八百万ヒーロー事務所は荒れ果てていた。
窓ガラスは割られ、門は破壊され、外壁には無数の落書き。
投げ込まれたと思われる危険物から生物までが散乱し、手書き印刷問わず、罵詈雑言の書かれた紙が大量に散乱している。
現場だけを見れば、とても日本とは思えない。
ヒーロー映画に出てくる荒廃した街そのものだ。
「たった、一週間ですのよ……?」
抱えてきた数々の品を取り落としたことさえ反応できないまま、義妹──否、
「なんで、たったの一週間で、こんなことができるんですの……っ!?」
絶叫は周囲の建物、更には通行人まで響いた。
しんとした静寂の後、返ってくるのは冷たい視線。
百の着ている雄英の制服を見れば、おおよその事情は呑み込めるだろう。なのに、いや、だからこそ、人々が心に浮かべるのは『悪意』だった。
「誰だあいつら」
「友達でしょ。ほら、雄英の」
「ああ、国立のヒーロー校」
「あそこももう終わりだろ。何せ飛び級させた生徒が世紀の大犯罪者だもんな」
「っ!」
頭に血が上る感覚。
冷静沈着だと周囲から評され、自分でもそう思っている。故に、百にとってそれは滅多に陥らない異常な状態だったが、彼女は敢えて衝動に身を任せた。
立ち上がり、振り返って叫ぶ。
「あの子が、何をしたっていうんですの!?」
瞳からは涙を流しながら全力で訴える。
「お願いします、これ以上、妹を悪く言わないでくださいませ! 悪いのはあの子ではない、理屈で考えればそのくらいのこと、わかるはずでしょう?」
だが、反応は鈍く、冷淡だった。
「妹?」
「姉だろ。ほら、八百万百」
「ああ、あれが」
「人殺しの姉」
瞬間、百は生まれて初めて、殺したいほどに人を憎んだ。
実際に殺そうとは思わない。
だが、スタングレネードでも放って全員纏めて黙らせるくらいはしてもいいのではないか。半ば本気で思い、己の“個性”を起動しかけて、
「ヤオモモ!」
一緒に来た友人──切島の一喝で我に返った。
否、踏みとどまった、と言った方がいいか。
見上げれば、切島もまた怒りに身を震わせていた。震えながら、歯を食いしばりながら、絞り出すようにして訴えてくる。
「止めろ。八つ当たりしたって何にもならねぇだろ。……俺達は、そんなことするために来たわけじゃねえ」
「切島さん……」
「……ああ、そうだな」
ぽん、と、百の肩を優しく叩いたのは轟だ。
不器用な癖に精いっぱいの笑顔を浮かべて言ってくれる。
「八百万。今は
「……そう、ですわね」
ようやく、百の顔にも笑顔が戻った。
まだ身体には力が入らなかったが、それでもしっかりと立って頷く。
「ありがとうございます、切島さん。焦凍さん。わたくし、柄にもなく興奮してしまいましたわ」
「いいさ。百にはいつも世話になっている。たまには恩を返さないとやってられない」
「おいこら、そこ。二人の世界作ってんじゃねえよ。俺が場違いみたいじぇねえか」
苦笑しながら文句を言ってくる切島に「ごめんなさいね」と答えて、百は地面に落とした
三人だけで来て正解だった。
麗日や芦戸といった女子はもちろん、切島と轟以外の男子も同行を希望してくれたのだが、せっかくの休日──それぞれのインターン予定をキャンセルさせるのは心苦しい、と、少数での訪問を決めていた。実際に行ってみて掃除しきれないようなら次回はお願いする、と約束して。
(もし最初から大勢で来ていたら、さっきの醜態を見られてしまいましたわ)
涙をそっと指で拭う。
妹に笑われないためにも、今は頑張らなければならない。
「さあ! 掃除を始めますわよ!」
拳を突き上げて宣言すれば、応、と、男子二人の声が続いて上がった。
だが、運命は残酷だった。
◆ ◆ ◆
大犯罪者オール・フォー・ワンの脱獄から一か月と少し。
『平和の象徴』オールマイト不在の中、かの凶悪
中でも戦局を決定づけたのは最年少、イモータルヒーローのトワ。
彼女はオール・フォー・ワンと
とどめになったのも、トワが右腕を変形させて放った強烈な一撃だった。
だが、オール・フォー・ワンを殺しても戦いは終わらなかった。
一か月をかけて事件は収束したものの、直接間接含め、発生した死傷者数は万を軽く超えた。
──世論はこの事態を重く受け止め、原因の追究を求めた。
当然、犯人であるオール・フォー・ワンは悪い。
だが、寄生体を含めて死滅した者を今更責めても仕方ない。これ以上の罰を与えようがないからだ。よって、矛先が向かったのは別の者。
『寄生』のトリガーを引いた者。
オール・フォー・ワンを殺したヒーロー、トワに責任があるという風潮が急速に出来上がっていった。
『そもそもヒーローが人殺しをするなんて』
『殺さなければ寄生事件は防げた。危機管理がなっていない』
『そもそも本当に知らなかったのか?』
『いや、それ以前に彼女は本当に平和を守っていたのか?』
『個性も隠し持ってたんだろ?』
トワがオール・フォー・ワン以外にもう一人殺していた、という事実もこの流れに拍車をかけた。しかも殺害されたのは大病院の院長。
どうしても『寄生』を止められなかったのが原因だと言うが、“個性”研究の第一人者をこのタイミングで殺した事に作為を感じる者は後を絶たなかった。
『人殺し』
『平和を守るためなら一般人でも殺す危険人物』
『寄生事件の死傷者は全部こいつのせいだ』
イモータルヒーロー・トワを糾弾する流れはあっという間に抑えようのないレベルにまで高まり、そして、まるでその流れを肯定するかのように政府・ヒーロー公安委員会・警察が共同で決定を下した。
『イモータルヒーロー・トワこと八百万永遠のヒーロー資格剥奪』
『八百万ヒーロー事務所は閉鎖』
『加えて、ヒーロー特権の過剰行使、個性の不正所有等々複数の罪状により
『なお、この死刑執行については公開するものとし、希望者は抽選で観覧の権利を得るものとする』
死刑執行の観覧希望者は募集開始から一時間を待たずに定員を突破、最終的には百倍を超える倍率を記録し伝説になった。
◆ ◆ ◆
永遠の死刑は決定から一か月後という異例の速さで執行された。
「───」
ヒーロー代表として見届人に選ばれたプロヒーロー・ホークスは常通りのポーカーフェイスを崩さないまま、会場となる某地下競技場へと現れた。
会場内には大掛かりなセットが取り付けられている。
大型モニターを備えたすり鉢状のステージ、その中央には過剰とも思えるほどの拘束具を備えた磔台──十字架が用意されている。
客席は会場の外周に設置され、数百人規模の警察官によって守られる。
会場内外全体の警備を全て合わせると数千人規模、大きなイベント並の人数が動員されていることになる。それを見たホークスは一言、
「少ないっスね」
「へ? ……ああ、いや、大丈夫ですよ」
警備体制の責任者は一瞬「何を言われたのかわからない」という表情を浮かべた後、手を振って笑った。
「警察官の他にも手練れのヒーローが数多く配置されますからね。もちろん、ホークスさんは見届人として最後まで『見ているだけ』で構いません」
「なら、いいんすけどね」
準備は粛々と執り行われた。
ホークスはセットの端に立ったまま、執行の時間が近づくのをただ待っていた。
観客が入ってくるとホークスに向けて歓声が上がったが、それにも一切応えない。とてもではないがそんな気分にはなれなかった。
警備側のプロヒーローも続々と到着。
エンデヴァー、ミルコ、リューキュウ、サー・ナイトアイ、イレイザー・ヘッド、ミッドナイト、チーム・ラーカーズの三人、ベストジーニストetc……。
錚々たる顔ぶれ。
イレイザーやナイトアイが含まれていることを考えれば、ビルボードチャート表彰式の時よりもずっと強大な戦力といえる。たとえオール・フォー・ワンが乗り込んできても個性消去からのプロミネンスバーンで成す術なく撃退できるだろう。
「───」
そして、全ての準備が整ったところで、八百万永遠が入場してくる。
少女はガチガチに拘束されていた。
両腕を複数の拘束具で完全に固められ、足には片足ごとに5kg以上の重りが複数取り付けられている。二重の目隠しがされ、口枷を嵌められ、更に全頭マスクを被せられた状態。凶器を隠すことができないよう服は最低限のインナーだけだ。
(トワさん)
彼女とはしばらく話をしていない。
最後に言葉を交わしたのは確定した刑を告げに行った時だ。暴れるかもしれない、とホークスが同行したのだが、永遠は諦めたように笑って「わかりました」と言った。
今だって、重りを引きずりながら自分の足で歩いている。
昨日はほぼ一日中「最後の晩餐」を行っていたらしい。体制側からのせめてもの慈悲だ。まあ、本当のところは「完全に殺しきるつもりはない」というポーズだろうが。永遠の身体はエネルギーさえ残っていれば
しかるべき量の食事さえ取れれば、百八回生き返ることも不可能ではない。
(トワさん!)
少女がすり鉢の真ん中に磔にされる。
厳めしい声が罪状を読み上げる中、ホークスは「早く終わってくれ」とそれだけを考えていた。
が。
「ふざけんなよ……!」
残念ながら、彼の出番が来てしまった。
近くにいた警官を軒並み気絶させて褐色美女が飛び出してくる。時を同じくし、会場内にワープしてくる幾つかの影。前髪で目を隠した美女に雲のような頭をした少年、更にブドウ頭の小柄な少年。妙に可愛い顔立ちをした成人男性。
「恩着せがましいことを言うつもりはねぇ! だがな、てめぇら、本当にわかんねぇのか!? てめぇらを命がけで守った奴に『死ね』って言うのが、てめぇらの正義なのかよ!?」
予想はしていた。
だが、できるなら現実にならないで欲しかったのだが、
「………!」
無言のままに放った羽根が褐色のプロヒーロー──ミルコを襲い、その全身をズタズタにする。
ミルコは「へっ」と不敵に笑うと、ホークスをきっと睨みつけた。お前はそれでいいのか。いつまで犬の真似事をしていやがる。そんな風に聞こえたが、無視した。
他の乱入者達も程なく捕らえられて連行されていく。公務執行妨害。プロヒーローは資格を剥奪され、ヒーロー学校在学中の生徒は退学か。
ざわつく中、乱入に対して一歩も動かなかった
「俺は敵の介入を阻止するためにここに居る」
静かな、しかし会場全体に響く声がざわめきをかき消した。
「やるなら早くしろ。敵に付け込まれたいのか」
エンデヴァーの威圧に圧されるように死刑執行が再開される。
ホークスは、渦中にある少女が僅かに唇を歪めるのを見た。
数十人の警察官がすり鉢の半ばで銃を構え、
──凄惨としか言いようのない光景が大型モニターに映し出された。
頑張っても中学生にしか見えない少女が銃殺される光景。
轟音が響き鮮血が飛び散る。
無抵抗で複数発の銃弾を受ければ、人はまず間違いなく死ぬ。しかも一発は心臓を貫通していた。望んで来たはずの観客からも悲鳴が上がる。
そして、少女は再生する。
傷口が塞がりきる前に再び銃声が響き、再生が起こり、再び銃声。
繰り返される惨劇は、もはや、一般人はおろかヒーローにさえ見せるべきではないのではないか、と、思えてならなかった。
◆ ◆ ◆
そして、九十九回。
たくさんを意味する数字分だけ殺された少女は、身体を綺麗に再生された後、気を失っているかのように首をだらんと垂れ下げた。
(……トワさん)
端から血が流れているのを承知で、ホークスは更に唇を噛みしめ、
「どうせなら百回殺せよー!」
観客の誰かが心無い、もはや正気を疑いたくなるような罵声を浴びせた瞬間。
──磔台と拘束具が纏めて砕けた。
誰もが呆然とする中、少女はそのまま崩れ落ち、倒れ伏した。
静寂。
だからこそ、嫌な予感を覚えたホークスは慌てて叫んだ。
「全員、ここから避難を!」
直後、
「あはははは、あははははははははっ!!!」
哄笑が会場内に響き渡り、少女の身体が内側から『何か』に突き破られた。