「と,いうわけで私はマーリン。イギリスから来たんだ。今日からここでお世話になる。見ての通り綺麗なお姉さんさ!」
リビングの椅子に座り唖然としている僕の前で,綺麗なお姉さん。もといマーリンさんは自信満々にそう言った。
ピンクとも赤とも紫とも取れる,宝石のような瞳,テレビの世界でも見たことがないほど整った顔立ち。膝裏まで伸びた,白い髪は大きく外側に跳ね,まるで雪のドレスを纏っている様だ。
しかし,目を引くのは彼女の整った容姿だけではない。僕はもっと別の場所に目を引かれていた。
「ああ,この格好かい?確かにこの時代には不釣り合いかもしれないが,生憎私はこれ以外の服を持っていなくてね,今は目をつむっていてくれ」
そういって微笑む彼女は,胸元にピンク色のリボンのようなものを付け,袖が大きく垂れている衣装を身にまとっていた。スラッとした細い足は金色の線が入った黒いタイツのようなものに包まれており,よくよく見れば上半身も所々中に着ているらしい黒い布が見て取れる。
本当に...なんというか....ゲームや漫画の世界の魔術師のような格好をしていたのだ。
それに顔の横の,耳があるであろう場所から髪をかき分けて何かが顔をのぞかせている。
あれ?服を持っていない?
そういえば彼女は僕の教科書が入ったダンボール以外の荷物は一切持っていなかった。
まさか,イギリスから日本にその身一つで来たというのか...?
見た感じ,僕とそう変わらない年齢だろうに,留学か一人旅かわからないが,すごい行動力だ...!!
「ところで,私の部屋はあそこかい?」
一人戦慄している僕をおいて,彼女は一人歩き出した。
余談だが,今いるリビング(ダイニング・キッチン)にはドアが4つある。一つはベランダに出るドア。そして玄関やお手洗い,風呂場に通じる踊り場に出るドア。そして普段僕が眠ったり勉強したりする自室と,その隣に今は使われていない部屋がある。
元は稀に帰ってくる父親の部屋だったが,今は何も置かれていない,文字通りもぬけの殻である。
その部屋に彼女は足を向けていた。
「うん。私もそこまで詳しくはないが,いい部屋じゃないか」
...?
ドアを開けた彼女が部屋の中を見て感心したように頷いている。
家具が一切置かれていない部屋のどこがいいのだろう?
そう思って彼女の肩越しに覗き込んだ部屋の中には,所謂一般的な家具が揃っていた。
中は空だが,それなりに大きなタンス。決して小さくはないベッドなどがあり。極めつけに窓辺には綺麗な花が丁寧に鉢植えされている。
僕が花に詳しくないからなのだろうが,少なくとも今まで生きてきた中で,一度も見たことがない花だった。
「ふう,遠いところから
そういって彼女はベッドに腰を下ろし,僕に向かってやはり微笑んだ。
女性経験はあるが,彼女から香ってくる花の香りやその美貌に,つい目を惹かれてしまう。
いや,そんなことよりこの部屋には確かに昨日の夜まで何も無かった筈だ。そもそも何故彼女が教科書が入ったダンボールを持っていたのか,当然,僕ではない彼女は配達員から荷物を受け取ることなどできないはずなのに。
父親からのメールから今までの疑問が,僕の中に溢れ出してきた。そしてあまりにも人間離れした彼女の容姿と雰囲気。それも相まって僕は言いしれぬ恐怖心のようなものを感じ一歩後ずさった。
「どうしたんだい?ここは君の家だ,気楽に行こう。気楽に...。」
そういって彼女はベッドに腰掛けたまま立っている僕の手を優しく握った。あれ?僕は部屋のドア付近から動いていなかったはずなのに,いつの間に彼女の近くまで来ていたのだろうか。
彼女に手を引かれ,僕は自分が倒れないように,彼女が僕の手を引くのとは逆方向に力を込めた。僕は一般的な19歳としての平均的な筋力はある。しかし,見るからに非力そうな彼女の腕を振り払うことはできず,僕はそのまま彼女の胸に倒れ込んだ。
「フフフ....大丈夫。怖いことなんてなにもないさ」
僕の頭を優しく抱きしめ彼女は囁いた。
この状況で頭を抑えられてしまうと,僕は彼女の胸元にあるリボンのようなものにキスをしている体勢になるのだが,今はそんな羞恥心よりも妙な心地よさを僕は感じていた。
「私のことは気安く『マーリン』と読んでくれたまえ。私は堅苦しいのが苦手でねえ。楽しく,面白い。気さくな関係でいこうじゃないか」
マーリンの声が僕の耳から脳に溶けていく。
何とも形容し難い心地よさに包まれ,僕は自然と彼女の腰に両手を回し,その細い体を抱きしめた。なんだか少し眠くなってきた。
昨日の夜まで確かに何もなかった筈のこの部屋に,一体いつの間に家具が運び込まれたのか。僕の家は初見であるはずのマーリンが,なぜ最初にこの部屋に足を向けたのか。そもそもマーリンは何者なのか。
そんな疑問が頭の中から泡となって消えていく。
そのまま僕の意識は,深く深く落ちていった。
「おやすみ,君も一度休むといい」
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「私の服を買いに行こうじゃないか」
手を腰に当てて胸を張りマーリンがそう言った。確かにこれからここで生活するにあたってその格好だと目立ってしまうだろう。
そのことを考えると,確かにマーリンの服は可及的に解決しなくてはならない課題と言えるだろう。
幸い今日片付けるべき授業の課題はすでに終わっている。今から出ても問題はない。
「それは良かった。それじゃあ早速向かおうじゃないか」
そう言うとマーリンは僕の手引いて颯爽と歩き出した。そういえばマーリンが来てから風呂やトイレの場所を案内していたからか,昼食を食べていなかった。
まあそれは出先で探せばいいだろう。
それにしても服を買うまでマーリンはこの格好で出歩くのか。
「フフ,大丈夫さ。さ,行こう」
マーリンがとても楽しそうに笑っている。足取りも軽く,長い髪が左右に大きく揺れている。やはり外国から来たからか日本の街並みに興味があるのだろう。
それにしても昨日までとは違って,これからは大分賑やかな毎日になりそうだ。
僕の手を握ったままスキップしている彼女を見て,僕はそう思った。
それにしても,日本語やけにうまいなあ..........まぁ,いいか。