そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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悲しくて、悔しくて、辛くて、虚しくて、寂しくて、なにより痛かった

 リニスさんは渾身の力で杖を振るったことで重心が傾いている。カウンターを出される恐れはない。

 

 思い切って踏み込み、下から顎を跳ね上げるように拳を放つ。

 

「当たれば怖い……ですが、そのように強振ではやろうとしていることが見え透いて、います……」

 

 身体ごとくるりと回転して背けることで、俺のアッパーを躱す。

 

 彼女は一回転したその身体の流れのまま、床を蹴って飛び退る。

 

 俺との間の、わずかばかり生まれた間隙を利用し、杖を突き出して彼女は魔力弾を展開させる。

 

「この距離で、躱せますか?」

 

 一秒の半分も経たぬ間に作り出した射撃魔法は三発。俺に動く暇も与えないと言わんばかりに、展開した三つの魔力弾の(くびき)を解き放つ。首輪を外された飢えた獣のように、三つの射撃魔法は淡褐色の尾を引いて俺の血肉を貪らんと突進を開始した。

 

「っ…………」

 

 この浮足立ちそうなほど至近距離の光景を、俺は目を見開いて注視する。

 

 術式の演算、魔法の展開、射撃魔法自体の初速も途轍もなく速い。これだけなにもかも速いというのに、頭数も三発と少なくない。

 

 だが、その速さと数が、この魔力弾がどっちか(・・・・)を決定付けるヒントになる。

 

「…………直射、型……」

 

「っ?!」

 

 魔力弾の向こう側にいるリニスさんの顔が驚愕の色に染まる。

 

 この時の庭園での戦いが始まってから、一度も見せていなかった直射型の射撃魔法。これも誘導弾だと取り違えていたら、防御も回避もタイミングを外される。ここまで誘導型ばかり使っていたのは俺にその速さを覚えさせ、ここぞという場面で直射型を使うためだったのだろう。

 

 布石を置いて相手の動きを誘導するその読みの深さ、神算鬼謀には舌を巻く。

 

 だが、あえてここは回避には回らない。回避して遠回りすれば、必ずリニスさんは次の手を打つ。零距離以外でなら手数が多いのは向こうなのだ。

 

 彼女への道を遮る障害が魔力弾三つなら、いくらか被弾してもこのまま距離を詰めるべきだ。次近づこうとした時は、遮る壁が砲撃に変わっているかもしれないのだから。

 

 リニスさんへの最短距離を中央突破。その最短ルート上にあるのは三発の魔力弾のうち一発。

 

 左腕に魔力付与を多めに回し、腕のすぐ上に障壁を展開させる。腕を盾の代わりとし、俺は突貫した。

 

 誘導型ではなく、直射型の射撃魔法なら弧を描いて背後から襲ってこられる心配もいらない。腕に走る痛みだけを、覚悟すればいい。

 

 展開した障壁を破り、腕に纏った魔力付与の上に着弾。着弾時の爆煙を切り裂き、リニスさんへと肉薄する。

 

「この距離から……逃がしはしない」

 

「ひぅっ……っ、こ……このっ」

 

 左腕から伝播する衝撃と焼けるような痛みを呑み込んで、拳を振るう。

 

 さっきの一合で学習した。一発躱されただけで、ほんのわずかな攻撃の隙間を縫って彼女は距離をあける。

 

 ならば絶対に回避されてはいけない。直撃させることができれば重畳。でもそれができないのなら、最悪でも防がせることが必要になる。足を止めて防ぐのなら、そこからまた攻めることができる。

 

 距離を置かせない。それが、俺が生き残れる唯一の可能性。攻撃の嵐から身を守るための、たった一つの安全地帯。

 

「シッ!」

 

「かっ、ぁうっ……」

 

 下から掬い上げるように放たれるボディブローが、リニスさんの細い身体に突き刺さった。

 

 威力は物足りなくても、溜めの短いコンパクトな一打。これでいい、今はこれで充分なのだ。彼女が退く時間も、魔法を使う余裕も与えなければ、それでいい。

 

「この近さなら、魔法など使わなくともっ……」

 

 姿勢を低くして懐に潜った俺の頭部を狙い、リニスさんは手に持つ杖の柄の部分を振り下ろそうとする。

 

 相手が間近にいるのなら、先端の球状部分を当てにいくよりも柄で攻撃したほうが遥かに動線が短く、動きがスムーズだ。俺でもそうする。リニスさんなら、絶対にその行動を取ると予想していた。考え方の傾向が似ている彼女が相手だから、俺は次に取るだろう手が読める。

 

「そう。そうくると思ってた。だから、置いた(・・・)

 

 爆発音とともに、彼女の呻き声が小さく聞こえた。髪が爆風ではためく。

 

 杖を握るリニスさんの右腕。その動きの起点となる箇所に誘導弾を仕込んでおいた。

 

 以前に鮫島さんから教えられた、というより身体に教え込まされた神無流の技『不動』を元に考案したもの。身体を動かす時、人は無意識に重心を移動させている。その重心移動の邪魔をすることができれば、人は満足に動けなくなる、という原理だそうだ。

 

 とはいえ、俺は鮫島さんほど完璧に動作の始点を捉えることはできない。『不動』という技は、鮫島さんのように長年の経験から(もたら)される感覚性の先読みと、相手が動く前に先んじて制する攻撃速度があって初めて成立する。

 

 それらを違う要素で補っているとはいえ、鮫島さんのように相手の動きを完全に停止させることはできない。できないが、それでも一向に構わない。不完全だとしても動きを阻害できたり、勢いを削ぐことができればそれでいい。なによりも恐れなければいけないことは、攻撃を受けて意識が途切れたり、足が止まることなのだ。

 

「こんなちゃちな曲芸で、止まりはしません!」

 

「止まりはしなくても、動きは鈍ったな」

 

 一直線に振り下ろされるはずだった杖の柄による打撃は、俺の誘導弾に阻まれたことによって速度は落ち、軌道はぶれた。

 

 俺は即座に動き、リニスさんの一突きを避けると同時に背後に回り、ボディブローを叩き込んだ箇所とほぼ同じところに膝を入れる。膝蹴りの威力を受け流すことはできなったのか、確かな手応え――この場合、足応えと呼ぶべきか――を感じた。

 

「がっ、は、ぁ……っ、ぅ……」

 

「…………」

 

 続け様に同じ部分に喰らったためか、リニスさんは被撃箇所の脇腹を押さえてよろめいた。口元は苦痛に耐えるようにきつく閉じられていて、額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 

 リニスさんの苦しそうで、焦った表情を見て、俺の中で二つの心が鬩ぎ合う。このまま集中し、反撃にだけ気をつけて攻めれば押し切れる。そうやって闘争心を焚きつける心と、リニスさんたちを助けようとしているのに、当の本人を打擲(ちょうちゃく)して苦しめているという矛盾を糾弾(きゅうだん)する心。

 

 どちらが正しいとか、どちらが間違っているとか、そんなことはもう俺に判断できない。どちらを選んだとしても、自分に『俺は正しいんだ』と言い聞かせて正当化しているに過ぎないのだ。

 

 俺の案は、俺の願いはみんなで最大限の幸せを手に入れること。そのためにはリニスさんたちの協力が必要不可欠になる。だから協力してもらうために、俺の願いを貫くために、リニスさんと戦って、そして勝利してリニスさんに認めてもらわなければならない。

 

 ならばリニスさんを、今自分がやっているように苦しめていいのか。そう自分に問いかけた時、俺は『しょうがないから』とは言えない。考えようとしていないだけで、思考の隅っこに追いやっているだけで、行動の矛盾には気づいていた。助けるために、助けたい人を傷つけるという本末転倒も甚だしい矛盾に。

 

 この二つの相克する心は反発しあい、いずれ大きなエラーを生む。それがわかっていても、俺は問題を解決できない。二つを両立させる画期的な妙案が浮かばないのなら、いっそのことどちらかを選んでその心を、志を貫けばいいのに、それもできない。

 

 結局俺は、問題を保留にして思考の片隅に追いやって考えないようにしている。そうしないと、どっちつかずで動けなくなる。今はただ、勝つことだけを優先事項として掲げて拳を振るうしか、俺にはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 この空間において、本来遠隔攻撃として使われるはずの射撃魔法は、打撃のバリエーションの一つと化していた。

 

 極端に距離を詰め、隙の小さい拳撃や蹴撃で格闘戦のレンジから逃がさないように戦闘を運ぶ俺を見て、リニスさんは、下手に後方へ退こうとするのは逆に危険である、と判断したようだ。後ろに下がろうとする足を止め、白兵戦で応じた。

 

 魔導師だというのに至近距離で殴り合い、その上お互い使う魔法はごく限られている。身体能力を強化・補助する効果を持つ魔法と、近接技と化した射撃魔法のみ。防御魔法も拘束魔法も使わなくなっていた。

 

 リニスさんが障壁も魔力の鎖も発動させないのは、近さに依るものもあるが、俺には意味がないと理解しているからだ。

 

 俺の拳撃を障壁で防いでも、内部から切り崩されてすぐに突破される。仕込みに使っている誘導弾は見えないため、障壁を張ったところで無駄になる。拘束魔法を使っても結果は同じ、すぐにハッキングで(ほど)かれる。かえって魔法の行使に演算と意識を向けるぶん、手元が(おろそ)かになって危険性が増えるくらいだ。

 

 俺が障壁を張らない理由は、彼女のそれより単純かつ明快だ。防御に割く余力があるのなら、攻撃に割く。ただそれだけである。

 

 魔力付与による身体強化の恩恵で、攻撃のみならず身体の耐久性も向上している。たとえいいのを何発か貰っても、歯を食い縛って我慢すればなんとかならなくもない。根性論ではあるが、痛みを堪えるだけの気力を維持できていれば、戦闘は続けられるのだ。

 

 つまりは防御魔法すら切り捨てて、攻めに徹している。

 

 捨て身の特攻、短期決戦。そう表現すればまだ聞こえはいいが、この行動には切羽詰まった理由がある。

 

 もう、防御に充てるだけの魔力すら、心許ないのだ。

 

 格闘術の心得はある。しかし、それが通用しているのは、魔力付与という身体能力の底上げがあってこそだ。身体強化すらできなくなってしまえば、魔法を使われるまでもない。リニスさんのジャブ一発で呆気なく沈む。悲しいかな、それについては自信がある。生身の身体で戦えるような世界でないことは論を()たない。

 

 一合また一合とやり合う間にも、俺の魔力的タイムリミットと余命は刻一刻とその数字を減らしていく。

 

 魔力を節約するために気合と痩せ我慢で穴を埋めようとしているが、それでも終わりは近い。底は見えている。

 

 死と絶望の断崖絶壁一歩手前みたいな状況だが、望みはある。

 

「かっぁ……っ、こっ……ちょこ、まかと……っ!」

 

「随分苦しそうだな、息も上がってるし。早く認めてくれたら、俺もこんなことしないで済むんだけど。心が痛いよ」

 

「……殴られ……ている、わたっ、しのほう……がっ! 絶対、痛いです……!」

 

 リニスさんの表情の変化が、強がりを維持できている希望だ。もうすぐ勝てる、そう思えるから全身を苦痛に苛まれながらも踏ん張れている。

 

 リニスさんは魔法戦において遠近問わず卓越しているし、格闘戦に関しても秀抜した腕を持っている。アルフの先生役を務めていたのだから、そのほどは窺い知れる。

 

 しかし、そのリニスさんを俺は圧倒、とまでは口が裂けても言えないが、互角か互角以上に渡り合えている。この距離に入ってからの被弾率は、俺よりも彼女の方が多いのだ。

 

「それなら早く……俺に協力するって言ってくれよっ! 頼むから!」

 

「がっ……ぁ。ふっ……っ! 本当に……もうっ。しつこい、鬱陶しい……。ずっと密着してきて少しも離れない。何度打っても顔色一つ変えずにまた迫ってくる……あなたはゾンビですか。もう人間ではないですよ……」

 

 俺の一打を浴びて瞳の奥の光が消えそうになったが、リニスさんは息を一つ吐いて持ち直す。

 

 切れそうになった意識を再度繋ぎ合わせ、彼女は杖を横薙ぎに振るう。俺がそれを屈んで躱せば、的確に身体の中心を狙い、蹴放(けはな)しを繰り出す。

 

「それでリニスさんに協力してもらえるなら、今だけは俺……人間じゃなくてもいいよ……」

 

 真っ直ぐに貫くような軌道の蹴放しは、繰り出してから相手に届くまでが早く、直撃すれば絶大な威力がある。だが横から払うような普通の蹴りとは違い、足を突き出して行うため、威力の高いポイントを上手く当てるのは難しい。そして直線的というのは、短時間で相手に届く利点があると同時に、見切られれば捌かれやすいという欠点でもある。

 

 格闘術を嗜む者にとっては常識の範疇だ。俺も武道を習っていた時分では、使う時には注意が必要だと教えられていた。実際にこの身に叩き込まれたのだから、その捌き方も頭と身体が記憶している。

 

 身体を左にスライドさせながら、左手で足の側面に触れ、軌道をずらす。左手で触れた蹴りの勢いを自分の後方に流しながら、その勢いも利用して自分の身体を半回転、遠心力を乗せた右の拳を相手の身体に叩きつける。

 

 幼い日の記憶だったが、身体は思った以上に機敏に動いてくれた。

 

「んぐっ……。もう……もうっ!」

 

 ほんのわずかな差でリニスさんの反応速度が勝り、俺の旋回裏拳は強靭な杖によって防がれた。

 

 彼女の持ち前の反射神経と動体視力によってクリーンヒットしなかったが、こういった展開が次第に増えてきている。リニスさんが攻撃し、俺が捌いて打つという展開が。

 

いくらリニスさんが近接戦においても並外れて優秀とはいえ、やはり魔導師だ。訓練する時間は魔法に関することの方が多いだろう。どちらか得意なほうを、自信のあるほうを選べと問われれば魔法戦を選ぶはずだ。

 

 それでも、使える魔法の大部分を封じられても、それだけならここまで俺に攻め込まれることはない。得意ではないといっても、決して不得意ではないのだから。

 

 天秤が俺に傾いている要因は、彼女の得物と交戦距離にある。

 

 俺はなるべくリニスさんから距離を取らないように、数字として表すなら一メートルも離れないように常に心掛けている。格闘戦にしたって近すぎるだろう、と自分でも思うが、この台風の目が最も安全地帯なのだ。

 

 この目と鼻の先の位置では、魔法を使うより、得物を振るうより、拳を突き出すほうがなによりも早い。

 

 もう少し離れれば、あとお互い一歩ずつでも下がれば武器のリーチを活かせるだろうが、このほぼ零距離では功を成さない。どころか、手が封じられる分邪魔なくらいだ。

それでも彼女は杖を手離さない。否、手離せない。殴打にも使えるとはいえ、デバイスなのだ。いざ砲撃などの大規模な魔法を展開させるに至った時、(デバイス)がなければ支障が出る。文字通りの意味で一撃必殺の威力を備えた魔法を行使するために、手元から離すわけにいかないのだ。

 

「……たくない、使い……ないのに……」

 

「……?」

 

 拳撃やそれを防御する音、踏み込みの際の地鳴りで掻き消されているが、リニスさんがなにかを呟いているのが、かすかに耳に届いた。

 

 思わず意識を傾けたその瞬間を狙ったのか、それともただの偶然なのか、リニスさんは魔力弾を目線より一~二メートルほど高い空間に作り出した。作り出されたそれらは、すぐさま俺と彼女の視線を縦に突っ切って床まで叩き落とされる。

 

 魔力弾の出現に寸時ばかり身構えた俺は、バックステップで距離を取るリニスさんに即座に反応ができなかった。

 

 魔力弾は床で爆ぜ、石材を撒き散らし、砂埃を巻き立たせる。一瞬だ。ほんの一瞬、だが完全に、リニスさんの姿が砂煙のカーテンで閉ざされた。

 

 常時であれば、確実にこの場を離れて様子を見るだろう。

 

 この向こう側でどんな恐ろしい(魔法)牙を剥いて(展開されて)いるか、想像するだけで足が竦みそうになる。できることなら離れて仕切り直したい。

 

 しかし、それは許されない。

 

 ここで離れてしまえば、近接戦で苦労を味わったリニスさんはなんとしてでも俺に近づかれないようにするだろう。空いた間をもう一度埋めるだけの体力は残っていない。魔力も、気力も、同じくだ。

 

 近い未来に避けられない死が、俺の後ろで手ぐすね引いて待っている。ならば、どんな恐怖が待ち受けていても前に進むしかない。いつだって希望は目の前にしかないんだ。

 

 リニスさんの後を追い、視界を遮る砂煙に踏み込む。

 

「……お願いします。これで……墜ちてください」

 

「地獄の底まで落とす気かよ……」

 

 カーテンの向こう側を覗けば、リニスさんが杖の先端を俺の眼前に突きつけている。明確な恐怖と考え得る限り最悪の悪夢が、(あぎと)を開いて待っていた。

 

 バックステップと同時に演算を開始していたのだろう。魔法は既に発動する時を今か今かと待っている状態で、杖の先端、球状の部分は淡褐色の輝きを溢れさせている。

 

 杖の先端の球体が光っているということは、射撃ではなく砲撃。命中すれば劣勢なんぞ容易くひっくり返せる威力を有している。一発逆転の大博打だ。

 

 ここで砲撃を放たれれば顔が焼けるとか溶けるとか、そんな温い次元の話では済まない。砲撃の直径によって誤差はあるだろうが、少なくとも首から上を綺麗さっぱり吹き飛ばしてくれること請け合いだ。スタン設定解除プラスリニスさんの全力砲撃なら、そのくらいは保証できる。できてしまう。

 

 まさしく読んで字の如く、死という概念を目の前に突きつけられた。

 

 どうすればいい、俺の生存確率が高い選択はどれだ。

 

 命の灯火が消える瀬戸際になって、思考の回転速度はギアを上げる。視界が灰色に染まった。

 

 ここはセオリーに則って防御に徹するべきか。

 

 打開案が提出されるがすぐさま却下される。

 

 銃口は目の前数十センチだ。障壁なんて配置するには狭すぎるし、仮に張れたとしても今からではあまりにも時間的猶予がなさすぎる。展開できて通常障壁が三枚といったところ。角度変更型、もしくは密度変更型なら一枚か、いいとこ二枚が限度。どれにしても数秒も保たずに焼き払われるのが目に見えている。そもそも、ここで残り僅かしかない魔力を障壁に注げば、運良く防げたとしても後がない。数手の内にチェックメイトだ。

 

 ならば回避するか。

 

 これも現実的ではない。砂煙に突っ込んでしまったのが現状だ。重心は前方に傾いているし、足にも体重が残っていない。加えて、駆けたために片足は宙に浮いている。とどめには、杖の位置だ。ご丁寧に俺の顔の中央にエイムしている。多少身体を傾けたり、地に触れている片足で精一杯床を蹴っても、砲撃の範囲から逃げ出せるとは思えない。それ以前に、距離を開くことが死に繋がるから俺は踏み込んだのだ。ここでなんらかの奇跡が起こって回避に成功したとしても、結局展開は変わらない。

 

 誘導弾を当てて照準をずらすことができないか。

 

 無理だ、時間が足りない。誘導弾を仕込みとして使っていたのも、そうすることでしか威力をキープできなかったからだ。威力のみを優先し、弾速を二の次三の次どころかばっさりと切り捨てた俺の術式では、今更展開してもリニスさんの杖に届くまで時間がかかる。

 

 もう、打つ手はないのか。リニスさんの言葉に耳を傾けたあの瞬間で、運命などという曖昧ななにかが決められたというのか。

 

 こんなところで、全てが終わってしまうのか。

 

「――っ!」

 

 諦めない。絶対に諦めない。ここで俺が死んだら何が残るのだ。何を遺せるというのだ。

 

 息絶えるその瞬間まで頭を回せ。

 

 ジュエルシードと関わってから、魔法と関わってから、少なくない回数俺は戦ってきた。その戦闘の記憶から、なにか使えそうな手を引っ張り出せないか。

 

 思えば俺は、戦うたびに死にそうなくらい辛い目を経験してきた。相手は総じて格上ばかり。なのにハンディキャップの一つもない。まともに使える魔法といえば魔力付与くらいな俺がそのレベルの魔導師相手にやり合うには、この身を弾丸として素手喧嘩(ステゴロ)で突っ込むような、死に物狂いの戦い方のほかになかった。

 

 強者たちと渡り合うためには、自分が持っているもの全てを使ってもなお足りない。俺には手札が少なすぎた。

 

 相手に合わせ、襲い来る魔法に合わせ、その都度自分の持っている魔法を変化・適応させなければ、すぐに地に伏すことになる。単純に持っている手札を切るだけでは、乗り越えられないほど高い壁ばかりだった。

 

 一般的な障壁では展開した途端に撃ち砕かれるから、術式から見直して密度や角度を書き換えた。飛行魔法を使えないというディスアドバンテージは、防御魔法を応用することで克服した。相手の障壁の強度が高く、外側から破壊できない時にはハッキングで内側から脆弱にした。相手の砲火が激しく、諦めそうになった時は障壁を重ね合わせるという手段で切り抜けた。拘束魔法で縛り上げられれば、術式内部に侵入し耐久性を下げて引き千切った。射撃魔法に撃ち抜かれそうになれば射線上に障壁を配置して防いだことだってある。

 

 今でこそ、それらは集中さえすれば大した苦もなく行うことができるようになったが、窮地を脱する策を閃いた当時はまさしく、生きるか死ぬかの瀬戸際だったと言える。俺が今この場所に立っていられるのは、弱音を吐いても臆病風に吹かれても泣きべそかいても、それでもいつだって諦めずに前を向いて手を伸ばしたからだ。

 

 

 

     手を――伸ばす。

 

 

 

 極限の集中で視界がチカチカし始めたが、それに引っ張られたのかいくつかの情景がフラッシュバックした。

 

 初めて自分の意思で障壁にハッキングをかけ、素手で破壊した時。拘束魔法の術式を破壊して回って引き千切った時。

 

 戦闘の記憶だけではない。魔法を知ってすぐの頃の記憶も浮かび上がってくる。ユーノがデバイスの役割について説明してくれていた時のもの。

 

 最後の記憶は霞んでいてとても朧気だったが、ぎりぎりどういうシチュエーションなのか理解できた。砲撃が放たれている杖に向かって、俺が手を伸ばしている光景。

 

 フラッシュバックした出来事や記憶は、それぞれ一つ一つは時間も場所も状況すらばらばらで、統一性はなかった。俺の頭の中から無作為に数カットを選出した、と言われれば納得してしまいそうなほど関連性が見られない。

 

 なのになぜか俺は瞬時に、おそらく本能的に、あれらの記憶が示す意味に気づいた。

 

 俺は、手を伸ばす。

 

「何をしても無駄です。これで……終わりにしましょう?」

 

 伸ばした先は、淡褐色の光を辺りに散らす杖。

 

 彼女が何をしても無駄と言った通り、俺が触れても杖は微動だにしなかった。杖を握って照準をずらそうとしても無意味だと、そう言いたかったのだろう。

 

「きっと痛いとは思いますが、我慢してください。おやすみなさい、徹」

 

 だが、俺の狙いはそんなことじゃない。俺の目的は杖の身に触ることにあった。触れるだけで、よかった。

 

 疼痛を発し始めた頭に、もう少し踏ん張れ、とエールと一緒に鞭を送る。

 

 できるはずだ、きっと。これまでやってきたことが嘘じゃないのなら。

 

 リニスさんは杖を俺に向け、俺はリニスさんの杖の先端を握る。そんな構図が、数秒ほど続いた。

 

 砲撃は、放たれなかった。

 

「……? な、なぜ……なぜ砲撃が展開しないのですかっ?!」

 

「おやすみするには……まだ少し明るすぎる、かな……」

 

 俺はこれまで、いろんなものに自分の魔力を潜り込ませてきた。障壁等の防御魔法、魔力で編まれた鎖を巻きつける拘束魔法、果ては機械にまで。潜入する対象が魔法であれば、内部プログラムの破壊を目的とし、対象が機械であれば望んだ情報を直感操作的に閲覧していた。

 

 ユーノは言っていた。デバイスとは術者の代わりに魔法の演算を担ってくれるものであると。術式を記録、保管しておいてくれて、術者はその場その場でどの魔法を使うか選び、魔力を込めるだけでいい。術者の負担を軽減させるのがデバイスの役目だと。

 

 砲撃を防ぐまでの工程は、総合的に見れば、今までやってきたことの集大成みたいなものだ。

 

 魔法にハッキングして術を壊した。機械にハッキングして、欲しいものだけ抜き取った。そんなことができるのならば、相手のデバイスにハッキングして、必要な情報(砲撃魔法の演算式)だけを選び取り、それを妨害することだってできるはずなのだ。

 

 最後のフラッシュバックが示した意味は、なんてことはない。生きるために、死地に一歩踏み込む勇気を持て、ということだ。準備が整っていて、あとは号令を待つだけのデバイスに突っ込むのは、なかなかどうしてスリリングな体験だった。心臓の鼓動が頭にまで響くほど、緊張で心拍数が上がっていた。

 

「…………」

 

 発動前の砲撃を破壊することはできた。いや、発動していないのに破壊というのは少し語弊があるだろうか。言い直そう。砲撃の発動を阻害することに成功した。それにより、俺の命を(おびや)かしていた脅威は取り去ることができた。

 

 できたが、 デバイスの術式を覗き見て、俺は一つの疑問を抱くこととなった。リニスさんのミスなのか、それとも故意にやっていたのか、はたまた元から彼女のデバイスがそうなっていたのか、俺には知る由もない。きっとその理由を、俺は知らないほうがいい。今は、知ってはいけない。

 

 俺は鬱屈とした気持ちを肺に溜まった空気と一緒に吐き出し、拳を握りこむ。

 

乾坤一擲(けんこんいってき)の攻撃に失敗したリニスさんへ視線を合わせた。

 

「どう、して……っ、こんなにっ……」

 

 砲撃の発動を阻害されたことで、リニスさんは大きく動揺したようだ。呆然と目を見開いて、動きを完全に止めてしまう。

 

 このチャンスを、みすみす逃すことはできない。左手で杖を握ったまま、もう一歩、彼女の近くへと踏み込む。

 

 リニスさんの心はひどく揺らいでいる。揺らぎ過ぎている。一か八かの勝負だったのだから、失敗を嘆く気持ちはわからないでもない。闘志や誇りや決意を、あの一撃に込めていたのかもしれない。

 

 だとしてもだ。それらを考慮しても、彼女の動揺は深すぎる。杖に触れられ、攻撃を防がれたまでならまだ仕方ない。誰が魔法の発動を邪魔するなどという、頭のネジがぶっ飛んだことを予期できるというのだ。やらかした当の本人である俺ですら、数秒前まで思いつきもしなかった。だからその点については仕方ない。

 

 しかし、防がれた後も俺に杖を握られたままで、さしたる抵抗も見せず、更なる接近まで許した。

 

 冷静な判断や、的確な対処ができるような心理状態ではないことは理解できる。それでも、なんらかのアクションは起こせただろう。リニスさんなら、なにか反応はできたはずだろう。

 

 その不自然さが、俺の心に形容できない(おり)のようなものを沈ませる。

 

 もやもやとしたもどかしさはある。リニスさんの静かさも不気味だ。だが、すでに踏み込んで、重心は前方へと向けられている。引き返すことはできない。

 

 俺はリニスさんの胸のど真ん中目掛けて、拳を振り抜いた。

 

「がっぁ、……ぁ」

 

「なんで……っ!」

 

 何にも邪魔されることなく、俺の一撃は彼女の真芯を捉えた。一切の誇張はない。『何にも邪魔されることなく』である。

 

 体術で捌かれもせず、後ろに跳ぶことで威力を流されもしなかった。それどころか、身体強化の類いの魔法の気配すら、感じることができなかった。

 

 俺の手に残っているのは、薄い肉と細い骨を打った感触。倉庫での一戦を含めたリニスさんとの戦いで一番強く手応えを感じ、一番心が痛んだ一撃だった。

 

 俺の全力を浴びたリニスさんの身体は、まるで人形のようにふわりと地面から浮き上がり、殴られた勢いそのままに後方へと吹き飛ぶ。数メートル飛翔したところで、壁に背中を強く打ちつける。

 

 壁面に一本二本ほどひびが走った。細かな破片が落ち、床を鳴らす。

 

 壁際に追いやられても、リニスさんは攻撃の意思を示さず、背中を壁に預けて首を垂れていた。痛みはあるだろう、苦しくもあるだろう。だが意識を刈り取るほどのダメージではなかったはずだ。にも拘わらず、彼女は動こうとしない。

 

「…………ッ!」

 

 そんな彼女を見て、俺はどうしようもない遣る瀬なさを感じた。胸中に吹き荒れるこの感情を、どこに持って行けばいいかわからなかった。

 

「リニスさんッ! あんたはッ!」

 

 立ち惚けていた足を爆発させるように駆ける。視界の真ん中に彼女を据え、無心で接近する。

 

 攻撃されたらどう防ぐか、どう躱すかといった理性的な考えはなかった。理性的な考えもなにもない。頭の中は真っ白で、何も考えていなかった。

 

 いきなり勝負を捨てるような真似をしたのを見て、なにもかもを諦めたような振る舞いを見て、俺の中で、ばちん、となにかが弾けた。

 

 こんな終結を俺は望んだわけじゃない。明日を掴むためにリニスさんに認めてもらい、俺の計画に協力してもらう。そのためにここまで頑張ってきた。その為なら、なんだってする覚悟でいたのだ。

 

 なのに、それなのに、最後になって試合放棄はあんまりだろう。そのことが俺は悲しかった。悲しくて、悔しくて、辛くて、虚しくて、寂しくて、なにより痛かった。

 

 短絡化した思考は途中の論理や筋道をすっ飛ばし、頭に結論だけを()げた。当初掲げた目的、彼女に勝利するという信念に盲従し、感情の奔流とともに彼女へと向かう。

 

 力任せの踏み込みで床に亀裂を刻み、構えもなく、姿勢も乱れた拳撃を放つ。

 

 その寸前、リニスさんが顔を上げた。

 

「くそっ、がぁっ……っ!」

 

 俺はこの手を、振り抜いた。


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