「以上から、私は普段はしっかりと仕事をしていることが証明されます。よって、今回のような失敗は極めて珍しいものであり、そうそう発生しえない事象であると断言できます。わかりましたか?」
「必死、必死過ぎるって。わかったから、勘違いなんてしてないから」
「そう、それならよかったわ」
リンディさんはいまだ混乱が残っているのだろう頭で、論理的なようでよくよく考えるとさほど論理的ではない弁明を並べた。
俺の言葉に安堵したように上げかけていたお尻を戻し、座り直す。
これ以上言い返すと掴みかかってきそうな剣呑さだったので、喉からせり上がってきたセリフは呑み込んだ。
言い訳……もとい事情は理解したが、一度崩壊したイメージはもう回復することはない。
零れたミルクは皿の上には戻せないのだ。
でも俺はそれでもいい気がする。
あまりに凛然として隙がなさ過ぎても近寄りがたくなってしまう。
上に立つ以上、問答無用に人を惹きつける魅力、カリスマ性というものも必要だろうが行き過ぎるとコミュニケーションも満足にとれなくなる。
一部の隙もない完全無欠の完璧人間というのは、おしなべて冷たく見えるものだ。
それならば少し抜けているほうが親しみがあっていいだろう。
逆に好感が持てるというものだ
「まだ聞きたいことはあるんだろ。手早く済ませよう」
「あら、ずいぶん急ぐのね。早い男は
「メリハリのない冗長なのが好みか? 俺の趣味じゃないな」
「手厳しいお返しね。ふふ、君と話すのは本当に楽しいわ」
「さいですか……」
心底愉快そうに頬を綻ばせながら抹茶(砂糖とミルク入り)を一口含み、リンディさんは口を開いた。
「あなたたちの関係性がまだいまいちわかっていないのよね。どうやって出会い、どうやって親交を育んだのかしら」
「出会いはともかく、親交のほうはこれといって思い当たるものはないな」
ユーノと初めて会った日からさほど経っていないはずなのに、もう遠い過去のような気がした。
しかし改まって問われると返答に窮する。
後ろ暗いからではなく、取り立てて言うべきことがないからだ。
なので、俺はこれまでの概略をさらっと述べた。
「はあ……なるほどね。二人が徹君を頼りにする気持ちがよくわかったわ」
俺は五分ほどかけてあらましを説明し、乾いた喉を潤すため正面に置かれた茶碗を傾けた。
乾いた喉に抹茶はあまり適していなかった。
話を訊き終わったリンディさんは目を細めながら言う。
俺自身、なぜなのはやユーノが俺を慕ってくれているのか正直わかっていないのだ。
もちろん頼りになる兄貴分として振る舞おうとしているが、その努力が報われたことは少ない。
俺はなのはやフェイトのように魔力や素質が飛び抜けて優れているわけではないため、戦闘において役に立った覚えがないのだ。
つい先刻のリンディさんとの対論で、久しぶりに活躍できた、と安堵したほどである。
リンディさんの言に判然としない俺は続きを待った。
「どれほど危険だろうと、怪我する可能性があろうとそんなこと歯牙にもかけず、自ら率先して買って出て矢面に立つ。浮足立つような窮地に瀕して、それでもなお冷静に指示を下す胆力とリーダーシップ。なるほどね」
リンディさんがあまりにも聞き上手だったので余計なことも話してしまっていたのだが、そのせいか、とんでもない誤解をさせてしまったようだ。
「やめろよ、そんな言い方。なんか俺がすごい人みたいに聞こえる。俺はただ、常に役割分担をしてきただけだ。限りある戦力で最大の戦果を得るために行動してきたに過ぎない。
「謙遜しなくていいわよ。個人の力を正確に分析して、その都度変化する戦況に適応した人材を配する。その上で自らも前線に突撃、というのが好印象ね。上が動いてこそ、下が動くというものだわ」
「そんなたいそうなものじゃないんだけど……人数も少ないし。それに上とか下とかもないし……」
リンディさんの瞳の奥がきらきらと……否、ぎらぎらと暗くて不気味な光を放っている。
繰り出される言葉にも言い知れない力が込められており、
「……徹君、たしか学生だったわよね。どうかしら、時間に余裕があれば学校が終わった後にでも手伝いに来ない? 勉強になると思うわよ?」
「それはいったいなんの勉強なんだ」
「現場の空気や指示の仕方。早いうちから経験しておけば対応に柔軟性を持たせられるわ」
「俺を組織の一部に取り込む気まんまんか。もうちょっと隠そうぜ」
「いやね、そんな悪し様に受け取らないで欲しいわ。荒地の中で一本だけ芽が出ていたら、どんな綺麗な花を咲かせるのだろうと気になって育てたいと思うでしょう? そういうことよ」
「裏がありそうで疑わしいな、本当かよ」
「ええ、心からの言葉よ。立派に成長して私の仕事を手伝ってくれたら楽になるかもなあ、なんて露ほども思っていないわ」
「…………」
いっそ清々しいほどに裏があった。
というより両面とも裏、みたいな感じだった。
悪く捉えるとあごで使う気、良く捉えると経験を積ませようとしている、というところか。
たしかに他では得ることのできない貴重な体験だろうが、リンディさんの言うようなことを続けていたら確実に時空管理局の歯車の一部として取り込まれることになるだろう。
安易に返事をするのは早計である。
だが善意ばかりではないとはいえ、せっかく誘ってくれたのにきっぱり断るというのも気が咎める。
ここは迂遠な言い回しでお茶を濁しておこう。
「その件につきましては一度持ち帰り、前向きに協議したのち返答いたします」
「否定的な言い方はしていないのに全然見込みを感じないわね……」
「質問に戻っていいか?」
「はいはい、どうぞ」
足を組み替えて座り直す。
一拍置いてから、俺は開口した。
「率直に訊く。こればかりは立場もあるだろうからノーコメントでも構わない。リンディさんは時空管理局を信用しているか?」
「意地悪な質問をするわね……しかも答えなくていいなんていう救済措置にならないものまで用意して。答えなかった場合、時空管理局に疚しいところがあると公言するようなものじゃない」
「嘘をつくという選択肢もあるだろ?」
「嘘ついたらそれこそお終いでしょう。相互の間で積み上げてきた信頼を叩き落とすことになるじゃない」
リンディさんは苦笑いを浮かべて力なく呟き、沈思黙考した。
俺も口を閉じ、静かに彼女の言葉を待つ。
俺はすでに、リンディさんやクロノにはほとんど疑念を抱いていなかった。
クロノはこまっしゃくれたところがあるが、その実、真面目で勤勉だ。
工場跡にて、横柄な口の利き方に聞こえたのも相手を威圧して戦いを避け、怪我人を少なくするための手段に過ぎなかった。
被害を抑え、かつ自分の職責を全うしようとしたという裏返しである。
リンディさんは最初こそ腹黒さを感じたが、それだってアースラの乗員や、無関係だった俺たちを
ちょっと抜けていてかわいいところが見え隠れしているこの人が、好き好んでなのはやユーノに棘のある言い方を選ぶとは思えない。
二人とも自分の中に通すべき正義や観念を持っていて、世界の安全のために時空管理局で働いている。
なればこそ、二人に疑いなんてない。
だが、下は真面目に働いていても、上が悪巧みをしているなんてよくあることだ。
現在も時空管理局に勤めている、しかも要職に就いているリンディさんに言わせるのは酷だろうとは思うが、俺には訊かなければいけない義務がある。
覚悟を決めておかねばいけないのだ。
時空管理局という巨大組織に一時的にでも足を踏み入れる以上、
今回のジュエルシードの一件が終わったあと、強力な魔力を有するなのはや膨大な知識をその頭脳に内包するユーノをどう扱うのか、その点が俺には気掛かりだった。
リンディさんやクロノであれば俺たちの意向を汲んでくれるだろうが、向こうの上の人間までもが気を利かせてくれる保証はないのだ。
時空管理局について略説された時の一つに、なのはと同じくらいの歳の子も珍しくはないと言っていた。
つまり、才能があれば――戦力になるのであれば、年若い子どもでさえ組み込むということだ。
戦力が心許ないのはこの船、アースラだけじゃない。
母体である時空管理局そのものが人手不足であることの、なによりの左証である。
そのことが、燻っていた不安の火種に油を注いでいた。
仮に事件を解決に導けたとして、慢性的に人材不足である時空管理局が、比倫を絶する能力と素質を秘めているなのはと、優れた頭脳を持つユーノを手放すだろうか。
一度池に入った色鮮やかな錦鯉をみすみす逃す人間はいないだろう。
辞める時に、そうですかはいどうぞ、と二つ返事に辞めさせてくれると思うのは楽観的に過ぎるというものだ。
なのはとユーノには目下の案件に集中しておいてもらいたいが、俺まで目先にばかり
すべて終わって人心地ついて、さあ帰ろうと後ろを振り返ったら崖だった、なんてシャレにならない。
逃げ道は確保しておきたい、だからこその俺の設問だ。
俺たちが時空管理局を信じられるかどうかも大事だが、とどのつまり、そういった組織の信頼性というのは実際に入ってみないと詳細にはわからない。
実際に、しかも長きにわたって所属しているであろうリンディさんの、ありのままの意見が欲しかった。
どれだけ時間が経ったのかはわからない。
リンディさんの後ろにある
涼やかに流れる水の音を伴いながら鹿威しが打ち鳴らす乾いた音を数え始めて、三十と三つをカウントした時、リンディさんが長いため息を吐いて、重たそうに口を開いた。
「……先に言っておくけど、そして徹君もわかっていると思うけど、大きな組織の隅から隅まで、端から端まで綺麗なんて……そんなのありえないわよ」
「ん、わかってる。その上で訊きたいんだ。リンディさんから見た管理局の姿を」
とうとうリンディさんは畳に左手をついて、右手で目頭を押さえた。
相当悩んでいるのだろう、眉間にはしわが刻まれている。
俺のせいでリンディさんが老け込んだらどうしよう、というとてもくだらない上にとても失礼な心配は思考の彼方へ投げ飛ばした。
大丈夫、きっとリンディさんはこれから十年経っても美しいさ。
リンディさんは、これから
見えやすくなった瞳には、疲労が色濃く覗けた。
「上層部には……黒い噂が絶えないわね。立場上、いろんな部署にパイプがあって、様々な分野の人と会話する機会があるのだけど、そこから噂がたまに耳に入るわ……」
「やっぱりあるよなぁ。ないほうが怪しいくらいだけど」
身体の前面に向けていた重心を後ろに下げ、畳に手をつく。
わかっていたことだ。
組織が拡大すれば、それだけ内情は複雑化し、やがて腐敗する。
組織が肥大化すればするほど、創設されてから時間が経てば経つほどそれらは顕著になる。
パーキンソンの法則を持ち出さずとも、文明を持つ世界に十年も住んでいれば自ずと理解できるものだ。
ここで、時空管理局には間然する所など一切ない、などと言われたらリンディさんの信頼度ランクがさがるところであった。
時空管理局に裏があるかないかを訊きたかったんじゃない、リンディさんが本当のことを教えてくれるか否かが肝要だったのだ。
およそ他人の俺に、面と向かって時空管理局の実情を教えてくれたということは、ある程度リンディさんも俺の、俺たちのことを信用してくれているということなのだろう。
こうして事もなげに人の行為の裏を読んでしまう自分に、割と本気で嫌気が差す。
姿勢を崩して、自分の性格の悪さに眉を
「たしかに、時空管理局は口が裂けても一枚岩だなんて言えない。でも……でも、これだけは信じて欲しいの。グレーなことをしているのはごく一部で、大多数の局員は昼夜問わず、平和と安全のために尽力しているということを」
まなじりを痛ましく下げて、語気に力はなく、瞳は悲愴に潤う。
目線は俺の双眸に合わせたまま、リンディさんは俺の手を両手で包み、胸元まで引き寄せる。
「あなたたちがいやな思いも悲しい思いもしないように、私たちも全力を尽くします。だから……信じてください」
立場も、実力も、人望もあるだろうこの人を、なにがここまで追い詰めるのだろう。
リンディさんは俺を見ているようで、どこか違うものを見ている気がする。
俺の心の奥底を覗こうとしているのか、それとも瞳に反射する自分自身を視ているのか。
なんにせよここまで言われて、男が引くわけにはいかなかった。
彼女は誠意を見せてくれた、ならばこちらも応えないといけない。
「まだ俺は時空管理局の中身について、詳しいことはほとんど知らない。完全に信じることはできない」
握られっぱなしの右手を見ながら、空気に溶かすように言う。
手を握るリンディさんの手が強張ったのがわかる。
反応するのは俺のセリフを全部聞いてからにしてほしい。
「そう、よね。徹君からすれば……いきなり仲間を襲ってきた組織……
「だから俺は、時空管理局という組織じゃなくてリンディさんたちを信用することにした。別段、なにか会った時には責任を取れ、とか言いたいわけじゃないからさ。そのあたり安心してくれていいよ」
途中で割り込んできたリンディさんの言葉に重ねるように、強引に言い切った。
言い終わった一瞬だけ、俺の手を包み込んでいる両手の握力がぴくんと跳ね上がって、少し痛いくらいだったが大見得切って格好つけたばかりなので我慢する。
「……ふふっ、一丁前に言うわね。子どものくせに」
「はっ、なんてことはないな。『子ども』の前に『男』なんだ」
「彼女たちの気持ちがすこしわかった気がするわね。ああ、どうしましょうか。もう一つ質問があったのに、訊く必要なくなっちゃったわ」
「なくなったらなくなったでいいだろう。俺もあと一つ訊こうとしてたけど、もういいし」
互いにどこか人を食ったような会話を交わし、互いに思わず笑みがこぼれた。
規模の大小や人数の多寡はあれど、俺もリンディさんも肩に自分以外の人間の……大げさに言えば命がかかっている。
だからだろうか、似ているところと言えば性根の悪さくらいなのに、なぜか通じる部分がある。
だからだろう、そのせいだろう、俺は油断していたのだ。
管理局側との話し合いに完全決着を見て、安心して一息ついてしまっていた。
終わったのなら、この部屋でゆっくりすべきではなかったのだ。
少なくとも、顔を間近に寄せているような『至近距離』で、『手を握られている』状態のままいるべきではなかった。
ぷしゅっ、と勢いよく空気が抜けるような、聞き覚えのある音がした。
「艦長、もう話は終わりま…………」
扉が開いた、クロノが応接室に戻ってきたのだ。
それはそうである、なのはを家に送り届けるという任務を終えればまたこの部屋に帰ってくるのは自明である。
なんなら、戻ってくるのが遅かったくらいだ。
リンディさんが俺に話があると言っていたのをクロノも訊いていたので、もしかすると気を利かせてゆっくり戻ってきたのかもしれない。
結局なにが言いたいかというと、最悪の状況でクロノ少年が帰ってきてしまったということだ。
「あら、クロノお帰りなさい。丁度いいタイミングね、こっちの話は終わったわ」
「や……やぁ、クロノ。お帰り。な、なのはを送ってくれて、あり、ありがとうな」
うまく回らなかった舌を責めることはできない。
筆舌に尽くしがたい表情をしているクロノが扉を開けたまま固まっていれば、誰だってそうなるだろう。
クロノがそんな表情をするのも無理からぬこと。
この場で明言こそしていなかったが、クロノとリンディさんは親子だ。
どちらも姓がハラオウンだし、ちょくちょくクロノがリンディさんに向かって『母さん』と発言していたことからもそれはわかる。
問題は、少し目を離した隙に、少し席を外した隙に、得体の知れない男(俺のことだが)が自分の母親と手を握り合いながらかなり近い距離で座っていたということだろう。
クロノはきっと、艦長職に就いている人を食ったような飄々としている自分の母親ならば、どこの馬の骨とも知れない十六歳のガキ如き、赤子の手をひねるように簡単に丸め込むだろう、と踏んでいたのだ。
だが蓋を開ければ、扉を開ければ、手に手を取って密着してお喋りしているのだから気が気ではないだろう。
なんだか似たようなことシチュエーションが最近あったなぁ、と現実逃避に耽る。
応接室に入り、なのはとユーノを家まで送ったことをクロノがリンディさんに報告しているのだが、その声は恐ろしくフラットだ。
かすかな抑揚も些かの傾きもない。
とてもバリアフリーだ、車椅子には優しいと思うがきっと俺には優しくない。
報告を終えたクロノが絶対零度にほど近い瞳で俺を一瞥する。
いつの間にか右手に杖を携えていた。
もしかしてここで
そのくらいにはクロノは冷静であった、杖を握る右手が震えてはいたが。
安堵のため息をついた俺に、クロノがその凄絶な面付きを向けて無声で言葉を放つ。
俺のかじった程度の読唇術によれば、母音がアの四文字。
『カ・ザ・ア・ナ』
解読したと同時に、なのはを送る前のクロノの脅し文句――次そんな呼び方をしたらスティンガーレイを零距離から腹に撃ち込む――を思い出した。
次クロノと会う時は、腹に超合金Zでも仕込んでおいたほうがいいかもしれない。
なんで話し合いだけでこんなに長くなった……。
次は短めの話になる予定です。
その話が終われば次の章になります。
とんと日常編を書いていない……。
最近三人称の勉強としてSAOの二次創作をちょくちょく書いています。
いつにするかはまだ決めていませんが、近々投稿しようと思っていますので、よければ感想などを頂けたらなぁ……なんて。
不慣れなのでだいぶ拙い三人称だとは思いますが、時間があればどうぞよろしくお願いします。
後書きにこんなこと書いていいのかな?
書いちゃダメだった時はすぐさま消しますね。