三文小説家のススメ(仮) 作:新鮮グミ
射命丸から譲り受けたペン、魔除けの札、大量の紙、燐寸、万一の為にとしたためた遺書。
それらを全て、巾着の中と着物の袖に無理やり捩じ込み、真夜中を待ってあばら家を出た。
「……よし」
空を見上げ天心に月を探すも、見つけることは叶わない。
それは酷く涼しい夜だった。
静謐ながら、人ならざる者の蠕動をつぶさに感じる奇怪な夜明け前だった。
人里と森を隔てる門には自警団から選び出された守衛が立っていたので、私は屋根伝いに里を脱出して森の中に転がり込んだ。
射命丸とはそこで合流する手筈となっている。
乱立する木々が途切れ、少し開けた場所に奴は居た。昼間の妙な変装ではなく、鴉天狗本来の服装をしていた。
射命丸は私の姿を見るなり、おどけたような口調で言った。
「ちゃんと来ましたね。怖気付いて直前にやめちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしてましたよ」
「それであんたが地団駄踏んで悔しがるっていうなら、喜んでそうしたでしょうね」
「酷い人だなあ。わざわざ小説のネタになりそうな話を持ってきてあげたというのに」
「……ま、それに関しては感謝してるわよ。爪の先ほどには、だけど」
「冷たいですねえ」
「妥当な扱いでしょ」
いつも通り飄々とした様子で、射命丸は「参ったなあ」とまるで参っていないような声をあげた。
「じゃ、早速向かいましょうか。脇の下持たれてぶら下がるか、お姫様抱っこか、どっちがいいです?」
「万が一にも落っこちない方」
「なるほど、おまかせということですか! でしたら、杜乃さんには少しばかりお姫様になっていただきますね!」
そう言うと射命丸は文句を言う暇も与えず私を担ぎ上げ、瞬く間に空へ飛び上がった。眼下には森林が屹立し、頭上には零れたワインのような色の霧が広がっている。
射命丸が漆黒の羽根をしならせると、おぞましい速さで飛行を始めた。
○
遡ること数ヶ月、霧の湖のすぐそばに突如として出現した悪趣味な赤い城。今回の異変にはそこが大きく関連しているというのが射命丸の推測だ。
紅い霧が湖の方からやって来たのを見たという目撃情報があったらしい。
こんな胡散臭いルポライターに情報提供を行う捻くれ者が居ることにも驚いたが、こいつがなんだかんだ真面目な仕事をしていることにはもっと驚愕した。
てっきり適当な思い付きで私を引っ張り出したのかと思ったのだが。
「ですから申しましたでしょう。私は真実しか報道していないのですよ」
「そこには同意しかねるわね」
「いや、しかねるとかではなく。『文々。新聞』は”清く正しく”がモットーですので」
「そのモットー、”せこく怪しく”に変えた方が良いわね」
「まあそれは置いといて、件の赤い城……『紅魔館』についてです」
「何、そんな名前付いてるの?」
「ええ。門番と話をしたという妖精から聞きました。センスの欠片もない名前ですね」
「まったくよ。外壁の色合いにしろ捻りのない名前にしろ、主人は相当な変わり者か、そうでなければ大馬鹿に違いないわ」
紅く、魔物の棲む館で紅魔館というのはあまりにも安直が過ぎる命名だ。例えば私が自分の家に対し、荒れて人の住む庵だから『荒人庵』と名付けるようなものだろう。センスの有る無しを超えて、もはや恥ずかしくなってくるぐらい酷い。
此度の異変を小説とするにあたり、絶対に紅魔館の名は使うまいと心に決めた。
「しっかしあんたもムチャ言うわね。『紅魔館に潜入取材をするというのはいかがでしょう?』なんて」
「あ、今の私の真似ですか? 全く似てませんでしたね!」
「うっさい。……で、何か策はあるの?」
「策、ですか?」
射命丸はポカンとした表情になった。
知性を全て谷底に落っことしてきたような驚くべき間抜け面である。
「仮にも魑魅魍魎の蠢く魔窟に飛び込もうってんのよ。行き当たりばったりでどうにかなるとは到底思えない。どうにかして屋内に忍び込む方法を考えなくちゃならないわ」
「……あー」
「何よ、その顔は。まるで何も考えてませんでしたとでも言いたげじゃない」
「まるでと言いますかそのまんまと言いますか……ああ待って! 待ってください! 冗談ですからその冷たい目をやめて!」
「つまんない冗談言わないでくれる? 危うく軽蔑するところだったじゃない」
「もうしてるでしょ、貴女」
私は否定も肯定もしなかった。
「それで、どうやって侵入するのよ。穴掘って地面の下潜って行くの?」
「巌窟王ですか貴女は。普通に裏手から塀を越えて忍び込んでください」
「そんな稚拙な方法で上手くいくかしら」
「普段なら無理ですが、今日ならば可能なはずです。正門が忙しくて裏まで監視が行き届かないはずですからね。問題は中に入った後ですよ」
そこで射命丸はいったん言葉を切った。どうやらこっちの方が本命の話題らしい。
「紅魔館の内部はほとんどが謎のままです。妖魔の数も、勢力の規模も、何一つとして判明していません」
「そんな状況の場所によく私を放り込もうと思ったわね。もしかして間接的に殺そうとしてる?」
「まさか。それならもっと上手くやりますよ」
「でしょうね。あんたはそういう奴よ」
そう言ってやると、射命丸は照れ臭そうに微笑んだ。こちらとしては全く褒めたつもりはないのだが、やはり頭のどこかがおかしいのだろうか。
「それで侵入後の為に、杜乃さんには天狗の羽団扇をお渡ししておきます」
「天狗の羽団扇って……」
「我々天狗が持つ魔道具ですね。人間が使っても、死ぬ気で振れば大妖怪の動きを止めることだってできます」
「死んだら駄目じゃない」
「駄目ですね」
「使えないわね」
「無いよりマシでしょう。そこらの有象無象程度なら軽くあしらえるはずです」
飄々と言い放った。大妖怪と遭遇した場合のことを一切語ろうとしないのが実に射命丸らしい。
「というか、良いの? こんな大切そうな物を私に寄越して。あんた達のとこってそんな開放的な規則してたっけ?」
「駄目ですね。他者に、それもよりによって人間に貸与したとなれば処罰は免れられません」
「じゃあこれ持っていけないじゃない」
「まあバレませんって。貴女が紛失したり、密告したりしない限りは、ですが」
「あらそう。ならこれは忘れずに捨ててくるわ」
「別に今ここから貴女を捨ててもいいんですよ」
「嫌ね、冗談に決まってるじゃない」
「つまらない冗談を言わないでくださいよ。うっかり幻滅しそうになっちゃったじゃないですか」
「もうしてるでしょ?」
射命丸は鼻を鳴らして笑った。私は微塵も笑わなかった。
○
霧の湖に差し掛かったころ、我々は夜空に煌めく極光の束を見た。凄まじい光度と熱量を持った光線である。
それは私と射命丸のすぐ脇を突き抜けていった。
「あやややや、追いついてしまいましたか」
「ちょっと、今の光線は何? あんた何か知ってんの?」
「あれは異変を解決に向かった人間が撃ったものですよ。この辺りは妖精が多いので、大方それ目掛けてぶっぱなしたんじゃないですかねえ」
「変な嘘言わないでよ、あんなとんでもないものを発射できる人間がいるもんか」
「それが居るんですよねえ。人の身でありながら人ならざる外法に手を出した存在、いわゆる魔法使いってやつです」
射命丸は徐々に高度を落とし、湖の
「本当は紅魔館前までお送りする予定でしたが、ちょいと事情が変わりました。ここからはあなた一人で向かってくださいな」
「はあ? 何、あの正体不明の城に私一人で乗り込めって言うの?」
「そちらは元からそのつもりでしたよ。今回の騒動、どうやら私たちみたいな人外が手を貸しちゃいけないみたいで」
「なんであんたがそんなこと知ってるのよ」
「信用できるスジからのタレコミです。大丈夫ですよ、杜乃さんは殺しても死にませんって」
「あんたたちと一緒にしないで頂戴。私はただの人間よ。突かれても斬られても刺されてもすぐに死ぬわ」
「そう言われましても、あの白黒魔法使いが居る以上、私が迂闊に顔を見せるわけにはいきませんから。では私はこれで失礼します。団扇、ちゃんと返してくださいねー」
そう言い残して射命丸は天高く飛び立って行った。
言いたい文句はまだ富士の雪くらい残っていたが、どれだけの大音声で叫ぼうとあいつが引き返してくることはないだろう。
だがそれで私が納得するかというと、これがしないのである。
付言すると私はかなり頭に血が上りやすい性格でありながら血の気が引きにくく、それゆえどうにかして射命丸に一泡吹かせなければ腹の虫が到底収まりそうになかった。
「ふざっけんじゃ……」
私は大きく団扇を構え、馬鹿天狗の飛んで行った方角目掛けて死ぬ気で振るった。
「ないわよぉぉぉ!!!」
すると私の目の前に突如として巨大な竜巻が姿を現した。
私の背丈などゆうに超えた、そこらに乱立する木々ですら仰ぎ見ることを強いられるほど高い風の柱である。
それは産み落とされると間もなく前進を開始し、破壊の限りを尽くしながら天狗顔負けの速さで突き進んでいった。
だが射命丸は想像以上に速かった。奴は竜巻を見るや飛行速度を数段階引き上げ、音すらも置き去りにするほどの速さでもって彼方の空へ消えた。
一仕事を終え、落ち着きを取り戻した私の心にまず打ち寄せてきたのは徒労感である。
かくもくだらない事のために体力を浪費してしまったことが悔やまれて仕方ない。
これが遠因となって命を落としたりしようものならもはや喜劇的だ。唯一、羽団扇の能力を確認できたことだけが収穫だと言っていい。
「……くそ。とりあえず行かなきゃ」
そうして歩きだそうとした私の前に、何やらボロボロで真っ黒な塊が落っこちてきた。よく見るとそれは人の形をしており、まだ息がある。
結構な高さから落下してきたように見えたので恐らくは妖怪変化の類だろう。咄嗟に臨戦態勢を取った。
「いたた……もう、今日は絶対に厄日だわ……」
その声は若干舌っ足らずで、どこか幼さが残っている。私の目に、その黒い化け物は、十にも満たない少女のように映った。
「……あら? あなた、もしかして人間?」
「ええ。生憎ね」
「食べてもいい人類?」
「いいわけないでしょ、霧の湖に沈められたいのかしら」
「人間のくせに随分と強気なのね。身の程知らずの馬鹿かしら。殺すわよ」
少女は凄んだが、足はふらつき全身すり傷だらけ、所々に焦げ跡が残っている有様を目にしては、どうしても恐怖よりも憐憫が先立った。
「どれだけ強気に構えたって、その傷じゃ満足に動けないでしょ。大人しくしてなさいな」
「……さすがに騙しきれないか。あーあ。せめてさっきの竜巻が無かったなら、ちゃちゃっとあんたを殺して食って傷を治せたのになあ」
「……」
「ん、今なにか隠さなかった?」
「気のせい気のせい。ところで、もう私は行っていいのかしら」
「構いやしないわよ。どうせ一欠片の肉も恵んでくれなさそうだしね。……ああでも、ひとつだけ聞いてもいい?」
彼女は両手を大きく広げてこう言い放った。
「『聖者は十字架に磔られました』っていっているように見える?」
「『凡人は十字路で魂を売りました』って見えるわね。……ねえ、やっぱり気が変わったわ。少しだけなら私の肉を食っていいから、代わりにちょっとあなたの話を聞かせてくれない?」
突然の提案に困惑する少女を努めて無視しながら、私は巾着袋の中から紙とペンとを取り出し、覚え書きの用意を始めた。
ふと空を見上げると、箒に跨った白黒少女が館の方角へ飛んでいくのが見えた。あれが射命丸言うところの魔法使いというやつなのだろう。
荒涼とした真紅の空には相も変わらず月を見つけられないままで、夜はまだ明けそうにない。
「私は杜乃。
「ルーミア。宵闇の妖怪よ。……最近の人間って、こんな変な奴ばっかりなのかしら」