの夢の話で寝言だろ!」

 

「夢。つまりは夢に見たような似た経験を綾ちゃんがしたってこと……つまり極刑」

 

「話の間が吹っ飛んでる……異端審問もびっくりの強行裁判!魔女狩りかよ!お前のセクハラがそんな夢を見た原因だろ!」

 

「……だから忠告したというのに。嫌な予感がすると」

 

「こんなことになるなんて想像できるかあ!」

 

結局、不当で理不尽な裁判が証拠不十分で不起訴になったのは三十分後。ねぼすけ鷹島さんが目を覚ますまで不毛なやり取りは続けられたのだった。

 


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