そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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名前だけは出ていたオリキャラが出ます。
あと作中で勝手に付け加えた設定があります。
ご注意ください。




日常~自己紹介~

「くっそ。なんで俺だけっ」

 

 現在は昼休み、昼食を摂るため今は食堂へ向かっていた。

 

心なし足早に、地面を強く蹴りながら廊下を歩く。

 

 昼休みで廊下には多くの生徒が教室から出てきているが俺の不機嫌オーラのせいか、両端に寄って道をあけるような形になっている。

 

俺はモーゼか、奴隷なんて連れて歩いてないぞ。

 

 廊下を渡り階段を降りる。

 

 イライラしているのはつい先ほどのことが原因だ。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 四限目終了のチャイムが鳴り昼休みに入った瞬間、長谷部と太刀峰に捕まった。

 

「お昼ご飯食べに行こう!」

 

「ご飯……」

 

「おう、行くか」

 

 いつもであれば弁当を持参しているのだが、今日はとてもじゃないが作る(いとま)はなく、購買か食堂で食べようと思っていた俺は二つ返事で快諾する。

 

 さっそく食堂へ向かおうと廊下を見るが、授業終わりということもあって他の教室から出てきた生徒でごった返しており(おそらく大半の生徒が食堂へ向かおうとしているのだろう)、ちょっと気後れする光景が広がっていた。

 

人ごみは苦手なんだけどな、と思いながらも廊下へ足を進めようとした俺を止めたのは太刀峰の手。

 

制服の裾をくいくいっ、と引っ張って俺を窓際まで移動させた。

 

「食堂行くんじゃねぇの?」

 

「人多い……うざい」

 

「言葉悪いな……気持ちは痛いほどわかるけど」

 

 女子高生の平均身長をゆうに下回る太刀峰にはあの人海は辛いだろうな。

 

押し潰されてもおかしくはない混雑状況だ。

 

 俺も人でごちゃごちゃしたところは好まないから、率先して行きたいとは到底思えない。

 

だからといって、他に道があるわけではないのだ。

 

食堂へ行くのが遅れれば席は埋まってしまうだろう、そうなってしまえば昼食が摂れなくなる。

 

ピークの時間を過ぎれば多少混み具合も緩和すると思うが、あいにく本日の五時限目の授業は移動教室だ。

 

遅れて食堂に行けば授業に間に合わなくなる可能性がある。

 

「決まったね、『ここ』から降りよう!」

 

「お前の中でどんな採決が執り行われたんだ」

 

 長谷部が元気溌剌に『ここ』と言いながら開け放たれた窓の枠を叩き、強制採決された議案を提示する。

 

 窓際に連れてこられた時点でわかっていた。

 

こいつらの出入口は教室の前後二箇所についている扉だけではない、窓も出入口たりうるのだ。

 

 俺が文句を言っている間にも長谷部が窓枠に足を掛ける。

 

身軽に窓枠に立ち、片手で縦の枠を握りながらもう片方の手で太刀峰を引っ張り上げた。

 

手を引かれるのと同時に太刀峰は教室の床を蹴りジャンプ、上からワイヤーで吊られているかのようにふわりと浮かび上がり、長谷部の横に立つ。

 

「太刀峰さん長谷部さん、先生にはバレないようにな」

 

「怪我しないようにね、真希ちゃん薫ちゃん」

 

 心配の方向性がずれている恭也と忍だった。

 

ここ三階だぞ、心配するところはそこじゃない……長谷部と太刀峰の友達も『あ、またやってるよ~』みたいなリアクション、完全に毒されている。

 

『危ないことしちゃだめだよっ』とはらはらしながら見守る鷹島さんだけが、この災い(非常識)だらけのパンドラの箱(教室)に残された唯一の希望(救い)だった。

 

「逢坂はここから降りるのは初めてかい? 大丈夫、僕たちと同じようにすれば簡単に素早く下りられるよ」

 

「心配……いらない」

 

「いや、そこに関して心配しているわけじゃねぇんだが」

 

 一晩経ってリンカーコアもだいぶ調子を取り戻してきている。

 

今ならここから飛び降りてそのまま地面に着地したって足首をひねることすらないだろう。

 

俺の身について気掛かりなことなど欠片もないのだ。

 

 心配なのはこいつらの身の安全と教師の目。

 

こんな危険な下り方ばかりしていたらこいつらいつか怪我するんじゃないかと言う懸念と、これが教師にバレたらまた俺の印象が下がるのではないかという恐れだ。

 

 成績にはテストの点数だけではなく内申点なるものも反映されるのだが、それについては授業中に出される問題を全問答えるという約束で保障されている。

 

だが内申点は守られても先生たち自身が思っている俺への印象はどうしようもない。

 

これ以上悪化すればどこかで思いがけないしっぺ返しを食らいそうな気がしてならない。

 

俺は常々、どうにか悪いイメージの払拭できないかと模索しているのだ。

 

 とはいえ、いつか起こるかもしれない不運よりも今日の腹を満たすことが優先されるのは仕方のないこと。

 

今だけは何も考えず二人の後をついていくことにしよう。

 

もしどうにかなったら、なったその時にどうにかすればいいじゃない。

 

「まぁいい。どうやって降りるんだ」

 

 結局のところ、やっぱり後回しにすることになるのだった。

 

「まず僕が行くから見ていて」

 

 校舎の三階、強めの風が頬をなぶり髪を弄んでいるというのになんの恐怖も気負いもなく、自販機でジュースでも買いに行くかのような気軽さで言ってくれる。

 

 長谷部は窓の外側に設置されている金属製の手すりに手を掛け、全身を投げ出した。

 

身体を支えているのは掴んでいる手すりだけという状態で、側面にせり出している壁に足をつけ、手を離す。

 

当然重力に引かれて下に落ちるが、足で落下のスピードを緩めて頃合いを見計らって壁を蹴り、二階の教室の手すりに着地。

 

二階から一階へも同じ手順で手際よく下りて行った。

 

 なんかもう、いろいろ言いたいことはあるけれど一先ずこれだけ言っておく。

 

「スカート姿の女子がやることじゃあねぇよな」

 

「大丈夫……スパッツ、はいてる」

 

「女の子として気をつけるべき点は他にもあると思うんだ」

 

 長谷部が下りて空いた窓枠のスペースに身体を入れる。

 

見下ろすと一足早く一階の校舎裏に降り立った長谷部がにこやかに朗らかに、俺たちに向けて手を振っていた。

 

 この教室でただ一人、俺の身を案じてくれている鷹島さんに『心配いらないよ』と言葉をかけて、俺も手早く二階を経由して一階まで降りようと窓の外側へと体重をかけたその時、恭也が鋭い声で俺の名を呼んだ。

 

恭也は俺の名前を呼んだだけであって、どういう理由なのかはその言葉に含まれていなかったが、俺は咄嗟に窓の外側に曝け出していた身体を引っ込めて後ろに跳び退り、教室内へと戻った。

 

今にも下りようとしていたところだというのに、恭也が緊張感のある声で俺を呼び止める理由なんて一つの可能性を除いて他に思い当たらなかったからだ。

 

 教室に着地した瞬間、すぐに首を回して教室の後方の扉へと目を向ける。

 

全開になっている教室後方の扉から、恭也の忠告通りに俺の予想通りに、廊下を歩く教師の姿がちらりと視界に入った。

 

昼休みになったばかりの時間に一年生の教室が並ぶこのフロアにいるということは、近くのクラスで四時間目の授業を行っていた教師だな。

 

おそらく恭也は開閉する扉とは逆、固定されているほうの扉の磨りガラスに映ったシルエットで教師が来るのを察知したのだろう。

 

弁当を食べながら忍と歓談しつつ、窓にいる俺たちに気を払いながら扉にまで注意を向けるという恭也の視野の広さには感嘆の念を抱かざるをえない。

 

 恭也の注意力のおかげで教師に見つかっても俺が怒られることはなくなったが、しかし、まだ太刀峰が窓の外側の手すりに立っていた。

 

 女の子が窓を乗り越えて身を乗り出しているなんて光景を教師が発見したら、もしかしたら自殺するつもりなのではないかなどと勘違いして慌てふためくことが目に見えている。

 

見つかってしまうと大変難儀なことになるし、誤解ですと言ったとしても、じゃあなんであんなところで立っていたんだ、などと追及されては返す言葉はない。

 

人ごみの中廊下を歩いて階段を降りるのが煩わしかったので窓から飛び降りようとしてたんです、なんて本当のことを話すわけにもいかないのだから。

 

 今はまだこちらに目を向けていないが、徐々に教師の上半身が俺たちのいる教室の方向へと傾き始めた。

 

このクラスに一切用がなかったとしても、なにか問題となるようなことがないかと目を配るのは教師という立場である以上当然の義務であり責務だ。

 

 このままでは教師にバレるのは明白、かといって怒られる太刀峰を見過ごすことなんてできないししたくない。

 

なので太刀峰の方向へと視線を戻し、もはや言葉をかける程度の時間的余裕すらないのですぐに教室内へ戻るよう身体で表現して伝えた。

 

 俺がそのジェスチャーを取った理由として主に二つが挙げられる。

 

一つ目、教室側へ戻るように、という意図を明確かつ速やかに示す動作が他に考えつかなかった。

 

二つ目、太刀峰は背が低く小柄なので、窓枠から教室内へ勢いよく降り立った時、足を痛める危険性が懸案事項として検出された。

 

 以上の二つが頭をよぎり、そしてその二つを同時に満たすことができる動きを俺の脳みそははじき出した。

 

 俺の取った行動は両腕を地面に平行となる状態からさらに角度を上げて大きく広げる、というもの。

 

まるで『抱きしめてあげるから俺の胸に飛び込んできなマイハニー!』みたいな、どこか演劇を思わせる大げさなポージング。

 

二枚目俳優を気取るようなとても痛いものだった。

 

 自分でも、いやこれはないだろう、他に適したものがあっただろうと、後悔と羞恥を()()ぜにしたような複雑な感情を抱いたが、どうやら伝えんとした思いは届いたらしく、太刀峰は窓を滑らせるレールを蹴り教室内へと戻ってきた。

 

何メートルか前方にいた俺の首へと腕を回し、抱きつくような形で。

 

 ……そうだよな、俺のジェスチャーならそういうニュアンスで受け取るよな。

 

 ラブロマンスの山場、主人公とヒロインが互いに苦難を乗り越え抱き締め合うという映画のワンカットを切り取ったかのような構図。

 

唐突に繰り広げられた少女マンガのような展開にクラスに残っていた女子は黄色い歓声を上げ、今まで男を寄せつけない態度を取っていた太刀峰の変貌ぶりにクラスに残っていた男子はどす黒い嘆きの叫声を放つ。

 

我が一年一組は一時騒然、必然的に廊下を歩いていた教師の目に入ることとなってしまい、お叱りのお言葉を(たまわ)る羽目となった。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

「逢坂、だけじゃない……わたしもいる」

 

 俺の独り言は太刀峰の耳に届いてしまっていたようだ。

 

 自己主張するように俺の言葉を否定する。

 

「そうじゃない。怒られたのがなぜか俺だけだったって話だ」

 

 廊下を歩きながら放った『なんで俺だけ』という言葉は、俺だけ食堂までショートカットで行けなかったという意味ではなく、不可解にも俺だけが教師から説教を受けたことに対する怨み言だ。

 

 運が良かったことに、クラスの前を通った教師は太刀峰が窓枠に立っていたところは見ていなかったらしく、その点についてはお咎めなしだった。

 

だがクラスの騒動の要因、俺と太刀峰がハグしていた決定的シーンはしっかりと捉えられていたご様子で、神聖な学び舎でなにをしているのか、とこってり絞られた。

 

俺には日頃の恨みもあってか、長々と今回に関係ない部分についても叱責されたが、太刀峰には『逢坂に(そそのか)されないように』との一言だけ。

 

たしかに俺だって悪いことはしたと自覚しているが、説教の割合の理不尽さには納得できない。

 

 階段の手すりを握りながら太刀峰が言う。

 

「いい、じゃない。わたしは……怒られなかったんだから」

 

「そりゃお前はよかっただろうなっ!」

 

 人を小バカにするような笑みを浮かべる恭也と忍、その二人と一緒に弁当を食べているちょっと不機嫌そうな鷹島さんに『食堂行ってくる』と伝えて教室を出た。

 

こうして貴重な昼休みを数分無駄にして、今回は正規のルートを使い、食堂へと重くなった足を運び始めて今に至る。

 

「逢坂……早い」

 

 足早に歩く俺についてくるために太刀峰は若干小走りになっていた。

 

身長差の分、歩幅の差もそれなりにあるのだ。

 

「おっと、すまん」

 

 歩くスピードを緩め、太刀峰が追いつくまで三階と二階を繋ぐ階段の中間踊り場でしばし待つ。

 

俺の左側、階段の内側についた太刀峰はまた俺に置いて行かれないように、カッターシャツの裾をちょこんと握った。

 

どうでもいいことだが、迷子になって不安がっている小学生みたいだった。

 

「もう。早い男は……嫌われる、よ?」

 

「おいこら、どういう意味だ」 

 

 階段を使い二階に降りてそのまま一階に行こうとしたのだが、ここで怪しい現場を目撃してしまった。

 

廊下の壁際まで追いやられ、しゃがんで体育座りでぷるぷる震えながら目を伏せている桃色髪の女子生徒と、その女子生徒を取り囲むような形の三人の男子生徒。

 

その三人の男子生徒のうち一人は教科書やノートを持っている……いまいち状況が把握できないな。

 

 おっとりしたたれ目を()いて、桃色髪の女子生徒を助けに行こうと飛び出した太刀峰を両手で押さえながら、男子生徒たちを観察する。

 

一見、アホな男子生徒たちが女子生徒をナンパでもして迷惑をかけているのかとも思ったが、男子生徒のほうは人の良さそうな顔をしているし女子生徒の反応に困っているようにも見えた。

 

だがそうなるとあの女子生徒の怯えようが説明つかない。

 

 とりあえず話を聞くために冷静さを欠いている太刀峰を小脇に抱えながら、ややこしいことになっている集団へと近づいた。

 

「どうした、なにかあったのか?」

 

「いや、ノートを落としたから拾ってあげたらこの子が突然……あ、逢坂っ……さん」

 

「お、俺たち別にこの子を泣かしたとかじゃないんでっ!」

 

「ほ、本当ですよ? ただ拾って届けてあげようとしただけで……」

 

 急に慌てたように喋りだした男子生徒三人。

 

よく見れば上履きの色が違う、赤色と言うことはどうやら二年生だったようだ。

 

 三階は一年生、二階は二年生、一階は三年生のフロアなので二年生がこの階にいるのは別段不思議なことでもない。

 

 俺たちが今いる棟は普通棟と呼ばれていて、一年生、二年生、三年生の各九クラス、合計二十七の全ての教室がこの棟に詰め込まれている。

 

普段の授業はここで行われているし、朝と帰りのSHRもこの棟の各教室で行われている。

 

 移動教室の際はこの普通棟の隣にある実習棟(放課後は文化部の部室にも使われているので部室棟とも呼ばれる)で授業が行われるので、五時限目が始まる前に移動を済ませておかねばならない。

 

普通棟と実習棟を繋ぐのは一階の実習棟の玄関口を除けば、二階の中央階段前にある渡り廊下しかない。

 

ちなみに、上から見るとちょうどカタカナの『エ』のような形になる。

 

 ついさっき俺と太刀峰が下りてきた階段が中央階段で、今いるこの場所が中央階段前にあたる。

 

階段を下りて廊下を右に曲がったのでここから渡り廊下は見えない。

 

 おそらくこの女子生徒は実習棟から自分の教室に戻るためにここを通り、なにかいざこざがあったのだろう。

 

女子生徒の上履きの色は青色、一年生の色だし俺の推測が大きく外れていることはないと思う。

 

 ん……? 一年生でピンク髪……昨日バスケットコートにいた子か?

 

 頭の片隅でひっかかったキーワードはひとまず保留にし、おろおろとして挙動不審になった二年生の先輩たちへと目を戻す。

 

「そ、そうなのか。でもこの子も男に囲まれていたら怖いだろうし、あとは俺が引き受けるからもう行ってもらっても構わないぞ」

 

 これでもなるべく優しく柔らかく言ったつもり。

 

「そ、そうか! あり、ありがとうございます! それじゃ!」

 

 言うや否や、男子生徒のうちの一人から教科書とノートを預かると三人とも走り去ってしまった。

 

「…………」

 

 彼らの動揺ぶりに思わず沈黙する。

 

 二年生のエリアにまで俺の悪名は知れ渡ってしまっているのか……。

 

「果穂、大丈夫……?」

 

「ぁ、太刀峰さん……。はい、もう大丈夫です……ありがとうございます」

 

 俺が教科書とノートを受け取る時に太刀峰は腕の拘束から抜け出し、女子生徒(果穂と言うらしい、バスケットコートで聞いた名前だ)に駆け寄った。

 

果穂と呼ばれたその生徒は差し出された太刀峰の手を握りながら、周りをきょろきょろと見渡して安堵のため息を吐くと、もう一度『ありがとうございました』と言って太刀峰の手を離し、廊下の床につけていたスカートをぱたぱたと丁寧に払う。

 

 スカートについた埃を払うために果穂さんは少し前かがみになってお尻のあたりをぱたぱたとしていたのだが、その姿勢のせいで発育の良い胸部が強調される形になり俺としては目のやりどころに大変困ることになった。

 

視線のやり場に困ってふらふらしていると太刀峰で目が留まる。

 

俺と同じく、果穂さんを見ていた太刀峰は自分の身体を見下ろし、胸の辺りをぽすぽすと触って深く息をもらした。

 

 身体が小さく、それに比例するように女性らしさの象徴である胸もあまり成長していない太刀峰は少なからず自分の身体にコンプレックスを抱いているようだ。

 

大丈夫だよ、どこかに絶対需要があるはずだから。

 

 でも太刀峰よりほんのわずかに背が低い鷹島さんはそれなりに胸もあったような……やめておこう、太刀峰に悪い。

 

「あっ、そちらの方は……っ」

 

 果穂さんのつぶらな瞳が赤色のアンダーリム眼鏡のレンズ越しに向けられた。

 

 んむ? 眼鏡なんてかけてたっけ?

 

「大丈夫、だよ。逢坂は顔は怖いし……噂も、最悪だけど……女には優しいから」

 

「オブラート三枚くらい持って来い。昨日は話せなかったから初めまして、だな。逢坂徹だ、よろしく」

 

 前文は率直すぎる物言いの太刀峰に、後文は果穂さんに言ったもの。

 

「やっぱり……あの時はありがとうございましたっ。私怖くて、昨日助けてもらったのにお礼も言えなくて……」

 

「礼なら昨日長谷部と太刀峰から聞いたから大丈夫だぞ。それより名前を訊かせてもらっていいか?」

 

「し、失礼しましたっ。笠上(かさがみ) 果穂(かほ)と言います。一年二組です」

 

「会ってさっそく、名前訊く……」

 

「名前知らなかったら呼ぶときに不便ってだけだからな。変なふうに誤解すんなよ」

 

「やっぱり、手が……

「早くない」

 

 冷めた口調と目つきの太刀峰に曲解されないよう注釈を入れておいた。

 

こいつと長谷部は忍の影響のせいで俺に妙なレッテルを張ろうとしてくる。

 

俺の行動を悪い意味に解釈するから勘違いする前に、早いうちに芽を潰しておかなくては。

 

 俺と太刀峰の掛け合いを見て笠上果穂さんは、ふふっ、と上品に笑う。 

 

「仲良いんですね」

 

「まぁ、悪くはないな」

 

「一つ屋根の下で……ともに夜を明かした仲」

 

「~っ!」

 

「昨日の夜大雨だったから泊めただけだ。他に意味はないぞ」

 

 どんな想像をしたのか、自身の髪の色と同じくらいに頬を桃色に染める笠上さん。

 

太刀峰のやつめ、初対面の女子にどんな印象を植えつける気だ。

 

 だが太刀峰にしてはまだ表現の仕方がぬるいほうで助かった。

 

同じベッドで寝たとか言われたらあながち嘘じゃない分、訂正するのも難しかっただろう。

 

もしかすると相手によってどんな言い方にするか自分なりに見積もっているのかもしれない。

 

「それで笠上さんはこんなところで(うずくま)ってなにがあったんだ?」

 

 口ごもって右側頭部で結われたピンク色の髪を右手でいじりながら、少しずつ説明してくれた。

 

「えぇっと、ですね……。四時限目が化学の授業で実習棟のほうにいまして、その帰りに二年生の男の人と肩がぶつかってしまい教科書を落としてしまったのです」

 

 二年生の人、というとさっきまでいた男子生徒のことだな。

 

やっぱりナンパとか迷惑なことをしていたわけじゃなかったか、太刀峰を止めていて正解だった。

 

「それでその男の先輩は優しく教科書を拾ってくださったんですが、その時……」

 

 笠上さんは話の途中で辛そうに下唇を噛んで眉を歪めた。

 

太刀峰はそんな彼女に寄り添い、その手を両手で包む。

 

 普段切れ味鋭い言葉で情け容赦なく切りつけてくる太刀峰だが、これでどうして、心の機微には敏い。

 

こういう時どうすればいいかをすぐに感じ取り、実践することができる、こういうところだけは尊敬する。

 

 太刀峰に目をやりありがとうございます、と呟いて笠上さんは話を続ける。

 

「怖い、と感じてしまったんです。恐怖で身体が動かなくて、拾っていただいたお礼を言おうにも緊張で喉がはりついて声も出なくて……足にも力が入らなくなってしまって……」

 

「そう、か……」

 

 情けないことにそれしか言えなかった。

 

 男性恐怖症というものか……やはり昨日の件が原因……だろうな。

 

最悪の事態だけは避けれたが、恐怖の爪痕は残ってしまっていた。

 

彼女に、いや彼女だけじゃないかもしれない、昨日の夜バスケットコートにいた太刀峰と長谷部も含む女子全員……心に傷を負ったのかもしれない。

 

俺に、なにかできることはあるのだろうか。

 

 そう考えていた俺を知ってか知らずか、太刀峰が核心的な部分に言及した。

 

「でも、逢坂とは……喋れてる」

 

「「あ、ほんとだ」」

 

 笠上さんと声を揃えて同時に気づいた。

 

男が怖いと言う割に、俺とは何の問題もなく会話が成立している。

 

 さっき男子生徒に囲まれている時の様子を鑑みるに嘘を吐いているわけではなさそうだし、なによりこんなに礼儀正しくて淑やかな女子がこんなに巧みに嘘を吐くとは思いたくない。

 

なにか理由でもあるのか?

 

「逢坂くんなら近くにいても怖いと思わないんです。なぜでしょう?」

 

 桃色の髪と豊満な胸部をたゆんと揺らしながら首を傾げる笠上さん。

 

 たったそれだけの動きで……胸って揺れるものなのか……っ。

 

今の話題とはまったく関係のないところで愕然とする俺の耳に、太刀峰の言葉が入ってきた。

 

「もしかしたら……逢坂に助けてもらった、から?」

 

 笠上さんの胸を凝視しながら自分の推測を述べる。

 

 太刀峰、相手の目を見て喋りなさい。

 

笠上さんの目は胸部(そんなところ)にはついていない。

 

「そうかも、しれません。逢坂さんの傍では恐怖どころか安心すら感じます」

 

「……………………そう」

 

「これっていいことだよな? ここから改善することもできるかもしれねぇんだから」

 

「そう、だね。逢坂にとっては……いいこと」

 

「含みを持たせるな」

 

 ここから男性恐怖症を克服できるかもしれないのなら、少しは光が見えてきたというものだ。

 

俺にも手伝えることがあるかもしれない。

 

「ん……なんか人が増えてきたな」

 

 二年生の縄張りである二階でちょっと長居しすぎたかもしれない。

 

一年生が固まってここにいるのは目立つし、なによりも俺の存在が目を引いているようだ。

 

目を引くと言っても、敵意や悪意、ところにより殺意なのだが。

 

剣呑な視線ばかりが集まるこの事実に思わず泣きそうになる……。

 

「一段落ついたし、そろそろ移動しようぜ」

 

「……ん。果穂は……お弁当?」

 

「私はいつも購買でお昼ご飯を買ってます」

 

「それなら一緒に食堂で食わないか? 同じバスケ部の長谷部もいるぞ」

 

「は、はいっ。是非ご一緒させていただきますっ」

 

「…………」

 

 また少し遅れてしまったが話もついたので、食堂に行くため中央階段へと足を向ける。

 

歩き出そうとしたところで小さなあんよに足を踏まれて一歩ふみ出せなくなり、バランスを崩してたたらを踏んだ。

 

誰が踏んだかなんて踏まれた感触でわかる、高校生の平均から頭一つ抜けて身体も足も小さい太刀峰しか容疑者はいない。

 

小ささなら太刀峰を上回る(下回る?)人が一人、癒しを司る女神として名高い鷹島さんがいるがこの場にはいないし、いたとしても鷹島さんは決して暴力に訴えるなんてことをしないので、やはり誰がやったかはすぐわかる。

 

「おい、太刀峰。いきなり人の足踏んでんじゃねぇよ」

 

 振り向く太刀峰は常と変わらぬ無表情……んむ、かすかに眉根を寄せているように見えなくもない。

 

「……ごめん。白地に青のラインが入った……大きめのナマコかと思って」

 

「嘘吐くにしてももうすこし考えろよ!」

 

 気を取り直して階段へと身体を向ける。

 

 三歩ほど後ろから笠上さんの品のある笑い声が聞こえた。




おかしい……魔法のマの字も出てこない。

この話をするタイミングはここしかないと思ったので……。
次の話か、その次くらいで本編に戻れると思います。
本当にすいません。

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