三文小説家のススメ(仮)   作:新鮮グミ

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第7話

『今昔物語集』の失われていたはずの八巻、十八巻、二十一巻を読み耽っていると、横合いから小悪魔が紅茶のおかわりを注いでくれた。

 

「ありがと。結構美味いわね、この紅茶ってやつ」

「そう言っていただけると幸いです。外の世界ではごく一般的な飲み物なんですが、まだ幻想郷には持ち込まれていなかったみたいですね」

「そりゃそうよ、ここは忘れられた物の楽園なんだから。あんたたちみたいに建物ごと引っ越してきた連中なんて、それこそ初めてじゃないかしら」

 

 パチュリーから聞き出した話によると、この紅魔館はもともと外の世界にあった物で、実に六百年近く昔に建立された歴史的な建造物だったそうだ。

 

 しかし世界の近代化に伴ってこの館と館の主に対して抱かれる畏れも少なくなり、一時は紅魔館勢力の存亡そのものが危ぶまれた時すらあった由。

 そんな折、紅魔館の(あるじ)たる吸血鬼『レミリア・スカーレット』はとある噂を耳にした。

 曰く、東洋の小国には忘れ去られた存在が集う楽園がある、と。

 

 これを知ったレミリアはすぐさま調査を開始。やがてその噂が真実であることを知ると、魔法使いであるパチュリーに命じて転移の術式を組ませ、この館ごと幻想郷に飛んできたというのが彼女たちの大まかな来歴であった。

 

「話す分にはかなり楽なのだけれど、実際は座標の特定やら術式の構築やらで数十年は掛かったわ。ここに来るのがもう少し遅かったら、みんなまとめて向こうで消滅していたかもしれないわね」

 

 けろりと言い放ったが、パチュリーの顔には疲労の色が滲んでいる。

 能動的に幻想入りを目指すというのは相当大掛かりな作業だったのだろう。

 

 そうまでしないと存在を保てなくなるというのだから、妖怪の仕組みは酷く面倒だ。

 人間なんてただ生まれてきたというそれだけの理由でそこら辺に溢れかえっているというのに。

 

「気楽でいいわね、人間は。自我の有無が他の存在に依存しないというだけで、妖怪からすれば羨望の的よ」

「じゃあパチュリーは私が羨ましいの?」

「なんであなたみたいな売れない小説家を羨まなきゃいけないのよ」

「売れてないのは別に関係ないでしょ!」

 

 パチュリーは溜息のような微笑を零した。

 

「冗談はさておき、私は人間をあまり羨まないわね。そもそも私は生まれついての魔女であって、分類上は妖怪に近いけれど全くの別物なの」

「ふうん。先天性の魔女なんてのが居るのね」

「先天性の人間が居るんだから、魔女だってそりゃ居るわよ」

「それもそうだ。……そうかしら?」

 

 吸血鬼という種について、私はあまり多くを知らない。

 

 パチュリーから聞いた話によると、日光を厭い、十字架を見ると虫唾が走り、大蒜アレルギーで、銀色の弾丸に滅法弱く、血を飲み過ぎると酔っ払い、昼夜のひっくり返っただらしない生活を送り、清められた水を掛けられると何故か火傷し、頻繁に鞭で叩かれており、心臓に杭をぶっ刺されると死ぬそうだ。

 

 なんとも弱点だらけな種族ではないか。

 よくもまあ今まで無事に生きてこられたものである。

 

「吸血鬼には弱点を補って余りあるだけの力が備わっているのよ。単純な怪力はもちろんのこと、狼や蝙蝠に変身したり、自分の姿を霧に隠したり、血を吸うことで眷属を増やしたりとかね」

「ということは、この紅い霧を出したのも……」

「当然、レミィね。指先からもくもく霧を広げていく様子はなかなか気持ち悪かったわ」

「あんた、自分の主に容赦ないのね」

「私は従者じゃないもの。彼女とはあくまで友人関係よ」

 

 吸血鬼といえば、日本にも似たようなのがいる。

 かの曲亭馬琴が著した名作、『南総里見八犬伝』に登場する船虫という人物の元となった磯姫や、西洋におけるサキュバスのような特性を持つ飛縁魔などがいい例だろう。

 

 もしかして奴らも同じような弱点を持ち合わせているのだろうか。だとするとなかなか大変だ。

 何せ日本は日出処の国なわけで、いわば太陽のお膝元である。

 

 古事記やら日本書紀やらに掃いて捨てるほど出てくる神々の中でも、頻繁に最高の存在とされる天照大御神だって太陽神の側面を持っているから、もはや国を挙げて虐められているとしか思えない妖怪だ。

 私は磯姫たちに同情した。ついでにレミリアとやらにも。

 

「でも、どうして霧を広げるなんて真似したのかしら。一体何の目的があってそんな面倒なことを……?」

「なんだか多大な期待を寄せているところ申し訳ないけれど、動機は本当にくだらないことなの」

「え、知ってるの?」

「そりゃあ知ってるわよ。実行する前に嬉嬉として私のところへ喋りに来たもの」

「それでどんな理由だったの?」

「『霧で日光が遮られればもっと活動しやすくなる。夜の帝王どころか、昼の帝王の座も、朝の帝王の座も全部私の思うがままよ!』……って」

「……つまり、昼でも朝でも出歩きたかったからってこと?」

「そうなるわ」

 

 私は愕然とした。

 果たして愕然とした乎? 然り、私は愕然としたのである。

 

 今現在、幻想郷中を戦慄させている謎の紅い霧事件、その発端が乳臭い一匹の吸血鬼によるくだらない気まぐれに過ぎなかったとは。嗚呼。

 

 命を賭してまで敵の本丸に乗り込み、監視の目を掻い潜ってようやく辿り着いたのが、これほどまでにしょうもない真相であろうとは。嗚呼。

 

 我、心底より沸き起こる慨嘆抑えること能わざる。

 脊髄を傳い脳髄に充満せし、やる方なきこの憤懣を如何せん。

 

 我、有り余るストレスを発散せんがため、爪先髪先鼻先に至るまで満腔の怒気を込めて暴れ散らかさんと目論むも、豈に滅茶苦茶貴重な本たちをかは傷めんと少しだけ我に返りて、暴れ散らかすこと能わず。

 嗚呼。

 

 失望のあまりつい文章が晦渋になってしまった。

 しかし諸君、心清きこと岩清水の如き諸君、諸君らは私の心中を千尋の谷よりも深く、また空に散らばる星々よりもつぶさに理解してくれるであろう。

 

 碧空を染め上げ太陽をも呑み西方から東方へゆったりと横たわっていく奇怪な紅霧を目にするに際し、如何に私が落ち着きを失い胸中穏やかでなかったか。

 前代未聞の怪現象を目前にし、如何に私が心ときめかせ、好奇心の箍を外さぬよう苦心したものか。

 

 諸君らはその一切を、これまでの記述で我が身のことのように理解していることであろう。

 

 然れば諸君、精神の繊細なること葦の如き諸君。今この瞬間、どこでもいい、家のどこかにある鏡を覗き込み給え。

 

 そこには恐らく、失望と憤怒を露わにした相貌が認められることだろう。

 右の眉は吊り上がり左の眉は垂れ、悔恨の果てに万力の勢いで歯を食いしばっているはずだ。

 

 それがまさに今現在、私が浮かべている表情である。

 

「凄い顔ね。馬鹿らしい理由だとは思うけど、そんな顔する程のことかしら?」

「ちょっと事情があってね。あんたのとこの吸血鬼さんがガキ臭いせいで、私は小説家人生に幕を下ろさなきゃいけなさそうよ」

「……うちのレミィとあなたの稼業に、いったい何の連関があるのかしら?」

「いや、実は……」

 

 私はパチュリーに向かい、今まで出した作品がまるで手に取られなかったこと、次回作の構想が一切思い浮かんでおらず、此度の異変に取材して執筆するつもりであったことなどをつらつらと述べ立てた。

 

 その弁論の勢いたるや、外の世界は下野国にあるという華厳の大瀑布にも引けを取らず、耳にする者の悲哀を誘うことはかの『曾根崎心中』よりも甚だしかった。

 少なくとも私自身はそのように認識している。

 

「つまり私は今回の事件を元にして、里の退魔師が八面六臂の大活躍を見せる痛快娯楽小説を書こうと思ってたのよ。そういう物語って、敵の目標が大きければ大きいほど浪漫を感じさせるでしょう? 散歩に出たかったから、みたいなくだらない理由じゃ作品になってくれないの。分かる?」

「知らないわよ……。だったらその箇所だけ勝手に妄想して補完すればいいじゃない。そういう捏造は得意なんでしょ?」

「そりゃあ、そうすれば話は早いわ」

「なら悩みは解決したじゃない」

「うーん。でもねぇ、なんて言うのかしら。分からない部分を取り繕うのならまだしも、実際に有った物、起きた出来事を改変して書くっていうのは、こう……美学? に反するの」

 

 だってそれは、全能の神になったかのような、思い上がった所業としか考えられないから。

 

「難儀な性格してるわねえ」

「それを魔法使いに言われちゃおしまいだ」

 

 私たちは二人、顔を見合わせて笑った。

 

「あーあ、どうしたもんかしら。これで本当に書くこと無くなっちゃったじゃない」

「もし小説家辞めたらどうするつもりよ」

「うーん。パビナールに溺れてみるとか?」

「文豪なのね」

「気分ぐらいはそうありたいでしょ?」

「気分だけじゃ腹は膨れないわ」

「分かってるわよ」

 

 とはいえ本当にどうしたものか。

 小説家廃業はさすがに冗談としても、新作のネタが無くなってしまったのは実に、実に悩ましいことである。

 

 もういっそのこと芥川よろしく今昔物語集リメイクの短編でも掲載しようか。それならば題材を新たに探してくる必要もない。

 二匹目のドジョウを狙うようで甚だ気が進まないが、原稿を落とすことに比べればまだマシだ。

 

「……まあ、いいか」

「え、本気なの? さすがに薬物依存はどうかと思うわよ」

「違う違う、原稿のことで焦るのをやめにしたの。人生を何遍やり直しても読みきれなさそうなぐらい有り余る本、生まれながらの魔女、子供っぽい吸血鬼、ちょっと間の抜けた悪魔。これだけ面白いものが目の前にあるのに、仕事のことなんか気にしてられないわ」

「かなり無責任な発言ね」

「いいのよ。幻想郷(ここ)で生きていくのなら、責任なんて押し売り、叩き売り。明日のことは明日の自分に丸投げよ。今の自分は今を生きるのに忙しいんだから」

「定命の者らしい考えね。宵越しの銭は持たないってやつ?」

「それはちょっと違う気がする……」

 

 そもそも私は女なのだが。

 

「だいたい私がここに来たのって、小説の取材の為ってのもそうなんだけど、純粋にこの紅い霧と館が気になったからなのよね。いわば好奇心の発露ってわけ」

「あら意外。あなたはもっと理性的に動いてるのだと思ってたのだけれど」

「私って結構気ままなのよ。さしずめ猫ちゃんね」

「良かったわねえ、怖い魔法使いに殺されなくて」

「殺されたって死なないわよ。なにせ猫だから」

 

 そう言ってから、つい先ほど射命丸に同じようなことを言われたのを思い出した。あの阿呆と発言が被るなど恥辱の極みである。

 ああ恥ずかしい。百万遍生まれ変わっても拭いきれない汚点ができてしまった。

 

「確かに猫が複数の命を持つという民間伝承は……今度は何の表情よ、それ」

「いや、生涯最大級の生き恥を晒してしまったなって……」

「随分と表情筋が発達しているのね。羨ましいわ」

「たぶん伝染しちゃったんでしょうね。感情豊かな奴が近くに居るの。一人怪人二十面相みたいな奴」

「怪人二十面相はもともと一人でしょう」

「そうだっけ? じゃあ一人仮面舞踏会かしら。本人は踊るよりも、むしろ踊らせる方が好きそうだけど」

 

 脳裏に千代紙より薄い笑みを浮かべる天狗の顔がよぎった。奴は媚びた笑顔で擦り寄ってくる間にもその後ろに組んだ手で繰り糸を巧みに操り、私のような無辜の人間を以て傀儡にせんと目論んでいるのである。

 

 私は幻想郷中の人間が射命丸の手に落ち、哀れなマリオネットと化してしまった未来を想像した。

 

 人間は奴の意のままに争いを起こし、人情噺を生み、盗み、殺人、不倫に失踪は連日連夜に渡って続く。

 それらを全て新聞にして、射命丸一人だけが高らかに哄笑するのだ。

 

 あんまりにもあんまりな未来予想図に背筋がぞっとした。

 なにより奴ならばやりかねないと思ってしまったのが腹立たしい。

 

 苛立ち紛れに紅茶を呷ろうとしてカップに手を掛けると、途端にカップが震え出してソーサーとぶつかりガチャガチャ耳障りな音がした。

 

 てっきり私の体が微振動を起こし始めたのかと思っていたのだが、よく見渡してみれば、部屋全体が揺れ動いているではないか。

 手元のカップは倒れて紅茶をぶちまけ、天井からはぱらぱらと粉塵が降り、積み上げられた本が崩れ落ち——ようとしたところを小悪魔が受け止めた。

 

「え、ちょっと何よこれ。なんでこんなに揺れてるの?」

 

 焦って落ち着きを失ってしまった私とは対照的に、パチュリーは至って冷静沈着である。

 その表情はまるでこうなることを見越していたかのような余裕さだ。

 

「始まったのよ。人間と吸血鬼の最終決戦が」

「人間って……あの白黒魔法使いか!」

「それだけじゃないわ。あの盗っ人に加えて変な衣装の紅白巫女まで来てる。変な衣装だけど実力は折り紙付きね」

「悪しき吸血鬼の野望を打ち砕かんとする勇敢な人間……そう言えば聞こえはいいんだけど……」

「肝心の大ボスがあれじゃあね、って?」

「よく分かってるじゃない」

「心配しなくてもいいわよ。動機こそしょうもないレミィだけど、本気になるとあれで結構おっかないの。それなりのカリスマはあると思うわ」

 

 命が惜しければ見に行かないのをオススメするけどね、とパチュリーは付言する。

 その顔にふざけた様子は無く、どうも本気の忠告らしかった。

 

 とどのつまりレミリア・スカーレットの下へ向かえば命の保証は無いということ。

 それは同時に、少なくともここに居れば死ぬような目には遭わずに済むということでもある。

 行くのか? 行かないのか? それが問題だ。

 

「すみません杜乃さん。今紅茶のおかわりを……」

「——いや、いいわ」

 

 そう小悪魔に告げ、私はすっくと立ち上がった。

 それだけで意図を察したのか、パチュリーは呆れた顔で微笑を浮かべる。

 

「一応聞くけど、本当に行くの? 殺されても知らないわよ」

「平気よ平気。死ぬ目になら行きがけに遭ってきたばかりなの。もう慣れたわ」

「あ、そ。まあ頑張んなさいな。東洋の言葉だっけ? 『死んだら骨は拾ってあげる』ってやつ」

「骨は砕いて海にばらまいちゃってくださいな」

「ないわよ、海なんて。庭の花の肥料にならしてあげないこともないわ」

「そりゃ光栄ね」

 

 巾着を持ち、中身を検め、袂にしまい込んでから大図書館を後にする。

 去り際、背中から声を掛けられた。

 

「さようなら。影の人にもよろしくね」

 

 わけが分からない。

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