間一髪だった。
堀北によって解放された時、腕時計が示していた経過時間は数十秒程度。
ただ、俺が体感した時間はそれをはるかに超えていた。
精神と時の部屋のような感じだ。
今際に至ると人の意識は圧縮され、極めて短い時間で様々な記憶がフラッシュバックするという話があるけど、それを体感したような心持ちでいる。
大事なことなので、もう一度。
間一髪だった。
ともあれ、Bクラス訪問の目的は概ね達成。
いろいろと被害はあったものの星乃宮先生からも逃げおおせた。
堀北の前でまたもや醜態を晒してしまったという問題については、目を逸らして対処。
どこかで得点を稼ぐことだけ覚えておこう。
***
6日目、早朝。
天幕に水滴が落ちる音が、テントの中に響き続ける。
少し前から降り出した雨によるものだ。
頭上に枝葉が茂っているキャンプでこれなのだから、外はかなりの土砂降り。
実質的な最終日にこんな天候を引き当てるなんて、いろいろと勘繰ってしまう。
島の天気は変わりやすいなんて言葉もあるけど、この雨が簡単に止んでくれるとは思えない。
せいぜいが、降ったり止んだり程度だろう。
「‥‥‥1週間もこの島にいれば、1日くらいはこんな天気ともぶつかるよね」
隣にいる平田からの掛け声。
言葉とは裏腹に、その表情は冴えない。
当然だ。
このレベルの雨だと、野外活動はかなり制限される。
食事の準備や水の煮沸、スポット占有などあらゆることに影響が出てくるのだから。
ただ、この雨をより忌々しく思っているのが平田と俺のどちらかと問われれば、間違いなく俺。
理由は2つある。
堀北の体調がさらに悪化する懸念と、警戒への悪影響。
前者は言わずもがな、そして後者の比重もそれなりに大きい。
現に、周辺の音を拾う上でこの雨が大きなノイズとなっている。
何か別の方法を考えるべきかもしれない。
そうして日没以降のことへ考えを巡らせていたら、テントに近づいてくる足音を感知。
「浅村君と平田君、起きてるかしら?」
「おはよ〜」
堀北と軽井沢の控えめな声が聞こえてきた。
さっきも言ったように、外は大雨。
テントの外へ出ると、頭にバスタオルを被っているだけの2人が目に入った。
「2人とも、少しだけ待ってて」
そう告げて川辺に向かい、Cクラスから借りたビーチパラソルを2つ引っこ抜いて戻る。
「はい。それだと風邪ひくよ」
「浅村君こそ、一瞬でずぶ濡れじゃん」
「俺は頑丈だから平気」
返事をしながらパラソルを1つ平田と軽井沢に渡して、もう1つで堀北と俺をカバー。
普通の傘よりもかなり大きいので、人間2人程度なら無理なく入ることができる。
‥‥‥場違いだけど、夢が1つ叶った。
雨の中 鈴音と同じ 傘の下 わが衣手は 露にぬれつつ
それはそれとして。
「こんな朝早くにどうしたの?」
時刻は5時を過ぎたあたり。
まだクラスメイトの半分以上が眠っている時間だ。
「軽井沢さんと話していたのだけれど、今日のスポット占有は私達4人だけで向かうべきよ。この雨だと、大人数での移動はデメリットが勝るわ」
「で、どうせなら今から行かない?この時間から回れば明日の点呼までに4回占有できるし、4人だけなら結構早く回れるよね?」
堀北と軽井沢から、示し合わせていたであろう言葉が出てきた。
相性が良くない組み合わせだと思っていたけど、俺の勝手な思い込みだったのかもしれない。
「まぁ、平田君と浅村君がめんどくさいって言うなら、あたしと堀北さんだけでもいいけどね?」
「流石に2人だけで向かわせるわけにはいかないよ」
平田はそう言って、こちらへと視線を向ける。
これで4人のうち、俺以外の3人が合意。
多数決なら既に答えは出ているし、堀北からの提案である時点でこちらに否はない。
夜のスポット集会については懸念もあるけど、俺がそばにいるから大丈夫だろう。
「俺もそれでいい。他の人には?」
「篠原さんと王さんには話したわ」
伊吹と同じテントで寝起きしている2人。
どんなニュアンスで伝えたのかはわからないけど、堀北なら抜かりはないはず。
「なら大丈夫だね。早速行こうか」
そうして薄暗い中、キャンプを出発した。
「足元、気を付けて。かなりぬかるんでるみたいだから」
「大丈夫よ。迷惑はかけないわ」
この場面を伊吹に見られれば、4人の中の誰かがリーダーだと確定させてしまうことになる。
ただ、1週間近くも一緒に過ごしているのだ。
それくらいまではもう絞り込まれているはず。
もしそれすら叶わない人間を送り込んだのなら、龍園の手札も程度が知れる。
結局、朝と昼のスポット占有は何事もなく完了。
出発のタイミングを目撃された気配もなかった。
他の女子曰く、伊吹はテントの中でずっとおとなしくしていたとのこと。
幸い、忌々しかった雨も今は止んでいる。
といっても空は相変わらずの曇天。今にも降り出しそうな、ダークグレイ一色だ。
そこらへんを勘案して、今日はスポット占有以外の遠出は控えようという結論になった。
食料調達も諦めて、完全なる引きこもり40人が完成した。
俺にとっては初めての、この島での手持ち無沙汰な時間が到来。
とりあえずは人心地つけて、夜に備えているところだ。
ちなみに、食料に関しては備蓄なんて残ってない。
その上で調達も諦めたのだから、食糧危機が訪れるのは当然のこと。
平田は試験ポイントを使って対応しようとしたけど、軽井沢を中心としたメンツから待ったが入った。
明日の朝には試験が終わって、船に戻れる。
そしたら美味しいものがたくさん待っているのだから、今日1日くらいは我慢してもいい。
そんな意見だ。
ほとんどのクラスメイトがそれに賛同した結果、全員が何も食べないで過ごしている。
空腹で、かつやることが無い時間。
人によってはなかなか堪えるだろう。
例えば、人一倍食べるバスケ部所属の赤髪とか。
「浅村、なんか面白い話してくれよ」
暇そうにしている須藤からの無茶振り。
都合、8度目の無茶振りだ。
「‥‥‥遠い昔、遥か彼方の銀河系で」
「お前、どれの話しようとしてる?」
「8」
「殴るぞ」
「わかった、やめるよ。というか暇なら、池達の人狼に混じってきなよ。GM役やってあげれば喜ぶんじゃない?」
言いながら、近くの男子用テントへ視線を送る。
中で人狼ゲームが開催されているテントだ。
「なんで腹減ってるのに頭使わなきゃならねんだ」
「そこまで頭使わないでしょ。ノリで行けるよ」
「性に合わなねんだよ、ああいうやつ。やってる最中も食いもんのことばっか頭に浮かぶし。船に戻った時なに食おうかとか、そんなんばっか考えてる」
「それでさらにお腹が減ると」
「マジでそれ。だから、さっさと時間が過ぎてくれねぇかなって」
そう願うほど、ゆっくりと流れるのが時間という曲者。
俺にも覚えがあることだ。
それもごく最近に。
具体的に言うと、星乃宮先生に絡まれてた時。世界が一巡したんじゃないかってくらい長かった。
「なら勉強でもする?」
「だから、なんで腹減ってるのに頭使わなきゃならねんだよ‥‥‥。そもそも、ノートもペンもないから無理だろ」
「枝で地面に書けばいい。紙と文房具を自由に使えるのがどれだけ恵まれているのか、理解するいい機会じゃないかな」
そう言ったら、須藤は枝を拾い上げて地面に文字を書いた。
『クソ』と。
「‥‥‥あ〜腹へった」
何度目の『腹減った』だろう。
「発想を逆転させるべきかも」
「あ?」
「食い物のことを考えちゃダメって意識してるから、余計にそっちへ寄ってるんじゃない?」
「じゃ、どうしろってんだ」
「食べ物で古今東西してみるとか。暇潰しにもなるし」
「絶対逆効果だろ」
「しばらくやってたら池が釣れる可能性もあるよ」
「うっし、やるか!」
そばにあるテントを指で差しながら言うと、須藤が楽しそうに応じてきた。
さっきまでただただダルそうにしてた表情にもやる気が満ち溢れている。
目もキラキラし始めたし、完全にお気に入りのおもちゃを見つけた男の子のノリだ。
「じゃ、お題は寿司ネタで回答時間は30秒、俺からね。コーン」
「マグロ」
「アスパラ」
「あー‥‥‥エビ」
「味玉」
「‥‥‥タコ」
「ハンバーグ」
「クソッ、あんま出てこねぇ‥‥‥‥‥‥イクラ」
「こっちはまだまだ行けるよ。ちくわ天」
「俺だって余裕だわ。余裕だけどちょっと待て」
そうして須藤がうなり始めたタイミングで、テント入口から勢いよく池が現れた。
「食べ物の話は禁止ぃ!あと!浅村のやつは寿司ネタじゃねぇ!」
ビシッとこちらを指差しながら、捲し立てる池。
それを見た須藤はしばらく呆気に取られたような顔をした後、ニヤリと笑いながらこちらを向いた。
「マジで釣れたじゃねぇか」
「みたいだね。びっくりしてる」
滾るツッコミソウルを抑えきれなかったのだろう。
「いや、俺を釣る云々とかも聞こえてたから無視する気だったけど、我慢できなかったわ」
「難儀な性格だね。ところで、人狼はいいの?」
「ちょうど吊られた。あと、みんなもちょっと飽きてきたっぽい」
「そっか。じゃあ須藤、30秒経ったから俺の勝ちね」
「‥‥‥‥寛治が今言ってたろ。お前の言ってるやつは寿司ネタじゃねぇって」
「回転寿司とかで提供されてるから立派な寿司だよ。須藤もそれをわかってるから、文句言わなかったんでしょ?」
「いやいや、こういうのは多数決だろ。2対1で俺の勝ちだぜ。なぁ、寛治?」
そう言いながら池の肩へ手を回す須藤。
『おお、心の友よ』とか言いそうなノリだ。
「なら、第3者の意見を聞いてから改めて結論を出そう。──篠原さん、ちょっといい?」
あたりを見回して目についたクラスメイト。ベッドチェアーで暇そうにしていた篠原へ声をかける。
池の体が微妙に強張った。
「ん?どしたの?」
篠原はそう言うと、わざわざこちらへ寄ってきてくれた。
「すごくどうでもいいこと聞きたいんだけど、食べ物の話していい?」
「え〜やだ〜!どうしてもって言うなら、少しだけ聞くけど」
ケラケラ笑いながら応じてくれたので、質問を投げる。
「じゃあ早速。回転寿司に行ったことはある?」
「そりゃあるよ。家族でちょくちょく通ってたかな」
「そのお店さ、アスパラとかコーンとかあった?」
「あったあった!あたしコーン軍艦好きなんだよね」
「健、お前の負け」
「はぁ!?寛治テメェこのやろっ!」
判決を下した池が、須藤からヘッドロックをキめられた。
こうなることがわかった上で、池は筋を通したのだ。
なんて漢気あふれる行いだろう。
「聞きたかったことって、今の?」
「そう。コーンとかアスパラとかの変化球を寿司ネタとして扱うかどうかで意見が分かれてたんだ。篠原さんのおかげで、無事に寿司ネタとして認定されました」
「イェーイ!」
パチパチと拍手をしてくれる篠原。
ノリがいい。
これなら間違いなく、池との相性も抜群。俺のお墨付きだ。
「ちなみに、そこでヘッドロックしてる方が反対派。されてる方が賛成派」
そう伝えると、篠原はヘッドロックされてる方(池)へ声をかけた。
「わかってるじゃん。たまにいるんだよね〜、コーンとかアボカドとか認めない古典派が」
ジロリ、と須藤が視線を篠原へと向ける。
「俺のこと言ってるだろ、篠原」
「もちろん。早く池を解放しろー」
「こいつが考えを改めたら離してやるよ」
須藤はそう返すと、エンドゲームの体勢へ移行。
『解放しろ〜』と一人シュプレヒコールをかましている篠原も、楽しげな様子だ。
すると、池と同じように会話を聞きつけたのか、テントの中から人狼組がゾロゾロと出てきた。
山内が『そもそもワサビ入ってないやつが寿司を名乗るべきじゃない』と言えば、本堂が『原理主義者かよ。稲荷寿司とかちらし寿司はどうすんだ』と返す。だいぶ場が温まってきた。
「随分と賑やかだな」
その熱に惹かれたのか、幸村も声を掛けてきた。
話すのは初日以来になる。
「みんな、譲れないものがあるみたいだね」
「10分後には鎮まってそうな空元気にしか見えない」
「それでも、何もしないで過ごすよりはいいと思う。一番苦痛を感じるのって、暇な時だし」
「‥‥‥なら、少しだけ俺の暇つぶしに付き合ってくれ」
そう言って踵を返す幸村。
黙ってその後に続くと、少し離れたあたりで足が止まった。
「明日、他クラスのリーダーは指名するのか?」
単刀直入の問いかけ。
「そのつもりだけど、最終的な結論はこれから。もしかして、何か掴んでたりする?」
「いや全く。完全に興味本位だ」
言って、幸村は軽く息を吐いた。
「浅村はいつもどうやって動いてる?」
「動いてるって言うのは」
「情報の集め方だ。この試験が実施されることも、事前に言い当てていただろう」
「ひたすら人から話を聞く。それに尽きる。そんなに奇抜なことはやってないと思うよ」
「それ、今回みたいな試験でも通用するのか?」
「この島に来てからは、Dクラス以外だとBクラスとしか話せてない気がする」
「通用してないんだな」
「大丈夫。リーダーの目処はついてるから」
「試験が終わったらでいいから、どうやって突き止めたか教えてくれないか?」
眼鏡をクイっとした幸村が、フイッと横を向く。
「それも興味本位?」
「後学のためだ。これから、同じような試験がないとも限らないからな」
「誤指名したら理由や経緯を説明する、にしてくれない?」
「あまり言いたくないか?」
「そうだね。こういうのって、ネタばらししない方がかっこよく見えるし」
「‥‥‥なら、かっこよく終わらせてくれよ」
そう言うと幸村は戻って行った。