三文小説家のススメ(仮) 作:新鮮グミ
まず初めに這入ったのは酒樽のぎっしり詰まった物置のような部屋である。
厳密に管理されているのだろう、中身は少しも匂ってこない。
一応調べてはみたものの特別の手掛かりは得られなかった。
そのすぐ隣の小部屋は掃除用具入れになっていた。使い古されたバケツや箒がぎっしりと押し込まれている。
大きさから見て妖精メイドたちが用いるためのものだろう。人間が取り扱うにしてはいやに小さすぎた。
ところで、箒の先になんだか赤い染みがついていたように見えたのは気の所為だろうか。気の所為だろう。
そうだと思い込まなければ精神が色々とアレで大変なことになる。私はそそくさと小部屋を後にした。
次に侵入したのは、この館に仕える従者のものと思しき部屋だった。
入ってすぐ右手には鏡台が置かれ、机上にいくつかのオーデコロンが整然と並べられている。
どれも人里の雑貨屋では目にした事の無いものばかりだ。
ということは、外の世界から持ち込まれたものということなのだろう。
向かって正面の窓は少し出張っており、小物を乗せられるほどの空間があって、そこの花瓶には赤い花が挿してあった。
血に濡れたような深紅の薔薇、ダーティー・ローズとでも呼ぶべきか。
ついで左手側、ワードローブの取っ手には洋服が提げられている。
全体的には青を基調としていて、腰から下に覆い被さるギザギザの白い布地が特徴的だった。
なかなか重たそうな服である。業務に支障を来しそうだ。
幻想郷には馴染みの薄い、随分と洒脱な意匠だが、もしや紅魔館の住人はみなこのような衣服を身に着けているのであろうか。
なんだか文明の水準で大敗を喫したような感がしてひどく口惜しい。
この部屋も隅々を、鏡台と壁の隙間に至るまで調べ尽くしてみたはいいが、黒幕に近づきそうな情報は毫も見受けられなかった。
そもそもこの部屋からは微塵も生活感が漂ってこない。起居して着替えるだけの空間、というような雰囲気だ。
なんだか名状しがたいペシミスティックなものを感じる。
繊細というのも、また几帳面というのも違う。私生活に対して無頓着という言い方が最も適しているように思われる。
この部屋の主は相当な変わり者だろう。
考えて、それも当然かと納得した。
かくのごとくセンスの欠片も感じられないヘンテコリンな館に住まう者が、ほんの少しでもマトモな感性を有していると考える事こそ不自然である。
漁ったことを勘づかれないよう念入りに片付けを済ますと、私は次の部屋を漁るべく足を進めた。
巡回中の妖精たちに見つかりやしないだろうかと気が気でなかったが、まるで忍者か盗賊になったようでどことなくワクワクしないでもない。
天網恢恢疎にして漏らさず、されども私を捕らうること能わず。
気分はさながら大泥棒石川五右衛門のようであった。
まあ、あいつは捕まって殺されちゃうんだけど。駄目じゃねえか。
○
探索を始めてから四半刻ほどになる頃だったろうか。私の前に、地下へと繋がる大階段が現れた。どうやらここは地上階を拡張するだけに飽き足らず地下室まで拵えてあるらしい。
そんなに部屋を作ってどうしようと言うのであろう。広すぎるのも困りものだ。
こうも広大だと屋内で遭難してしまいそうである。
やはり私にはあのあばら家ぐらいが丁度いいのかもしれない。
薄暗い階段を転げ落ちないよう慎重に下っていく。
踊り場の壁には角灯が吊られているが、火はおぼろげで、今にも消え果てそうだ。
壁に映った私の姿は実に頼りなく揺らめいている。
地下の道は上階よりもさらに暗く、よく目を凝らさなければ蹴躓いてしまいそうだった。
廊下には雑然と廃材や何かの部品などが散乱し、倒壊寸前の廃墟のようである。草臥れ具合では我が家といい勝負ができそうだ。
空気はひんやりとしているが、換気が滞っているのだろう、なんだか湿気が多い。
ボロボロな風貌も相まって、苔やら茸やらが、ぼうぼう群生していそうな雰囲気を醸し出していた。
里の子供連中引き連れて肝試しなどすれば並々ならぬ涼が得られそうである。
そこで私は漏れ出る光の筋を見た。五里霧中に差した光明であった。
目を凝らしてみれば、廊下のどんつきに、古めかしくもいかめしい、観音開きの扉が待ち構えている。
その扉が少しずれているせいで室内の灯りが染みだし、廊下の闇を食い破っているらしかった。
歩み寄り、十五世紀ふうのドアをそっと押す。扉は重々しく内側に開いた。
その部屋はこれまた恐ろしいほどに広い。子供が十人、駆け回ったって平気な顔である。何畳分の床面積があるのかなど調べる気にもなれない。
その広大な空間の中に夥しい数の
各々の本棚の中ではそれぞれ、半ば無理矢理に押し込まれた大量の本が犇めき合っていた。であるから、蔵書数は私の私物や鈴奈庵の商品などとは比べ物にならぬ多さである。
つと壁を見やれば等間隔に配置されている角灯が煌々と光を投げていた。
のみならず天井からは正体不明の照明器具のようなものがぶら下がり、広大無辺な部屋を遍く照らしている。
本に釣られて室内に足を踏み入れた。
鈴奈庵をゆうに凌ぐその圧倒的な蔵書数を前にして、私の理性はもはや粉砕けである。
見たところ所蔵されている本はどれもひとかどの歴史を持つ古い本であるようだったが、しっかりと手入れが為されているのであろうか、古本に特有の饐えた臭いはしてこない。
眺める背表紙はどれも英吉利や葡萄牙の言葉で題が書かれている。
これらの本の持ち主は恐らく西方に住んでいたのだろう。
かと思うと、隣の棚には日本語の本がずらりと陳列されている。その向かいの棚には支那の書籍が並んでいる。
どうやらただの節操なしのようであった。
本棚を見るとその為人が判ぜらるるとはよく耳にする言説だが、これほど雑多な棚から主の性質を見抜けというのも無茶な話であろう。
そうして他人の本棚を一切の遠慮も容赦もなく漁っていると、部屋のど真ん中で恥も外聞もなく横たわっている紫色の奇妙なX染色体を発見した。
一瞬死んでいるように見えてゾッとしたが、よくよく観察してみればその胸は一定のリズムで上下しており、呼吸器系が正常に動作していることが分かる。
「あんた、何そんなとこで寝てんの。ばっちいから起きた方がいいわ」
「あなたこそ、なんで他人の本棚を物色してるのよ。それにここは私の部屋よ。ばっちいだなんて失礼ね」
どうやら見られていたようだ。
少女は緩慢な動作で起き上がると、煤けた衣服をぱんぱんと叩き、ぼろぼろのナイトキャップを被り直した。
「で、あなたはここに何の用? 泥棒なら叩き出すわ」
「潜入取材。でもバレたから口封じしなきゃ」
「別に誰にも漏らしはしないわよ。どうせこの館に見られて困るものなんて……無いことはないけど」
「そういうわけだから、私はここで」
「行かせるわけないでしょ。というか、あなたどうやってここに侵入したのよ。正門には門番が立ってたし、この部屋には私の従者が居たはずよ」
「従者って、あそこでノビてるアレのこと? あいつなら私が来た時にはもう寝てたけど」
私が指した先には角の生えた女が転がっていた。すやすやと寝息を立てており、どうやらすっかり安眠しているようである。
少女は呆れ果てた様子で溜息を吐いた。
「主より後に起きる従者なんて前代未聞よ。雇い止めかしら」
「その方がいいわ。犬でも飼っといた方がまだ働くわよ」
「いい案だとは思うけど、犬はもう間に合ってるの」
「へえ、どんな犬?」
「空間を弄るのが好きな番犬が一匹」
恐らくそいつが紅魔館内部を拡張した奴なのだろう。
「猛犬?」
「飼い主には忠実なの」
「いいわねそれ。私に譲ってくれない?」
「嫌よ。てかそもそもあんた誰?」
「通りすがりの小説家です。朽葉亭四又をどうぞよしなに」
「朽葉亭四又? 聞いたことがないわね。ここには古今東西のあらゆる本があるけれど、そんな変な名前の小説家が出した本なんて一冊もないわ。よほど売れてないのね」
「うーん、分かってはいたけど改めて口に出されるのは辛いわね」
私は深く溜息を吐いた。
どうして敵の本拠地にまで来て自分の本が売れていない事実を再確認させられねばならないのだろうか。
「ところでここってどんぐらい本が置いてあるの?」
「知らない。一万冊を超えたあたりから数えるのはやめたの」
一万冊。想像もつかない量だ。
今までに私が読んできた本は、どれだけ多く見積っても千に届くかどうかといったところだろう。
それの十倍。規模が大きすぎて最早何が何だかよく分からない。
「日本の本はどれぐらい?」
「さあ。千や二千では済まないと思うわ。そういえば、なんだか面白い本があったわね。説話集っていうのかしら? それの写本」
「もしかして今昔物語集!?」
「近い近い、顔が近い。それよそれ。やけに説教染みた内容でイラッとしたからよく覚えてるわ」
「いいなあ。あれを当時の言葉で読めるなんて至上の幸福よ」
「……持ってきてあげましょうか」
「いいの!?」
「だから顔が近いってば! ……いいわよ別に。ずっと仕舞っておいて埃を被らせるのも癪だし。それに、あなたは本を雑に扱ったりしなさそうだしね」
少女はよろめきながら歩み寄って倒れ伏す女を叩き起した。そして何やら指示を飛ばしたかと思うと、女の姿は瞬時に消え去る。
後には私とナイトキャップの少女だけが残された。
「自己紹介がまだだったわね。私はパチュリー・ノーレッジ、この大図書館の管理人ってとこよ。見たところあなたは本を盗みに来たわけでも無さそうだし、まあゆっくりしていきなさい。今紅茶を用意するわ」
そう言ってパチュリーが指を鳴らすと、つい今しがた出て行ったばかりの女が虚空から突如として出現した。
その手にはティーセットの乗った皿があった。
「ここにある本は好きに読んでもらって構わないわ。けれどその前に少しだけ、互いの境遇について語らない? うちの主がやられるまではお互いに暇な身空でしょう?」
私が本来の目的をすっかり忘却し、一も二もなく頷いたのは言うまでもない事である。