そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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とらはではない、とらはではないのです。なので設定の改変には目を瞑ってください……。


その油断が、最悪の状況を生み出した

 俺が恭也と忍の二人に出会ったのは、小学校低学年の時。

 

 聖祥大附属小学校の校舎裏で忍が、見るからにやんちゃ然とした同い年くらいの男子生徒数人に囲まれていたところを俺が助けに入ったのがきっかけだった。

 

 その頃から忍は同級生とは段違いの可愛らしさを、というよりも小学生時分から子供っぽい可愛らしさよりも美人の片鱗が見え隠れしており、クラスどころか学校単位で人気があった。

 

 今でこそわかるが、おそらく忍を囲んでちょっかいをかけていた数人の生徒は忍に気があったのだろう。

 

 幼かった当時の俺には好きだの嫌いだのといった恋愛感情はさっぱりだったが、まだ人並み程度の正義感や義侠(ぎきょう)心があり、多勢に無勢というあからさまに分の悪い喧嘩に喜び勇んで殴りこんだ。今のように捻くれておらず、年相応の少年らしくヒーローなんてものに憧憬(どうけい)を持っていたようである。

 

 格好良く助太刀に入って、無様に幾つかいいのを貰いながらも、忍を取り囲んでいた男子生徒を退(しりぞ)けて囚われのお姫様を見事助け出した。助け出したのはいいが、厄介なのはここからだった。俺に年相応の正義感があったように、忍にも年相応の女の子らしさがあったのだ。大勢の知らない男子生徒に囲まれたことが怖かったようで忍は泣いてしまっていた。

 

 ここで登場したのが若かりし頃の恭也である。後から聞いたところでは、忍を探して学校中歩き回っていたそうだ。

 

 タイミングが悪かったとしか言いようがない。

 

 日が暮れ始めてオレンジ色に染まっている学び舎。手入れが行き届いておらず、草木が自由に生え伸びていて視界を遮る校舎の裏。人気のないそんな場所で、涙を流す知り合いの女の子と、その近くに目つきの悪い知らない男子生徒がいれば、恭也の立場からしてみればその男子生徒、つまるところ俺が泣かせたのだろうと考えるのは自然だった。

 

 ()く言う俺も、突如として現れた恭也のことは倒すべき敵であると勘違いしていた。やんちゃ系の男子グループを殴り倒して撃退した俺は、そのグループのメンバーが仲間を呼んで早速報復行動に打って出てきたのだろう、と取り違えていたのだ。

 

 怒髪天を()いた恭也は忍を助けるために俺へと殴りかかり、俺は名も知らぬ女の子を守るために第二戦へと移行した。

 

 目を伏せて、端整な顔を涙で濡らしていた忍が俺と恭也のずれた決闘を止めたのは、俺も恭也もずたぼろになって倒れる寸前になってからだった。

 

 振りかぶっていた拳を止めた恭也は忍から、俺に助けてもらった、という事情を説明され、俺は忍と恭也の関係を教えてもらい、ここで殴り合いの喧嘩は幕を閉じた。

 

 元から争う理由などなかったと知った俺と恭也は、出会ったばかりの他人だったにも(かかわ)らず、つい笑ってしまった。なんて無駄なことをして、なんて無駄な傷を負ったのだろうかと、そう思ったのだ。

 

 そんなことがあってから俺は二人と仲良くなり、高校生の現在に至っても未だ変わらず行動を共にしている。

 

 ある意味では、俺と恭也を引き合わせたのは忍で、人付き合いの苦手な俺が恭也と一足飛びに仲良くなれたのは忍のおかげとも言えた。

 

 だが今は、胸を張って親友であると断言できる恭也は、俺の数メートル前方で明確な敵意を瞳に宿して立っている。こうして拳を交えることになった理由もまた、忍が絡んでいた。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 俺と恭也が教室で盛大に啖呵を切った後すぐ、恰幅の良い男性教師が俺たちのいる一年一組の教室に駆け込んできた。

 

 騒がしい昼休みとはいえ、ここまで派手に言い争いをしていれば教師の目につくのは当然である。馬鹿な上級生がいると言っても、この学校は基本的に平和なのだ。小さかろうが大きかろうが、なにか騒動があれば教師が仲裁に入るために飛んでくるのは当たり前であった。

 

 だがここに来て、関係もなければ俺たちの事情も知らない教師によって邪魔をされるのは(いと)われた。

 

 そもそもこの教室で事を起こそうなどとは微塵も考えてはいない。ここで俺と恭也がやり合えばクラスメイトに多大な迷惑をかけることになる。そんなことは本意ではなかった。

 

 互いに闘争心にスイッチが入っていて熱くなっているが、場所を選ぶくらいの冷静さはまだ残っている。

 

 しかし、教師が介入してきたことにより面倒なことになった。このまま教師に拘束されれば、少なくとも今日は恭也と拳を交える機会は失われるし、なによりそんな気分ではなくなる。興が削がれるのは避けたかった。

 

 移動しようにも、教室の外の廊下は食堂に昼食を摂りに行こうとしている生徒でごった返しているし、教室の前後の扉にも、窓にすら物見遊山(ものみゆさん)的に見物している生徒がいる。教室の扉から移動することは出来そうになかった。

 

 他に方法がないので仕方なく、俺は恭也に目配せする。俺が目を送ったと同時にこちらを振り向いていた恭也へアイコンタクトを送り、ここから出るぞ、と指示を出した。

 

 出口ならばもう一つある。窓だ。無論、人で溢れかえっている廊下側の窓ではなく、俺が外を眺めていた方向の窓。この出入り口は、長谷部と太刀峰の二人専用ではないのだ。

 

 俺と恭也は同時に床を蹴り、教師に背を向けると一息で窓枠へと跳躍し、そして飛び降りた。背後から悲鳴とも怒号ともつかない声が叩きつけられたが、今は意に介さない。そんな瑣末なことより大事なものが目の前にあるのだ。

 

 全学年の全教室が詰め込まれている普通棟。その建物の中において一年生に充てがわれている教室は三階にあり、俺が在籍している一年一組も勿論三階にある。

 

 そんな高所から飛び降りれば常人であればただでは済まないが、運が良いのかなんなのか、俺も恭也も常人という枠からは外れている。

 

 恭也は各階の教室の外に張り出している手摺りに手をかけ足をかけ、壁なども蹴りながら落下エネルギーを分散させて静かに着地した。俺はというと、ちょっとずるい気もするが体内で循環されている魔力の量を強めて身体を強化しつつ、見様見真似ではあるがフリーランニングの着地術・ランディングを使って落下の衝撃を和らげた。

 

 着地時に、昨日受けた雷の影響で筋肉がぴりぴりとした違和感を訴えたが、なんとか使い物にはなりそうだ。一晩休ませたことである程度は回復したらしい。昨日のように激しい動作を取ろうとしたら足がすぐに痙攣を起こして動かなくなる、ということはない。

 

「ちんたらやってたら先生が降りてきちまう。さっさと始めるぞ」

 

「ああ。……この場所……」

 

 三階から俺たちが降り立ったこの場所まで正規ルートで来ようとすればかなりの遠回りになる上に、廊下には沢山の生徒がいた。人の波を掻き分けてここまで来るとなると多少時間はかかるだろう。

 

 とはいえ、そう遠くないうちに教師が俺たちの喧嘩を止めにくるのは確定しているのだ。途中で止められるなどという不完全燃焼は避けたいので早速始めようと身体を前傾させたが、恭也が何かぼそりと呟いた。タイミングを外された俺はたたらを踏みつつ、恭也へ問いかける。

 

「なんだよ、この場所じゃあ不服ってのか」

 

「いや、そうではなく、この場所……俺が徹と初めて会ったあの校舎裏に似てると思わないか?」

 

 恭也に訊かれて、俺は周りを見渡してみる。

 

 人の通りは皆無。ところどころ草が踏まれたような形跡があるが、それは長谷部と太刀峰がここを使っているからだろう。その他には人が通ったような跡はない。

 

 この高校は潤沢な資金もあって敷地は広いが、いかんせん広すぎて手が行き届いていない。人の目につきやすい場所には業者に委託して草木の剪定をしているようだが、外の景色を楽しみながら食事をするのを売りにもしている食堂付近ならともかく、ここのような敷地の端っこの木々には手が加えられていない。

 

 無駄に大きく立派に育った樹木は高さと幹の太さだけでなく、木の葉もわんさと蓄えている。おかげで陽の光は葉っぱの屋根で遮られて、昼だというのに薄暗い。

 

 普通棟は食堂と体育館があるエリアと、文化部の部室にもなっている実習棟に挟まれる格好になっているので、俺たちが今いるこの場所は校舎裏とは呼び難い。しかし、なるほど。恭也の言う通り、言われてみればこの場所の雰囲気は、俺が忍を介して恭也と出会った小学校の校舎裏によく似ている。

 

 どこか、運命的な偶然を感じた。

 

「はっ、たしかにな。よく似てる。だからこそ再戦するには打ってつけとも言えるな」

 

「あの日つけられなかった勝負をもう一度演じるのに、これ以上に最適な場所はないだろう。否が応にも気分が高まるというものだ」

 

 かすかに笑みを浮かべながら足元の確認をして、恭也は構えを取る。

 

 どこかその構えに違和感を感じて、そして気づいた。今の恭也は剣を持っていないのだ。

 

 恭也が修めている御神流剣術。その中で恭也は、小型の刀を二振り使用する小太刀二刀御神流という剣術を修練している。俺の真骨頂が無手による格闘なら、恭也の真髄は得物を持ってこその剣技なのだ。

 

「おい恭也、刀はいらないのか? そのへんに転がってる木の枝でもへし折ればいい具合に使えるんじゃないか? 一流の剣士なら、得物が何であれ問題なく使いこなせるだろ」

 

「一流などと自惚れる気はない。それに刀はなくていい。徹の調子が万全ではないのに、俺だけ自分の土俵で戦うというのは違うだろう。それに……」

 

 恭也は途中でセリフを切って目を瞑る。

 

 俺の体調が(かんば)しくないことを、恭也は気づいていたようだ。顔色から察したのか、それとも三階からの着地の様子で判断したのか。

 

 どちらにせよ、こいつが使わないと自ら断言した以上、俺から何を言ったところで恭也は断固として武器の類を手にしようとはしないだろう。

 

 恭也のことだ、別にハンデのつもりで言っているのではない。なるべく公正な勝負をしたいがための提案だろう。

 

 とはいえ、刀がなくとも恭也は手強い。素手喧嘩(ステゴロ)ならば俺に有利なようにも見えるかもしれないが、実際の所そうでもないのだ。

 

 御神流というのは剣術ではあるが、源流を(さかのぼ)れば古武術である。恭也は刀なしの格闘であっても、充分戦闘に足るだけの技術を会得しているのだ。戦力の著しい低下とはならない。

 

 恭也は顔を上げて目を開き、こいつらしからぬ少年のような悪戯っぽさがある笑みを俺に向けて言った。

 

「あの日も泥くさいくらいに拳での殴り合いだったんだ。ならば、再戦する今回も素手での殴り合いがいいだろう」

 

 気障ったらしく恭也はそう言ったが、俺は他にも意図があったように思えた。

 

 恭也の剣術、御神流は恐ろしく実用的な剣術なのだ。実用的とはつまり、人を殺めることを目的とした技ということである。

 

 身体に染みついた技術はそう簡単に抑え込めるものではない。真剣を使わずとも、なにか間違いがあれば怪我では済まないことになるかもしれない、という懸念を恭也は感じたのではないだろうか。

 

 男と男のプライドはかかっているが、命のやり取りまでするつもりはない。試合を殺し合いにするつもりはないのだ。まだ危険の少ない素手を選んだのはわからないでもなかった。

 

「はっ、そこまで再現すんのかよ。後で後悔しても知らねぇぞ。同じ殴り合いでも、あの時とは中身の技術が違うんだからな」

 

「そこまで言うのなら見せてもらおう。そして俺が剣術以外にも使える所も見せてやろう」

 

 数メートルの距離を開け、俺も恭也も自然体に近い構えを取る。

 

 顔に浮かんでいたささやかな笑みは消え去った。研ぎ澄まされた刀身のような、静けさと危うさが渾然一体となった雰囲気が周囲に充満する。

 

 この場所に降り立ってから会話を交わしていたのは、別に和解したからではない。互いに心の奥底にフラストレーションを溜め込んでいたのだ。ここ一番で爆発させるために、ただ目の前の相手をぶちのめすために、自分の大切なものを掠め取ろうとした男をぶちのめすために、魂を燃やす燃料(怒り)を蓄えていたのだ。

 

 そしてそのエネルギーは溢れるほどに満たされた。

 

 拳を硬く、握り締める。

 

「手加減はしねぇ」

 

「容赦はなしだ」

 

 風が木々の間を吹き抜けた。頭上から葉擦れの音が降り注ぐ。

 

「覚悟は決めたか?」

 

「腹は括ったか?」

 

 強い風は木々を揺らすだけでは飽き足らず、校舎の壁を叩き、大地を舐める。砂が巻き上げられた。

 

「遺言は(したた)めたか?」

 

「辞世の句は用意したか?」

 

 嵐の中心にでもいるかのように、俺たちの周りを風が走る。

 

「心残りしねぇように全力を出せよ」

 

「未練を残さないよう本気で来い」

 

 恭也の表情には、明らかな敵意が浮かび上がっていた。おそらく俺も、同じ顔をしているのだろう。

 

「オールオッケーだ!」

 

「万事(つつが)ない!」

 

「恭也! 最後に一言だけ言っとくぞ!」

 

「ああ、徹! 俺も言っておかなければいけないことがある!」

 

 新緑色の一葉が、俺と恭也の視線上を通過した。

 

 お互いに、それが合図になることを分かっていたように地を踏み締め、駆け出した。

 

 数瞬で彼我(ひが)の距離を殺し、腕を振りかぶる。

 

 同時に叫んだ。

 

『俺の女を返してもらう!』

 

 拳は振り抜かれた。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

 打っては打たれ、突いては突かれ、蹴られては蹴り返す。

 

 顔面に直撃した一打が口の中を切っても、相手からの攻撃など気にも留めない。唇の端から血が滴っても歯牙にも掛けない。ただ自分の拳を目の前の男に振るうだけの泥臭く血生臭い、ただの喧嘩だ。

 

「すかしてんじゃねぇ! 大人ぶってるつもりか!」

 

「自分は何でも出来る人間だと思っているのか! 不器用な癖に気取るな!」

 

 俺の右の拳は恭也の顔面を捉え、恭也の中段蹴りは俺の腹部にめり込んだ。

 

 互いに苦痛と衝撃で後方へとよろめく。私闘が始まって初めて距離が生まれた。

 

「タフすぎるだろ……化け物かよ。決着(けり)がつかねぇ」

 

「頑丈すぎる……本当に人間なのか。埒が明かない」

 

 男の矜持がかかっているからか、恭也は一切退こうとはしない。これまで何度も打突は通っているのに、膝を折ろうとはしなかった。

 

 恭也がフェアにする為に得物を持たずに戦っているのだから、俺もリンカーコアの魔力供給は最低限にしている。身体能力は魔法を知る前と同程度に落ちているとはいえ、ここまで決定打に欠くとは思わなかった。

 

 大立ち回りを演じ始めてから時間もそれなりに経過している。これ以上長引けば勝敗を決する前に邪魔者(教師陣)が割り込んできてしまう。

 

 いつ介入されてもおかしくない状態なのだ。逆に教師たちの動きは遅いくらいとも言える。

 

 急いで終わらせるというのは味気ないし風情に欠けるが、ここまできて決着がつかないのは白ける上に禍根を残す。そんな終幕は承服できない。

 

 気は乗らないがここからは加速させてもらう。

 

「昔を懐かしんで技術も何もない殴り合いをすんのも一興ではあるけどな、時間に余裕はねぇんだ。そろそろ本気でやろうぜ」

 

「腕を振り回すだけの喧嘩は終わりか」

 

「過去を大事にするのもいいけどな。今の自分を見据えて、持てる全てを尽くす方が格好良いだろ」

 

「あの頃からどれだけ成長したのか披露する、という所だな」

 

「そういうことだ。理解したなら……早速行くぞ!」

 

 地面を削るほどに強く踏み込み、恭也へ肉薄する。恭也はただじっと見つめ、待ちの構えに入った。

 

 恭也を射程内に捉えた瞬間、左足を踏み出し、腰を捻って腕に力を集中させる。

 

 恭也と初めて知り合った当時ではまだ習っていなかった神無流の基本技術、『踏鳴(とうめい)』だ。踏み込みと体重移動の技。攻撃にも、防御にも、移動にも使用する基礎中の基礎となる。

 

 拳が接触したことで生じた重低音が空気を震わせた。

 

「速く、鋭く、そして重い。見本のような優れた一打。しかし当たらなければどうということはない」

 

 恭也はサイドステップで身体を横にスライドさせると、俺の腕の側面に手を触れて軌道をずらした。周囲に響いた重低音は、恭也の背後に屹立(きつりつ)していた木に当たった音である。

 

 怒りで魂を焦がしながら、それでいて頭はクールに冴え渡らせる。恭也のしていることは、簡単なようでその実とても難しいことだ。自分の心をしっかりコントロールするのは生半なことではない。

 

 俺の打撃を回避した恭也は、拳を振り抜いて寸時硬直した俺を見てチャンスだと思ったのか、重心移動に多少時間がかかる足技を繰り出した。

 

「躱すだろうとは予想していたぜ」

 

 俺は大木に叩きつけた拳をすぐに戻し、踏み込んだ勢いがなくなる前に前方へと足を運ぶ。ウォールランの要領で木の幹を一歩二歩と駆け上がり、後方へと宙返りして恭也の足刀を避ける。

 

 標的を見失った恭也の攻撃は俺と同様に大木を叩いた。落下してくる木の葉の量がその威力を表している。

 

「身軽な……」

 

 着地の隙を狙った恭也の外へ払うような手刀を、俺は(かが)んで躱し、ぐるりと一回転して遠心力を乗せた裏拳を放つ。だが、恭也がふわりと羽毛のように軽く、蜃気楼のようにぼんやりと身体を霞ませながら後退したことで、俺の攻撃は幹に打ち据えることとなった。

 

 剣道などで重要とされている足捌きは、上級者になれば瞬間移動のようにすら錯覚させる。恭也のそれはまだその域に達していないが、それでも達人の片鱗は顔を覗かせていた。

 

「面倒だな……」

 

 普段の精神状態であれば賞賛の言葉の一つでも送るところだが、叩きのめさなければならない憎き(かたき)となっている今、口をつくのは非難の文句のみだ。

 

 距離を取った恭也はその場でスピンして地面を蹴り、跳躍した。

 

 恭也の長い足は、鎧のように強靭で鞭のようにしなやかな筋肉に余すところなく覆われている。ただでさえ申し分のない威力を有した蹴りに、遠心力と捻転力が加算されているのだ。もろに喰らえば痛いでは済まない。

 

 俺は側転して恭也の攻撃範囲から離れ、先ほどから俺と恭也に殴られ続けている大木の影に隠れる。

 

 恭也の飛び回し蹴りにより、大木の樹皮は爆ぜるように飛散した。度重なる流れ弾に、大木は軋みと言う名の悲鳴をあげる。

 

「決定打が……」

 

「入らねぇ……」

 

 足を止めての子供じみた殴り合いから、技術を駆使した戦闘へと移行してからというもの、俺も恭也も回避重視の試合運びとなっていた。

 

 きっと恭也も理解しているのだ。防御しても、それすら貫通して攻撃の威力が自分を襲うことになるだろうと。一度防御して足を止めたら、そこから終わりのない連打の雨に打ち据えられるだろうと。

 

 だからなんとしてでも回避し、周囲の遮蔽物を盾にして防ぐ。まともに一撃でも貰えば、ダメージから動きが鈍くなると予測出来てしまえるからだ。

 

「くそがっ!」

 

 打っても払っても突いても薙いでも決定打に繋がらない膠着状態に嫌気が差してくる。思い通りにならない戦況に腹が立つ。

 

「ふらふらと逃げんな!」

 

「ちょこまかと動き回る……まるで鼠だな!」

 

 咆哮とともに放たれた俺の掌底は木に阻まれた。恭也からの切り返すような手刀は大木を盾にして防ぐ。

 

 俺と恭也の間に(そび)え立つ大木を挟んで打ち合う。打つたびに空気が震え、幹の表皮には亀裂が刻まれる。

 

 有効打を決められないまま、時間だけが無為に過ぎていく。

 

 心に蟠るもやもやした感情はやがて言葉となって吐き出される。今回の件だけじゃない、今まで腹に据えかねていた様々な事柄が噴出する。

 

「いつもいつも俺たちから一歩離れて眺めやがって、保護者でも気取ってんのか!」

 

「お前と忍が喋喋喃喃(ちょうちょうなんなん)と話している光景を見て、俺が何も感じていないとでも思っているのか!」

 

 俺たちの鋭い踏み込みで大木の周囲の地面は徐々に抉れていく。砂に隠されていた太い根が露わになった。

 

「笑わせてくれるなぁ、おい! お前と忍のなんでも分かり合っているみたいな空気を俺が知らないとでも思ってんのか?!」

 

「徹と忍の息のあった掛け合いについていけない俺の気持ちがわかるのか!」

 

「繋がりみたいな……運命を共にしているみたいな雰囲気を目の当たりにした時の、俺が受けた仲間外れみたいな感覚をお前は考えたことがあんのか!」

 

 拳撃は頭上の木の葉を震わせ、太刀のように鋭い蹴りは空間を切り裂いた。

 

「徹と忍の仲の良さは知っているが、最低限のラインは守ると信じていたんだ! 信頼を裏切ったのは徹の方だろう!」

 

「なんの話をしてんだ! 恭也の方こそ、忍がいるのに姉ちゃんにも手を出したんだろうが!」

 

「そっちこそ何を言っている!」

 

 話の流れに違和感を覚えたが、冷静に考える前に事が動いた。

 

 俺と恭也に障害物として利用され、盾として扱われていた木が、ダメージの許容限界を超えたのだ。

 

 恭也の手刀や足刀を浴びせかけられ、俺に肘突や膝打を叩き込まれた木は、中心部からめりめりと押し潰すような音を立てて傾いた。

 

 硬い樹皮が弾き飛ぶ。破片の一部が左肩に刺さり、小さな欠片が頬を掠めた。

 

 俺は倒木に巻き込まれないよう、大きく後ろへ飛び退(すさ)る。正対していた恭也も、地に倒れ伏す木の影響を受けない位置まで後退した。

 

 落ち葉と砂を巻き上げて、木は倒れた。耳を塞ぎたくなるほどの轟音が辺りにばら撒かれ、地震のような揺れが俺たちを襲う。

 

 周囲に群立している木に反射したり校舎の壁に跳ね返った音が静まり、砂煙が収まった頃には、恭也の姿は十メートル以上も離れた場所にあった。

 

 視界の中心に恭也を収め、わずかな動きも逃さないよう一挙手一投足に注意していたが、聴覚が異変を察知した。離れたところではあるが砂を踏む音。何者かの足音である。時間がかかりすぎてしまったことで、とうとう人が来てしまったのだ。

 

 時間の猶予はない。あと一合打ち交わすことが出来る程度だろう。

 

 しかし、一撃組み合うことができるのなら、なんら問題はない。

 

 拳と拳の語り合いは、やはり男らしく一撃で決着をつけるのがベストなのだ。

 

「……恭也」

 

「わかっている。次で……決める」

 

恭也も残された時間が少ないのはわかっていたようだ。口に出さずとも、すぐに悟った。

 

 互いに構えを取る。

 

 視線の先にはただ一つ、俺の姿を映す恭也の鋭い瞳。

 

 ぴりぴりとした緊張感が肌を刺す。木陰で冷やされただけではない冷気が首元を撫でた。

 

「なにがあっても」

 

「自己責任だ。悔いは」

 

「残さねぇ」

 

 最後の確認をするように短く言葉を交わす。ここまで来て、相手の身を慮って手を抜くようなことはするなという念押しだ。

 

 迫力が膨れ上がる。暴風雨のような敵意が俺にぶつけられた。

 

 地を踏み締め、足に力を蓄える。爆発の寸前まで、密度を高めてエネルギーを溜め込んだ。

 

「これが俺の全身全霊!」

 

「俺の全力全開……」

 

「その身に受けてみやがれ!」

 

「その目でしかと御覧(ごろう)じろ!」

 

 前へ、ただ前へと急かす運動命令を受けて、足が運動エネルギーを地に向けて発した。足場となっていた地面は砂礫を飛ばす。

 

 心臓が強く律動を刻み、全身へと血液を送る。燃え滾る血潮は視界を真っ赤に染めた。

 

 風景が霞むほどの速度で俺は恭也へ接近し、恭也も俺へと肉薄する。俺は神無流の移動術『襲歩』で、恭也は昔に一度だけ目にしたことがある高速移動術『神速』で一瞬のうちに距離を詰めた。

 

 互いの拳が空気の壁を突き破らんばかりの速度で振るわれる。

 

 まさしく目にも留まらぬ速さの一撃。何者も介在することのできない世界。一般人が介入できる領域ではない。はずだった。

 

「こんな……こんなバカなことやめなさいよぉっ!」

 

 俺と恭也のちょうど中心で忍が無謀にも、細く、そして繊細な身体を晒した。

 

 極限の集中、焼き切れそうな神経回路。(もたら)されるのは感覚的な時間の遅延。その境地に至っている俺と恭也は突然戦域に入り込んだ忍の姿を見て目を見開いた。

 

 遠くに聞こえた足音は忍のものであったようだ。それはまだわかる。俺と恭也の戦闘に割り込んだ理由も――心は痛むが――理解できる。

 

 しかし、なぜ追いついたのか。なぜ追いつくことができたのか。それだけがわからなかった。

 

 耳に届いた足音の強弱でだいたいの距離は把握できる。どれだけ短く見積もっても、最後に一合打ち合うだけの猶予はあった。

 

 なのに今、木漏れ日を反射させる綺麗な紫髪が目の前にある。俺が立てた推測が甘かったせいで、よりによって一番危険な瞬間に、忍が俺たちを止めに入る時間を作ってしまった。

 

 思考は加速している。忍が介入してきたこともすでに察知できているのに、動作を止めることができない。振り抜かれた拳はもう止まらない。

 

 全身の筋肉は脳から送り込まれた迸らんばかりの電気信号を受信し、躍動させ、既に行動を終了している。もう引き戻すことはできなかった。

 

 それは恭也も同様であった。歯を食い縛る表情が、策がないことを、もうどうしようもないことを証明していた。

 

 油断はあった。目の前のことにしか注意を傾けていなかった。第三者が近づいて来ているのはわかっていたのに、間に合うわけがないと高を括っていたのだ。

 

 その油断が、最悪の状況を生み出した。

 

 俺の全身全霊、恭也の全力全開の力が籠められた――死力を尽くされた一撃は止めることも、ましてや軌道を逸らすこともできない。

 

 相対する男へと放たれるはずだった拳撃は、俺と恭也のど真ん中に身を(さら)け出した忍へと吸い込まれるように向かう。

 

 

 

手に、肉を打つ感触がした。


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