「では先生、いきますよ」
彼女は己に言い聞かせるように、あるいは天へ祈るかのように呟く。右手には龍包丁【飯一門】一振り。目の前には大の字に天を仰ぐ赤甲獣ラングロトラが一頭。頂く命に手を合わせ、解体。
先に断っておくが、ラングロトラを素材ではなく食肉として解体するのは非常に難度が高い。発達した4つの臭腺は内臓から背甲へと延び、下手に傷つけてしまったが最後、溢れ出る悪臭によって肉の価値を台無しにするからだ。(唯一、ラングロトラの代名詞ともいうべき長く伸びる舌だけは簡単に切除し食用とできる。こちらはモガの村では稀少特産品ラングロタンとして取り扱われている)
彼女は私が教えた手順を丁寧になぞる。まず、漏れた尿が肉に付着しないよう、陰嚢の先端を結束。次いで、蛇腹甲にナイフを何度もなぞるようにして優しく切れ目を入れていく。わずかに空いた切れ目から消化器官各位がはちきれんばかりに顔を出し、解体難度を上げる。傷つけないように、ナイフの刃を中から外へ向けて切り進める。慎重に横隔膜は切除し、みぞおちへ。肋骨の継ぎ目にナイフをいれ、骨の一つ一つを丁寧に剥がしていく。肺のあたりは、鳴き袋に触れないように細心の注意が必要だ。鳴き袋を破けば、衝撃で臭腺を痛めかねない。
胸を割ったら、食道を掴んで少しずつ引き剥がす作業。食道から心臓、肺、麻痺袋、内臓までが一連なりになった消化器官の切除は、本当に重労働だ。切除しては引っ張り上げて手繰り、切除しては引っ張り上げて手繰り、そうして最後は肛門および膀胱まで一端切除。ここから、4つ(中にはそれ以上ある個体もいる)の臭腺一つ一つを丁寧に探り当て、切除していく作業が始まる。
ここで処理を失敗すれば、今までの苦労はすべて水の泡になる。私自身何度も泣かされたこの一太刀。
『ラングロトラの最後っ屁』と私は勝手に名付けている。
この、狩猟難度と不釣り合いな解体難度は、古生物書士隊の友人に言わせれば、ラングロトラの生存戦略の一つだそうな。死後、悪臭を漂わせた肉は、いかなるモンスターも寄せ付けない。ゆえに、ラングロトラは竜種に比べて生態系下位の立場にありながら、狙って捕食されることはありえないのだと。
私はそこに『死んでも餌になってやるものか』というラングロトラの矜持を感じるのであり、それを覆して食することこそ、真にラングロトラを打ち倒したことになると思うわけである。
そして今日、真にラングロトラを打ち倒した者が一人。玉のように汗をかき、血に塗れ、それでも両の拳を高くかげた姿は、間違いなくハンターのそれであった。
ドンドルマのルービィ。ハンターを生業としている、私とは孫ほどにも歳が離れた女性である。
「やりました」
ルービィ嬢は誇らしげに笑う。つられて私も笑っているのだろう。
このとき、私がルービィ嬢へ解体と料理の手ほどきを与えるようになって、数年が過ぎていた。
「うーむ。ラングロタンと比べて、背ロースは淡泊で味気ないですね。肩ロースは良い感じですが、硬い。バラは柔らかいけど、脂っぽい。うむむ」
ルービィ嬢は解体を終えたラングロトラの肉を前に、焼いたり煮たり蒸してみたりしながら、ぶつぶつと呟く。いかに美味しく頂くか。それのみ集中していた。
ルービィ嬢の知識の消化は驚くほど早い。元からハンターとしての含蓄があるにせよ、このままではほんの数年で私から教わることはなくなってしまうだろう。
尤も、私の全てを食らい尽くしたとしても、アルビノの霜降りを食べることは叶わない。故に、ここからが本番なのだ。そうとも、これは私にとっての先行投資。ルービィ嬢が見せてくれるであろう、私の想像を超える知慧。
それこそ、老いたこの私を成長させ、我が胃袋にアルビノの霜降りを納めさせるはずなのだ。
「なーに気味悪い顔してるんですかね先生。というか、そろそろ手伝っていただけますか」
ルービィ嬢の素っ気ない一言が、私を現実に引き戻す。どうやらバラ肉ともも肉はあとで保存食にするらしい。今晩の主役はラングロタンとロース肉というわけだ。
塊状になったラングロトラのロース肉を切り開き、中にアオキノコ、砲丸レタス、レアオニオン、スパイスワーム、塩胡椒を詰めていく。一通り作業が終わったら、切り開いた部分を結束し、中身が漏れでないようにする。
「あとは、猛牛バターをたっぷり引いたフライパンで均等に焼き上げて、ローストラングロトラ。あと、ロングロタンはシンプルに塩焼きでどうでしょう」
不敵にルービィ嬢が笑う。なるほど前に私が作ってやったローストクックをたいそう気に入ったらしい。しかし、今日は趣向を変えてはどうか。ルービィ嬢は首をひねる。取り出したるは、一本の樹木。
「それ、私が拾った龍木じゃあないですか」
龍木。大陸各地で稀に拾うことができる、この謎多き植物だ。蔓や宿り木のような寄生植物の一種でありながら、その寄生先を見たものはいない。竜人達が残している文献では、大陸の空には長い年月を漂う”浮岳”が存在するとされ、この龍木は浮岳に生息する植物だとされている。
龍木が大陸各地に、まるで大空から落とされたかのように点在することから、このような伝説が生まれたのだろう。王立古生物書士隊の見解も、浮岳伝説の真偽はさておき、大陸各地をさまようモンスターに寄生している可能性が高いという推測がされている。
その身に龍木を寄生させる、未だ誰も拝んだことのないモンスター。是非、この目で確かめてみたいものである。そして、その肉の味を御賞味預かりたい次第だ。
「で、その寄生木さんをどうするんですか。まさか刻んで一緒に炒めろと?」
ふむ。中々に良い着眼点である。ルービィ嬢の正気を疑うような眼差しを背に受け、龍木を削ってチップ状に。そうしてフライパンの底に敷き、網を重ねて先ほどのロース肉の詰め物とラングロタンをおく。あとは弱火でじっくりと炙っていく。龍木チップから香り立つ煙が、ラングロトラの肉をいっそう引き立てる。
「ラングロトラのスモーク尽くしってわけですか」
感心したような、稀少素材である龍木をスモークチップに使ったことを惜しむような、何ともいえない表情で、ルービィ嬢はスモークラングロトラの完成を見守る。ふむ、さては龍木の食材としての素晴らしさがまだわかっていないと見える。私はいつも持ち歩いている酒瓶をルービィ嬢に渡してやる。
いぶかしみながらも、ルービィ嬢が酒を一口。
「いつもどおり、不思議な香ばしさのある、おいしいお酒なわけですが」
と、そこまでいって、ルービィ嬢が首をひねる。何か、酒から漂う香りに覚えがあるらしい。燻製中のラングロトラの詰め物と、酒瓶を交互に眺めて、ようやく、なるほどと膝を打った。
「これ、龍木が出す香りだったわけですね。しかしどうやって酒に?」
ルービィ嬢が掲げた我が愛酒。名を龍木酒という。
アヤから伝わる伝統的な酒の製法との大きな違いはない。ただひとつ、仕込みの段階で龍木を焼いて出来た灰を加えるのだ。
「龍木の灰、ですか」
然りである。私が美食にせよ悪食にせよ、もっとも気をつかっているのは、毒素の中和ないし消毒である。そして古来より木灰には強い消毒の力があることが知られている。山菜のえぐみを採る場合も、木灰を煎じた湯で煮沸するのが良い。
木灰の中でも龍木の灰は特に珍重され、地方によっては傷口の消毒にも使われるという。その力は酒の腐敗を抑え、まろやかで香り高い一品へと仕上げてくれたというわけだ。
「なるほど。では、このスモークに使ったあとのチップの灰も、龍木酒として利用もできるわけですか」
みるからに笑顔がこぼれるルービィ嬢であったが、残念ながらそれは出来ないと告げると、何故、と憤慨しているようだった。
ラングロタンから滴り落ちた脂が灰と混ざり合うと、石鹸の原初の形が顔を出す。龍木の灰と獣脂を混ぜ合わせて、薬草類を加えて香りを調節してやれば、上質な龍木石鹸の完成だ。これはこれで価値が高く、小銭稼ぎに役立つ。
「なるほど。でも案外、おいしかったりしませんかね?龍木石鹸」
冗談なのか本気なのかわからない声色でルービィ嬢が言う。目の前には香ばしく焼きあがりつつあるラングロトラのスモーク尽くしがあるというのに、よくもまぁそんなキワモノに目がいくものだと感心するものだ。
「なに、先生ほどではありませんよ」
むむ、いきなりなんのことか。ルービィ嬢はしたり顔で続けた。
「何でも胃袋に入れたがる先生のことだ。どうせ、かの者の肉を食べたくてしょうがないけれど、かの者が見つからないんで、しょうがないから龍木を食べてやろうってことで心根で、この酒を拵えたんでしょう」
ルービィ嬢は、私が龍木酒を仕込むにあたった原点をズバリと言い当てて見せた。
ぐぅの音もでない私に対し、ルービィ嬢はたいそう愉快な表情を隠さない。
なるほど、これは、おもしろくない。たいそう、おもしろくないものだ。
フライパンを火から上げる。できあがったラングロトラのスモークタンと詰め物を切りそろえて皿に盛り、龍木酒を並々と互いの杯に注ぐ。ルービィ嬢の、いくぶん挑戦的な瞳を、私は真っ向から受け止める。
「よし、それでは今日ここで、我々が新たな地平を切り開こうではないか。龍木石鹸の実食。その前に、大馬鹿二人の無事を祈って乾杯だ」