そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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 俺に課されたのは、長時間に渡る叱責と十数枚に及ぶ反省文、そして一週間の停学だった。入学したばかりの時にやらかした前科もあったので、やはり注意だけでは済まなかった。

 

 退学にならなかっただけ幸運だと思わなければならない。

 

 生徒指導室を出て、生徒指導係の教師から速やかな帰宅を命じられたのは六時限目の終了時間を大きく過ぎた十七時半頃だった。

 

 全学年の教室とともに職員室も入っている普通棟から外に出て、長い時間拘束されていたおかげで固まってしまった筋肉を背伸びしてほぐす。背骨や肩の骨が小気味良い音を響かせた。

 

「さて、と。引っ掻き回してくれた『犯人たち』をとっちめに行こうかね」

 

 犯人。恭也と大立ち回りを演じるに至った火種を作った、その犯人を見つけなければいけない。

 

 殴り合いを繰り広げることとなった決定的な要因は、俺と恭也の中にあった秘め事や約束だ。それらの要因が心中に(くすぶ)っていた不信感や猜疑心(さいぎしん)に油を注いで、爆発した。

 

 しかし、その不信感や猜疑心は、俺たちにはもともとなかったもの。人為的に生み出された亀裂だ。

 

 俺と恭也の仲を一時的にでも断ち切る根本的な原因を作り出したのは、名前も知らない男子生徒から手渡された写真。恭也の方にも、それは仕組まれていたらしい。

 

 その罠にまんまと嵌ったわけだが、俺には仕掛けた人間に、人間たちに心当たりがあった。俺を貶めるためだけにこんな大掛かりな(はかりごと)を巡らせる連中には、見当がついていた。

 

 渡り廊下を歩いて、普通棟から北にある実習棟へと足を運ぶ。カリキュラムが全部消化されたこの時間帯であれば、この棟は文化部系部活動の部室にもなる。

 

 その実習棟の一階、最西端にある教室に俺は用があった。正確には、その教室にいるだろう連中に、だ。

 

 扉の上にある、教室名が書かれたプレートには《旧総合文化教室》と、掠れた文字で書かれている。

 

 実習棟にある他の教室より一部屋分も大きく、際立って古めかしいその教室は、今は授業では使用されていない。備えつけられている設備は古く、床や壁も傷んでいるため、同じ用途の教室を違う場所に新設したらしい。授業を行う場合は当然新しい教室を使うので、古くなった旧教室は使われなくなった。

 

 実習棟一階の西の端という好立地、他の教室より倍の広さ、授業で使用されないので教師も立ち寄らなければ生徒も近寄らない。

 

 そんななにかと都合のいい教室を学校側から部室として掠め取り、たむろして好き勝手しているのがやんちゃな先輩方で、入学時に俺と揉めた柄の悪い二年生三年生グループだ。

 

 部活動として表面上は文化遊興部などとそれっぽく取り繕われているが、活動実績はない。教師陣がこの不透明な部活の実態を把握しているかどうかは不明だが、生徒たちは不良生徒たちの溜まり場として認識していた。

 

 俺は扉の前まで近づき、耳を(そばだ)たせる。

 

 扉越しに加えて広い教室ではあるが、中にいる人間は馬鹿みたいに大きな声で話をしているので内容は問題なく聞き取れた。

 

『いやー、ほんと上手いこといったな!』

 

『笑いが止まらねぇよ、たかだか写真数枚であれだけハデにやるんだから! 馬鹿だろ! 馬鹿!』

 

『一ヶ月と間を置かずにコレだもんな、退学もあり得るんじゃね?』

 

『仲が良いとか言われてる相手にも簡単にキレるんだぜ。あいつただの気狂いだろ!』

 

 ぎゃあぎゃあと好き勝手に言い散らし、最後には全員で下品に笑う。同じようなことを、壊れたミュージックプレイヤーのように何度も繰り返した。

 

「やっぱりこいつらか」

 

 念の為に確認の意味も兼ねて突入する前に聞き耳を立てていたが、思いの外簡単に証拠を口走ってくれた。

 

 やはり、俺への報復といったところのようである。俺に恨みならぬ逆恨みを持っていて、俺と恭也を仲違いさせるなんて実のないことに労力と時間をかけるような暇人は、こいつらしか該当しないのだ。

 

 頭の悪そうな二年生三年生方との因縁は、入学して数日経った頃から続いている。

 

 事の始まりは、新入生に唾をつけようとした軟派で軽薄な先輩を止めたことからだった。

 

 いくらこの学校は偏差値が高く、真面目な生徒が多いとはいえ、生徒の数が多くなれば人に迷惑をかけることなど考えずに自分勝手好き勝手、欲望の赴くままに動く人間も出てくる。二年生三年生のごく一部、そういう質の悪い上級生が一年生の教室が並ぶ三階に足を運び、可愛い一年生がいれば手をつけようと声をかけて回っていたのだ。

 

 しかもそのやり方が悪質だった。一人の女子生徒を数人で取り囲むようにして退路を塞ぎ、強引に名前や連絡先を聞き出していた。中には手を引っ張られて人気のない場所に連れて行かれそうになった女子もいる。

 

 女子生徒の側に恋人と思しき男子生徒がいてもお構いなし。野生動物のように睨みつけて威嚇して割って入るなど、目に余る行為の数々が横行していた。

 

 小賢しいことに教師が辺りにいない時にするものだから、入学したばかりで右も左も分からない一年生では、背も高く顔も厳つい粗野な上級生たちに抗う術などなかった。

 

 本来ならば下級生の面倒を見て、見本となり、導くべき立場にある上級生のあまりの腐りように苛立ちを募らせていた俺の目の前で、事もあろうに上級生方は忍相手にも同じような手法で迫った。鉄面皮な上級生たちの傍若無人極まる振る舞いに、俺の忍耐は限界値を超えた。

 

 先輩方の包囲網から忍を引っ張り出し、安全な場所まで移動させた俺は先輩方とお話しするが、短気な先輩方とのお話は徒労に終わる。

 

 一年生に楯突かれたのが癪に障ったのか、先輩の一人が殴りかかってきたのだ。俺がそれを正当防衛的に排除すると、気が短い他の先輩たちも怒り狂って暴力に訴えてきたので同じように退けた。その日はそれでお帰りになったが、一年生に負けたままだとメンツに(かかわ)るのだろう、()くる日の昼休みに先輩方は人数を増やしてお越しになった。

 

 俺のもとまでやってきてはなんだかんだと吹っかけてきて、俺はその度に一蹴する。翌日にはさらに増員して訪れ、俺はまた同じ手順を繰り返すように跳ね除ける。そんな非生産的なことを繰り返すうちに、俺は二〜三年生の柄の悪いグループ全員と敵対することになったのである。

 

 ここ最近はなんの音沙汰もなく、一年生のエリアに出没することもなく大人しくしていたので、行状を改めて品行方正な生徒に生まれ変わったのかと淡い期待を寄せていたのだが、やはり馬鹿は死なないと治らないらしい。

 

 今回、恨みのある俺だけでなく、恭也をも巻き込んだ。恭也はこの件で教師たちからの心象を悪くしただろうし、忍も巻き添えを食って怪我をするところだった。

 

 これ以上のさばらせておくと恭也や忍だけでなく、鷹島さんや長谷部、太刀峰にも悪意が向けられるかもしれない。それどころか俺の身辺を調べ上げて、最悪姉ちゃんにまで魔の手が伸びる恐れもある。

 

 危険性を除去しきれなかった俺の不手際だった。

 

 俺が言うのもなんだが、自分たちで素行を見直し、日頃の行いを考え直してくれるのではと思っていた。自分自身できていないことを、相手が率先して改めるなどと勝手に期待していた俺が愚かだったのだ。

 

 もう二度と同じようなことが起きないよう、手を下すべきだろう。今日で、後顧の憂いを絶つ。

 

 先輩たちはあれで家柄は良いらしく、親に連絡されては困るということから、基本的に教師の目につかないよう巧みに動いている。さすがに二年生三年生グループ総員による大乱闘は表沙汰になったが、それまでは教師たちに悟られずに行われてきていたのだ。彼らの意外なまでの周到さが窺えた。

 

 とはいえ、裏で画策することは、なにも彼らの専売特許ではない。その手の工作は、俺も得意としている。

 

 これ以上心配の種を増やすつもりはない。ここで方をつける。邪魔するものは徹底的に排除するのが俺のポリシーなのだ。

 

 扉に手を掛け、一気に開く。

 

「失礼します」

 

 生徒指導科の先生からは学校の帰りには寄り道せず、真っ直ぐ帰宅しなさいと指示されている。揚げ足取りみたいなものだが、学校の敷地からは出ていないのでまだ帰りではない。よって先生からの指示には反していない、という無理のある解釈。

 

 なんにせよ、謹慎処分を言い下されている身で報復行為に打って出ているのが教師にバレれば大目玉だ。今度こそ放校させられるだろう。

 

 明るみに出れば重い罰が待っているが、しかし、それならば見つからなければいいのだ。

 

 なにより、こんなに厄介な恥知らずの常識知らずたちを見過ごせるほど、俺は大人ではない。

 

 健康な身体でも、ガン細胞が一箇所あれば全身に広がる。感化されやすい若者であれば特に早く転移していく。完全に除去しなければ、解決しないのだ。

 

 周囲に悪影響を及ぼす前に、取り除かねばならない。

 

 俺の周りにいる人たちに手出しはさせない。

 

 呆然とした表情の先輩方に言い放つ。

 

「お礼参りに来ました」

 

 今日ここで、不穏分子は根絶する。

 

 

 学校を出て、商店街に寄って晩御飯の材料を購入してから家へ帰る道中。

 

 文化遊興部などという大層なお題目の、実質ただのお遊びサークルの部室でひと暴れしたが、グループのメンバー全員を処刑したわけではない。暇人とはいえ毎日毎日全員が揃っているわけではないようだ。

 

 取り敢えず、今回の写真事件の火種を作った主要メンバーらしい人たちには制裁を加えた。前までのように情けをかけるようなものではなく、惨めったらしく痛めつけ、恐怖を身と心に刻み込むやり方を取り、反発など起こさないように手を打った。もう一度今日と同じようなことをするなんて馬鹿なことは考えないだろう。

 

 学校側に垂れ込む恐れもない。露見する心配もない。

 

 下級生一人に対して上級生多数で相手をして、それでもなおぼろ負けしたとなればプライドがずったずたになるのだろう。あってないようなメンツを守る為に、喧嘩で負けたから先生に告げ口する、なんてことはできない。

 

 それに彼らが根城にしている《旧総合文化教室》は実習棟の端にある。校則に触れるようなことをしている彼らにとって人の目に触れにくいその立地は好条件なのだろうが、俺にとっても教師の目が届かない場所というのは都合が良かった。誰にも悟られずに『お礼』を執行できたのだから。

 

 肩にのしかかっている荷物の一つがなくなったことで、少しは気が軽くなった。肩の荷が下りた。

 

 帰路を歩む。我が家が見えたと思えば、電灯の明かりが窓からこぼれていた。姉ちゃんは帰ってきているようだ。

 

 話したくはないが、訊かねばならないことがある。普段であれば姉ちゃんは、この時間帯は仕事で家を空けがちなので、タイミングはよかった。

 

「おかえり、徹」

 

 家の敷地内に入ると、突然暗がりから声をかけられた。

 

「ただいま、姉ちゃん」

 

 街灯や家の明かりが届かない隅っこに目をやれば、我が姉がいた。

 

 長い茶色の髪を肩の辺りで白色のシュシュを使って纏め、身体の前に下ろしている。家でゆっくりする時の髪型だ。服装もショートパンツに、首元が大きく開いた薄手の長袖と、完全に部屋着である。

 

 姉ちゃんは俺の隣につくと、両手で持っていた買い物袋の片方を自然な流れで掴んだ。

 

「高校から連絡入っとったよ。恭也くんとやりおうたとかって。派手にやってもうたみたいやね。自宅謹慎一週間て」

 

「まあ、ね。ごめん」

 

「気にせんでええよ。それより恭也くんとは仲直りできたん?」

 

「うん、誤解は解けたから」

 

「そか」

 

 そこからはお互い、なにも喋らなかった。無言のまま歩く。

 

 予想通り鍵がかかっていない玄関の戸を開き、帰宅した。

 

 靴を脱いで玄関のを通って階段へ進み、二階のリビングへと向かう。

 

 姉ちゃんは自分の部屋へ行き、俺は買ってきた食材を冷蔵庫にしまう。

 

 俺が冷蔵庫に野菜や肉を全部しまい込んだくらいで姉ちゃんが戻ってきた。姉ちゃんはいつもの席、座布団が置かれている定位置で座る。

 

 俺は台所付近で、料理を作り始めるか先に話をするかどうかと悩んで佇立していると、座布団にお尻を乗っけて三角座りした姉ちゃんが隣をぽんぽんと叩いた。

 

 命令に従い、姉ちゃんの右隣に腰を下ろす。俺との間に空いたわずかな隙間を、姉ちゃんは俺に身体を預けるようにして埋めた。

 

「これ……プレゼント」

 

 姉ちゃんは俺の肩に頭を置いて、右手をまっすぐ伸ばした。俺のそれと比べると細く小さい姉ちゃんの手のひらの上には、その小さな手で包めるほどの大きさの箱。

 

 シュシュの拘束から抜け出した幾本かのさらさらとした髪が、俺の首元をくすぐった。

 

 俺は突き出されたその箱を受け取り、尋ねる。

 

「開けてもいい?」

 

 姉ちゃんは『ん』と一言だけ、短く答えた。

 

 包装紙をかりかりと剥がすと、暗褐色の入れ物が姿を現した。箱を両手で開く。案外固さがあった。

 

「これ、指輪?」

 

 一切装飾も施されていなければ、色合いにも変わったところはない。シンプルなシルバーの指輪だった。

 

「徹へのプレゼント買いに行くために恭也くんについてきてくれへんかって頼んでんけど、そのせいでなんか勘違いさせてもうたみたいやね。……ごめんな?」

 

「そっちの話も聞いたのか」

 

「恭也くんと忍ちゃんから電話もろうたんやわ。忍ちゃんからは二人を責めないで、って。恭也くんは約束破ってしまいました、やって。そんで、二人とも共通しとったんが『自分のせい』やっていうのやな。ほんまええ子らやんな。ちっとも、一片たりとも人のせいにしたりせぇへんねんから」

 

 くすくす、と楽しそうに姉ちゃんは笑った。

 

「恭也め……俺のせいにするとか言ってたくせに」

 

「恭也くんの性格考えたらそんなことするわけないやんか」

 

「そりゃそうなんだけど……これつけてみていい?」

 

「アクセサリーやねんから、つけてくれな困るわ」

 

 箱から取り出して、右手の指に嵌める。人差し指は、微妙にきつい。中指はサイズが合わない。薬指に嵌めてみる……よかった、ぴったりだ。

 

 愛する我が姉からせっかく頂いたプレゼントなのに、サイズが合わなくて身につけられないなど申し訳が立たない。

 

「はあぁ……よかったぁ。指の大きさとか知らんから不安やったんや」

 

 姉ちゃんは安堵の溜息をつきながら、鈴を振るような声で笑みをこぼした。

 

 照明に翳してみる。手の甲は影になって暗くなっているのに、薬指に嵌るシルバーの指輪だけは光り輝いて見えた。隣に寄り添う姉ちゃんの温もりが、その指輪に宿っているように感じた。

 

 なんの変哲もない白銀色の指輪に見惚れていると、胸元でエリーがぷるぷると振動した。ぽっと出の指輪に(アクセサリーとしての)正妻の座を奪われるのではないか、と危惧したようだ。

 

 その感情は俺には全く共感できなかったが、俺は(アクセサリーを身につけるのは)お前が初めてだから気を揉む必要はないぞ、と念じて服越しに撫でる。隣には姉ちゃんがいるので今は大人しくしていてほしい。

 

「しんどいなぁって思うた時はそれ見て思い出しいや」

 

 胸元に戻した俺の右手を、姉ちゃんは同じく右手で握る。優しく包み、指を絡ませた。

 

「徹の側にはいつもうちがおるし、恭也くんや忍ちゃんもおる。それに今は真希ちゃんや薫ちゃんとか仲良うなった友達もおるんやから、なんも焦ることなんかないんや」

 

 右手を絡ませたまま、姉ちゃんは自分の顔へと引っ張った。体勢が崩れそうになったが、幸いすぐ近くに顔があったので腕をちょっと伸ばしただけで届いた。

 

絡ませた指に柔らかい唇を添えて囁く。喋るたびに吐息が手に当たり、こそばゆくもあり暖かくもあった。

 

「徹には帰る場所があるんや、この家がある。徹がなにを背負ってるんかうちにはわからやんけど、『もう無理だ。これ以上頑張れない』て思うたら、なんもかんも投げ捨てて帰ってきたらええ。頑張ることはええことやけど、無理するんは別やねんから」

 

 俺が目を向ければ、姉ちゃんもこっちを見ていた。俺の肩に頭を傾けさせながら、上目遣いに見上げている。

 

 俺がなにをしているとか、隠していることがなんなのかとか、寸毫(すんごう)も探ろうとはしていない。(はしばみ)色の瞳には、疑惑や不信など混ざっていなかった。ただ純粋に、俺の身を案じている眼差しだった。

 

 暗くさせないように、俺に気負わせないように、姉ちゃんはふわりとした柔らかい笑顔を作る。

 

 その心遣いが凄く嬉しくて、そしていたく辛かった。俺が帰ってきてから、姉ちゃんは笑顔のまま表情を変えない。俺の負担にならないように努力してくれていることが、なにより苦しかった。

 

 ずっと、姉ちゃんは俺を気にかけてくれている。昔から、一番近いところで俺を守ってくれている。

 

 道場に通っていた時、怪我をして帰ってきた俺に手当てしてくれたのも姉ちゃんで、恭也や忍と出会う前、学校で浮いていて悪口を言われて傷ついた俺を慰めてくれたのも姉ちゃんだ。

 

 そして、両親が突然死んで、精神的に不安定になっていた俺を支えてくれたのも、真守姉ちゃんだった。

 

 自分も辛かったはずなのに、泣いてばかりだった俺を抱き締めて『なにがあっても守るから』と励ましてくれた。『やりたい仕事がある、夢がある』と言ってたくさん勉強して希望通りの学校へと進学できたのに、俺の世話をする為にそれも辞めた。その癖俺が義務教育を終えたらすぐに働く、と言ったら殴ってまで止めて『徹は好きな事を見つけて、好きな仕事しなさい』と高校に通わせてくれた。

 

 俯いてばかりだった俺の手を握り、笑って前へと歩みを進められるよう引っ張ってくれたのだ。

 

 血は繋がっていなくても、いつだって心は繋がっていた。

 

 俺は姉ちゃんがいたおかげでなんとか踏ん張ってやってこれた。おそらく、姉ちゃんも俺という庇護対象がいたから脇目も振らずに頑張ってきた。どちらかがいなければ、きっとどちらもすぐに壊れていただろう。

 

 でも、やっぱり時間が伸びただけであって、俺たちは徐々に壊れ始めていたのだ。

 

 まだ親の愛を必要とする時期に永遠に別たれた弱い俺たちは、温もりを分け合うようにして生きてきた。互いに依存しあうことで、生きる理由を見出した。

 

 それが壊れずに生きていくための唯一の方法だったが、そのせいで俺たちの家族愛の形は歪んでいったのだ。曲がって、捻れて、いびつになった。

 

 相手を愛して、頼って、求めて、擦り寄って、拘束して、束縛する。これまで俺や姉ちゃんが、彼女や彼氏を作らなかった要因の一つに無意識的な強迫観念があるのだろう。

 

 互いに互いを必要として、互いに互いを求め合う。世界の温もりは相手の体温で、世界の音は相手の声。二人だけの小さな、箱庭の世界。その世界で俺は、逢坂徹は生きてきて、逢坂真守は生きてきた。

 

 共依存の成れの果てが、姉弟愛や家族愛を超越した愛情だ。優先順位をつけるのであれば、自分よりも上位に位置づく。

 

 姉ちゃんを守るためなら、俺はなんであろうと切り捨てる。切り捨てる対象が自分であろうと、迷わない。

 

 そんな歪んだ愛情を育んだのは、俺たちが二人だけしかいなかったからだ。無償の愛に飢えていたのは、親からの愛がなかったからだ。

 

 兄妹姉妹関係が良好な恭也や忍でさえ、日常的に距離は置いている。一日中くっついているわけではない。

 

 恭也となのはも仲は良いが、頻繁に触れ合っているなんてことはない。忍とすずかも姉妹仲は極めて良好だが、くっつくなんてことは俺が見る限りそうあることではない。

 

 俺と姉ちゃんの関係は、あまりにも、異常なほどに近すぎるのだ。両親が健在だった頃はこんなことはなかった。大事な人たちを喪ってから、身体が直接触れるくらいの距離で接するようになったのだ。

 

 独りは寂しくて怖くて寒いから、温もりを欲しがる。同じ境遇で、同じ心境の相手へと手を差し伸べて、救いの手を求める。それが俺と真守姉ちゃんとの関係だった。

 

 常識からはかけ離れた姉弟関係。俺はそれを自覚しながら、これまで見過ごしてきた。

 

 構わないと思っていたのだ。敢えて答えを探して見たくもない現実を直視することなんかない。今まで通り、これからも馴れ合いと妥協と傷の舐め合いで生きていけば、なんの問題もない。そう思っていた。

 

 だが、状況が変わった。なんの変化もなく連綿と続くはずだった日常が一転した。

 

 箱庭の外を知った俺は、いろんな人と出会ったのだ。フェイトやアルフと仲良くなり、クロノやリンディさんと協力するようになり、リニスさんと戦った。

 

 その中で俺は、プレシアさんやリニスさんがしようとしていることを知ってしまった。

 

 彼女たちの戦ってきた理由、彼女たちの不可解な行動の訳、成し遂げようとしている願い。それらを目の当たりにした時、俺はどうするべきか分からなくなった。

 

 どうするのが最善で、どうするのが一番幸せなのか、判断がつかなくなった。

 

「ありがとう、真守(まもり)(ねえ)。あのさ、一つ訊きたいことがあるんだ

 

「帰る場所があるってわかってくれたらええんや。それよりどうしたん? そんな懐かしい呼び方して」

 

 答えを知らないといけない。俺が戦う目的を、俺が拳を振るうその理由を。

 

 誰のためでもなく、俺が望む結末を手に入れるために。

 

「勘違いしないで欲しいから先に言っておくけど、俺は今のこの生活に満足してる。いつも近くに真守姉がいてくれて、親友がいて、最近では高校でも友達ができた。学校の外でも、友達ができた。周りの人たちはとても優しくしてくれる。なにも不満なところなんてないし、不自由を感じたことはない。この二年間、幸せを感じたことはあっても、自分が不幸だなんて思ったことは一度もなかった。でも言いたい。俺の偽りのない本心を言わせてほしい。そして訊きたい、姉ちゃんの取り繕わない意見も訊かせてほしい。俺は……やっぱり親って必要だと思うんだ」

 

「うん、お姉ちゃん(・・・・・)も……そう思う。徹くん(・・・)がこんなに思い詰める前に、どこかでちゃんと話しておくべきやったんやろな。お姉ちゃんは弱虫やから、面と向かって親のこと話すのが怖かったんや。徹くんも、もちろんお姉ちゃんも、親を亡くすには早すぎたんやろな……」

 

 視線を落として、姉ちゃんは呟く。俺が問いかけることをわかっていたかのように、声こそ小さかったが震えさせることもしなかった。

 

 体勢を戻す。目を伏せているせいで髪に隠れ、表情を読むことはできない。

 

 俺の呼び方も、自分の呼び方も先までとは変化している。きっと姉ちゃんも、俺と同じようにずっと溜め込んできていたんだ。心の傷を見ないよう触らないようにしてこの二年間生きてきた。話題に上げるだけでも、精神的に負担がかかるのだろう。

 

「お父さんとお母さんが交通事故で死んでもうたんは知ってるやんな?」

 

「うん、それは知ってる」

 

「ここから先の話は徹くんにはしてへんかった思うけど、その交通事故な……道路に飛び出した女の子助けるために二人とも撥ねられてんて」

 

「助ける……ため?」

 

 両親が交通事故が原因で死んだのは聞かされていたが、詳しい状況までは知らなかった。いや、知ろうとしなかった。

 

 当時の俺はいきなり両親がいなくなったことがショックで、親の話を遠ざけていたのだ。

 

「笑えるやろ?可愛い我が子を遺して、なに他人の子ども助けようとしてんのよ」

 

 声だけならあっけらかんと言い放って聞こえるが、俺にはわかっている。これは姉ちゃんの強がりだ。俺に心配をかけまいとしている。その証拠に、身体は小刻みに震えていた。

 

 俺から距離を取ったのは、声は誤魔化せても身体の震えまでは抑えられないからだろう。

 

「本当に、なにしてんだよって話だよ。でも、やっぱりなって気もする。変に正義感が強かったから……」

 

 当時の俺ではこんなことを口にすることは出来なかった。なんとしてでも助けられた女の子のことを聞き出して責めに行った。断言できる。

 

 だからこそ思う、今聞いて良かったと。

 

 決して多くはないけれど、人生経験を積んだ今なら、車道に飛び出たという少女を助けた両親の気持ちがなんとなく理解できる気がした。

 

 きっと、なにも考えてなどいなかったのだろう。見ず知らずだろうが知人だろうが、赤の他人だろうが実の子どもだろうが、なんであろうと小さな子どもの身に危険が迫っていると認識した瞬間に、身体が動いたのだ。そこに自分がどうなるかなど考慮する隙間はない。

 

 恥ずかしながら、俺も似たような経験があった。つい最近のことだ。九頭龍から放たれた水弾から、なのはとフェイトを守らなければと考えた瞬間、いや、考えるよりも先に身体が一歩前へ出ていた。そして俺も、少女たちを庇ったら自分の身がどうなるかなんて考えもしなかった。

 

 結局、大事な時には考えるよりも先に動いてしまうのだ。

 

 ぐだぐだと考える必要なんてない。信念のあるがまま、魂が突き動かすまま、本能のままにやればいい。

 

 今は亡き父さんと母さんから、そう教えられた気がした。

 

「お父さんとお母さんのそういうところを徹くんも受け継いでるんやろな。お父さんからは精神的に、やけど」

 

 隣に座っていた姉ちゃんは膝立ちになって、俺の頭を抱きかかえた。

 

 つむじのあたりに口を当てて、姉ちゃんは俺に語りかける。

 

「お姉ちゃんは詳しいことはわかれへんけど、徹くんがやろうとしてることはきっと正しいんやと思うよ。好きなようにやったらいいんや。全部片付いたら、なにがあったかお姉ちゃんにも教えてな。お姉ちゃんは、この家で待っとくから」

 

 俺の頭を抱く腕を、そっと優しく握り返す。

 

「うん……ちょっとだけ、待ってて。みんなで幸せになるために頑張ってみるから」

 

 応援してくれている。姉ちゃんは今回もまた、力強く背中を押してくれた。

 

 何も訳を話そうとしない俺を信じて、送り出してくれている。勇気をくれたのだ、これでやらなければ男じゃない。

 

 俺は向かう先を見定める。もちろん、目指す場所はみんなが笑っていられるような世界。

 

 彼女たちの策略や思惑など知ったことか。そんな迂遠なものは引き千切って、もっと大それた結末を導いてやる。誰も犠牲にならずに済む、誰も悲しまずに済む、そんな結末を。




準備はあらかた終わりました。あとは完結に向けて進めていくだけです。あともう少しだけ、お付き合いください。

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