ぜひプロローグからご一読ください。
【観測者編①】
燃え盛る炎の中で、青年は自らの死を悟る。
天に向けて伸ばした手を掴み返す者はおらず、彼は奇跡など存在しないことを理解した。
一つの小さな小競り合いが、結果、世界を滅ぼした。願望器など今の世に実現してはならなかったのだ。
今更嘆いても仕方が無いが、ヒトはどう足掻いても後悔する生き物である。心から悔いることが出来る内は、素直に悔しがっておくべきだ。
それが英雄には出来ない、人間ならばこその行動だから。
「…ちくしょう。」
あと一歩だった。
その手が届けば、彼は幸せな未来へ進むことが出来た。出来たはずなのだ。
聖杯戦争に参加した七騎のうち、六騎が結託し、願いを共にした。その六騎と最後まで一人で戦い続けたセイバーは、青年のサーヴァントは、いま彼の隣で消滅の時を待っている。
「ごめんな、セイバー。」
青年は自らのサーヴァントに視線を向ける。もはや立つこともままならないが、手を伸ばして触れることは出来た。
セイバーは彼よりもどこか幼く見える、少女のサーヴァントだ。彼はセイバーの長くツヤのある髪が好きだった。ガラス片や木の枝がめり込んだ傷だらけの手で彼女の髪を優しく撫でる。返答は無いが、まだ生きていることは確認した。
「願い、叶えたかったな。」
彼の理想の先に、微笑むセイバーの姿があった。向日葵の園に佇む麦わらの少女、青年は彼女に手を引かれ、初夏の暖かな大地に転げ回る。お気に入りのスーツが汚れるのも厭わずに、童心に返ったように彼女と笑い合うのだ。汗ばんだ手を握られることが恥ずかしく、何度も離そうとするけれど、少女はその度に手のひらに力を込めた。少し痛いぐらいに握られるのが丁度いいなんて、青年はこれまで知らなかっただろう。無邪気に駆ける少女の横顔が、不意に吹いた風に揺られる白銀の髪が、彼の温度を上昇させる。
きっとこれは、そう―
「きっとこれは。」
セイバーは光の粒子となり消失した。
彼の触れていた髪がもうそこには存在しないことを悟ると、彼は空っぽの手で目を覆う。
大声で泣き叫ぶことは無い。だが溢れ出る熱さを止める術は無い。無様に悔しさを形にすることも無く、ただ嗚咽するのみだ。
炎が彼を燃やそうと関係は無い。死を恐れるならば、最初から戦争になど参加していない。今は溢れる感情の制御が先である。この弱さは戦場において不必要だ。
焼け焦げたスーツの匂いが彼の涙を塞き止める。ここで死ぬのは容易いが、それは謂わば逃げである。諦めた先に未来は無い。ならばたとえこの炎のような絶望の中でも、進むしか無い。彼は最後の力を振り絞り、この戦場で再び立ち上がる。
天使がくれた薬のように意識は朦朧としているが、進むべき道はその足が覚えていた。
「いま、行くぞ。」
敗北者は膝を折らない。
諦めなければ負けでは無いと教わったから。
迫る火をぼんやりとした目で見つめながら、亀の歩みで進み続ける。目的の場所は途方もなく遠い、だが、歩き続ければ必ず。
「不可能だ。」
誰かが傍で呟いた。その顔を見ることは無い。
「まだ、俺は、絶対、俺は…」
「死ぬぞ。」
「死なない、俺は、俺は…」
「お前一人では『憩い場』に到達できない。俺が連れて行ってやる。それが俺に出来る最期の贖罪だ。」
青年の意思はそこで途切れ、何者かが彼を抱え飛び去った。
青年は気付いている。彼の心の過ちに。向日葵の園で笑みを浮かべる少女への想いに。
《きっとこれは、世界を滅ぼす『恋』なのだ。》
※
「コーイチロー、ねぇってば。」
青年は甲高い少女の声で叩き起こされる。瞼を擦ると、派手な髪色の少女がしかめ面で彼を見つめていた。
「やっと起きた。これから博物館に行かなきゃ、でしょう?」
「美頼…すまない、こんな硬いベンチだが、風が心地よくてな。」
巧一朗は寝ている間に落としてしまった推理小説を拾い上げ、持ち前のアタッシュケースにしまい込んだ。内容は殆ど頭に入ってこなかったが、元々しっかり読むつもりも無い。これは言わば睡眠導入剤だ。難しい言葉の羅列がどこか昔の現代文の授業を想起させ、彼を眠りに誘う。薬など用いずとも意識をシャッタダウンさせられるのだから便利なものだ。特に登場人物がやけに多い推理小説は、いちいち名前を覚えようとしない彼にとって良き安眠への道標たる代物である。
「確かに、秋風は快適よね。一年中これで良いのにな。」
「オアシスは千年前の日本と言う国をある程度まで再現しているらしい。きっと昔の人も、この季節は好きだったろうさ。」
「別に全部英霊が管理しているんだし、そこまで再現しなくてもいいのにね。」
秋はスポーツにご飯に芸術に、何でもございな季節。実際、巧一朗の眠っていた公園では芸術家サーヴァントが子どもにスケッチを教え、体育会系の武術サーヴァントがカンフー教室を開いている。英霊にとって暑さや寒さは関係ない、だが人間は違う、三度も違えば着込む服が増えるぐらいに、寒暖の差には敏感だ。それは一般人であれ魔術師であれ差異は無い。
「そういえば、今日は社会科見学が入るんだって。基本的に吉岡さんが対応するだろうけど、人数次第では二グループに別れてやるみたい。その時はコーイチローが引率やってって、みさっちゃんが。」
「手当は出るんだろうな?」
美頼は口笛を吹いた。相変わらず下手くそだ。
巧一朗は頭を抱えながらも、重い腰をあげた。事務作業より子どもの相手をする方がマシだと自分自身無理矢理に納得させる。それにしても博物館のスタッフはまともじゃない人間ばかりだが、教育に悪いのではないかと考えてしまう彼であった。
「取り合えず行こ!ちゅんちゅんも先に着いているだろうしね!」
「おい、腕を引っ張るな。」
美頼は巧一朗の腕にわざとらしく胸部を擦り付ける。そうすれば彼が赤面し、彼女を意識することが分かっているからだ。彼女は青年を揶揄うことが好きだった。予定通り彼は頬を染めて振り解こうとするが、彼女は決して離れない。虐めっ子としての本性か、それとも。
彼らが博物館へ向かう道中、怪しげな黒フードの男が道端で骨董品の売買を行っていた。巧一朗はいつもなら見なかったことにして先を急ぐが、男の服装は以前第二区の裏側で出会った狂信者に酷似していた。
「ねぇコーイチロー…あれって。」
「同じ宗教団体の組員だろうさ。」
美頼のバーサーカーによって殺害された男の仲間、だとすれば、巧一朗達に復讐心を抱いている可能性は高い。彼は足を止め、別の道から博物館へ向かうことにする。
だがそこで、今まで腕にべったりくっ付いていた少女が消えていることに気付いた。美頼はあろうことか黒フードの男の出店の前に座り込み、並べられたガラクタに興味を示していた。
「おい馬鹿っ!」
巧一朗は仕方なく美頼の傍に駆け寄る。幸いにも、黒フードの男は彼女を只の客として応対していた。
「おじさん、これ全部聖遺物でしょ。しかも違法の。」
「ふふ、嬢ちゃん、アンタ、裏側の人間だね。」
「まぁね。一個買ってあげるよ。」
品物は全て法外な価格であるが、美頼は躊躇することなく、財布から大金を取り出し、購入した。男も自分で売っておいて驚きに満ちた表情である。それもそう、美頼は普段から学生服をお洒落として着ている為、客観的に見れば高校生が百万と言う大金を持ち歩いているように見える。無論、実際は二十を超えた成人女性であるが。
「毎度あり。」
男は金を手にし、客の前だというのに笑みがこぼれている。美頼は聖遺物を学生カバンにしまうと、男の顔をじっと見つめた。
「ねぇおじさん、これって何処で手に入れたの?」
「…アンタは羽振りの良いお客様だけど、流石にそれは答えられないねぇ。聖遺物を巡って、僕の同僚も何者かに殺されちゃったみたいだし。まぁムカつく奴だったからすっきりしたけどねぇ。」
巧一朗はフードから覗く男の顔を見て確信する。彼は美頼が同僚の死に関わっていると知っていて、敢えて素知らぬ振りをしているのだ。
「そっか、それは危険だね。」
「あぁ、危険なのさ。アンタもあまり暴れないようにした方が良い。ここ第四区の神は人間に対し放任主義を貫いているけど、第三区や第五区は違う。我らが教祖様に目を付けられないようにね。」
「教祖様…あぁ、第五区のアサシンの『災害(ディザスター)』クラスか。貴方達は彼ら災害のことを神様と呼ぶのね。」
「それはそうさ。世界を滅ぼしたのも、世界を生み出したのも、六の柱だからねぇ。教祖様は中でも最高の御方だ。あぁ我らの祈りが届くように、あぁ教祖様、あぁ創造主様。」
男は突然、狂ったようにその場で踊り始める。余りにも奇妙な姿に、道行く人々も足を止める。露店は注目の的となった。
「逃げるぞ、美頼。」
巧一朗は少女の手を取り、早歩きでその場を後にする。
「ちょっと、コーイチロー!」
「あまり目立つな。それこそディザスターに見つかったら最後だ。」
「急に踊り始めたのはあの男でしょう?あとちょっとでアイツらの素性に近付けたのに~」
「俺たちはあくまで博物館のスタッフだ。探偵じゃない。」
巧一朗はトラブルメーカーな美頼を叱りつける。怒るのはこれで十数回目だが、一向に改善の兆しが見られない。
「ごめんなさい…」
少女は深々と頭を下げた。哀しい目をされると、巧一朗は許さざるを得なくなる。そう、これはいつものパターン。しゅんとした表情の美頼に対し、追い詰めるようなことはしない。勿論これは接客の末身に着けた美頼のスキルであるが、巧一朗は敢えてそれに騙されるようにしている。問い詰めてもこの少女が反省することは決して無い。
「次から気を付けてくれよ。黒フードの不気味な連中がアサシンのディザスターと何らかの関係がある以上、関わってロクなことにならないだろうからな。」
彼らが第五区へ足を踏み入れることはこの先無いだろう。紛争地に好んで行く馬鹿はいない、そう、アサシンが暴虐の限りを尽くすあの土地は学校教育で立ち入らないように警告されている。博物館の見解も、君子危うきに近寄らず、だ。
「でも不思議よね。第五区出身の人は皆アサシンのことを好きって言うじゃない?ほら、吉岡さんも。」
「それはまぁ、あの王様、妙にカリスマ性があるからだろうな。」
巧一朗と美頼は雑談を交えながらも、職場である第四区博物館へ辿り着いた。歴史書で見たような、中世ヨーロッパ風の建築は何度見ても飽きないものがある。この外観を撮影するために、今日も数人のカメラマンが敷地内に三脚を構えていた。
二人は正面玄関を使わず、裏口の鍵を開けて中へ入った。警備にあたる無頼漢が会釈するのはいつも通り、もし侵入者であれば彼は腰の剣を抜き応戦するようにプログラムされている。
裏口の通路は一階のスタッフルームに繋がっており、彼らはその場所を目指す。ここも様々なトラップが仕掛けられているが、顔認証でスルー、随分とハイテクだと巧一朗は感心している。
美頼はスタッフルームの扉を勢いよく開けた。大声でお邪魔しますと叫ぶが、部屋はシンと静まり返っていた。
「お疲れ様です、巧一朗さんに、美頼ちゃ…倉谷さん。」
「お疲れ様です、鬼頭教官。」
「…その教官って言うの止めませんか?」
「鬼頭教官も、いい加減美頼のことをちゃんと下の名前で呼んであげたらどうです?」
巧一朗がそう返答すると、銀の髪をしたオッドアイの女は顔を赤くした。
彼女の名は鬼頭 充幸(きとう みさち)。この博物館においては鑑識官、及び展示課長を担っている。落ち着いた、大人の女性であり、彼女目当てで訪れる者も少なくない。だが巧一朗は彼女の性格が鬼のごとき厳しさであることを知っている為、基本的には絶対服従を誓っている。
「こほん、それは一旦置いておくとして、巧一朗さんには早速お仕事をお願いします。」
「あぁ、社会科見学の件ですか?」
「話が早くて助かります。いつも通り『博物館のスタッフ』として展示解説員役、お願いしますね。」
そう言い残し、鬼頭鑑識官は美頼との談話に入った。あっちはあっちで何かあるようだが、巧一朗は気にせず部屋を出る。恐らく後のことは吉岡に聞けば分かることだろう。
巧一朗は従業員通路を抜け、グランドホールへ向かった。今日は平日である為あまり来館者はいないようだが、休日は親子連れや年配者である程度の賑わいを見せている。恐らく皆が同じ目的でここを訪れる、それはマケドニア王アレクサンドロス三世の聖遺物、彼が生前愛用していたとされる剣の一部である。これはオアシスの規定する〈指定文化財〉であり、如何なる理由があっても、この触媒を利用した英霊召喚は禁止されている。もしこの禁を破れば、真っ先にその地区を管轄するディザスターが出現し、聖遺物の没収、加えて召喚者の投獄、最悪の場合は極刑が言い渡される。貴重な聖遺物や、強力な英霊を呼び出せる物は全てこれに該当し、それらは発見、国による登録が行われ次第、その地区が運営する博物館や美術館に貯蔵される仕組みだ。
だからこそ、国の登録に無い違法触媒は裏社会で密売や取引に利用され、挙句殺傷沙汰に発展しているのだ。
オアシスを管理、運営する六の災害は、自らを超える存在の誕生を恐れている。もし、巧一朗の持つ能力が、彼らにとって脅威として捉えられてしまったならば、彼の存在は抹消されかねない。だが現状、ディザスタークラスによるアプローチは無い。
「まぁ、一分しか戦闘出来ないサーヴァントは恐れるに足らず、か。」
彼は自嘲した笑みを浮かべると、受付で書類を確認している大柄な男に会いに行った。
「お疲れ様です、吉岡さん。」
「あぁ巧一朗君。今日はごめんね。これが今日の資料。前みたいに時間通りなら話す内容は任せるから、全部のフロアだけ回れるように調整して貰えると助かる。あと一時間で子ども達が来るから、十分前までは休憩室でゆっくりしていて。多分凄い体力持っていかれちゃうから。」
吉岡は早口だが正確に仕事内容を伝える。彼は巧一朗と違い、あくまで博物館の展示解説員に過ぎない、言うなれば表の人間だ。だから巧一朗と仕事を共有することは少ない。だが、巧一朗は一回りも年上の吉岡を良き上司と思い、接していた。彼はここのスタッフの中で誰よりも博物館に詳しく、誰よりも展示された全ての物を愛している。
「そう言えば、吉岡さんはこの博物館の展示品で何が一番のお気に入りですか?」
「僕の一番、か。難しいね、全部好きという回答は駄目だろうし。うーん、強いて言うならば、おまじないの道具、かな。」
「あぁ、旧北米エリアの隅にある奴ですよね。確か忌まわしき魔女裁判の…」
「光を浴びる存在も要れば、闇を受け入れる存在もある。僕は皆が見惚れる光も好きだけれど、同じだけ人を戦慄させる闇も綺麗だなと思っているんだ、なんて、呪いの道具とか拷問器具とか、暗いものにこそどこか心惹かれる部分があるんだよね。こう、中二病的な。」
「分かります。俺も何故かアイアンメイデンとか、カッコいいって思っちゃいますもん。」
吉岡は身に着けていた眼鏡をハンカチで吹きながら、熱く聖遺物について語り始める。巧一朗は彼の話に耳を傾けながら、彼のお気に入りである北米エリアのデータを閲覧していた。
「…という訳なんだよ。ふぅ、話過ぎてしまったね、休憩時間がかなり減ってしまった、ごめんよ。」
「いえ、今からの仕事に活かせそうです。有難うございます。」
巧一朗は英霊の知識を膨大に吸収している。それは彼が行使する魔術が、英霊の記録を触媒とする召喚であるからだ。幼少期から英雄伝を読み耽っていた彼だが、ヒトの口から新たな情報を摂取することもある。その貴重な瞬間を彼自身大切にしているのだ。
「そう言えば、確か巧一朗君の傍には女の子のサーヴァントがいつも付いていたよね。今日はいないみたいだけど…」
「あぁ、キャスターですね。彼女は基本的に自由に外で遊んでいます。僕の身に何かあれば駆けつけますよ。」
まぁ駆けつけても助けてはくれないんだけれど、と巧一朗は内心で付け加える。彼女は巧一朗の危機を最前列で鑑賞することに闘志を燃やしているのだ。
「そうか。三回ほど見かけたことがあったけど、凄く美人で母性的だから子どもに好かれるだろうと思ったんだけどね。」
「…母性的…?」
巧一朗の頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。確かに身体面において非常に女性的であると認めざるを得ないが、その性質は悪魔寄りである。純真無垢な子ども達には教育上よろしくない。恐らく彼女は人の貶め方について善意で語り出すことだろう。アインツベルン製の精巧精密なオートマタだが、宿った魂がこうも専属サービスに反していると、大企業の管理体制に疑問を抱かざるを得ない巧一朗である。
「まぁ取り合えず頼んだよ、巧一朗君。」
吉岡は巧一朗の肩を軽く叩くと、受付奥の作業スペースへ去って行った。
巧一朗に与えられた休憩時間は残り十分程度。ゆっくりお茶を飲む暇は無さそうだと判断し、正面口を出てすぐの庭園へ足を運ぶ。この場所を管理しているのは充幸であり、広大なスペースをたった一人で毎日手入れしている。彼女の趣味だそうで、巧一朗含め全てのスタッフが手伝おうとするのを許さない。万が一客によって花を折られた日には、彼女は復讐の鬼と化すだろう。
巧一朗は色とりどりの景色をただ茫然と見て回る。彼は生まれてこの方、植物に愛着を抱いたことは無い。恐らく有名なものを除けば、花の種類なんて答えることは出来ないだろう。今彼がこの庭園を散策しているのは真に暇つぶしであり、花壇に目を向けているけれども、脳内では全く関係の無いことを考えていた。
彼は両手をズボンのポケットにしまい込んで、ふらふらとルートに沿って歩いて行く。
巧一朗が庭園中央に設置されている休憩用ベンチに差し掛かったとき、庭園の散策者が彼一人で無いことを知った。絵画のワンシーンを切り取ったような光景が映し出される。ベンチに腰かけていたのは美頼のサーヴァントであるバーサーカー。黒髪の美女は目を瞑り、鳥の鳴き声に耳を澄ましていた。
「…巧一朗か。」
「やぁバーサーカー。すまない、邪魔をしてしまったようだ。」
巧一朗はそそくさと退散しようとする。彼はバーサーカーのことが少し苦手だ。狂った魔女の取扱説明書は彼の脳内データベースに存在しないためである。
だがバーサーカーは「おい」の一言で巧一朗の逃走を止めた。物理的に、彼の足は見えない鎖で繋がれる。
「座れ。」
魔女にそう命令されれば、従わざるを得ない。巧一朗は額に汗を浮かべながら彼女の横に腰かけた。当然心理的な距離間から半メートルは離れて座る。
「何か御用でしょうか?」
思わず敬語になる巧一朗である。バーサーカーは彼を見ることは無く、ただ庭園を眺めていた。
「この世界は貴様にとって住み心地の良きものか?」
「それは勿論。」
「そうか。」
暫くの沈黙。巧一朗はバーサーカーの意図が分からない。涼しい気候だというのに流れ出る汗が滝の様だ。
「我はそう思わん。英霊が神の如く存在するなど、今を生きる者への冒涜だ。」
「災害のクラス…のことか?」
「そうだ。ヒトの臨界を極めたものは〈王〉となる。だがヒトは神にだけは成れん。成ってはならぬ。人が鳥には成れぬように、鳥もまた人には成らないのだ。」
バーサーカーの右手に一羽の鳥がとまった。魔女はその一羽の背中を優しく撫でる。巧一朗から見て、その姿は宛ら聖母である。
「でもバーサーカー、貴女は鳥になっただろう?」
「あぁ、そうさな。」
またも沈黙。互いに一瞥もくれず、花園より遠い虚空を見つめていた。
「鳥の翼を得たとしても、我は結局我だったのだ。人はそう簡単には変わらない。」
「…」
「ならばこそ人は人として生きる。大地を踏み、己が死へ向かって歩いてゆくしかないのだ。間違っても空を飛び、最短距離でそこへ到達してはならん。」
「…そうだな。」
―あぁ、彼女はやはり女王なのだな。言葉の重みが違う。
巧一朗は再び目を瞑ったバーサーカーを確認すると、庭園から去って行った。
約束の時間である。彼の、博物館スタッフとしての仕事が始まるのだ。
第四区小学校三年の子ども達が教員の引率で登場した。ざっと見て三十人ほど、博物館に目を輝かせる才児もいれば、興味なさげに遠足のおやつを頬張る者もいる。吉岡は慣れたもので、彼らの興味を引くようなワクワク冒険譚を紙芝居方式で読み聞かせていた。中には博物館常連客もいるようで、吉岡の名を叫びながら抱きつく少年は、これが十数回目の来館だそうだ。吉岡は子どもの扱いがとにかく上手い、対して巧一朗は子どもに好かれぬタイプ。学校長の話のように退屈で、引きつった作り笑いはまるで「真実の口」だと充幸に茶化された程である。そもそもこういった機会で無い限り、子どもと接することが無いので、彼は仕方が無いと諦めていた。
「じゃあ二チームに分かれて博物館探検に出かけよう!右チームは僕の方へ、左チームはこっちのお兄さんについて行ってね!」
「あ、どうも宜しく。」
巧一朗の登場にシンとなるオーディエンス。先程の吉岡に懐いていた少年も巧一朗チームになり、少し不貞腐れている。
「やだ、俺も吉岡さんと一緒に回る!」
「ミナト君、ごめんな。後で合流するから。」
少年の名はミナトというらしい。彼は駄々をこね、中々吉岡から離れようとしない。吉岡も困り果てた表情だ。巧一朗が何かパフォーマンスで機嫌を取ればいいが、人には向き不向きがあると自覚しているので動かない。結局スタートから十分程遅れてしまう。
「ちっ、分かったよ。吉岡さん、また後でね。俺、吉岡さんに話したいことあるんだ。」
「うん、後でお話ししよう。ミナト君は偉いな。」
「一時間はこの死んだ魚みてーな兄ちゃんで我慢してやるよ。」
どうも、死んだ魚こと巧一朗です、と心の中で呟いておく。
こうして無事巧一朗達の仕事は始まった。巧一朗は各エリアを子ども達に見せながら、美術館の案内ガイドのような淡々とした口調で聖遺物について説明していった。
第四区博物館はオアシスでもトップクラスの保管量である。細かいものも含めればその数は数百に及ぶ。その為、大人ですら一日で回りきることは不可能だ。ましてや歴史に造詣の深くない子どもは尚のこと。社会科見学のナビゲーターは、手早く子どもが興味を持ちそうなエリアを回って行かねばならない。当然歴史に興味を持たない子は常に欠伸で、眠い目を擦る。巧一朗はそういう子らを尻目に、勉強熱心な子のみを相手に解説役に徹した。
「これはベルギーの画家、ルネ・マグリットの使っていたチューブだ。マグリットのイラストは明瞭かつ不可思議、彼の絵を考察し、研究する学者も多い。絵自体に神秘が込められているとして、一応は指定文化財だ。四区の災害のキャスターから厳重に保管するよう伝えられている。」
「もしかして巧一朗さんはディザスター様と会われたことがおありで?」
お嬢様のような風貌の女生徒が目を輝かせる。子ども達は聖遺物よりも興味が湧くものを見つけてしまったらしい。
「あー、まぁ仕事柄ね。」
「キャー!ディザスター様に会ったことがあるんですって!素晴らしいわ!素敵だわ!」
女生徒含め、先程まで上の空だった子ども達も、災害のキャスターの話題で盛り上がる。子ども達にとっては憧れのヒーローのようだ。オアシスに住まう殆どの人間はこの生徒たちのように、災害の存在を肯定する、それどころか神として、王として、英雄として崇め奉る。
「ディザストロキャスター様は美しき仮面の君。あぁ、私もお会いしたいわ。」
「ディザスター様は本当にカッコいいよな。ウチの両親は一度あの方の住まう城に招かれたことがあるんだぜ。」
「えーいいなぁ。そういやミナトは『天還(あまつがえり)』に選ばれたんだよな。」
「あぁ、後で吉岡さんに自慢するんだぜ。俺も『ヘヴンズゲート』へ行けるんだ!」
少年少女達は巧一朗そっちのけでワイワイと語り合う。楽しい雰囲気に水を差すのも彼自身申し訳なく思うが、生憎見学の時間は残されていない。あともう三か所は巡ることとなっている。
「皆すまないが、もうすぐ時間だ。次の北米エリアに向かおう。」
※
巧一朗が表の仕事に取り組む中、同じ博物館スタッフである鶯谷 鉄心(うぐいすだに てっしん)は相棒のアーチャーを連れて第四区の繁華街に繰り出していた。彼は正社員ではなくあくまで〈なんでも屋〉の一環で博物館の活動に従事している為、スタンスとしてはアルバイターである。今日は博物館の方は非番であり、彼の営む鶯谷本舗(清掃から危ないお仕事までなんでも引き受けますというキャッチコピーの個人営業所)にきた依頼を消化していた。
「飼い猫の捜索が六件、失踪した人間の捜索が二件、全く嫌になるなぁ。」
鉄心は分かりやすく溜息をついた。その様子を見てアーチャーは笑う。
「…何がおかしいんだよ、アーチャー。」
「すみませんマスター。この街においては行方不明なんて日常茶飯事。当事者以外は素知らぬ振りをしつつ、その事実を認めている。そんな狂った構造の社会において、貴方は不満を口にしつつも真面目に取り組むのですね、この『神隠し』に。」
鉄心は裏の仕事に従事しているからこそ知っている。災害は人間を管理しつつも、個人を認識していない。数十匹の蟻を飼育したとして、その内の一匹が命を落としても、それがどの個体だったのか認識できない人間が殆どである、理屈はそれと同じ。数が必要であれば、外部から別の蟻を収集して同じ籠へ入れるだけで、生体の観察と言う意味では事足りる。もし人が減ったなら、災害は人に子を産ませるだけだ。誰が死んだとか、そんなものは彼らにとって不必要な情報である。
「誰かが消えたら、きっとそれを悲しむまた誰かがいるはずだろ。依頼してくるってことは、生きていることを信じ願っているんだよ。」
「でも本音は?」
「…当然金だ。成功報酬が弾むからに決まっているだろ?」
「マスターは正直ですね。」
鉄心は迷い猫の写真が入ったビラを各地に貼り付けて回る。こんなものに期待する訳でもなく、ただの仕事をしているアピールに過ぎない。依頼料をより多く得るために、結果に至る為の努力を嵩増しする。それは彼が日銭を稼ぐために振り絞った知恵である。
「オッケー、じゃあアーチャー。この子猫の位置を特定してくれ。」
アーチャーのサーヴァントの力を以てすれば、探し物を見つけること等容易である。特に彼の契約しているアーチャーは、その部分において特化している。
「見つけましたよ、第二区に迷い込んでいます。」
「げ…何でそんな所まで…」
この調子で、全ての依頼を短時間の内にこなしていった。六件の飼い猫探しは全て無事に完了。猫も一匹だけ身体に傷を負っていたが、命に別状は無し。仕事としては上々の出来だった。
だが問題はその後だった。失踪した人間は、アーチャーの能力を以てしても見つけられない。彼がその生存を発見できない、ということは既に死亡している可能性が極めて濃厚である。
「やっぱ、人間はそうなるよなぁ…。とりあえず一件は死亡っと。結構美人だから、可哀想な殺され方をしているかもな。」
「ではもう一件も確認しましょう。こちらも女性ですね。」
アーチャーは写真に映し出された女の顔を覚えると、取り出したスコープで彼女の姿を捜索する、しかし。
「どうした、アーチャー。」
「見つかりはしました。ただし遺体として、ですが。」
「…っマジかよ。」
「縦に半分、オブジェのように壁にへばり付いています。ポリス連中も駆けつけていますし、我々が動かずとも依頼者の元に情報は行くでしょうね。」
「物騒だな、本当に。それ多分サーヴァントの仕業だろう?」
「恐らくは。っ…警察の現場検証に紛れ込んでいる、あれは…」
アーチャーはその女を捉えた。シルバーの髪に豊満な胸、ひと際目立つ存在だが、誰も少女に気付かない。そして、少女は見えている筈も無いのに、レンズ越しに彼女を捉えるアーチャーの方角を見てニンマリと笑いかけた。
アーチャーは背筋が凍り、すぐさまスキルで生み出したスコープを仕舞った。彼の額には一筋の汗が伝う。
「大丈夫かよ、見てはいけないものでも見たか?」
「まぁそのようなものですよ。巧一朗さんのサーヴァントが、あの現場にいました。」
「巧一朗は博物館で仕事中だろ?アイツの知らないところでまた探偵気取って事件に首を突っ込んでいやがる。あの女は決して正義じゃない。事件を解くためなら人だって殺しそうなパラドックス女だ。」
「何であんな危険人物を巧一朗さんは連れているんでしょうかね。」
「さぁな。」
おっぱいが大きいからとか、そういう冗談を思い付いたが、鉄心はそれを言わないようにした。同僚であるが、巧一朗の考えは誰にも分からない。彼ほど心の内に何かを抱えている者は博物館に存在しないだろう。だからそれなりの距離感で。関わり合うとロクなことにならないと鉄心は理解しているのだ。
「さ、仕事は終わりだ。アーチャー、これ行くか。」
「チケット?これは…まさか…まさか?」
「シェヘラザードの朗読会だ。」
「っ!愛しのシェヘラザード!今行きましょう!すぐ行きましょう!待っていてください愛しの君!」
すっかり興奮したアーチャーに手を引かれ、鉄心は朗読会の開催される第三区の方へ向かったのだった。
第四区は第二区や第五区に比べ、比較的治安が良いと言われているが、それは自治組織が災害のキャスター管理の元、運営されている所以である。他の区においても第五区以外、確かに地区権力としての部隊が存在するが、それは人類側が用意した者であり、災害たちはそれに基本的には不干渉。人類に興味を抱かない第二区の災害「アーチャー」と、王以外の力の存在を認めない第五区の災害「アサシン」に比べ、第四区の災害「キャスター」は真っ当な王としての責務を果たしていた。
最近巷を騒がせている第四区連続殺人事件、その書類が自治組織から災害のキャスターの元に提出される。彼の所有するオートマタの先鋭達が第四区各地でその目を光らせているが、今回の事件については未だ手掛かりが掴めていない。犯人は相当な実力を持つサーヴァントであることが窺い知れる。
「僕の作り上げた都市で、こうも上手く逃げられるとはな。」
オアシスで生み出されたオートマタを使用した英霊召喚であれば、どんな英霊が呼び出されたのか、全てを掌握できる。しかし純粋な魔術師による疑似肉体を使用しない召喚までは察知することが出来ない。だからこそ、第二区の災害は百体の『塗壁』を配置し、不正召喚だけは断罪する姿勢でいる。塗壁の端末の内、一体が何者かによって初期化されたようだが、その犯人は未だ見つかっていない。
「事件は全て四区内で起こっている。塗壁の件はまた別の話か。」
災害のキャスターは十六のモニターを見つめながら、第四区を監視する。生前の彼の性質からはかけ離れているが、王として、柱として、人間を管理することを彼は選んだ。それが世界を滅ぼし、創り直した者の責務であるからだ。
殺害現場の映像を何度も見比べ、熟考する。遺体は全て縦や横に切り裂かれており、ものによっては原型も分からぬほどに刻まれた個体も存在した。年齢は推定二十台から六十台に至るまで、男女問わず同じように殺されている。殺害方法が同一である以上、何らかの犯人の意図、メッセージ性がありそうなものだが、今の時点では快楽殺人としか考察しようも無い。災害のキャスターは今一度身元について警察部隊に調べるよう指示を下ろした。
「気配遮断を用いた殺し…アサシンか、はたまた。」
彼はモニターを四区の監視カメラ映像へ切り替える。映し出されたのはか弱き生命の幸福、今を生きる人類の風景である。公園で遊ぶ家族、噴水の前で待ち合わせをするカップル、ベンチで寝転がるサラリーマン、皆が等しく自らの人生を全うしている。
災害のキャスターにとってその光景は無駄な情報である。彼は責務を全うするが、人間に対し一切の興味を抱かない。英霊にも、人間にも、彼を超越する者はいないのだから。研究熱心な彼にとって、並び立たない存在は平等に「無」だ。
だが彼はモニターの一画面に目を留めた。映し出されていたのは白銀の髪の少女。丁度、彼が調べている連続殺人の現場に居合わせたサーヴァントである。
「…ふっ」
丁度、彼の執務室へ資料を届けに来た警備部隊隊長の男は後にこう語る。災害のキャスターが笑う所を見たのは、実に二十年ぶりのことであると。
※
社会科見学は無事終了し、巧一朗はスタッフルームのソファーでぐったりと横たわっていた。慣れない仕事に精神が付いて行かず、こうも摩耗しているのだ。美頼の姿は見えない、恐らく彼女は別の案件で出向しているだろう。巧一朗の上司、充幸はモニターに映し出された映像と手元のタブレットを見比べ、ウンウンと唸っていた。
「鬼頭教官、どうしましたか?眉間にしわが寄っています、美人が台無しですよ。」
「褒めて頂き有難う。…以前、任務で第二区の裏側へ行き、未登録の遺物を奪取した件を覚えていますか?若い女性マスターと、幼子のサーヴァント、巧一朗さんは彼女らに出会い、危機的状況から救った。」
「結果的に彼女らを逃がすことになっただけです。目的は未登録触媒の強奪、彼女らを殺す理由はありませんでしたし。…第五区の巨大宗教組織が我々と同じ目的で動いていたことには驚きましたが。」
「巧一朗さんの判断は間違っていません。問題はその後、その女性は第二区の裏から逃亡したはずでしたが…」
充幸はタブレットに映し出された写真を巧一朗に見せた。それは無残にも胴体が二等分された女の遺体であった。巧一朗は思わず息を呑む。
「発見されたのはここ、第四区です。彼女は第二区の裏からここまで逃亡して、そして殺害されている。彼女のサーヴァントは消息を絶っており、警察部隊と災害のキャスターがこの事件の捜査に動いているようです。」
「話題の連続殺人に巻き込まれたという訳ですか?これで六件目か。」
ニュース番組では取り上げられていない怪事件。災害のキャスター自ら捜査に加わっているということは、サーヴァントによる犯行だと推測できる。今や専属従者サービスはオアシスの暮らしに必要不可欠なものとなっている。もしこれがアインツベルン製オートマタの英霊が起こした犯行であるならば、大きく信用を落としかねない。社会的不安が増大する前に、自ら決着を付けるつもりである。
「成程、大手の信頼が落ちれば、四区全体の運営にも影響してくるって訳ですね。」
「巧一朗さん。彼女の遺体は発見されたのは確かに六件目ですが、死後推定一か月は経過していると調査が出ています。つまり、この事件最初の被害者は彼女である可能性が高い、加えて…」
充幸は口ごもった。モニターに映し出された情報を垣間見て、巧一朗は充幸の言わんとすることを凡そ理解する。
「ウチで回収した触媒の正体、女が召喚したサーヴァントが誰なのか判明したんですね。」
「えぇ。少女のサーヴァントでありながら、誰もが知る最悪の殺人鬼でもあった。ロンドンを恐怖の闇に陥れた反英雄『ジャック・ザ・リッパ―』、この怪事件は彼女の仕業であると私は考えます。」
巧一朗はかつて書籍で切り裂きジャックのことを調べたことがあった。十九世紀かの大英帝国における最も有名な猟奇殺人事件であり、これは迷宮入りを果たしている。被害者の多くは女性で、その遺体はどれも激しく損壊していた。だが事件の全貌は謎のままであり、彼が招霊転化で呼べるほどの知識は獲得出来なかった。(元々呼び出すつもりは毛頭無かったが。)
オートマタという疑似肉体を用いた召喚は、同時に英霊の受肉を半ば強制的に実現させており、召喚者が死亡した場合においても、本体の電源を落とされなければサーヴァントは生き永らえる。だからこそ未登録の触媒は危険であり、災害はそれを絶対的に禁じているのだ。今回のケースは女がサーヴァントに裏切られたと捉えるのが通常であるが、巧一朗はどこか引っ掛かりを覚えていた。
「兎に角、博物館の活動が災害に見つかれば、我々は最悪の場合、極刑です。暫くは派手に動かないようにしないと、ですね。」
「あー、だから鶯谷は非番になったんですね。アイツは暫く来ないんですか?」
「はい、同じく美頼ちゃんも。暫くは巧一朗さんに頼ってしまうかもしれません。勿論、無理のない範囲で、ですけどね!」
「大丈夫です、俺は尋問されても博物館のことは公言しませんし、というか真っ先に舌を噛んで死にますから。」
巧一朗なりの冗談で彼女の心を凍り付かせたのち、彼は私用があると言い残し、スタッフルームを後にした。
夕暮れの空は日本という国の情景を人類が再構築したものである。この時間になると仕事帰りの大人が街中に増え、子どもは友と別れ帰路に着く。巧一朗もまた自宅へ帰る集団に混ざり歩みを進めるが、向かう場所は正反対の方角。昼に美頼によって叩き起こされた公園がある方向である。彼は彼なりに殺人事件に関わろうとしていた。万が一、巧一朗が結果的に逃してしまった少女のサーヴァントが事件関係者であるならば、博物館の行動が災害に伝わる可能性があった。何としても災害のキャスターより先に切り裂きジャックを始末せねばならない。
巧一朗は目標の場所に辿り着く。それは彼と美頼が通りがかった怪しげな売店、違法触媒の取引を行う黒フードの男が目当てであった。しかし、そこには骨董品も無ければ、目的の男もいない。彼は裏側の事情に詳しいであろう人物にコンタクトを取りたかったが、あてを失ってしまった。
「あれ?コーイチロー?」
巧一朗は振り向きざまに声をかけられる。その声の主は倉谷美頼。彼女もまた、黒フードの男の元を尋ねてやって来ていた。
「美頼、何故ここに?」
「さっきみさっちゃんから連絡来てね、コーイチローが神妙な顔つきで博物館を出たもんだから、例の殺人事件を追うつもりじゃないかと心配になったらしくて、あたしが来たって訳よ。」
そもそも何故巧一朗がこの場所にいるのが美頼に分かったのかについて、彼は敢えて触れるのを止めた。
「成程、危険だから俺に待機していろって伝えに来た訳だ。」
「そんな訳ないじゃん、みさっちゃんにはそう言われたけど、凄く面白そうだし、あたしもコーイチローと一緒に調査するに決まってる!」
「まぁ美頼はそう言うよな。因みに連続殺人事件について何処まで把握している?」
「多分コーイチローと同じだけ。切り裂きジャックが犯人だから殺すんだよね?」
美頼もまた充幸から同じ情報を与えられていた。恐らく充幸は元々巧一朗を止める気は無い。逆に、彼を利用して災害のキャスターを出し抜こうとしている。破天荒な美頼のお守りを、またもや巧一朗に押し付けたという訳だ。
「いや、そうとも限らない。俺は切り裂きジャックが犯人では無いと思っている。何故第二区の裏側に逃げ込む以前に、逃げ込んだ後に、マスターである女を殺さなかったのか、何故第四区に来てから殺害したのか、説明が出来ないだろう?勿論外的要因による心境の変化などは考えられるが、あの女マスターは我が子のように切り裂きジャックを可愛がっていた。だからどうにも納得できないんだよな。」
「犯人は別にいる、と?」
「事件は全て第四区で起こっている。ここがポイントになる筈だ。他の区に比べ第四区は警備体制が整っている。ただ快楽殺人に興じるなら、それこそ第二区にでも行けばいい話だ。第四区の人間を殺すことでしか達成できない目的、それが犯人にはある。」
「この場所に丁度来た時、俺たちは探偵じゃないと言い張っていたのに、コーイチローってば、もしかして目覚めた?」
「…うるせぇ。」
巧一朗に付きまとうキャスターの影響もあって、彼自身、小説の探偵のごとき振る舞いをすることに抵抗を感じていなかった。無論、彼はあくまで公共の利益の為では無く、博物館の為に動く。ならばこそ彼は推理モノの主人公には成り得なかった。
「でも、折角のアテも外れてしまった。第五区の黒フード連中が関わっていると踏んでいたんだがなぁ。」
「ふっふっふ、それならあたしにお任せ!」
美頼はにんまりと奇妙な笑みを浮かべて、バッグから小型の精密機械を取り出す。どうせロクでも無いものだ、と巧一朗は呆れ顔だ。
「じゃじゃん!GPS!」
「本当にロクでもねぇな!」
あの売買の際に、第五区の宗教団体の情報を手に入れる為に、美頼がこっそりと黒フードに発信機を取り付けていた。彼女はあくまでこれを遊びとしてやっているのだから質が悪い。そもそもれっきとした犯罪行為である。
「てか犯罪だとしても、あたし達は人を殺したことあるんだから、まずそっちの方が重くない?」
「そりゃそうだ。」
美頼のタブレットに男の居場所が映し出される。第四区に留まっており、比較的この場所から近い距離であった。彼らは地図を確認しつつ、男の場所へ向かった。なお巧一朗にも同じく発信機が取り付けられているが、それは後に判明する。
巧一朗と美頼が到着したのは、二階建ての駐車場である。あたりはすっかり暗くなり、近くの大型スーパーも閉店の時間を迎えていた。巧一朗だけならもう少し素早く来れたが、運動音痴な美頼に合わせて歩いた結果、時計の針が何周分も回ってしまった。
彼らの想定では怪しい物売りの住処だと睨んでいたが、どうにも人の住む気配は無い。こんな駐車スペースで商売を始めるとも考えにくい。
GPSが指し示す場所はかなり不可解であったのだ。
「服に取り付けていたならば、車にフードを置いて何処かに行った可能性はあるな。」
「もしくは、車の中で闇取引?テンション上がってきたぁ!」
夜の学校を探検することが好きそうな美頼は放っておくとして、巧一朗は念のため、警戒しつつタブレットの指し示す位置へ移動した。大型車の裏側、その乗り物の所有者で無ければ通常は確認しないその場所に、目的の男はいた。
「コーイチロー、いた?」
「…っ!」
巧一朗は後ろを付いてきた美頼の目を手で覆った。恐らく彼女は「平気」だと思うが、それでもこの光景は女子どもには見せたくないと、彼は本能的に動いていた。
「ちょ、なに?」
「七人目だ…あろうことか、俺たちが出会った狂信者が、七番目の被害者だ。」
そう、そこには黒フードの男が在る。遺体は激しく損壊し、見るも無残な姿へ成り果てていた。彼の着ていたズボンの先には、美頼が付けた小型の発信機がちかちかと点滅していた。
※
第四区、とある廃病院にて
白銀の髪を揺らしながら、少女は鼻歌を口ずさみ、魔法陣の上で踊っていた。中心にはアインツベルン製では無い、中古のオートマタが転がっており、彼女は円を描くようにステップを決める。
「告げる♪汝の身は我が下にー我が命運は汝の剣に♪」
彼女は淡く光る円の中を華麗に舞いながら、その呪文を歌う。オートマタと、その胸に突き刺さった短剣が、魔法陣に吸い込まれるように赤く燃え上がった。
〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『アサシン』現界します。〉
「おお!来た来た!」
魔法陣は急速に収縮し、彼女のいる病室内で軽い爆発を引き起こす。煙の中から初老の紳士が現れ出た。
「サーヴァントアサシン、真名は…」
男が名を告げる前に、白銀の少女はその口元に人差し指を当てた。
「よろしく『ジャック・ザ・リッパ―』。私の名はキャスター。英霊ではあるが、君のマスターでもある。」
「はぁ、左様で。」
「いや、こうも上手くいくとは。ミサチに渡った君の触媒を偽物とすり替えた甲斐があったよ。」
「…で、儂に何をさせるつもりで?マイマスター。」
「あぁそうだね。じゃあ一人サクッと殺してきてくれないかい?私の野望の為にね。」
【観測者編① 終わり】