そんな結末認めない。   作:にいるあらと

81 / 195
『表に出ろ』

 物理的にも精神的にも重たい足を引きずり、高校の正門をくぐったのは授業開始の本鈴が鳴る五分前のことだった。

 

 起床時間は遅くはなかったのに――家から出た時間も遅くはなかったのに遅刻寸前である。学校までの道程(みちのり)が長く、ひどく険しく感じた。

 

 気が滅入っているのは自覚している。それでも、何をしても紛らわすことなんてできなかった。湯船でリラックスしても、料理に集中しても、早朝からの掃除に没頭しても、頭から離れないのだ。

 

 頭の中をぐるぐると回るのはプレシアさんのこと。そしてフェイトのこと。

 

 昨日、ジュエルシードを封印し、アースラの情報集積室で、プレシアさんがジュエルシードを集める理由を突き止めてから、俺の心は暗く沈んだままだった。

 

 プレシアさんの気持ちも理解できる。最愛の娘を助けたい、その一心で長い時間をかけて研究してきたのだろう。研究し、知識と力を蓄えてきた。

 

 願い自体は純粋なのだ。自分のせいで死んでしまった娘をもう一度抱き締めたい。ただそれだけなのだろう。

 

 大切な人を失う辛さ、苦しさ、悲しさを知っているからこそ、俺にはプレシアさんの考えを否定することはできない。

 

 だが、それではフェイトがあまりに哀れではないか。プレシアさんの手により生み出されて、違ったからといって投げ出されるなんて、それではあまりに報われないではないか。母親のため、姉のためにと身を粉にして頑張っているフェイトに、そんな仕打ちは慈悲がなさすぎる。

 

 プレシアさんは、ジュエルシードを収集しているフェイトに対して厳しく当たっている。少しでも手間取れば――命令通りの行動が出来なければ、容赦なく雷を落とし、馬車馬に喝を入れるが如く鞭を振るう。娘としての扱いどころか、人としての扱いですらない。

 

 プレシアさんはフェイトのことを、ジュエルシードを集めるだけの道具、ただの機械のように考えているのだ。娘の顔をしただけのフェイトでは満足できず、どこまでも本当の娘のアリシアだけを求めている。

 

 それでもフェイトは、母親のプレシアの指示通りに動くのだろう。家族で、大事な母親だから。

 

 だが、フェイトがジュエルシードを集めても、仮に集めることに失敗しても、どちらにせよフェイトの望む未来は得られない。フェイトに先はない。

 

 プレシアさんが必要数のジュエルシードを集めきれば、ジュエルシードがその身に内包する莫大なエネルギーを使ってアルハザードへ、あるかどうかすら定かではない希望の都へと旅立つだろう。次元の狭間に向かう時、きっとプレシアさんはフェイトを連れてはいかない。アルハザードで娘を助ける技術があると妄信しているのだから、アリシアの代替品としか捉えていないフェイトを隣に置いておく必要はないのだ。

 

 ジュエルシードが集まらなかったとしても、やはりフェイトが望む結末にはならない。

 

 ジュエルシードが集まらなければ、プレシアさん一味は遠くないうちに居場所を掴まれて管理局に身柄を拘束されることになる。クロノやリンディさんが住む魔法の世界で、どんな法律が施行されているのかは俺にはわからないが、逮捕されればプレシアさんはなんらかの罰を受けることになるのは避けられない。ジュエルシードの収集は第九十七管理外世界の安全のため、地球の安全のために行っていただのと誤魔化せても、管理局艦船・アースラへと攻撃を仕掛けたのは誤魔化しようのない厳然たる事実だ。事件を綿密に調査すれば、フェイトとアルフは操り人形のように上から指示を受けていただけ、ということが判明して斟酌の余地もあるだろうが、首謀者で命令を下していたプレシアさんと、隣に侍ってプレシアさんに協力していたリニスさんは逃げられない。結局、フェイトはプレシアさんと離れ離れになる。

 

 ジュエルシードが集まれば母親から捨てられ、集まらなければ管理局が二人の繋がりを断つ。

 

 フェイトには、救いの神はいなかった。

 

「くそっ……くそがっ……」

 

 昨日からずっとなんとかならないだろうかと考えを絞っていたが、なにも妙案は出てこなかった。

 

 いくら計算が早くたって、いくらその気になれば六法全書を丸暗記できるほど記憶力がよくたって、一人の少女を助けることもできやしない。

 

 俺はただの、一高校生にしか過ぎなかった。

 

「きき、君が……逢坂徹くんか?」

 

「……あ゛?」

 

 一人の学生にはどうすることもできない現実の厳しさに直面して無力感に打ち(ひし)がれていると、いきなり見ず知らずの男子生徒から声をかけられた。

 

 本鈴間際のこんな時間にまだエントランスに人がいるとは思わなかったので油断していたし、不機嫌だったこともあり、無意識に返した言葉は意味もなくドスが利いていた。

 

 外見から気弱そうなオーラが立ち込めている男子生徒は、肩をびくんっと上げて顔面蒼白になる。

 

「こ、これをわ渡してくれと頼まれているんだ。頼まれてやっているだけなんだ。そ、それじゃ、ちゃんと渡したからね」

 

「え、ちょ、誰から頼まれたんだ? っておい」

 

 男子高校生の平均身長を割り込んでいると推測されている小柄な男子生徒は、俺に半ば無理矢理茶封筒を手渡すと、(きびす)を返して一目散に廊下を駆けて行った。俺の質問は彼の背中に届いていたと思うが、彼は目もくれず耳もくれず、脱兎の如く走り去る。

 

 離れてやっと気づいたが、男子生徒の上靴には緑色のラインが入っていた。緑色ということは三年生だ。まさか先輩だったとは。

 

「とりあえず確認してみるか」

 

 持った限りでは重さはさほど感じない。廊下の天井の明かりに透かしてみると四角い影が見えた。封筒の腹を触ってみるとかすかに指を返す弾力があるので中身は紙かなにかなのだろう。危険物ではなさそうだ。

 

 渡された茶封筒を開けてみる。確認してみないことにはなにも分かりはしないのだ。

 

 指で千切るように封筒の端を切り取っていく。

 

 傾けると予想通り、紙に近いものが出てきた。写真が数葉、封入されていた。

 

 中に入っていたものは概ね予想通り。だがその内容は予想を裏切り、危険物だった。

 

「なんだ……これ」

 

 封筒の中に入っていた写真には、二人の男女が仲睦(なかむつ)まじ気に寄り添って写っていた。数葉の写真は、どれもその二人を写したものだ。

 

「恭也と……真守(まもり)姉ちゃん? は……なんで」

 

 写真が撮影された場所は街の大通りから数本奥に入った路地のようだ。風景から察することができる。

 

 頭が真っ白になった。二人が仲良く街を歩くのは、まだなんとか理解の範疇にある。昔から家族ぐるみで良くしてもらっているのだから、姉ちゃんと恭也が腕を組んで歩いているのはまだ、なんとか、ぎりぎりわからないでもない。腕を組んで手を握り合って歩いているのも、姉ちゃんが悪戯で恭也を困らせようとしているだけ、という線が残っている。まだ理解できる。

 

 だが、歩いている道がどうしようもないほど、弁解の余地もないほどに決定的だ。

 

 子どもは入っちゃダメな道。下品なほどに明るい照明で入り口を照らしている宿泊可能な休憩所。所謂その手の店が立ち並ぶ路地なのだ。

 

 小刻みに震える手で持つ写真を、回転が停止した頭で眺める。右下にはご丁寧に日付まで印字されてあった。

 

「四月二十五日……勉強会の前日。買い出しに行った日……」

 

 恭也と勉強会で振る舞うための食事やデザートの材料を仕入れる約束をして、なのに急遽行けなくなったと連絡を返して忍を代打に寄越した、あの日だ。

 

 当日の待ち合わせ時間ほぼジャストというタイミングで、用事が入った、などと断りのメールを送ってきた時にも違和感はあった。生真面目で親しい間柄相手にも礼節を重んじる恭也が、当日になってすっぽかすなんて珍しいとは思っていた。

 

 勉強会の日。空いた時間に恭也へそれとなく訊いてみて、来れなかった訳を話さなかった時にもなんかおかしいな、とは感じていた。

 

 だが、これで繋がった。姉ちゃんと会うために、約束を反故(ほご)にしたのだ。

 

「なんで……俺から奪おうとする。お前はもう、たくさん持ってるだろうが……他にもいっぱい持ってるだろうが」

 

 恭也と忍の関係は、一番長く一番近くから見てきた俺が誰よりも知っている。

 

 互いが互いを想っていて、想い合っている。忍と恭也の両親もそれを認めている。親公認の仲なのだ。

 

 高校生のうちでは無理だとしても、大学にでも進学すれば、そのまま二人は結婚するものだと、そう思っていた。

 

 そんな順風満帆極まりない立場にいて、ここで他の女に余所見する理由がわからない。よりによって、俺のたった一人の家族に手を出す真っ当な理由は見つからない。

 

「恭也っ……!」

 

 震える手で写真を握りしめる。動揺からではなく、今は怒りから手が震えていた。

 

 授業開始の時刻を知らせる鐘の音が校舎全体に響き渡る。

 

 握り潰してくしゃくしゃになった写真はズボンのポケットへと乱暴にしまい、俺は教室へと足を運ぶ。

 

 封筒の中身は爆弾だった。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 四時限目の授業終了と昼休みを報せるチャイムが鳴る。

 

 四時限目の授業を受け持っていた比較的年の若い女性教諭は、教材をまとめると早足にそそくさと退室した。クラスメイトはばたばたと音を立てながら教科書を強引に机へと押し込むと、逃げるように教室を後にする。普段教室で昼食を摂る生徒まで外に出て行っているのは、おそらく不機嫌さを(あら)わにしている俺のせいだろう。

 

 溢れる苛立ちを隠すこともできず、机に肘をついて顎を手に乗せて俺は窓の外をただ眺める。昼休みまで誰とも会話らしい会話をしなかった。

 

 ホームルームの時間には当然遅れた。おかげで出席簿の俺の欄には遅刻の文字が刻まれている。担任の飛田(ひだ)貴子(たかこ)教諭からはおどおどとした様子で口頭注意を賜った。

 

 一時限目の授業が終わり、一時限目と二時限目の間にある短い休み時間で鷹島さんや長谷部、太刀峰から様子がおかしいと心配されたが、三人の気遣いにも素っ気ない言葉を返しただけだった。どんな言葉をかけられたかも憶えていなければ、どんな言葉を返したかも憶えていない。午前中の枠の授業がなんだったのかも記憶から抜け落ちている。一欠片の興味も抱けなかった。

 

 かつん、かつん、と一定の間隔で床を叩く音が俺に近づいてくる。その規則正しい足音だけで誰なのかわかるのは、まさしく長い付き合いの為せる技だ。そして、今はそれすら不愉快に感じる。

 

「徹、今日はどうしたんだ。顔色も機嫌も悪い。なにかあったのか?」

 

 顔を向けずとも、声を聞かずともわかる。来訪者は恭也だ。

 

 昼休みになってすぐに携帯を手にして外に出ていたが、中に戻ってきたようである。

 

 忍は担任から用事を託けられていたらしく、昼食も摂らずに職員室へと向かった。一言二言話しかけられた気もするが、それすらも朧気だ。

 

「……なんでもねぇよ」

 

 目線を合わせることもせず、俺は一言だけ返事する。

 

 今は誰とも話したくない。もう、疲れてしまった。

 

 ジュエルシードは全て封印され、一先ずは終止符が打たれたかと思えば、新たな問題が降って湧いた。プレシアさんがジュエルシードを求める理由と、フェイトが身を削ってでも戦う訳。その真相を知ってしまった。

 

 それだけでも思考のリソースを埋め尽くすほどの悩みだというのに、恭也と姉ちゃんのことまで乗っかってきたのだ。

 

 俺の頭はパンクした。なにも考えたくはない。なにもかもが(わずら)わしい。

 

「何日も連絡が取れず、学校も休んでいた。その説明すらまともに聞かされてないんだ、みんな心配になって事情を訊こうとするのは当たり前だろう?」

 

 心の底から気にかけている、という声音で恭也は懲りもせずに俺へと話しかける。

 

 その恭也の姿勢に、無性に腹が立った。俺がなにも知らないままだと思っている恭也の振る舞いに、自分でも訳がわからないまま怒りが込み上げてくる。

 

 俺が持っていないものを恭也が持っていることに対する嫉妬や羨望なのか、姉を取られたくないという独占欲なのか、はたまた所有欲か。様々な黒い思いがが混ざって濁ってぐちゃぐちゃになったこの感情に、俺は名前をつけることはできない。

 

「お前には関係ねえだろ」

 

 停止した思考を中継せずに、心で思ったことが口を衝いて出る。

 

 俺と恭也の間で火花が散ったような感覚がした。教室内に不穏な空気と緊張感が走る。

 

「……関係ない、だと? 昨日、なのはの帰りが遅かった。学校の制服のままで、だ。なのはが帰った時には日が完全に沈んでいた。下手をすれば補導されてもおかしくない。徹が一緒にいたんじゃないのか? なのはが、俺の妹が関係しているのなら、俺にも関係あることだ。徹、一体何を隠している」

 

 関係ない、という俺の発言が逆鱗に触れたのか、恭也は声のトーンは落ち着かせながらも語気を強めて俺に詰め寄る。

 

 魔法を知ってから、俺はなのはと一緒にいることが多くなった。ちょうど魔法を知ってすぐの辺りだ。フェイトに出会って、なのはは自分の力不足だなんだと思い詰めて落ち込んだりすることが多くなった。暗い表情をすることも、前より頻繁になった。

 

 そんななのはの変化は、恭也にとって気苦労が絶えなかっただろう。猫可愛がりしている妹がなにか大きな悩みを抱えているような態度で日々を過ごしているのだから、恭也は気が気ではなかったはずだ。

 

 そして恭也は、なのはの表情の変化の原因にまで薄々勘付いている節がある。俺となのはがなにか危ないことでもしているのでは、と当たりをつけているのだ。

 

 これまでは黙って見守るスタンスでいたが、俺の発言で沈黙を破った。

 

 だが俺とて、黙って聞いてはいられない。

 

「何を隠している……? 隠しているのは、隠し事をしているのはお互い様なんじゃねぇの?」

 

「……隠し事など、あるわけないだろう」

 

 俺の切り返しに、恭也は目を見開いて一歩下がる。

 

 俺の得意でもあるコールドリーディングが、頼んでもいないのに恭也の異変を探り出した。

 

 恭也は右足を一歩分後ろに引いた。無意識的に、右半身を隠そうとしたのだ。そして身体を傾けるという仕草は嘘をついているという表れ。恭也の発言は嘘である。

 

 恭也は右半身を隠そうとした。隠そうとすることは、身体のどこかに(やま)しく思っている部分があるということに他ならない。

 

 恭也は足は動かしたがそれ以後不審な動作はないし、腰も動かなかった。下半身から胴体にはない。

 

 人の考えていることを読み取ろうと思った時、一番重要になるのは顔だ。顔には情報が詰まっている。

 

 視線が左右に揺れた。虚言を吐いている、もしくは後ろ暗く思っていることがある証だ。口はきつく閉じられている。これは、喋ってはいけない、内緒にしなければいけない、という深層心理の表出。

 

 ここまででは具体的に何を隠しているかわからないが、まだ情報は残されている。顎の角度だ。右斜め下にかすかに傾いている。視線を下げるのは疚しいことがある証左だが、顎を下げるということは、自分の身体で影にして見られたくないものを隠そうとしている仕草だ。

 

 頭から下、胴体から上の部位。嘘をついてまで隠して、尚且(なおか)つ後ろめたく思うようなこと。答えは出た。

 

「……首筋の跡」

 

「……っ!」

 

 ぼそりと呟いた俺の言葉に、恭也は過剰なまでに反応した。右手で首の右側を押さえてさらに一歩退く。恭也の顔は青褪めていた。

 

 首に残る跡なんてそれほど候補は多くない。状況から考えてキスマークという線が妥当だ。

 

 俺の位置からは跡なんて全く見て取れないが、恭也の反応から察するに跡が残るだろう行為に及んだ覚えがあるのだろう。そうでなければ手で覆い隠すようなことはしない。

 

 人の粗探しをするときにはいつも通りに思考が回るのか。自分でも思う、いい性格をしていると。

 

「はっ……そんなんでよく俺に隠し事云々なんて言えたな」

 

「言いたい放題言ってくれるな……っ。知っているんだぞ、忍と喫茶店で何をやっていたか」

 

 眉間にしわを寄せながら恭也は吐き捨てる。隠していたことが俺にばれたことで青くしていた顔色は、怒りからか赤くなり始めていた。

 

 眼光鋭く、俺へと追及の言葉を浴びせかけてくる。

 

 忍と喫茶店でやったことがなんだというのだ。ただ飲み物を交換して、お互いが注文したケーキをお互いに食べさせあっただけだ。

 

 こんなこと、俺たちの間ではよくやっていることだろうに、恭也はそれすら忍の浮気だとでも見做すのか。それとも、自分の女に手を出されたことへの糾弾か。

 

「たかだかあれだけのことでキレんなよ、器が知れるぞ。他の男に取られたくねぇんなら首輪してリードでもつけたらどうだ?」

 

 心から思ってるわけではない、そんなこと一度だって考えたことはない。だが冷静に考察する前に、熱く鈍くなった頭が挑発するようなセリフを紡ぎ出す。

 

 恭也が心を砕いた末に俺へ何があったのだ、と尋ねてきているのは理解はしている。

 

 そのはずなのに、苛立って仕方がない。なにも知らないくせに知った風なことを口走る恭也に腹が立って仕方がない。

 

 世界の一つくらいまるごと消し飛ばすジュエルシード、解決の糸口が見えない事件、亡き両親、家族のこと。いろんなことが頭をぐるぐる回ってまともに現実を直視することもできない。

 

 自分の力を過信して首を突っ込んだ結果、雁字搦めだ。

 

 幸せそうにしている世界に虫唾が走る。でもなにより、間抜けな自分に一番反吐がでる。苛立ち紛れに周りへ八つ当たりしている自分に、失望する。

 

「いい加減にしろ……徹。お前はそろそろ自分の行状を改めるべきだ。そんなことだから周りに心配をかけて、真守さんにも……」

 

 かっ、と思考が赤熱する。頭に蟠っていた全ての事柄は綺麗に吹き飛び、ただ一つ、最愛の姉に対しての感情と、目の前の男への怒りのみが残った。

 

 俺は勢いよく立ち上がり、恭也を睨みつける。椅子は背後に転がっていき、何も入っていない俺の机は衝撃で前方に大きな音を立てて倒れた。

 

「とうとう尻尾を出したな! 姉ちゃんとの秘密の逢瀬は楽しかったか?! 裏でこそこそやってんじゃねえよ!」

 

「黙っていたのは悪かったが、それはお前がなにも言わず、なにも教えないからだろう!」

 

「はっ、開き直ってんじゃねぇよ! 自分は裏で画策してんのに、俺には隠し事をするなってか。大層なことだな、何様だお前は!」

 

「この機会に言わせてもらうが、徹の無茶には前からうんざりしていたんだ! 会う人間全員にいい顔をして節操がない! 苦労を背負い込んで、なんでも一人で解決しようとする! 身の程知らずも大概にしろ!」

 

「身の丈以上に頑張らなきゃ幸せになれねぇんだ! とやかく言われる筋合いはない!」

 

 怒りで思考が短絡的になる。売り言葉に買い言葉で俺も恭也も放つ言葉が激しく、棘のあるものになっていく。

 

 普段の泰然とした雰囲気をかなぐり捨てている恭也は、今にも胸ぐらを掴んで来そうなほどの剣幕だ。恭也だけでなく、俺も似たような形相なのだろう。

 

 クラスメイトは遠巻きに見るどころか、とばっちりを恐れて教室外に出ていた。

 

 険悪な雰囲気、一触即発の張り詰めた空気。学校内でトップクラスの危険人物と目されている俺と、時折顔を覗かせる冷たい眼差しが恐怖を煽ると評判の恭也。俺たちの苛烈な言い争いの間に入って止めようとする人間はいなかった。一部生徒を除いて。

 

「逢坂! 何をやっているんだ、冷静になりなよ! 君らしくもない!」

 

「高町くんも……落ち着いて、ゆっくり話そう? 二人とも、興奮してるから……一度落ち着いて、ちゃんと話……しよう?」

 

 火花を散らす俺と恭也の間に潜り込んだ影は二つ。

 

 俺の正面に回ったのは、女子の中では高い身長に赤茶色のショートヘア。長谷部(はせべ)真希(まき)だった。

 

 いつもの飄々とした喋り方は鳴りを潜めている。顔つきもこれまでに見たことがないほどに真剣そのものだ。

 

 恭也の前に躍り出たのは、小柄で華奢な体躯の太刀峰(たちみね)(かおる)

 

 俺からでは小さな背中と瑠璃色のセミロングヘアーのみで、表情までは窺えない。その髪は(さざなみ)のように揺らめいていた。

 

「けんかは、けんかはだめですよ……。そんなの悲しいですよ……」

 

 長谷部と太刀峰が俺と恭也の間に入って離れさせると、近寄ってきていた鷹島さんが蚊の鳴くような声を発した。(つぶ)らな瞳に涙を溜めて、両手を胸元で握り締めながら俺と恭也に語りかける。

 

 長谷部と太刀峰が割って入って険悪な空気を断ったところで、鷹島さんの悲痛な言葉。先までのように、語勢を強めて口論することはできなかった。

 

 だが、ここで引き返すこともできない。

 

 他の何かであれば、一度頭を冷やす時間を作って話し合いの場を設けることもできただろう。しかし、今回の口論の原因は他の瑣末な事柄ではなく、誰あろう我が姉についてだ。

 

 ここでお茶を濁して有耶無耶にする気は毛頭ない。

 

「ここでこれ以上続ければ周りに迷惑になる。だから恭也、一つだけ質問に答えろ。その解答如何(いかん)でどうするか決める」

 

「いいだろう、それで構わない」

 

 恭也との直線上に立つ長谷部の肩をそっと押して、横に移動させる。

 

 長谷部は肩に触れた俺の手を取り、じっと見つめてきた。女子の平均より背が高いとはいえ、長谷部と俺とでは差がある。

 

 身長差から、仰ぎ見るような形になっていた長谷部だったが、諦めたように、ともすれば悟ったように短く息を吐いた。

 

「やっぱり男の子だね……」

 

 長谷部は一歩二歩と歩いて道をあけながら、ぼそりと呟いた。その真意は、俺にはわからない。

 

 恭也も俺と同じように、太刀峰に何言が呟いて道を作らせる。

 

 互いに近づき、二十センチほどを残したところで立ち止まった。俺も恭也も一切譲らず、視線を交錯させる。

 

 俺が訊くことは、結局のところ一つしかない。

 

「まずは俺からだ。四月二十五日、買い出しに行くと約束した日。恭也、お前は誰と、どこで、何をしていた」

 

「俺の問いもその日のことだ。徹、お前は忍と何をしていた」

 

 一拍おいて、お互い問いかけに返答する。

 

「勉強会でも話題に上っただろ。あれが全てだ。デザートを食べさせあった。いつものこと、それだけだ」

 

「真守さんと会っていた。その内容は本人から、絶対に徹には教えるなと念押しされている」

 

「あくまでしらばっくれる気かよ」

 

「事ここに至ってもしらを切るか」

 

 同時に胸倉を掴む。

 

 理解した。このやり取りは、きっとどこまでも平行線を辿るのだ。

 

 俺は恭也が納得できるだけの情報を提供できないし、律儀な恭也は姉ちゃんと交わした約束を何があろうと守るだろう。絶対に、などとこいつが口にした以上、俺がどう言ったところで口を割ろうとはしない。それこそ、口が裂けようと割りはしない。

 

 ならば、他に手はない。

 

「もうどうしようもねぇもんな。仕方ねぇよ、あの日(・・・)の再演だ」

 

「そういえば勝敗はついていなかったな。いい機会だ、ここで白黒はっきりさせておくのも悪くない」

 

 恭也の口元には笑みを刻んでいる。おそらく俺も似たようなものだろう。そしてやはり、恭也が瞳の中に日本刀のような妖しげな煌めきを浮かべているのと同様に、俺の目の内には黒い焔が灯っているのだろう。

 

 俺と恭也の性格は、相反する部分が多い。性格が異なるからこそ、自分と違った物の見方や捉え方があって楽しいのだ。

 

 だがそれは、意見の食い違いを生み出す原因にもなる。食い違いからの摩擦、摩擦からの軋轢、軋轢からの……亀裂。

 

 これまでは互いに譲り合って保たれていただけだ。いつかは真っ二つに分かたれることになると予想して、覚悟していた。切っ掛けが何であったところで、いずれは同じ道を辿っていた。早いか遅いか、それだけの問題だったのだ。

 

 お互いゆっくりと口を開く。

 

 運命の悪戯か、神の采配か、はたまた昔馴染み故か。放たれた文句は異口同音に、一字一句揃っていた。

 

 

 

 

『表に出ろ』

 

 

 

 




いろいろ言いたくなることもあるかとは思いますが、どうかご容赦ください。ラストまで淡々と進めるようなことはしたくないのです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。