長い長い進行編が終わり、章が変わり、日常編です。
シリアスだったり真面目だったりな話が続いたので、これからしばらくはだらだらした話になります。
よろしくお願いします。
ちなみに忍は恭也の嫁。そこは絶対変わらないです。
そしてもう一つ、ここの忍は性格改変されております。今さらですけどね。
日常~勉強会~前日
「なんでお前だけなんだよ」
「なんであんただけなの」
四月二十五日金曜日、しばらく前から進めていた――懇親会になりつつある――勉強会を明日に控えた今日この日、俺は学校を終えてから海鳴市の中心部へと足を運んでいた。
その理由は以前、恭也と話をしていた通りに買い出しだ。
当初計画していた人数より参加メンバーが膨れ上がったため、料理の食材やデザートを作るための材料の調達から奔走することとなった。
恭也と忍がメニューの方向性を一緒に考えてくれていなければ更に時間がかかっていたことだろう。
付け加えて言うのなら、鷹島さんやなのはたちにデザートのリクエストを貰っていなければ、頭を捻る上に試行錯誤を繰り返すことになっていた。
なにはともあれ献立が一通り決定し、食材が傷むことを避けるため、勉強会の前日である今日、買い出しに来るはずだったのだ。
食材の目利きで役に立つだろう恭也を引きつれて……なのに、俺を待っていたのは違う顔だった。
「恭也が来るんじゃなかったのかよ」
「徹と二人だけなんて、私だって聞いてないわよ。恭也があんたと買い物に行くっていうから私も来たのに」
待ち合わせ場所である駅の前に設けられている広場、その真ん中に屹立する時計塔にはなぜか忍がいた。
恭也の姿はない、忍だけであった。
艶のある紫色の長い髪をたなびかせ、右手を腰に当てて凛と立つ忍は学校からそのまま来たのだろう、制服のままであった。春の温もりを乗せた風にスカートの端をひらつかせて、長く綺麗な足を惜しげもなく披露している。忍の端正な顔貌と脚線美に、広場にいた数人の男たちはみな、吸い込まれるように視線を注いでいた。
「なんだ、恭也から買い出しに行くのは聞いてたのかよ」
「ええ、『徹と土曜の勉強会で出す料理とデザートの材料を買いに行くんだが、忍も来るか?』って」
腕を組みながら恭也の口真似をする忍。
動きと喋り方はさすがに小さい時から一緒にいるだけあって似ているが、声質だけは決定的に似ていなかった。
「なにそれ、俺まで伝わってきてねぇよ。その当人はどうしたんだ」
「恭也からはそれ以降なにも聞いてないもの、私も知らないわ。携帯になにか連絡入ってないの?」
くいっ、とあごで、俺に携帯を確認するよう忍が命令してくる。
その女王様顔負けの不遜な指示の出し方に内心カチンときながらも、しぶしぶ黙って従う。
口で一抵抗したら物理で十をもって切り返してくるような女だ、わざわざ傷口を広げるようなマネをする必要はないだろう。
ポケットに手を突っ込み携帯を取り出す。
ディスプレイにはメールが一件、内容は以下の通り。
『すまんな。急用が入ったので代打には忍を立たせた。守備範囲は広いから問題はないだろう。頑張ってくれ』
とのこと。
「先に言っとけや!」
つい本音が脳を経由せず口から出てしまった。
「なに、なんて書いてあったの?」
すたたっ、と後ろに回り込み、俺の顔のすぐ横で忍が携帯の画面をのぞき込む。
忍は他人にはお淑やかなお嬢様キャラで通しているが、一定のラインを越えた友人相手には仮面を取っ払い、自由奔放勝手気ままに動き回る。
それ故に遠慮もなく近づいてくる。
パーソナルスペース? なにそれ、おいしいの? と言わんばかりに考えなしに、一直線に距離を詰める。
顔良しスタイル良し、ついでに頭と家柄も良しの女の子が身体に触れるくらいに接近してきたら、男なら誰だって勘違いしてしまいそうにもなるが、如何せん、こいつにはその気など一切ない。
勘違いしてはいけないのだ。
いやまあ、しないけども。
俺では忍を扱いきれない。
会話からも察することはできるが、近い人間に対して忍は容赦がない。
外から見るぶんには女性として欠点などないが、近くにいるとよくわかる。
性格が一部、致命的に崩壊しているのだ。
長年経験している俺は重々理解している、身に沁みてわかっている。
だから俺はすぐ隣に寄られたとしても動揺などしない。
幽香が嗅覚を刺激しても、なんとも思ったりしない、感情をぐらつかせることをしないのだ。
「あ……ん、えっと。よ、用ができて来れねぇだって」
「なに焦ってるの? 顔赤くない?」
駄目だった、動転していた。
日頃非道な振る舞いをされているぶん、ギャップに心臓を貫かれた。
「と、とりあえず、恭也は来れなくなったわけだが、忍はどうする? 帰るか?」
「あんたは買い出し行くんでしょ? 手伝うわよ」
「いいのか? 恭也は来ないんだぞ? 俺と二人ってことになるし」
「別にいいわよ、徹と二人だけっていうのも最近なかったでしょ。久しぶりにこういうのもいいんじゃない?」
「まぁ、最近は誰かが絶対にいたけど……。俺と二人で歩いているところを学校の生徒に見られたら、なにかしらの誤解を受けるんじゃないか?」
「そんなもんで
善意の忠告を、しかし忍は一笑に付して俺の腕を取り颯爽と歩き始める。
学校での俺の不本意な評判を、もちろん忍は知っているのにそんなこと意にも介さず俺の手を引く。
紫髪を右に左に揺らしながら、忍はずんずんと迷いなく歩みを進める。
細くて柔らかいのに、どこか頼りになる手だった。
久方ぶりに耳にした忍の心優しい言葉に、女々しいことに涙腺が緩みそうになった。
こいつが俺に面と向かって『親友』だと言ってくれるなんて、忍も丸くなったものである。
ただ、格好いい背中を見せながら力強く足を踏み出していく忍に、俺は一つ言わなければいけないことがあった。
自然と声音も柔らかくなる。
「なぁ、忍……」
「なに、徹、珍しく穏やかな声出しちゃって。似合わないわね。感動しちゃった?」
俺の手を引いて振り返りながら、忍はからかうように笑う。
勘の鋭い忍だから、どうにか自分で気づいてくれないかな、とも思ったがどうやら空振りに終わったようである。
「いや、なんだ……言おう言おうと思ってたんだけど」
「あ、惚れちゃった? 残念だけど、私には
忍は目を細めながら口元を覆うが、にやにやとした表情は全然隠せていなかった。
どうすべきか、さらに言い難くなってしまったが、このままでは本日の
八つ当たりでどんな攻撃が飛んでくるかわからないが、俺は足を止めて腹をくくる。
「ちょっと、いきなり足止めないでよ。さっきからどうしたの? いつもおかしいわよ」
「そこは『今日は』だろ。ただの悪口になってんじゃねぇか。……自信満々で先導してくれるのは嬉しいんだが、忍よ」
首を傾げて、身長差から俺を見上げる形になっている忍へ告げる。
「目的地、真逆の方向なんだ」
内心どんな苛烈な暴力を振るわれるかと怯えていたが、忍のリアクションは俺の予想と全く異なるものだった。
予想を遥かに越えるものだった、と言い換えてもいい。
「そっ……それを……早く言いなさいよ……」
忍は、らしくない蚊の鳴くような声で呟き、赤面しながら顔を伏せた。
俺の心臓に二本目のギャップの槍が突き刺さる。
手から伝わる温度はすこし熱くなっていた。
*******
握った手を離す機会を失ったため、小学生の遠足のように忍と手を繋ぎながら、目的地へと通じるアーケード街を歩く。
見上げれば装飾が施された白色透明の天井、太陽に照らされて紋様が浮かび上がっている。
左右には多種多様な店が軒を連ねており、店舗数が多いことから価格競争も激しく、家計をやりくりする主婦の方々を多く目にする。
雑貨店や服飾関連の店も多数あり、特に用事がなくとも見て回るだけで楽しいことから学生にも人気が高い。
かく言う俺も、ついさっき通り過ぎた料理包丁専門店という看板に強く心惹かれている。
恭也曰く、このアーケードのもう少し進んだところに生鮮食品やフルーツなどの専門店が密集している、とのことだった。
「それで、まずはなにを買いに行くのかしら」
駅前の広場からしばらくの間固く口を閉ざし、逆に俺に手を引かれて俯きながら歩いていた忍が尋ねてきた。
先刻の赤っ恥はどうやら吹っ切ることができたようで、声のトーンは通常運転に戻っている。
だが相当堪えたようで、顔にはまだ赤みが残っていた。
「最近暖かくなってきたからな、デザートの材料を先に買うと傷んじまいそうだ。だからまずは、メインの
「あ、言うの忘れてたわ。昼食で使いそうなものは、もうこっちで揃えてるのよ」
「こっち、って……月村家のほうで用意してくれたのか?」
「ええ、食事形式は昨日聞いていたからね。昨日のうちに準備させておいたわ」
買い出しに行くというのはもともと、忍の家に負担を掛けすぎないように、という配慮からだったのだが、基本的によく気が回る忍が手回ししてくれていたようだ。
勉強会を開催するにあたりお屋敷の一部屋をお借りし、昼飯を作るということで料理人の聖域であるキッチンまで拝借し、さらには食材まで支度させてしまうとは心苦しい限りだ。
至れり尽くせりと言うべきか、おんぶに抱っこと言うべきか。
いやはや、頭が上がらない。
「ケーキとかのデザートはなにを作るかわからなかったから用意できてないわ。買いに行くならそっちね」
「なにからなにまですまん、ありがとう」
「別にいいわよ、これくらい。私はまだ技術的に徹のお手伝いもできないからね、準備くらいはしておくわよ」
デザート期待してるわ、というセリフを意地悪げな笑みと共に綴り、忍は締め括った。
こういうさりげない気遣いや手配をさも当然のようにこなし、しかもそれを鼻にかける様子が欠片もないというのが、月村忍の格好いいところである。
俺が女なら絶対忍に惚れていたことだろう。
ちなみに男のままで惚れることは難しい、なにせ俺より性格が男前なのである。
男の視点からでは、どうしても忍の立ち居振る舞いは憧れのほうが先に立つ。
「ん……?」
忍に、任せとけ、と返事をした時、唐突にどこかから、がしゃ……、と軽い物を落とすような音を耳が捉えた。
同時に聞き覚えのある音声をかすかに拾ったが、さすがに人通りも多く、上と左右に壁があるこのアーケードでは音が反響し、正確な位置までは特定できなかった。
「どうしたの?」
癖なのだろう、小首を
この仕草だけであれば忍は完全無欠に美少女だ。
跳ね上がった心拍数を気取られないよう、黙って首を横に振る。
全幅、と言っては過言になるので
その半幅の信頼を寄せる俺の第六感では、それほど嫌な予感や悪い気配を感じ取ってはいないので、さっきの落下音もなにかの気のせいか、もしくは通行人の誰かが買い物袋でも落としたのだろう、と断案を下す。
落ち着きを取り戻したところで忍に、なんでもない、と言って話を戻した。
「女の子が多いっつっても、十人ぶんともなるとさすがに結構な量になっただろ。……やらしい話、金額とかってどれほどかかったのかなぁ……なんて」
俺の下世話な質問に、忍は嘆息しながらオーバーリアクションで『やれやれ』と手を広げる。
忍の反応にうぐっ、と言葉が詰まるが、そのあたりの金銭管理をちゃんとしておきたいと思うのはきっと俺だけではないはず。
「本当にやらしい話ね……経費なんてあんたが気にする必要ないの。問題はお金じゃなくて量よ。うちの業務用の冷蔵庫がいっぱいになったのよ? 覚悟しておいたほうがいいわよ、徹。相当作るの大変だからね」
お金の話を華麗に流し、忍は話の焦点を巧みに変える。
俺に対する忍なりの配慮であることくらいはさすがに悟ることができるので、俺もこの件についてはこれ以上触れなかった。
心遣いに気づかないふりをして、俺は忍の話に乗る。
「うわぁ……マジかよ。まぁ、客人に大食らいが二人いるからな、その計算は間違ってないだろうけど」
大食らいとは無論、長谷部真希と太刀峰薫両名である。
彼女たちはきっと無限胃袋なる内臓器官でも内蔵しているのだろう。
そう思ってしまうのは、彼女たちの食事量が常人のそれと比べ物にならないからだ。
だが、きちんとカロリーを摂取しているわりには授業中寝ていることが多い。
嘆かわしいことに、取り入れたエネルギーは二人の脳みそにまで届いていないようであった。
「せいぜい頑張りなさい。私はソファの上から応援してるわ」
「草葉の陰からじゃねぇのかよ、寛いでるじゃねぇか。手伝ってくれよ、俺だけじゃ手が回らないかもしれない」
「仕方ないわね……じゃあファリンをつけてあげるわ」
「嫌がらせか。あのドジっ子をどう活用しろって言うんだ。目の保養にしかならねぇよ」
月村家名物のメイド姉妹、その片割れで妹のファリンはとんでもないレベルのおっちょこちょいである。
俺は鮮明に記憶している。
前に忍の家でファリンに料理を教えようとした時だ。
ファリンは卵を割ろうとして握りつぶし、そこから慌てふためき、まるで神に導かれているように尻餅をついて卵の中身を、つまりは黄身やら白身やらを顔や胸にひっかけた。
その押しも押されぬドジっ子っぷりに当時の俺は教育方針を方向転換し、俺の手本を見てから調理に入るよう指示した。
練習メニューも、料理なんて小難しいものは中止し、もっと気楽にできるようにクッキーにした。
それでも、そんな思慮や考慮をも上回ってやらかしてくれるのがファリンという女の子である。
持ってくるよう頼んだ薄力粉を、段差もなにもないところで足をひっかけぶち撒け、倒れた拍子になぜか俺のズボンを掴んでずり下ろし、そのタイミングで倒れた時にファリンが放った悲鳴を聞いた忍が駆けつけ、釈明すら許されず捕縛された。
最終的に誤解はもちろん晴れたのだが、なぜか俺が折檻されるという理不尽。
鉄板所は確実に押さえ、その上で予想の斜め上に突き抜ける行動を取るのがドジっ子メイドファリンさんの真骨頂なのだ。
ただ真正のおっちょこさんであるファリンだが、性格は底抜けに明るく、どことなく幼さが残るものの容姿も端麗なので、傍にいてお喋りするぶんにはとてもやる気と元気が出る。
手は出さずに応援だけしてもらうという手段もあるにはあった。
本気でその手法を取ろうかと考えていると、不穏な視線を感じて顔を横に向ける。
俺の発言に、忍がちょっと距離をあけてジト目を向けていた。
距離をあけて、とはいうものの、手が繋がっているので数センチしか離れはしなかった。
「目の保養って……なに、ファリンを脱がす気なの?」
「脱がすか! どんな逆転の発想だ! ファリンがミスするところを見て和むくらいしかできないって言ってんだよ!」
「そうよね、わざわざメイド服を
「やめろ、これ以上俺に不名誉な称号を貼りつけようとするな。今でも両手で数えきれないほどつけられてるんだぞ。おもにお前にな」
「いいじゃない、もう手遅れよ。私が知ってるだけでも……赤鬼、血桜、ブラッディオーガ、人喰い、手篭め師、ロリコン、女たらし、BL、チビ専、ヤリチ……こほん。すぐ出てくるだけでもこれだけあるわね」
「前半のいくつかは入学初日から数日間の俺の所業に原因があるから口を
「構わないでしょ? これから一つや二つ増えたって。もともとあんたの名誉なんて、あってないようなもんじゃない」
なんて言い様だろうか、これがさっき親友と言ってくれた同一人物とは到底思えない。
俺としても、さすがに言われっぱなしは癪である。
俺にだって切り返す刃があることを思い知るがいい。
「あってないようなものは忍の胸だけで充ぶゥォッ……」
閃光の如き反撃を受けた。
「なにか言ったかしら? この、スタイル、抜群の、私に、なにか言ったかしら?」
「ごめ……ごめんなさっ、すんませんした……」
俺の言葉の剣は振りきる前に圧し折られた。
セリフに読点が入る度、俺の内臓へと忍の鋭い手突がめり込む。
ガードをすり抜け、忍の細くしなやかな指が内臓各部へと深刻なダメージを与えていく。
とてもじゃないが、女子高生の繰り出す技じゃない。
俺は早々に白旗を掲げて投降した。
忍の攻撃には、駅前広場での憂さ晴らしも多分に含まれていると思われた。
腹部の痛みを堪えながら、忍に尋ねる。
「……参考までに、どんなものが加えられる予定だったんだ?」
「『予定』じゃなくて『決定』よ。ちなみに《メイド萌え》と《着衣プレイヤー》の二つね」
「お断りだよ、この野郎!」
目的地である青果店をやっと視界に収めたばかり、買い物もまだしていないというのに、俺はすでに満身創痍であった。
忍が絡むとどうにも会話が弾んでしまう。
そしてほぼ雑談で一話終了、これが日常編。