そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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その無心の優しさが、俺は恐いのだ

 四月三十日水曜日、アースラで二日ぶりに目覚めた翌日。

 

 家に帰れば姉ちゃんにわんわんと夜通し泣きつかれ、後ろ髪を引かれつつ実際に服を引っ張られながら学校へ行けば、親友二人からなにがあったのかと追及され、教室内においても友人たちからも詰め寄られたので早々に学校からは退散し、まだ話が残っているとのことだったのでアースラに舞い戻った。

 

 昨日の帰り際にクロノから伝えられていたのだ、『艦長が直接会って話したいことがあるらしい』と。

 

 俺には確信できていた。絶対にお説教である。

 

 日曜日に行われたジュエルシード回収任務。戦術的見地から状況を鑑みた時、俺という不安要素がいるのだからクロノを同行させてどちらか一方へと戦力を集中させておくべきだったのだ。

 

 きっとリンディさんは、俺の独断専行とも言える身勝手な行為を叱りつけようとして呼び出したのだろう。

 

 おかげでアースラに来るのもかなり足が重かったが、学校にいても家にいてもこちらはこちらで気が重い。なので誠心誠意平身低頭謝れば許してくれるだろうリンディさんを優先したのだった。なんであれ、早く行くか遅く行くかの違いでしかないが。

 

 正直なところ、今の心理状態でリンディさんに会うのはあまりよろしくない。リンディさんの近くにいると、なぜか昔の事を想起してしまうのだ。

 

 日曜日、二日も眠りこけて目が覚めた火曜日と、ここ最近は忘却の彼方へと葬ったはずの記憶がちらちらと顔を覗かせている。リンディさんの雰囲気に誘起されて、厳重に封じ込めた記憶が蘇らないだろうかと、それが不安の種であった。

 

 いや、考えてはだめだ。考えれば考える程、どつぼに嵌まる気がする。右に左に頭を振って思考から振り落とす。

 

 何事もありませんように、と信じてもいない神に祈りを捧げてから、扉をノックして俺は部屋の中へと足を踏み入れた。

 

「いらっしゃい、徹君。早くこっちに座りなさいな」

 

 俺が通されたのは前に入ったことのある応接室。ただ部屋の装飾が前回とは異なっていた。和風という系統はそのままなのだが、なぜか和傘の下に赤い布が敷かれたベンチがある。ちょうど江戸時代のお団子屋さんやお茶屋さんなどといったイメージだ。

 

 リンディさんはそのベンチに座り、片手に三色団子の串をつまみながら、もう片方の手で隣の空いているスペースをぽんぽんと叩く。

 

 さほど大きくないベンチなのに、隣に座りなさい、とのご指示である。叱られるかも、という動悸とは別のベクトルで発せられるどきどきが俺の心臓を苛んだ。

 

「こんにちは。用事もあったでしょうにわざわざ呼び出してごめんなさいね?」

 

「こんにちは、リンディさん。いいよ、別に。呼ばれた要件もだいたい察してるし」

 

「それなら話が早いわね。三日前のことについての事情聴取、といったところかしら」

 

「本当にすいませんでした」

 

「ちょっ、ちょっと、早すぎるわ。まだそこまで進んでいないでしょう。ひとまず何があったのか、徹君の口から聞かせてもらえるかしら」

 

「はい」

 

 つい気が急いてしまった。謝罪するのが早すぎたようだ。

 

 そこからは日曜の一件について言及していった。海鳴市上空に転移してクロノと別行動したところから、俺の主観と小さなカモフラージュを交えて、リンディさんにざっくりとした説明をした。無論、クロノが打ち出した作戦ではないことも一緒に添えて、である。

 

 俺の話を聞き終えたリンディさんは、ふぅ、と一つため息をつき、お団子が乗った皿の隣に置かれていたお茶に口をつけた。

 

 長口上で乾いた喉を潤すべく、俺も一口いただく。リンディさんが手ずから()ててくれたお抹茶だった。

 

「なるほどね。たしかにクロノの言う通りに、徹君の作戦にも一理あるわ。今回は悪い方向に流れてしまっただけとも言えるし。レーダー機能さえ生きていれば、徹君の作戦で上手くいってた可能性もあるものね。ちょっと見込みが甘かっただけ。反省もしているようだし、次に活かすのであればこの一件はお咎めなしとします」

 

 リンディさんはお仕事モードの真面目な顔で、寛大な処置をしてくれた。表情といい、声のトーンといい、空気も張り詰めたそれだったのだが、リンディさんが片手に持っているお団子がなければさらに緊迫したシーンだったろう。食べかけでもいいから、お団子を皿に置いてから喋ってほしかった。

 

 真剣な話題だというのにリンディさんのお団子のせいで妙に緩んでいる空気の中、俺は口をつけていた茶碗を置き、頭を下げる。

 

「ありがとうございます。それでレーダー機能を奪われていた事についてなんだけど、あれはどうしたって気づかなかったと思うんだ。だから……」

 

「ええ、わかっているわ。仮に私が見ていたとしても気づくことができたと断言はできないもの。責めることはできないわ。そちらも不問とします」

 

「はぁ……よかった」

 

「なんで徹君がそこまで安心してるのよ。ジュエルシードの事案ならともかく、レーダーについては徹君の手柄でこそあれ、責められる(いわ)れはないでしょうに」

 

「あの時担当してたオペレーターがもう、顔面蒼白だったからさ。すごい責任を感じてたみたいなんだ。よかった、罰とかないんだな」

 

「変わった子ね、徹君は……」

 

 リンディさんは一言呟くと、お茶を手に取り傾ける。俺も自分の分の茶碗を引き寄せて口をつけた。

 

 しばし沈黙が流れたが、不思議と居心地は悪くない。

 

 俺はリンディさんとの間に置かれているお団子が乗っている皿に手を伸ばす。

 

 串には三つの団子が刺されており、上から桜色、白色、緑色となっている。三色団子の色の意味には諸説あるが、その一つとして、桜色が春、白色が冬、緑色が夏を表している、という説を俺は聞いた。『秋』を示す団子がないから『飽き』がない、『飽きない』という言葉遊びでつけられたと。昔の人は好きだな、駄洒落的な言葉遊び。

 

 俺が可もなく不可もない味の三色団子を一本食したくらいの時、リンディさんがお団子を目線の高さまで上げた。なにをしているのかとそちらに目をやれば、俺の疑問に答えるように、リンディさんは口を開いた。

 

「いろいろ日本の和菓子を見ていたらね、このお団子を知ったのよ。まるであなたたちのようね」

 

「俺たち? どういう意味だ?」

 

 首を傾げる俺を見て、リンディさんは、ふふっ、と楽しそうに笑う。リンディさんの意図がわからない俺は、続く言葉を待つ他ない。

 

「桜色、白色、緑色……なのはさん、徹君、ユーノ君って並んでいるみたいでしょ」

 

「魔力の色の話か。俺のは白じゃなくて透明だけどな」

 

「もう……細かいわね。いいの、そんなところは。魔力もそうだけど、それだけじゃないわ。大事なのは、三人とも個性が違って、能力が違って、出自も違うのに、とても強い信頼感で三人が三人とも繋がっているというところよ。……徹君が倒れてから、なのはさんもユーノ君も、とても心配していたわ」

 

「リンディさんはいつも変わった視点から物事を見るな……。俺には真似できそうにないよ……」

 

 お団子を皿に戻して俺の顔を見るリンディさんは、とても優しく穏やかだった。その包み込むような雰囲気はどうしても(うしな)ったあの人と重なり、昔の事を思い出してしまう。

 

 やめてくれ、その柔和な笑顔を俺に向けないでくれ。

 

 視線を下げ、ゆっくり深呼吸して込み上げてくる熱を抑えつけるが、リンディさんの一言が、俺の抑圧された感情を破壊した。

 

「あんまり無理したらだめよ? みんな心配してたんだから」

 

 俯いていた俺の頭を、リンディさんはゆっくりと撫でた。

 

 もう限界だった、もう堪えることはできなかった。

 

 顔の作りも、髪の長さや色も、背の高さや声だって似ていないのに、それでもリンディさんは、なぜか母さんと面影が重なってしまう。既に他界した母さんと重ねてしまうのだ。漂わせる雰囲気や、端々で見せる子供っぽさ、そして滲み出る優しさが、母さんと似通っていた。

 

 もう吹っ切れたはずだったのに、もう捨て去ったはずだったのに、心の奥底から浮かび上がる心傷は止めどなく溢れてくる。我慢しようとすればするほど、抑えようとすればするほどに零れ出る。頬を伝う液体の量は増えていく。

 

 両手で顔を隠すのが、俺にできる唯一のことだった。

 

「ごめんなさい、なのはさんから聞いていたのよ。徹君は両親を二人とも亡くしている、って」

 

 リンディさんは席を立ち、俺の正面に膝をつくと、両手で俺の頭を抱きかかえた。

 

 柔らかな感触と、どこか懐かしい匂い。母さんと同じ温もりを感じた気がした。

 

「今まで相当な苦労をしたでしょう。お姉さんのことも聞いたわ。まだ親の愛情を必要とする時期に、たった二人で生活するというのは大変だったと思う」

 

 俺の頭に顔を近づけて、リンディさんが言う。

 

 その言葉は、俺のひび割れた心に染み渡るようだった。

 

「これまで徹君は、すべて自分でやらなければ、と考えていたのかもしれないけど、頼ってもいいのよ。時には大人に頼っちゃえばいいの。徹君は全部背負い込んでしまうところがあるから、クロノを見ているようで放っておけないわ」

 

 溢れる想いは両手でも(すく)いきれず、床へと滴り落ちる。

 

 リニスさんと戦い、倉庫で気を失う前に感じた仄かな懐かしさに感化され、昔の夢まで視て心にのしかかっていた重荷が、リンディさんのおかげで少し和らいだ気がする。

 

 昔の想い出、両親との想い出に関連するすべての事柄は俺にとってどうしようもないほどに弱点だ。頭を(よぎ)るだけで判断は鈍り、思い出してしまえば歩みを進める足は止まり、最後には心を縛られ動けなくなる。

 

 いつかは乗り越えなければいけないが、弱い俺には乗り越えるだけの力はない。

 

 だから今は、今だけはリンディさんの温かさに頼らせてもらおう。いずれ自分の力で解決するから、今だけは前を向いて歩くだけの強さを、借りさせてもらおう。

 

「重圧に押し潰される前に、大人を頼りなさい」

 

 涙が止まるまで、リンディさんは静かに俺の頭を撫で続けてくれた。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

「ほら徹君、遠慮しないでいっぱい食べていいのよ。お茶のお代わりいる? そういえば身体はもう大丈夫なの? まだしんどいようなら膝枕でもしてあげましょうか?」

 

「だ、大丈夫、いろいろ大丈夫だから。リンディさん心配しすぎだって」

 

「本当に? 強がってない?」

 

「あれだけ醜態(しゅうたい)(さら)しておいて、今さら強がったりしないって……」

 

「そう……それならいいけど」

 

「なんでちょっと()ねてんの」

 

 俺の崩壊した涙腺が仕事をし始めて調子を取り戻してからというもの、リンディさんの俺への構いようが半端なそれではない。まるで子どもの世話を焼く母親である。俺はいつからリンディさんの息子になったのだ。クロノが弟か……ちょっと嫌だな、()より(クロノ)の方が優秀すぎる残念な兄弟になってしまう。

 

 リンディさんは俺との間に置いていたお団子の皿を膝に乗せ、身体が触れるくらいに距離を詰めてきた。もう完全に近さが家族に対しての距離感だ。リンディさんの思いやりは分け隔てないものであると感じていたが、愛情はそれに加えて尚深いようである。

 

「そ、そういや、俺が寝ている間にジュエルシードとかって見つかったのかな? 昨日クロノから聞き忘れててさ」

 

「ええ、三つ見つかったわ」

 

 さすがに目下の重要案件である所のジュエルシードに関する話ともなれば、俺の世話を焼いていたリンディさんも真剣な顔つきになった。だが世話を焼く手が止まったというだけであって、距離には一切変化がない。

 

「月曜に一つ見つけたけど、これは相手に取られちゃったわね。火曜に発見したものは、なのはさんとユーノ君が回収に成功したわ。あの二人、徹君が言ってた通り、本当に優秀だったわよ」

 

 火曜に、ということは俺が目覚める前に回収してたのか。回収任務を終えてアースラに帰投し、そこから俺が寝てた医務室に寄ったとかそんなところだろう。

 

 睡眠不足でコンディションは万全ではなかっただろうに、なのはは果たすべき役割を(まっと)うしたんだな。

 

 目的を見失わないなのはの姿勢は褒めるけれど、体調が芳しくないのなら無理はしないでほしい。怪我をしないかと心配になる。とはいえ、なのはの側には常にレイハが控えているし、傍らにはユーノだっているのだから、それほど危ない目に遭うことはないか。

 

 リンディさんの口振りから察するに、どうやらなのはとユーノの魔法を実際に見たようだ。一緒に現場へ向かうとは思えないので、おそらくはアースラのサーチ映像などで確認したのだろう。

 

 二人の力を褒められるのは自分のことのように嬉しい。なのはとユーノの努力を認められたということなのだから、嬉しくないわけがない。

 

「そりゃそうだろうよ。なのはは才気迸り、ユーノは知識と支援技術が完備されている。暴走もしていないジュエルシードの封印程度ならなんの問題もないさ」

 

「ふふ、なのはさんやユーノ君の話をする時はどこか誇らしげね。三つ目は今日の午前にクロノが回収したわ。仕事の合間に徹君たちの街を見回っていたらしくてね。その時にジュエルシードの魔力を感知したとの報告を受けて収集に向かったとのことよ。そのおかげで速やかに現場に急行できて、相手とは遭遇せずに済んだらしいわ」

 

「ちょ……今日の午前? それなら俺復帰してんじゃん。その報告聞いてないんだけど」

 

「なのはさんも徹君も学校があったでしょう? それにまだ疲れが残っているだろう徹君に、クロノは負担をかけたくなかったんだと思うわ」

 

「……まったく、クロノらしいな」

 

 平日なのだから、俺となのはには当然学校がある。自由に動けない俺たちの事情に気を遣ってくれたクロノの配慮には、いやはや、感服するばかりだ。

 

「ただ残りのジュエルシードがどうにも見つからないのよ。今まではとても微かとはいえ、ジュエルシードの魔力波をレーダーが捉えていたけど、今日のジュエルシードを回収してからというものぴくりともしなくてね」

 

「そう……なんだ」

 

「でも捜索範囲は拡大させているし細かく調べてもいるから、その内発見できるとは思うわ」

 

 リンディさんの言葉を受け、なにかが頭を掠めた。瞼を半分ほど閉じ、脳裏を過ぎった『なにか』に辿り着くため思考の海に潜る。

 

 これまでに見つけたジュエルシードの数は合計で十二個。その内訳はなのはたち側に六つと俺に元ジュエルシードであるエリー、フェイトたち側に五つとなっている。これは現在における確固たる情報だ。

 

 そのすべてが海鳴市、およびその近辺で発見された。一番外れた場所にあったもので海鳴市と月守台の境に横たわる山中。

 

 見つけられた場所には、この街の周辺であること以外に統一性はない。人通りの少ない路地、木々生い茂る森、人口の密集した都会部、奥まった山の中などなど。これらも動かざる事実だろう。

 

 ゆっくりとではあるが、答えに近づいている感覚は確かにある。この調子で脳を絞り、考えを深めていけばいずれ行き着く。

 

「徹君? どうしたの? 怖い顔して」

 

「顔が怖いのは生まれた時からだ」

 

 脳の処理能力の殆どを考え事に回しているせいで、リンディさんの話に回すだけのリソースが足りない。それによりリンディさんへの返事は、オートパイロット状態での生返事となってしまうが、短時間であれば会話の内容に大きな齟齬(そご)は生まれないので今は考え事に集中しよう。

 

 もう少しで『なにか』を掴めそうなのだ。ここまできて、この感覚を失ってしまうのはあまりにも惜しい。

 

 捜索は日曜日にクロノが案内してくれた、モニターや魔力波を計測する機器が置かれていた部屋で行われているのだろう。

 

 あの時に長い時間眺めていたホログラムディスプレイの映像を、堆積(たいせき)している記憶の底を(さら)うようにして思い出す。

 

 ディスプレイに投影されていた衛生映像のような光景は、もちろん手動でも動かせるが普段は自動で調査している。映像は……そう、今までジュエルシードが発見された場所付近を重点的に、他は虱潰(しらみつぶ)しに街を走査していた。

 

 捜索エリアに関しては意見を差し挟むことはできない。前例に基づいてジュエルシードがある可能性が高い場所を調べていたのだから、不可解な点は見受けられないだろう。

 

「わ、私……機嫌を損ねさせるような言ったかしら……」

 

「いいや、リンディさんが悪いわけじゃないよ。気にしないで」

 

 今度は、俺やなのはが住んでいて、ジュエルシードが漂着した海鳴市について考察する。

 

 日本の三大都市とは比べるべくもないが、周辺の地域の中では海鳴市は比較的発展していると言える。そこそこの規模のオフィス街があり、人々が集まり目玉となるようなアーケードだってある。

 

 これだけではコンクリートジャングルかと早合点しそうになるが、そうでもない。大きな、なんて形容詞では不十分なほどの広漠たる自然公園があり、緑も豊かだ。今は寂れてしまっているが、昔は工業だって盛んだったと聞く。

 

 工業分野に対して、昔も今も変わらずに盛んなものが漁業だ。海が近いため、新鮮な魚が安く出回るので主夫を兼業している俺にとってはとてもありがたい。

 

 夏には海水浴などで人が集まり、少し街を外れれば山があり登山を楽しむこともできるし、アウトドアが苦手な人はショッピングに行ったりと、なにかと海鳴市は便利なところだったりするのだ。

 

 かちり、かちりと歯車が噛み合っていく感触を覚える。あと少し、疑問を解くための鍵は形を作り始めているんだ。不必要な部分を削り落として結論を出せば、それで問題は解ける。

 

「徹君、なんだか眠たそう? というより疲れた感じかしら。さっきよりも顔が赤くなってきてるわ。具合悪いの? 熱でもあるんじゃない?」

 

「大丈夫。ちょっと、考え事をしてる、だけ」

 

 ジュエルシードが発見された場所、モニターに映し出されている映像、海鳴市周辺の情報。ばらばらに見える三つの共通点、それがヒントなんだ。

 

 これまでジュエルシードが見つけられたのは陸地、モニターに映されていたのも陸地。海鳴市には大きく広がる海もあるのに、陸地でしか発見されてこなかったのだ。俺たちが街や、街の周辺を歩き回り、目を皿にしてジュエルシードを探して見つけてきたのだから、統計により存在する可能性が高いとされる陸地を重点的にモニターが投影するのは必然とも言える。

 

 リンディさんが言っていた『ジュエルシードの魔力波を計測できていない』ということについても、これで説明がつく。そりゃあ陸の方で収集し尽くされてたら、いくら陸を調べたってなんの波長も察知することはできないだろう。

 

 残りのジュエルシードは、海鳴市の近海にあるのだ。

 

 なにはともあれ、ようやく結論に辿り着けた。喉に刺さった魚の小骨が抜けたみたいにすっきりした気分である。

 

 後はリンディさんへ、海底にジュエルシードが沈んでいる可能性があると呈示すればそれでお終いだ。リンディさんを通して捜索範囲に海のほうも追加してもらい、ジュエルシードの反応が捕捉されるのを待つだけ。

 

 思考のギアを段階的に下げ、意識を応接室に戻す。

 

「んん、少し熱いわね。まだ本調子じゃないのかしら」

 

 リンディさんの麗しいご尊顔が、まさしく文字通りに目と鼻の先にあった。

 

 いつの間にか正面に回っていたリンディさんに顔を両手で包み込まれ、動かないようにされている。俺の額に、リンディさんのそれが密着していた。リンディさんが喋る度に、ミントを思わせる爽やかな息が鼻に触れて(くすぐ)ったい。

 

「ちか、近い……近い近い近いって! なにしてんの!?」

 

「徹君がなんだかぼぉっとしてるから、熱でもあるのかな、って」

 

「ないよ! 至って正常だ! 体調も(すこぶ)るいい!」

 

「本当に? 少しおでこが熱かったわよ? 顔もどんどん赤くなっているし」

 

「誰のせいだ、誰の! リンディさんが原因だ! 本当に大丈夫だから、もう手を離していいよ!」

 

 リンディさんの肩を押して離れさせる。

 

 この人はもう、俺の泣きが……弱みを見た途端に随分と接し方がフランクになってしまった。リンディさんの接し方が嫌だとかではなく、(むし)ろその距離感からくる温かさというのは心地良いくらいだが、やはり慣れていない分どうにもむず痒い。

 

 そして、その温かさは同時に、一抹の不安感を駆り立てるのだ。リンディさんはとても優しくて、懐が深くて、すごく頼りになる。俺の弱さや意地汚い部分も丸ごと包み込んでくれる包容力がある。

 

 その無心の優しさが、俺は恐いのだ。

 

 肩にのしかかる重荷を投げ捨てて頼りたくなってしまう。強者の庇護(ひご)下はさぞや安心できることだろう。降りかかる火の粉を払いのけてくれて、篠突(しのつ)く雨を防いでくれる大人がいるのは、それはとても楽だろう。

 

 でも、リンディさんというぬるま湯に浸っていては、心地良い空間で守られているだけでは駄目なのだ。頼りきりになっては誰かを守ることができなくなる。大切な人を守ることも、できない。

 

 大人に甘えてばかりではいけないのだ。しっかりと境界線を引いておかないと、俺はきっと弱くなってしまう。

 

 気遣いや心遣い、手助けや同情してくれる思いは嬉しいけれど、俺は素直に受け取れない。ただ、気持ちだけを頂いておくことにする。

 

「それより、伝えておきたいことがあるんだけど」

 

「ん? なにかしら?」

 

 リンディさんへ捜索範囲を海にまで拡大してもらおうと伝達しようとした時、艦内に警戒音が鳴り響いた。一頻(ひとしき)り鳴り響いたのちに、アナウンスが続く。

 

 その内容は、複数のジュエルシードを同時に発見した、というもの。関係者は速やかに持ち場につき、艦長は艦橋(ブリッジ)に戻ってくださいとの指示も出た。

 

 わざわざ艦内放送を使い、サイレンまで発した。アナウンスの声も緊張感があったことから、事態は相当逼迫(ひっぱく)したものなのだろう。

 

 俺の想像と推論が正しければ、発見された地点は海。しかも複数個発見されたとの報告から、未発見だったジュエルシードのほとんどが一堂に会しているという可能性すらある。かなり危険で面倒なことになりそうだ。

 

「徹君、話は後でいいかしら? 仕事が入ってしまったわ」

 

 艦内に警戒音が響いた直後から、直立して放送の言葉を一字一句逃さぬよう耳をそばだてていたリンディさんが、申し訳なさそうな笑みを浮かべながら言った。

 

 やはりプロだけあって、仕事の時は別人のように雰囲気が変質する。ほわほわした緩い空気は、緊迫感のある引き締まったそれへと豹変していた。

 

「いや、俺が言いたかったのはたぶん今の状態と関係してる。話す手間が(はぶ)けたみたいだ。俺もついていくよ」

 

 そうリンディさんに言いながら立ち上がろうとすると、目の前に手が差し伸べられた。俺はその手を握り、引き上げられる力を感じつつ、足に力を入れてリンディさんの隣に並ぶ。

 

「さぁ、お仕事の時間よ。行きましょうか」

 

 俺が横についたのを確認すると、リンディさんは扉へ向かって歩き始める。

 

「そうだな、でももう手は離してくれていいよ」

 

 立ち上がる時に借りた手は、未だに俺の手を握り締めていた。


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