そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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『後の先の切り札』

 

 

「アリサちゃんのお家くるの、ひさしぶりかも」

 

「近頃はすずかの家ばっかりだったわね、勉強会とかで」

 

「そうだね。テストに備えて、とか。交流も兼ねて、とか。あ……彩葉(いろは)ちゃんには電話した?」

 

「あたし連絡したよ!今日は家族で出かけてるから行けないんだって。残念なの……」

 

「なにもかも急だもの、仕方ないわね。そういえば、なのははテストの手応えどうだったの?」

 

「…………」

 

「……なのは、そこで黙ったら下手にごまかすよりわかりやすいわ」

 

すでに俺たちは翠屋からバニングス邸に帰ってきている。

 

軽食を()った今、俺たちはバニングス邸の広大な庭にいた。

 

俺たちは、と言っても俺とアリサちゃんたちとは距離がある。

 

庭の真ん中あたりで突っ立っている俺とは裏腹に、アリサちゃんたちは離れたところに立てられたビーチパラソルの下で、ドリンク片手にお喋りしている。

 

「……やっぱり見世物じゃん」

 

ため息をつく俺とは対照的に、正面に立つ鮫島さんはにこやかだ。

 

「私としてはどういう意図であれ、こういった場を設けて頂けるのはありがたいですよ」

 

俺の愚痴にも鮫島さんは終始柔和な表情を崩さず、念入りに柔軟していた。

 

対面の鮫島さんはスーツのジャケットを脱いだだけの、ほぼいつもと変わらない格好だ。

 

鮫島さんに(なら)って同じくストレッチしている俺はというと、もらったスーツから運動着に着替えている。

 

それもこれも、アリサちゃんが今日の予定に突然組み込んだ鮫島さんとの模擬戦のためだ。

 

前回は鮫島さんにいいようにやられて池に放り込まれた。今回はそんな無様を披露するつもりはないが、念のためだ。

 

「徹くんは、この短期間で随分様々な体験をしたようですね。佇まいと、纏う雰囲気が違います」

 

「体験……体験ね。まあ、いろいろあったかな。そこで学んだ成果を見せるよ」

 

ファイティングポーズを取って、見据える。

 

対する鮫島さんは前と寸分違わぬ構えだ。牽制の為に伸ばされた右腕と、防御の為の引かれている左腕。牽制の右手で動きを止められれば、鋭く速い蹴りが飛んでくる。前回の模擬戦で学習したことを活かさなければ。

 

「努力の程、拝見致しましょう」

 

手をくいくいと引いて、かかってきなさいとジェスチャー。

 

胸を借りるどころか前回の借りを返す勢いで向かうとしよう。

 

まずは。

 

「……まずは、実戦でものにしたこれ(・・)からだ」

 

教えてもらった当時は二日かけても満足に使いこなせなかったけれど、今は違う。

 

襲歩で一気に距離を詰める。

 

「入りもスムーズ、狙った地点でシャープに停止。なによりも、早い。見違えるほど上手になりましたね」

 

「……そのわりには驚かないね……」

 

襲歩による急速接近と打突だったが、すんなりといなされた。

 

それはまるで『あらかじめ想定できていたような』迷いも戸惑いもない動きだった。

 

「徹くんならばいつまでも同じ場所で足踏みはしないでしょうから、予想はしていましたよ」

 

「はっは、嬉しいこと言ってくれる!」

 

俺の言葉に、鮫島さんは長い腕をしならせるように連続で振るって返す。

 

耳元で鳴り続ける風切り音に肝を冷やしながら、それでも肉薄する。

 

「この速度ではもう……牽制にはなりませんか」

 

「悪いけど、もっと速いのをつい最近身をもって味わってきたんでね」

 

肩や頬を(かす)めるものについてはこの際無視し、こちらも打ち返す。

 

左を二回、速度優先で放った拳は防がれ、外に流されたが、それでも鮫島さんの体勢を崩すことはできた。

 

左腕を弾かれた勢いそのまま、右ストレートを打ち込む。

 

「もらった!」

 

「…………」

 

またとない好機に(はや)る気持ちを懸命に抑え、打った。

 

防御をすり抜け、右胸あたりに直撃したはずだった。

 

ただ、その手応えは、異様としか形容できないものだった。

 

「な、なに……を、やったの?」

 

「『風柳(かぜやなぎ)』という技術です。要領自体は発破と近いものですよ。随分前に習得してから使う機会もなく、できるかどうかわかりませんでしたが……いやはや、身体に染みついているものです」

 

「な、んだよ、それ……っ!」

 

ちゃんとミートしたはずなのに、どこか芯がずれているような、歯車が噛み合わない感触だった。

 

鮫島さんの新たな技には俺も驚いたが、俺よりも驚いている子がいた。

 

「と、徹お兄ちゃんと戦って互角以上なんて!鮫島さんってそんなにすごい人だったの?!」

 

なのはだった。

 

「すごいよね、本当に。徹さんも速くて鋭くて、もちろんすごいんだけど……その徹さんの手を真っ向から対処してるんだもんね」

 

「前にやった時は鮫島に吹っ飛ばされてたわよ、徹」

 

遠くで見物しているお嬢様方の声が耳に入る。

 

アリサちゃんめ、俺の苦い思い出をほじくり返しやがって。

 

「すごいなぁ……鮫島さん。あたしなんて近づかれたらなんにもできな……」

 

『なんの話を二人にするつもりなんだ、なのは』

 

そのまま続けたら魔法が絡む話に行かざるを得なくなるので、その前になのはに念話を送って止めておく。

 

迂闊なことを口走ってはまずい。すずかもアリサちゃんも、年齢に不釣り合いなほど頭が回るのだから。

 

『ご、ごめんなさい……』

 

『二人にはまだ隠してるんだろ?』

 

『かくしてるんじゃないもん!……ただ、言うタイミングがないだけで……』

 

『内緒にしてるんだったな。それならあんまり疑われるようなこと言わないほうがいいぞ。二人の勘が鋭いことはなのはが一番知ってるだろ』

 

『……わかったの』

 

『二人に……いや、彩葉ちゃんもか。みんなに伝える決心がつくまではそうしとけ。今は俺の勇姿を目に焼きつけておくことだな』

 

鍛えてもなお開いている実力と技術の差を見せつけられるにどうやら今回も負けくさいが、なのはには冗談めかしてそう送っておいた。

 

『徹お兄ちゃんの姿なら、いつだってまぶたの裏に焼きついてるよ。がんばってね』

 

と、最後に送ってきて、なのはは念話を切った。

 

なんだかとっても恥ずかしいことを言われた気がする。

 

なのはを見やれば、顔を赤くしていた。それでも俺から視線を外しはしないところが、また、いじらしい。

 

「おや、試合の最中に余所見などとは……お説教が必要でしょうか」

 

「そんなんじゃな……っ!」

 

お説教代わりの鉄拳制裁が飛んできた。

 

側頭部を狙った右フックを防ぐべく左手を上げる。

 

だが。

 

「ぐっぶ……っ」

 

俺が予測した軌道に反して、左の脇腹に衝撃が走った。

 

「新しい技術、その二です」

 

「な、にがっ……」

 

ボディブローの苦痛に慣れる間もくれずに、鮫島さんは左足を振るう。

 

構えこそロー気味だが、さっきのように軌道を変えられるかもしれない。踏ん張りが効くよう腰を落として、ロー、ミドル、ハイに対応できるよう体勢を整える。

 

「これを『撞着(どうちゃく)』といいます」

 

「がっ……っ」

 

顔面に右ストレートが飛来した。回避どころか防ぐことすらできずに直撃した。

 

だが、二回やられて、二回ともクリーンヒットして、ようやく技の実体を掴んだ気がした。

 

「視線誘導と不完全な体勢から半ば強引な打撃……。つまりこれは、相手の予想の裏をかいた技。蹴りの構えから右ストレートなんて威力が乗るわけない、だから俺は打ってこないと決めつけて予測から外した。選択肢から除外して蹴りがくるって思い込んだもんだから、避けることはおろか防ぐことすら難しい。……マジックと同じだ。要は……ミスディレクション」

 

「二度見て、二度受けただけでからくりがばれてしまいましたか。仕組みは徹くんの考えでほぼ正解です。ちょっとした引っ掛けと、発破と同様に一瞬の筋肉の駆動によって繰り出しています。ただ……」

 

「ちゃんと構えていないから、威力は落ちる……と。さっきの『風柳』といい今の『撞着』といい、鮫島さんはテクニック系の技が豊富だ。筋肉ダルマの師範とは大違いだよ」

 

切れた唇から垂れる血を手の甲で拭いながら、磨き上げられた鮫島さんの技巧を讃える。

 

俺としては褒めたつもりだったのだが、しかし、鮫島さんは苦笑いで肩を(すく)めた。

 

「私の場合は仕方なく、なのです。体格に恵まれませんでしたので、足を止めての打ち合いはできません。その為のスタイルがヒットアンドアウェイ……距離を維持する為の手段はいくつあっても足りません。率先したオフェンスの技なんて、以前に手ほどきした『発破』くらいなものですよ」

 

自虐的に言う鮫島さんだが、さっきの『撞着』だけでも充分に厄介だ。今回は俺に教えるためにわざわざ二回も連続で使ってくれたが、これを牽制やコンビネーション、連打の中にフェイクとして取り入れられていたら、まともに近づくことはできない。

 

威力の低い『撞着』自体は耐えられても、意識を刈り取る本命の拳や蹴りは耐えられない。通常の打撃、蹴撃に織り交ぜてこそ、真価を発揮する類の技だ。

 

「ぜひとも身につけたいね、それ」

 

「その身で覚えてください。今日は覚えることがたくさんありますよ。私の返しの切り札も、伝授しておきたいですからね」

 

「まじか……やったぜ」

 

新しいことを教えてもらえるのはもちろん嬉しいし、こうして手解(てほど)きしてもらえるのはもちろんありがたいのだが、教え方がまず実戦、というモットーなので、素直に心から喜べない。なぜならば、どんなに頑張っても一回は痛い思いをするのが決まっているからである。

 

結局痛い思いをするのなら、せめて。

 

「せめて、一回くらいは本気で驚かせてやる……っ」

 

しなる右の拳と意識の外から襲ってくる『撞着』を、防御一辺倒になりながら耐えて、一瞬の間を見つけて距離を取る。

 

どうにか、自分のペースに持っていかないと話にもならない。

 

「あー……痛い……」

 

「距離を取ってどうするのですか?『撞着』のこつは掴めましたか?」

 

「掴めるわけないでしょ……。防御に専念しても防ぎ切れないとか意味わかんねえ……。仕組みはわかっても解き方がわからない」

 

「慣れてくればきっとすぐに徹くんなら会得できますよ。要は『相手の予想を裏切る』ことですから。徹くんは得意でしょう?」

 

「……ほっとけ」

 

「さて、どうなさいますか?『撞着』を解明するか、痛みに耐えて突貫するよりほかに徹くんの距離には持ち込めませんよ」

 

「もう一個あるよ。牽制で足止めされる前に近づく」

 

「徹くんの速度は上方修正致しましたよ。『襲歩』も同様に」

 

「……わかってるよ、だから……新しい手だ」

 

腰を落とし、若干膝を曲げ、勢いを余さず伝えられるよう足の裏は地面につける。

 

この技は以前のあかねと戦ったときに編み出したものだ。速度を最優先にして身体への負担を後回しにした技術。今は魔力で底上げしていないので以前ほどの速度は出ないだろうが、そのぶん負荷も少ない。一度使うくらいなら問題はない。

 

「『襲歩』ですか?込める力を増やして速度を上げても、来るタイミングがわかっていれば反応できないことはありません」

 

まだ準備に時間がかかるが、それでもいい。相手が身構えていてもなお、その反応速度を上回るだけの速さを叩きだせば、それでいいのだ。

 

「……『爆轟』っ……」

 

庭の芝生が、爆ぜた。

 

魔力を伴わない、ほぼほぼ純粋な身体能力のみなので音の壁はさすがに超えられないが、それでも『襲歩』とはステージの違う速度。

 

一息の半分もないほどの時間で、彼我の距離を踏み潰す。

 

「これがっ、俺の全身全霊だ!」

 

渾身。

 

乗せられる限りの運動エネルギーを拳に乗せて振り抜いた。

 

「むっ……」

 

コマ落ちしたようにすら見えるだろう一撃。

 

しかし、鮫島さんは俺の拳が届く寸前で対応した。

 

俺の拳を両の手のひらで包むように防いでいた。

 

そこからは『風柳』で防がれた時と同じだ。硬く守るのではなく柔らかく受け止めることで、しなる柳の木のように力が流されてしまう。

 

「『発破』と『襲歩』の複合技……これほどまでとは……っ」

 

ただ、鮫島さんとしても全部のエネルギーを流し切れたわけではないようだ。俺の一撃を受け止めた両手は勢いを殺せずに外へ大きく開き、処理しきれなかったぶんのエネルギーは地面に流したのか足元の芝生が抉れている。

 

「つまりは……『風柳』でも受け止めきれるエネルギー量には限度があるってことか」

 

「……ご明察です」

 

なにかが頭の中でちくりと引っかかる。が、今は(かかずら)っていられない。無茶をして強引にもぎ取ったこのチャンスを逃しては、もう状況はひっくり返せない。

 

ここで、決める。

 

「今回は勝たせてもらう!」

 

鮫島さんの胸の中央あたり、触れるか触れないかのぎりぎりに拳を()える。

 

「学んだ技術を短期間で使いこなす吸収力、用途の違う技を組み合わせる発想力、技術の真髄を素早く見抜く観察力……徹くんは本当に逸材です」

 

「……い、いきなり褒められると、嬉しいはずなのに怖くなる……」

 

「素直に喜んでも良いところです。ですが、私がこれで満足していると思われるのは、少々心外ですね」

 

「……っ」

 

思わず息を呑む。不穏な気配をひしひしと感じる。

 

何か、ある。絶対にまだ、何かある。

 

だとしても。

 

このまま進んだら危ないとしても、他に道はない。

 

ならば、リスクを承知で進むだけ。全身全霊を叩き込むだけだ。

 

「『風柳』の許容限界を師範に上回られた私が、苦心の(すえ)に編み出した()(せん)の切り札……とくと味わってください」

 

「っ……『発破』っ!」

 

鮫島さんの言葉に嘘はない。逆転の切り札をまだ持っている。

 

ならば、と。ひっくり返される前に、決着を急ぐ。

 

全身の筋肉から余すことなく力を生み出し、生み出された力をロスなく拳に集約。

 

俺の切り札である『発破』は綺麗に決まった。

 

そしてすぐに、自分が犯した失敗と、うっすらと感じていた違和感の正体に気づいた。

 

「『出藍(しゅつらん)』」

 

吹き飛んだ。

 

俺が『発破』を叩き込んだ次の瞬間には、俺の足は地面を離れて浮かび上がり、吹き飛んでいた。

 

鮫島さんが何をしたのかわかったのは、俺が吹き飛んでいる最中に鮫島さんの残心が見えたからだ。

 

「なっ、ぁ……っ」

 

ちょうど、俺の胸の高さくらいの位置に足を突き出していた。

 

カウンターを決められたのだ。

 

本人も言っていた。『後の先の切り札』と。鮫島さんは待っていたのだ。俺が焦って技を繰り出すのを。

 

そして、もう一つ。脳裏で引っかかっていたものの正体だ。

 

衝撃を無闇に防ごうとせず、受け止め、流す『風柳』。身体で受け止めきれなかったぶんのエネルギーは足を通して地面に向ける。そこまではわかっていた。だが、考えが、発想がもう一段階足りていなかった。

 

受け止めた力を応用できるかもしれない、という仮説に辿り着けなかったことが、今回の敗因だ。あの場で攻め急いだことこそが、敗因だった。

 

鮫島さんは、俺に叩きつけられた『発破』の衝撃を『風柳』で受け止め、分散させ、分散させたエネルギーを今度は『発破』で足に集約。そして、蹴りという形で放出した。前の模擬戦で受けた『発破』より重いのは、おそらく『発破』のカウンターの際に鮫島さん自身の力も乗せたからだろう。

 

「そんなこと、できるのかよ……」

 

正気の沙汰とは思えない。

 

本来『発破』だけでも至難と評して間違いないし、『風柳』もタイミングを誤れば無防備に攻撃を受けることになる諸刃の剣だ。

 

なのに、こともあろうに、その二つを()り合わせて攻撃に(つむ)ぎ上げるなんて、まともな人間のする判断ではない。

 

カウンターという技は実に鮫島さんらしいが、鮫島さんらしくない思考プロセスだ。それほどまでに、師範に一泡吹かせたかったという意地と矜持が垣間見える。

 

「徹くんにはこれを身につけていただきます」

 

遠くのほうで、風の音に混じって鮫島さんの声が聞こえた。

 

言うのは簡単だろうが、『風柳』すら習得できていない俺には、道のりが長そうだ。

 

「……はあ」

 

ところで、今回蹴りを受けた箇所は、前回模擬戦をした時に鮫島さんに『発破』を食らったところと奇しくもほぼ同じである。前回と同じ庭で模擬戦をして、前回と同じように決定打を食らった。

 

ならば。

 

前回と同じように、庭の一角にある池に大きな音と水柱を立てて落ちたのは、もはや必然と呼ぶべきかもしれない。

 

「…………」

 

池の底に沈みながら、俺は心の底から思っていた。

 

スーツから運動着に着替えておいて本当に良かった、と。

 

 

 

 

 

 

所変わってアリサちゃんの部屋である。

 

無論、池に放り込まれたことで全身びしょびしょになったのでシャワーを浴びて着替えてから、だ。

 

鮫島さんとハードな模擬戦を繰り広げた後なのに平気な顔で飲み物やお茶菓子などを給仕する俺を、アリサちゃんが怪訝(けげん)な目で見ていた。

 

「徹、ほんとに身体丈夫すぎるでしょ……。あれだけふっ飛んでたのにもう動いてるって」

 

「タフなことがアピールポイントだからな。そろそろ履歴書に書いていいレベルだと思う」

 

「と、徹さん、もう少し休んでいたほうが……」

 

「大丈夫大丈夫。執事なんだから、それっぽいお仕事しないとな」

 

「ほ、本当に大丈夫、なんですか?どこか痛かったり……骨が折れてても不思議じゃない光景だったんですけど……」

 

「大丈夫なの、すずかちゃん。徹お兄ちゃんならあれくらいで故障したりしないの」

 

緩んだ表情でお茶菓子をぱくつきながら、なのはがわざわざ喧嘩を売ってきてくれる。売られたのならば、買わざるを得ない。

 

「俺は人型ロボットじゃねえぞ、なのは」

 

「にゅむっ、むーっ」

 

「なのはちゃん……どうして自分から虎の尾を踏みに……」

 

「徹、放してあげなさい」

 

「お嬢様が言うなら仕方ないな」

 

「ひゅみゅ……うぅっ」

 

失礼な発言の罰として、ぷにぷにふわふわのなのはのほっぺたを(つま)んでむにむにしていたが、アリサちゃんに命じられれば致し方ない。なのはのほっぺたから手を離す。

 

痛みはないように加減はしていたが、なのはは摘まれていたほっぺたをさすりながら、なぜかにやりと口角を上げた。

 

「徹お兄ちゃんだと、キックのダメージより、水没のほうがダメージ大きそうだよね!」

 

「なるほど、お前は反省しないんだな」

 

「むーっ、みゅーっ」

 

「なのはちゃん、もしかして……期待してやってるの?」

 

「徹、やめ……なくていいわね。ちょっと懲らしめておきなさい」

 

「かしこまりました」

 

「にゅあーっ」

 

先程より少し乱暴にほっぺたをむにむにする。ご主人様からの許可は頂いたので、もう容赦なんてしない。

 

『身体のほうはほんとにだいじょぶそうだけど、魔法使ったの?』

 

俺に頬を摘まれているからか、それとも話の中身が中身だからか、なのはは念話でそう聞いてきた。

 

『戦ってた時は使ってないぞ。終わってから魔力の循環量を増やして、あとは自然治癒』

 

『それ結局、魔法使ってないの……』

 

あくまでも試合、模擬戦なのだから、治癒魔法に限らず魔法を使うことはない。いきなり擦り傷などが消えてしまっても不都合だし。

 

なのはといくつか念話でやり取りしていると、くいくいと服を引かれる。振り返れば、アリサちゃんが頬を引きつらせながら苦笑を顔に貼りつけていた。

 

「と、徹?えっと、ほら……なのはもね、べつに悪態ついてるわけじゃないからね?そんなに怒らなくても、ね?」

 

「徹さん、あの……なのはちゃんは構ってほしくて憎まれ口みたいなこと言ってただけだと思うので……許してあげてもらえませんか?」

 

「……え?」

 

「……ふぇ?」

 

俺がなのはの顔を直視しながら、かつ、口を利いていなかったので、なのはの失礼な言動に腹を立てたのではと、二人は思っているらしい。

 

アリサちゃんはいつもの余裕を失って慌てているし、すずかもなのはと俺の顔を交互に見て狼狽(うろた)えている。

 

「……俺って、そんなに短気に見えるのか……」

 

「あははっ!アリサちゃん、すずかちゃん、大丈夫なの!徹お兄ちゃんは見た目よりも怒りっぽくないの!あんなので怒られてたら、これまで何回怒られてるかわかんないくらいだよ!」

 

「わかってんならわざわざ言ってんじゃねえよ。なんだ見た目よりって」

 

フォローしようとしているのか、追い討ちを仕掛けてきているのかわからない。

 

なので、なのはの頭に手を置いて、賞罰を同時に行使する。荒っぽく頭を撫でた。

 

「にゃあっ!あたま、あたまぼさぼさになっちゃうの!乱暴にしないで!」

 

「ちょうど中身と外見で釣り合ってるぞ」

 

「すんごく失礼なこと言われきゃあっ!やるならやさしくっ、やさしくしてっ!」

 

なかなか自身の行動を(かえり)みないなのはには、髪の毛ぼさぼさの刑を処した。

 

しばらくはぷんすかするだろうが、アリサちゃんにやったようにヘアアレンジで整えてやれば損ねた機嫌もすぐに取り戻せる。

 

それよりも問題なのは、俺が些細なことですぐに怒るような器の小さな輩だと思われていることである。そりゃあ、身近な人が危害を加えられたなど特定の条件下であれば沸点は限りなく低くなるだろうが、それ以外であれば寛容な部類だという自負があるのに。

 

「アリサちゃ……お嬢様は知り合ってまだ日が浅いからともかく、すずかは結構付き合い長いんだからわかっててほしかったぜ……」

 

「だって、わたしは怒られたことないですけど、なのはちゃんはたくさんお仕置きされてるので……もしかしたらわたしの前では怒らないだけで、実は、その……」

 

「まあ、なのはとのやりとりはお約束っていうか、そういう遊びみたいなもんなんだけどな」

 

「ひどいのっ!あたしとはあそびだったの?!」

 

「それ絶対外で言うなよ!」

 

頭を両側から掴んで必死の形相で説き伏せてから、すずかに向き直る。

 

「すずかは言葉遣い丁寧だし、お(しと)やかだし、悪いこともしないし、怒る必要がなかったんだよ」

 

「まるで遠回しに、あたしが失礼で悪い子でおしとやかじゃないって言ってるような言いかたなの!」

 

「遠回しもなにも、なのはと比較して言ってんだよ」

 

「ひどいっ!これはもう恭也お兄ちゃんに『徹お兄ちゃんにあそびの関係って言われた』って口がすべっちゃうかもしれないの!」

 

「そうやって脅しをかけるようなことをするのがダメなんだって……な・ぜ・わ・か・ら・な・い!」

 

「にゃっ、ぴゃっ、うにゃぁっ?!」

 

一言一言区切りながら、掴んだままのなのはの頭を右に左に大きく揺らす。短い悲鳴をいくつも吐いていたが、そんなこと知ったこっちゃない。

 

「……ねぇ」

 

「うん?どうした、お嬢様?」

 

「徹はいつも、わたしのこと……なんて呼んでた?」

 

「え?アリサちゃん、だけど」

 

「なのはのことは……」

 

「なのは」

 

「すずかのことは……」

 

「すずか」

 

「わたしのことは……」

 

「アリサちゃん」

 

「なんでわたしだけ呼び捨てじゃないのよ!」

 

「えー……」

 

なんだか筋の通らないところで怒られた。

 

助けを求めてなのはとすずかに視線を投げるが、さすがに二人も苦笑いだった。

 

「なによっ!なんだかそっちの二人とわたしの間で壁があるみたいじゃないっ!」

 

「壁なんか作ってないって……。なのはとすずかは恭也と忍の妹だから昔から親交があって、自然と呼び捨てになっただけだし……」

 

「ならわたしも呼び捨てにしなさい!今の呼びかたは距離がある感じ!や!」

 

「や、って……わかったよ。そこまで言うんなら変えるって」

 

唇はきゅっときつく結ばれているが、そこはかとなく瞳がきらきらしている気がする。

 

「…………」

 

「…………」

 

今この場で言え、とそういうことだろう。

 

しかし、そう期待されるとこちらとしては悪戯心が芽吹いてしまうというもので。

 

「これからはちゃんと『お嬢様』って呼ぶよ」

 

「ばかーっ!」

 

お茶請けとして置かれていたマドレーヌを投げつけられた。

 

「ごめん、ごめんって……つい出来心で……」

 

「ばかっ!このっ、このっ……ばかーっ!」

 

期待していたところを肩透かしされたアリサちゃんはご立腹だ。謝ってもなかなか許してくれない。日本語だけに限らず、さまざまな国の言葉がたくさん詰まっている優秀な頭脳を持っているのに『ばか』しか出てこないあたり、アリサちゃんのショックは相当である。

 

「うわぁ……」

 

「さすがに、ちょっと……かわいそうかと……」

 

なのはとすずかからの視線がすごく痛い。

 

マドレーヌを筆頭にぽんぽんと放られるフィナンシェやカップケーキ、ソーサーなどをダメにしてしまわないようにキャッチしてテーブルに戻し、アリサちゃんに近寄る。と同時にこれ以上投げられないようにアリサちゃんの手を取る。

 

「意地悪してごめんな」

 

「……悪いと思ってるんなら行動で示しなさいよ」

 

「……えっと、俺今日と明日は一応執事なんだけど」

 

「融通利かせなさいよ。……今は許すわ」

 

「それじゃあ……アリサ。機嫌直してくれよ」

 

「ふ、ふんっ……無神経で悪人面の徹なんて、もう知らないんだからっ」

 

つんつんした声音で斜を向いたアリサちゃん、改め、アリサ。

 

だが、呼びかたは言われた通りに変えたのに、許してくれるような様子がない。

 

「ど、どうしよ……」

 

「にいちゃ……徹お兄ちゃんっ……」

 

アリサに気づかれないようにするためか、なのはが小声で俺を呼んでいた。

 

藁にも(すが)る思いでなのはに助けを求める。

 

するとなのはは、綺麗にぱちんと両目の瞬きで返してきた。きっとウインクしようとしてできなかったのだろう。なんだこいつかわいいなおい。

 

なのはは物音を立てないようにおもむろに立ち上がると、すずかのすぐ隣についた。

 

「アリサちゃんにっ、アリサちゃんにするのっ」

 

何をするのかと思えば、なのははすずかの長い髪を指で()くように撫でていた。

 

「なのはちゃん……べつに実演しなくても伝わると思うよ……」

 

「うっわぁ……髪さらっさらなのっ」

 

「本題から逸れてるし……」

 

すでにこちらへの興味を失っているのか、それとも単に忘れているのか。なのははすずかの頭を撫でるのに夢中になっている。所詮はなのはだったか。

 

ともあれ、打開策だけは教えてくれた。

 

いろいろ諦めてされるがままになっているすずかに見送られながら、話の焦点を戻す。

 

俺をちらちらと見上げるアリサの頭に手を置いた。

 

今日の髪型は変則ポニテなので崩してしまわないよう気をつけながら撫でる。

 

「許して、アリサ」

 

「ま、まぁ、そこまで言うんなら許してあげるわ。不出来な親友を許してあげる。寛大で寛容なわたしがね!感謝しなさい!」

 

「感謝するよ、出来のいい親友に」

 

「んー……」

 

目を細めて俺の手に頭を押しつけるような仕草をする彼女は、どこか猫のようだ。

 

「……やっぱり撫でるの、うまいわね」

 

「そうか?まあ下手よりいいよな」

 

「いろんな女にやってそうでイメージがよくないわね」

 

「……下手なら下手でだめなんだろ?」

 

「あたり前じゃない」

 

「どうしろと」

 

あまりに乱暴な理屈に、思わず笑ってしまう。

 

ふと、顔を横に向ける。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……あ」

 

なのはとすずか。四つのつぶらな瞳が、まるで俺を責めるように見つめていた。

 

「アリサちゃんだけ……あたしがアドバイスしたのに……」

 

「いや、結果的にこっちのことほっぽらかしてたじゃん」

 

「…………」

 

「す、すずか……せめてなにか喋ってくれ……」

 

「ほら徹、わたしの客人が不服みたいよ。満足させてあげなさい」

 

「……お嬢様は執事使いが荒いよな」

 

「わたしは優しくはあっても甘やかしたりはしないんだからね」

 

片目を閉じて指を差す俺のお嬢様は、それはもう抜群に愛らしかった。

 


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