寺生まれも楽ではない   作:満足な愚者

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第1話 前編

今は昔、夏目漱石はその著書で、この世の生き辛さを書いている。そう、今も昔もこの世に生きやすい場所なんてなかった。

 

ある文豪は未来からくる漠然とした不安によって自害し、またある文豪は「世界は素晴らしい、戦う価値がある」と語った上で現実に負けてライフルで頭を撃ちぬいた。未来からくる漠然な不安があるのなら、過去からくる明白な不安もあるだろうし、「世界は素晴らしい。戦う価値がある」という言葉が本当であるのなら、かの文豪は死んでいないはずだ。

 

彼が自分の頭を撃ちぬいた理由は凡人である俺にはわからない。しかし、これだけは分かる。世界が素晴らしいものでなかったか、もしくは戦った結果死んだのだ、と。どちらにしろ救いのない話ではないだろうか。

 

そんな生きにくい世の中の生きぬくき原因は多くあれど、原因の中の一つに派閥というくだらないものがある。

 

人の世に派閥がない場所がないように、俺が通うこの大学にも派閥めいた物が存在する。それがスクールカーストならぬ、学部カーストだ。

 

我が大学には大きく分けてデカい顔をしている学部、というよりかは、プライドの高い学部が大きく分けて三つ存在する。

 

一つは法学部。文系の雄であり文系の中では一番権力がある学部だ。

 

俺からしてみれば完全に過去の栄光なのだが、今は昔法曹界で派閥を築いていた時期もあったそうで、その過去の栄光にしがみつき、やたらめったら教授のプライドが高い。それと、うちの大学名を出せば、まず一番に法学部の名前が出るような看板学部なので、それもあいまって学生もプライドが高い連中が多い気がする。まぁ、これは俺の偏見かもしれないが……。

 

まぁ、未だにキャリア組を年に数人排出してはいるため、中には頑張っている学生もいるようである。

 

二つ目は、経済学部。この学部は近年台頭してきた学部だ。非常に残念なことに法学部ほどの権力はないものの、それでも文系の中では力のある勢いある学部だ。その強みはなんと言っても就職の良さ、近年法学部の人気が低迷している中、文系の中ではナンバー1の就職力をもってして、学生の人気とともに大きな力をつけた学部と言えよう。

 

まぁ学生の気質は良くも悪くもステレオタイプの文系大学生そのもの。学校に遊びに来ているのか、それとも酒を飲みに来ているのかいまいちよく分からない奴らが多い。たいてい土曜日の早朝に大学前の飲み屋通りを通ると道端で吐いている人間をよく見かけるが、そいつらの約50パーセントが経済学部の学生だったりする。

 

そして、最後どの学部とも違う浮いた学部であり、学内では色々な意味で距離を置かれ、変人と奇人の巣窟だと噂されているその学部こそが俺が最も苦手としている――

 

――医学部だ。

 

 

 

 

――はぁ。

 

思わず出そうになったため息を飲み込み、心の中で吐き出す。もしも、本当にため息なんてつこうものなら何をされるか分かったものではない。

 

俺の目の前、折り畳みのテーブルを挟んで向かいには一人の“女性”が座っていた。身長145㎝、黒のポニーテール。一見すると女子小学生にしか見えない。羽織っている白衣はたっぱが足りず袖を二重ほど織り込んでいた。どこからどう見てもコスプレしている女子小学生なのだが、なんとこれでも俺よりも年上、しかも大学の准教授様でもある。

 

目つきだけはきりッとしているのだが、それも白衣姿と相まって背伸びをしたいお子様そのものだ。そんな彼女だが、なんと隠そうこれでもこの大学で一、二を争うほどの有名人だ。少し上の世代だと彼女の顔は知らなくとも、名前は聞いたことがある人間がほとんどを占める。

 

この大学創立以来の天才。変人奇人の巣窟の医学部の中でもさらに極まった変人中の変人。頭の中がインターネットに繋がっているのではないかと思うほどの知識量に、その実オペの技術もけた外れに高いそうだ。

 

しかし、天は彼女に最高の頭脳を与えたが、日の当たるところがあるのなら、影がさすところもあるように、彼女に良い性格までは与えなかった。傲慢無礼、唯我独尊といった態度をとるのが彼女の常だった。

 

そして、たちが悪いことに彼女にはそれが許さるだけの実力と力があった。その力は特にこの大学では強い、なんといっても彼女の父は我が大学の医学部部長だ。全くたちが悪いにもほどがある。俺にとっては悪夢である。

 

そんな彼女に目を付けられたのは俺が大学に入るさらに前、そんなことから出会ってしまった俺は、それからことあるごとに彼女に振り回されている。

 

そんな彼女の名前は滝本、俺は愛着をこめてタキちゃんと呼んでいる。

 

「なんだ、折角美人が訪ねて来たというのに幸な薄そうな顔をしているな……」

 

軽く、口端をあげてタキちゃんが言う。完全にこちらの内心を分かった上での発言だ。

 

「別に、いつもこんな感じですよ。幸が薄いってそれを寺生まれにいっては世話ないでしょ」

 

確かに依頼は嬉しい。しかし、依頼主がタキちゃんなのはいただけない。タキちゃんが依頼主となれば足元を見られるのは間違いないし、本人のおもりも面倒くさい。普通の依頼主と違ってい良い所と言えば話が早いところくらいだ。それ以外は全てマイナスだ。

 

「そうか? 私には羨ましいものなのだがな。お前たちが見ている風景は私とは違うのだろう」

 

後輩が居れた紅茶を飲みながらタキちゃんは言った。顔が美形なため、身長がチンチクリンでも絵になる。やはり美人は徳である。なおチンチクリンをうっかり口に出そうものなら切れ味抜群のメスが飛んでくる。つい先日もそのお陰で俺の横髪は愉快なことになっていた。

 

「あんなの見えたところで人生でいいことなんて何もないですよ。それに三日で飽きます。俺にとってはタキちゃんの方が羨ましいです」

 

俺のタキちゃんにならい目の前に置かれたマグカップの中身を一口。色々と器用な神社生まれの後輩だが、お茶やコーヒーをいれるのも美味い。飲みなれたコーヒーに舌鼓を打つ。

 

「ふーん、そういうものか。隣の芝は青いってやつか、それと私のことは滝本准教授、もしくは滝本先生と呼ぶように」

 

その容姿のせいかタキちゃんはちゃん付けで呼ばれることを嫌う。しかし、俺にとってはタキちゃんはタキちゃんだ、今更呼び名を変える気はさらさらない。

 

「まぁ、滝本先生。先輩の顔が幸薄そうだったり、三流の悪人面だったりするのはいつものことじゃいですか」

 

けらけらと何がそんなに面白いのか分からないが俺の隣に腰かけた後輩が笑う。少しでもいいから俺にその楽しさを分けてほしいものである。

 

そして、久しぶりに口を開いたと思えばこの言葉だ。一体こいつは俺のことをなんだと思っているのだろうか?

 

まぁ、間違いなく尊敬すべき先輩だとは思っていないのは確実だろう。

 

「幸薄そうだったり、三流の悪役面だったりで悪かったな。それよりも、タキちゃん、今日の要件は何です? お茶飲みに来たって訳じゃないですよね」

 

分かり切ったことだが、万が一の希望も込めて聞いてみる。

 

「何って、聞くまでもないだろ。暇をもて余しているキミにアルバイトを持ってきてあげたまでだ」

 

足を組みながらさも当然のようにタキちゃんは言う。こちらとしては遠慮したい限りである。

 

「残念ですが、学生の本文は勉強でしてね。今日は午後から講義詰まっているんですよ」

 

最後の抵抗も、

 

「あぁ、心配しなくてもいいぞ。頼みたい仕事が夜からだ」

 

あっさり、斬って捨てれた。

 

――全く今日は厄日だ。

 

「これを見てくれ」

 

俺の心情を無視するようにタキちゃんは白衣の内ポケットから紙を一枚取り出した。独特の薄い鼠色はよく見慣れた新聞のそれ。どうやら何かの記事を切りぬいてきたらしい。

 

――深夜の国道でトラックと乗用車の正面衝突事故。

 

大きく書かれたその見出しは俺がさきほどネットでみた事故の記事だった。

 

「この事故について何か知ってるか?」

 

タキちゃんが俺と後輩を交互に見ながら聞いてくる。

 

「えーっと、朝のニュースで見ましたね。乗用車とトラックの正面衝突事故だったとか」

 

「俺もネット見ましたね。まぁ、それくらいですが。まぁ、でもこんな事故珍しくもなんともないでしょ」

 

タキちゃんは俺の言葉を受けて、もう一度俺と後輩の顔を交互に見た。

 

「巫女はともかく、お前は噂くらいは知ってるだろ」

 

ぎろりと睨まれた。

 

ついでに巫女とは神社生まれの後輩のあだ名だ。神社生まれであることと、こいつの名前を文字って巫女とか巫女ちゃんとか色々と呼ばれている。

 

「噂ですか?」

 

「あぁ、実はこの事故が起きた国道なんだが、事故が起こる頻度が異常に高いんだよ。確かに見通しも悪いし、街灯も少ないのは事実なのだが、それも起こりすぎだ。そして、そんな国道について、都市伝説ないし、噂がどこからか流れて始めたって訳だ。なんでも、あの道には赤い服を着た女の霊がでるそうだ、ってな」

 

――赤い服を着た女の霊。

 

その噂は俺も知っている。最近、聞くようになったため後輩が知らないのも無理はないかもしれない。噂の内容はどこにでもあるような、赤い服を着た女の霊が急に現れてドライバーを事故へと追い込むとかなんとかいうやつだ。

 

「で、その噂話がなんだっていうんですか? タキちゃん、まさかその噂話を信じているんですか?」

 

「まさか、私がそんな三流都市伝説なんぞ信じるわけないだろ」

 

基本的にタキちゃんは徹底的なリアリストだ。摩訶不思議な現象に対して、超常的な考えを否定し、全てを科学の力で解明しようとする。目に見えないもの、科学で解明できないもの、そういった物を彼女は認めない。

 

少なくともあの時俺と出会わなければ彼女はその生き方を最後まで貫いただろう。

 

あの事件以降、彼女も少しは魑魅魍魎の類を認めるようになった。彼女曰く『目に見えるものついては認めざるをえない』ということらしい。

 

滝本女史とはそういう人間だ。

 

「ただの三流都市伝説なら斬って捨てるが、なんでも少しばかり面白い話があってな。昨晩の事故で亡くなった乗用車の運転手なんだがハンドルをきったお陰か即死じゃなくてな、救急車両が到着するまでは息があったらしい。そして、救急隊員にこう、ぽつりと零してこと切れたとか『赤いワンピースを見てついよそ見しちまった……』 」

 

「……その話が本当だとしてなんでタキちゃんがそんな話を知っているんですか? 事故起こったの昨日だし、噂にしてもそんなに早く出回らないですよね」

 

「事故が頻発しているのは前から知っていたからな、事故被害者の様子を聞くついでに対応していた救急隊員に直接聞いた。だから間違いない」

 

「隊員の聞き間違え、もしくは若しくは被害者の見間違いでは? もしも噂を知っていれば事故のショックで見たと思い込んでも可笑しくないのではないですか?」

 

俺の言葉にタキちゃんはふむ、と唸ると、

 

「その線は薄い。隊員はその道のプロだ。動揺して聞き間違えることはあるまいよ。そして、見間違い若しくは幻視の可能性だがそれも可能性としては低いだろう。今回の事故の被害者は二つの県の人間だ。あの噂は最近になってこのあたりで流行りだしたもの。県外の人間がましてや二つ隣の県の人間が知るわけはあるまいよ」

 

どうにかしてタキちゃんからの依頼を断ろうと思ったがそれはやはり無理なようだ。

 

「じゃあ、今回の依頼というのは?」

 

「ご明察の通り、赤い服をきた女の霊というやつに関してだ。報酬はこれで」

 

タキちゃんはそういうと胸ポケットのなから紙幣を一枚取り出すと机の上においた。

 

――5000

 

紙幣には非常にもその数字が並んでいた。

 

「いや、タキちゃん。これ冗談でしょう?」

 

いくらなんでも安すぎると抗議のまなざしを飛ばす。勿論無駄だとは分かっているが抗議しないわけにはいかない。

 

「ん? 何か言ったか?」

 

「い、いや、ちょっとこの金額は安いというか……」

 

目的の国道まではこの辺りからだと2時間以上はかかる。往復だと5時間だ。霊が居ようがいるまいが5時間拘束されて、5000円。時給1000円。事前準備を含めるとさらに時給は減る。ピザ屋のバイトの方がまだ稼げるとはこれ如何に。

 

「ほう……。我が大学では基本的に学生同士の現金のやり取りは禁止しているのは知っているよな? 私は優しいからお前たちの活動に目をつぶっているだけだぞ。もし、私の気が変わったらどうなるか分かるだろう……」

 

にやりと口端を上げながらタキちゃんは言う。良い笑顔だ。

 

そして人はこれを脅しと言う。

 

「分かりましたよ!受けます! 受けますよ、その金額で!」

 

この同好会での“活動”で得られる金額も今では少なくない。折角作ったこの人脈とこの空間を一時の不利益で失うにはもったいない。ここは我慢することにする。

 

「その変わり、必要経費と終わった後酒の一杯でもおごってくださいね」

 

「あぁ、任しておけ」

 

やけになった俺にタキちゃんはいつも通りのどや顔で返した。

 

そして、後輩はいつものやり取りを笑いながらただ見ているだけだった。

 

――あぁ、やっぱり今日は厄日だ。


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