「計算は繰り返すことで慣れてくる。慣れてくれば計算にかかる時間もどんどん短くなってくるよ。でもテストで大事なのは問題に正解するってことだから、問題を最後までやれるくらいに時間が余ってるなら、あんまり急ぎすぎないほうがいいかもしれない」
「私は計算に自信がなくて、何度もやり直してしまって……よく時間がなくなっちゃうんです」
「そういうことなら何度も練習問題をこなして自信をつけるのがいいかもね」
「もしかしたら算数の点数良くなったらアリサちゃんに勝てるんじゃないかな」
指導方針を考えていた俺と彩葉ちゃんに、日本地図とにらめっこしていたなのはが参加する。
なのはは彩葉ちゃんの隣に座り、テーブルのはしっこに手をついてノートを覗き込んだ。
「あ、高町さん。そんなことないです、バニングスさんは全教科まんべんなくできますから」
彩葉ちゃんは唐突に会話に入ってきたなのはに驚きながらも褒め言葉には謙遜しつつ、丁寧に返した。
同級生が相手でも敬語なのか、肩肘張った生き方である。
息苦しかったりしないのだろうか。
俺なんて年上相手でもよっぽどな立場と関係じゃない限り丁寧な口調で接しないというのに。
「でも鷹島さんは他の教科は全部平均的によかったよね? 算数の穴を埋めることができたらいい勝負できると思うなぁ」
なのはが呼び水となって、すずかも輪に入ってきた。
すずかは俺の隣に座って彩葉ちゃんへと目を向ける。
俺のひざに自然な動作で手をつき、すずかは身体ごと彩葉ちゃんへ近づくような挙動を取った。
必然、すずかの上半身は俺の身体にかなり密着してしまっている。
心なしどころか、あからさまに距離が近いように感じるが、すずかの意識は彩葉ちゃんに向いているらしく、俺には一瞥もくれない。
ということは全て俺の勘違いなのだろう。
紫色の頭を俺の胸に当てているのも、身体をすり寄せてくるような仕草も、きっと俺の気のせいなのだ。
彩葉ちゃんは俺を挟んでいるすずかへと首を回して目をやるが、音はテーブルの向こう側から聞こえてきた。
「へ? 呼びました?」
鷹島さん(姉)が、すずかの問いかけに反応してしまった。
同じ『鷹島さん』なので耳に入ってしまったのだろう。
「ごめんね、鷹島さん。こっちの話なんだ」
「あ、ごめんなさいっ、そうだったんですか……」
思い違いをしたのが恥ずかしかったのか、鷹島さんは頬を染めて俺に返して、また小さな手にシャーペンを握って『うぅ……』と小さく唸りながら教科書へと目を落とした。
「バニングスさんはいつもほとんど満点ですし、高町さんは理系がとても強いです。月村さんもよく高得点者の欄に名前が……」
「ん? 私のこと呼んだ?」
「呼んでねぇよ、お呼びじゃねぇよ。すずかのことを呼ゔぁっ」
『月村さん』との呼称に次は忍が反応したので、お前のことではない、と俺が言うと、額にそこそこ質量がある白色の塊が飛来した。
忍から投擲されたなにかによる痛撃に、俺のセリフは中断する。
強制終了させられた俺に代わって、忍が口を開く。
「綾ちゃんの時と私の時とで対応に差がありすぎるのよ、あんたは。これは暴力じゃないわ、正当な抗議行動よ」
抗議にしては、些か過激が過ぎるというものである。
俺のおでこに着弾した『なにか』は真上に跳弾していたようで、数秒の空中遊泳を楽しんだのちに、俺の手元に落ちてきた。
つまみ上げたそれは、およそ五センチ掛ける五センチという一般的な消しゴム。
図らずも、小さく軽いものでも速度を上げれば威力が上がるという証明をしてしまった。
「お前は消しゴムをも凶器にできるのかよ。銃弾かと思ったわ」
「懲りないわねあんたは! まず謝罪でしょうが!」
「忍さん! それ僕のなんだけど!」
忍は第二射目を撃ち放つために振りかぶる。
今回装填された弾丸は、忍の隣に座って科学を教えてもらっていた長谷部のものらしく、押し留めるような長谷部の声が聞こえた。
座りながらにも拘らず、忍は寸分の誤差もなく一投目と同じ軌道で俺の額目掛けて放る。
これだけ肩が良くて狙いも正確であれば、野球でもやる時は忍はキャッチャー確定だな。
矢の如き速度で迫るゴム弾を、シャドーボクシングでもするように左手で掴み取る。
いくら早いとはいえど、振りかぶるところから視界に入っていれば防げないというほどのものではない。
キャッチしたはいいが、座っているため勢いは流せなかったし、左には彩葉ちゃんが、右にはすずかがいたので腕を振って速度を殺すこともできなかった。
よって生み出された威力の全てを手のひらで受け止めざるを得なかったわけで、手の真ん中からはじんじんとした熱が発生している。
数メートルの距離から猛スピードで放たれたそれを見事捉えて見せたことで、テーブルを囲んでいたみなからは、おぉ……、と感嘆のため息がもれた。
別にこれは見世物とか余興の一芸などではないのだけれど。
「はいはい、すまんかった。もうやらないでくれ、勉強が滞るから」
二つの消しゴムを忍へと投げ返す。
「むぅ、さすがに正面からじゃ取られるわね」
「徹相手に一撃を当てることができただけでもすごいだろう」
頬を膨らませてぶうたれる忍を、すでにノートへと目を移している恭也がすかさずフォローした。
取り持ってくれるのはありがたいが、仲介するのならもう少し早めに行動を起こしてほしいものである。
俺は被弾した額をさすりながら、彩葉ちゃんたちとの会話を再開する。
「邪魔者が入ったせいで話がぶつ切りになっちゃったな。ごめんな」
「い、いえ、それはいいんですけど……。月村さんのお姉さんとはいつもあんな感じで?」
「そうだな、今日はみんながいるからまだ優しめだ」
「お姉ちゃんは、徹さんには容赦ないから……。それだけ気が置けない相手ってことだから許してあげて?」
「許すもなにも怒ってないぞ。なにより今更優しくされたらそのほうが怖い。ああいう性格だからこそ話しやすいってのもあるからな」
「徹お兄ちゃんと忍さん、恭也お兄ちゃんは親友だもんね」
「なのは、改めてそう言うとすごく恥ずかしいからやめようか」
「ちょっと待ちなさい! わたしもでしょっ! 忘れてないでしょうね、徹!」
気の強そうな声が耳元で響くと同時に、首と背中に衝撃と温かさを感じた。
視界の端にちらりと見えたのは金に輝く
というよりも、高校生組はテーブルの向こう側に全員揃っていて、俺の右にすずか、俺の左には彩葉ちゃんがいて、彩葉ちゃんの隣になのはがいるのだから、この状況でアリサちゃん以外にいるわけがなかった。
アリサちゃんは困っている科目なんてないから、という天才っ子しか口に出せない理由を呈示し、一足早く休憩していた。
なんと、勉強の時間と休憩の時間が一対一の割り合いである。
日頃から予習復習を欠かしていないのか、それとも地頭がいいのか。
なんにしたところで、優秀な少女ということに相違ない。
「わたしも親友でしょっ、勘定に含めなさいよねっ」
「忘れてないよ、アリサちゃん。俺の三人目の親友だからね」
首に回されたアリサちゃんの細い腕をぽんぽんとタップする。
忍じゃあるまいしこのまま首絞めチョークに移行するとは思わないが、日頃の習慣で背後から腕をかけられると恐怖感がこんこんと湧き出てくる。
それに上半身を前後左右に揺らされていると、俺の頭頂部に陣取っているニアスが落っこちてしまいそうだ。
アリサちゃんは俺の依願を悟ってくれたようで、首に絡めていた腕を解いてくれた。
ただ解いたことには解いたが、体勢は相変わらず後ろからのぺっ、と体重を預けてくる。
正面に近い角度にいる忍たちからは俺の身体で隠れてアリサちゃんが密着しているのは見えないだろうが、内心冷や汗ものだ。
一日に二度も気絶させられるとか冗談ではない。
「えっと……? どういうことなの?」
疑問符を頭上に浮かべる三人に、アリサちゃんと知り合った時の概要を説明した。
もちろん誘拐云々の部分は伏せて、である。
純粋で順良な少女たちをわざわざ心配させることもないだろうとの配慮から、厄介ごと程度の表現に抑えておいた。
「それではバニングスさんも逢坂さんに危ないところを助けてもらったんですね」
全て聞き終わった彩葉ちゃんが、俺の背中にはりついたアリサちゃんに話しかけた。
「『も』ってことはあんたもそうなの?」
「『あんた』じゃないです。鷹島彩葉といいます」
「いや、名前は憶えてるわよ。ただどう呼べばいいかわからなかったってだけ」
アリサちゃんがいつもの語勢を失速させつつ答えた。
ぴきゅーんっ、と俺の頭の中で電撃が走る。
これはいい流れなのかもしれない。
ここで彩葉ちゃんへの呼び方を固定してしまえば、彩葉ちゃんとなのはたちとの距離も近くなるのではないだろうか。
呼び名というのは人間関係において重要な役割がある。人と人との距離を計るものさしと言い換えてもいい。
敬称をつけているのとつけていないのとであれば親しさの印象が違うし、名字で呼ぶよりファーストネームで呼ぶほうが近しく感じる。
いきなり名前で呼ばれたら不快に感じる人ももちろんいるが、彩葉ちゃんはそういうタイプではないと考える。
姉である鷹島さん以外の他人に対して、彩葉ちゃんはどことなく壁を作っているが、それはどう接したらいいかわからないからだ。
その証拠に、一度だけとはいえ、長い時間喋って距離感を掴んだ俺とは自然に会話ができている。
彩葉ちゃんが築き上げている精神的防壁は他者に近寄ってほしくないからではなく、どんな人なのかを見定め、安心して接するためにあるのだ。
彩葉ちゃん自身大人びた性格でもあるし、呼び方程度で拒否したりはしないだろう。
今はまだ呼び名と関係が相反していても、話しかけやすくなれば仲良くなることに繋がるはずだ。
さればこの機会、逃す手はない。
「この場所では兄妹姉妹が多いからな、ややこしいというのもある。この際名前で呼べばいいんじゃないか?」
「徹お兄ちゃん、それとってもいいの! 『鷹島さん』って呼ぶのはなんだか他人行儀? だし!」
なのはが言った『鷹島さん』という言葉に、テーブルの反対側でノートになにやら書き込んでいた鷹島さんの肩がぴくりと動いたが、同じ
「ですが高町さん、私はあんまり親しくしてなかったですし……」
「ん? 呼んだか?」
「だから呼んでねぇよ! お前は『高町さん』なんて呼ばれ方されたことねぇだろうが!」
「いや、忍も鷹島さんもやっていたからな。俺も乗っかるべきなのかと思った」
「ノリでやんなよ! 話が逸れるんだから!」
鷹島さん、忍に続いて、恭也が『高町さん』と呼ばれて反応した。
しかしこれは言うまでもなく恭也のジョークである。
真顔でボケるせいでたいへんわかり辛いが。
だが、これは好都合でもある。
高校生組と小学生組で兄妹姉妹の同姓が多く、名字で呼べばややこしいということが実証されたのだからな。
「今はまだお互いをよく知らなくても、これから仲良くなればいいんだよ! よろしくね、彩葉ちゃん!」
「えっ、あ、あの……」
俺が口を挟もうとしたら、彩葉ちゃんの隣に座っていたなのはが手を取り、屈託のない笑顔でそう言った。
出鼻を挫かれてタイミングを失した俺を置いてけぼりするように、すずかもなのはの言葉に続く。
「前から話してみたいと思ってたんだけど、なかなか機会がなかったんだよね。よろしくね、彩葉ちゃん」
「ま、共通する知り合いもいることだし? な、仲良くしてあげるわ……彩葉」
アリサちゃんは俺の背中から離れて腕を組み、ツンツンした物言いをしながらも、その声音は恥ずかしさを隠しているのが見え透いていた。
戸惑いつつも照れくさそうに、彩葉ちゃんは微笑を湛える。
「ありがとうございます。なのはさん、すずかさん……バニングスさん」
「ちょっと! なんでわたしだけのけ者にしてるのよ!」
「ふふ、冗談です。よろしくお願いします、アリサさん」
「そ、それでいいのよ。でもその敬語はどうにかならないの? 同級生相手に敬語なんて必要ないわよ」
「アリサちゃん。彩葉ちゃんの個性なんだから、無理に変えさせるようなことしちゃダメだよ」
敬語も直させようとしたアリサちゃんをすずかが
アリサちゃんはなにか言いたげな素振りを見せながらも、しぶしぶ納得する。
なのはは彩葉ちゃんの手を握って楽しげに話しかけていた。
そのまくしたてるような勢いに押されながらも、彩葉ちゃんもなのはへ笑顔で返す。
どうやら俺の出る幕はなかったようだ。
この少女たちを侮っていたとも言えるだろう。
俺が変に気を回さなくとも、仲良くなりたい、友達になりたいと思った相手には迂遠な方法を取らずに、まっすぐに手を伸ばして近づき、距離を詰めるのがこの子たちだ。
今まではそのきっかけがなかっただけであって、取っ掛かりさえ掴めればあとはもう時間の問題である。
その取っ掛かりすら、なのはがいるのならいずれクリアできていたと断定できる。
なのはが切り開き、アリサちゃんが引っ張り、すずかがフォローする。
そして三人総じて人を思いやることができる子たちなのだ。
俺のお節介など必要ない、彼女たちだけでも充分うまくやれたことだろう。
純真な四人の笑顔が俺にはとても眩しかった。
俺もなのはたちを見習ったら交友関係を円滑に運ぶことができるのだろうか。
いや、やめておこう。
俺の場合、真似しようとしても失敗する光景しか浮かばない。
そもそも真似しようとしていること自体からして間違っている。
なのはたちが本心から動いているからこそ、彩葉ちゃんの心を動かすことができたのだ。
俺が見様見真似で取り繕ったところで成功する見込みは薄い。
すなわち、俺はこれからも今まで通りやるほかないということである。
…………別にいいし、親友二人、アリサちゃんも含めれば三人もいるし、最近友達もできたから別にいいし。
「今やってるところが一段落ついたら休憩にしようか。その時にたくさんお喋りすればいい」
収拾がつかなくなる前に、俺は先んじて提案した。
楽しそうに笑顔を振りまきながら話しているところに水を差すのは俺としても心苦しいが、勉強を中途半端にしたまま放置というわけにもいかない。
俺は心を鬼にし、四人に割って入って話の流れを堰き止めるが、四人とも気を悪くした様子もなく『はーい』と素直な返事をしてくれた。
本当にあらゆる面においていい子たちだ。
願わくば、このまま健やかに成長してほしいものである。
誰かさんのように暴力でカタをつけたり、罵詈雑言を浴びせかけたり、流言飛語を言い触らせたりしない女性になってほしいと祈りつつ、俺は彩葉ちゃんの算数の教科書へと意識を傾けた。
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ソファに身体を預けて、ひとくちサイズのイチゴが乗ったカスタードタルトを口へと放り込む。
イチゴの甘酸っぱさとカスタードのしっとりとした舌触りに、タルトの食感がアクセントとなって至高の逸品となっている。
このレベルの菓子をあっさりと作ってのけてなお、他にも数品用意できるのだから、ノエルさんの腕前はさすがとしか言いようがない。
「徹も休憩中か。隣座るぞ」
ノエルさんお手製の英国伝統菓子に
テーブルの上に置かれている皿に盛りつけられたお菓子のうちの一つを手に取り、俺の横に座る。
ソファは三人掛けなので男二人が並んでも余裕があった。
「恭也、そっちの進捗状況はどうだ?」
「忍の教え方が上手いからな、思ったよりもペースよく進んでいる。それに長谷部さんも太刀峰さんも思いの外要領が良い」
「やる気になりゃできるのかよ。学校でもその調子を見せてくれりゃいいのにな」
「鷹島さんに至っては、なぜ学校の授業で遅れているのか分からない程に出来るようになっている。おそらく教師の説明では理解出来ていなかっただけだったのだろう」
「忍の頭の良さはテストで点数が取れるってだけじゃないもんな。人にわかりやすく噛み砕いて教えることができる、っていう本当の意味での賢さだ。予想通り、先生役には適任だったぜ」
「ただ、やはり忍一人で三人に教えて回るのはなにかと大変みたいだ。後から徹も手伝ってやってくれ」
コップに注がれたお茶を飲みながら了解の意を恭也に示す。
飲み物はお茶の他に、コーヒー、オレンジジュース、紅茶とあったが、紅茶は口に合わないし、小学生組の手前コーヒーに砂糖とミルクをばちゃばちゃと大量に入れるのはよくわからない気恥ずかしさがあった。
それならばお茶じゃなくオレンジジュースでも良かったのだが、年上としての体裁というか、小さな見栄みたいなものでお茶に落ち着いた。
「そういや昨日はどうしたんだ? 恭也が当日の集合時間ギリギリになってドタキャンなんて珍しい」
「急にどうしても外せない用事を頼まれてな。徹と忍には申し訳なく思いながらも断り切れなかった。すまなかったな」
「急用なら別にいいんだ。結局忍の家で昼食の材料は準備してくれてたし、デザートの食材を揃えるだけだったからな」
それとなく、昨日なぜ来れなかったのかを尋ねてみた。
そもそも買い出しに行こうかと提案したのは恭也だったのだ。
自分から言い出した約束事を反故にするのはこいつにしては極めて珍しいことである。
どんな用事があったら、この実直な恭也が後から入った頼まれ事を引き受けるのか気になった。
だが、どうやら依頼人とその内容については伏せたいようである。
律儀な恭也のことだから、俺に教えても構わないような案件であれば、なぜ来れなかったのかと問いかけた時に理由も付随させて喋っていただろう。
そうしなかったということは言いたくないのか、もしくは教えてはいけない用件ということだ。
ならば無理に聞き出す必要もあるまい。
親しき友にも礼儀あり、だ。
なにも互いの間で一切隠し事をしないのが親友なのではない。
根拠もなく信じることができてこそ親友といえよう。
されば掘り下げて食い下がるような真似はしない。
これもまた、友情の一つの形だ。
「彩葉ちゃんはなのはたちにずいぶん馴染んだようだな。徹が手を回したのか?」
恭也は話題を切り替え、俺たちの向かいのソファでじゃれ合っている少女たちへと目をやった。
ソファの左から順にアリサちゃん、なのは、彩葉ちゃん、すずかと並んでいる。
三人掛けのソファだが、身体の小さい少女たちであれば四人で乗っても狭くはないようだ。
「いや、あの子たちが自分から歩み寄った結果だ。俺はほとんどなにもやってない。ただほんのちょっとだけきっかけを作っただけだ。それに今となっちゃ経緯とかどうでもいい。仲良くなってるんだからな」
「そうだな、なんでもいいか。これほど見ていて微笑ましいものもない。見ているだけで疲れが取れる気までしてくる。ロリコンの気持ちもわからないでもない」
「この光景を見てたらみんな和むよな、癒されるよな。それはそれとしてロリコンでなぜこっちを向いたんだ、おい。恭也こら」
俺の疑問には答えようともせず、恭也は手に取っていたパイを半分かじった。
「んっ、これ美味いな。カスタードが甘さ控え目でくどくなくて食べやすい。徹、これはなんという菓子なんだ?」
恭也は目を丸くして俺にパイを見せてきた。
人の質問には答えないのに俺には答えさせるというのか。
こんな扱いに慣れてきている自分に悲しくなる。
「見た目だけでは絞りきれないな。ミルフィーユかカスタードスライスのどちらかとは思う。一口くれ」
恭也はぽすっ、と俺の開いた口にパイ生地でできているケーキの残り半分を詰め込んだ。
舌の上に乗せてから指で押してくれやがったので、そこそこサイズのあるお菓子を丸呑みにしかけた。
味わえなかったら元も子もないというに。
「んぐっ。奥まで入れすぎだ、窒息するだろが」
「おお、すまないな。クリームを溢しては勿体無いと思ったんだ」
それほど悪びれた素振りもなく、恭也は目で早く教えろと訴えかけてくる。
人使いの荒い親友である、俺を辞書かなにかだと勘違いしているのではなかろうか。
一度は喉を通過しかけたお菓子を舌の上で転がして味わう。
噛んでみて最初に感じたのはパイ生地の食感、次に恭也の言った通り甘さが抑えられたカスタードクリームだが、これがまたパイ生地の間にたっぷりと挟み込まれている。
この時点では判別しかねたが、咀嚼の途中、大きなヒントが舌に触れた。
おそらくは天面にコーティングされていただろう
「これはカスタードスライスだ。甘さを抑えたカスタードクリームと表面の糖衣ではっきりとわかった」
「ほう、そんな名前の菓子なのか。美味い上に見た目もよく、手頃な大きさで女性も食べやすい……これは使えるな」
「翠屋のメニューに加える気かよ。あれ以上増やすと桃子さんの負担になりかねないだろ」
「大丈夫だ。その時は徹に手伝いに来てもらう」
「端からあてにされていたとは思わなかった。さすがの俺も絶句するわ」
急遽開催されたスイーツ名前当てクイズを終了させ、お茶を飲もうとテーブルへ手を運んだが、同時に向かい側のソファにいるなのはたちの姿が視界に入った。
四人ともあれだけ賑やかにしていたのに、いつの間にかとても静かになっている。
ソファの上で身を寄せ合って、俺と恭也の方向を見ていた。
小学生組総勢四名、揃いも揃ってかすかに顔を赤くしている。
「……逢坂さんは、なのはさんのお兄さんと『とても』仲がいいんですね」
「そりゃまぁ、小学校からの付き合いだからね。こんなんでも親友だし」
「最近はあまりないが、前までよく徹の家に泊まりにも行っていたな」
「そ、そうなんですか」
彩葉ちゃんの問いかけに俺と恭也が答えたが、彩葉ちゃんはとても複雑そうな表情を浮かべた。
なのはやアリサちゃん、すずかはソファの中心部に座る彩葉ちゃんにくっついてぽそぽそと何言か耳打ちする。
囁くような三人の言葉に彩葉ちゃんは『うん、うん』と頷いた。
まともに喋り始めたのはついさっきだというのにもう彩葉ちゃんはなのはたちから頼られているようである。
さすが小学生、順応するのがとても早い。
「そのお泊まりは、逢坂さんとなのはさんのお兄さんの二人だけで……ですか?」
「いや、徹の家に泊まりに行く時は忍も絶対一緒だぞ」
「呼ばなかったらいじけるしな、あいつ」
二つ目の質問に答えると、小学生組全員が同時にほっ、とよくわからないため息をついた。
なのはたちのリアクションに見当がつかず、恭也になんのことだかわかるか? と視線を送るが、恭也からは俺もさっぱりだ、というアイコンタクトが返ってくる。
恭也も俺も似たり寄ったりであった。
不本意な想像をされていた予感が俺の脳裏を