そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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更新遅れました。すいません。
寝惚けながら文章打ってたら寝落ちして、起きた時にはなにがどうなったのかデータが吹っ飛んでいたという。
絶望して二日間くらい手がつきませんでした。



途端、世界は反転する

 右も左も前も後ろも、天と地さえ捉えられない真っ暗な空間に俺の意識はあった。(まぶた)を閉じているのか開いているのかすらわからず、身体には温覚も冷覚も痛覚も触覚も感じない。真っ暗闇の中で手も足も見えず、ぶつりと神経を断ち切られたかのように身体を動かすこともできなかった。鼓膜を震わせる空気の振動は一切なく、自分の心臓すらちゃんと鼓動しているのかわからない。

 

 莫大な熱量の雷を受けて、俺の命は失われてしまったのだろうか。意識があるといっても、こんなに何も存在しない暗闇に囚われて逃げ出すことも抜け出すこともできないのなら、死んでいるのと同じではないのか。

 

 もしもここが死後の世界なのだとしたら、なんと悲しくて辛くて、苦しくて(むご)い世界だろう。

 

 孤独に凍え、静寂に怯え、暗闇に恐怖する。

 

 時間の概念などすでに失われつつあるが、こんなところに一日二日といたら間違いなく気が触れる。精神に異状をきたすことが容易に想像できた。

 

 寒い、寒い。皮膚の感覚は消失されており、温度などを感じることはできない。だからこの寒さは身体ではなく、心が寒いのだ。

 

 もしかしたら、このまま誰ともずっと会えないのか。なのはやユーノ、フェイトやアルフとも、仲違いみたいになってしまったリニスさんとも和解できないままなのか。最近できた友人たち、長谷部や太刀峰や鷹島さんとももっと遊びたかったし、彩葉ちゃんやアリサちゃんやすずかとももっとお喋りしたかった。恭也にはまだ恩を返していないし、忍には世話になっている借りもある。

 

 なにより、誰よりも深く愛している、この世でたった一人の家族を本当の意味での孤独に、天涯孤独にしてしまうのだろうか。

 

 嫌なのに、そんなことを考えることすら拒みたいのに、この空間から逃げることは許されなかった。手足は微動だにせず、この真っ黒の世界は小揺るぎもしない。

 

 俺の意識の中心から、がらがらと人間として大事ななにかが崩れていくような音がした。このままではいずれ、心は壊れて魂は朽ち果てる。

 

 脆弱な俺の心では、この世界は耐えられない。こんな世界にいなければいけないのなら、こんなに辛く苦しい気持ちを味わい続けなければいけないのなら、いっそのこと壊してしまいたい。俺の意識を、心を、魂を、すべて、消してしまいたい。

 

 暗闇の世界で絶望という檻に囚われそうになった時、このなにもない漆黒の世界に一つの空色の光が宿った。比較するものが何もないせいで遠くにあるのか、それとも近くにあるが小さいだけなのかはわからなかった。

 

 闇に覆い隠されたこの世界に突如現れた小さな光はとても眩しかったが、それでも俺は光を見続けた。この世界で唯一の明かりで、俺にとっては一筋の希望なのだ。手を伸ばすこともできず、歩み寄ることもできない俺は、ただじっと、その輝きを凝視した。

 

 小さな光はとくん、と心臓が律動を刻むように脈打つと、徐々に大きさを増し始めた。鼓動を繰り返すたびに光は膨らみ、人間大の大きさになって(ようや)く成長が止まった。

 

 それは以前、どこかで見たことのあるシルエット。女性らしいラインに、足元まで届くくらいの長い髪。この世界に風などという自然現象は発生しないのに、青く光る柳髪(りゅうはつ)はゆらゆらとなびき、細い線を作り出していた。

 

 そのシルエットは、俺を正面から優しく抱き締める。包み込まれるような柔らかさと温もりに、遠い日の記憶がちらついた。

 

 途端、世界は反転する。

 

 漆黒に塗り潰されていた世界は純白に生まれ変わった。同時に身体が浮かび上がるような感覚。

 

 強烈な眠気に似た睡魔が押し寄せた。意識が途切れそうになるのを必死に繋ぎ止める。今眠ってしまっては目の前の女性が誰なのか、もしくはなんなのかわからないままだ。

 

 彼女の腕の中で、俺は眼球を動かして顔を(うかが)い見る。漆黒の世界では手足どころか視線を動かすことすらままならなかったが、この世界ではかすかにではあるが身動(みじろ)ぎすることができた。

 

 晴れ渡る空より鮮やかなスカイブルーの長髪、長い睫毛(まつげ)に通った鼻立ち、透き通るような空色の虹彩(こうさい)。畏敬の念すら抱いてしまいそうな、この世のものとは思えないほどの美貌と息を飲むような肢体。

 

 その姿形は、妖艶な女性のようでありながら、幼気(いたいけ)な少女のようでもあった。

 

 ――このような場は貴方様には相応しくありません。さあ、戻りましょう……我が主様。不肖、お手伝い致します――

 

 彼女は俺に顔を近づけ、小さく耳打ちした。

 

 耐えるどうのの問題ではない。ブレーカーを落とすように、意識は俺の手から離れた。

 

 同じように意識を失うのでも、暗闇の世界に沈んだ時のように苦痛が伴うものではない。逆に今回は陶酔感が漂い、安心できる暖かさがあった。

 

 落ちる寸前、うつらうつらとした瞳で彼女を見れば彼女の唇が動いていた。なにかを俺に伝えようとするように、穏やかな笑みを湛えながら彼女は言葉をかけていたが、脳の奥の奥、隅の隅まで微睡(まどろ)みに支配された俺の頭は、彼女のセリフを捉えることができなかった。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 目を開いて最初に見えたのは曇天を貫いてできた丸い穴。そこから分厚い雲の先にある青空が顔を覗かせていた。

 

「俺、どうなってたんだっけ……?」

 

 (うつ)ろで朧気(おろぼげ)な記憶を手繰(たぐ)っていく。

 

 ジュエルシードを封印して一息ついている時に、フェイトの様子がおかしいのに気づいて、クロノの警告とフェイトの呆然とした独語を耳にした。そう、そして突然雷に打たれ、その衝撃で俺は気を失ったのだ。

 

 気を失った。まさしく、気を失った。もちろんそんな状態で魔法なんて使えるわけがない。レイハやバルディッシュクラスのインテリジェントデバイスともなれば、主の窮地には持ち主からの指示なしで魔力を拝借して魔法を行使できるだろうが、デバイスを持たない俺にはいたって関係のない話である。

 

 それではなぜ気を失っていた俺が海へと墜落せずにいるのだろうか。起き抜けで回転の鈍い頭を捻って考える。

 

 頑張ったところで浮かぶのがやっと、という飛行魔法を無意識的に使っていたのか。……これはありえない。無意識的に使えるほど身体に馴染んだ魔法ではないし、なにより俺の適性では使い物にならないから未だに術式すら教えてもらっていない。

 

 それでは慣れている跳躍移動で使う足場用の障壁に寝転がっているのではないのか。……これも現実的とは言い難い。足場用の障壁は省魔力のために構築される面積と、障壁としての本来の役割である硬度を削っている。俺が気絶するほどの雷を食らえばプレパラート並みに砕け散るし、人が上で寝転がれるほどの大きさもない。

 

 いくつか案が浮かんだが、浮かんだそばから否定されて沈んでいく。

 

 自分で浮遊し続けることができないとなれば、要因は俺の外にあるのだろう。例えば、俺の身体を覆っている空色の魔力とか。

 

「エリー、また助けてくれたのか」

 

 考えるまでもなかった。自分の近くをよく見れば、青空色のふわふわした魔力が俺を抱えるように漂っていた。これが俺の落下を止めてくれたのだろう。

 

 当のエリーは、空色の魔力の布団に寝転がった俺の胸元にいた。

 

 どことなく彩度が増している気がしないでもないのは、雲の隙間から光が入って反射しているからだろうか。

 

「怪我はない、か。いったいどんな理屈と理論でこんな現象を起こしてるんだ、お前は」

 

 俺の上で一休みしているエリーを指の腹で撫でると、眠た気ながらも応えるようにぽわぽわと明滅した。

 

 突如俺を襲った雷は、一瞬のうちに意識を掠め取っていった。だが、その一瞬という僅かな時間であっても、俺の身体を貫いた痛みと熱は覚えている。

 

 全身がばらばらになるのではないかと思うほどの激痛、血が沸騰して爆ぜるくらいの耐え難い熱さ、肉が焦げるような悪臭、耳を(つんざ)く爆音まで、頭でも身体でも鮮明に記憶している。

 

 どれほどの傷を負ったかはわからないが、少なくとも命が危ぶまれる程の重傷であったことは間違いないはずだ。それほどの怪我を跡形もなく治癒して見せるなんて、エリーのポテンシャルは底知れないものがある。

 

「いつも助けてくれてありがとな」

 

 だからといって、それらでエリーへの信頼が揺らぐわけはない。

 

 俺を助けることによってこいつになにかメリットがあるのか、それともただ単に、善意や好意で俺を助けてくれてるのかは知る由もないが、なんであれ俺の窮地を救ってくれていることに違いはないのだ。

 

 俺はエリーを信用して、エリーはそれに全力を持って応えて、俺の予想以上の結果でもって返してくれている。ならばエリーに対して疑う余地などありはしない。

 

 というより、俺が不甲斐なさすぎてそろそろ愛想尽かされるんじゃないか、という心配をしてしまう今日この頃だ。心苦しい限りではあるが、最近は助けてもらってばかりである。

 

 いつか、もう知りません、などと言ってそっぽ向かれたらどうしよう。三日三晩枕を濡らす自信があるぞ。

 

「いや、今はこの場をどうするか、だ」

 

 ネガティブな考えを溜息と一緒に吐き出して、もう一度頭上を見上げる。

 

 遥か遠くには穴の空いた黒い雲。近くには――といっても目測十メートルほどはあるが――俺の意識が途切れる前と変わらずに、九つのジュエルシードが固まって浮かんでいた。

 

 雷に打たれる前は俺の正面にあったはずなので、ジュエルシードと離れた分の距離だけ俺が高度を下げたということになる。

 

 回収するためには疲れ切った身体に鞭を打って真上に跳躍しなければならない。跳躍移動は平面移動には強いが、上下移動には弱い面があるのだ。疲労感から少し(わずら)わしく感じてしまう。

 

 とはいえ、エリーがいなければ雷撃を受けた俺は今頃海の底でお魚さんの餌になって(つい)ばまれていたのだから、エリーには感謝こそすれ、責めることなどできようはずはなかった。十メートル程度で済んだのは、寧ろ幸運と思わなければいけない。

 

 そもそも雷による攻撃を仕掛けられなければこんな面倒もなかったのだけれど、などとつらつら弱音を吐きながら、エリーが敷いてくれた魔力の絨毯の上から自分が展開した足場へと移動する。

 

 足場を踏み締めた時に膝からかくんと力が抜けて危うく倒れそうになった。怪我自体はエリーが治してくれたが、雷撃の余韻は確実に俺の節々に残っていた。

 

「攻撃……ね。誰がやってくれやがったのかね……」

 

 口ではそう言うものの、俺には誰から攻撃されたのかは凡そのあたりがついていた。

 

 時空管理局と共闘状態にあるのだから、管理局側からの攻撃ではない。であるのなら、フェイトたちの勢力のうちの誰かとなる。

 

 攻撃される前、アルフは顔を伏せて、息を整えるのに必死で尻尾まで力なくへこたれていたし、フェイトはバルディッシュを握る右腕を脱力させて呆然と上空を眺めていた。二人とも準備動作すらしていなかったのだから、魔法を使える状況になかったのは明らかだ。

 

 ならばリニスさんという線が濃厚になるが、クロノ曰くの次元跳躍砲撃なる攻撃ができたのなら、倉庫で戦って追い詰めていた時に使ってるはずだ。使わせるだけの余裕を与えなかったのも一因として挙げられるが、切り札ともいえる大技を使う素振りさえ見せなかった合理的理由は考えつかない。

 

 ここまでくれば、証拠はなく消去法でしかないが、行使者は絞られた。フェイトたちの勢力の最後の一人、フェイトたちの本部に残っているというその人が、俺へと攻撃してきたのだろう。

 

 フェイトやアルフとは違う考え方を持つ、どちらかといえばリニスさんに近い考え方の人のようだ。

 

 目的の為には手段を選ばないリアリスト。敵対する人間の命になど気にかけない冷酷さ、言い換えれば潔さが見て取れる。

 

 それでも、俺には一つだけ腑に落ちないことがあった。

 

 あの雷撃を放ったのが誰かはわかった。俺を撃ち落とした理由も理解できる。魔法技術の巧みさも、ジュエルシードを集め切るという覚悟も表出していた。

 

 だがたった一つだけ、気に食わず、許せないことがあるのだ。

 

「仲間が近くにいるのに、それでもあんな大規模な魔法を使うのはどういう了見だ……」

 

 俺はジュエルシードのすぐ近くにいた。俺にジュエルシードを回収させまいとして、魔法を用いて排除しようとするのはもっともな行動だ。目的に沿っていて、筋も通っている。

 

 しかし、俺からそう離れていない位置に、仲間であるはずのフェイトとアルフもいたのだ。

 

 自分の魔法技術に自信があって、その裏返しであんな無茶をしたのだとしても、とてもではないが正気の沙汰とは思えない。今回は狙い通りに、見事なまでに俺だけを射抜いたが、なにか歯車が食い違っていれば違う結果になっていたかもしれないのだ。

 

 そして、仮に最悪の結果になってもいい、というような気配が感じられてしまって、さらに虫唾が走る。まるで『フェイトとアルフはどうなってもいい。最悪巻き添えを食ってもいい。でもジュエルシードだけは絶対に渡さない』というような、敵に対してだけではなく味方に対してにも慈悲のなさが(うかが)えてしまった。

 

 もしかしたら俺が悪し様に捉えているだけなのかもしれない。攻撃されたことによる恨みで目が曇って偏見が入っている可能性もある。

 

 魔法を行使した人は仲間の為に、自分たちの為に実行したのかもしれないが、少なくとも俺にはそう感じられたのだ。

 

 取り敢えず、顔も声も性格すら知らぬフェイト側の最後の一人に考えを巡らせても、今はどうしようもない。仲間を死地に送り込んで、挙げ句の果てに捨て駒扱いしているかもしれないその人間には腹も立つし、一言言ってやりたいところだが、今は(こら)えて横に置いておく。

 

 俺の推察通りであれば、もうすぐあの人の姿が見えるはずなのだ。

 

「見えた……けど、速いな……」

 

 首を回して周囲を見渡せば、猛スピードで迫る人影があった。あまりの速度で(かす)んで見えるが、なんとか視認することはできた。

 

 薄茶色をした頭からぴょこんと生えた猫耳に、風に煽られてふらふらと揺れる猫尻尾。驚くほどの視線吸引力を持った胸元に、肌は一切露出されていないにも関わらず妙な(なまめ)かしさを醸し出しているタイツ越しの足。フェイトやアルフと比べれば肌色の面積が明らかに少ないのに、肌が見えないからこその色気が、そこには確実に存在した。

 

 いや、存在した、ではない。詳しく捉えすぎだろ俺の目。リニスさんの服装に関しての考察まで終わらせちゃったよ。仕事が早すぎる。リニスさんの飛行魔法の速度はもはや、茶色をした一筋の流星のような速度に達しているというのに。

 

 目が良いのはもちろん悪いことではないのだが、優秀さの方向性がずれている。あまり心から喜べない。

 

 自分の犯罪者染みた視力に悲嘆にくれるのはまた今度にしておこう。

 

 リニスさんは一直線にジュエルシードへと駆けている。すぐに動かなければ間に合わなくなる。

 

 リニスさんが来るだろうと予測していたおかげで、時間にゆとりはないにしても回収を妨害することができそうだ。自分で回収するだけの余裕はないが、それは誰か違う面子に任せよう。

 

 雷撃を放った人は、フェイトやアルフに被害が出ても構わないというような攻撃の仕方をしてきた。今回は運良く二人とも健在だが、巡りが悪ければ二人とも行動不能になっていてもおかしくはなかった。俺を()としたとしても、同様にフェイト、アルフの両名が墜ちていてはジュエルシードは回収できない。最悪の事態を想定して、ジュエルシードの回収にはフェイト、アルフに頼らずリニスさんを起用するだろう、と推量するのはさほど難しくなかった。

 

「まだ間にあ……っ!」

 

 魔力付与で身体強化を施し、ジュエルシードが浮遊している十メートル上方へ跳躍しようと膝を曲げたが、足に力が入らず姿勢が崩れた。筋肉が痙攣(けいれん)し、脳から発せられる運動命令を果たすことができない。

 

 重心が背後へ逸れたことで、足元の障壁を踏み外した。

 

 地球の引力に引っ張られて海に落ちるかと覚悟したが、背中を押されるような感触。身体が元の位置まで戻る。

 

 礼を言おうと後ろを振り向くが誰もいない。だが、ちらりとだけ細やかな空色の魔力粒子が視界に入った。

 

 どうやらまたエリーが手助けしてくれたようだ。

 

 まさか(よわい)十六で介護が必要になるとは思わなかった。

 

「くそっ……このぽんこつの足! 大事なところでっ……」

 

 エリーに身体を足場まで戻してもらって膝をつく。

 

 足の筋肉はぴくぴくと収縮し、とてもじゃないが使い物にならない。雷撃がこんなに重要な場面で影響を及ぼした。

 

 リニスさんの到来は、果然予期していた。だが、リニスさんの飛行速度は俺の予想を大幅に上回っている。

 

 近接格闘に射撃、砲撃、拘束、防御、結界と魔法戦闘までなんでもござれ。それらに加えて当たり前のように飛行技能まで有しているなんて、とても羨ましい。しかも美人でスタイルもよく、料理もできる。性癖はともかく、性格も基本的に穏やかで優しい。こんなに完璧な人がいるものなのか、性癖はともかく。

 

 足が言うことを聞かず、リニスさんの邪魔に入るタイミングを失した。今から垂直ジャンプしても手遅れだし、なにより足はすぐに回復するものではない。

 

 ジュエルシードの封印はフェイトやアルフの尽力があったとはいえ、なのはとユーノの活躍も大きかった。皆で力を合わせて封印したジュエルシードが根こそぎ奪い去られるところを見ていることしかできないなんて、自身の無力を痛感する。

 

「青い……線?」

 

 歯噛みして見上げていた俺の視界に、水色の輝線が入り込んだ。それらは三本四本と増え、大気中の水分を焼きながらリニスさんへと殺到する。

 

 あれは前方から撃たれたら目で追うことすら困難なほどの弾速を誇る、クロノの射撃魔法、『スティンガーレイ』。

 

 そういえばクロノが俺に次元跳躍攻撃について警鐘を打ち鳴らした時は念話は使われていなかった。クロノはアースラからこちらへと移動していたようだ。

 

 来るのならもうちょっと早めに来てよ、と思わないでもないが、俺たちには俺たちの都合があるように、クロノたちにはクロノたちの事情がある。戦力の温存を建前として掲げている以上、簡単に出撃するわけにはいかなかったのだろう。

 

 どちらかといえばこっちの方が勝手をやらせてもらっているのだ。無理を言えた義理はなかった。

 

 驚異的な弾速の射撃魔法を、しかしリニスさんは障壁を張ることで防いだ。

 

 光った、と思ったらすでに懐に潜り込んでいるようなクロノのスティンガーレイを並外れた反射神経でもって防御する。まさしく野生動物染みた反応速度だ。

 

 障壁に着弾した水色の弾丸は、爆煙と衝撃をあたりにばら撒いた。

 

 射撃魔法の威力で進行速度を殺されながらも、リニスさんはあくまで障壁を展開したままジュエルシードまで突き進む。

 

 リニスさんが全速力のままジュエルシードに接近していたら、さすがのクロノでも間に合わなかった。しかし射撃魔法による牽制で驀進(ばくしん)を妨害したことで、間一髪、リニスさんの針路にクロノは身体を滑り込ませることができた。

 

 空へ横一閃に爆煙の尾を刻みながら、リニスさんはジュエルシードまでの道を阻むクロノへ肉薄し、接触した。

 

 十メートル以上離れた俺の場所にまで、空気をびりびりと震えさせる衝撃波が届く。煙が立ち込めて二人を包んでいるせいで、俺の位置からでは二人の攻防を見ることはできなかった。

 

 一秒に満たない静寂ののち、二人を覆った煙の一方向、クロノの背後にあたる箇所から人影が現れた。

 

 薄茶色の髪、リニスさんである。激しい打ち合いがあったのか、それとも障壁で防ぎきれなかった射撃魔法の余波が掠めたのか、リニスさんの服は所々破けて肌が(あら)わになってしまっていた。

 

 強い海風が爆煙のカーテンを払い退()ける。クロノの姿が見えた。

 

 リニスさんと対照的に、クロノには目立った傷は見当たらない。

 

 この勝負を先程の一合の結果だけを見て語れば、言うまでもなくクロノに軍配が上がるだろう。

 

「くそ……やっぱり一枚上手か……」

 

 しかし、リニスさんの目的はそこにはなかった。リニスさんの目的は常に一貫して定められていた。

 

 クロノの背後へと駆け抜けたリニスさんは露出度が増えた自分の身体を隠そうともせず、振り向きざまに自らの手を見せつけるように交差させる。差し込んだ太陽の光が、リニスさんの手元の宝石に青白く反射した。

 

 右手に四つ、左手にも四つ。両手合計で八つのジュエルシードが、リニスさんの白魚のような指の間にあった。

 

「クロノで足止めすることができないんなら、俺がやってもどうせ無理だったか……」

 

 諦観にも似たセリフが俺の口からこぼれた。

 

 リニスさんは負傷することも(いと)わず、魔力弾に突き進んでジュエルシードを奪取した。その身を犠牲にしてまで、なにがなんでも確保しようとしたのだ。そんな彼女の手に一度渡ってしまったのだから、奪い返すのは至難だろう。

 

 クロノは振り返って自分の後ろにあったジュエルシードの数が減っていることを認めると、悔しげに顔を歪ませた。

 

 ジュエルシードを手にして離れていくリニスさんの背中を追ってクロノが飛行魔法を使用するが、すぐに動きを止める。空間に縫いつけるように、クロノの身体の各所に拘束魔法がかけられてあった。

 

 打ち合った隙に、リニスさんが仕掛けておいたのだろう。さすがリニスさん、真面目モードであれば抜け目なく、如才ない。

 

「歩くことはできても、全力で走ることはできないか……。跳躍移動は(もっ)ての外。俺から機動力を取ったらなにが残るってんだよ……」

 

 このまま持ち逃げされるのは心底(しゃく)だが、身体状態をチェックする限りまともに動けそうにない。

 

 足は依然として震え、わずかな時間では回復の兆しすら見えない。腕も重たく、小刻みに揺れて持ち上げることさえ苦痛だ。ジュエルシードを封じる際にハッキングで脳を酷使し続けたせいもあり、頭もまだぼんやりする。

 

 戦闘不能。この一言に尽きた。

 

 リニスさんはクロノから離れ、フェイトとアルフの元へと飛翔する。

 

 二人と合流すればすぐに撤退するだろう。もう取り戻すことはできない。

 

 俺は歯噛みしてその光景を眺めるが、近づいてきたリニスにフェイトが詰め寄った。フェイトらしからぬ剣幕に、リニスさんは困惑の色を浮かべてたじろいだ。

 

「なにやってんだか、フェイトは」

 

 どうせフェイトのことだから、こんなやり方はフェアじゃないなどと異議を申し立てているのだろう。自分たちだけで封印したんじゃないんだから、公平に分けるべきだなどと異論を唱えているのだろう。

 

 愚直なまでに真っ直ぐで、愚かなほどに純粋な金色の少女に、俺は思わず笑ってしまった。

 

 目当てのものを得ることはできたのだからさっさと撤退すればいいようなものなのに、フェイトはそれを良しとしない。その純真さと健気さが、敵である俺たちの気持ちすら動かすだけの魅力となるのだ。

 

 そんなフェイトを――心優しい少女を、リニスさんは突き飛ばした。

 

 飛行魔法で浮かんでいたフェイトは胸を突かれた衝撃と、信頼していたリニスさんに裏切られたような行為をされたことで、茫然自失に後方へよろけた。

 

 追い討ちをかけるように、フェイトの頭上が輝いた。一条の雷がフェイトの細い身体を貫く。

 

 音も光量も大気を焼く熱量まで俺の時とは違って抑えられているが、それでもフェイトの意識を刈り取るに充分足りたようだ。

 

 気を失ったフェイトの身体をリニスさんが抱き留めた。横抱きにかかえて、リニスさんは俺たちへと背を向ける。

 

「いや、待てよ……待て。なにしてんだあんたは……」

 

 かっ、と頭に血が上る。視界が黒ずんだ赤に染まり、思考が赤熱し出した。

 

 大事な目的があるのだろう。怪我する危険がありながら、巨大な組織(時空管理局)に楯突いて捕まるリスクを負いながら、それでもジュエルシードを集めるのだから、彼女には相応の理由があるのだろう。

 

 しかしそれは仲間を、家族とも言える存在を傷つけてまで達成しなければいけないことなのか。

 

 フェイトとアルフにジュエルシードを集めさせ、指示に反したら力づくで強制させる。個人の意見や信念を差し挟む必要はない、ただ命令に従えと。

 

 そんなの、道具扱いしてるのと一緒じゃないか。

 

「リニスっ……リニスさん! あなたはそれでいいのか! そのやり方に何の疑問も感じないのか!」

 

 俺は遠く離れた場所にいるリニスさんへ叫んだ。

 

 十メートル以上低い位置に俺はいて、さらにフェイトとアルフへ合流するために移動したのだから、リニスさんとはかなりの距離を挟んでいる。にもかかわらず、俺の目にはリニスさんの姿を明確に捉えられた。

 

《徹、私と交わした約束を憶えていますか?》

 

 俺へと振り向きながら、リニスさんは口ではなく念話で俺の質問に質問で返す。

 

 俺を撃ち貫いた最初の雷撃により穿(うが)たれた分厚い雲から、陽光が差し込まれた。エンブラント光線、天使の階段、ヤコブの梯子、薄明光線、エンジェルラダーなどと数多くの名を持つ現象が、スポットライトのように彼女を照らす。

 

 光芒の下の彼女からは冷酷無比な仮面が剥ぎ取られ、今にも泣き出してしまいそうな少女の姿にも見えた。

 

 見ているこちらの胸が張り裂けそうになるその表情に、燃え(たぎ)っていた意気は(くじ)かれ、気勢は削がれた。

 

 声のトーンを落ち着けて返答する。彼女に(なら)って俺も念話を使った。

 

《……いつの話だ? 今憶えていなくても記憶の底から探り出すことはできる》

 

《徹が初めて私たちの家に来た日の翌日です。アルフと戦って私が治療して、昼過ぎ頃に徹が起きた、あの日です。二週間ほど前でしょうか》

 

《その日なら十三日前だ。それがなんだっていうんだ》

 

《思い出してくれましたか? フェイトとアルフ、二人と仲良くしてくださいという約束……いえ、お願いと言ったほうがいいですね。守って(・・・)くださいね、徹》

 

 リニスさんは泣きそうな顔のまま、無理矢理に微笑みを(かたど)って俺に向ける。

 

 リニスさんが言っている話は思い出すことができた。

 

 しかし、その内容は俺の印象と食い違っている。話の流れは雑談の中に添えるような、ワンフレーズのようなものだったのだ。リニスさんの言い方にもそこまで重たい響きはなかった。

 

 この場でそんな些細な口約束、まさしくリニスさんが言ったようにお願いにほど近い意味合いの会話を持ち出す理由とはなんだ。仲間を傷つけても、ジュエルシードを集められればそれで良しとするような理由とはなんだ。リニスさんがこれほどまでに悲しい顔をする理由とは、なんなのだ。

 

《リニスさん……あなたは何の為にそこまでやるんだ……》

 

 リニスさんは微笑を(たた)えたまま目を瞑り、顔を伏せた。

 

 一陣の風が空を抜ける。横っ面を殴りつけるような強風に、俺は反射的に瞼を閉じた。

 

 風が吹き止み、再び目を開いた時には、リニスさんから柔和な笑みを消し去られ、瞳の中には決意の炎を(とも)していた。

 

 ――家族の為です――

 

 リニスさんの言葉が、果たして空気を振動させて放たれたものなのか、それとも念話で送られてきたのかは俺には判別できなかった。それでも、俺に届いたことだけは間違いない事実だ。

 

 一言残して、たった一言俺の心に残して、リニスさんは光に包まれた。リニスさんだけではなく、側にいたアルフも、もちろんリニスさんに抱きかかえられていたフェイトも光に覆われ、輝きが収まった時にはもう、彼女たちの姿はなかった。

 

「くっ、遅かったか……」

 

 数瞬前までリニスさんがいた空間に水色の鎖が伸びる。

 

 クロノが拘束を解いて、仕返すように捕縛せんとしていたのに気づいていたから、リニスさんは撤退を急いでいたのか。

 

 クロノの悔しそうな声がちらりと聞こえた。

 

 彼女がいなくなったことで、照らす意味はもうないと言わんばかりに天から注ぐスポットライトのような光芒は細まっていき、最後に一雫(ひとしずく)きらりと反射させて、やがて雲に空いていた穴は埋まり、陽光は消えた。

 

 ジュエルシードは(しず)められ、暴れていた水龍は海に(かえ)った。あれほど荒々しかった波は、今では穏やかなものになっている。

 

 途端に静寂の(とばり)が下りた。

 

 雫が水面を叩くような音が、(たたず)むばかりの俺に届いた。




ようやく一区切りです。長かったです。
一応考えてる分には、次の章が最終章になります。これからもよろしくお願いします。

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