【反乱から三週間後】
「デクくん。やっぱり、考え直さへん……?」
夜の静寂に包まれた並木道。
麗日お茶子はクラスメートであり、恋人であり、尊敬する相手でもある少年を見つめて、何度目かの問いかけを投げた。
向かい合った出久は硬い表情のまま、いつもの答えを返してくる。
「もう決めたんだ。それに、今更キャンセルはできない。明日にはホークスが迎えに来るんだ」
「でも……」
「わかって欲しいとは言わない。でも、これ以上、僕を止めないで欲しい」
鋭い眼光がお茶子を射抜く。
今の出久はまるで抜き身の刃のようで、お茶子は見られただけでぶるっと震えてしまう。敵相手であれば怯むことなどないのだが、この恐怖はそういうのとは違う。
だが。
止めなければ彼が遠くに行ってしまうと、勇気を再び振り絞る。
「別に、無理しなくたっていいやん。“無個性”だったらプロ試験受けられないわけやないんやし」
ぎゅっ、と、胸の前で握った拳は決意の表れ。
精いっぱいの笑みを浮かべて、明るい声を出して、
「このままみんなと勉強して、一緒に試験受ければ──」
「次の試験、本当に開催されると思うかい?」
「っ」
言葉が止まった。
出久が右手を振り上げ、近くの木に叩きつける。だん、と、大きな音がして幹が揺れ、葉がざわざわと音を立てる。
怒っている。
緑谷出久は、麗日お茶子に明確な怒りを覚えていた。
「開催されたって無駄だよ」
少年が首を振る。
「“無個性”の僕じゃ合格しない。単純に実力不足だ。敵と戦ってもやられるだけの人間をヒーローになんかするわけがない」
「そんなこと、デクくんは頑張ってるやん! だから──」
「頑張るだけで結果が出るのかよ!」
怒声が空気を震わせた。
「
「ぇ──」
「USJの時も、合宿を襲撃された時も、僕は敵に後れを取ってるとは思わなかった! でも! オールマイトは死んだ! あの時の僕よりずっと強いのに! 敵に殺されて死んだんだ!」
「デク、くん?」
駄目だ。
怖い。
麗日お茶子は、向かい合っている『デクだった誰か』が怖くて仕方なかった。
出久は、心底鬱陶しそうに息を吐くと、踵を返して言った。
「話は終わりだ。僕は、もう一度“個性”を得てヒーローになる。そして永遠さんと戦う」
「っ」
永遠。
友人でクラスメートだった少女の名前に、導かれるように叫んだ。
「永遠ちゃんがオールマイトを殺すわけないやん! あれは別の敵が──!」
「だからどうした!」
「!?」
「敵は敵だ。永遠さんは──オール・フォー・ワンの後継者は、必ず僕が討つ。必ず僕が、
歩み去っていく少年の背中を、お茶子は呆然と見送った。
あの日以来、何もかもが変わってしまった。
出久が、エンデヴァーが、イレイザーが“個性”を失い、永遠は最強最悪の敵となって今なお暗躍を続けている。
“個性”喪失者は初日の時点で数百人。
以後、一日の喪失者数はおよそ五十人ずつ増え続け、今では千人を軽く超えている。被害総数は二万以上。
『本日の個性喪失被害者数は……』
などというニュースが日常となりつつある。
永遠は『透明』状態かつ『ワープゲート』で移動しながら略奪を続けているらしく、いつどこで誰が狙われるかはわからない。
“個性”喪失者の急増によって社会・経済は混乱、精神を病む人まで出ているという。
そんな中、政府関係の研究機関から出久に対してとある申し出があった。
──人為的な“個性”開発への協力要請。
要は科学による肉体強化と個性付与を行い、ヒーローに足る能力を人の手によって与える計画。
政府の承認を得た研究のため雄英側、出久当人へのアフターケアもしっかりと行われるらしく、理屈の上では悪い話ではないのだが。
『俺は反対だ』
担任であるイレイザー──相澤はきっぱりと告げた。
『目的とタイミングが胡散臭すぎる。こんなもん、お前を体よく利用して良くないことを考えてるに決まってんだろ』
お茶子も同意見だった。
理屈ではない部分、勘に近い何かが「これは危険だ」と告げている。美味い話には裏がある、という両親からの教えから考えても受けるべきではない。
しかし、出久は強硬に「受ける」と主張した。
何しろ正式な要請だ。本人が合意してしまえば学校側は了承するしかない。出久は雄英に籍を残したまま研究へ参加、その間の出席日数もカウントされる、ということになった。
そして明日、出久は出発する。
『なんとかなりませんか? デクくんを説得するとか──』
相澤に直接訴えたこともあったが、返答は芳しくなかった。
『もう何回も話した。が、あいつの答えは変わらねえ。お前の言葉も聞き入れねえんだろ? なら、お手上げだ』
除籍したところで意味はないだろう。
学校を通しての要請が個人への要請に変わるだけ。むしろ出久をより捨て身にさせるだけだ。
『お母さんには──』
『もちろん話は言ってるが、あいつが頑なに『行く』と言っているらしい。あそこまで頑固な息子は見たことがないそうだ』
『それじゃあ……』
打つ手がない。
それでも、嫌な予感が止められないお茶子は何度も出久に訴えた。
訴えて、彼の心を変えられないまま、時間だけが過ぎていった。
「デクくん……」
暗い自室で膝を抱え、お茶子は呟いた。
──こんな時、永遠ならどうするだろう。
小さくて食いしん坊で、どこか抜けている友人。
いざという時の行動力は人一倍な彼女なら、殴ってでも出久を止めるかもしれない。言って聞かないんだから殴るしかないよね、と。
だが、“個性”喪失がコンプレックスになっている今の彼にそれをやって意味があるだろうか。
「私は、どうしたらいいんやろ」
お茶子には、永遠を憎む気持ちはない。
あの少女が無暗な殺戮を好むとはどうしても思えないからだ。実際、反乱後、永遠に直接殺された人間はいない。彼女の作り出した混乱が原因で死んだ人はいるが──。
今、起きている騒動にしても、多くの人から“個性”だけを抜き出すもの。
ヒーローへの被害も、ヒーロー側から襲い掛かった事例以外では出ていない。むしろ意図的にヒーローを避けているようにも思える。一方、ここ最近、指名手配中だった敵が“個性”剥奪の上、気絶した状態で何名も発見されている。
だから、出久と永遠に戦って欲しいとは思わない。
言葉は通じない。
でも、今の出久を一人にするのは心配だ。
なら、せめて──。
「うん」
お茶子は一人、心を決めた。
そうと決まれば時間がない。
少女は夜のうちに準備を済ませ、相澤に連絡を取った。
「麗日ちゃん。緑谷ちゃん行っちゃうわよ」
午前八時。
お茶子の部屋のドアを叩いたのは、蛙吹梅雨だった。
可愛い外見に似合わずシニカルなところのある彼女は、デクの説得を早々に諦め、彼を見放していた。一方、お茶子のことはさりげなく気にかけてくれている。
「ありがとう、梅雨ちゃん」
遅くまで色々やっていたせいで寝坊しかけたお茶子だったが、なんとか間に合った。
ドアを開けて微笑むと、梅雨は表情を強張らせた。
「……その格好。もしかして」
「うん」
皆まで言わず頷き、荷物を背負って廊下に出る。
梅雨は黙ってついてきた。
出久とホークス、それから1-A生の多くがロビーに集まっており、その中の一人──芦戸がいち早く気づいて「あ!」と声を上げる。
「お茶子」
「麗日……?」
振り向いたクラスメート達もまた、お茶子の格好を見て驚く。
それはそうだろう。
今日は平日。出久を送り出したらすぐ登校しないといけないのに、私服姿で大荷物を背負っているのだから。
お茶子は笑顔のまま説明を省略すると、人だかりを抜けて中心へと出た。
私服姿の少年と、有翼のプロヒーロー。
「こんにちは、ホークスさん。先生から話は行ってますか」
「ええ、聞いてますよ。麗日お茶子さん」
「お茶子さん? どういうことだ……!?」
何事もないように頷くホークスと、そのホークスにさえ食って掛かる出久が対照的。
ホークスは少年を落ち着かせるように手を広げると言った。
「大したことじゃないっスよ。麗日さんも『研究』の協力がしたいというのでオッケーしただけです。特に問題はないでしょう?」
「それは……」
出久が、なんとも言えない表情で口を噤む。
お茶子のこの行動は出久の目的を邪魔するものではない。なんとなくやりづらいので止めて欲しいが、喧嘩した手前言いだしづらい。そんなところだろう。
なら、そんな空気を利用する。
「決めたことだから。デクくんの邪魔はしないから、いいでしょ?」
「……勝手にすればいい」
結局、出久はそう言って目を逸らした。
よし。
お茶子は内心で安堵する。
──これで、少しはマシになる、よね?
出久を止める方法が思いつかない。
だから、お茶子はせめて彼についていくことにした。
何をするわけじゃない。ただ傍にいる。それだけで、少なくともお茶子自身が安心できるし、出久だって無茶はしにくくなるはずだ。
当然、相澤からは反対されたものの、自分の考えと意志が硬いことを伝えると、最後には了承してくれた。
『……わかった。麗日、緑谷を頼む』
『はい! 任せてください!』
ホークスを見上げると、彼は僅かに苦い表情を浮かべて、言った。
「麗日さん。……『研究』、そして『実験』はあなたにとって辛いものになると思うっス。それでも、一緒に来ますか?」
「行きます」
「……わかりました」
頷いた青年は、どこか溜息でもつきたそうに見えた。
(ホークスさんも本意やないんやろか)
だとしたら、どこから?
お茶子を連れていくこと? 出久を連れていくこと? それとも『研究』自体?
わからないが、とにかく今はできることをする。
「お茶子ちゃん」
「麗日……」
クラスメート達を振り返ったお茶子は、笑顔で言った。
「みんな、ごめんね。ちょっと行ってくる。うんと強くなって帰ってくるから、びっくりせんといてね?」
いつもと変わらぬお茶子の態度に安心したのか、みんなも笑って送り出してくれた。
◆ ◆ ◆
【反乱から一か月後】
夕方のニュースの時間、とあるテレビ局が「急遽予定を変更して」放送した「とあるインタビュー」は、国内、そして世界をも震撼させた。
ゲストは、黒いドレスを着た美少女、あるいは美女。
メインで喋る男性アナウンサーの隣に座り、少女と斜めに向かった若い女性アナウンサーは、緊張を感じながらマイクを握りしめた。
「本日はようこそお越しくださいました──永遠さん」
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
少女──永遠はにこりと微笑み、座ったまま一礼する。
綺麗だ、と心底から感嘆する。
彼女の立場が「犯罪者」でなければ、放送後、芸能事務所からのオファーが殺到したことだろう。
「あ、それと、あまりかしこまらないでください。歳が変わったわけじゃないので。前みたいに永遠ちゃんで大丈夫です」
「い、いえ。今回はインタビューという形ですので、多少距離を取ってお話させていただければと思います」
ナイス。
先輩にあたる男性アナウンサーの対応に感謝。
同時に、この少女が本当に永遠なのだ、と、奇妙な感慨を覚えてしまう。
「まずお聞かせ願いたいのですが、他の局ではなく、当局からのインタビュー依頼に応えてくださったのは何故でしょうか?」
「それは、私が最初にテレビに出演したのがこちらの局だったからです」
「それは……とても光栄です」
永遠とは知らない仲ではない。
最初のテレビ出演以降、幾度となくテレビに出るようになった彼女とは何度も話をしたことがある。お菓子などで「餌づけ」して楽しんだことも少なくない。
だからこそ、以前の容姿とのギャップ、それから彼女が「敵として」テレビに出ていることが信じられない。
「永遠さんは──失礼。永遠さん、と呼ばせていただいても構いませんか?」
「はい、もちろんです。苗字を名乗れる立場ではありませんし、ヒーローネームを名乗ることもできませんから。
「巷では『エターナルクイーン』などという通称も生まれているようですが……」
「呼んでいただく分にはもちろん構わないのですし、あだ名をつけていただくのは嬉しいのですが、自分で『クイーンです』と名乗るのはちょっと嫌ですね」
それはそうだ。
くすりと笑ってしまいそうになるのを必死に堪え、こほんと小さく咳ばらいをする。
気を抜いてはいけない。
今のやり取りで「中身はあまり変わっていないのではないか」とほっとしてしまったが、相手はその気になればいつでも自分達を殺せる敵なのだ。
「では、永遠さん。あなたはどうしてヒーローに、そして世界に弓を引かれたのですか?」
「それは、そうしなければ世界を変えられないと感じたからです」