Fate/relation   作:パープルハット

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新キャラ登場!
誤字等ございましたら連絡お願いします。
※少しだけ過激な描写があります。ご注意ください!


神韻縹緲編2『eye』

【神韻縹緲編②】

 

「げ……」

「………」

 

第六区パークオブエルドラードのゲート前にて、編み笠を被った着物姿の少女は溜息をついた。

この場所に召集されたのは彼女だけでは無かった。腕を組み、目を伏せた、屈強な男もそこに佇んでいる。

 

「此方は禮士さまの勧めで、ここに来たのですけれど。」

 

編み笠を取り、不機嫌そうな顔を露わにしたのは、衛宮禮士に付き従うサーヴァント、海御前。彼女は元夫である平教経との再会を良くは思っていなかった。平家の人間である教経が妖怪の類を目の敵にしているのと同様に、既にその道に堕ちた海御前も、人間らしくない人間である彼を好ましく思っていない。教経は末代まで恨むべき源の血に対し、ある意味無頓着、それどころか源義経を好敵手として尊敬している。源氏を殺すために河童と成り果てた彼女には、教経の価値観は理解不能であった。

 

「拙者もまた龍寿…我がマスターに手引きされ、来たのだ。ある人物と相対するためにな。」

「目的は……同じですか。」

「そのようだな。」

 

教経は依然、目を伏せたまま答える。海御前に一瞥もくれないその態度は、彼女をより苛立たせる。

 

「でもまぁ、意外ですね。遠坂組最高戦力の貴方が、他のサーヴァントに教えを乞うなんて。肩書きが重くなりましたか?」

「最高戦力であるならば尚のことだ。拙者が敗北することは決して許されない。自惚れていられるほど戦争は甘くは無いのだ。またいつアインツベルンが攻めてくるか分からんのでな。災害が牙を剝く可能性もある。」

 

海御前の精一杯の皮肉も、真面目な教経の前では通じない。

 

「貴殿も、強くなるために来たのだろう?海御前。貴殿の愛する者を守る為に。」

「当然です。此方の方がお前より伸びしろがありますので。」

「ならば良し。」

教経は初めて海御前に視線を合わせ、僅かばかり口角を上げた。人と妖、交わることは無くとも、その志は同じである。

 

「おーい、海御前!」

 

二人の元に駆け付けるサーヴァントが一人、小麦色の巨大な女が愉快に手を振りながら走って来る。

 

「アマゾニア!」

 

遠坂組ブレインサーバーの守護神、セイバーのサーヴァント『アマゾニア』である。アインツベルン襲撃の際、武蔵坊弁慶を倒すために共闘した二人はまるで友人のような距離感となっていた。アマゾニアは屈強な身体で、海御前に優しくハグをする。抱き締められた海御前も女子同士のスキンシップに、満更でもない様子である。

 

「もしかしてアマゾニアも…?」

「そうだ。海御前を連れて行くよう指示されたんだよ。第六区のことはあまり詳しくないだろうしな。まぁアタシも初めて尋ねる場所だけども。」

 

アマゾニアの指示で、教経と海御前はパークオブエルドラード近隣の、古民家へ向かう。富裕層が快適に暮らすことを目的とした第六区において、年季の入った日本家屋は物珍しいものである。だが他の区の住居に比べ。気品に満ちているのは確かだ。教経が先導して、古風な呼び鈴をからからと鳴らした。

 

「御免。」

 

この三人の中で、目的の人物と出会った経験のあるのは教経だけである。海御前とアマゾニアはどこかそわそわした気持ちで佇んでいた。

 

「今更だけどよ、これから会う奴は誰なんだ?」

 

アマゾニアは案内役を任されただけで、その概要は知らされていなかった。この古民家で暮らす者の正体すら彼女は知らない。

 

「これから会うのは、第六区に召喚されたサーヴァントの中でも、最強と名高い剣士なの。」

「最強?この男じゃねーのか?」

 

アマゾニアは教経の背を指さす。

 

「彼は最高戦力。前線に立って軍を指揮する、軍人なの。でもこれから会うのは、あくまで剣士。剣の技量だけなら、彼を遥かに上回るわ。」

「そんな奴がいるのか。弁慶のときは出てこなかった臆病者だろ。」

「彼奴は遠坂の為に剣を取らん。常に己が技量向上の為だ。」

 

教経は再び呼び鈴を鳴らす。反応が返ってくることは無いので、教経は勝手に戸をスライドさせた。

 

「不法侵入だろ…っ!?」

 

アマゾニアの至極真っ当なツッコミを置き、教経は中へ侵入する。

進んだ先、六畳一間の空間にポツリと、痩せこけた男が寝転んでいた。白髪の作務衣を着た老人である。海御前から見ても、到底彼が最強とは思えない。アマゾニアは思わずポツリと「コイツが?」と呟いてしまった。

 

「眠っているのか、『柳生宗厳』。」

「『石舟斎』と呼んではくれますまいか、教経殿。」

 

老人は頭を掻きながら、ゆっくりと起き上がった。立ち上がると顕著になる、教経やアマゾニアとは真逆の、筋肉が削ぎ落ちた薄い身体。

 

男はセイバーのクラスで現界したサーヴァント『柳生石舟斎宗厳』。彼ら三人より後世に誕生した剣士である。

 

「して、何用か。剣しか知らぬ老いぼれに、期待することはありますまい。」

「その『剣』を教わりに来たのだ、石舟斎。」

 

教経は自らの剣、桜丸を石舟斎へ手渡す。自らの愛刀を差し出したことに、海御前は驚きを隠し得ない。石舟斎は鋭い眼差しで教経を捉えた。

 

「教経殿、儂に剣は不要だ。」

 

血管の浮き出た細い手で、教経の手を下げさせた。石舟斎は小指で耳をカリカリと掻きながら、ついて来いと言わんばかりに、スローな足取りで外に出る。教経を先頭に、三人もその後に続く。

少しひらけた場所に赴いた石舟斎は、彼らと距離を取ると、ゆっくりと拳を構えた。

彼はセイバーのクラスで現界したにも関わらず、丸腰で戦いに臨む。教経は石舟斎の戦闘スタイルを理解しているが故に驚かなかったが、他二人は唖然としている。

 

「さぁ、どなたでも。」

「いや、じーさん、剣を握らないと意味ねーだろ。」

「否、儂は既に長物を握っております故。さぁ。」

「ったく、じーさん、どうなっても知らねぇぞ。」

 

最初に石舟斎の前に立ったのはアマゾニア。彼女は短剣を握り締め、獣の如き目で老人を睨んだ。無論、彼女は決して手加減などしない。相手が誰であろうと全力のファイトをするのが剣闘士だ。魔力が急上昇し、彼女の野性が目を覚ます。血走るその眼を見てしまった者は、もう彼女からは逃れられない。

 

「アマゾニア……」

 

海御前はどこか不安そうな表情で彼女を見つめていた。石舟斎の戦いを知らぬ彼女だが、同じ日ノ本出身故か、彼の底の見えないオーラを肌で感じ取っていた。

そして、アマゾニアは駆ける。ものの一秒で石舟斎の目前に移動した。短剣を右手で振り下ろし、老人の頭蓋を破壊せんとする。

だがアマゾニアは、石舟斎のレンジに入って初めて、自らの愚かさに気付いた。それは動物的な直感である。彼女がもしこの男と戦争の場で相対したならば、真っ先に逃げるべきだったという、仮定の後悔。当然、剣闘士に尻尾を巻いて逃げる選択は許されないが、それならば、戦い方を改めるべきであった。例えば遠距離からのチマチマした攻撃でも良い。兎に角、石舟斎に決して近付いてはならない。

彼女の短剣は宙を舞う。

 

「……っ」

 

アマゾニアは自らの身に何が起きたかも分からないまま、気付けば、青い空を見上げていた。彼女は所持していた剣を失い地に背をつけている。自らが敗北したことを察すると、痛みより先に笑いが込み上げた。

 

「何だ、今何が起きたってんだ。アタシが寝転ばされているのは、じーさんの所為か?」

「そうよアマゾニア。一秒で決着がついた。」

「まじか、やべぇな。」

 

語彙力すら何処かへ置いて来てしまったアマゾニアは、所持していた筈の剣を拾い行く。続いては海御前の番だ。

 

「よろしくお願いします。」

 

海御前は四十五度のお辞儀をすると、両手で長槍を構えた。

彼女は石舟斎とアマゾニアの戦闘を脳にしっかりと焼き付けていた。彼はアマゾニアの突進をひらりと躱し、彼女を軽く投げ飛ばしたのだ。

海御前は大きく深呼吸をし、石舟斎に向き合う。

 

「柳生新陰流、ですか…」

 

石舟斎は答えない。海御前は彼の器を図るべく、丸腰の彼へ襲い掛かる。

当然、同じ轍は踏まない。アマゾニアのやり方では勝てないことは百も承知だ。海御前は身体の内側から溢れ出す水流を槍の先端へ集める。

 

「ほう」

 

そして彼女は遠距離から六発の水の弾丸を射出した。狙うは石舟斎の心臓。練習だ、修行だとかまけていられるほど、彼は甘くないのだ。

海御前の殺意の波動を、この場にいる全員が肌で感じ取る。アマゾニアは「おいおい」と呟くが、教経は冷静沈着であった。

そして六の水球が石舟斎へ被弾する。海御前は彼が『無刀取り』でアマゾニアを打ち負かしたことを理解し、その領域外からの攻撃に打って出たのだ。

 

「(これで勝てるとは思っていないけれど)」

 

海御前は砲撃後、数歩後退し、改めて水の流れを体内で作り出す。胸の内側からその全てを絞り出し、彼女は文字通り水を纏った。彼女は決して出し惜しみをするつもりは無い。

そして石舟斎は、砂埃を払いのけ現れる。当然の如く、彼女の弾丸は只の一つも届いていない。海御前が遠距離攻撃に徹することを、最初から理解していた素振りだ。

 

「流石、天下の柳生。刀が無くとも、その切れ味は抜群ですか。」

 

海御前の額に汗が伝う。彼女が同じ攻撃を繰り返し、後退し続けたならば、先に白旗を挙げることになるのは彼女だ。彼女の水とは即ち魔力。対して石舟斎は体術。リソース切れを起こすのは海御前である。

 

―ならば手は一つ。

 

彼が弾丸を叩き切るならば、それが間に合わないレベルにまで弾の数を増やせばよい。それは即ち、彼女の宝具『弾丸雨注』の一斉掃射である。雨の一粒一粒を払えるような匠がこの世に存在するだろうか、いや、いない。

だが彼女の宝具は源氏への怨念を形にするもの。発動自体は可能だとしても、目に見える範囲で源氏が確認できなければ、その起動に幾ばくかの時間を要する。柳生が徳川と勢力を共にし、徳川家康が清和源氏の子孫を語っている以上、柳生の者を源氏の者だと拡大解釈しなければならず、それは彼女の思考の歯車がどうにも嚙み合わなかった。彼女がいま絶技を放つのは、ただの「八つ当たり」でなければならない。

 

「(でも、それしか勝ち道は無い。)」

 

海御前は強く強く槍を握り締めた。こんな場で、敵でも無いサーヴァント相手に放つ道理はないが、彼女が本気にならない限り、彼女はその先へ進めない。目の前にいる老人こそ、海御前の道を切り開く者である筈だから。

 

―禮士さまを守る力を、私は…手に入れる。

 

海御前の体内を走る水が、一斉に溢れ出した。纏う水はやがて生物のように形作られる。石舟斎も流石に驚いているようで、少年のような瞳で、彼女の水の龍を見つめていた。

 

「行きます!」

 

彼女の美しき髪も、鮮やかな着物も、多量の水を浴び、艶やかさを演出している。この場において心を揺るがせるものは存在しないが、男どもを手玉に取ることも叶いそうだ。石舟斎はその色めいた肌に目もくれず、彼女の目だけを眺め続けていた。

 

「皿を満たすは源(みなもと)の朱

 怨の積もらば覆水返らず」

 

龍が空へと昇っていく。これは見事な滝登り。彼女から染み出した全てが、石舟斎を殺す弾丸となる。

石舟斎はこれから我が身に起こる事柄を知り、それでもなお口角を上げる。

 

「切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ たんだ踏み込め 神妙の剣」

 

彼は短歌を一つ置き土産に、海御前へ向け走り出した。

彼女の目前へ到達するのに一秒とかからない。アマゾニアの獣の足より速い。

 

「なっ……」

「技は強大、されど尊大。儂には、隙が多過ぎた。」

 

海御前の濡れた腕を掴むと、腕を滑らせ、逆へ捻る。彼女の力が抜けた瞬間を逃さず、石舟斎は槍を奪い、その切っ先を彼女の目前へ突き立てた。空へ打ちあがった龍は霧散し、彼らはバケツに入った水を被ったようにずぶ濡れとなる。

 

「……見事なり、石舟斎。流石ですね。」

 

石舟斎はニコリと笑みを浮かべると、海御前の手を取り、倒れていた彼女を起こし上げた。

 

「無刀取りをカウンター技だとばかり認識していました。攻撃に転じるとは。」

「刀を取る技に非ず、刀無きときに人に切られまじき為なり。……我が命を守る為には、命を捨てる覚悟も必要だという。如何かな?」

「此方の宝具はあの瞬間、発動していた筈だった。本当に瞬間の隙、ずっと狙っていたんですね。悟らせることもせず。」

「左様。」

 

石舟斎は長い白髪を輪ゴムで雑にまとめた。髪の水気を切る為でもある。

 

「柳生新陰流の源流こそ『剣禅一如』に在り。心の在り様こそ、振るう剣に通ずる。教経殿は心得ておりますかな?」

 

教経は深く頷いた。例え彼の剣が古備前友成の打つものだとしても、教経がそれを正しく使用できなければ、只のボンクラになる。

 

「即ち石舟斎、拙者たちが学ぶべきは『転(まろばし)』だな。」

「左様。」

「ま…ぼろし?」

 

アマゾニアが聞き慣れない単語に頭を傾けた。

 

「まろばし、也。言い換えれば、自由なる心。転とは絶技に非ず。己の内、明鏡止水で在り、而して野兎のように跳ね回る。恐れず、憎まず、嘆かず、愛さず、ただ生き、ただ斬る。」

「???」

「つまりね、アマゾニア、対応力こそが大事ってことなの。少し直情的な所があるでしょう?」

「成程。」

 

アマゾニアは恐らくその本質を理解できていないが、自らが強くなれるならばと、素直に聞き入れることにした。海御前も転の意味を理解してはいるが、実践できている訳では無い。そしてそれは教経も同じ。彼は彼女より少し先を進んでいる筈だが、それでも柳生新陰流の極意をマスター出来てはいないのだ。

 

「次は拙者だ、石舟斎。手合わせ願いたい。」

「無論。儂こそが貴殿の胸を借りるつもりで。」

 

二人の戦いが始まった頃、それを遠くから眺める者たちがいた。

平教経のマスター、遠坂龍寿と、海御前のマスター、衛宮禮士である。

今回の修行をセッティングしたのは龍寿本人であった。禮士は、この地に、柳生宗厳が召喚されていることなど露にも思っていなかったのだった。

 

「柳生宗厳が第六区にいるなんてな。助けてくれれば、弁慶戦も苦労しなくて済んだんじゃないか?」

「そうはいかないのが難しいところだ。彼は自らを頑なに石舟斎と名乗っている。もはや戦う気は無いという事だ。……彼は富裕層の子ども達に剣道を教えている。それが自らの召喚された役割だと言わんばかりに。」

「まぁ、専属従者のロールとしては正しいが、なんとも口惜しい。逆に彼が全盛期であれば、災害に駆逐されていた可能性もある。召喚できたという点だけでも良かったことと捉えるべきかな。」

 

彼らがいる場所は、パークオブエルドラードの屋上、植物園が併設された展望台である。この場所からなら、彼らの戦いをしっかり見届けることが出来た。海御前と違い、流石の教経は、石舟斎と互角の戦いを繰り広げていた。

 

「実際、教経の実力は如何程なんだろうか。いざとなれば災害を超えられるか?」

 

禮士の質問に、龍寿はゆっくりと首を横へ振った。

 

「そうか。」

「第六区の災害『焔毒のブリュンヒルデ』が相手なら、教経は一分ともたずに消滅するだろう。それだけ災害は規格外なのだ。だから遠坂は災害には逆らわない。共存の道を示す。遠坂組が生き残るために。」

「そうだな。俺もそう思うよ。」

 

禮士は目を伏せ、静かに笑う。龍寿から見て、彼は少しばかり寂しそうに見えた。

 

「禮士は、どう思う?災害と僕たちは、共に歩めると思うか?」

「龍寿ならば、きっと出来るさ。俺は……アイツを止めなきゃいけないからな。」

 

龍寿は彼の言うアイツの正体が、災害のバーサーカー、后羿であることを知っている。禮士は彼を止める為だけに、今なお生き続けている。

サハラの聖杯戦争、その概要を全て知る訳では無いが、禮士が抱えている重荷を、龍寿は正しく理解していた。

 

「俺はアインツベルンの雇われ魔術使いだった。そして后羿はアインツベルンが召喚した切り札だ。でも、俺は聖杯戦争で勝ち残るために、アイツの最も嫌いな『裏切り』行為をさせたんだ。狂っていようとも、その信念だけは曲げなかった男が、本当に全て狂ってしまったんだ。必要なことだったとはいえ、俺の責任だと思っている。」

「………」

「他の災害は知らないが、災害のバーサーカーは、必ず理想郷を生み出そうとするだろう。あの英霊は、人間にとって正義の味方なんだ。だから、それを殺そうとする俺は『悪』だ。」

 

龍寿は禮士の言う事が間違っているとは思わなかった。だが、僅かばかり、それは悲しい考え方だと思ってしまった。

 

「気にしないでくれ、龍寿。俺は遠坂の味方だし、君の望みに最後まで寄り添うつもりだ。俺の拘りは結局その一点しかないからね。あとは気ままに過ごすさ。あまたんは、こんな俺を導いてくれる優しい人だからね。」

 

禮士は修行に励む海御前を優しく見守りつつ、缶コーヒーを口にした。禮士が海御前を見る目は、恋と言うには少し遠いが、無二の親友に対するそれだ。龍寿もまた思う。教経の意思がどうかは分からないが、もし新しい恋が海御前に宿っていたならば、或いは、と。

龍寿もまた、自動販売機で購入したエナジードリンクを口にした、その時だった。

 

屋上のドアが激しく開かれ、二人の見知った人物が息を切らして飛び込んでくる。

遠坂組幹部の一人、リカリーである。

リカリーは呼吸を整えながら、二人の元へ歩み寄った。顔は汗だくで、ここまで全力疾走で階段を駆け上がってきたことが窺い知れた。

 

「どうした、リカリー。」

「龍寿様、すみません、エレベーターを待つ暇もなく……緊急伝令です。」

「聞かせろ。」

 

「昨夜未明、開発都市第二区のマキリコーポレーション本社にて、大規模な火災が発生。原因は不明ですが、建物は全焼、中にいたスタッフの殆どが安否不明の状態です。」

 

「何?」

 

当然、二人は熟知している。マキリコーポレーション本社が、ただの火事で、燃えるはずなど無い。

まず間違いなく、何者かの襲撃だ。

 

「それで……」

「それで、なんだ?」

 

「マキリコーポレーションCEO、マキリ・エラルドヴォールの、焼死体が、発見されたそうです。」

 

「な……」

「…に…」

 

龍寿、禮士ともに絶句する。

天高く飛ぶカラスの鳴き声だけが、この場で響き渡っていた。

 

 

時は昨日に遡る。

開発都市第二区、マキリコーポレーション本社にて。

皆が寝静まった闇夜の空に、二匹の梟が飛んでいた。

それは梟と言うには余りにも巨大である。民間人がその姿を見れば、恐らく失神して倒れることだろう。

最上フロアの窓からその様子を観察していたエラルは、従者であるロイプケに、その正体を調べさせていた。本社内に残っていた社員は全員帰宅させ、警備員のみが巡回している。

 

「エラル様、解析結果が出ました。サーヴァントタイプはバーサーカー、真名は『モスマン』ですね。遠坂がデータを転送してくれていたので辿り着きやすかったです。」

「そう、つまりミヤビの仕業ね。」

 

現状、二騎のモスマンに攻撃意思は無く、蠅のようにビルの周りを飛び回っているだけである。ロイプケは妙だと感じたが、エラルにはミヤビの意図が理解できていた。

 

「エラル様、どうされますか?」

 

ロイプケはどこか不安そうな表情を浮かべている。常に前線に立つのが愛する彼女であるからこそ、緊急時には常に心を乱してしまう。

そんな彼を、エラルは優しく抱擁する。

 

「大丈夫よ。ミヤビが欲しているのは多分、マキリが隠している秘密。遠坂のときのように、実力行使に出てきたって訳。でもマキリはそんなことでは怯まないわ。」

 

彼女はロイプケの髪を撫でる。それは子どもに接する時のようで、彼は少し悔しい気持ちになった。

 

「僕も戦えます。エラル様の隣で、僕も。」

「いいのよ、バーサーカー。貴方の指が怪我をしたら駄目だもの。私が貴方を守るわ。大丈夫、私は負けないから。」

 

エラルは名残惜しくも、ロイプケから身体を離す。彼女のいる部屋の扉がノックされた。

 

「客人ね。」

 

彼女は臆することなく、その戸を開く。

現れたのは、第二区の守護者。ゲートキーパーのクラスで召喚された『塗壁』であった。

 

「あなたは……」

「マキリ様、市民からの通報で、不肖、塗壁、仕りました。このビルディングの半径一キロメートルに厳戒態勢を敷き、塗壁部隊を投入いたします。どうかお二人とも、私の後に続き、別の場所へ避難を。」

 

塗壁は第二区の警備部隊である。彼の登場に、ロイプケは安堵の表情を浮かべる。

 

「さぁ、こちらに。」

 

塗壁は戸の外へ、二人を誘導する。 

 

「エラル様、ここは塗壁に任せましょう。」

「……」

「エラル様?」

 

エラルは扉の外へ出ることなく、部屋の端へと移動する。そこに置かれているのは西洋騎士の甲冑。彼女は飾られている巨大な剣を手にすると、塗壁の首を叩き切った。

 

「エラル様!?」

 

塗壁の頭は転がっていくが、胴体から一切の流血は無い。崩れ落ちることも無く、そのまま突っ立っている。

 

「正体を表したらどう?」

 

エラルの言葉に、首の無い塗壁はクツクツと笑いだした。そして、胴体からにょきにょきと、新たな首が生え出てくる。その首は、先程までの、端麗な顔つきの彼では無い。その頭は外を飛び回る梟と同じであった。

 

「未確認生命体モスマン。貴方がその本体という訳ね。」

「ぐふふふふふふ、お気づきでしたか!そうです、私こそがモスマン、梟人間です!流石はマキリ様!そこな三流英霊とは訳が違いますね!」

 

梟は高笑いし、対して、エラルの怒りのボルテージは上昇していく。

 

「ふふふ、失礼。今宵はミヤビ様の命令で、マキリコーポレーションの機密情報を頂きに馳せ参じました。勿論、これは交渉では無く、脅迫です。外にいる私に分身は、常に貴方達の命を刈り取れる、無論理解して頂けますよね?」

「理解できないわ。」

「おやおやおやおや!ただの人間が、私に勝てるとでも?強硬手段に出ることもやぶさかではありませんよ?」

「それはこちらも同じ。」

 

エラルは指をパチンと鳴らす。するとスイートルームに仕掛けられているトラップが起動した。侵入者を阻むだけでなく、その命を奪う罠。モスマンの頭上から伸びた管が彼の首元に刺さり、魔力そのものを吸引する。

 

「おやおや」

「ちょうど先日、マキリコーポレーション社内のトラップ全てのメンテナンスを実施したの。やっておいて正解だわ。」

 

管が吸収した魔力は、地下深く埋め込まれた垓令呪システムによって、新たな令呪へ返還され、格納される。モスマンの身体は干乾び、アインツベルン製オートマタは砂のように崩れ去った。

 

「………意外と呆気ないわね。」

「エラル様!」

 

ロイプケはエラルを庇うように前に出る。再び扉の先から、今度はタキシードを纏った梟人間が姿を現した。無論、この個体もモスマンに他ならない。

 

「下がっていなさい、バーサーカー。」

エラルは彼を制し、モスマンの前に躍り出た。アインツベルンであれば、何ら不思議な光景では無い。モスマンというサーヴァントを、複数体召喚しているのだろう。

 

「どうも、先程ぶりです、マキリ様。」

「あと何人いるの?」

「そうですね、数は把握できませんが、それこそ、垓、かと。くふふふふふ」

 

アインツベルン自体が、オートマタのリソースをそこまでモスマンに割いている訳では無い。これはモスマンの宝具『不定の狂獣(デンジャラスビースト)』の能力である。相手のモスマンに対する恐怖心が、新たな個体を絶えず増やしていくという、異形ならではの絶技だ。それぞれの個体が戦闘、交渉に割り当てられる。例えば現在建物周りを飛び回っているのは戦闘特化型モスマンであり、平教経が相対したのもこのタイプだ。いまエラルの前にいるのは、言わば頭脳派モスマンであり、戦闘力こそ無いものの、嫌らしい手口で相手を追い詰めていく。

 

「また罠を起動しますか?朝まで、何度も、何度も、休む間もなく!外にいる梟たちも呼んで、共にパーティーでも開きましょうか?ぐふふふふふふふ」

「……本当に下劣ね、ミヤビ。」

「絶対に逃がしません。むしろ逃げれば、機密情報を強奪させて頂くだけですので!さぁ、外にいる私の分身も、三騎に増えましたよ!さぁ!さぁ!」

「……エラル様。」

「……バーサーカー、大丈夫よ。私が貴方を守る。」

 

エラルは部屋の中央に移動すると、宙に浮かんだデータへ入力を開始する。暗証番号を解き、ロックを解除すると、床下から隠されていたショーケースがせり上がった。中に飾られているのは、多種多様な色をした『眼』である。

 

「ほう、これはこれは!」

「これはマキリの主戦力。令呪システムに対応した『魔眼』よ。」

 

そこには様々な能力を宿した魔眼が存在した。オアシスが立ち上がる前、日本にて保管されていたもの。ランクは『波蝕の魔眼』とさほど変わりは無いが、ものを変えることで、あらゆる敵へ対抗できるように調整されている。

 

「例えば、私のこの右目は『波蝕の魔眼』。事の起こりを見極め、因果に介入できる力がある。じゃあこの左目は?」

 

彼女の左目が緑色に光り輝く。モスマンは動物的な本能で危険を察知した。

「これは『勾配の魔眼』。自らの立っている場所の傾斜を測量できるという、専門の仕事の人にしか需要の無い力だけど、垓令呪のバックアップで、こうなるの!」

 

彼女の視界に入ったモスマンは、徐々に肉体が傾いていく。そしてビルの窓まで滑っていき、窓を割って飛び落ちた。それは外を飛び回るモスマンも同様である。三騎は方向感覚を完全に失い、あらゆる方向へ『落ちて』いった。

 

「貴方達が何度来ようと、全て私が返り討ちにする。ミヤビが諦めるまで、ずっとよ!」

 

再び部屋へ舞い戻る新個体のモスマンへ、ハッキリと言い放つ。エラルは敗北するつもりなど無い。愛する男を守る為ならば、どんな手でも使えた。彼女の恋は、ミヤビの想定以上に、強固なものであったのだ。

 

「おやおや、これは計算外。魔眼コレクターなのは知り得ていましたが、躊躇なく自分の身体に埋め込んでいたとは。自分自身がモルモットだと言う事ですか?」

「当り前よ。社員にやらせる訳無いじゃない。私が行使する力は、私の手によって編み出されるもの。そうでなくては意味が無いわ。マキリ・エラルドヴォールは、ワンマンCEOなんだから!」

 

エラルは決め顔を浮かべながら、モスマンを指さした。彼女の心からモスマンへの恐怖は取り除かれ、彼の宝具は忽ち効力を失う。

 

「おやおやおやおや、ふふふふふふ、流石はマキリ様。一筋縄ではいきませんねぇ。」

 

モスマンは大人しく白旗を挙げる。彼は大人しく引き下がることにした。遠坂組のときもそうだが、彼に与えられる指令は、言わばミヤビのお遊びに過ぎない。深追いするのは、それこそ三狂官が果たすべき責務である。

 

「では、本日はここまで。私は大人しく去りましょう。貴方の隠し財宝は全て記録済み。これ以上長居しても、痛い目を見るのは私でしょうから。ふふふふふふ」

 

梟人間は両手を挙げたまま引き下がる。エラルはそれを追うことはしない。ロイプケが無事であれば、それで十分なのだ。

 

だが、事態は急変した。

 

扉の外へ出ようとしたモスマンの身体が突如、自然発火する。エラルのトラップ、魔眼によるものでは無い。

 

「な…これは!」

 

モスマンは火を消さんと跳ねまわるが、一切効果は無い。スプリンクラーの雨を以てしても、その火が消滅することは無かった。

 

「マキリ様、、これは、貴方が!?」

「違う!何が起きて…」

 

モスマンは脳内で情報伝達を行う。現在第二区に潜入した全ての個体が、同様に燃え続けている。これはまさしく霊基そのものを破壊する炎だ。ミヤビの仕業という訳でもない。

 

「何故、何故、何故!?」

 

マキリコーポレーション全域にアラームが鳴り響く。ロイプケが急ぎ、監視カメラを確認すると、一階から三階まで、全域が燃やされていた。

 

「これは何だ!?何が起きている!?」

「バーサーカー?」

「マキリの防衛システムの全てがシステムダウンしています!火の手が、いま、四階へ……」

 

エラルは言葉を失った。そして彼女の目の前で、モスマンの断末魔が響き渡る。彼は跡形もなく、このオアシスから消滅した。

犯人は特定できない。エラルは警備員たちへ連絡するが、彼女の声に答える者はいなかった。

 

「エラル様、原因不明ですが、兎に角、逃げましょう。」

 

ロイプケは社内の非常階段など、避難経路の確認をする。どうやら下位層はアクセス手段が全て絶たれているようで、逃げる為には、窓から飛び降りる他ない。サーヴァントであるロイプケは、芸術家と言えど、飛び降りても死なない屈強さがあった。だが、エラルは違う。

 

「エラル様。僕が貴方を抱えて飛びます。それで逃げましょう。大丈夫です。僕もサーヴァントの端くれですから。ちょうどモスマンのお陰でこの部屋の窓から脱出できそうです。」

 

ロイプケはエラルの腕を引き、窓際に立った。彼は生前、このような高さから飛び降りたことなど無かったため、恐怖で震えている。だが、恐らくこの瞬間こそが、エラルに男を見せるチャンスでもある。

 

「エラル様。必ず僕が貴方を守りますから。この命に代えても、必ず。」

 

ロイプケはエラルを抱きかかえようとする。彼女は余りにも凛々しい表情の彼を見て、頬を赤らめた。

そして彼の唇を塞ぐ。強く強く、互いが繋がってしまう程に、強く。

 

「ん…っ!」

 

ロイプケは最初驚いたものの、すぐにそれを受け入れた。女性と熱いベーゼを交わすのは、彼にとって初めてのことである。

ピアノと共に生きた人生。神に命を捧げた人生。後悔は無かったけれど、彼は第二の生を以て気付く。

エラルに召喚され、エラルに恋し、彼女の為に弾くピアノは、どれほど美しいだろう。

ロイプケは唇を離すと、彼女をしっかりと抱き締めた。彼女のいない人生に意味は無い。必ず守ると誓いを立てる。

 

「行きましょう、エラル様。歯を食いしばって、舌を噛まないように。」

 

ロイプケはお姫様を抱くようにしてビルから飛び降りようとする。彼が手を離さなければ、必ず彼女と共に生きられる。

だが、エラルはそっと、三十センチほど、距離を置いた。

 

「私の左目には、傾きを変えることの出来る眼がある。」

「はい、魔眼ですよね。そんなことは置いておいて、行きましょう!」

 

ロイプケが再びエラルに触れようとしたその時、エラルは、彼を窓の外へ突き飛ばした。

 

「え………………」

「貴方は死なない。私が死なせない。私が貴方の命を守るから。」

「えらる…さま…」

 

彼女の左目は淡い緑色に輝いていた。零れ落ちる涙すら照り輝いているようで。

ロイプケはこんなときに、それを美しいと思った。

 

「エラル様!エラル様!」

 

ロイプケは落ちていく。それも、マキリコーポレーションより離れた地点へ向けて。

彼は直ぐには、この建物へと戻っては来れないだろう。

エラルはこのビルに一人残る。彼女は責任者として、この不測の事態に立ち向かう決心をした。

もし誰かの悪意であれば、それは総じてエラルに向けられたものである。ロイプケを巻き込むわけにはいかない。

「さぁ、誰の仕業かくらいは、突き止めなきゃね。」

エラルは飾られた魔眼の全てをアタッシュケースへ移動させると、自ら下階層のフロアへ足を運んだのだった。

 

エラルが一階エントランスへ降りたとき、炎の渦の中に人影を発見する。男が、燃え盛る火の中で笑っていた。

この状況下であれば、犯人に違いあるまい。彼女は魔術で編み上げられた防火スーツを着て、男の元へと歩いて行く。

 

「誰なの。ここは私のビルなのだけれど。」

「嗚呼、知っているぜ。」

「敵という認識で会っているわよね?」

「お前にとってはそうだろうなぁ。もっとも、俺たちの方が正しいのは自明の理だがよぉ。」

 

男は火の粉を払いのけ、姿を見せる。彼女は男の正体を知っていた。

考え得る限り、最悪のケースだ。

 

「災害の……アーチャー……」

 

開発都市第二区を管理する災害。人を殺しても罪に問われない、無法地帯、犯罪都市を築き上げた元凶である。

災害のアーチャーは首を鳴らしながら、エラルへ向け歩いて来る。

 

「どうして、こんなことを?」

「どうしてって…天空城塞での災害会議は知っているだろ。そこで、マキリ全員殺戮の決定が成されたんだよ。アイツ、アサシンが言い出したことだけどよぉ、バーサーカーにランサー、あと俺、過半数が賛同しちまったからな。残念無念だ。」

 

彼はやれやれといったジェスチャーをする。

エラルには全く概要が掴めていない。

 

「ほら、遠坂は災害との共存?あとアインツベルンは災害の使役?色々道を選んでいるだろ。けどマキリと博物館?とかいう連中は災害と敵対する意思を見せた。まぁクソ人間のクソ戦力で俺たちを殺そうなんざ五千万年はえぇけども、お前の魔眼、こりゃ駄目だ。アサシンがその危険性を提示したから、俺たちはお前と、あとついでに博物館?殺すことにしたよ。お前は俺が、博物館はキャスターが向かっている筈だぜ。」

「そんな…馬鹿な…」

「つまり調子に乗り過ぎたってコト。ちゃんとあほ面したままあの世で反省しろよ?」

 

アーチャーはエラルのスーツを手で引き裂くと、彼女の髪を強引に掴み、地面に叩きつけた。彼女の額からは血が溢れ出す。

エラルは急ぎ『波蝕の魔眼』を起動するが、アーチャーの攻撃に対しての因果介入がキャンセルされる。どんな未来を辿ろうと、彼女には絶望が待っていた。

 

「なんで……」

 

令呪の全てをつぎ込んだとしても、アーチャーには傷一つ負わせることが出来ない。力の差は歴然だ。

 

「俺、無敵だからさ。傷付かねぇんだよ、この身体。」

 

アーチャーはエラルの首を掴むと、再び地に叩き付ける。彼女の美しい顔は既に赤黒く血塗られていた。

 

「あ…う……」

 

衝撃で意識が混濁する彼女を、アーチャーはただただ楽しそうに見つめている。彼女の頬に舌を這わせ、血を舐め、それを口の中で堪能する。

 

「俺は吸血鬼じゃねぇから分かんねぇけど、敗北してちびった高慢な女の涙と血液は美味だと思うぜ。」

 

アーチャーは倒れた彼女の上に跨り、その服を剥ぎ、美しき裸体を露出させた。意識を取り戻したエラルは、アーチャーが彼女の身体を揉みしだき、舐め回していることに違和感を覚える。

 

「あなた、災害、でしょ…にんげんなんかに、欲情して、変なの…」

「カカカ、ちげぇよ。俺は人間だ。英霊とか災害は役職に過ぎない。俺は座とかいう奴に登録されようと、召喚されようと、人間なんだ。飯を食らい、女も食らう。俺は人間だよ。」

「そう、人間のフリだけが…上手なのね。」

 

アーチャーはその一言に、怒り狂う。

エラルの首を絞め、「人間だ」と叫び続ける。

 

「クソが、クソ、クソ、クソアマ、死ぬ前に抱いてやろうと思っていたが、失せたわ、カスが。」

 

アーチャーはエラルの右目に、親指と人差し指をねじ込んだ。彼女の発狂と共に、波蝕の魔眼を摘出する。それは左目も同様に行われる。エラルは両目を失い、何もかもが見えなくなった。

アーチャーはそれを握りつぶし、彼女の所持していたアタッシュケースも燃やし尽くした。これで彼の任務は達成された。

エラルは様々な部位から血を流しながら、薄れゆく意識の中で、必死にロイプケのことを考えていた。

これがもし俗にいう「走馬灯」ならば、最後にロイプケに会えて事は、彼女にとって幸福だった。

 

初めて召喚された彼―どこか怯えた表情だが、私はそんな彼に一目ぼれした。

 

ピアノを弾く彼―この地上にいるどの男よりも凛々しくて優雅で、美しかった。

 

隣で眠る彼―子どものようなその頬に、こっそりキスしたこともあったっけ。

 

ビルから飛び降りようとする彼―今までで一番かっこ良かった。

 

恋して良かった。貴方を好きになってよかった。

でも、ひとつだけ、ひとつだけ、後悔がある。

それは、恥ずかしくて、彼のことを名前で、『ユリウス』って呼んであげられなかったこと。

大好きなのに、ずっとクラス名なんて、変じゃない。

ああ、失敗したな。

もしまた会えたら、そのときは

 

彼女のたった一つの後悔は

燃え盛る炎に掻き消えた。

 

                                【神韻縹緲編② 終わり】

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