毎日生姜焼き定食を食べる男と、毎日クリームパンを食べる女の視線は今日もぶつかる。
……ぶつかっているよね?

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気になるあの人は、今日も同じものを食べている

 斉藤沙織が務める会社の社員食堂は、少し前にテレビ取材が入った。広々としていてメニューに富んでいる社員食堂は、会社外の人間も知っているほど有名だ。新入社員達なんて、入社してもう二か月も経つのに、いまだに感動している。その社員食堂は、今日も色んな部署の人間で溢れていた。

 

「あ! ねえ、あれ」

「うわっ……すげえイケメン!」

 

 女子社員たちが興奮したように声を上げた。沙織の隣にいた後輩の育美も一緒になって声を上げている。彼女はそんな育美を後目に、ここ最近お気に入りの席をすばやく陣取る。

 窓際の席は、開放感があって気持ちがいい。食堂は会社の最上階にあり、空中で食事をしている気分になるから好きだ。

 こんなことを思う沙織は、食堂にはしゃぐ新入社員達のことをからかうことなんてできない。彼等彼女等には先輩の威厳もあるし、窓際が好きなんて内緒だ。

 

 さて、沙織がこの特等席に座りたい理由は『開放感』の他にもある。クリームパンのビニールを開封しながら、沙織は視線をそちらに向ける。そこには、すらりとした長身の男がいた。彼はテーブルの上にノートを広げて何かを書いているようだった。さらりと流れる髪から覗く横顔は、確かに整っている。

 だけど、沙織の目は別のものに釘付けになっていた。

 

(あ、また生姜焼き定食だ)

 

 先月の頭に、海外商品企画部に新しく配属された男、川越和夫は、もう十日連続で生姜焼き定食を頼んでいる。

 そう、沙織は和夫が『今日何を食べるか観察する為』にこの席を陣取っている。受け取り口がよく見える絶妙な距離だ。

 

(飽きないのかな)

 

 沙織が確認する限り彼は、毎日、生姜焼き定食を選んでいる。

 いつものように最初の一口で中の柔らかい食感と出会う。いつ食べても、感動せずにはいられない甘さに咀嚼は止まらない。最近はシンプルではない映えるクリームパンも発売されているが、彼女はシンプルなクリームパンが好きだ。

 そんな風にクリームパンを頬張りながらも、和夫を目で追う。──そして結構な頻度で目が合うが、いつものように逸らされる。

 彼のトレーの上にあるご飯は今日も漫画のような大盛りだ。いっぱい食べる彼に、食堂のおば様方が喜んで盛っているのだろう。

 そういえば、ご飯大盛りは無料だからしないと損だと新人の男の子達も言っていた。……彼もそう思っているのだろうか。

 

「沙織先輩、お待たせしました。……って、待ってないし! も~う!」

 

 魚か肉で悩んでいたはずの育美がオムライスの乗ったトレーを置いて、頬を膨らませながら言うので手を合わせて謝る。

 育美は一部の女性社員から嫌厭されているが、沙織はいい後輩だと思っている。話し方がおっとりしていて、繁忙期でもイライラした態度をしないところは尊敬に値する。

 いつも可愛くしてお洒落なところも偉いと思う。

 

「で、先輩は今日誰を見てたんですかぁ?」

 

 育美がにんまりと口角を上げて問う様子に沙織の肩がぴくりと上がる。まあ、あれだけ見てれば分かるか、と思いながら沙織は目線で彼を指す。

 

「きゃっ、先輩ってばとうとう来ちゃったんですかぁ?」

 

 小声ではしゃいでいる後輩は、コイバナが好きだ。いや、大好きだった。

 

「そんなんじゃないよ」

「誤魔化したってだめですよぅ」

 

 そんな輝かせた瞳で見ないでと思いながら、犬っぽく慕ってくれる後輩の髪を崩さない程度に撫でてやる。

 

「えっと……毎日同じの食べてるから、何となく確認しちゃうというか」

 

 もしや土日も生姜焼き定食なのだろうか。いくら好きだからって、そんなに同じものを食べるものなのだろうかと意識を巡らせる。

 

「何言ってるんですか?」

 

 残業してもピカピカ笑顔の後輩の目が、チベットスナギツネになっていた。

 

「先輩だって同じもの食べてるじゃないですか」

 

 急にテンションの下がった育美は、沙織の手元にあるクリームパンを見て真顔で続ける。

 

「えっ、同じじゃないよ? 一昨日は今話題の店ので、昨日は路上販売ので、今日のはコンビニ」

「あ、もういいです」

 

 そう言った育美は、何かを悟ったような表情になっていた。

 

 

 和夫の生姜焼き定食が二十九日目になる頃。後輩は沙織にちょっかいを出さなくなっていた。

 

「育美ちゃんは、川越……さんのことどう思う?」

 

 可愛くて愛嬌もあって、お洒落な育美は男受けがすこぶるいいので、もしかして彼から声がかかったり? なんて、思っていたのだ。

 何でもない、ただの世間話ですよ的なテンションで聞けた……と思っていたが、育美はにんまり顔で返す。

 

「川越和夫さん、二十七歳。独身ですよっ。ど、く、し、ん!」

「……そう」

「あっ! 大丈夫ですよ? 彼は私のタイプじゃありませんからっ」

「知ってるよ」

 

 育美のタイプの男は線の細くて王子様みたいなアイドル系の男だ。この様子だと、彼から声をかけられたということもないだろう。

 

「強面ですよね、川越さんって。大きいし威圧感があるし、私はちょっぴり怖いかも」

(うーん、怖いかなあ?)

 

 黒髪に意志の強そうな眉と、固く引き結んだ口元は『怖い』というより強そうで頼りになりそうな印象を受ける。それに、背が高くて体格もよくて、格好いい。

 そんなことを思っていると、今日も今日とて記録を更新した彼を発見した。

 

(あっ、目が合った)

 

 ここ二・三日、目が合う時間が長くなった──どちらも逸らさないからだ。じーっと、見つめる。じーっと、見つめ返される。

 そして、彼が目線を外した。

 

(今日も、勝った!!!)

 クリームパンをスタイリッシュにぱくつく沙織を見た後輩の目はチベットスナギツネであった。

 

 

(聞いてないぞ~~~っ)

 

 育美の括れたウエストに、肘でつんとしてやるがダメージは与えることができなかった。

 

「うふっ」

「『うふ』じゃないよ、育美ちゃん」

 

 可愛い後輩に人数が足りないんですぅ、と泣きつかれて参加を決めた飲み会に来てみれば、彼こと和夫がいた。しかも、飲み会参加人数は……全然足りている。むしろ多過ぎるくらいだ。

 遅いぞ、と見知った顔に言われ、適当に席に着いてビールでいいかと確認されないままにグラスを渡され、何度目かであろう乾杯をする。

 

(ビールって、苦手なんだよね……)

 

 沙織は、ビールは飲めるけれど、好きではない。もともと苦い味が得意ではないのだ。ゴーヤやししとうとかもあまり好きではない。

 甘い酒が飲みたい。炭酸でないものがいい。でも甘い酒しか飲めませんなんて言って場が白けるくらいなら、黙っていた方がいい場合もある。

 酒の場はコミュニケーションの場であるが、変にマウントを取ってくる輩も発生するので面倒だ。仲間内だけならいいが、今日みたいな色んな部署の人間が多いと気を遣わねばならない。

 ちびちびビールを飲んで、残り半分ほどまできたところで、こっそり甘い酒を頼む。彼女は、祖父の血を引いたのかアルコールにはかなり強い方だ。でも炭酸や苦みがある酒は苦手だ。なのでいつも、甘くて口当たりのいいものばかり飲んでいる。

 ビールを美味しそうに飲む様子を見る度に、よくあんなもの飲めるなと沙織は思う。年を取れば美味しく感じるのだろうかと思った二十歳の頃から、アラサーと呼ばれる年齢になった今まで、その感覚は変わっていない。

 味覚は変わると聞くけれど、沙織の味覚はずーっと変わらない。そんなお子様舌の彼女の酒の肴は、ビールを美味しそうに飲む彼だった。

 

(おお~っ)

 

 こっそり観察する和夫の飲みっぷりは気持ちがいい。彼が飲んでいると、苦いビールも美味しそうに見える。

 おそらく沙織が来る前からも同じペースで飲んでいるのならもう五杯以上は飲んでいるはずだが、顔が赤くならないのが凄い。

 なんとなく酒に強いんだろうなと思っていたのだが、予想が当たって彼女は気分が上がっている。

 緩めるネクタイ、腕まくりしたシャツ、つまみを食べる口、ビールを飲む度に上下する喉ぼとけ……控え目に言って最高である。

 

「よお、飲んでるか?」

 

 同期の伊原だ。沙織は現実に引き戻される。

 

「うん、飲んでるよ」

「お前、まぁた甘い酒ばっかり飲んでるな」

「いいじゃん」

「もっとビール飲もうぜ~」

(う、うるせえ……)

 

 酔っ払いは苦手だ。なんとなく、ちらりと和夫を見る──と、目が合った。

 

「斉藤、ビール注ぐぞー」

「あ、うんっ」

 

 伊原に頷く勢いで彼から目を逸らしてしまった。本当に、つい。

 

(あー、今、めっちゃ目が合ったのに)

 

 ──そして、初めて自分から目を逸らしてしまったことに気付き、肩を落とした。

 

 

「川越、今日もばっちり見つめ合ってたなあ~」

「別に。そんなんじゃない」

 

 見つめ合ってるというより、観察されているから見返したって感じなのだと和夫は思った。

 支社から本社に引き抜かれてから、デザイン室の斉藤沙織という変な女に和夫は観察されている。女の名前は目の前でカレーライスを食べている上野から聞いた。

 彼より二つ年下の二十五歳で、今まで二・三回コンペで賞を取ったことのある実力者だとか。

 細身ですらりと背が高く、姿勢がいい沙織の第一印象は『変な女』ではなかった──。黒髪が綺麗でメイクが控え目な落ち着いた美人。

 つまり……好印象だった。

 その彼女を『変な女』とカテゴライズしたのはそれから結構すぐのことだが……。

 

(またクリームパン食ってるし)

 

 沙織は毎日毎日、飽きずにクリームパンを食べている。今週の月曜はベーカリーのクリームパン、火・水・木曜はコンビニのクリームパン今日はワゴン車販売のクリームパン。大きく口を開けて、蕩けるような顔で食べている。

 

「いやお前、人のこと言えないだろ。毎日、生姜焼き定食って……」

「修行じゃない。美味いから食ってる」

 

 むっとして言い返すと、「あっそ」と興味なさげな返事が返ってきた。和夫は一旦これだ! と思うと、そればっかりになる。今は昼だけだが、学生時代なんかは三食同じものしか食べない時期もあった。

 でも、毎日クリームパンは無理だ。よくもまあ、飯時に甘いものだけで満足できるなと思う。それに彼は甘いものが得意ではない。

 しかし彼女はそれをもう二週間も続けている。彼が気付く前からも食べているとしたら、もう相当な数のクリームパンを消費していることになる。

 生姜焼きパンとかはないのだろうか……と、ぼんやり考えながら生姜焼きのたれが染みた白米を口に運んだ。

 

 

 後輩と飲み会に遅れてやって来た沙織は、和夫の存在に首を傾げているようだった。しかし、そんな仕草をしつつも彼女は普通に席に着いた。

 ビールをちびちび飲んで、ようやく半分消費したところでジュースみたいな色の酒に切り替えた彼女は、きっとビールが苦手だ。

 酒は強くないのだろうか、空腹でアルコールを飲んで大丈夫なのだろうかと、心配になる。

 彼女は卵焼きや漬物を少しばかりつまむくらいで食事らしい食事をしていない。

 

(飯を食え)

 

 和夫はビールを呷りながら彼女を観察する。そして、先ほどからビール瓶を持った同じチームらしき男に何やら絡まれているが、いつものことなのか誰も男を止めない。

 

(誰か助けてやれよ……あ)

 

 目が合った──すぐに逸らされたが。

 

 なんで逸らすんだ、いつもじっと俺を見てくるくせにと思うと、彼はなんだか無性にいら立っていた。断れと念ずるのに沙織は注がれたビールを断らない。

 もしかして押しに弱いタイプなのだろうか……と考えて、即座に違うなと思った。押しに弱い人間が、他人をあんな風に見るとは思えないからだ。

 

『いやいや、斉藤ちゃんはお前のこと好きなんだろ。それしか考えられないじゃんよぉ。あーあ、俺の方がイケメンなのにさぁ』

 

 今日の昼に上野に言われた言葉がよぎる。

 

『川越だって気になってるくせに~。ったく、中学生かよ』

 

(俺は、中学生じゃねえ!)

 

 和夫は七杯目のビールの残りを一気に呷ってから席を立った。けれど和夫は沙織を助けるつもりはなく、どういうつもりで自分を見ているのか聞くつもりだった。

 毎日クリームパンなんて体に悪いから、サラダを一品付けろとも言ってやるつもりだ。

 強面と言われている自分からさっきの一回以外、彼女から目を逸らしたことがないくせに、今日に限って逸らした理由も聞きたかった。それと、付き合っている男の有無と、……できれば、週末の予定とかも聞きたいとも思っていた。

 

(覚悟しろ、斉藤沙織!)

「隣、いい?」

 

 ことの他、優し気に発せられた和夫の声に、沙織が振り返る。彼女は、声の主が和夫だと認識した瞬間、クリームパンを頬張っている時のような顔で笑んだ。

 

(もっと、早く声をかければよかった)

 

 和夫は、この時になってようやく自分が彼女の笑顔を間近で見たかったことに気付き、そんな自分に呆れつつも口角を上げた。

 

「何だ? 俺の顔に何か付いているのか?」

「ううん、なんでもない」

 

 そう言いながらも、和夫の視線は沙織から離れなかった。




いかがだったでしょうか。


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