君はアルビノの霜降りという食材を知っているか。
鮮烈な赤身に、吹雪の如く入り込む白い脂身。
洞窟や雪山といった冷涼な環境を好む、盲目の白竜フルフルの肉だ。
フルフルの筋肉に入り込む白く輝く脂肪は実に合理的だ。寒さに耐え、体内から発した電気を効率良く体表に走らせるが、自らの重要な臓器へは通さない。フルフルの脂肪を通じた電気は外敵から身も守るための盾であり、獲物を麻痺させるための矛だ。
さらに、フルフルが生きるために発達させた脂肪は、その食欲そそる見た目とは裏腹に、決して食べてはいけない有毒部位としても悪名高い。フルフルを捕食するモンスターが鋏角種に限られるのも、ほとんどのモンスターはこの脂肪を消化できないためとされる。
それでも、その美しい肉に魅了された者達は数知れない。
古い日誌から一節を引こう。
『この世のものとは思えない美味な脂が乗った肉。口にすれば最後、四肢が麻痺し、体中の穴という穴から白い脂を垂れ流し、やがて死に至る』
あらゆる時代。あらゆる場所。あらゆる美食家達が辿ってきた末路がこれだ。
そして今、私の目の前にもまた、皿に添えられたアルビノの霜降りがある。美食家たちの最後の晩餐をなぞるように。
これは、壮大な自殺なのか。
いや、そうではない。私の半生は、今この瞬間の為にあったはずだ。
記録の一つになるつもりなど毛頭ない。アルビノの霜降りを平らげて、高々と笑うのだ。
覚悟を決めて、ナイフを握りなおす。食器が嫌に耳障りな音を立てている。この期に及んで震えているのか。これではいかんと、頬を叩く。
――遡れ。思い出せ。私の、美食家”火竜卿”としての生き様を。
「火竜卿。クエストどおり、チャナガブル一頭捕獲しました」
荷車に乗った灯魚竜チャナガブルを苦もなく引っ張るその姿は、間違いなく屈強なハンターのそれであった。
ドンドルマのルービィ。ハンターを生業としている、私とは孫ほどにも歳が離れた女性である。
私は、ルービィ嬢が今し方捕獲したであろうチャナガブルの肢体をじっくり眺めた。臓器、皮、身へのダメージは最小限。毒や火を使った形跡もなし。相も変わらず、見事な仕事ぶりだった。手頃な大木に吊すようルービィ嬢に伝えると
「猟場で捌かれますか」
と、少々驚いた様子だった。
捕獲したモンスターは、大凡、近場の街まで運び入れて解体される。解体中にモンスターを誘因することもないし、設備も材料も揃っている。だが運び込む過程で、内蔵や血液といった腐りやすい部位はハンターによって処理される。麻酔にかけたまま街まで運び込んでもらったこともあるが、臓器類は捕獲用麻酔薬の影響を特に受けやすく、私の趣旨にそぐわない。
結果、まるごと一頭解体しようと思うと、現地に同行し、猟場で捌いてしまうのが望ましい。
私が依頼するクエストというのは、対象モンスターの危険性こそ高くないが、狩猟難度は決して低くない。私が現地についていって、狩猟方法にあれこれ難癖をつけるためだ。依頼を引き受けてくれたハンター諸兄には申し訳ないが、狩猟したモンスターを調理し、美味しく頂くという私の目的において、そこは妥協できない。我ながら、厄介な老骨であるという自負はある。一応、水準を大幅に上回る報奨金をつけてはいるが、それでも二度目を引き受けてくれるハンターは稀であった。
さて、ルービィ嬢に吊され、白い腹を見せるチャナガブルを前に、一呼吸置く。ありがとう。料理の名は、ガブ汁。シンプル、ゆえに、これ以上にお前を味わい尽くす料理はない。
右手には龍包丁【飯一門】一振り。頂く命に手を合わせ、解体を始める。【飯一門】を頭蓋裏の急所へ突き入れ、脳を抉って〆る。両鰭を外し、提灯を抜いてヒゲを剃り、皮へ切れ込みを入れ二人かがりで引き剥がす、柔らかいあばら骨を外し、腹を割って巨大な肝臓を抜き、腸を引き出し、残った身を厚めに切り出す。麻痺袋とトゲは、未だ食用処理が確立していない部位であるので、脇へよけておく。
厚切りにした身は、ひとまずさっと茹でして霜降りにしたあと、湯からあげてザルに取っておく。
お次は、ルービィ嬢が狩猟している後ろでこそこそと集めた山菜類だ。
まずは特産キノコとマヒダケ。特産キノコは石突きを取った後、傘を十字に切り、柄を三等分に切る。マヒダケは石突きを取った後、別途湯通しに。
次はドテカボチャの原種。こちらはえぐみの少ない中心部分だけをえぐりとる(なお、皮と種は後で採取した場所に埋めるのがマナーだ)。
続いてジャンゴーネギ。これは野生種でありながらもしっかり味がのっていて素晴らしい。しかも現在は寒冷期。旬の素材だ。今回は気持ち多めに採ってきた。こちらは味が強いので小口にカット。
最後に、糸豆腐。これだけは街から持ちこみの材料だ。労力はかかるが、ガブ汁に欠かせない。
さて、野菜その他の準備がすむと、いよいよ汁作りにとりかかる。
先ほど切り出したチャナガブルの巨大な肝を【飯一門】でたたいていく。ほどよくほぐれたら、油をしいた鍋にて、肝ゆっくり炒めてのばしていく。
香りがたってきたら、ホピ酒、塩を加えて味を調えて汁を作っていく。(街で調理するなら、ザザミソ、すりつぶしたスパイスワームひとさじ、ワカメクラゲを入れるとぐっと味が引き締まる)
味付けが終われば、あとはチャナガブルの身を一揃え、キノコ二種、ドテカボチャ、ジャンゴーネギ、糸豆腐を入れて約十分、蓋をして煮る。
蓋の隙間から零れでる湯気に、さしものルービィ嬢も生唾が押さえられない様子だ。
長くも短い十分間。蓋を取り去る。脂の乗ったチャナガブルの身が、ガブ汁の汁を吸って黄金色に輝く。
ガブ汁の具をバランスよく椀によそってルービィ嬢へ。差し出そうとするやいやな、ルービィ嬢はそれを宝物かのように奪いとり、一息頬張り、至福の表情で噛みしめ、嚥下する。深く、充足に満ちたため息が続く。
もう一杯。言葉は無かった。ただ、輝きに満ちた瞳だけがある。どうやら満足して頂けたようだ。
私も、ルービィ嬢に習ってガブ汁を楽しむ。ねっとりとした肝の旨みが、キノコに、ネギに、豆腐に、そしてチャナガブルの身にに絡み付き、舌に染み渡っていく。これが熱燗にした自前の酒とすこぶる合うのだ。
我ながら、良い仕事をした。ヌルリとした脂に包まれたマヒダケを租借しながら、私はしばし悦に浸った。
「身がね。プリップリ何ですよね。噛むと、弾けて、舌の上で溶けるんですよね」
ガブ汁を前に、すっかり饒舌になったルービィ嬢が、調子をあげて、ガブ汁の具材一つ一つをほめたたえ始めた。ジャンゴーネギがいい。特産キノコは最高だ。ドテカボチャの甘みがさらに箸を進める。糸豆腐とガブ汁、これ以上に世の中に祝福されたカップリングがあるだろうか、いや、無い。
ホピ酒のアルコールはしっかり飛ばしたはずなのだが、ルービィ嬢の口演は続いていき、
「そしてこの、ピリッと辛みを引き立てる、この、キノコがですね」
そしてついに、マヒダケを摘んで、止まった。
「このキノコが、ですね。あぁ、これ、マヒダケ」
マヒダケ。赤ん坊のように、ルービィ嬢が首をひねり、次の瞬間、ルービィ嬢の頬一杯に広がっていた幸福この上ないといった赤味が、波のように引いていった。
マヒダケ。いわゆる、毒キノコの一種である。キノコ狂いハンターでさえ、毒テングダケは食べてもマヒダケは病院の横でないと食べられないと呼ばれた、強力な、それこそモンスター討伐に使われるような麻痺性の毒を持つキノコである。
「食べちゃった」
ぽつりと、そんな、心を置き忘れたような声がルービィ嬢の口から漏れ出た。
私は、それこそ、この世にこれ以上の愉悦は無い、といった表情でルービィ嬢の顔を観察する。呆然としているルービィ嬢と目が合う。きっと今頃、ルービィ嬢の脳内は、この老骨を罵倒するあらゆる言葉が飛び交っていることだろう。
しかし、その言葉は決して口から出てくることはない。あるのは、私のガブ汁に見事に調和にしてみせたマヒダケの旨みと、未だ何ら麻痺毒の異変を見せぬ己の体の不思議だけだ。
「何故無事なんですかね」
顔をしかめ、納得いかぬとこちらを睨むルービィ嬢に対して、私は私の謎掛けめいた答えを言うのだ。
毒物とは、複雑に絡み合った紐のようなものだ。絡み合ったままに嚥下すれば腹を壊すが、知識と勇気さえあれば、その紐を解きほぐすことが出来る。
「納得できかねますが」
ルービィ嬢は冷えた目でじっとりとこちらを見据える。しかし、これ以上、こちらも譲りたくはない。トップシークレットである。
意固地な老骨にルービィ嬢も諦めがついたのか、ガブ汁を摘んでみたり、私の調理器材をぺたぺたと調べてみたりしていた。さらにはどかりと腰を落ち着けて、ポーチから一冊、王立古生物書士隊著の図鑑をパラパラとめくり始める。
「マヒダケ。チャナガブルの毒。毒性に共通点?そもそもチャナガブルの毒の出処に秘密が……」
ぶつくさと何事か呟きながら、それでもわからぬとばかりに、ガブ汁を一匙とって口に入れる。
「やっぱり美味しい」
ルービィ嬢がふんすと鼻息を慣らした。君も良い美食家になる。私は冗談半分で呟いた。
さて、私は十二分に腹も心も満ちた。ごちそうさま。よっこいしょと声を上げて立ち上がり、片づけ(主には、使いきれなかったチャナガブルの身を、ハンターズギルドへ納めるものと猟場への還元するものとに分ける作業)の準備を始める。
名残惜しそうに鍋の底をさらいながら、ルービィ嬢も、ごちそうさまでした、と、私の後に続いた。
その夜、ベースキャンプにて。ポポ毛の寝袋にくるまって一眠りしようとしていた私に、不意に、ルービィ嬢が声をかけてきた。
「それにしてもガブ汁にマヒダケとは。さすがです火竜卿。私の目に狂いはなかった」
真っ暗闇のベースキャンプの中では、今、ルービィ嬢がどんな表情をしているのか、伺い知ることはできない。
「火竜卿、私の夢を聞いてくれませんか」
ゆっくりと、決意に満ちたような声色に、私は何も言うことはなく、ただ、ルービィ嬢の言葉を待つ。
一つ、二つ、ルービィ嬢が深呼吸を重ねて吐き出した言葉こそ、私が最も待ちわび、最も縁遠いと悟っていた言葉だ。
「私の夢はですね。アルビノの霜降りを食べることなんですよ」
アルビノの霜降り。その名を聞いて恐れぬハンターはいない。
なにしろ、最も食欲をそそる美しき赤身を、食べたことがある人間は”この世には”一人と存在しないのだ。誰もが最初の一人になりたがり、誰もが未だ成し得ぬ、我ら美食家の夢。
私が美食家となってから幾星霜、一度として揺らぐことのなかった最終目標。私の最期を彩るための食材。
「なるほどルービィ嬢。君もこちら側の人間と言いたいのだね」