三文小説家のススメ(仮) 作:新鮮グミ
門番の目を掻い潜って脇に回ったは良いものの、塀は予想していたより遥かに高く、「オウオウそう簡単に入れてやるわけねェーだろうが」という用心棒的な雰囲気を纏って屹立していた。
背伸びをしても到底、高さが足りない。飛び上がってもやはり、届かない。
足場になりそうな石やらなんやらがそうそう都合よく転がっているはずもないので、私はまったく手詰まりになってしまった。
とはいえ背中から氷柱を浴びたりあの門番とサシでやり合ったりするのに比べれば、ただそこに突っ立っているだけの壁など比較的優しくて易しいものだ。
最悪、団扇で地面ごと破壊して押し通るという手が使えないこともない。
ただそれは最後の手段だ。できるだけ隠密行動を心がけ、紅魔館勢力の何者かに見つけられる危険性を低く保たなければならない。
なにせこの中に棲むのは悪魔とその眷属共で、湖の馬鹿妖精とはワケが違う。もし会敵すれば先刻のように上手く逃げられるとは限らない。
むしろ拿捕されて携帯型血液袋の原料として使用される可能性が大である。それはさすがに嫌だ。
私は所帯を持って、子供夫婦と孫に看取られながら安らかに死にたい。
そうして辻島杜乃が逝去することで生じる悲しみは人妖の区別を付けず襲いかかり、猫も杓子も沙羅双樹の花までも私の死を悼むことであろう。生前から私を知る者は一様にこう呟く。
「もっと貴女の作品が読みたかった」
生前の私を知らぬ者は一様にこう嘆く。
「もっと早く貴女の作品に出会いたかった」
そうして慨嘆の霧は幻想郷全土を覆い、私の葬式は七日七晩昼夜問わず盛大に執行される。
しかし四十九日が経つ頃になると、人々皆すっとぼけ、平気でこんなことを言い出すようになる。
「辻島杜乃? なんだその、陰気で人気の無さそうな名前は?」
人の噂も七十五日と言うが、こと私に関しては四十九日も保たないらしい。
ひどく陰惨な妄想を働かしたせいで、なんだかメランコリイになった。
いついかなる時でも想像の世界に逃げ込めるのは私の数少ない取り柄であるが、ともすれば欠点となる場合の方が多いまである。今は間違いなく後者だ。
兎にも角にも塀を超えなければどうしようもないので、私は妄想を一旦完全に打ち切り、至って論理的な思考展開を始めた。
先ず差し当っての目標は、表にいる門番や見回りの妖精メイドたちに気付かれないように紅魔館敷地内へ這入ることである。
それを達成するためには出来うる限り静かに、目立たないよう塀を超えねばならない。
しかしそそり立つ壁は私の背丈の倍以上あり、しかもご丁寧に忍び返しが付いているから、力ずくで乗り越えるというのはまず無理だ。
となると考えられる方法は二つ、地面に穴掘って塀を潜るか、団扇で壁をぶち抜くかである。
前者は大きな音も出ず大掛かりな仕掛けも必要ないので見つかる危険は少ないが、代わりにひどく手間がかかる。
後者は呆れるほど楽な代わりに呆れるほど目立つ。
私が羽団扇の持つ機能のうち風を起こすものしか使えないのは既に確認してあるので、塀の中に転移するということも不可能。
加えて私の身体には相当の疲労が蓄積されているから、そもそもの問題として壁を吹き飛ばすことが可能かどうかすら危うい。
「こーゆー時、自分の能力の地味さが憎いわね」
例えば射命丸は風を操ることができるという。
奴の能力をもってすれば、ちょうど私一人通れるくらいの大きさの穴を穿つことなど容易いだろう。
そうでなくても奴は妖怪で、私みたいな人間の数倍の膂力を有しているから、徒手空拳で壁をぶっ飛ばすことだってできるはずだ。
対する私はどうであろう。両手に満身の力を込めても林檎を割ることすら叶わないほどの貧弱さ。
加えて一切の物理的攻撃力を持たない異能。
こんなのでどうやって壁を超えろと言うのか。できる奴がいるなら実演して見せてほしい。
我こそは、という者から一歩前に出て手本を見せよ。報酬は私からの感謝である。何、そんなものは要らない? 私もそう思う。
ともあれ壁超えである。
射命丸の奴は自分が飛べるので失念していたか、あるいは私への嫌がらせかもしれないが、ここを過ぎるにあたっての方策を何も授けてはくれなかった。
あんな胡散臭い烏をアテにするからこういうことになる。
やはり信じられるのは自分だけだ。こと幻想郷においては特に。
おもむろに巾着から鉛筆と紙のセットを取り出し、能力の準備を始める。
何か妙案があったわけではない。何も行動しないより少しくらい手を動かした方が良さそうだと、漠然とそう思考したに過ぎなかった。
すらすらと試し書きで書いたのは、こともあろうに『氷柱』の二文字である。
あの阿呆妖精のことが相当頭に残っていたらしい。ほぼ無意識のうちに手が動いていた。
その紙をくしゃくしゃに丸めて空に投擲する。白玉は放物線を描いて飛んでゆき、頂点の辺りで氷柱に変貌して落下した。
触れてみるとこれが全く冷たくない。
次に記したのは『桜桃』の字であった。
こちらも書き終えてからしばらく経つと、紙の中からぷっくりと桜桃が現れた。匂いを嗅いでみるが、相変わらずの無臭である。
そのまま果肉にかぶりつくと、土でも食らったかのような不快感が口内にじんわり広がった。紙の味がする。
どうやら今日も私の能力は正常に動作しているらしい。異常動作を起こして飯が出てくるようになればいいのにと何度願ったことか分からない。
食いかけの桜桃(偽)を捨て置き、さてこの能力を如何せんと考えた。こんな不便な力でも鶴嘴や玄翁を取り出すことくらいはできる。
それらでもってこの壁を削っていくのが最も現実的な解決方法に思われた。
しかし、一体全体どれだけの時間が掛かる作業になることだろう。屈強な男衆でも居るならともかく、ここには疲れ果てた女が一人、居るだけだ。
道具を揃えたところで人が居なければ無用の長物である。
「あーあ。『玄関』って書いて貼ったら玄関口ができちゃったりしないかしら?」
自分の能力がそれほど便利にできていないことなど重々承知していたが、それでも少しの希望に縋ってみたかった。
爪の先ほどの希望でもあればそれを追い求めたくなってしまうのが人間のサガというものである。
紙に走り書きで『玄関』の文字を記すとそれを塀に押し付ける。程なくして紙は、見慣れたあばら家の引き戸に姿を変えた。
「……嘘でしょ?」
祈るような気持ちで取っ手に指を掛け、ゆっくりと横にずらしていく。
そうして戸板が全て開いた時、私の眼前に広がっていたのは草木生い茂る庭園の風景だった。
開いた戸を抜けて地面を踏みしめると、草がしゃくしゃく音を立て、青い香りを振り撒いた。
張り詰めた朝の空気をぷつんと断ち切る、目が覚めるような匂いだった。
すぐ脇の花壇では百日紅やら向日葵やら紫陽花やらが見事な肢体を広げて咲き誇っている。
よく手入れが為されているのであろう、萎れたのは一輪もない。
伏魔殿に突如として現出した、色鮮やかなる花園——私はしばし呆然とそれを眺めていたが、視界の端で妖精メイドの姿を捉えてはっと正気に返った。
ここで見つかってしまっては何のためにコソコソ隠れ忍んでやって来たのか分からない。
彼女たちがこちらに気付いていないことを確認すると、館を目掛けて矢のように駆け出した。
幸いにして勝手口が開きっぱなしになっていた。転げるように飛び入って辺りに目を配る。物音一つしていない。
どうやら無事に館内へと潜入できたらしかった。
紅魔館内部は惨憺たる有様である。
まず初めに天井がない。正確に言えば、何か大掛かりな仕掛けで以て吹き飛ばされている。
頭上にぽっかりと空いた穴は、どう見ても自然に抜け落ちたようには見えない。
おおかた先刻の白黒魔法使いがまたしてもあの巨大光線をブッ放したのであろう。
地面にはほんの少し前まで屋根だった物が転がっていてひどく歩きづらかった。
私に空を飛ぶ能力でもあれば良かったのだが、あいにく私はそこまで人間をやめたつもりはない。諦めて廃材を踏みつけながら進んでいく。
やがて大広間に出る。ここはもっと酷い。床に大きく穴が穿たれている。壁掛けの角灯が壁ごと抉られ、破れた御札や衣服の切れっ端が散らばっている。
まるで天災に行き遭ったかのようだ。
しかし何より私をして驚嘆せしめたのはその館内の広さである。例えば私がやってきた廊下でいくと、突き当たりの壁が豆粒のように小さく見える。
外から見た時にはこれほどの長さは無かったはずだが、幻術か何かが用いられているのだろうか。
眉に唾を付けてみる。だが辺りの空間に変化はない。
股覗きも試してみるが、これでもやはり変化がなかった。
となるとここは幻術が掛けられているのではなく物理的な拡張が為されていることになるが、外観そのままに内部だけを膨張させることなど本当に可能なのだろうか。
私が身をもって体験している以上は可能であるということなのだろうが、それにしたって腑に落ちない。
ぽっかり空いた三尺の隙間に五尺の棒切れを五尺のまま嵌め込むことなど不可能だ。
それがこの世の法則なのであり、太陽は東から西へ沈むとか、そもそも太陽は公転していないとか、私の小説は全然売れないとか、そういった世間一般に言われる『常識』の一種なのである。
誰かは知らないが、これをやった奴は相当デタラメな存在だとみていい。
空間に干渉するなんて滅茶苦茶にも程があるだろう。
一体どのような仕組みで内部だけを拡張しているのだろうか。どんな妖怪が、妖精が、こんな巫山戯た理屈を押し通しているのだろう。
あるいは、人間が?
疑問は尽きない。ふつふつと湧き上がる興味を抑え込むのにはかなりの精神力を用いなければならなかった。
「いけない、こんなことじゃ。私はあくまで霧の黒幕を探りに来たんだから」
空間の広さに纏わる疑問はとりあえず留保して館内の探索に戻る。
とはいえ、がむしゃらにあちこち調べて回るにしては、この屋敷はいささか広大が過ぎた。隅から隅まで捜索していたのでは到底時間が足りない。
手っ取り早く黒幕の下へと辿り着ければいいのだが、まあ望むべくもないだろう。
諦めて扉という扉を片っ端から開けて回ることにした。