三文小説家のススメ(仮)   作:新鮮グミ

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第2話

 家に引き返すつもりであったのを急遽取り止め、慧音先生のもとへ向かうことにした。空に広がるモノの正体が不明である以上、あまり人気(ひとけ)のない所へ行くのは得策でない。

 魂の抜けたように呆然と立っている店主に代金を押し付け、寺子屋へ足を向ける。

 

 里の中は阿鼻叫喚の地獄絵図であった。それも仕方のないことだと思う。

 これまで幻想郷では人里の外における妖怪の襲撃こそあれ、かくのごとく大掛かりな異常事態は起きたことがなかった。

 人里は絶対の安全地帯だったのだ。

 

 それが今回は此方にまで影響が及んでいる。恐怖するなと言う方が無茶だろう。

 必死に足を動かしながら、ふと小鈴のことを考えた。彼女はもうこの異変に気付いたのだろうか。それともまだ呑気に本を読んでいるのだろうか。引き返して無事を確かめたくなるのをぐっと堪えて走り続けた。

 

 寺子屋の前に着くと、そこには既にちらほらと人々が集まっていた。みな慧音先生を頼ってやって来たのだろう。中には赤子を抱えた婦人もいる。

 間もなく、慧音先生が姿を現した。随分と切羽詰まった様子だった。先生が私たちの前に立つと、周囲の村人たちは一斉に縋るような声を上げた。

 

「せんせぇ、こりゃいったい何がどうなっとるんですかぁ」

「あれは何!? 妖怪がやったの!?」

「なあ、さっき、南の方から妖怪がこっちに飛んでくるのを見たって奴が」

「おお、祟りだ……神は我々を見捨てたもうたか……!」

「しっかりしろ、狼狽えるんじゃない!」

 

 慧音先生の一喝が響き渡る。

 

「いいか、お前達は今すぐ家に帰って戸締りをしろ! 命が惜しければ、あの赤い何かの正体が分かるまで一歩も外に出るな! 人里の警備は私と自警団のみでやる。分かったらとっとと帰るんだ!」

 

 二の句を継がせぬ勢いで先生が叫ぶと、それに圧されたのか、群衆の猛りはいくらかの落ち着きを見せた。

 どうやら先生も現状はよく理解できていないらしい。となれば、ここは素直に引き返すべきだ。

 

 そう考えて踵を返そうとした時、いつの間にか近づいてきていた先生に呼び止められた。

 

「杜乃、お前の家は人里の外れだろう。妙な事態になる前に早く引き返した方がいい」

「分かってます。先生、手が空いたらで良いので、鈴奈庵を見に行ってくれませんか。恐らく無事だとは思いますが」

「覚えておこう。それと杜乃、面白そうだからって里の外に出たりするんじゃないぞ。今度は頭突き一発じゃ済まさないからな」

「……了解です」

 

 心底嫌がった顔をトラウマから来る肯定と受け取ったのか、先生は納得したように頷き、足早に去っていった。里中に注意を触れ回るのだろう。

 小鈴に何事もなければいいのだが。

 

 先生の指示通り、私は余計なことをせず家に籠っておくことにした。幸い、暇を潰すための本は腐るほどある。

 そう、ちょうど鈴奈庵で借りてきたばかりの本の塔が……。

 

「本、茶屋に忘れてきちゃった……」

 

 仕方なく私は茶屋に戻った。なんだか出鼻を挫かれた気分である。

 

 ○

 

 翌日の朝になって先生が家に来た。

 本の散らばりようや溜め込んだ洗い物などをひとしきり叱責されたのち、告げられたのは大体以下のような報せである。

 

 曰く、あの紅いものは妖怪が生み出した霧と見てほぼ間違いない由。

 曰く、人間があの霧を吸い込んでしまうと体調に少なくない悪影響が及ぶ由。

 曰く、あの霧には妖怪を高揚させる作用がある由。

 曰く、数日経っても霧が晴れなかった場合、『博麗の巫女』に解決を依頼する由。

 

「博麗の巫女って言うと、あの山の上のぼろ神社に仕えてる巫女ってことですか」

「ああ。博麗の巫女は代々、妖怪退治の専門家だからな。今度の異変もしっかり片付けてくれることだろう」

「すぐに依頼しないのには何か理由が?」

「一応、昨日の段階で頼みに行った奴は居るんだ。けど追い返されたみたいでな。『数日続くようならまだしも、一日程度じゃ異変とは言えない』ってさ」

「やる気あるんですかその巫女」

 

 先生は黙って苦笑した。語るに落ちるとはこのことである。

 

「そうそう。昨日あれから鈴奈庵を見に行ってみたんだが、三人とも無事だったよ。父親だけ農作業中だったから少し体調を崩しているが、医者が必要という程でもない」

「そうですか。それはよかった」

「阿求殿ももちろん無事だ。……まあ、あの人はこれからが大変だろうが」

「村人たちの相手をしながら幻想郷縁起を首っ引きで漁らなきゃならないんですからね。ぶっ倒れないか心配ですよ」

「なんだかんだ上手くやるだろう。阿求殿はあれでなかなか強かだからな」

 

 慧音先生は野菜と肉の詰まった籠を手渡すと、別の家に見回りに行くと言って我が家を後にした。

 最後にぼそりと口にした「それはそれとして、嫁入り前の娘がこんなだらけた生活を送っているのは如何なものかと思うぞ」という言葉は耳を塞いでいたのでよく聞こえなかったが、まあ幻聴か何かだったのだろう。

 

 薄汚れてひび割れた硝子の窓からでも、空に広がる紅い霧はよく視認できた。

 妖怪というのはあれだけ大掛かりな異変をいとも容易く起こしてしまえるのだと思うと恐怖を通り越してもはや呆れすら覚える。

 

 一体どんな妖怪が何の目的でこんな事態を引き起こしたのか。目論見通りに霧が広がって、黒幕は今何を思っているのか。非常に好奇心を刺激された。

 是非とも事の詳細を知りたい。あわよくば本人……本妖? に会って問い質してみたい。

 

 しかしそれが叶わぬ願いであることは私自身が一番理解していた。

 私は先生のように超常の力を持っているわけでも博麗の巫女とやらのように妖怪退治に熟達しているわけでもなく、ただの貧弱な三流物書きに過ぎない。

 敵の本丸に踏み込んでいったところで瞬きの間に解体されるのが落ちだろう。

 

 そもそも私はこの異変を解決するために必要な情報——例えば、敵の戦力だとか居場所だとか——を何一つとして知らないのだ。

 この状態で戦おうとするのは戦国武将が敵国の城の位置も兵の規模も知らないまま戦に出ようとするのと同じで、とどのつまり馬鹿の愚行である。

 

 このまま私の肢体のように脆くて射命丸の腹の底ぐらい汚いあばら家の中で、異変が解決されるのをひっそりと待つのが一番いい。

 話を聞く限り博麗の巫女とやらは相当に優秀なようなので、黒幕を討ち仕損じるということもないだろう。

 

 そう自分に強く言い聞かせて手元の本に目を落とすのだが、全くと言っていいほど内容が入ってこない。

 よく見ると上下が逆さまである。私は馬鹿馬鹿しくなって本を閉じた。

 

 松尾芭蕉は『おくのほそ道』で「そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず」などとやたらめったらに書き、旅に出たいという思いをこれでもかと熱弁しているが、今ならその気持ちが少なからず理解できるような気がした。

 

 ○

 

 以前読んだ伴天連の本に『地獄への道は善意で舗装されている』というようなことが書いてあった。

 加えて耶蘇教で堕落の象徴とされる堕天使は黒い羽を有している由だから、射命丸は私を地獄へ引きずり下ろさんとする獄卒であると見てまず間違いはない。

 

 紅い霧が出現してから二日後の昼、徹夜で本を読み耽った反動で眠りこけていた私は、どんどんと戸をぶっ叩く音で目を覚ました。

 また慧音先生が見回りにでも来たかと思い、軽率に錠を外したのだが、それは大きな間違いだった。

 

「おはようございます、杜乃さん。起こすのが少し早すぎましたかね?」

「……なんであんたがここに居んの。原稿ならもう渡したでしょ、仕事以外の要件でまであんたの顔なんか見たくないわ」

「やだなあ、私と貴女の仲じゃないですか。そんな堅っ苦しいことは言いっこなしですよ」

「なーにが”仲”よ。あんたと『文々。新聞』の共同作業者以上の関係になるつもりなんて、私にはないわ」

 

 射命丸は私の苦言を聞いているのかいないのか、恐らく聞いていないのだろうが、部屋中を見渡して顔を顰める。

 

「なんか前来た時より汚れてません? 外があれで中がこれじゃ本当の廃墟みたいですよ」

「私の生活様式に最適化されているだけよ。別に誰も困らないんだし構わないでしょ?」

「そりゃそうかもしれませんが、貴女はもう少し乙女の恥じらい的な物を身に付けた方が」

「生活態度にケチつけに来ただけなら帰ってもらっていいかしら。私いま本当に眠いのよ」

「あやや。私としたことが、つい四方山話に花を咲かせてしまいましたね。それじゃ閑話休題、本題に入りましょうか」

 

 そう言うと射命丸は私に勧められるのを待たず、勝手に床へ座り込んだ。

 泥水のような色合いの背広は既に畳んで脇の方へ置かれていて、その上には鳥撃帽が乗っけられている。意地でも居座ってやろうという魂胆が透けるどころか丸見えであった。

 

 こうなってしまっては実力行使でしか追い出すことは不可能である。そして私は射命丸をどうにかできるほどの膂力を持ち合わせていない。

 つまるところ手詰まりというわけであるから、私は観念して座布団の上にふてぶてしく腰を下ろした。

 

「で? 今度はいったい何の用なの?」

「あの紅い霧の事ですよ。こんな緊急の要件でもなければ、この御時世にいちいち人里にまで下りてきません」

「まあ大体そんなところだと思ってたわ。あんたがこんな大事件を記事にしない筈が無いものね」

「当然です。記者ですから。この二日間、私はあちこちを飛び回って騒動の手掛かりを探してきました。今回訪ねさせてもらったのは、調査の結果いくつかの事実が判明しましたので、それを杜乃さんにお伝えしようと思ったからなんですよ。こういうの気になって仕方ないタイプでしょ、貴女」

「……それはありがたいんだけど、いったいどういう風の吹き回し? あんたが全くの善意でこんなことするとは到底思えないんだけど」

 

 眉を顰めて訝しがる私の顔を、射命丸は至極愉快げに眺めている。

 まるで大人に悪戯を仕掛ける幼子のような笑顔だ。

 

「このくらい造作もないことですよ。杜乃さんは大切なパートナーですから」

「妙な言い方をしないで頂戴。せめて仕事仲間と言いなさい」

「はいはい、大切な仕事仲間ですから。ところで杜乃さん、あなた今回の異変について詳しくお知りになりたいんですよね?」

「そうね。ちょっと不謹慎なような気もするけれど、誰がどんな思惑で始めた事態なのかが気になるわ」

「でしたら一つ、私から提案したいことがあるんですよ」

「却下」

「話くらい聞きましょうよ」

 

 そう言いつつも、射命丸は眉一つ動かすことがない。

 私のしそうな反応ぐらいまるきりお見通しというわけだろう。えも言われぬ敗北感がある。

 

「あんたが持ってくる提案なんて、どうせロクなもんじゃないでしょ」

「まあまあ、そんなつれないこと言わないで。呑むかどうかは聞き終わってから決めてもらって構いません」

 

 射命丸は顔の前で手を合わせ、拝むように「お話だけでも」と呟いた。奴がこういう殊勝な態度をとる時は大抵ロクな事にならない。

 だから私はさっさと射命丸を突っぱねて人里の自警団に引き渡し、万年床に潜り込んで惰眠を貪るべきであった。

 

 しかし、ああ、なんと恐ろしきかな紅い霧の魔力。私は好奇心に負け、つい頷いてしまったのだ! 

 

「……話を聞くだけよ。その提案、気に入らなかったら絶対に受けないから」

 

 眼前の悪魔は口元を三日月のように釣り上げ、今にも邪悪な笑い声が聞こえてきそうな顔で言った。

 

「勿論です。安心してください、決して貴女に損はさせませんよ……」

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