「火竜卿、いい加減次の獲物を教えてくれませんか」
頭上に輝く太陽。足下に砂。額に玉のような汗をかき、身の丈の倍ほどにも詰め込まれたバックパックを背負い、目的地も知らされず、五日、オアシスからオアシスへ。ひたすらに砂漠を歩き続けたその気骨は、間違いなくハンターのそれであった。
ドンドルマのルービィ。ハンターを生業としている、私とは孫ほどにも歳が離れた女性である。
ルービィ嬢の不満は十二分に理解が出来た。むしろ、五日もよく我慢したものだとほめたたえてあげたい気分である。なにしろこの五日間、私とルービィ嬢は採集ツアーという名目で、デデ砂漠のオアシス巡りをしているだけなのだ。五日間の狩猟実績と言えば、初日に砂竜ガレオスの小群を返り討ちしたくらいである。ルービィ嬢の現在のバックパックは、クーラードリンク残り二日分、最寄りの集落から買い込んだ頑固パン一斤、掘り当てたスパイスワーム、傷つけずに採るのに丸一日要した砂漠レンコン、あとは角竜ディアブロスの縄張りからこっそり拝借したスライスサボテン。
これら食材はレクサーラの市場で安価に手には入るものであり、五日間の砂漠巡業に釣り合うものでは決してない。それでも、ルービィ嬢が私に黙って付き従った理由はただ一点。私が砂漠で振る舞う料理。砂漠の美食がためであろう。
そんなルービィ嬢の純粋無垢な行動理念に敬意を表し、そうだな、そろそろ調理を始めよう。何しろ、私の調理場はもう目と鼻の先なのだ。
私とルービィ嬢がたどり着いたのは、ツアー初日、砂竜ガレオスの小群に襲われたオアシスであった。
ルービィ嬢に、今夜はここをキャンプ地とすることを伝えると、解放されたとばかりに、華やかな笑顔を見せた。
「しかし、本日のメインディッシュはどこに」
私が取り出した調理器具を見て、ルービィ嬢の笑顔は一転、疑念に変わる。私が取り出したの何の変哲のないスコップ一つである。そうとも、これから私が振る舞う料理に使う得物はスコップただ一つ。
せいのせいのとオアシスの土を掘り進め、もの数分で、スコップの刃先がかちんと音を立てる。そこからは慎重に土をよけ、私はオアシスに埋められた一つのマカ壷を掘り上げた。実に五日ぶりの再会である。とたん、ルービィ嬢の顔が、雪山でクーラードリンクを服用したがごとく、真っ青に染まった。
「火竜卿、まさかその壷をあけよう、とか言わないですよね」
何しろ、ルービィ嬢はこのマカ壷の中身を知っている。そうとも、このマカ壷には、初日に狩猟したガレオスの切り身が納められているのだ。『ガレオス肉片をマカ壷に納めて土中に埋めるのは、レクサーラに古くから伝わる風習の一つである』という私の言葉を、ルービィ嬢は好意的に、鎮魂の儀と解釈したようである。
そうではない。これは、レクサーラに古くから伝わる郷土料理。ガレオスのマカ壷漬け。現地語でいうところの、ガレオフェという料理である。
調理方法は至ってシンプル。マカ壷の底におがくずを敷き詰め、オアシス横の湿潤な土中で五日間発酵させるだけである。
「いやいや。これは明らかに腐敗していますよ」
蓋越しから漏れ出る禍々しい、腐った屎尿のごとき刺激臭に、ルービィ嬢は狼狽を隠さない。
愚かな。私は諭す。発酵と腐敗の違いは、ただ、我々の利益になりうるか否かの違いにすぎない。この料理は、デデ砂漠の過酷な温暖期を乗り越えるための先人の知恵。竜種の肉の中でも特に足が早いガレオスの肉を、長期保存するための料理。これをいただくことすなわち、先人の勇気と知恵に敬意を払うことに他なら無い。
ルービィ嬢からの反駁はない。ただ、滝のように汗を流しながら、壷と対面するのみである。
私から、とやかく言うことはなかった。ルービィ嬢が食べたければ食べ、食べたくないのなら食べる必要はないのだ。
――ただ、この程度の料理に怯むようではな。
私が瞑目すると、突然ルービィ嬢がぱちんと両の頬をたたく音が響いた。
「火竜卿、私を見くびらないでいただきたい」
言うや早いが、ルービィ嬢は蓋を開けた。目に染みる刺激臭がオアシス一帯に広がる。遠くの草陰から、肉食竜ゲネポスのけたましい悲鳴があがり、涼んでいたアプケロス達も逃げだすほどだ。ガレオフェは、それほど強烈な匂いを発するのだ。
ルービィ嬢は目尻に涙を一杯に溜めながら、ガレオフェを一掴み、勢いよく口に入れてそのまま一気に嚥下した。
これには私も驚いた。なにしろ、レクサーラの民でさえ、初めて食べるときには舌に乗せる前に二度、喉を通す前に三度吐くといわれたキワモノだ。私が知りうる限り、一度でやってのけたものは、私と、さる友人と、目の前のハンターのみである。
「口の中がヌメヌメで、ヒリヒリして、ただれそうです。鼻がもげそうです。死ぬほど不味いです、これ」
ルービィ嬢は涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔で、ひどく率直な感想を述べた。私はいそいで、彼女のバックパックから砂漠レンコンやらスライスサボテンやら頑固パンを切ってルービィ嬢に与えた。そもそも、ガレオフェは単独で食べる料理ではない。膨大な付け合わせで、極力味をごまかして食べるものなのだ。
「……では、では。火竜卿も手ほどきのほどを、お願いします」
ガレオフェの痛烈な味を忘れるために、付け合わせを貪るルービィ嬢が、恨み骨髄に徹した声でせまる。さぁ、さぁ、と、ガレオフェの切り身を片手に迫ってくる。
ちなみに、美味しく食べるコツは、一切鼻呼吸をせず、舌の上でしばしコリコリとしたガレオフェの触感を楽しんだ後、酒で流し込むことである。
もっといえば、一度酒で洗うと、そこそこ匂いがとれる。酒のツマミとしては、まぁ、五年に一度ぐらいは食べても良いかな、という代物である。
そんな私の通な食べ方をみるにつけ、猫目になったルービィ嬢が、さっと私から愛酒を奪いとった。
「卑怯ですね、火竜卿」
ガレオフェを酒で流すことを学んだルービィ嬢は、さもそれが当然であるかのように、二切れ、三切れと平らげていく。あまり食べ過ぎると、本当に消化器官がただれるぐらい強烈な食べ物なのだが、まぁルービィ嬢の自由である。
おおよそ、付け合わせとガレオフェを食べ終え、私とルービィ嬢は一息ついた。
「しかし、最初にこの料理を食べようと思った人間は、たいした狂人ですね」
しみじみと、ルービィ嬢が呟く。私は、それに同意も反論もできないでいた。毒味役が行き着くべきは、果たして勇気か、狂気か。少なくとも、貴重な栄養源を確保しよう努力を積み重ねてきた先人達が、空腹のあまり狂気に走っただけとは考えたくなかった。
翻って、我々はどうだ。あらゆるもので腹が満たされる時代に生まれ、それでも絶死の料理に挑む我々はどうだ。
「少なくとも、そこに誰も食べたことがない肉が存在する限り、悪食にせよ美食にせよ、否定される謂われはないと思いますけど」
ルービィ嬢は淡泊に言う。どうやら、ルービィ嬢は、酒が回ると舌が滑らかになる私とは違い、幾分、素っ気なくなるようだ。
「まぁ。食べた後どうなるにせよ、ガレオフェよりかはマシでしょうよ。少なくとも、味は」
ガレオフェ。過酷な試練を乗り越えたルービィ嬢の表情は、どこか静かな自信に満ちあふれているようであった。
そんなルービィ嬢へ、私は、はてと、意地悪く次の試練を選ばせた。そうとも、次は北へ行こう。凍土の伝統料理、ウルクススの腹詰め(ウルクススの毛皮の内側に〆たギィギを詰め込んで発酵させたもの)か、氷海から刺客、スクアギルの樽漬け(内臓と頭を取り除いたスクアギルを海水入りの樽で発酵させたもの)か。どちらにせよ、ガレオフェの方がマシであったと述懐するに疑いない。
したらば、ルービィ嬢は穏やかな表情で宙を仰ぎ、女は度胸!と、やけくそじみた喚声を、デデ砂漠の夜空に高らかに響きわたらせたのだった。
我々が目指すのは、絶死の料理、アルビノの霜降り。そこに至るまでに、私がルービィ嬢に課すべき試練は多い。ただ、ルービィ嬢ならば、きっと食べてしまうのだろうという、見込みだけはあった。
「まぁ、いくら食べても死ぬことはないのだルービィ嬢。気楽にいこうか」