そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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山の麓の国

「この、鉱山?ってさ、人って住んでるの?」

 

「ああ、たぶんな。上層で戦ったゴーレム、あれは魔導師が操っていた。何人いるかはわからないけどな」

 

薄暗い坑道を、心もとない明かりの中進む。俺の隣を歩くアサレアちゃんが聞いてきた。

 

「でも、こんなところで……とくに魔導師が暮らせるの?」

 

「難しくはあるけど不可能じゃないだろ。俺がやったみたいに魔力を奪われないようにする方法はある。俺としては、日光も届かない場所で栄養をどうしてるのかのほうが気がかりだよ」

 

「なんでこんな山の中で暮らそうなんて考えたのかしら。暗いし、不便だし、埃っぽいし、暗いし、陰気じゃない」

 

「『暗い』が二回……」

 

「しっ。フェイト、しっ」

 

それだけアサレアちゃんにとって暗いということは許し難いのだろう。

 

山の中、しかも魔力を吸収するなんていう特殊な金属が含まれる環境の中で暮らすのは大変だろう。しかし、この『世界』で暮らすということを踏まえて考えると、あながち悪い選択でもないのかもしれない。

 

「そりゃアサレアちゃんにはここの暮らしはつらいだろうけど」

 

「アサレアは大変そうだね」

 

「テスタロッサ!」

 

「ごめんなさい」

 

「でもよく考えてみてくれ。山を出て、日々魔法生物に追いかけ回されるより、ここのほうがまだ生活しやすいんじゃないか?少なくとも、外は気が休まらないぞ」

 

「それは……たしかに」

 

「射撃魔法の腕に覚えのある魔導師が四人もいても撤退するしかなかったくらいだ。普通なら外に出ようとすら思わないだろ」

 

「空も、陸も、天敵がいっぱいだったもんね」

 

数体程度なら追い返せるかもしれないが、フェイトの大規模術式(ファランクス)でもどうにか出来るかわからないくらいの物量でこられると、一般の魔導師にはもうお手上げだ。図体のでかい鳥なんかもいて、そいつには魔法のダメージも通りにくかった。このメンバーでそんな有様だ。こうなると、鉱山の外は人が暮らせる環境ではないだろう。

 

正直、この世界には人なんていないと思っていたくらいだ。

 

「それにしても、案外あったかいのね」

 

「それは坑道が?それとも俺の手が?」

 

「こっ、坑道の話よ!ばかぁ!」

 

ぷんすか怒りながらも俺の手は離そうとはしなかった。

 

薄暗い程度に光はあると言っても、暗いことには変わりないので不安そうにしていたアサレアちゃんの手を握って道を進んでいたのだ。ちなみにもう片方の手はフェイトが握っている。

 

「たしかに暖かいよな。……この光る石は熱も出してんのか?」

 

壁に寄って手を(かざ)す。いや翳そうとしたのだが、二人とも手を離してくれない。

 

「……ちょっと手、離してもらっていいか?」

 

「テスタロッサ、言われてるわよ」

 

「アサレアのほうが壁に近いよね」

 

「いいからっ!」

 

「フェイト、ほれ、乗っていいから」

 

「それはそれで恥ずかしいけど」

 

手を離したフェイトは、恥ずかしいと言いつつも促されるままに俺の背に乗った。よく家でアリシアが俺の背に、というか肩や頭に登ろうとしているのをじっと見ていたりするので、なんだかんだ羨ましかったのかもしれない。

 

「な、なにそれ。おんぶとか……恥ずかしい子……」

 

馬鹿にするような口振りなのだが、妙に言葉に力がなかった。

 

フェイトを背負いながら、ようやく手を光る石に近づける。

 

「やっぱり熱が出てるみたいだな。本気で太陽光に近いのか……」

 

かすかにとはいえ、たしかに温もりを感じられる。本来冷んやりしていなければいけないはずの坑道が過ごしやすくなっているのはこのためか。

 

温度という点だけを取れば、とても快適な空間だ。

 

「フェイト、もういいぞ」

 

「ん、わかった……っ」

 

俺の背から降りて足を床につけた途端、フェイトの膝がかくんと折れた。地面に倒れこむ前にフェイトを抱きかかえられたが、驚いた。俺もそうだが、フェイト本人が驚いていた。

 

「疲れがたまってんのか……」

 

「…………」

 

身体の表面を覆うように張られた魔力の膜。あれはおそらく、無意味に張られたものではないのだ。魔導師の動作を外側から補助する、いわばサポーター的な役割なのかもしれない。疲労や負担を軽減する働きがあるのだろう。その膜をほぼゼロまで抑えている現状、どうしても疲弊しやすくなる。

 

身体の内部を循環する魔力も減ってしまっている今の状態では、普通の小学生とさほど遜色はないだろう。これまで鉱山の中を歩いてこれただけでも、よくできたほうだ。

 

「テスタロッサ、疲れてるんならこいつの背中に乗ってなさいよ」

 

「え?」

 

「動かなきゃいけない時に動けなかったら、そのほうがまずいでしょ。休めるうちに休んどきなさい」

 

『せっかく荷馬車があるんだからねっ!』と最後にアサレアちゃんらしいセリフをつけ加えた。

 

やはり人は立場によって成長するらしい。後輩ができたことでアサレアちゃんは先輩らしい思いやりを学んだようだ。照れくさいのか、そっぽを向いているところは初々しく、微笑ましい。

 

「ありがとう、アサレア」

 

「アサレア『さん』でしょうが」

 

「まあ担ぐのは俺なんだけどな」

 

フェイトが再び背中に戻る。ふわっとした柔らかさと心地のいい重みが背中に密着した。疲れるどころかこの感触で千里を走れそうである。

 

「アサレアも乗る?徹なら大丈夫だよ」

 

「二人乗せても原付より速度出せる自信はある」

 

「わ、わたしはいいわよ……はずかしいし」

 

「そうか?まあ疲れたら言ってくれ」

 

「う、うん……ありがと。……こんなことならダイエットしとけばっ……」

 

片手でフェイトがずり落ちないよう支える。もう片手をアサレアちゃんに差し出すと、存外素直に握った。

 

 

 

 

 

 

どれほど歩いたか。

 

床、壁、天井を伝う淡い光を辿って、さらに進んでいく。似たような道が続くせいで同じところをぐるぐると回っているのではと不安に苛まれつつあった頃。

 

上層でゴーレムと戦っていたところほどではないが、ある程度広い空間に出た。

 

そこに、あった。

 

「扉……小部屋でもあるのか?」

 

「休めそうなの?それなら……」

 

「ああ、少し休みたいな」

 

周りとは異質というか、浮いていた。土の壁に、木の扉がくっついてた。

 

ここしばらくアサレアちゃんの口数も減っていたし、いつのまにかフェイトは俺の背中で寝息を立てていた。疲労が限界に達しているのだろう。

 

このままでは戦闘になった際、自分の足で逃げるどころじゃない。先の道を自分の力で歩いていくことすら難しくなりそうだ。休息を取れるのなら、一度取っておきたい。

 

「物音は……しないな。ちょっと待っててくれ。先に入る」

 

「ちょ、ちょっと……」

 

木製の、簡素な扉だった。どうってことないように思えたが、この鉱山内で樹木など一切見ていない。なんなら草が生えているところすら見ていない。となれば、外に出て伐採してここまで運んでこなければならないはず。この環境下では、木材は大変貴重なものだろう。

 

扉だけ作って、向こう側に何もないということはあるまい。

 

取手に手をかけ、扉を開く。軋む音はするが、ちゃんと開いた。

 

扉は木製だが、内部は土の壁をくり抜いて拡張したような作りだ。印象としては、山小屋を住みやすく小綺麗にしたみたいな感じだろうか。とりあえずこの小部屋の外よりかは清潔だし、過ごしやすい。休憩するだけなら充分だ。

 

「人はいない……か」

 

「で、でも……こうして休憩所みたいなところがあるってことは……」

 

「やっぱり鉱山で生活している人は少なくない人数いるってことだな。ま、そのおかげで俺たちが休めるんだ。ありがたく使わせてもらおうぜ」

 

小部屋の中を奥まで見て回って安全を確認する。

 

壁を削ってそれっぽい形に整えた土台に布をかけただけの簡易的なベッドを発見したので、そこにフェイトを寝かせる。あまり柔らかそうではないベッドもどきにフェイトを寝かせるのは心苦しいが、少なくとも俺の背中よりかは寝やすいだろう。

 

「ベッドならあまってるし、アサレアちゃんも休んどいたらどうだ?疲れたろ」

 

「えぅえっ?!べ、ベッドっ?!」

 

「なんか埃っぽいんだよな……。シャワーとかあると嬉しいんだけど、贅沢ってもんか」

 

「シャワーっ?!」

 

びくんっ、と飛び跳ねて俺からじりじりと距離を取る。

 

なんだか以前にもこういった反応を見たことある気がする。そう、あれは長谷部と太刀峰が家に泊りにきた時のことである。

 

「……あー、いや。また歩かなきゃいけないんだから、ゆっくりできる時に休んどいてくれよって話だからな?アサレアちゃんの好きなようにしてくれ」

 

「あ、ああ……そういう、こと……。あはは……わきゃっ」

 

後ずさっていたアサレアちゃんが、部屋の端にあった本棚らしきものにぶつかった。本棚と呼ぶにはあまりに本の数が少ないが。

 

「あ、本落としちゃった……。綺麗な装丁……でも、なにこれ?読めない……ミッドの言葉じゃないの?」

 

落っことした本をアサレアちゃんは手に取って、表紙を見て呟いて首を傾げ、本を戻そうとする。

 

ミッドチルダ語ではない本。雰囲気のある装丁。無限書庫でいくつも似たような特徴の本を見た。ベルカ時代の書物だ。

 

「アサレアちゃん。ちょっとそれ、見せてくんない?」

 

「これ?でも読めないわよ?」

 

「いいんだ、ありがとう」

 

アサレアちゃんから受け取り、目を通す。

 

「……よかった。比較的新しい時代の言葉だ。聖王戦争前後ってところか。ところどころわからない部分はあるけど」

 

「聖王戦争……あ、ベルカ時代の本なの?逢坂さん、読めるの?」

 

「え?」

 

「どうしたの?」

 

唐突に名前を呼ばれた。驚いてアサレアちゃんを見るが、本に目を落とす俺を普通に横から眺めていた。

 

おかしい。本来ならその『逢坂さん』という呼び方で何にも間違っていないはずなのに、アサレアちゃんの口から出てきただけで物凄い違和感。

 

「あ、いや……なんでもない。この世界に来る途中にも話してただろ?ちょっと勉強してたんだ。この辺りの時代なら、まだなんとか読めそうだ」

 

「本当に読めるんだ……すごいっ」

 

ページをめくる。わからない部分を推測しながら読み進めていく。

 

「……これは採掘される鉱物の特徴が記述されてるのか?でも……ん?」

 

なんだろう。少し、おかしい。

 

文字や文法は明らかに聖王戦争前後の時代のものだ。なのに、違和感が散見される。紙質も無限書庫に納められている本とは違うが、違和感の本質はそこではない。

 

紙の表面を撫でる。まるで書き足しているかのように、微かに凹凸がある。

 

この本だけがおかしいのだろうか。本棚にはまだいくつか本が置かれているので、そちらと比べてみよう。

 

「アサレアちゃん、他の本も取ってくんない?」

 

「う、うんっ」

 

ついアサレアちゃんに頼んでしまった。自分で行けと悪態をつかれるかと、下手したら蹴飛ばされるんじゃないかと思ったが、意外なくらい素直に返事をしてくれた。

 

ててっ、と小走りで空白の目立つ本棚へと向かい、持てる限りの本を抜き取って戻ってくる。

 

「はい、どうぞ。あ、一気にたくさんいらないよね……残りはこっちに置いとくわね」

 

「……お、おう、あり……がとう」

 

いやに甲斐甲斐しく手伝ってくれるアサレアちゃんには戦慄を禁じ得ないが、どうやら機嫌は悪くないらしい。表情を緩めて、再び俺の隣に立って手元を覗き込む。

 

ユーノ直伝の検索魔法が使えれば短時間で済むのだが、この鉱山で魔法を使えば魔力の消費量は通常の数倍にはなる。魔力の浪費は死活問題、仕方なく一冊ずつ手に取って読んでいく。

 

いくつか目を通していって、ある一冊に辿り着いた。

 

「それって……絵本?」

 

「みたい、だな」

 

ほんわかした絵柄で絵が描かれていて、所々に短く文章が綴られている。絵本ということもあってか、難しい単語はなさそうだ。こんな休憩所みたいな場所に置かれているのは不思議だが。

 

「どういう内容なの?」

 

「ちょい待ち。……隣に座ってくれるか?立たれてると喋りにくい」

 

「っ、うんっ」

 

土を削ってそれっぽくしただけのような長椅子。そこに座る俺のすぐ隣に、アサレアちゃんが腰掛ける。絵本を見たいからか、距離が妙に近い。

 

「……これは英雄譚、みたいな絵本なのか?えっと、とある世界の……」

 

要約すると。

 

ある世界に、オンタデンバーグという小さな国があった。その国には、とても優れたゴーレム使いの集団がいた。国の成り立ちから深く関わり、日常の生活から他国との戦争においても活躍していた。武力はあっても(おご)らず、慎ましく生活していた。

 

そんなある日、絶大な力を持つ国が攻めてきた。その国の名は、ガレア。魔法も、技術も、純粋な数においても劣っていたオンタデンバーグは奮戦するも、結果として大国ガレアに呑み込まれた。

 

侵略される中、ゴーレム使いの集団は最後の最後まで徹底抗戦した。可能な限り、多くの国民を逃す為に、もはや残虐とすら呼んでいいほどの圧倒的武力の前に身を晒し、抗い続けた。

 

戦火に包まれる街の中、ゴーレム使いの集団の頭領は息子・タウルに逃げるよう指示する。無論、タウルは自分も逃げずに国の為に戦うと進言する。だが頭領は、タウルに絶対に生き残り、民衆を守り、導くようにと厳命を下した。

 

頭領と、その部下のゴーレム使いたちが命がけで作った幾許かの時間の間に、民は逃げた。逃亡生活の途中で追っ手に襲われたり、野盗にあったり、病気にかかったりと命を落とす者も少なくない数出たが、その度に一致団結して乗り切った。

 

苦労してこの世界にまでやってきたはいいが、魔法生物の脅威に晒され、命からがら今俺たちがいるこの鉱山に逃げ込んだ。鉱山で暮らすようになってからも問題はたくさん発生したが、その都度タウルが先導してみんなで協力して解決してきた。

 

タウルの功績と人望が評価され、タウルは王へと担ぎ上げられた。王となったタウルは、鉱山の国を、以前暮らしていた山の麓の国と同じ、オンタデンバーグと命名した。ここを新たな一歩として、培ってきた金属加工と精錬技術を用いて再興を目指していた。

 

力を集め。

 

技術を高め。

 

「……いつの日か、ガレアを打ち倒すために……」

 

「ぐすっ、ひっく……っ」

 

「まあ、絵本にするような内容じゃねえよな……」

 

絵本の冒頭でゴーレム使いの活躍が多く書かれていたからてっきり英雄譚かと思って読み進めていたが、まるで違う。言うなれば興亡録だ。

 

同時に、この絵本がここに置かれている理由もわかった気がする。

 

これは、戦争の恐怖とガレアという国への恨みを忘れないようにするための絵本だ。子どもにも読んで聞かせられるように、子どもの代にまで暗く澱んで熱く滾った憎悪と復讐心を継承するための絵本だろう。

 

それほどまでに、自分たちの故郷を焼き払ったガレアに報復したかったのだろう。知人友人、家族親戚。果ては国そのものを殺された彼らの恨みは、どれほどのものだったのだろう。俺にはもはや、察することさえ叶わない。

 

現代において、ガレアという国が残っていないことはこの鉱山の国・オンタデンバーグの人々にとって良いことなのか悪いことなのかもわからない。暗い復讐の刃を向ける場所は、既にない。

 

「っ、ぅぐっ……ぐすっ」

 

「あー……よしよし。ちょっと絵本の絵柄と内容に落差がありすぎるよな……」

 

ぽろぽろと涙を溢れさせるアサレアちゃんの頭を撫でる。

 

ほんわかした絵柄と悲惨な描写との乖離。衝撃的な展開。これまでの絶望の割に救いが足りなかった結末。

 

それらに驚いたのか、それともあまりにも可哀想だったのか、アサレアちゃんは泣いてしまっていた。

 

「ぐすっ……いきなり泣いて、ごめんなさい。もう、大丈夫……」

 

「……ま、気持ちはわかるよ」

 

「……こんなこと、昔は珍しくなかったのかな。あたり前のことだったのかな……」

 

「……そう、だな。この国同士だけで起こったことではなかったみたいだ。秩序のない戦争ばかりの世の中を憂いて、聖王統一戦争が起こったんだから」

 

「そう、なのよね……。……こんなこと言ったら、当時の人たちに失礼なのかもしれないけど……っ」

 

俺の服を指先で摘んで、アサレアちゃんは絞り出すように言う。俺の顔を見上げた。

 

「わたしは……今の、この時代に生まれてよかったって、そう思うわ……」

 

赤く充血した瞳を潤ませるアサレアちゃんの頭に手を置く。

 

俺だって。

 

無限書庫で本を漁って、歴史を読み解いていった俺だって、アサレアちゃんと全く同じことを痛感したんだ。

 

「……失礼ってことはないだろ。平和な日々が何物にも代え難いことを理解できてるんだ。それが、悪いことのはずはない。間違ってないよ」

 

「っ……うん、ありがと……」

 

目元を拭って、一呼吸。それでもう、調子を取り戻したようだ。

 

「それより……ここの人ってまだガレアって国に復讐しようとしてるの?でももうガレアなんて国……」

 

「ああ。少なくとも聖王統一戦争が終わった頃にはすでになくなってる。復讐の相手はもういないよ。まあ……いくら国力を増強したとしてもガレアには勝てなかっただろうけど」

 

「このガレアって国、そんなに強いの?」

 

「無限書庫で調べてた時、いくつもの国がガレアに併呑されたって記述があった。相当な武力を誇っていたんだろうな。そんな国でも聖王統一戦争の後は残ってないんだから、世界は広いってことだよな……」

 

「聖王統一戦争……勉強はしたけど、こうやってまざまざと現実を見せつけられると……っ、かなりくるものがあるわ……」

 

「生まれるのが現代でよかったって、つくづく思うよ。……あ、こっちの本は採掘量を纏めてる。まだ新しい文字だ」

 

「本当だわ。これはミッドチルダの古い言葉……よね?読みにくいことは変わらないけど、これならわたしでも読めるわ。古語は学校で習ったし」

 

絵本とは違い、報告書を綴じているみたいな本は古いミッド語だった。ここが閉鎖的な場所なら言語はベルカ語から変遷しなかったはずだ。少なくともどこかの国か、もしくは違う世界と交流があったのだろう。

 

「へえ、読めるんだ、アサレアちゃん」

 

「うん。これでもちゃんと勉強してたんだから。ちょっと忘れてるところもあるけど……」

 

「普段から使わないもんな、こんな言葉。忘れるのも当然だ」

 

「ねぇ、ここってなんて読むの?」

 

「ああ、これはな……」

 

俺の腕にくっつくようにして、テーブルに置いた本の文章を指差す。ここはなんて読むのとか、どんな意味なのとか、いろいろ熱心に聞いてくる。

 

この小部屋にくるまで、いや、この山に入る前の平原でゆっくりしていた時よりも、アサレアちゃんは表情も声も明るい。

 

「わたしもベルカ語勉強しようかなー……なんて」

 

「ベルカ語を学べるとこなんてあんの?」

 

「え?……えっと、まあ……あるけど。高等教育の専門学部とか。でもあんまり人気はないって聞くわね。そういう知識が必要なところっていうと、教会系列の幹部候補とかくらい?募集人員も少ないし、なにより難しいから目指す人はごく一部よ」

 

「ほう。そういう事情を詳しく聞く機会ってないからちょっと面白いな……ん?でも、それならなんでアサレアちゃんはベルカ語を勉強しようとしてんの?」

 

「だ、だって、逢坂さんはそういう分野に興味……あるんでしょ?」

 

「え、俺?んー、まあ好きっちゃ好きだけど、そもそもは調べ物のために勉強してるんだけどな。『王』がどうのこうのっていう、あれな」

 

「そ、そう……なんだ。……一生懸命にやってるみたいだから、あの子のためなのかなって思った」

 

そう言って、アサレアちゃんは視線を俺から外してベッドの方向へ向ける。そこで眠る、金髪の少女へ。

 

「……違うって。言ったろ?前の任務で見つけた『王』っていう手がかりが無性に気になってて、それで……そうだな、自主的に調べてるって感じだ。他意はない」

 

「……そう。それじゃ、あの子と逢坂さんの左目は、なにか関係があるの?」

 

「っ……」

 

「あるのね……やっぱり。自己紹介の時に『嘱託になる前に知り合った』って言ってたもんね。わたしたちが一緒に仕事した任務、あの日が嘱託魔導師として初めての任務だったって、逢坂さん言ってた。その時に、一つ事件を経験したって言ってた。その時の後遺症みたいなものだって。その事件で、あの子と知り合ったってことでしょ?」

 

アサレアちゃんはしばしば自分を奮い立たせるように、わたしは優秀だ、と嘯くけれど、実際に聡明だ。落ち着いているときは頭が回る。これを戦闘時にも発揮してくれれば、と思わないこともない。

 

「左目の話、避けようとしてた。その怪我って……もしかして、あの子の……」

 

自分自身に冷静になれと言い聞かせても、コントロールできない部分はある。後遺症の話は、俺のウィークポイントだ。

 

かぁっ、と頭に血がのぼる。

 

思わず、語気が荒くなる。

 

「それより先を言うなよ。俺にも許容できる限度はある」

 

低く重く、抑えつけるような威圧的な声だった。自分の喉から出たものだと思えなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

「っ……いや、いいんだ。ごめんな、きつい言いかたして。実際、フェイトともあんまり関係はないことなんだ。結局、俺の能力が足りてなかっただけなんだから」

 

「……逢坂さんはつらくなかったの?」

 

悲しそうに下がる目尻に、涙がたまっていた。あれだけ泣いていたのに、まだ枯れていなかったらしい。

 

(あふ)れそうになるそれを、(こぼ)れる前に指先で拭う。

 

「前にも言っただろ?後悔はしてないんだ。これはこれで、あると便利だしな」

 

誤魔化すように笑うと、アサレアちゃんもつられて微笑んだ。

 

ふと、アサレアちゃんは目を伏せた。

 

どうしたのだろうと思っていると、手に柔らかな感触。アサレアちゃんが、俺の手に小さな手を重ねていた。

 

「ぁ……っ、逢坂さん……っ」

 

薄暗くてもわかるほどに頬を染め、俺の名を呼ぶその声は震えていた。

 

躊躇いがちに彷徨う瞳は、じきに俺をじっと見据えた。そこには、覚悟を決めたような力強い輝きがあった。

 

「わ、わたし……」

 

重ねられた手は。

 

「わたしっ……っ!」

 

熱かった。

 

「逢坂さんのっ……」

 

「んゅ……あれ……ここ、は……。徹……?」

 

「っ?!」

 

「っ……」

 

びくっ、と肩が跳ねた。アサレアちゃんはもちろん、俺もである。

 

「とお、る……」

 

控えめで不安げなフェイトの声。休んでいたフェイトが目覚めたようだ。

 

「……はぁぁ」

 

アサレアちゃんはとっても深いため息を、一緒に魂まで出ていってしまいそうなほど深いため息をついた。

 

その様子に空笑いして、フェイトに声をかける。

 

「あはは……フェイト。こっちだ。ちゃんといるぞ。休めたか?」

 

「ベッド、硬かったよ」

 

「ほぼ土だもんな。でも俺の背中よりはましだったろ?」

 

「徹の背中ならずっと起きなかったと思う……」

 

目元をくしくししながらベッドから起き上がり、小さく伸びをした。

 

まだフェイトが覚醒しきってないうちに、アサレアちゃんに顔を近づける。

 

「なっ、なにっ?」

 

目をまん丸にして身体を引いてしまうので、肩を掴んで引き寄せた。小声で話さなければフェイトに聞こえてしまう。

 

小さく縮こまるアサレアちゃんに耳打ちする。

 

「さっきの話、フェイトには……いや、みんなにも内緒な」

 

「は、はぁ……えっ」

 

なぜか落胆したように吐息を漏らして、驚嘆したように息を吐いた。顔を直接向けず、でも少しだけ身体を傾けてアサレアちゃんは上目遣いぎみに見る。

 

どこか期待するような眼差しだ。

 

「ど、どうして?」

 

フェイトに聞こえないようにか、囁くような声量だ。この子、声のボリューム調節できたのか。

 

「どうして、って……言いふらして回るような趣味、あんの?」

 

「なっ、ないっ、ないですっ、わかりましたっ」

 

別人のように従順に、こくこくと頭を縦に振る。これでフェイトに左目のことは黙っておいてもらえる。一安心だ。

 

「さて、それじゃそろそろ行くか。フェイトは頭はっきりしたか?アサレアちゃんは休まなくても大丈夫か?」

 

「私はもう大丈夫だよ」

 

「わたしも、いつでもいけるわ。逢さっ……あ、あんたは、休んでないでしょ。だ、大丈夫なの?」

 

アサレアちゃんはフェイトをちらりと見るや、腕を組んで斜めに向いた。

 

寝ていた棘は、フェイトとともに起きたらしい。

 


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