三文小説家のススメ(仮)   作:新鮮グミ

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第4話

 まさか水中を泳ぐわけにもいかないので、霧の湖を大きく迂回してから紅魔館へ向かうことにした。

 間違っても落としてしまわぬよう、巾着袋を着物の懐の奥深くにしまい込み、転ばぬよう慎重に先を急ぐ。

 もしずっこけてしまえばその先は泥だ。死にはしないが、紅魔館への潜入に甚大な支障を(きた)すことは間違いない。

 

 時折捨て身の突撃を仕掛けてくる妖精たちを、団扇でもって叩き落としていく。あな恐ろしや妖怪の技術力。

 こんなものを使うのでは、人間が為す術もなくコロンとやられてしまうのも致し方ない事と言えるだろう。

 この団扇のお陰様で今の所は怪我一つなく順調に歩みを進められている。腹が立って仕方がないが、この点においては射命丸に感謝しなくてはなるまい。腹が立って仕方がないが。

 

 あまり乗り気じゃないので、今日のところは私の肉を食わないでおいてやるというのがルーミアの言い分だった。

 なぜ彼女がそのようなことを言い出したのかは分からない。聞いてものらくらと躱されるだけだったし、そもそもそれほど興味もなかった。

 

 身体を齧られずに済むならばそれで十分だろう。私には自傷癖も自罰癖もない。

 彼女とは適当な口約束を交わして別れた。そしてもう二度と会うことはないだろう。

 

 今現在、私が歩いている霧の湖は、その名の通りひどく霧が深く、非力な人間が一人きりで歩くには少しばかり勇気がいる。

 しかしそれは昼間に限った場合の話であり、夜半には霧が晴れて視界が明瞭になる。

 今は見ることが叶わないものの、望月の夜には水面に、黄色くて丸い見事な満月が浮かび上がる由だ。

 

 ただし夜には妖怪に怯えなければならず、結局のところ四六時中危険と隣り合わせなので、ここは妖魔そのものか、そうでなければ相当に変わり者の太公望しか訪れない。

 その太公望達も紅い霧を恐れて引き篭ってしまったから、今この辺りに居るのは妖精ばかりだった。

 

 妖精とは年少の少女のような姿を取っている悪戯好きな迷惑者の総称であり、実に多様な種類のものがいる。

 彼女たちの最大の特徴は殺しても死なないことだ。この性質により里の人間たちは大いに苦しめられてきた。

 

 悪戯が好きだなんて子供なら当たり前の事ではないか、甘んじて受け入れるべきである。読者の中にはそう主張する者もいよう。

 しかしその悪戯によってもたらされる被害について記述すれば、恐らく彼らの大半が妖精の弁護を諦めるはずだ。

 

 妖精によってまず被害を受けるのは農家である。彼女たちは畑に実った野菜を勝手に持っていくので農家たちの恨みを買い、発見される度に報復を受けているのだが、何せ逃げ足だけは素早い妖精のことであるからなかなか捕まらない。

 また万が一拿捕することに成功したとしても、妖精は殺したそばから蘇ってくるのでこれもやはり意味がない。

 

 家畜を氷漬けにされた畜産家や商品を盗まれた道具屋の話も結構な頻度で耳にする。

 当然、これらが持ち主の元へ帰ってくることはない。被害は増える一方だ。

 そういうわけだから、ここ幻想郷において、人間は妖精に対し”厄介”と”駆除対象”以外の感情を抱いていないのである。

 

 そんなのがそこらを彷徨しているというのだから甚だ面倒臭い。

 正々堂々と襲われる分には返り討ちにできるのだが、気配を消して忍び寄られては感知する術がなくて困る。

 

 そうこうしているうちに東の空がほんのり明るくなり始めた。

 姿が見えずとも、それが太陽によるものであることは明白だった。

 

「……ん、朝か」

 

 するとそれまで良好だった視界が一転して曇り出す。辺りに霧が立ち込めてきたのだ。

 まさに霧の湖の面目躍如といったところだろう。たちまち周囲が見えなくなり、方向感覚を失ってしまう。

 

「参ったな……方位磁針でも持ってくるべきだった」

 

 私は後悔先に立たずという言葉をこの時ほど強く噛み締めたことはない。

 夜になればまた霧は晴れるだろうが、あまり悠長にしていると何もかもが終わってしまう可能性がある。それは困る。

 

 もし成果が一つも得られないなんてことになったら、何のためにわざわざ射命丸の口車に乗ってやり、慧音先生の頭突きを食らう覚悟で里を抜け出したのか分からない。

 そうは言ってもどうしようもないものはどうしようもないので、私は五里霧中の強行軍を断行した。できるなら面倒事はこれきりでおしまいにしてほしかった。

 

 しかし、不幸は連れ立ってやって来るというのが世の常である。

 

 ○

 

 ぐずぐずの湖畔を半刻ほど歩き通した頃、自分の体温が急激に低下していることに気づいた。それだけならば自分の体が変調したか、早朝特有の冷気が吹いてきたものと思い、ろくろく気にも止めなかっただろう。

 おかしいと感じたのはその後である。私の目の前に、男の腕ほどの太さがある氷柱が落下してきた。

 

 冒頭にも記したとおり、今は夏である。いくら気温が下がったとて夏に氷柱ができる筈はない。

 これは明らかに人間でない何者かの仕業である。

 そしてこの霧の湖において、人間でない存在といえば一つだけだ。

 

「どこの三流妖精だか知らないけど、この冷気さっさと止めてくれないかしら。凍っちまうわ」

「それは大変。氷漬けにして大英博物館に寄贈してあげるわ」

 

 ふらりと現れたのは、十歳にならないくらいの童女みたいな姿の妖精だった。背中には氷の羽根が生え、ご丁寧に青い簡単服を着ている。四方八方に向かって「私は氷の妖精です」と喧伝しているようなものだ。

 自己顕示欲が強いのか、それとも単に馬鹿なのか。

 

「私が芸術品みたいに美しいって? 照れるわね」

「現世から隔離されるくらいに古臭いってことよ。時代遅れの旧人間」

「幻想郷じゃあ、時代遅れはお互い様でしょ?」

 

 言うなり、私は目の前の妖精に向かって思い切り団扇を振るった。

 もっと賢く戦えないものかと自分でも思うが、今武器として使えそうなものがこれしかないので仕方がない。

 もたついていては本当に凍らされてしまう。

 

 妖精は突如として出現した風の柱にたいそう驚いた様子だったが、ひゅんひゅんと飛び回り難なく躱してみせた。

 攻撃の手を緩めぬよう、一心不乱に団扇を振り続ける。乱立する竜巻は、しかしそのどれもが紙一重で回避されていた。

 

「おや。弾幕ごっこより、真剣勝負をお望みかい? それなら一切容赦しないよ!」

「弾幕ごっこ? 何よそれ、外の世界の遊戯か何か?」

 

 奴は風の隙間から氷柱を矢のように飛ばしてくる。当たっても致命傷にはならないだろうが、それでもかなりの勢いと質量があるので無事では済むまい。

 そちらを避けるのに集中すると今度は風の制御が疎かになる。逆もまた然りで、私は着実に劣勢へ追い込まれていた。

 

 この点に関して、私の見通しは甘かったと言わざるを得ない。ルーミアとの和解が叶ったことや射命丸から団扇を預かっていたこともあり、たかが妖精如き私の敵ではないだろうと高を括っていたのだ。

 畢竟、私は完全に思い上がっていた。その結果がこの状況である。

 

 凄まじい速度で飛来した氷柱の一本が、頬すれすれを掠めた。薄皮が剥がれて血が滲む。遅れて強烈な冷気が顔を焼く。

 前言撤回。こんなもの、どこに当たったって致命傷になりかねない。頭に当たれば首無し死体、土手っ腹にぶっ刺されば愉快なトンネルの出来上がりときた。

 

「しかも残弾無尽蔵だなんて、とんだインチキ野郎ね!」

「天狗の団扇を得意気に振り回してるアンタにだけは言われたくない!」

「私はいいのよ。こう見えてちゃんと疲れも溜まってるんだから」

「そうなの? じゃあ、じっくり甚振った後で爪先からゆっくり凍らせてやるわ」

「なんてバイオレンス!」

 

 それから妖精の攻撃は、激しさよりもいやらしさが目立つようになった。

 直撃の進路からわざと逸らして氷柱を撃つ。左右から挟み込むように霊気の弾を浴びせる。

 その度に私は七転八倒、間一髪で弾道から外れ、一瞬おきに走馬灯を見る羽目になり、息も絶え絶えで、いつ足を縺れさせてすっ転ぶか気が気でなかった。

 

 このまま持久戦にもつれ込めば、敗北するのは体力の少ない私の方とみて間違いないだろう。

 どうにかしてこの妖精に致命傷を負わせるか、もしくは撒く方法を見つけなければならないのだが、霧で辺りは覆い尽くされ、逃げようにも針路の確保がままならない。

 

 団扇から出る風も段々とその勢いを弱めていく。私の体が妖怪の道具に着いていけなくなった証拠だ。

 もはや眼前に迫った氷柱を撃ち落とすことすらできず、なんとか逸らすことしか叶わない。

 額に向かって直進してきた氷を、思い切り横っ飛びしてどうにかこうにか躱す。背後の方で地面の抉れる音がする。

 

 ——突然、視界が九十度傾いた。それと同時に左頬を襲う衝撃。

 泥濘に足を取られて転倒したのだと、そう気付くのに一秒も要らなかった。

 

「まずっ……!」

 

 張り詰めた糸が千切れたように、全身の緊張が解けていく。蓄積された疲労は私に立ち上がることを許さない。

 こちらに歩み寄ってくる妖精の姿が視界の隅に見える。勝ちを確信しているのだろう、その足取りと立ち居振る舞いは余裕綽々といった様子であり、もはや自分が敗北する可能性を微塵も考えていなさそうだ。

 

「人間を凍らせたらどうなるのか、あたし、前から気になってたのよね。いっつも凍らせる前に殺しちゃうから」

「生きたまま冷凍される感覚か……興味が無いと言えば嘘になるわね」

「ここは利害の一致ってことで、大人しく氷漬けになってくれない?」

「嫌よ。そんなことよりもっと楽しめそうなものを追っかけてわざわざここまで来たんだから」

「何よそれ。生きながらにして凍らされる人間より面白い見ものなんてそうそうないでしょ?」

「そりゃあんたの基準だ。見てて楽しいものは他にもいっぱいあるよ」

 

 喋りながら、妖精に勘づかれないように自らの懐をまさぐる。

 

「へえ、例えばどんなもの?」

「そうねえ。牛の胴体と人間の顔が引っ付いた化け物、とか?」

「くだんの話? そんなの、ここじゃしょっちゅう見かけるわよ」

「まるでセンスがない名前の真っ赤な館とか」

「それももう見たわ。面白いものって、意外とこの世にないのね」

「ふうん。それじゃあ、こんなのはお好み?」

 

 脇見した瞬間を見計らって悪霊退散の御札を投げつける。妖精は慌てて避ける仕草をしたが、ほんの少しだけ間に合わず、御札は左手に貼り付いた。

 すると彼女はすぐさま呻き声をあげて膝から頽れた。どうやら効果は絶大らしい。

 

「面に水を浴びて泡を吹く蛙……ほら、こんなに面白い」

「くそー、嵌められたー」

「こうしてぶっ倒れでもしない限り、あんたがわざわざ近付いて来ることはないからね。一瞬の隙に賭けたのよ。私、意外と博打打ちの素質があるのかも?」

「そのまま破滅しちまえばいいのに」

「まだ浴び足りないみたいね。念には念をと言うし、もう一枚貼っておこうかしら」

「ひーん、人間の妖怪いじめだ」

「いじめられる奴が悪いのよ」

 

 二枚目の御札を額に叩き付けてやると妖精は牛の断末魔みたいな声を出した。もしもの時の為にと慧音先生から貰っておいた品だが、これほど効果があるからにはさぞ名のある退魔師が作った物なのだろう。

 五枚あるうちの二枚を早くも使い切ってしまったことに少々焦りを覚えたが、まあ命には代えられまい。

 いざとなれば私の能力で複製すればいいだけだ。これだけの力を持った御札をどの程度まで再現できるかは疑問だが。

 

「あの紅白巫女といい白黒魔法使いといい、人間ってのは本当にロクな奴が居ないわ」

「その巫女と魔法使いってそんなに凄いの?」

「頭のおかしさで言えばあんたと同じくらいよ」

「真人間なのね」

「そんなわけないじゃない!」

 

 ○

 

 動けなくなった妖精を小脇に抱えて道案内をさせながら、私は霧の湖を歩いていた。妖精はどうやら霧が出ていようといまいと正確な地形を把握できるらしいので、水先案内人としては適任というわけだ。

 

「さあ、きびきび案内しなさい。無事に紅魔館まで辿り着けたらこの御札を剥がしてあげる」

 

 額に貼り付いた御札を弄びながら私は言った。

 

「うう、屈辱だわ。このあたしが地図の代わりだなんて」

「ほら、無駄口叩かない! 地図に自我なんて要らないのよ!」

 

 妖精は未だにぶうぶう文句を垂れていたが、三枚目の札を見せつけると途端に黙り込んだ。

 やはり誰かを従わせるには暴力が一番手っ取り早い。

 

 案内通りに足を進めていると、霧の中に、巨大な館の影が茫洋と映し出された。あれが紅魔館なのだろう。

 館というか、もはや城ぐらいの大きさがありそうだ。

 

 建物の影は妖精も認めたようで、あとは一直線に行けば目的地に着けるということだったが、ここまで来てアレがブロッケンの妖怪であったりしようものならいよいよ館に到着するのは不可能となる。

 念の為、紅魔館の姿を肉眼で確認できるまでは拘束しておくことにした。

 

 そうして歩いている間にも次第次第に紅魔館の輪郭は鮮明になっていく。一歩足を踏み出すごとに濃い墨で上塗りしていくかのようだ。

 

 すると、にわかにぱっと霧が晴れ、一気に視界が開けた。

 そこは紅魔館から数十(メートル)しか離れていない林の中で、すぐそこには華美な正門が屹立しているのがよく見える。

 

「よーし、でかしたわよ妖精! じゃあ約束通り、()()御札は取ってあげる」

 

 私は額の御札()()を取り、妖精をそこいらへ投げ捨てる。これで契約はきちんと履行されたのだ。

 

「おい! もう一枚の札も取れよう!」

「私はちゃーんと言ったわよ。おでこの札を指さして、『この御札を剥がしてあげる』ってね!」

「こら、待てー! あたいを置いていくなー!」

 

 待ち望んでいた敵の本拠地はもうすぐそこである。

 背中から聞こえてくる声には全て耳を塞ぎ、私は紅魔館へ歩んでいった。

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