「なかなかに壮観ね。恭也、徹、ご苦労様。ノエルもありがとう」
「いえ、あくまで私はお手伝いしただけですので」
「やり始めたらテンション上がっちまったぜ。普段はこんな機材触れないからな、いい経験ができた」
「冷静になってから見るとやり過ぎた気もするんだが。料理がロスになるんじゃないかと心配になってくる」
「恭也は経営する側の目線で考えすぎだろ。これだけ人数がいるんだ、余らねえよ」
俺と恭也は、ノエルさんの協力もあって昼食の準備を遅れずにできた。
さすがに俺たちが勉強していた部屋に用意するわけにもいかず、昼飯は専用のホールをお借りした。
微妙に上から言い下される忍のお褒めの言葉だが、今は達成感から気分がいいので素直に
部屋に来るまで、にやにやとした気味の悪い笑みを貼りつけていた長谷部と太刀峰はホールに到着すると表情を一変させ、尻込みするように扉の前に佇立していた。
「これは……個人でできるとは思えない規模だね……」
「業者さんにでも……頼んだの?」
「業者に依頼する必要なんかねぇよ。俺がいて、準備や力仕事の手際に定評のある恭也がいて、ハイスペックな万能メイドのノエルさんまで手を貸してくれるとなれば、頑張ればなんでもできるぜ」
小さなバイキングであれば張り合える規模の食事会場を見て、目を白黒させながら呟く二人に返答する。
実際問題、能力的には充分すぎる人材が揃っていたのだ。
俺だって経験者なのだからそれなりにできるし、ノエルさんは言わずもがな。
恭也も、最初こそ触れたことのない専門機材に戸惑っていた様子だったが、慣れればどうということはなかった。
俺とノエルさんで調理を担当し、恭也が機材のセッティングと配置、そして順次完成した料理の盛り付けをする。
役割分担をはっきりとさせて、個々人の技術を最大限発揮させればなんてことはない。
最初こそ間に合わせることができるかどうかひやひやしたものだったが。
「こ、こんなに……立派と言いますか、豪勢と言いますか……。か、会費とか払ったほうがいいんじゃ……」
礼儀正しく、貸し借りについて一家言ある鷹島さんが気後れするのも無理はない。
個人で揃えるスケールとは、とてもではないが思えないからだ。
用意されていた機器は多種多様であった。
料理を入れて保温しておくためのチェーフィングディッシュ……一昔前であれば固形燃料を使っていたが、今の主流はIHに対応していたりと安全性にも配慮がなされている。
揚げ物などを置いておけるウォーマープレートや、サラダやフルーツの鮮度を落とさないようにするためのコールドプレートもあった。
ウォーマープレートの隣にはヒートランプも完備されている。
ここまでであれば、今回のためにレンタルでもしてくれたのかな? とも思うのだが、天下に名高い月村家がその程度で終わろうはずがない。
小さな子どもから精神年齢の低い大人までテンションが跳ね上がるチョコレートファウンテン、まさしくそれがあった。
チョコレートファウンテンとは、チーズフォンデュのように、串に色んなものを刺してチョコをつけて味わうというものだが、チーズフォンデュと違うのは、よりデザートとしての側面が強いというところである。
チーズフォンデュの具材というとボイルされたお肉やウィンナー、人参やポテトだが、チョコレートファウンテンには果物やマシュマロが使われるので、完全に食後のデザートと捉えていい。
溶かして液体状にしたチョコレートに生クリームを加え、内蔵されているモーターで上部まで引っ張り上げてピラミッド状に、上から下へと流して循環させるもの……
しかし、月村忍という女は一般的という枠で収まる女ではない。
月村家で用意されたチョコレートファウンテンは驚くなかれ、滝のように流れるタイプであった。
基本的な仕組みは同じなのだが、見た目からの迫力とインパクトはピラミッド式とは一線を画す。
その証拠に、小学生組の女の子たちは全員が全員メインディッシュには目もくれず、チョコレートの滝を見て大きな瞳をきらきらと輝かせていた。
その隣にはアイスクリームを冷凍状態のまま保管できるキーパーが置かれている。
もちろんアイスクリームを
これらのほかにも、球体の上三分の一を切り取ったようなお洒落なボウルがスタンドに備えつけられており、調味料やドレッシング、トッピングなどを入れておけるようになっていた。
機材の手配こそノエルさんが承ったらしいが、どれを購入するかのセレクトは忍がやったとのこと。
忍のセンスの良さがこんなところでも光ることとなった。
とまぁ、子どもであれば目に華やかな数々に心も踊るというものだが、高校生ともなれば、それらの機器の調達費に加えて材料費などについても考えを巡らせてしまうもの。
否が応でも全体でかかった経費を推算せざるを得ない。
負担をかけすぎているのでは、と後ろめたく感じる鷹島さんの気持ちはわからないでもなかった。
「気にしなくていいよ、鷹島さん。こういうのはもはや、忍の趣味みたいなものなんだ。楽しんで満喫してくれさえすればそれでいいんだよ」
「そういうものでしょうか……? 逢坂くんにも高町くんにも頼りきりな気がするんですけど……。忍さんのお家の方にも苦労を強いてしまっているんじゃ……」
ちらりと触れたが、これらの保温器、保冷器、調理機ディスプレイ専用テーブル等々etcは全て、今回の昼食のために買い揃えたというのだから恐れ入る。
調理中に聞いて、レンタルとかあるんだからわざわざ買わなくても良かったのでは、と思ったのだが、その疑問にもノエルさんは答えてくれた。
というよりも、忍に頼まれた時にノエルさんも俺と同じことを思い、提言したらしい。
そして忍が返した言葉が、『これからもまた同じようなことはあるでしょ。この際一式取り揃えておきましょ』というもの。
設備の豊富さにテンションが上がって、張り切り過ぎてやり過ぎた俺が言うのもなんだが、まさか忍の言う『同じようなこと』がある度に俺と恭也(ノエルさんもいてほしいと願うばかりだ)が準備することになるのだろうか。
ボルテージが平常時に戻った今では、一抹の不安が頭を過る。
閑話休題。今はお金の話だ。
トータルでいくらかかったのかなど、俺としても想像したくはない。
そもそも忍がそんなことで恩を着せようなどと考えているわけがないし、暗くなられるのも本意ではないだろう。
ならば俺たちは気にせずに、月村家の心遣いを甘受すべきなのだ。
「大丈夫大丈夫。忍の両親は寛容だし、ノエルさんならきっとこっちから言ったところで『仕事の範囲です』とかっていつも通り淡々と返すよ。それに俺も恭也もやってる途中から気分が高揚してきちゃってね、大変だとは思わなかったんだ。気にする必要はまったくないよ」
「そう、ですか。それなら今は目一杯楽しみます!」
鷹島さんは納得したように、いつものふわふわした笑みを俺に向けるとてとてと走り、すでにホールの内部へと足を踏み入れていた長谷部と太刀峰に合流した。
立ち代わりに、滝のようなチョコレートファウンテンに目を奪われていた小学生組が俺に近づいてくる。
最初に話しかけてきたのは、一時間強の間でなにがあったのか、幾分表情と声に、明るさと元気さが増した彩葉ちゃんだった。
「逢坂さん、これ逢坂さんが作ったんですか? ケーキだけじゃなくて料理も作れるんですね。すごいです。お姉ちゃんにも見習ってほしいです」
「俺だけじゃなくてノエルさんの力添えもあったからこそだけど、そう言ってもらえるのは嬉しいよ」
「チョコ! 徹お兄ちゃんっ、あのチョコのあれ、すごいね! あんなの見たことないの!」
「派手だもんなぁ、俺も実際目にしたのは初めてだ。一応言っとくが、最初から食うなよ。あのチョコのやつやるのは飯食ってからだからな」
「うちにこんなのあったのかな? 見憶えないなぁ」
「今回買ったらしいから見憶えがなくて当然だろうな。腕によりをかけて作ったから味には期待してくれていいぞ」
彩葉ちゃんやなのはたちの感想やお褒めの言葉、質問に順に答える。
支度の時には大変ばたばたと慌ただしかったが、こうしてこの子たちのリアクションを見れたのだから、苦労に見合った報酬といえる。
やはりこういうイベント的な催し物には、サプライズがあって然るべきなのだ。
「料理もできるとは聞いてたけど、まさかここまでとは思わなかったわ。一度北山にも会わせたいわね。気が合うんじゃない?」
「前に言っていたバニングス家のコックさんだったっけ? 俺も一度会ってみたいね、得るものが多そうだし」
アリサちゃん誘拐未遂事件を瀬戸際ぎりぎりで未然に防ぎ、その礼としてアリサちゃんのお家へと招待されたことがあった。
その時は昼食をまだ済ませていなかったので、バニングス邸でご相伴に預からせていただいたのだが、そこで振る舞われた料理を作ってくれた人というのが、アリサちゃんが口にした北山さんというお方だ。
短時間で数多くの品を仕上げる速さ、様々な国の伝統料理を作れる知識、無論のことだが味も絶品。
その腕を実際に目にしたいと常々思っていたのだ。
また今度アリサちゃんのお願い(という名の命令)を叶える時にでもお目にかけさせて頂こう。
「パフォーマンスに気を配ったメニューもあるんだ。楽しみにしてくれ」
黄色い声で喜びを表現する小学生組みを、まさしく学校の先生のように連れ立って引率する。
俺を中心にして寄り添ってきているので、両手に花どころではないシチュエーションと言えないこともない。
色とりどり、個性のある美しくて鮮やかな四輪の花だが、おしむらくはみなまだ蕾であることだけだ。
いや、だからこそいいのかもしれない。
小さな蕾のままでも愛らしく、その上どのような色彩で咲き誇るのかと想いを馳せることもできる。
一粒で二度おいしいとはこのことか。
誓って言えるが、この気持ちは決して
よって、俺の頬が緩んでいるのは父性とか庇護欲とか、兄的な感慨深さとか、きっとそういうものである。
*******
「ねぇ逢坂、ケーキはまだなのかい?」
「あんだけ食った直後にケーキを要求できるのかよ。お前らの身体の中には胃袋の代わりにブラックホールでも搭載されてんのか」
「女の子に……なんて言い方。これはただの、別腹」
「お前らの口から『別腹』という単語を聞いたのは既に六回目だぞ。胃袋分かれすぎだろ、牛超えたわ」
忍や恭也もなかなかの健啖家であることは記憶していたし、長谷部と太刀峰が見た目と相反して大喰らいなのも理解していた。
だからこそ忍は大量に食材を仕入れていて、俺も食いしんぼう系女子の食事量を考慮して作っていたのだが、長谷部、太刀峰両名はその推計をまさかのまさかで越えてきやがった。
スープから始まり、唐揚げやピザなどのオードブルを食い荒らし、メインとなる肉料理や魚料理もたらふく食し、同時に米までかっ込むのだから、もはや驚嘆にすら値する。
足りなくなったのでご飯を炊き直したが、その頃にはおかずとなりうる食品は食い尽くされており、傷ませるのももったいないと思い、余った材料で即席チャーハンを作ったが、それすらぺろりと完食したのだ。
もちろん丹精込めて作った料理を『おいしい』と言いながら食べてもらえるのは調理者冥利に尽きるし至上の喜びではあるが、それにだって限度というものがある。
険のある口振りになってしまうのもどうかわかってほしい。
「たしかに……さすがの私も庇いようがないくらいに食べてたけど、いくらなんでも女の子を牛で例えるのはダメよ。それに育ち盛りなんだからいいじゃない。食べすぎないよりよほど健康的だわ」
「……食後のデザートとしてソルベを用意してる。そろそろノエルさんが持ってきてくれるはずだ。ケーキは三時のおやつとして出そうと思ってる」
「忍さん、そるべってどんなものでしたっけ?」
「リキュールとかを使った口触りのいいアイスのことよ。……徹、ちゃんとアルコールは飛ばしてるんでしょうね」
鷹島さんの質問に答えた後、忍はぎらりとした眼光で俺を見る。
おそらく俺の体質について言っているのだろう。
「剣呑な目で見るな。抜かりはねぇよ」
深く突っ込まれたくないので忍の言葉に短く返すが、厄介なことに、厄介なやつに食いつかれる。
「なんの話だい?」
長谷部が首を傾げながら尋ねてきた。
折角の機会だから、と言って小学生組と友誼を深めていた恭也が、こちらに近づきながら長谷部の質疑に応答する。
「徹は酔いやすいんだ。昔、水と間違えて日本酒を飲んだ時などは特に酷かった。その一件以来、徹からアルコールを遠ざけるようにしているんだ」
「記憶がないのにめちゃくちゃ叱られたんだぞ? あれほど理不尽なことはねぇよ」
「そんな弱点『も』……あったんだ。知らなかった」
「弱点というほどのものではないと思うんだけど……って待て。『も』ってなんだ。他に知ってんのか。おい忍、お前またなにかいらんこと言い触らしたんじゃないだろうな」
「虚言は吐いてないわよ、事実しか言ってないわ」
一番可能性のある忍に追及したらあっさりと、悪びれもせずに堂々と認めた。
この場合事実であることこそが問題なんだが、忍はわかってくれそうにない。
忍へ言い募ろうとしたタイミングでドアがノックされた。
一拍の間をおいたあと扉が開かれる。
ノエルさんがカートを押して入ってきたところを見るに、その中身はソルベと取って間違いはないだろう。
入り口に近いところ、チョコレートの滝で楽しげな声と愛くるしい笑顔を振りまいているなのはたちに一声かけてから、ノエルさんはカートの行く先を俺たちへと向ける。
「大変お待たせいたしました」
「ありがとう、ノエルさん」
「いえ、お構いなく」
ノエルさんは四十五度で頭を下げてカートを固定させると、器をテーブルへと移し、銀製で釣鐘状になっている蓋、クロッシュを音も立てずに丁寧に、それでいて速やかに持ち上げてカートの内部へとしまう。
蓋を収納した際も音は最小限、傾注しなければ聞き取れないほどに静かであった。
とある電気店街の喫茶店などで氾濫しているなんちゃってメイドではない。
これこそが本物、職業軍人ならぬ職業メイドだ。
洗練されたプロの技の一端を垣間見た気すらする。
「それでは失礼します。何か御座いましたらまたお申し付けください」
ノエルさんは
お仕事モードだと近づき難いほどの雰囲気を漂わせるご麗人である。
主人や他に客人がいない、二人でお喋りする時とは隔絶された所作振る舞いだ。
気のせいや勘違いであることは重々承知の上だが、そのギャップにきゅんときてしまうのは男であれば避けることのできない哀しい
まったく男という生き物は、至極単純にできてしまっているようだ。
「あら、四種類もあるのね」
「最初は俺とノエルさんで一つずつ作ろうってなってたんだけど、製作過程でお互い熱が入ったというか」
「とどのつまり、張り合って二人とも一品増えたということだろう」
「なんにしたって、おいしいものをいっぱい食べれるんだから問題はないね」
「グレープと、レモン……あとは、なんだろう?」
「一品は基本に忠実、王道とも言えるソルベを作ったんだ。俺がレモン、ノエルさんがグレープだな。食後なわけだしさっぱりとした風味を意識した」
「二つめにはなにを作ったんですか? まっ白いのと、紫色のがありますけど」
「それは食べてからのお楽しみ、ってことで」
テーブルに並べられたデザートを見やる。
淡い黄色と黒紫色は先述したとおり、レモンとグレープ。
あと二つは純白色に点々と薄緑色がさしたものと、毒々しさすら感じる紫色に緑が散らされたものの計四品。
ノエルさんの技術に触発されてという理由もあったが、それ以上に作り始めていて楽しくなってしまった感も否めない。
創作意欲が湧いてしまったのだ。
ソルベと一緒に持ってきてくれていたらしい小さなスプーンを手に持ち、俺はまずノエルさんが作った白いデザートに口をつける。
自分が作った分の味見はしたが、ノエルさん作の味見はまだしていなかったのだ。
俺以外は各々レモンかグレープを選択した。
最初はオーソドックスなタイプから攻めるようである。
「いただきます」
片手にはアイスが乗った小皿、もう片手にはスプーンを持っているので手を合わせて、とまではできなかったが、それでも足並み揃えて口を揃えて、誰一人欠けることなく合唱した。
調理者への感謝の気持ちなのかなのか、はたまた、ただの習慣なのかはわからないが、皆礼儀正しいものである。
ちなみに俺の場合は、日頃姉から受けているしつけの結果だ。
「うおぉぁ……うまい」
口へ放り込んでまず感じたのは、ヨーグルトのくどくない甘さと爽やかな酸味。
次いで現れたのは独特の食感、これはナタデココだ。
悪目立ちしないようにと、通常よりも細かく刻むという配慮もなされている。
くにっとした歯応えを楽しんだのちに飲み込めば、鼻から、すぅっ、と抜ける涼感が顔を覗かせる。
淡い緑色の正体はミントだった。
食事の終わりということを踏まえて、舌触りのいいあっさりした種類の甘さを使いつつ、個性を出すために食感にも目を向け、後味にも気を配る。
いやはや、あの人はなんでもできるんだな。
「徹、それどうだったの? おいしかった?」
「ノエルさんのお手製なんだぞ。おいしくないわけがないだろ」
「私も食べたい。一口ちょうだい」
まだたくさんあるのだから自分で取ればいいのに、という旨を伝えようとしたが、その前に忍は口を開いて待っていたので俺は早々に言うのを諦めた。
どうせ筋の通らない反論で俺を力づくに丸め込むのだから、自分で取るように仕向けてもさして未来は変わらない。
ならば諾々と従っていたほうが精神的にも肉体的にも時間的にも損耗はないだろう。
これを学習というべきか洗脳と呼ぶべきか迷いながらも、手に持つヨーグルトソルベを一
「ん! おいひいわね! さすがノエル、いい仕事する……どうしたの、綾ちゃん? 真希ちゃんも薫ちゃんも驚いた顔して」
ノエルさんデザートに目を細めて舌鼓を打っていた忍が、いきなり三人の名前を出した。
長谷部と太刀峰が目を丸くしているが、それは味に関してではないようだ。
鷹島さんはどこか得心がいったというふうの表情を見せた。
「……逢坂くんと忍さんは、やっぱりお付き合いして……」
「忍の反応からしてうまいみたいだな。徹、俺にもくれ」
「自分で取れよ。まぁいいけどさ」
鷹島さんの蚊の鳴くような声を覆うように恭也が言った。
歯並びのいい綺麗な白い歯を見せる口へと、俺は忍の時と同様に白いソルベを突っ込んだ。
恭也は顎をゆっくりと動かして吟味するように咀嚼する。
いつになく真面目な顔をしているので、また店で使えるかどうかと思案しているのだろう。
純粋な気持ちで味わえよとも思うが、楽しみ方は人それぞれだ。
俺からとやかく口を出すことでもない。
「それで鷹島さん、なにを言おうとしたの?」
「え……あれ? だって高町くんは……?」
見ているだけで心が安らぐ鷹島さんのお顔がまた変化する。
先ほどの腑に落ちたような表情から困惑へと色を変えた。
普段見ることができない鷹島さんの百面相は、正直見ていておもしろくはあるが、なにやら困っている様子なので解消してあげるべきだろう。
まずは、なにに対して疑問を感じているかをはっきりさせようか。
「鷹島さん、どうしたの? おいしくなかった?」
「い、いえっ、とてもおいしいです……ってそこではなくて! ……逢坂くんと忍さんはお付き合いしてるんじゃ……ないん、ですか?」
これ以上ないほどにおずおずと、身長差から上目遣いになりながら、レモンソルベをちみちみと舐めるようにスプーンの先端を咥えて鷹島さんが問いかけてきた。
仕草は同い年とは到底思えないほどに可愛らしかったが、その内容までは可愛いものではない。
隣に立っている忍からの圧力が半端なそれではなく、恐怖を掻き立て煽り立てる。
目を向けることすらしたくないほどだ。
とんでもないことを口にしてくれたものである。
忍は小皿とスプーンを俺へ殴りつけるように押しつけ、鷹島さんに接近する。
「そんな妄言を垂れ流すのはこの柔らかいお口かしら? あら、とても触り心地がいいわね」
「にゃぅっ、にゃにしゅうんでふかぁ」
「どうしよう、とても可愛いわ」
距離を詰めた忍は、鷹島さんのぷにぷにしてそうなほっぺたを指先でつまんで逆に問い詰め始めた。
抵抗しようにも両手がふさがっているため、鷹島さんはされるがままである。
鷹島さんのセリフの真偽を問いただすためにイタズラし始めたはずだが、その感触の虜となったのか、忍は鷹島さんのほっぺたを一心不乱にむにむにとしたまま話を進めようとはしなかった。
埒が明かないので介入する。
「なんのためにお前は鷹島さんの頬をつまんでいるんだ」
「そうだったわね。あまりにも気持ちよくて私としたことが忘れてたわ。綾ちゃん、なんで私が徹なんかと付き合ってると思ったの?」
「絶対に俺の名前の後ろに『なんか』をつける必要はなかっただろ。ついでみたいに俺を傷つけてんじゃねぇよ」
忍は名残惜しそうに鷹島さんから手を離した。
はふ、と解放されたことによるため息をもらしてからやっと説明に入る。
「あの、昨日彩葉と一緒にアーケード街に買い物に行きまして、その帰りに《What》という喫茶店に寄ったんです。そこで……逢坂くんと忍さんがただならぬ雰囲気でお茶をしていたものですから……」
喋り終えて、鷹島さんはどこか安心したかのように相好を崩した。
喫茶店で鳴り響いていた音の発信源はどうやら鷹島姉妹だったようだ。
話を聞く限りでは俺と忍が席についているうちに鷹島姉妹は店を出たらしく、ずる賢いウェイトレスにしてやられた致命的なシーンは見られていなかった。
「でも鷹島さん、ただならぬ雰囲気っていうのは言い過ぎじゃない? ただケーキ食ってただけだったのにさ」
俺にはそこがわからなかった。
店から出る時に、あのアホの皮を被った悪辣ウェイトレスに仕向けられた写真の件ならともかく、一緒にライバル店でケーキの味を調査していただけで付き合ってると思うのは、随分と想像力が豊かな発想だ。
「食べてただけじゃなかったです! 食べさせあいっこしてたじゃないですかっ!」
「いや、親友相手なんだからおかしくないでしょ?」
「えっ?!」
「え?」
どうやら俺と鷹島さんの間では親友との距離において、感覚に
昔からそばにいて、なんの違和感もなくこれまで行い続けていたためまったく気づかなかった。
他に友達がいなかったから理由もあるだろう。
自分で言っててすごく悲しい原因だな。
「あのね逢坂、いくら親友といえど食べさせあいっこは度を超えてると思うよ」
「まさか、普通のことだと思っていたのだが……」
「そ、そうなんだ、普通はしないんだ……。外でやってると時々、人目を感じるなぁとは思ってたのよ」
「高町くんも、忍さんも……そんな意識だったんだ……。やけに……三人はパーソナルスペースが近いと、思ってたよ」
長谷部の
恭也も忍も他に親しい友人がいるわけではないので、注意してくれる人はいなかったのだろう。
いつも三人一緒にいることによるデメリットがこんなところから噴出するとは思いもよらなかった。
純白のソルベを舌の上に乗せながら鷹島さんの言葉を反芻する。
重大な間違いに気づきこれからは控えないとな、なんて思っていると、俺の目の前にいた鷹島さんがなにか良いことを思いついた、みたいな表情をした。
ふわふわした栗色の髪の上に電球が浮かび出たような幻視すら見える。
「私も一口くださいっ」
親鳥から餌をねだる雛のように、鷹島さんは小さなお口を開いて待っていた。
シミひとつない頬はうっすらと紅潮し、鮮やかなピンク色の舌は艶めかしく濡れていて、常には感じない鷹島さんの女の魅力がそこには詰め込まれてる。
清純というべきか純朴というべきか、背の低さに性格も相俟って色気があまり表に出ない鷹島さんの、貴重で珍しい色っぽい仕草に一瞬心臓が跳ねた。
「お、おう。はい、あーん」
「あ……あむ。お、おいふいでふ」
鷹島さんはいまだに朱色がさしている顔のまま、口元を手で押さえながらデザートの感想を言う。
つい求められるがままに口に運んでしまったのだが、なぜか悪いことでもしているような気分になった。
何者にも触れられていない白いキャンバスを、濁った色で汚してしまったような感覚である。
ちなみに忍相手だとそんなこと小指の爪の先ほどにも思わない。
忍の性格が、外見と同じように綺麗ではないということを知っているからであるが、考えを読まれて殴られそうなのでこれ以上の言及は避ける。
「綾ちゃんも押しが強くなったわね。私としてはその成長を嬉しく思うけど、同時に手を離れてしまったような一抹の寂しさを感じざるを得ないわ」
「ついさっき、友達の間柄でそういうことをするのはどうなの、って話をしていたのに言ったそばからやるなんて……って、薫、なにしてるの」
「……? わたしも、もらおうかな……って」
「な、なにそれ! それじゃ僕もいただくよ、逢坂!」
「目の前のテーブルにあるじゃねぇか。それ取れよ」
「たのしそう、だし」
「いいじゃないか。好きだろう? 人の世話焼くの」
「そんなこと言った覚えはまるでねぇよ」
鷹島さんに食べさせてあげたのもほとんど不可抗力みたいなものだったのであまり乗り気ではなかったのだが、太刀峰も長谷部も口を開いて待つものだから仕方なく口内へと放り込む。
おかげでノエルさんお手製のナタデココヨーグルトソルベ・ミント風味は二口三口ほどしか味わえなかった。
「徹、まだ続きそうだぞ。さっきのを見ていたみたいだ。向こうからなのはを筆頭に小学生組が走ってくる」
「ちょっ、恭也待って、助けてくれ! なのはのあの助走はロケットのための加速だろ!」
「すまんな、俺に手伝えそうなことはありそうにない。四つ全部食べないといけないという仕事もあるからな。死なない程度に頑張ってくれ」
なのはたちの参加(乱入、もしくは武力介入と言い換えてもいい)によりこの場は更に騒がしさを増す。
小学生組にねだられて『はい、あーん』をやり、一息ついたと思ったらまさかの高校生組二週目が始まり、結果として一人当たり三回ほどやる羽目になった。
昼食を終えてエネルギーを補充したことで集中力を取り戻したのか、全員本来の目的である勉強にも精を出す。
なのはやすずか、アリサちゃんは彩葉ちゃんと友好を育みながら進め、忍はもとから困っていた科目はなかったようだが人に教えることで復習になったようだし、恭也も遅れていた部分の大半を取り戻せたようである。
鷹島さん、長谷部、太刀峰の三人も苦手分野の克服の一助とすることができたみたいだ。
当初の予想以上に勉強会は実りあるものになった。
願わくば、できるようになった科目の記憶を保ったまま、いずれあるテストに臨んでほしいものである。
飲食関係の仕事をしているので、その部分の説明にどうにも力が入りすぎてしまいました。ちょっと反省です。
日常勉強会編はこれでお終いです。最後のほうは駆け足になりましたが、これ以上このペースでやっているとあと二、三話ほどもかかりそうだったのでカットしました。入れなきゃいけない部分は詰め込むことができたのでまぁいいかな、と。
とくにオチもヤマもない日常編でしたね、申し訳ないです。ちゃんと練ってからやらないとぐだるということがはっきりとわかりました。
ここから先の予定ではあまり明るい話を挿しこめそうにないので、日常編が長くなってしまいました。
次からは進行編です。その進み方もだいぶ遅いとは思いますが、どうかよろしくお願いいたします。