そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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謝罪は後書きにて。


譲れない一線

「た、助ける? 今一つ要領を得ませんね……。たす、助けるもなにも、このまま私たちを放置してもらえれば、私たちはそれだけで助かるのです。それだけで、救われるのですよ」

 

「魔導炉を暴走させて、持っているジュエルシードを強制発動させて、それらから(もたら)された膨大な魔力を使って次元の狭間に存在するっていうアルハザードへ旅立つ。そんなシナリオだったっけ?」

 

「そうです。その為にここまで……」

 

「もういいって、そんな建前」

 

 リニスさんの言葉を、俺は途中で遮った。今更そのような部分で論を交えて時間を浪費するのは馬鹿馬鹿しい。

 

 自分の台詞をぶつ切りにされたリニスさんは眉を(ひそ)めた。

 

「建前と言い切るだけの根拠は、なにかあるのですか? よく知りもしないのに知った風な口を叩かれると、正直不愉快です」

 

 敵意を剥き出しにリニスさんは食ってかかってくる。

 

 対する俺は、研ぎ澄まされた刃のように鋭いリニスさんの双眸から目を逸らさず、続ける。

 

「状況が変わったのは、四月二十四日。時空管理局が介入してきた日、だろ? 魔法という技術がないこの世界で、俺たちにジュエルシードの収集を邪魔された時も状況が変わったといえば変わったんだろうけど、致命的だったのは二十四日だ」

 

「…………」

 

 リニスさんの眼光は依然として鋭いままであったが、俺の話を遮らずに口を(つぐ)んでいた。

 

 俺はその沈黙を是と捉え、続ける。

 

「アルフから聞いたけど、その日を境に別行動を取るようになったらしいな。リニスさんと別れたフェイトとアルフは、それまでと同様にジュエルシードの回収を担った。それじゃあ、リニスさん。あなたはその時、何をしていたんだ?」

 

 リニスさんは深い溜息を一つついて呆れたように、(わずら)わしそうに口を開く。小馬鹿にしたような、いかにもなポーズまでとった。

 

 俺の目には大袈裟に過ぎるように映り、どこか演技臭さまで滲んでいた。

 

「わざわざ律儀に教える義務もないのですが、答えずにいることを逃げと見られるのは癪ですし、とても愉快な勘違いをしているようですので否定するためにお教えしましょう」

 

 俺を挑発するように、リニスさんは口元を嘲笑に形作った。

 

「プレシアの、私の主の身の回りの世話や、ジュエルシードの所在の調査、邪魔をしてくるだろう管理局の情報収集やデバイスの調整、他にはこの庭園の整備などもしていましたよ。いろんな事をやっていたのです。徹のご期待に添えなくて残念ですが」

 

 これまでであれば、神経を逆撫でするようなリニスさんの言動に大なり小なり気分を害しただろうが、俺の精神状態は落ち着いたものだった。すでに俺の中で答えが出ていることが、冷静でいられる理由なのかもしれない。

 

「いろんな事……いろんな事ね。危険を(おか)して管理局のシステムに入り込み、レーダー機器やモニターの映像にダミー情報を流したりとか?」

 

「……そういえばそんなこともしていましたね。拍子抜けするくらい簡単にできたので忘れていました。あの程度なら、カーペットの染みを落とす方がよっぽど大変です」

 

 リニスさんは虚仮(こけ)にするように鼻で笑い、視線を横にずらしながら肩を(すく)めた。

 

 苛立ちを煽るようなその大きなリアクションに、却って俺の思考はスムーズに回る。

 

 俺の言い分を否定するようなリニスさんの仕草。だが、決して俺の推測が間違っていると証明できるものではない。

 

 フェイトたちと別行動を取っていた間にしていた事が嘘か真かを判断する材料は俺にはないが、それでも違和感は感じていた。今のリニスさんの立ち居振る舞いにも、管理局のシステムにハッキングがかけられていると気づいたときにも、言いようのない座りの悪さを感じていたのだ。

 

「前に戦った時、なんでハッキングなんて手法を使って管理局に喧嘩を売るようなことを敢えてやったんだ、って訊いたけど、結局リニスさんはうやむやにしてたよな」

 

「そうでしたか? ふむ……あまりよく憶えていませんね。徹にとってはどうかわかりませんが、私にとってはさして重要な事柄ではないので」

 

 下唇に人差し指を当て、思い出そうとするように目線を宙に漂わせたリニスさんは一秒ほどそのポーズを取って、すぐに無機質な笑みを顔に貼り付けて、憶えていない、と言った。形ばかりのポーズは、暗にそんなことは興味ないと示しているようだった。

 

 遠回しにつついてみても、リニスさんは飄々と、あるいはぬけぬけとシラを切るばかり。埒があかないとなれば、直接切り込むまでである。

 

「フェイトとアルフがあの時点で捕まったら困るから、あんな回りくどいことをしたんだろ?」

 

「…………は? いきなり何を言いだすんですか?」

 

 余裕の笑みという仮面が剥がれ、リニスさんは口の端をひくつかせた。

 

 ここが狙い所だろうと判断する。落ち着きを取り戻す前に畳み掛ける。

 

「フェイトとアルフの二人だけでも生きていけるように、経験を積ませるために別行動を取った。でも捕まえられてはいけないから、少なくともあの時点では捕まえられてはいけなかったから、リニスさんは管理局のレーダー機器類に偽物の情報を流し続けていたんだ。あの時、優先順位はジュエルシードよりもフェイトたちの方が上だった。フェイトとアルフにあらゆる状況への対処法を教え込ませることが重要だった。だからジュエルシードの捜索にではなく、管理局の妨害に労力を割いた。ジュエルシードを集めるだけならわざわざそんなリスキーな真似することないしな」

 

「はっ……大層な妄想ですね。徹は私たちが悪人だと思いたくないが故に、そんな理想論に行き着いたのでしょう。的外れもいいところです」

 

「いいや、的外れなんかじゃないな。俺も最初はなんでいきなり態度が冷たくなったのか、フェイトに対して厳しく接するようになったのか理解できなかった。俺は人の心の機微に疎くてさ、親友からヒントをもらって、やっと答えを導き出せたんだ」

 

「っ……。徹はアイディアリストだったのですか? 優しい人であって欲しいと願うあまり、そんな結論に至ったのでしょう。徹の言っていることは現実的ではありませんよ。現実と向き合えていません。見当違いも甚だしい。的外れもいいところです。妄想するのは勝手ですが、その妄想を現実にまで引っ張り込んで来て私たちに押し付けないでください」

 

「妄想でもないし、現実から目を背けているわけでもないよ」

 

 俺も最初はリニスさんたちの術中に(はま)って履き違えていた。見事に引っかかってしまっていた。

 

 フェイトがアリシアのクローンで、アリシアの偽物で、プレシアさんにとって不要な存在だから邪険に扱われ、酷い仕打ちを受けているのだと、そう思っていた。そう思っても仕方のない所業を見せつけられていた。だが、それこそが落とし穴だったのだ。

 

「ほんのちょっと、目の向け方と考え方を変えただけだ」

 

「目の向け方……考え方……?」

 

 俺は一度、現状だけに捉われず、その先について考察してみた。現在のプレシアさん、リニスさん両名の心象のままで、この事件が進んでいけばどうなるかを考えてみたのだ。

 

 時空管理局のシステムにハッキングをかけ、現地の人間に多少なりの迷惑を与え、海の上では仲間であるはずのフェイトの不手際に対して痛烈に非難した。人道に(もと)るクローン技術という禁忌に手を伸ばし、第三者の面前で本人に直接、情け容赦なく言い繕うことも悪びれることもせず人工的に作り出された子である事実を暴露した。ジュエルシードを集めるためだけの道具と明言した。

 

 ここに至るまで、これらのような蛮行を目にしていた者たちならば、プレシアさんやリニスさんに良い印象を持つことはできない。一般的な良識と教養を持つ人間ならばどうしたって悪印象しか、どころか嫌悪の念すら抱くだろう。

 

 このネガティブなイメージ。これこそが今、一件に携わっている管理局員の大多数が感じている感情なのだ。

 

「まずは目を向ける場所……それは、管理局側から見たフェイトとアルフへの認識と、局員さんたちの心理だ」

 

 この状態で、プレシアさんの計画を阻止するなどして事件が解決、もしくは終息を迎えれば、管理局の局員さんたちはどういう行動に移るだろうか。

 

 無論、主犯格であるプレシアさんや、その使い魔であるリニスさんへは斟酌の余地なしとして断罪を下そうとするはずだ。数多くの人の命を危険に晒し、フェイトへ非情な接し方をしてきたのだから。

 

 ならば、フェイトやアルフへの対応はどうなるか。プレシアさん側に与し、ジュエルシードを集めていたフェイトやアルフはどうなるのか。

 

 俺は、時空管理局はフェイトに対してそこまでひどい扱いはしないだろうと予想する。

 

 たしかにフェイトもアルフも、ロストロギアであるジュエルシードを少々手荒な手段で収集していた。非難される点がないわけではない。

 

 だが情報が出揃っている今、フェイトの境遇をもう一度考えた時、同情の念を抱かずにはいられないのも確かだ。

 

 ジュエルシードを求めていたのは母親に命令されていたからであり、彼女自身にジュエルシードを集める目的や、叶えたい欲望はない。そうやって自分のためにではなく、親のためにまだ小さな子どもが必死になって頑張っているというのに、当の親、プレシアさんはフェイトに対して冷たく厳しく、苛烈に接する。不手際があれば魔法を浴びせ、挙げ句の果てにいらない存在とまで吐き捨てる。

 

 信じていた母親に裏切られ、見捨てられ、深く心を痛めた少女を見て、可哀想だと思わない人間はいない。実際に、善良な精神の持ち主であるアースラの乗員はみな、フェイト寄りの心情になっていた。

 

 魔法が認知されていない世界で魔法を使ったり、人目につくかもしれないほど大きなアクションを起こしてしまったことへの罪はある。罪があるのなら、それは(あがな)わなければならない。罰を受けなければいけない。

 

 しかし状況を(かんが)みて、フェイトとアルフには温情が与えられるだろう。

 

 使い勝手のいい便利な道具として使われていただけなのであれば、ジュエルシードを持ってくる機械として利用されていただけなのであれば、ある程度は考慮され、科せられる罪も幾分か軽くなるだろう。

 

 ここまでが、プレシアさんの計画が頓挫し、フェイトとアルフを保護したというケースを前提とした考察だ。

 

「本当にジュエルシードを必要としていたのはプレシアさんで、フェイトは命じられて、半ば強迫観念にも似た意識を刷り込まれて動いていただけ。つまり、『フェイト・テスタロッサは同情すべきことに、極悪非道にして悪逆無道なプレシア・テスタロッサに娘の代わりとして作り出され、思った通りの人格が形成されていないとわかるや否や切り捨てられ、莫大な魔力を有する願望器であるジュエルシードを集めるための、体の良い道具として利用された』と、管理局の人たちはそう考えているはずだ」

 

「それがなんだと言うのですか? 事実ですよ、利用したのは。計算外なのは、思った以上に使えなかったことですけど」

 

「……俺もその間違った答えに引っかかったんだ。怒りで思考が鈍って、そこからもう一段階考えを深めることができなかった。誤解してしまっていた」

 

「……迂遠で偏見に満ちた言い回しですね。要するに、何が言いたいのですか? 限りなく時間があるわけではないのですから手短に終わらせてくださいよ、妄想の戯言は」

 

 ここぞとばかりに俺の神経を逆撫でするように挑発してくるが、冷静に受け流す。

 

 彼女たちの裏の策に気付いていても、フェイトのことを悪し様に言われれば頭に血が上ってしまいそうだが、ここで耐えられなければいつかの倉庫での争いと同じだ。呼吸を努めてゆっくりにし、酸素を頭に巡らせ、身体に籠る熱を吐き出す。

 

「リニスさんは……いや、リニスさんだけじゃないな。リニスさんとプレシアさんは、フェイトとアルフをわかりやすいように、俺たちに見せつけるようにわざと突き放したんだ。悪意や嫌悪からではなく、愛情故に」

 

「ふ、ふふ……何を言うかと思えば。……くだらないですね。いったいどこをどう見て、なにをどう感じ取ればそんな(まか)り間違った答えになるのですか?」

 

「思い出せばいろいろ気づきそうな点はあったんだよな。リニスさんたちの態度の変わりようはあまりにも激し過ぎた」

 

「…………」

 

 リニスさんは俺を真っ直ぐ見据えながら、しかし口を挟むことはなく、唇は固く閉ざされたままである。その表情からはなにも読み取ることはできないが、反論されることもまた、ない。俺は続ける。

 

「見る立場を変えて考えて、やっとわかった。順序が逆だったんだ。フェイトの不手際があったから、今みたいな結末になったんじゃない。この結末を迎えるために、必要な手順を一つ一つ踏んでいったんだ。敵である立場の管理局員たちがフェイトやアルフに同情するように、リニスさんとプレシアさんは悪役を演じて、その身を以て俺たちの心理を誘導した」

 

 ひどく間抜けで、激しく滑稽な大立ち回りを演じたのちに、恭也から言われたセリフがある。

 

 ――大切な存在だから、たとえ傷つけてでも助けたいと思った――

 

 その一言が、問題を紐解く手掛かりとなった。

 

「リニスさんとプレシアさんは、フェイトとアルフを守ろうとしたんだろ」

 

「…………はぁ」

 

 リニスさんは声が聞こえるか聞こえないかくらいの声量で小さくため息をつくと、わずかに肩を落とした。今までの虚仮にするようなものではなく、思わず出てしまったような仕草。

 

「自分たちだけに罪過を集め、管理局員の心証を操作して、フェイトとアルフにかけられる罪を少しでも軽くしようとした。この後のシナリオは……そうだな、フェイトが自分たちを追ってこないように舞台から永遠に退場する、そんなところじゃないか? 管理局に逮捕されたら、フェイトがプレシアさんやリニスさんを助けるために戦おうとする可能性も、少ないだろうけどゼロじゃないし」

 

「……慣れないことはするものじゃありませんね。上手く演技したつもりではあったのですが……」

 

 憑き物が落ちたように、どこかすっきりとした表情になったリニスさんは、嘲笑に(かたど)られたマスクを剥ぎ、穏やかな笑みを見せる。

 

 俺の記憶にある、フェイトたちと過ごしていた時の優しいリニスさんの顔だ。ただ一つ違うとすれば、今のリニスさんの表情はひたすらに乾いたものであることだけ。

 

「演技に関しては、それはもう掛け値なしに。気づけたのはひとえに友人からの助言と、俺の諦めの悪さのおかげだな」

 

「いつかの倉庫であれだけ痛めつけたというのに、本当によく諦めもせずにいられましたね。考えることを放棄して、私たちが絶対的な悪であると認めたほうが楽だったでしょうに」

 

 ジュエルシードを探して向かった倉庫での一戦。戦いの中での会話の内容も、すべて思考を誘導するためのものだった。

 

 フェイトやアルフを散々に扱き下ろしたのは、フェイトたちとは立場や関係性が違うことを暗に示したかったのだろう。リニスさんとプレシアさんは命令する側で、フェイトとアルフは命令される側であると、知らしめておく必要があった。

 

 終始俺を挑発したのは、分の悪い話の流れを断つと同時に、俺が持っていたリニスさんへの印象を変えるため。

 

 俺を攻撃したのは(怪我の大半は自業自得に等しいが)もしかしたら管理局へ見せつけるという意図もあったかもしれない。俺がフェイトやリニスさんと仲睦まじくしていたことを管理局から追及されるかもしれないと考え、いらぬ火種を消そうとした。そう裏を読み取ることもできる。

 

 結局、倉庫での戦いは、リニスさんが俺から奪い取ったジュエルシード、エリーを返還したことでリニスさんの行動に違和感を感じる一因となったわけだが。

 

「それができたら苦労はなかったんだけど、どうしてもリニスさんが悪人だとは思えなかったんだ。フェイトたちに向けていた優しくて暖かくて、なにより綺麗な眼差しが、嘘や偽りだなんて思えなかった」

 

「……そういうふうに言われると、少し気恥ずかしいですね。……綺麗だなんて」

 

 リニスさんは頬をうっすらと染め、手に持つ杖をいじり始めた。大変愛らしいが、極めて真面目な話をしている最中にそんな可愛い反応をされても、こちらとしては対応に困る。

 

「いや、ちょっと待って……綺麗っていったのはフェイトたちに向ける眼差しについてであって……」

 

「そうでしたか……そうですよね。私は綺麗なんかじゃないですよね、自惚れでしたね……すいません……」

 

 俺が発言を訂正すると、彼女は落ち込んだようにしゅんとした。頭上の猫耳も垂れて、リニスさんの背後でぴんと伸びていた尻尾は元気なく下を向く。

 

 慰めずにはいられない落ち込みようである。

 

「いやいや、リニスさん自身ももちろん綺麗だよ。上から下までは言うまでもなく、猫耳のてっぺんから尻尾の先端まで余すところなくいい毛並みをして……っていうか、話を誤魔化そうとするな」

 

「すみません。こんな風に普通に徹と喋るのは久し振りでしたし、これが最後かと思うと、つい。実際問題時間に余裕があるわけではないので、話を戻しましょうか」

 

「是非そうしてくれ」

 

 いつの間にか雰囲気が弛緩してしまっている。真面目なままで会話が成り立たないこの状態が、リニスさんが演技をやめてくれたことの表れなのだとしたら少し嬉しいので、あまり強く言及はしないでおく。

 

 彼女は口に手を当てて、こほん、と一つ咳払い。

 

 折れていた猫耳は元に戻り、尻尾はゆらゆらと揺れる。

 

 先程より幾分か張り詰めた空気が辺りを漂う。

 

「徹は、私たちがやろうとしていることをすべて見破ってしまったのですよね」

 

「厳密に全部、とまでは言えないけど」

 

「先の話を、他の誰かにしましたか? 仲がよろしいらしい管理局の執務官や、フェイト本人には?」

 

「いいや、話してない。フェイトにもな。俺からじゃなく、直接母親と話をしたほうが良いだろうと思ったんだ」

 

 フェイトにはともかくとして、管理局の人間にも話を通さずにいたのにはいくつか理由がある。

 

 一つは俺自身、リニスさんたちが単なる悪人じゃないという説に絶対の自信があったわけではないこと。

 

 もう一つは、管理局の人たちはもれなく優しい性格揃いということを懸念した。リニスさんやプレシアさんが本気で戦ってくる以上、俺が下手に彼女たちの事情を話して、いざという時に判断が鈍るようなことがあったら死傷者が出るかもしれない。その点を考えると、安易に不確かな情報を流すのは躊躇(ためら)われた。

 

「そうですか、安心しました」

 

 俺の返答を聞いて、リニスさんはにこりと柔らかく微笑んだ。

 

 裏のない、偽りのない、心からの言葉と表情。

 

 だからこそ――

 

「それなら……徹の口を封じさえすれば、なにも問題はありませんね」

 

 ――リニスさんのセリフは俺の心臓を深く抉り、突き刺さった。

 

「なんで……なんでそうなるんだ! フェイトを本気で疎ましく思ってるわけじゃないんなら、これから戦う必要なんて……」

 

「今さら矛を収めてどうなるというのですか? 管理外世界における不正魔法行使に、ロストロギアの違法使用、管理局艦船への攻撃行為。取り繕うことはできませんよ」

 

「それらに関しては俺もいくつか手を打ってるし、それにリンディさんやクロノに掛け合って、どうにか助力をお願いして便宜(べんぎ)を図ってもらえるようにする。そりゃあ途方もない苦労を背負うだろうし、労力もかかるだろうけど、減刑してもらえるようになんとか……」

 

「プレシアは!」

 

 俺の説得を打ち消すように、リニスさんが声を被せる。火薬が炸裂するような、苛烈な一声。

 

「プレシアは……アリシアのことを、諦めていません。座標はもちろん、存在するかすら定かではない希望の都へ……時を操り、死者を蘇らせる魔法が眠ると伝えられるアルハザードへ、旅立つつもりでいます」

 

「アリシアのため……」

 

 プレシアさんは、フェイトの事を嫌ってはいない。それどころか、自分が汚名を被ってでも、フェイトを守ろうとするほどに大切にしている。アリシアのクローン体として作り出したフェイトを、一時は本気で疎ましく思っていたのかもしれないが、少なくとも今現在においては、自分の娘も同然に深く愛している。

 

 しかしそれは、アリシアを(ないがし)ろにする理由にはならないのだろう。

 

 細部は異なれど、アリシアと瓜二つのフェイトを近くに置いていても、それでもまだプレシアさんはアリシアを諦めることができないのだ。

 

「なるほどな……。だからこんなやり方、こんな手段になったのか……」

 

 プレシアさんサイドからすれば、今回のジュエルシードの一件に時空管理局が横槍を入れてきた時点で、叶えられる最大限の幸せが今のこの状況だったのだ。

 

 プレシアさんはフェイトもアリシアも、どちらも見捨てることができなかった。

 

 アリシアを捨てていれば、俺を経由して可能な限り穏便に事を運び、管理局側と和解することはできていた。

 

 危険な代物であるロストロギアが、管理外世界で被害を出さないようにするために自主的に回収作業を行っていた、などと説明すれば言い逃れはできただろう。しかし、その場合は所持しているジュエルシードをすべて管理局に引き渡さなければならない。ジュエルシードの魔力を使ってアリシアを救う手立てを見つけることは出来なくなる。

 

 フェイトを捨てていれば、ジュエルシードを集めさせるだけ集めさせ、用済みになれば切り捨てて、今頃は次元断層を発生させながらアルハザードへの船出を済ませていたことだろう。

 

 フェイトのことを気にかけていなければ、なのはと戦っているところにリニスさんを向かわせ、ジュエルシードを強引に奪い取ることも容易だった。様々な分野においてエキスパートと言えるリニスさんが直接ジュエルシードの回収に乗り出さなかったのは、一人でもフェイトが生きていけるように経験を積むのを見守るためだったのだから。

 

 裏を返せば、プレシアさんは二人ともを捨てたくないがために、未だここにいる。

 

 アリシアを救うためにはアルハザードへ行く他に道はない。だが、アルハザードは夢物語のような、妄想やフィクションと同列の信憑性に乏しい存在でしかない。その失われた都を探しに行き、戻ってきた者がいないことから、大変危険で困難な旅路になることは目に見えている。だからフェイトを一緒に連れて行こうとしないのだろう。アルハザードの存在を確信し、妄信しているのなら、アリシアと同じくらいに愛しているフェイトを連れて行かない理由はない。

 

 フェイトを死地に誘いたくないが故に、小芝居までして今回のような手を取った。フェイトが自分だけで生きていけるように、仮に管理局に捕まったとしても情状酌量してもらえるように同情や哀れみをフェイトに集中させ、プレシアさん自身は罪と敵意を自分に集めた。

 

 プレシアさんは罪科と悪感情を背負いながら時空の狭間へ旅立ち、取り残されたフェイトは同情されながら管理局に保護される。彼女たちが望んだ結末はこんなところなのだろう。

 

 とてもじゃないが最善とは言えない。それでも、次善の策としては申し分なく、そしてその次善の策は今や成就間近である。

 

 愛している子どもに、演技とはいえ本気で雷を落とすのは胸が痛かっただろう。心を打ち砕くような残酷な真実を告げ、傷つく姿を見るのは身が裂かれるような苦痛だっただろう。

 

 心臓を締めつけるような痛みを乗り越え、ようやく舞台が整ったのだ。山場であり瀬戸際、正念場であり分水嶺であるこんなところで邪魔が入ろうものなら、それがなんであろうと全力で排除するのだろう。

 

 ついた嘘は、貫き通さねばならなかった。

 

 このことが管理局に漏れれば、これまでのフェイトとのやり取りが管理局を騙すための作り物であったと疑いを掛けられ、フェイトの『親に捨てられた可哀想な少女』という印象は一変し、地に落ちる。

 

 フェイトにこの話が伝わっても、リニスさんサイドからすれば厄介なことになる。母親に嫌われていなかった。それどころかとても愛されていて、自分を守るためにあえて突き放したんだ、とフェイトが知ってしまったら、なにがあってももう母親から離れようとはしないはずだ。行き先が死地でも地獄でも、フェイトは笑顔でプレシアさんの隣に並ぶ。

 

 真相を知られれば、待っているのは残酷な結末だけ。そうリニスさんは結論づけた。

 

「そりゃあ、俺の話を認めるなんてできないよな……」

 

「ええ、ここで認めてしまえばこれまでの努力が水の泡です」

 

「これまでのプレシアさんの行いは愛する我が子を救い出したい一心からで、フェイトへの所業は守りたいという思いの裏返し……」

 

「それが周知されてしまえば、管理局がどんな反応を示すか想像することはできなくなってしまいます。フェイトだって、裏切られていなかったんだと知ってしまえばプレシアになんとしてでもついていこうとするでしょう。プレシアは、欠片ほどの希望も見えない旅にフェイトを連れて行こうとはしません。フェイトまで、己の欲望の為に死なせようとは思っていないのです。……徹が黙っていてくれるのなら、見逃します。ですが……」

 

 向けられる眼光は刃物のように鋭く、発される雰囲気は重くて、なにより冷たい。

 

 手に持つ杖、金色の球体がついている先端部分を俺に向けて、彼女は言う。

 

「他言すると言うのなら、あなたをここで排除します」

 

 譲れない一線。

 

 それがここであると、彼女の瞳は雄弁に語っていた。

 

「俺にも考えがあって、協力してくれたら万事うまくいくかもしれない。……そう言っても、たぶん、聞き入れてくれはしないんだろうな」

 

 戦わずに済むのなら、言葉を交わすだけで済むのなら、それに越したことはない。そう思って一縷の希望に縋ってみるが、彼女の返答は予想通りのものだった。

 

「もうすぐ目的は達成されます。一番望んだ結末ではないにしろ、最低限の願いだけは叶った結末なのです。『もしかしたら』とか、『うまくやれば』みたいなギャンブルには乗りません。私たちは、現実がどれほど残酷かを知っているのです。そういった期待や希望は、総じて裏切られる」

 

 『運命』だったと、そう言って考えることを放棄して、心を殺して諦めてしまえば楽だろう。

 

 でも、彼女たちはそんな『運命』を認めはしなかった。冷酷で無慈悲な『運命』に真っ向から抗っている。

 

 本当に大事な物以外すべてをかなぐり捨ててまで、かすかに輝く光に手を伸ばそうとしている。それこそ、自分の身すら顧みずに。

 

「なにかに縋って膝をつき、現実から逃げて目を瞑り、手を組んで祈りを捧げるような、そんな無駄なことはしません。どれほど辛く重くとも一歩足を踏み出し、後ろは振り返らず前だけを見据え、両手でしっかりと杖を握り、振るう。私は、稀代の魔導師の使い魔ですから、主の行く道を遮り、譲らないのであれば、何であろうと排除します。それがたとえ……徹、あなたであっても」

 

 これは彼女なりの誠意、なのだろう。

 

 覚悟を見せ、ここで退くようにと、遠回しに忠告しているのだ。これが最後通告だと。

 

 だが、俺もここで退くことはできない。退くわけには、いかない。

 

「リニスさんの決意と覚悟、信念は受け取った。でも、ごめん。俺は我が儘で欲張りなんだ。最小限の不幸とか、最低限の幸福とか、そんなんじゃ満足できないし、納得できない。みんなが幸せになれなきゃ、俺は嫌なんだ」

 

 平和で穏便な話し合いで事が終われば、それが一番良かった。

 

 しかしそれはあくまで理想であって、実際のところ話だけでなんとかなるだろうなんて、本気で思ってはいなかった。俺はそこまで夢見がちにはなれないし、現実から目を背けることもできない。

 

 とどのつまり、いつだって自分の意志を伝えるためには、いつだって自分の意見を押し通すためには、いつだって自分の意地を貫くためには、相手に直接ぶつかるしかないのだ。

 

「そう……ですか。徹なら脅しなどに屈することはないだろうとは思っていましたが、やはり残念です」

 

「やっぱり戦うしかないんだな、残念だ」

 

「殺したくは、なかったのですが……」

 

「おいおい、俺は負けるつもりはないし、ましてや殺されるつもりなんか毛頭ないぞ。これ以上リニスさんたちに余計な罪状を上乗せさせる気はない」

 

 こうなって欲しくはない、と願いつつも、しかし、こうなるだろうことは予期していた。

 

 互いに譲れない信条がある以上、言葉での解決なんてできない。仮にできたとしても、そんなものは無意味だ。相手を心から納得させられなければ、禍根を残す。

 

 こういった場合の解決方法は、太古の昔から相場が決まっている。拳を交え、つまりは単純な武力によって、どちらがより正しいか白黒つけるほかないのだ。

 

「俺が勝ったら、さっきの話を認めた上で俺に協力してもらう」

 

「私が勝った時は……なんて、別に言う必要もありませんね。私が勝つという事は、徹が死ぬということですから。真相に気づいてしまった以上……徹の口を塞ぐほかありません」

 

「リニスさんから『口を塞ぐ』とか言ってもらえるなんて、シチュエーションが違えば飛び跳ねるくらい嬉しかったのにな。惜しむらくは、色気のある方じゃなくて血生臭い方の意味だってことだ」

 

「色っぽい方の意味でもして差し上げますよ。(むくろ)に別れの口づけを、ね」

 

「俺がその感触を堪能できないんなら意味ねぇよ。口づけの方は是非またの機会に、俺の意識がある時お願いするかな」

 

「その条件ですと残念ですが、機会はなさそうですね」

 

「いやいや、これからは嫌というほど時間があるから、機会ならいくらでもあるだろうさ」

 

「おかしな事を言いますね。もうすぐ人生の幕が下りるというのに」

 

「そっちこそ変な言い方をする。これからみんなで、世知辛い世の中だけど、幸せな第二の人生が幕を開けるってのにさ」

 

「長編の悲劇は心を(むしば)むのです。もう終演ですよ」

 

「勝手に終わらせんなよ。それならカーテンコールで無理矢理引き摺り出すまでだ」

 

「ふふっ、くだらないですね」

 

「そっちが振ってきたから乗ったのに……」

 

 互いに掛け合いをしつつも、着々と準備を進めていく。

 

 リニスさんはにこやかに微笑みながら杖を握り直し、俺の一挙手一投足を見逃すことがないよう注視している。

 

 対して俺は、魔力付与の魔法を全身に纏い、両の拳を固く握り締め、今すぐにでも跳び出せるように床を踏んで足元を確認する。

 

「リニスさんたちの斜め下を向いた計画は絶対に阻止してやるよ。いつだってハッピーエンドはあるってことを……証明してやる」

 

「最後の最後に楽しい時間を過ごせました。徹、ありがとうございました」

 

 リニスさんは右手の杖を掲げ、振りかぶる。

 

 距離があっても、静電気が弾けるようなぴりぴりとした感覚が肌を刺した。紛れもない本気の殺意に、肌が粟立つのがわかる。

 

 増していく緊張感に、心臓の律動はピッチを上げていく。模擬戦や試合などではない、本当の闘い。命を賭けた殺し合い。気を抜けば一瞬で刈り取られそうな圧倒的強者の威圧感は、素人上がりには耐え難い苦痛だ。

 

「それでは……」

 

 暗がりで獲物を待つ猫科の瞳のように、リニスさんの双眸が妖しく輝いた。杖が、振るわれる。

 

「……死んでください」

 

 俺の視界は、淡褐色に染まった。

 




およそ二か月ほどあいてしまいました。
待ってくれている人がまだいるのかどうかもわかりませんが、遅れてしまって申し訳ないです。

自分にシリアスや小難しい話は荷が重いというのに、なぜ手を出してしまったのか。
テンポが悪い。無駄に長い。どこが必要でどこが必要でないのかの判断すらわからなくなってしまった。後悔と共に反省の日々。


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