それはきっと、
『ちっ……ダメだ、基準値に達しない』
『本当に○○○コーディネイターなのか? 決められた通りのことすら出来ないとは……』
ガラスの向こうに、何かしらの言葉を呟いている男達の姿があった。
無論、実際にはガラスに阻まれてその話し声の内容が聞こえる事はなかったのだが、そういうことを言っているのだろうと容易に予想が出来た。───慣れというものだった。
男達とガラスを挟んだ別室、人体の何かしらを観測するための機械が置かれている場所で、1人の少年が息も絶え絶えにへたりこんでいた。
無理もない、少年は直前まで自身の体重の半分ほどもある重りを背負った状態でランニングマシンを10分も走らされていたのだから。
その15にもならない齢でこなすには余りにも困難な苦行をこなした少年を、しかし男達は不満そうに見るばかり。
『
『栄養バランスの計算は出来ている、必ず調整は成功している筈……』
『まさか、ストレスか? いやそれも十分に耐えうると計算では……』
男達は議論を続けたまま、少年の方は見向きもせず部屋から出て行った。
少年は何の感情も移さない虚ろな瞳のままで立ち上がろうとするが、この短時間で体力が戻りきるわけもなく、足を縺れさせて倒れ込んでしまう。
『……』
硬い床に打ち付けられたことで、全身から痛みが発するが、少年はうめき声さえ上げない。上げる気力もなければ、意味も無いと知っていた。
意味も分からず、説明もされず、ただただ痛めつけられ、体と精神をいじめ抜かれるだけの日々。
少年が思考を止め、過酷な日々を空虚に生きるようになるまでそう時間は掛からなかった。
そもそも自分はどのようにして生まれたのだったか。それすらも分からない。
目覚めた時には
厚みなど無い過去を振り返りながら少年は体をよじらせて立ち上がろうとするが、上手く体が動かない。
そもそも、立ち上がってどうなるというのか。その先に待っているのは、更なる
『……』
いっそ、このまま壊れてしまえば楽になれるのだろうか。
立ち上がることを、進むことを、全てを止めてしまえば───。
『───あなた、大丈夫っ!?』
突然、部屋の扉が開いて
その人物は倒れ込んだ少年を抱き起こし、簡単なメディカルチェックを行なった後に少年に水を飲ませる。
少年の体は、過剰に運動を続けさせられていたことで脱水症状を起こしており、水を飲ませたのは回復を図ってのものだった。
『人として最低、研究者としても3流だわ……!この子がどんな状態になっているかも分からずに放置するなんて!』
『……ぁぅ』
『大丈夫よ、大丈夫……』
少年を自分を抱き起こした人物、栗毛の女性を見つめた。否、にらみつけた。
どうして自分に何かをする?立ち上がらせる力を与えようとするのだ。もう少しで、終われたかもしれないのに。
少年の無言の抗議を知ってか知らずか、女性は少年を近くに置いてあったストレッチャーの上になんとか乗せることに成功する。
普段から運動不足がつきまとう研究職には10代前半の少年の体は重く、それが精一杯だった。
『とりあえず、これでいいかしらね……あとでメディカルルームまで連れて行かないと……』
『……な、んで』
『なんで、か……。なんで、なのかしらね。私も分からないのよ。ずっと、ずっとずっと、酷いことをしてきたのにね』
そう言って困ったように笑う女性の笑顔に、少年は形容しがたい何かを感じたのを覚えている。
それが『安らぎ』とか『暖かさ』とか、そう表現出来る感情だと知ったのは、これからしばらく続く女性との触れ合いの中で知ったことだった。
『そういえば、自己紹介がまだだったわね。
ヴィア・ヒビキよ。ここの研究員をやってるわ。よろしく』
少年の意識はそこで途絶えた。
否、夢という名の
「ん……?」
目を覚ましたその場所は、飛行中のために僅かに揺れる旅客機の客席だった。
オーストラリアのダーウィン国際空港から発進したこの旅客機が、目的地であるカイロ国際空港までたどり着くのに時間があるからと仮眠を取っていたことを、夢の主は思い出した。
「……久しぶりに、見たな」
かつての少年は、大人となっていた。
名無しの実験体ではなく、ヘク・オシ・サトミとなっていた。
3/18
アフリカ共同体 スーダン
「……隊長さんよ、1ついいですかね?」
「何か質問でも? ワイド君」
「自分達の仕事って、結構お堅い仕事の筈じゃありませんでしたっけ」
「まあ、基本的にはそうだねぇ」
「じゃあ、俺達は、なんで───」
「おおっ、そこを行くご婦人!どうか足を止めて我らの品揃えをご高閲いただけないだろうかっ!必ずや素晴らしい時間を創出しましょう!」
「……へい、らっしゃい」
「い、いらっしゃいませぇ……。ど、どうか少しだけでもお時間を……」
「───露店でジャンク屋ごっこなんかやってるんです?」
ワイド・ラビ・ダナガの言うことはもっともであった。ヘクは汗をタオルで拭いつつ、舌打ちをする。
現在、彼らオーブの特務部隊はエジプトを脱し、その南に位置するスーダン国内のとある街の野外市場にて、露天商を行なっていた。
店先に並べられているのはワイド達一兵卒ではよく分からない物も多いジャンク品ばかり───出所はモルゲンレーテ───であり、時折訪れる客からの質問にはもっぱらヘクが対応していた。
ヘクに直球な不満をぶつけたワイドを始め、ヘクの部下達は主に客寄せという名の賑やかし用員としてこの場にいる。
「そりゃあれだよ、カモフラージュ。ガタイの良い男共が徒党を組んであちこちウロチョロしてたら、どっかで目ぇ付けられるかもしれないじゃん?」
「理屈は分かりますよ。それがなんで物売りに紛することに繋がるかって話なんです」
出世の機会を求めてこの任務に志願したワイドからすれば、一向に目的に近づく様子の無いこの現状に苛立ちを隠せないらしかった。
「いや、仕方ないじゃん。本国からの支援なんて禄に無いこの状況、打てる手が少なければ採れる手も限られるんだから、何でもやってかないと。ほらファンフェルト君を見なよ、熱心に働いてくれてるからとても彼が軍人には見えないよ?」
「それにしたって他に、もっとこう……」
なおも愚痴をこぼそうとするワイド。その様子を見たヘクはスッと目を細めるとワイドを他者の視線が届かない物陰に引っ張っていき、右手でワイドの両頬を掴み上げる。
その顔に笑顔を、額に青筋を浮かべながらヘクは言葉の嵐を吐き出し始めた。
「ふぉっ!?」
「じゃあお前がリーダーやれよ? ちなみに俺はこの任務を聞かされて3日で全部の準備を済ませろって言われて、お前みたいな癖のありすぎる奴らをまとめて、アフリカのどこほっつき歩いてるかも定かじゃねえアホひっ捕まえて来いって命令されてんのを頑張ってやってるんだが、文句を言うならお前にはそれが出来るんだよな?」
「
鬼気迫るヘクの様子から危険を感じ取ったワイドは即座に降伏を決断し、ヘクはそれを認めて右手による拘束を解く。
ジンジンと痛む両頬に思わず手を当てながらワイドは、少なくともこの任務中はヘクに逆らうのは止めておこうと決意するのだった。
「たい……店長! こちらのお客様がこの商品についてお聞きしたいことがあるそうです。ご説明をお願い出来ますか?」
「はいっ、ただいま参ります!……次つまんねぇこと言ったら砂漠に置いてくからな」
「い、イエッサー……」
「店長、ただいま戻りました」
四苦八苦しながら露天商の振りをこなして数時間、この場にいなかったホースキンが一同と合流した。
「おーう、成果はどんなもんよ?」
「ここから南西に車で数日進んだ辺りに、『良い穴場』があるそうです」
「そうか……よくやった。おーいお前ら、撤収の準備を始めろー!」
『了解っ!』
ヘクがホースキンに命じていたのは、カガリが参加しているというレジスタンス組織『明けの砂漠』に関する情報収集だった。『良い穴場』とはつまり、『明けの砂漠』の活動領域に関する情報があった地域、ということである。
ヘク本人は露天商の偽装を成立させるために自由に動けず、仕方なしにホースキンに任せたのが実情ではあったが、きちんと成果を持って帰ってきたホースキンをヘクは再評価した。
これまではヘクを除いて部隊最年長のガルドがもっとも頼りになると思っていたが、ガルドはガルドで『他人に気を遣いやすい』という、場合によっては欠点にもなる性格だということが明らかになった。
(それを考慮すればむしろ、客観性を常に持って行動出来るホースキンの方がサブリーダーには向いてるかもな)
とりあえず、この場所でのやるべきことは終わった。これ以上無駄にジャンク屋のフリをする必要もないため、早々に荷物をまとめてこの場所を離れるべき───。
「ああっ、もうしばしの猶予を!もう少しで、もう少しでこの商品をお買い上げいただけるかもしれないのです!どうか、あと少し!」
「なにバカ言ってんだ!もう十分だってんだ、なんでマジになってやってんだよファンフェルト!隊長、なんとかしてくださいっ!」
再評価することもあれば、そうでないこともある。
第一印象通り、どころかますます不安にさせられるファンフェルトの有様を見て、ヘクは深く、それはもう深く溜息を吐くのだった。
この日、ヘク達は車(ウズミから渡された資金で現地購入した)で南に向かって走行した後、近場の街の宿屋で一夜を明かすことになった。
任務の内容を鑑みれば一刻も早く目的地に向かいたいのはヘク達も山々だったが、砂漠の多いこの地域で素人が夜を過ごすに厳しい物があった。
2台ある車の内、一両は偽装のためのジャンク品を詰め込んでいることも手痛く響いていた。というのもこれらの品々を抱えたことによってその他の、特に砂漠対策の荷物等を詰め込む余裕が無くなってしまったのである。
「まあ、ずっと車を走らせ続けるのも却って
考える時間が無かったとはいえ、ヘクは自分の偽装策が裏目に出たことを反省しながらベッドに寝転がる。
同室のワイドとファンフェルトは既に就寝済みであった。
くじ引きの結果決まった部屋割だったが、昼間は喧しかったファンフェルトがスヤスヤと静かに、かつ早々に眠りに就いた姿に「子供かこいつは」とヘクは呆れながら苦笑する。
自分達の任務がどれだけ困難であるかを理解しているかどうかは定かでないが、休むべき時にしっかり休める所は褒めるべきか。
そう思いながら、ヘクも眠りに誘われていくのだった。
夢を見た。あの虚無と苦痛に満ちていた時代の記憶が映し出されていた。
しかしこの夢は前回の物と違い、苦しみから始まってはいなかった。
『こんにちわ。今日は……うん、体調はいいみたいね』
『……こんにちわ、ヒビキ博士』
『ふふっ、今はほとんど働いてないようなものだけどね』
あの日、捨て置かれた自分を助け起こしたヴィア・ヒビキはこうして時折自分の部屋に来るようになった。
少年の部屋に訪れること、それ自体は他の研究員もやっていることだが、ヴィアと他の研究員では大きな差異が存在していた。
研究員達はヘクを連れて何かしらの実験をするために訪れるのだが、ヴィアはそのようなことはせず、本などを持ってきては少年と少しばかりコミュニケーションを試みるのだ。
元々この部屋に調度品などはなく、硬いベッドやトイレ等の最低限の生活設備が備え付けられるばかりだったが、ヴィアが訪れるようになってからは色々と物が増え始めていた。
研究員達はそれを見て顔を顰めるのだが、ヴィアは彼らの中でも上位の権限を持っているらしく、無理矢理に撤去しようなどということはしなかった。
『今日はね、これ。イーリアスの本を持ってきたのよ』
『イーリアス……』
『そう。昔々、地球が丸いということを人間が知らなかった頃に作られた物語。本当はもっと気軽に読める物を持ってこようと思ってたんだけど、この施設や周りには娯楽施設が少なくて……』
ヴィアから本を受け取り、マジマジと見つめる少年。
正直、少年は未だにヴィアの真意を測りかねていた。何故、自分のような実験体にこのような施しをしてくれるのか。
それを尋ねると、ヴィアは困ったような笑みを浮かべながら答えた。
『そうね……きっと、罪滅ぼしのつもりなのかもしれない』
『罪滅ぼし……ですか?』
『そう、罪滅ぼし。───人類の未来のため、そう自分に言い訳して行なってきた、痛ましい罪の……』
『……申し訳ありません』
『え?』
『自分の質問が、貴方の気分を害した物と思われます……』
少年がそう言うとヴィアは僅かに目を見開き、やはり穏やかな笑みを浮かべて少年の頭をなでるのだった。
今にして思えば、その笑みは穏やかな、と同じくらいに。
───悲しげだったのかもしれない。
彼女は2日後に、再び少年の部屋に訪れた。
『こんにちわ。どうだった、イーリアスは?』
『そう、ですね……なんというか、不憫?だなぁと』
『不憫?』
『ヘクトールは、何故報われなかったのでしょうか』
少年は本の表紙を撫で、言葉を続けた。
『おそらく、この物語の主人公はアキレウスで、ヘクトールはその敵、障害だったのでしょう。ですが、自分はヘクトールが不憫に思えました』
イーリアスはギリシア最古の叙事詩であり、主にトロイア戦争という戦争について描写が多くされている。
パリスというトロイア国の王子が「最も美しい女神へ」と記された果実を、美の女神アフロディーテに渡したことがきっかけで起きたこの戦争の中で、アキレウスはトロイア国と敵対したギリシア勢の側に付いて戦うことになる。
アキレウスは大英雄としてトロイアの戦士達を次々と打ち倒すが、そんなアキレウスの前に立ちはだかったのが、トロイア国の王子でもあるヘクトール将軍だ。
ヘクトールはその知略と武勇を持ってアカイアの戦士達と戦っていたのだが、その過程でアキレウスの友人でありアカイア側で戦っていたパトロクロスを殺害してしまう。
これに怒ったアキレウスがヘクトールと一騎打ちを行なうのだが……。
『アキレウスはヘクトールに勝ちました。しかし、その後ヘクトールの遺体を戦車の後ろに繋げて引きずり回しています。
ヘクトールは将軍として、王子として為すべきことをしていただけなのにです。このようにされる謂われがあったのでしょうか』
『それだけ、アキレウスの怒りが深かったということよ。やり過ぎとは思うけれども、それでも最後はヘクトールの遺体をお父さんのプリアモスに返しているわ』
『それだけではありません。戦争中、アキレウスは母テティスから新しい鎧を貰う、母を通じて自分の望み通りになるようにゼウスに掛け合って貰うなど、神々からの庇護を多く受けています』
対するヘクトールはというと、そもそもパリスの軽率な行動が切っ掛けで戦争が始まってしまうという災難にまみえる所から苦難続きである。
何かしらの対策を打てるかもしれなかった妹カサンドラの予言は、アポローン神の呪いによって誰にも聞き入れられることはなかった。
パリスと彼に妻を奪われたメネラオスの一騎打ちはパリスが無様な敗北を遂げた挙げ句、女神の手で生き延びる情けない姿を晒す。
挙げ句の果てには勝者であるメネラオスに決闘の報酬である妻の返還を為そうとすれば、ゼウスの甘言にそそのかされた部下がメネラオスに弓を射かけ、終結させられるかもしれなかった戦争が激化する。
そもそもトロイア戦争自体が人口調節のためにゼウスが仕組んだものである、などヘクトールは神々に振り回されっぱなしだった。
『何故、ヘクトールは無残な最後を迎えてしまったのでしょうか。国を案じ、家族を案じた善き人だったヘクトールは、自身の遺体を辱められ、妻は奪われ子供は殺され、愛した国をも滅ぼされました。
これは、余りにも不憫です』
『……そうね。彼はけして報われることはなかったわ』
ベッドに腰掛ける少年の隣にヴィアは座った。
そして少年と同じように本を撫でながら、こう続けた。
『でも彼は正しいこと、善きことをしていたわ。
命を賭けて国を守る為戦った、パリスのことだって叱りはすれど見捨てることはしなかった、自分の死後の妻子を案じた……立派な人よ。
そして、正しいことをしていた彼のことを私達は知っている。だからこそ彼は九偉人の一人として、多くの人にとっての模範として讃えられた。
その志は、こうして物語を通じて後世の人々に受け継がれているのよ』
『志……』
少年はヴィアと合わせていた視線を再び本に落とし、自嘲する。
自分にはとても持てそうにない。こうして束の間の安らぎを得ることが出来ても、しばらくすればまた何の役に立つかも分からない実験が再開される。
愛する国も、家族も、自分には存在しない。
そんな権利は、無いのだ。
『───そんなこと、ないのよ』
ヴィアは少年の肩を抱きながら語りかける。
『全ての人は、幸せに生きる権利が、そのために足掻く権利があるのよ。そのことをようやく理解出来たの』
ヴィアは僅かに膨らんだ腹を撫でながら、少年にそう言った。以前に話してくれたことだが、双子を妊娠しているのだとか。
全ての人には報われる
『だから、泣かないで』
そう言われて、少年は自分の頬を流れていく液体を拭った。
涙。以前に流したのは何時のことだったか。あの時は苦痛ばかりで、気付いたら流しているといった有様だった。
ただ、苦しいから体が泣いていた。今流れてるこの涙は、それとは違っていた。
少年は、初めて
『それでも、自分には無理です。だって、僕には……
検体番号76番、という呼称はあるものの、それを名前とは呼ばないだろう。
名前とはその個人を示すものであって、無くなったら補充すればいい物に付けるそれとは全く違う。
『だったら、私が名前を付けてあげる。貴方を、貴方にしてあげるわ』
『僕を、僕に……』
『そうよ。そうね……じゃあ、ヘクトールのような、優しくて立派な男性になれますようにって』
───ヘク・ドゥリンダなんてどうかしら?
この時、少年はヘク・ドゥリンダとなった。
片時も忘れたことはなかった、自分の名前。
そしてヘクは、この人のことを守れる男になりたいと願った。強く優しい、そんな男になりたいと願った。
……その願いが叶わないことを、この時の彼は全く想像出来なかった。
「……」
ゆっくりとヘクは目を開いた。
時計を見ればまだ起床予定時刻には遠く、他の隊員達も静かに寝ている。
果たして先ほどの夢の光景は、幼き日の切なくも輝かしい思い出だったのか。
それとも、もう叶うことの無い幻想を嘲笑うために悪魔が見せた悪夢だったのだろうか?
「……分かってる、分かってるよヴィアさん。約束したもんな」
かつてヘク・ドゥリンダだった男は、それを悪夢だとは思いたくなかった。
初めて大切にしたい、守りたいと願った女性との思い出が、悪夢であるなどとは。
3/20
アフリカ共同体 砂漠地帯
「よーし、今日はここでいったん止めだ。キャンプ用意!」
『了解!』
この日、ヘク達は前日までとは違い砂漠地帯でのキャンプで夜を明かすことを決めた。そうした理由は簡単で、周囲に手頃な宿が存在しなかったからである。
しかし昼間の『露天商ごっこ』で商品を購入していく人物が現れたために荷物を積むスペースが空き、そこにキャンプ用の荷物を積むことが出来るようになったのはヘク達にとって幸運に働いた。
「いやー、これでわざわざ近くに街があるかないかで困らされることからはおさらばかと思うと清々するねホント」
「そうですかぁ?こんな所で寝たくないんですけど、俺」
「おーおー、お坊ちゃん気取りかワイドぉ?ぶつくさ言うならテントに入れてやんねぇぞー?」
「俺を凍死させる気ですか!?」
昼は灼熱、夜は極寒。そんな両極端な面を持つ砂漠で水分と防寒着を持たない者に待つのは死のみである。
勿論ヘクは冗談で言っているし、防寒着だって入手しているのでテントの外で眠ることになっても問題ないが、それでも寒いものは嫌なのだろう。
ただでさえオーブは赤道の近くに存在し、季節の変化というものが少ない。温暖なオーブで育ったワイド達には特に堪えるのだ。
「だったらキビキビ働けー」
「ワイド、そっちの荷物の中にハンマーが有るはずだ。取ってくれ」
「……へいへい、分かりましたよ。ホースキン、これか?」
「ああ、助かる」
ぶつくさ言いながらも、自分に任された仕事には忠実。
多少態度に難はあるが、ワイドは着実にヘクからの評価を上げていた。
(時が経てば人も変わるなら、他者からの見方も、か……。俺はあの頃からどれだけ変わったのやら)
自分もテントの設営作業に加わりながら、ヘクはそんなことを考え始めていた。
あの『約束』をした日から今日まで、名前に恥じないよう努力してきたつもりだ。だが、それを実感出来ることは少ない。
どれだけ努力しても、果てが見えないのだ。ヘクトールもこのような思いをしながら、10年もの間戦争を続けていたのだろうか?
「難しいな、『守る』って……」
無事にテントの設営が終わり、見張りを立てて交代で眠りに就いていたその夜。
部隊最年少のサースはふと目を覚ました。交代の時間というわけではなかったが、尿意を催したのだ。
「ファンフェルト、ちょっといいかな……?」
「ん、どうかしたかサース?」
サースは見張りとしてテントの外でたき火を炊いていたファンフェルトに声を掛け、用を足したい旨を伝える。
「そうか、なら付き添おう。一人で行動するのは危険だからな」
「えっ、でも……」
「なに、手早く済ませればいいだけさ」
たしかに、砂漠のど真ん中で何かが起きる可能性というのも低いだろう。
最初は渋っていたサースもあっさりと折れ、ファンフェルトに付き添われて用を足しにテントから離れた。
この時の迂闊な判断を、サースは生涯後悔し続けることとなる。
パアンっ!
「───っ!」
ヘクは被っていた毛布を払いのけながら飛び起き、近くに置いておいたアサルトライフルを手に取った。
間違い無い。何度も何度も何度も聞いた音だ。聞き間違う筈も無い。───銃声だ。
音を聞いた他の隊員達もヘクに一歩遅れて飛び起きて武器を手に取り、気付く。
「サースはっ!?」
「……くそっ、ファンフェルトもいねぇ!何がどうなってんだ!」
まさかの事態に隊員達が慌てる中、ヘクは冷静に頭の中の情報を整理する。
(おそらく、サースはファンフェルトと共に行動している。大方、トイレか何かにファンフェルトが付き添っていったのだろう。
そして先ほどの銃声、あれはたしか今回の作戦でファンフェルト達が装備した銃の物の筈だ)
ヘクは部下達に、発砲は極力控えるようにと命令していた。にも関わらず発砲音が聞こえた。
となれば、結論は1つ。
発砲するべき、敵対的存在が彼らの前に現れたということに他ならない。
「全員、テントから出ろ!ここに固まっていたらやられるぞ!」
「まさか、この砂漠のど真ん中で来たっていうんすか!?」
「来たから撃ったんだろうさ。───敵襲だ!」
本当は前中後の3編の筈でしたが、予想以上に話が膨らんでしまったので4編くらいになりそうです。
気長に次回をお待ちください。
『プライベート・アスハ』終編は今年中には投稿しようと思います。
それでは、良いクリスマスを!
誤字・記述ミス指摘は随時受け付けております。