【反乱から一週間後】
普段と違う格好だと意外に見咎められないものだ。
益体もないことを考えつつ、タクシーの運転手に金を払って車を降りる。空を見上げると生憎、月には雲がかかっていた。
入口からホテルへ入り、特に不審がられることもなくエレベーターに乗る。
普段の格好なら見咎められていたかもしれないが……。
高くもなく低くもない微妙な階で降りて、あらかじめ指定された部屋のドアをノックする。
数秒の間を置いて、ロックの解除される音がした。
中に入ってロックをかける。
エンデヴァーはラフな和服を着て椅子に腰かけ、湯飲みを傾けていた。
「酒ですか?」
「馬鹿を言うな。茶だ」
見れば急須と茶筒がテーブルの上に置かれている。
茶請けは煎餅と羊羹。
(わざわざ持ってきたのか……?)
この人も良くわからないと思いつつ対面に腰掛け、土産を取り出す。
「なら、別の品の方が良かったですかね」
「酒か」
瓶に貼られたラベルには『月兎』とある。
「人類が初めて月に行ったのに感動して作り始めた酒だそうです。洒落てるでしょう? あとつまみもあります」
「スルメか。良い酒に合わせるには少々安っぽいが……」
「噛むだけ味が出ますから。合理的じゃないですか」
「お前の判断基準は良くわからないな、イレイザー」
言って溜息をつきつつ、立ち上がった『元・No.1ヒーロー』は部屋に据え付けのグラスを二つ取り出した。
「折角だ。貰おう。酔い過ぎない程度に、だが」
「それは良かった」
イレイザー・ヘッド──相澤は笑って、スルメのパッケージを開けた。
「どうだ、身体は」
「ようやく本調子ってとこですね。……まあ、俺はもともと身体強化はしてませんし」
相澤も初めて飲んだが、酒の味はなかなか良かった。
エンデヴァーも一口飲んで頷いて「女や若者にも好まれそうな味だな」と呟いていた。
「ご家族は?」
「冷──妻は実家に帰した。子供達にはマンションとアパートを与えた。俺があの家を使っている限り、そちらまで騒がせられることはなかろう」
「……非合理的ですね」
「……人の心は合理性だけで量れるものではない」
マスコミ。
“個性”を失い、実質的にヒーローではなくなったエンデヴァーは連日テレビや雑誌から追いかけられている。毅然とした態度を貫いてはいるが、巻き込まれた家族は堪ったものではないだろう。そういう意味で、迅速に手を打ったエンデヴァーは賢いといえる。
自分だけは元の家に住み続ける決意も含め、見上げたものだ。
そのエンデヴァーがぐいっとグラスを傾けてから、言ってくる。
「
「言うほどではないです。ヒーロー科はもちろん、他の科の生徒だってヒーローに関わりたくて入った奴らだ。事情は理解しているし、気持ちも汲んでくれる」
「教師は続けられそうか」
「ええ」
校長である根津からはこう言われた。
『ヒーロー学校の教師が全員“個性”持ちである必要はないさ。むしろ、ヒーローである必要さえないと思っている。一般科目も教えるわけだし、相澤君の経験と技術が失われたわけじゃないだろう?』
有難い話だ。
「離反した生徒は?」
「……そちらにも連絡が行っているでしょうが、退学扱いです。八百万姉妹については『家』からも勘当された、と」
「妥当な判断だな」
確かに妥当ではある。
だが、だからといって、家族や関係者が納得しているとは限らない。ヒーローではなく父親としてのエンデヴァーにしたところで、轟焦凍の失踪をどう考えているか。
──少なくとも、世論は厳しい。
処刑場で大暴れをした八百万永遠。
永遠を助けようとした者達。
世論は彼らに「裏切り者」というレッテルを貼っている。一度体制側に在ったからこそ攻撃は苛烈であり、単なる
攻撃は「処刑に異を唱えながら」「永遠の反逆に賛同しなかった」者にも向けられている。
筆頭はミルコ。
ヒーローの身でありながら永遠の処刑を止めようとした彼女は資格剥奪の上、事実上の軟禁状態にある。それでも世間は「スパイではないか」との声を止めない。
彼女が永遠から貸与されていた二つの個性も再度奪われており、ミルコ自身はもう「身体能力が高いだけの一般人」に落ちているのだが。
そして、バッシングはヒーローにも向けられている。
論調としては「敵に屈した」「無能」「役立たず」「怪我してる場合か」「負けるだけならまだしも“個性”奪われるとか馬鹿なの?」といった具合である。
当然、槍玉に挙げられているのは相澤とエンデヴァーだ。
反逆者達に深く関わる立場だったこともあり、適当にネット検索するだけで見るに堪えない罵詈雑言を確認できる。合理的でないので一々網羅したりはしていないし、まともに気に病む気など毛頭ないが、
「……やるせないですよね」
「……お前が弱音を吐くとは珍しいな」
「俺は元々、弱い人間ですよ」
「白雲朧か」
そう。
学生時代の相澤は白雲に引っ張られていた。
彼の明るさと正義感にどれだけ助けられたかわからない。その白雲が、せっかくもう一度ヒーローを目指せる立場になったというのに、あろうことか自主的に敵へと堕ちてしまった。
──俺は間違っているのか、白雲?
自問してしまっても仕方ない。
もちろん、相澤の立場では自由に動けない。自由な学生の頃とは違う。彼とてただ体制側に在るつもりはないが、衝動的な行動で生徒達を危険に晒すことはできない。
彼は、教師なのだから。
「俺は戦うぞ、イレイザー」
「……エンデヴァーさん」
「俺のヒーロー資格は剥奪されていない。お前やミッドナイトを含め、個性の効かない敵を技術と肉体だけで打ち破ってきたヒーローは幾らでもいる。俺とて、肉体の鍛錬を怠ってきたつもりはない」
相澤はしばらく沈黙した後で「死にますよ」と言った。
ヒーローコスチュームを脱いでなお威厳溢れる堅物は、口元に小さな笑みを浮かべて答えた。
「死なんさ。ヒーローとは希望だからな」
「そう、ですね」
相澤は『月兎』をなみなみとグラスに注ぐと、それをぐいっと飲み干した。
「俺は教師を続けます。教師は指導者です。個性が無くとも教えられることはある」
「その意気だ」
無骨な手がスルメを大きく引きちぎる。
「オールマイトが復活した程度でNo.1の座を返上するつもりはない。俺はまだまだ──」
「や、スルメ取りすぎですよエンデヴァーさん」
「………」
その晩、二人は盛大に飲みすぎた。
◆ ◆ ◆
【反乱から二週間後】
『本日未明 〇〇区××町の路地裏にてオールマイトこと八木俊典さんが遺体で発見されました。遺体は損傷が激しく、警察では彼に恨みを持つ敵の犯行とみて捜査を──』
寮の食堂。
共用のテレビがそのニュースを流した瞬間、出久は手にしていたコップを取り落とした。
乱暴な生徒対策で落としても割れない素材が使用されていたため、大きな音を立てることはなかったが──床に落ちて中身をこぼしたコップは一つではなかった。
複数。
喧騒に包まれていた食堂が一瞬にして静寂に包まれたことからも、衝撃の大きさがわかる。
最初は半信半疑。
何かの間違い、あるいは聞き違いだろうと誰もがテレビに注目し、間違いでもなんでもないと分かった途端、
「っざけんなっ!!」
爆発がテーブルごと、上に載っていた食器や料理を薙ぎ倒した。
「オールマイトが死んだ!? ンなことあるわけねえだろうが!? オールマイトは、オールマイトは最強なんだ! あんなクソガキごときに負けるわけねぇだろうがっ!?」
「落ち着け爆豪!」
「そうだ! 軽挙妄動は慎むべき──」
「うるせえ! てめえら何落ち着いてやがんだ、オールマイトが、死んだんだぞ!?」
爆豪の暴走ももっともだ、と、出久は思った。
『超カッコイイなああ!!』
『僕も“個性”出たらこんな風になりたいなああ!!』
彼らが子供の頃にはもう、オールマイトはヒーローだった。
誰もが彼に憧れた。
『もう大丈夫だ少年!! 私が来た!』
『君はヒーローになれる』
誰にとってもオールマイトは特別だった。
出久だけじゃない。
爆豪だってオールマイトを目指していたし、兄を目指す飯田や
特に、今の雄英生達は直接彼の指導を受けているのだ。
だから。
オールマイトの死は、世界の終わりも同然だった。
──ヒーローも死ぬ。
理解していたつもりだった事実を厳然と突き付けられる。
身体から力が抜ける。
椅子からずり落ちるようにして倒れこむ出久の耳に、お茶子の悲鳴がかろうじて届いた。
天涯孤独であるオールマイトの葬儀は雄英主導で執り行われた。
黒い服を着た人々の群れ。
形式的な喪主を任されたサー・ナイトアイは挨拶の冒頭から滂沱の涙を流し、言葉を発することさえままならず、結局雄英校長・根津が代行した。
体育祭で使用されるスタジアムの一つを埋め尽くすような数の人々が『最高のヒーロー』の冥福を祈り、一昼夜かけて花を手向けた。
出久もまたそんな人々の中にいた。
現役の生徒達は関係者として扱われ、早い順番で花を手向けることができた。
半ばお茶子に引っ張られるようにして自分の番を終えた出久は涙を流すこともできないまま人混みに紛れ、そのまま立ち尽くした。
「……あの野郎。俺より先に逝きやがって」
「……グラントリノ」
いつの間にか隣にはオールマイトと出久、両者にとっての師である老人がいた。
淡々と呟く彼を見て、衝動的な怒りが湧き上がる。
「悲しくないんですか。オールマイトが死んだんですよ」
「んなもんとっくに通り越してるんだよ、俺は。いや、俺らは。ヒーローが無茶して死ぬ。敵に殺されて死ぬ。何の不思議がある?」
グラントリノは怒りもせずに答えた。
強烈な正論。
同時に、達観した大人の理論であるその答えに、出久は唇を噛むしかなかった。
「僕は」
「………」
「僕は、何もできなかった」
あっさりと
オールマイトが再度戦う決意をする中、ただ学校生活を送っていた。
“個性”を失ったショックを受け止めるのに精いっぱいだという
「あいつからは何か言われたか?」
「『君は悪くない』『無理はするな』『私に任せろ』って」
「そうか。あいつらしいな」
グラントリノはそれ以上何も言わなかった。
けれど、出久は雄英を辞めるというオールマイトと最後に話した時のことを思い出し、何か言わずにはいられなかった。
「グラントリノは、どう思いますか?」
「………」
「僕が、僕が悪いんですよね? 僕が弱かったから。僕が何もできなかったから。だから、だからオールマイトは──」
「小僧。お前、俺になんて言って欲しいんだ?」
「っ」
息が、詰まった。
思ってもいなかった言葉に思考が停止する。
「僕は、ただ答えを……」
「そんなもんはどこにも無い」
「───」
「お前が自分で考えて導き出すしかねえ。それができないなら何もするな。邪魔だ。……ただ、そうだな。俺の見解を敢えて言うんなら」
グラントリノは出久の方を見ずに言った。
「別の奴が──身体が出来上がってて、自分の“個性”も持ってるような奴が継いでいれば、俊典はもっと楽ができただろうな」
例えばビッグ3。
ミリオならOFAを奪われても『透過』で戦い続けられたかもしれない。
天喰ならもっと常に周囲を警戒し、不意打ちなど受けなかったかもしれない。
ねじれなら永遠の戦友として共に立ち、彼女の孤立を防げたかもしれない。
「……あ、あああ」
やっぱり。
オールマイトの死を知らされてから葬儀まで何度も泣いた。泣きすぎて枯れてしまったと思っていたのに、まだまだ涙は溢れてきた。
気づいたらグラントリノと別れて人気のない場所にいた。
どこだ、ここ。
雄英の敷地ではある。見覚えがないわけでもないので、冷静になればすぐに戻れるだろうが、今の出久は思考も感情も碌に働いていなかった。
だから。
隣にサングラスの有翼ヒーローが舞い降りても特に何も思わなかった。
「緑谷出久君。君にちょっとしたお誘いがあるっス」
「……なんですか? 僕なんかに」
ホークスは少しだけ苦笑し、「これは極秘なんすけど」と前置きしてから言った。
「人為的にヒーローを作る実験が始まっています。参加してみる気はないっスか?」
「───」
それは、天からの福音に他ならなかった。
ただし、天が常に正しいとは限らないのだが。