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【神韻縹緲編 プロローグ】
私の名前は、櫻庭 咲菜。第五区北看護専門学校の二年生。昨日に筆記の検定試験があったから、それの自己採点結果を持って、担任と面談をする予定である。ちなみに成績的には中の下くらい。志望校は軒並み判定Dをマーク中。
自宅を出て、通学路を走る。遅刻している訳では無いが、待ち人がいる為だ。私は毎日、クラスメイトで親友の雨ちゃんと一緒に登校している。雨ちゃんは学年でもトップクラスの成績。色んな大学からオファーが飛んできているという噂だ。
私は多種多様な花の植えられた散歩通りを走り抜けていく。花より団子な私には植物の名前など判断しようも無い。ランニングする青年や、車椅子で花を愛でながら話す老夫婦へ次々と声をかけていく。
「おはよう中野さん!」
「あ、お早う、サクナちゃん。今日も朝からランニングとは、精が出るね。」
「おはよう!鈴木のばーちゃんにじーちゃん!」
「サクナちゃん、学校なのね。気を付けていってらっしゃい。」
自分で言うのも何だが。私はこの地域では顔の広い方だ。幼い頃に親と死別した私を地元の方々が育ててくれた。私にとって商工会の方々は家族に他ならない。第五区でも辺境の地域であるが、私にとってはこの場所が最も温かみがある。都心部は災害のアサシン様とアヘルという名の組織が統治していて幸せな生活が保障されていると言うが、私は都会になんて行きたくない。災害様はこの第五区を愛していると豪語しているが、貧困層の人々は決して救われていない。私の地元にも、職を失った者が流れ付いて来ている。
「おっといけないいけない。考え事していたら遅れちゃうってば。」
私は凡そ華の女子高生とは思えぬフォームで駆けて行く。通り過ぎるみんなも、そんな私の姿に呆れつつも微笑ましそうに見つめてくれていた。
そして私はドーム球場数個分の広大さを誇る公園の中央、女神像のモニュメントの前に辿り着いた。目的の人物は既に到着している。
「ごめん、雨ちゃん、おまた。」
「咲菜ちゃん!大丈夫?汗だくだよ?」
「いやーごめんごめん、アラームをセットした筈なのに自分で止めて二度寝しちゃった。じゃあ雨ちゃん、行こ!」
私は制服のスカートをパタパタと扇ぎ、汗にまみれた下半身へ風を送る。が、赤面した雨ちゃんによってその行動は制止させられた。
「雨ちゃんは自己採点どうだった?」
「とりあえず、志望している学校は行けそうかも。第一区とか四区の学校も視野に入れて考え中かな。」
「え、マジ?いいなぁ、私も四区へ行きたい!ここより楽しそうだし。でも雨ちゃんは看護師にはならないんだよね。」
「うん、健診センターとか、そっちを目指しているよ。治すより、予防する為の仕事に就きたいんだよね。咲菜ちゃんはやっぱり看護師?」
「モチのロン!地元の病院のセンセには沢山お世話になったしね~。でも私の成績じゃかなり厳しいことも事実…。」
「でも、咲菜ちゃん、そういえばアヘルの看護施設から推薦の話が来ていなかった?それは受けないの?」
「うーん、私にはそのあたりの組織とか人の考えとかは分からないからなぁ。とにかく、私も第五区を出て、一区か四区の就職先を狙ってみる!将来の夢の為に、ね!」
私は右手を天高くつき上げた。太陽を掴むように拳を作る。
「夢?」
「雨ちゃんも知っているでしょう?白衣の天使で、慈愛の英雄『ナイチンゲール』!全看護師の憧れ、彼女の名前を知らない者はいない!私はオアシスのナイチンゲールになりたい。沢山の人の笑顔の為に!」
幼い頃に児童養護施設の本棚で見つけた漫画。主人公ナイチンゲールは女性の身でありながら、男社会で戦い抜き、医療と衛生改革を行った。彼女の遺した言葉『天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である。』は私の座右の銘になっていた。
幼い私を助けてくれた皆に恩返しがしたい。とくに、幼い子どもに手を差し伸べる人間でありたい!私の願いはずっと変わらない。
「素敵な夢だね。」
「あ、あと……素敵な彼氏も見つけたい!」
「ふふ、咲菜ちゃんらしいね。」
少し気恥しくなった私に、親友は温かな笑みを浮かべてくれていた。
頑張ろう。勉強は少し苦手だけど、なりたい自分の為になら、もっと努力できるはずだ。
私は届かない太陽に、少し背伸びをしながら、手を伸ばしてみるのだった。
※
第四区博物館屋上にて、ジャージ姿の青年とツナギの青年が互いに向かい合っていた。西風が吹き、彼らの髪を細かに揺らす。
ツナギの青年は手に持っていたヘアバンドで青い長髪をかき上げ、固定すると、拳を前に向かって突き出した。
「行くぞ、巧一朗。」
どこか気怠そうなジャージの青年の名を呼ぶと、ツナギの青年はファイティングポーズをとり、そしてそのまま全力で駆けだした。
「来い、鶯谷。」
「うらぁああああ!」
ツナギの青年、鉄心は、巧一朗目がけて飛び膝蹴りを食らわせる。巧一朗は咄嗟に両腕でカバーするも、勢いに負け、後退する。
鉄心は地面に降り立つ際も、次の攻撃の準備を欠かさない。素早く右足を地面すれすれの位置で豪快に回し、巧一朗を転げさせようとする。だがそんなことは想定済みと言わんばかりに、彼は鉄心の攻撃のタイミングを読み、飛び上がり避けた。鉄心は思わず舌打ちをする。
そして少し屈んだ姿勢の鉄心へ向けて、巧一朗も戦いに出る。鉄心の顔に向けて、右足によるストレートを打ち付けた。激しい炸裂音が屋上に響き渡る。鉄心の脳はぐらぐらと揺れ動いた。通常ならばここでノックアウト。だが彼もまた修羅場を潜り抜いてきた身、このような形でゲームオーバーになることは認められない。彼は頬と歯と骨の痛みに耐えながら、伸びてきた巧一朗の足を両手で掴み、彼のバランスを崩した。
「おっ、おぉ!?」
「おらぁああ!」
鉄心は巧一朗の足を取り、力任せにぶん投げる。格闘家も驚く程の馬鹿力は、いとも容易く巧一朗を宙に追いやった。彼は着地の姿勢を取れぬまま、屋上のフェンスに激突する。
「おい!殺す気か!」
「トレーニングは本気でやらなきゃ意味ねぇだろう?」
鉄心はにやりと笑みを浮かべると、弱った巧一朗に突進する。巧一朗は、今度は避けることなく、これに応戦。鉄心渾身のストレートを片手で受け止めると、その腕を捻りながら、強烈な頭突きをお見舞いする。鉄心は後ずさりつつ、左肩でタックルし、巧一朗を再び吹き飛ばした。
彼らは手足から、鼻から血を垂れ流しつつ、半時間に渡り、戦闘を繰り広げた。
そして二人の体力が底をつき、ほんのり温められた屋上に崩れ落ちる。ここに勝者はいない。彼らは互いに自らの負けを認めていた。
「かぁっ…はぁ……はぁ………」
互いに空を見上げながら、呼吸を整える。傷は博物館が秘密裏に所有する回復ポッドを使用すればいいとして、奪われた体力は、今はどうにもならない。太陽の光を浴びながら、大きく深呼吸を繰り返すのみだ。
「巧一朗、マジで容赦ねぇよ。」
「鶯谷もだろう。本気を出したのはそちらもだ。」
「命の奪い合いならサーヴァントを出しているさ。あくまで模擬戦だ。シュミレーションってな。」
「それもそうだ。」
屋上で倒れる二人の元に、金髪のツインテールを揺らしながら少女が駆けてくる。二人は同時にその少女の来る方向を見つめた。
「何これ!二人してなにやってるの!ボロボロじゃん!」
「あぁ、美頼か。」
「コーイチロー、大丈夫?」
美頼は巧一朗に駆け寄ると、その場に座り込み、彼の頭を自らの膝に乗せた。俗にいう膝枕である。そして額や鼻に付いた血の跡を、持ち合わせていたハンカチで拭ってやった。
「おーい、俺のことは無視かー?」
「ちゅんちゅんは大丈夫でしょ。それよりコーイチローだよ。折角のカッコいい顔にこんな傷を作っちゃって。」
「美頼、有難いが、俺も少し暑苦しい。もし頼まれてくれるなら、俺と鶯谷の何か水分を持ってきてくれると助かる。」
巧一朗は美頼から顔を反らしつつ、そう頼み込んだ。彼女の柔らかな太腿と、見上げるとハッキリわかる豊満な胸は、ハッキリ言って毒である。密着されることには多少慣れつつも、この距離は流石に彼も不味いと感じたのだろう。
「うん、それじゃあ待っててね、コーイチロー。」
「おい、俺の分もちゃんと頼むぞ!おーい、聞いているか?」
屋上の扉から勢いよく駆け下りて行った美頼。恐らく彼女は素で、鉄心の分の飲料水を持参し忘れるだろう。
「ところで鶯谷、さっきの話で思い出したんだが…」
「さっき?あぁ、命の奪い合いならサーヴァントを出しているって話か?」
「そうだ、それで、お前のサーヴァント、アーチャーをここ最近見かけないんだが、どうしたんだ?」
「あぁ、あいつなら……」
一週間前、鉄心に対し、アーチャーは暫くの休暇を申し出た。アーチャーの中に存在する三兄弟の魂、その長男であるフセインのたっての願いである。彼は第二の職場であるクリニックで繁忙期を迎えていた。子ども達を中心に風邪が流行っている為だ。本来、鉄心の専属従者である彼が好き勝手に行動するのは有り得ぬ話だが、マスターである鉄心はこれを認めたのだった。鉄心と巧一朗がトレーニングに励む今日も、フセインは忙しなく働いていることだろう。
「叶わぬ恋だとしても、傍にいて支えることぐらいはさせてやりたいじゃねえか。」
「ん、何か言ったか?鶯谷。」
「いんや、何でもねぇよ。」
そして鉄心の予想は的中。フセインはクリニックにて、慌ただしく走り回っていた。次から次へとやってくる子ども達の相手をすることに奮闘している。院長も、スタッフも、そしてナイチンゲールも手が離せない状況が続く。フセインはこの場所で習った四か月の知識をフル動員しながら、処方箋の準備や待機する子どもと仲良く遊んだりしていた。クリニックでの待ち時間というのは子どもにとってはストレスだ。泣き崩れたり暴れまわったりして親をも困らせる。ならば、と、フセインは親子で楽しめるマジックショーを披露したり、紙芝居をしたり、笑顔の溢れる空間作りに心血を注いだ。
そして今日も激動の一日が終わろうとしている。最後に現れた子を玄関先まで見送りながら、ホッと溜息をついた。
「お疲れ様です、フセイン。また今日も一日手伝って頂いて、本当に有難うございます。」
隣で一緒にお見送りをしていたナイチンゲールは、彼の汗ばんだ顔を見上げながら、彼に労いの言葉をかける。
不思議なもので、既に体力の限界が近付いていたフセインも、彼女の優しい笑みを見ると、幾らでもまだ働けそうであった。
「僕なんて、何も。院長や、スタッフの皆さん、そしてナイチンゲール、皆さんが一番頑張っていましたよ。」
「そんなことはありません。フセインだって一番です。それは私が知っています。」
悪戯っぽい笑みを浮かべた彼女は、フセインの唇に人差し指を置いた。これ以上は謙遜しないでね、そういうアピールである。そんな一つ一つの所作が、フセインの胸を高鳴らせた。
「でも、本当にクリニックに来て頂いて、大丈夫なのですか?貴方にもマスターがいる筈……」
「マスターの許可は得ています。優しく、慈悲深い男なのです、彼は。」
フセインは鉄心のことを自信満々に話した。自分の大切な人だからこそ、誰よりも彼の良さを語り聞かせたい、そんな気分だ。
フセインは不意に、ナイチンゲールについて、気になることが思い浮かんだ。彼は特に何も気にすることは無く、思うままに、その質問を投げかける。
「そういえば、ナイチンゲール。貴方のマスターはクリニックでの活動を許可しているのですか?専属従者サービスが嫌いな院長やスタッフは貴方のマスターでは無いのでしょう?」
フセインは一切の悪意なく、純粋な疑問をぶつけたつもりであった。だが、ナイチンゲールはバツが悪そうに、話題を逸らした。どうやら、彼女に、彼女の主人のことを聞くのはタブーであるみたいだ。フセインはそのことを心に留めておいた。
「あー、でも、そうだな、子ども達がいると大変ですけど、いなくなると、少し寂しくなりますね、ははは。」
「そうですね。でもまだ一人、このクリニックにいますよ。」
「あぁ、康太くんですね。」
フセインはクリニックで働いている中で、この場所で入院している少年の存在を知った。姫木 康太という名の小学生だ。小学生と言っても、彼はもう何年も学校に通えていない。彼の患っている病気は深刻なもので、本来であれば大病院で治療を施されるべき筈だった。
「お金がなくて、ここに来たんですよね。」
「はい。院長の特別な計らいで、ほぼ無償で彼を預かり、治療を行っています。今は良好な状態ですが、もし悪化したなら、大病院に任せる他ないでしょう。でも、受け入れてもらえるかどうか……本人も、どこか諦めているというか、このクリニックを家のように思ってくれているので。」
「確か親は借金で夜逃げしたんでしたね。康太くんを捨てて…」
フセインは思わず指が食い込むほどに拳を握り締めた。だが、フセインにどうこう出来る問題で無いことは確かだ。
「…フセイン、まだ時間はありますか?一緒に康太くんに会いに行きましょう。」
クリニックの二階に、月の光が差し込む部屋がある。康太はそこで空に浮かぶ星の数を数えていた。
「康太くん!」
「あ、ナイチンゲール先生に、フセイン先生。」
「はは、康太くん。僕はただの手伝いだから、先生じゃないぞ!」
フセインは康太の頭をわしゃわしゃと撫でまわした。自分で言っておきながら、先生と呼ばれたことが存外嬉しかったようだ。
「でも俺、見てたよ。フセイン先生が皆を楽しませているところ。テレビで見るヒーローそっくりだった!」
「おぉ、嬉しいことを言ってくれるじゃないか!」
「そうね、フセインは本当、ヒーローみたいですから。」
「なっ…ナイチンゲールまで…!なんか恥ずかしいな。」
フセインはコホンと咳払いすると、康太のベッドの脇に置いてあるパイプ椅子へ腰かけた。彼は今日もまた、康太へ一夜の冒険の物語を語り聞かせる。語り部の英雄シェヘラザード、彼女ほど魅力的では無いが、彼なりに、彼の冒険を交えた創作を愉快に話し始めた。康太はこの時間を誰よりも楽しみ、そして誰よりも幸せに感じていた。傍に立つナイチンゲールも、フセインの紡ぐ冒険譚に、静かに聞き入っている。
「それで、魔法の絨毯に火が燃え移って……っ」
「それでそれで?!」
「……今宵は、ここまでだ!」
「えぇ!?良いところなのに!」
「もう寝る時間だ。続きは明日にしよう。」
フセインは再び康太の頭を撫でた。今度はゆっくりと、赤ん坊をあやすかのように。
「明日、また来てくれるの?」
「明日も、明後日も、明々後日も、毎日来るさ。約束だ。」
フセインは小指を突き出し、康太の小さな小指と絡めた。鉄心が教えてくれた、約束をするときの合図だ。
「指切げんまん、嘘ついたら、針千本飲ます。指切った!」
康太はどこか満足そうな表情を浮かべながら就寝する。フセインとナイチンゲールは眠りにつくまで、傍にいて静かに見守っていた。
二人は康太を起こさないよう、静かに一階へと降りていく。そして院長やスタッフがくつろぐ部屋へ向かって行った。
「フセインの冒険は、凄く楽しいですね。」
「ちょっと脚色しているかなぁ。魔王に囚われたお姫様なんて、出会ったことないですし、ははは。」
「ふふ、もし私が悪い魔王様に囚われたら、フセインは助けに来てくれますか?」
「それは勿論、どんな場所であろうが駆けつけますよ。その為の絨毯ですから。」
フセインは真面目に返答する。ナイチンゲールの顔を見ると、茹でた蛸のように上気していた。
「ナイチンゲール……」
「あ、フセイン…」
彼は叶わぬ恋を胸に抱きながら、それでもと欲を出してしまいそうになる。だが正しく踏み止まる。鉄心の為、そして約束を交わした康太の為に。
彼女から目を逸らしたフセインは、足早に、院長のいるであろう部屋へ歩いて行く。ナイチンゲールも冷静になり、彼を追いかけた。
そして彼らが扉を開け、部屋に入ると、院長が電話対応をしており、スタッフたちが何かの紙を片手に大喜びしていた。ぽかんとその様子を眺めていた彼らだが、院長が電話を切ると、その事情を知ることとなった。
「どうしましたか、院長。」
「あぁフセイン君。やったよ、非常に嬉しいニュースだ。奇跡が起こったと言っていい!」
「奇跡?」
「あぁ、そうだ。これを見たまえよ。」
院長はスタッフの所持していた手紙のようなものを奪い、フセインに手渡した。ナイチンゲールも、覗き込むようにして、手紙の内容を読み込む。
「難病を患っている、康太君が!なんと、天還に選ばれたんだ!ヘヴンズゲートへ行けるんだよ!」
フセインは驚愕した。天還とは、災害が特別に人間を抽出し、楽園へと誘ってくれる祭りだ。康太が選ばれたのならば、彼は災害の手によって救済される。大病院の処置など無くとも、彼は元気に、健やかに、生きていけるのだ。
「そ、そうですね。良かった、良かったです。康太くんはこれで助かるんですね。」
フセインは戸惑いながらも、心を落ち着かせる。博物館が災害と敵対していることは承知の上で、それでも、康太が救われるならば良いことだろうと、己を納得させた。
「君も良かっただろう、ナイチンゲール君。君が一番傍で彼を支えてくれていたからな!」
院長もまた、康太のことを我が子のように可愛がっていた。だからこそ、彼は今笑いながらも、嬉し泣きが止まらない。
だが院長の言葉に対し、ナイチンゲールは一言も返さない。フセインが彼女の方を見ると、彼女の目は絶望に染まっていた。
「ナイチンゲール?」
彼女はカタカタと小刻みに震えている。まるで何かに怯えているかのように。
院長も、フセインも、もはや誰の声も届かない。
彼女の意識はコールタールの海に落ちていく。
そして彼女はその場で倒れた。愛する男の声は、彼女には聞こえない。
※
漆黒の海で溺れる少女が見たのは、過去の夢であった。
嫌だと泣き叫ぼうと、手を動かして払おうと、その痛みは流れ込んでくる。
それはナイチンゲールの記憶。
〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ナイチンゲール』現界します。〉
開発都市第五区、王の玉座の前で、とあるサーヴァントが召喚された。
稲妻のような光が走り、煙と埃の中から、少女のサーヴァントが姿を見せる。
「私…は……」
「ようこそ、余の神殿へ。歓迎するぞ。余の名はザ〇〇〇〇。ディザストロアサシンのクラスで君臨した、世界の王だ。貴様は自らの名が理解できるか?」
「私…は…ナイチンゲール。」
「そうだ。クリミアの天使、ナイチンゲール。救済の英雄こそが貴様だ。これからは我が国で臣下たちの救護を担ってもらう。」
「貴方が私のマスター…?」
「マスター?あぁ、器のことか。余の英霊召喚はちと特殊でな。人間の胎内に英霊を召喚し、統合させるのだ。ほら、貴様のその身体の宿主が貴様のマスターだぞ?」
「わた…しの?」
突如ナイチンゲールの脳内に人間の記憶が流れ込んでくる。
宿主の少女は女子学生。人々から愛され、人の役に立ちたいと願う少女。そして誰よりも、英雄ナイチンゲールへ憧れを抱いていた少女。
その名は、櫻庭 咲菜。
「え…あれ…?」
「余は適合者と見込んだのだが、なにぶん、器の容量が無くてな。貴様が召喚されたことにより死んだ。」
「死んだ?」
「器はこの神殿で祈っておったぞ。ナイチンゲールが、皆を救ってくれると。その想いに貴様は答えたのだろう?はは、皮肉だな、貴様が願いに応えたから、女は苦しみ死に果てたのだ。」
「私が……応えたから?」
「そうだ。貴様の所為だ。貴様が殺したのだ。」
災害のアサシンはナイチンゲールの滑稽な顔に邪悪な笑みを浮かべた。そしてナイチンゲールは、自らの感情がどこにあるかも分からず、ただ動物のように、言葉にならない言葉で、叫び続けたのだった。
【神韻縹緲編 プロローグ 終わり】