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【神韻縹緲編⑩】
「僕の方がヌーロニハルを愛している!」
「いや、僕だね。僕の恋は海よりも深い!」
「いや、僕の方が!」
「僕だね!」
目の前で、弟たちが一人の女性を巡って争っている。
趣味の異なる三兄弟が、同時に一人の女を愛した。
誰がより彼女に男らしさを見つけられるか。
この矢を一番遠くへ飛ばしたものが、麗しの彼女を手にすることが出来る。
「まずはフセインからだぞ。」
「兄さんは弓が上手いからなぁ……」
父が、弟たちが、そして彼女が見守る中で。
僕は矢を天に翳した。
「…………………行くぞ。」
弓を精一杯引いた。
筋肉が引き千切られそうなほど、強く引いた。
きっと彼らより、遠くへ、遠くへ、飛ばすことが出来ただろう。
でもこの時の僕は、あろうことか地面に向かって放った。
当然矢は飛んでいかない。
勝利は絶望的となる。無邪気に喜ぶアリとアーメッドがいた。
「やばい、まずったなぁ。ここ一番で緊張してしまった。」
僕は頭を掻きながら、笑ってみせる。
これでいいと、思った。
何と言う事も無い。
諦めれば、アリかアーメッドは幸せになれるのだから。
兄ならば、当然のことをしたまでだ。
この気持ちに蓋をしたまま。
僕は魔法の絨毯の旅を続ける。
いつか、諦めたくない恋に出会うまでは。
このままで、良い。
フセインは康太を抱き締めながら、迷宮を真っ直ぐに進んでいく。
絨毯にはもう一人、ナイチンゲールが共に騎乗している。バランス感覚を掴むまでは、彼女もフセインにしがみついていた。
現在は少しばかり恥ずかしくなったのか、フセインの袖を指で摘まんでいる。
迷宮は暗く、陰鬱な回廊がどこまでも続く。康太を喜ばせる景色がそこに広がっていないのは、仕方ないとはいえ残念である。
だが、康太はそれでも目を輝かせていた。
「フセイン先生!見て!壁から大きな木が生えているよ!」
「本当だな。当たると危ないから、ちょっと下降するよ。」
フセインは康太を右腕で強く抱き締め、左手でナイチンゲールの手を握った。
「あ」
「離さないで、ください。」
「うん………はい………」
アリアドネナビの指し示す先、到達まであと半時間。
どこまでも、この手を取っていたいと思ったフセインであった。
※
巧一朗とキャスターは最短距離で出口を目指す。
無論、そのまま迷宮踏破とはいかないことを、彼らは承知している。
彼らは互いに話を切り出さない。敵の懐にいる為か、緊張感によるものか。
巧一朗は歩きながら、自らの掌を見つめる。
サハラの聖杯戦争、途方もなく昔のことに感じられる。
だが、彼の心に灯る復讐の火が吹き消されることは無かった。
「君は……」
ふとキャスターが沈黙を破る。
何か言い辛そうなことを話そうとしているのか、中々その続きが出てこない。
巧一朗は辛抱強く待ち続ける。
「君は、私と同じ顔をした少女を、過去に失っている。まだ君は、彼女を……」
「あぁ、俺は愛している。」
「……野暮だったね。」
「いや、改めて、俺は災害を殺さなきゃいけないと思った。それでセイバーの無念が晴らされるかは分からないけど、それでも。」
巧一朗は握りこぶしを作ってみせる。
キャスターは、そんな巧一朗を見て、何とも言えないような表情を浮かべた。
「どうして巧一朗はそこまで…………」
白銀の探偵でも、モリアーティでも無い。彼女の中で眠る少女が口にしたように思える。
だが巧一朗が気付く筈も無い。隣を歩いている二人だが、そこには果てしない壁が存在する。
「僕にも聞かせてもらえるか。巧一朗、お前が何故、非力なままに僕らへ挑んでくるのかを。」
突如、二人の前に、一人の男が召喚された。
災害のキャスター『ダイダロス』。アーマーを失った彼は、生身の姿で二人の前に姿を見せる。
巧一朗とキャスターはすぐさま臨戦態勢を取る。
「盗み聞きか、趣味が悪いな。」
「巧一朗、本当にお前がここに来るとはな。勝算はあるのか?言っておくが、『テセウス』というカードは俺に効かないぞ?」
「あぁ、そんなことは百も承知だ。」
巧一朗はキャスターの電源を落とす。そして招霊転化の準備に入る。
「重ね、束ね、契れ…鈴を鳴らせ、線を垂らせ、器を満たせ、君の形を我が結ぶ(コギト・エルゴ・エス)、讃歌を謳う、一刻の邂逅と永劫の訣別に」
「頼んだぞ、アヴェンジャー!」
巧一朗の行動を察知し、ダイダロスはエネルギー弾を砲撃する。だがそれらは召喚に応じた者の手によって阻まれた。
巧一朗のイマジナリーサーヴァント、一分間の契約にて召喚されたのは、ダイダロスもよく知る人物だ。
「サーヴァント、アヴェンジャーのクラスにて現界を果たしました『ペルディクス』です。お久しぶりね、ダイダロス。」
金色の髪にスレンダーな体系の美女が、巨大なコンパスを携えて現れる。それは数学にて円を描くための文具であるが、彼女の持つそれは鋭い針が装着された『槍』に他ならない。
彼女の登場に、ダイダロスは苦々しい表情を浮かべている。それもその筈。発明家ペルディクスの才能に嫉妬して、彼女を殺害したのが、何を隠そうダイダロスなのだから。
彼女の登場と共に、ダイダロスの右肩に宿ったシャコの呪いが彼を蝕む。ペルディクスを殺した結果、ダイダロスはアテナから罰を受け、一生消えぬ鳥の形の傷と、呪いを受けたのだ。
「一分しか無い。充幸さん、垓令呪を頼む。」
巧一朗が小型通信ユニットで充幸へ呼びかけると、その瞬間、ペルディクスの魔力が秒速で上昇していく。
ダイダロスは流石に身の危険を感じたのか、先制攻撃に出た。
彼は修理途中のアーマーの左腕部分を独自改良し、オリハルコン製のレイピアを創造する。それはペルディクスの持つコンパスの針にも負けない鋭さを有する。もし一撃でも貫かれれば、サーヴァントでもひとたまりもない。
だが、ダイダロスの攻撃を、ペルディクスは悠々とはじき返した。それどころか、その衝撃で、ダイダロスを転倒させ、コンパスの柄の部分で彼の腹部へ殴り掛かる。アーマーを装着していない彼には、吐き出す程の痛烈な一手である。
そしてペルディクスは彼の上に跨ると、コンパスとは別に所持していた小型の鋸を彼の脳天目がけて振り下ろした。ダイダロスはその直前で何とか右に避ける。振り下ろされた鋸は、地面に深く突き刺さった。
「ったく、ヘヴンズゲートでお前という女を真っ先に消したというのに、博物館め、やってくれたな。」
「あら、私を最初に葬り去ったの?情熱的なのね、ダイダロス。ごめんなさいね、世紀の大発明家ともてはやされた貴方には、私という『天才』は鼻についたでしょう?」
「そういう所もだよ。あぁ、殺して正解だった。」
「もう、ダイダロスったら、『臭い物には蓋をする』癖はついぞ直らなかったのね。」
今度はペルディクスが攻撃に出る。頭上でコンパスを巧みに回転させながら、それをダイダロスの立つ方角へ投げつけた。
彼はその投擲を難なく避けるが、ペルディクスの狙いは、的へ当てることでは無かった。地面に刺さるコンパスがひとりでに動き、その場でくるくると回転する。ダイダロスすら巻き込んで、大型の円を描いた。
そしてペルディクスが「FIRE!」と叫ぶと、サークルの内部が大爆発を起こす。ダイダロスは描かれた円から一歩も出ることが叶わず、燃える炎に包まれる。
ペルディクスのコンパスにて描かれた円は言わば『牢屋』だ。彼女はその中に囚われたものへ、集中的な範囲攻撃を与えられる。
その脱出方法は二通り。遠距離攻撃にて、ペルディクスへダメージを負わせるか、コンパスそのものを破壊すること。
煙を払うダイダロスが取った行動は後者だ。垓令呪のバックアップ化にあるペルディクスは一旦無視して、彼女の武器を壊す方へ集中する。
ダイダロスはレイピアを形状変化させ、大木を切り落とすオリハルコン製の斧にした。それを力いっぱいコンパスの柄に叩き込む。
「やっぱり貴方はそうするわよね!」
ペルディクスにとって、ダイダロスの行動は読み通りだ。同じ技術者であるからこそ、人間としては嫌っていても、互いに技術そのものへの崇拝がある。だからこそ、それを打ち負かしたいと、二人は同時に考えていた。ダイダロスはコンパスを、ペルディクスはこの迷宮を。
彼女が掌を前方に向けると、コンパスは自動的に彼女の手に戻った。同時に、ダイダロスは円の中から解放される。
炎に包まれながらも無傷のダイダロスに、ペルディクスは爪を噛んだ。生半可な攻撃は、この男には通用しないという事だ。彼女が確認するところ、彼は視認できない程度に薄く、それでいて強固な『膜』の鎧を身に纏っている。すぐさま鎮火したのも、この膜の鎧の効果だろう。
「おいおい、一分ってのはこんなに長かったか?巧一朗。」
「まだ三十秒だよ、災害のキャスター。いくぞ、アヴェンジャー、ラストスパート頼んだ!」
止めどなく、彼女に注がれる垓令呪。だが一分間に注がれる魔力量にも限度がある。これは博物館側の技術の問題だ。『垓』を一度に使用することは出来ず、現在においてもまだ一万画しか使用されていない。
だがペルディクスにはそれで十分だった。彼女はダイダロスを葬ることの出来る絶技を有している。これは生前の彼女の死の逸話の再現である。かつて『兄』であるダイダロスによってアテナイのアクロポリスから突き落とされたペルディクスの、復讐の宝具だ。
ペルディクスはコンパスを彼の頭上に投げつけた。ダイダロスはそれをはじき返そうとするが、そのコンパスはひとりでに攻撃を避け、空へと昇る。そして迷宮の頂上に円を描くと、ダイダロスのいる場所へ光の柱が降り注いだ。
「何だ?」
雲の合間から漏れ出る陽の光のような光景は、誰しもが、神に導かれたように思えるものだ。天使に誘われるように、ダイダロスの肉体も宙へ浮かび上がる。まるで空へ引っ張られるかのように、迷宮の天井まで肉体を押し上げられた。
そしてペルディクスはアテナの力の一端であるシャコの翼を広げ、宙を舞う。
ダイダロスが彼女の接近に気付いたとき、既に手遅れだった。ペルディクスはその翼で、浮かび上がる彼の元へ近寄り、燃え上がる憎悪の拳を彼の顔面に向けている。
そう、これは転落死した彼女の、復讐劇だ。彼女の拳が、ダイダロスの頭蓋にクリーンヒットすると、彼は真っ逆さまに迷宮の地面へと墜落していく。
『其れ聖域と呼ぶ勿れ(オルギ・アクロポリス)』
彼女は、ダイダロスを殴り落とした。
魔力の上乗せされた拳が、ようやく、彼の膜の鎧を貫く。落下による衝撃は全て生身の彼に注がれるだろう。
巧一朗はダイダロスの墜落の様子を観察している。もし彼が何かの手段で、彼の『翼』を有していたなら、今こそそれを使うときだろう。ペルディクスが約束の一分を迎えるまであと十秒。災害にどれ程の手傷を負わせられるだろうか。彼は固唾を飲んで見守った。
そしてダイダロスは、何も為さぬまま、地に落ちた。
桜館長の言う通り、イカロスの翼は既に消失しているのだろう。神が明確に存在した時代でのみ成立した翼は、未だ人類の辿り着いていない境地だ。神々の時代であるからこそ、イカロスの翼は成立し得るのだ。
宙に浮かぶペルディクスは、満足げに消滅し、代わりにキャスターが舞い降りてくる。
「どうだい?巧一朗。」
「恐らく、かなりのダメージは与えられた筈だが……」
砂埃を払い現れるダイダロス。彼は全身から血を流しながら、ふらふらと立ち上がる。
先程の戦闘中、巧一朗の元に充幸から連絡が入っていた。内容は、美頼とロウヒがミノタウロスを撃破した、というもの。
これにより、ダイダロスの権能は大きく削ぎ落されたこととなる。
もはや彼は、並のサーヴァントと変わらない。そう判断し、巧一朗は構える。
「人間が、災害に歯向かい、ここまで、ここまで追い詰めるとは、な。」
ダイダロスは虫の息ながらも、笑みを崩さない。
彼はずっと求めていた。自らと並び立つ存在を、無謀にも『神』に抗おうとする勇者を。
それは、かつて彼の心を震わせた、勇気ある者を想起させる。
「ダイダロス、決着の時だ。」
「あぁ、そうだな。決着を付けようか。」
彼の目の前に立つのは、『神』にも臆さない人間だ。
彼は、それに敬意を評し、
そして同時に『嘲笑』する。
込み上げる笑いが止まらない。不気味にも、ダイダロスは嗤い続ける。
「あぁ、決着を付けようか、僕の、『災害』の勝利によってなぁ!」
そして
想定し得ないことが、起こった。
巧一朗が、ペルディクスが、負わせた全ての傷が、ものの数秒で回復していく。
まるで時を戻したかのように、彼は出会った瞬間の万全な状態へと。
「回復……していく?」
キャスターもまた、この光景に目を丸くしていた。
全てが振り出しに戻るかのような、そんな絶望を味わっている。
「僕の肉体は、エーテル体でも、受肉でも無い。千年に渡り、僕が改良に改良を重ねた、特殊合金、オリハルコンで出来ている。核さえ残っていれば、何度でも、この肉体は組み上がる。無論それはただの使い魔のミノタウロスとて同じだ。何度でも、何度でも、何度でも、何度殺されようと、再生する。」
一分間の奇跡、ペルディクスの奮闘は、無かったことにされた。
ダイダロスへの復讐劇も、彼にとってはそれこそ『劇』を鑑賞していたようなものだったのだ。
「あの女如きが、僕の創造に追い付けるわけが無いだろう。」
ダイダロスは武具の形状を変化させ、ピストルを模した遠距離武装を創り出した。
そして、呆気に取られているキャスターに向けて、その引き金を引いた。
巧一朗の隣で崩れ落ちる少女。
彼は、脳の処理が追い付かず、すぐさま反応することが出来なかった。
「キャス……ター?」
巧一朗は震える手で、彼女を抱き上げる。
その胸から止めどなく零れ落ちる液体が、彼の手を、足を、染め上げていく。
反応がない。彼の目から見ても、命中されていた。
憎まれ口を叩くいつもの彼女が、ここにいない。美しい白銀の髪も、彼女の赤色に塗れている。
「おい、キャスター?……おい、おいってば…………」
巧一朗は声を震わせ、呼びかけ続ける。
その姿を、ダイダロスは哀れに感じていた。
「冷めるだろう、巧一朗。僕は『神』に抗う無様な人間を見たかったのに、英霊がいちゃ意味がない。お前の勇気を見せてくれ。その希望の全てを、僕が叩き壊す。」
ダイダロスは再び銃口を彼に向ける。
巧一朗はそれを察知し、キャスターを庇うように、背を向けた。
彼の期待はずれな行動が、ダイダロスを苛立たせる。
「立ち向かってこい。僕が相手をすると言っているんだ。くだらない死を演出するな。」
巧一朗は動かない。
彼は半ば、戦意を消失しているようにも思える。
彼のトラウマ、記憶の棚に突き刺さったガラス片、セイバーの死の瞬間が、いまフラッシュバックする。
彼が生きる理由ともいえる少女の死は、彼を深い絶望へ誘う。
「駄目だな、これは。……もういい、死ね。」
ダイダロスは冷めた目で、その引き金を再度引く。
射出された弾丸は、巧一朗の心臓目がけて飛んでいき、そして着弾する。
……かに、見えた。
彼の前に立ち、弾丸を弾き落した存在がいた。
血塗られたキャスターとは対照的な、『白』を纏った女がいる。
それは、巧一朗も良く知る人物だ。本来ならば、この場所に来る筈の無い女だった。
「桜…………館長…………?」
「遅くなってごめんね。もう大丈夫。」
現れたのは、第四区博物館館長『間桐桜』だ。彼女は充幸にオペレーターを任せ、単身、この迷宮に割り込んできた。
小型通信ユニットに取り付けられた発信機を辿り、こうして巧一朗の元へ駆けつけたのである。
「お初にお目にかかります。災害のキャスター。私は第四区博物館にて館長を勤めております、間桐桜、と申します。以後お見知りおきを。」
「そうか。お前がテロ組織の親玉か。見た所、サーヴァントのようだが、誰かの従者という訳でも無いらしい。」
ダイダロスは彼女を見定める。
その存在は余りにも歪だと認識される。通常の聖杯戦争において、彼女は召喚されない。そもそも、英霊というカテゴリーにすら当てはまらないだろう。オアシスという特殊空間が、彼女を確立させている。
その力は、計り知れない。真っ当な戦闘が成立するかも怪しい、そう思える。ヘヴンズゲートの歴史変革においても、彼女は絶対に動かせない。言わば、彼女こそが特異点だ。
「巧一朗、幸いキャスターは急所を貫かれている訳じゃない。貴方の回復術式で血を止めることは出来るわ。意識だって、元に戻る。まずは落ち着いて。冷静に処理するの。いい?」
「………………あぁ、すまない。取り乱した。」
巧一朗の両手に光が灯る。魔術回路が葉脈のように拡がり、彼は意識を集中させた。
無論、ダイダロスがそれを許す筈も無い。彼はピストルを再び変化させ、散弾銃を創造する。
だが、桜が手のひらを彼の前にかざすと、彼の放つ攻撃の全てが、『何か』に覆われ、はじき返された。
ダイダロスは今、薄い風船のような球体に押し留められている。ペルディクスの円と同じ、彼はその場所から出ることが叶わない。
「何だ、これは。」
「さて、本当の最終決戦を始めましょう?」
桜の目の色が赤色に変化する。
ダイダロスが佇む空間、その地下深くから、轟音と共に『船』がせり上がった。
それは中世的とも、近代的ともいえる、特別な装飾の無い普遍的な『船』であるが、その甲板には幾つもの血の跡が付着している。
乗船するのはダイダロスただ一人。彼は船を降りられず、その舵を切ることも出来ない。
この船において、彼は完全に孤立する。
「この迷宮において『私』が存在することで、船は顕現する。何故ならば、私こそが船そのものだから。私は『血塗られたメアリー』、でもどこかの国の女王様ではなくってよ。」
「お前、やはり元は『人間』じゃないな!」
桜館長はにんまりと笑みを浮かべた。彼女は初めて他人にその名を明かすこととなる。
「私はライダーのクラスを以て現界したサーヴァント、その真名は『メアリー・セレスト』!ポルトガル沖にて漂流していた幽霊船だ!」
一八七二年、ポルトガル沖にて発見された無人漂流船『メアリー・セレスト号』。乗客乗員皆が行方不明となった、航海史上最大の怪事件である。数々の証拠はあれど、その全てが正解を導かない、歪な謎に満ちた、血塗られし呪いの船だ。
桜館長を形作るのは、メアリー・セレストの謎の全てだ。乗務員全ての遺体が消失した原因、様々な憶測や疑念そのものが、彼女を英霊として成立させている。
充幸を救い出した黒い触手のようなものもまた、『クラーケンが現れ、船上の人間を海に引き摺り込んだ』というオカルトを元にした能力であった。呪われし船が未解決事件である限りにおいて、彼女は存在を確立できるのだ。
「つまり僕は今、お前の船に乗せられた、ということか?」
「そうです。この瞬間、私の権能は起動する。メアリー・セレスト号に乗船する者は、大いなる謎の元に、その存在が抹消される!」
ダイダロスを殺す、という選択肢では無い。
彼を、謎として、有耶無耶にするという宝具だ。
メアリー・セレストだからこそ叶う、『災害』そのものへのカウンター。力比べという概念を超えた、チートコード。この絶技には不死性も関係ない。彼女の定義が成立した瞬間、彼らは大いなる謎として、オアシスから退去する。ダイダロスを『迷宮入り』させるのだ。
「まさか博物館がこんな切り札を残していたとはな。」
ダイダロスは両手に斧を装備し、船の破壊を試みる。
メアリー・セレスト号の絶技は、その発動までにタイムラグがある。その間に、船そのものを破壊されればゲームオーバーだ。
桜館長は、巧一朗へ振り向いた。幸いキャスターは致命傷にならず、意識も取り戻している。
「俺は館長のことをずっと勘違いしていたよ。イングランドの女王様とばかり思っていた。でも違ったんだな。」
「多くを話していなかった私も悪いと感じています。今回の作戦において、私が出しゃばってくることも。……作戦会議の場には『裏切り者』もいたからね。」
「ん……?何か言ったか?」
「いいえ、何でも無い。さぁ、巧一朗とキャスターにはあとひと踏ん張りしてもらうからね。……やることは、分かっているでしょう?」
「……………おう。」
巧一朗が、キャスターが、やるべきこと。
それは桜館長の宝具を成立させることだ。
その為には、このタイムラグを、彼らで埋めなければならない。
巧一朗は既に招霊転化の術式を起動している。今まで、彼は続けざまに二度使用することは出来なかった。
だが、今は、出来るかどうかの話では無い。虚数海へ糸を垂らす特訓を彼はひそかに何度も繰り返してきた。
―何としてでも、やるしかない。
以前に虚数の海へ落ちた時、母親に言われたこと。
『隣人』そのものをオアシスに呼ぶことは、今の彼には出来ない。
だからこそ、今できる最大限のパフォーマンスで、災害に立ち向かう。
「巧一朗、私は大丈夫だ。……君を信じている。」
巧一朗はキャスターの言葉に、静かに頷いた。
そして彼女の首元のスイッチを再び落とす。
彼の肉体に緑の線が無数に浮かび上がった。まさに、今こそ災害との決着を付ける時だ。
ダイダロスを仕留める力は必要ない。
いま思い浮かべるべきは、彼を止めるだけの力。
押し留める為に、必要なものは一つだ。
「重ね、束ね、契れ…鈴を鳴らせ、線を垂らせ、器を満たせ、君の形を我が結ぶ(コギト・エルゴ・エス)、讃歌を謳う、一刻の邂逅と永劫の訣別に」
対災害会議のときから、ずっと考えていたこと。
第四区博物館だけでなく、マキリコーポレーションも災害に襲われた。
その際に、マキリ・エラルドヴォールの蒐集していた『魔眼』の全てが奪われた。
それはつまり、そこにこそ、突破口が見出せるという事だ。
ならば、答えは決まったも同然である。
「現れよ、『ライダー』!」
巧一朗の叫びと共に、オートマタへ英霊が宿る。
それはダイダロスと同じ、ギリシアの英雄、否、怪物。彼女の逸話を知らぬ者など、この人類に存在しないだろう。
英雄ペルセウスに打ち取られた歴史を代表する異形。彼女は蛇の眼を持つ。
召喚されたのは『メドゥーサ』。ギリシア神話の反英雄が、巧一朗と、桜館長の前に姿を現した。
「垓令呪を乗せる!頼んだぞ、ライダー!」
メドゥーサは目隠しを取り去ると、彼女の逸話『石化の魔眼』を発動する。令呪の輝きが上乗せされ、それは災害すら拘束する絶技となった。
ダイダロスの足が、腹部が、腕が、瞬く間に石へと変化していく。
流石の彼も、これには焦りを隠し得ない。何とか、脱出を図ろうとする。
が、博物館の覚悟が、それを僅かに上回った。巧一朗は二度目の招霊転化の使用で、肉体のあちこちから血を吹き流している。だがそれでも、決して折れない。一分間の奇跡の為に、以前のランスロットの召喚とは異なり、足を開き、踏ん張ってみせた。
ダイダロスは斧を再び作り替えようとするが、その武器すらも手首諸共固められていった。
そして桜館長はにやりと口角を上げる。ついに、彼女の宝具は完成した。
「災害のキャスター『ダイダロス』!貴方をこのオアシスから追放する!」
メアリー・セレスト号の大いなる謎、その入り組まれた迷宮へ、ダイダロスを誘うのだ。彼女は突き出した腕をクロスさせ、それを天へと翳してみせる。詠唱は必要ない。ミステリーの扉を開くには、その合言葉だけで事足りた。
『神隠しの漂流船(ファントムシップ・ボヤージュ)』
桜館長の眼光は再び赤く染まり、空想が形作る漂流船が浮上した。
波も海も存在しないが、まるで航海しているようにも思える。ダイダロスはもはや石像となり、一言も発しない置物と化した。
そしてその乗組員のロールに当てはめられたダイダロスの存在が消滅していく。
船上は神々しい光に包まれ、迷宮の中で粒子と共に消え去った。キラキラと、輝くシャボン玉だけが、寂しくも浮遊している。
そして迷宮に、静寂が訪れる。
「…………はぁ……はぁ……」
「巧一朗、大丈夫?」
「倒したのか、奴を……」
「ええ。ダイダロスはこの世界において謎の一部となった。……もう大丈夫よ。本当にお疲れ様。」
メデゥーサは消滅し、キャスターの魂が戻って来る。彼女はその場で倒れ込んだ巧一朗を支えた。
「やっと、君の復讐のうちの一つは、完遂できたね。」
「あぁ、魔眼の有用性に気付かせてくれたエラルには感謝だな。」
巧一朗は体勢を整え、自ら立ち上がる。
ダイダロスが消えれば、ミノタウロスも消滅する。あとは、アーチャーたちがこの迷宮の出口へ辿り着くのを祈るだけだ。
「助かったよ、館長。あなたのお陰だ。……俺だけでは、災害を超えられなかった。」
「ふふ、そうでしょうそうでしょう!もっと貴方の母を称えてよいのですよ!」
「お前は母親じゃねぇよ!ったく。」
巧一朗は笑った。
キャスターと桜館長も、釣られて笑う。
第四区博物館、痛快な勝利である。ようやく彼らは、テロリストとして、その一歩を踏み出せたのだ。
このとき、誰もがそう思っただろう。
寄り添い合う三人の元へ、歩いて来る影があった。
薄ら笑う男は、わざわざ、彼らの元へ足を運ぶ。
彼らの絶望を、誰よりも彼自身が眺めたかったからだ。
男の背には『白い翼』が生えていた。誰かが彼を見たならば『天使のようだ』と告げるだろう。
「え…………」
誰もが絶句する。
傷一つない身体で現れたのは、たった今このオアシスから消え去った筈の男。
災害のキャスター『ダイダロス』だ。
「身体の全てを石に変えられて、流石の僕も冷や汗をかいたぞ。だが、まぁ、お前らの誤算だな。僕はあの船から空へと逃げ去った。この『翼』でな。」
彼の背から生える二つの白い翼。それは伝承通りの代物、まごうことなき『イカロスの翼』だ。
桜館長の予測において、彼がそれを有する筈が無かった。失われた神代の奇跡を、彼が作り替えたのだろうか。
否。
「どうして…………翼が…………」
「メアリー・セレスト、お前のスキルに、恐らく『行方不明となった者の行く先を記録する』力があるだろう?あの怪事件において真実を知っているのは船だけだからな。それによってお前ら博物館は、ヘヴンズゲートにより歴史から消された英雄たちを記憶していた。だから、見誤ったんだろう。ま、それか、知っていても、信じたくは無かった、か?」
「まさか…………貴方は………」
「ああ。僕はヘヴンズゲートを使って、息子イカロスの存在を消滅させた。あのとき、僕の創り上げた翼は『誰にも貸与されなかった。』」
「そんな、実の息子を…………どうして…………?」
「簡単だ。アイツは僕にとって『愚か者』でしか無かったからだ。『災害』たる僕にとって、目の上のたん瘤でしか無いだろう?」
「貴方は……息子を愛してはいなかったのですか?」
「愛してはいたさ。でも仕方ないじゃないか。僕の息子より、僕の『翼』の方が大事だ。あのとき太陽神を怒らせなければ、僕の『翼』は消えずに済んだのだから。」
ダイダロスはあまりにも、あっけらかんと言い放つ。
実の息子より、自分の発明品を愛していた。
彼は、殺すよりも残酷に、イカロスという男を歴史から葬り去ったのだ。
「親が子を愛さないなんてことは、別によくある話だろう?……僕はお前を知っているぞ、巧一朗。お前の母親がお前になんて言ったのかを。酷いよなぁ、あんなことをお前に言うなんて。だからお前は、何もかもを変える為に、サハラへと赴いた。」
「……やめろ」
ダイダロスは一歩一歩、彼らへ歩み寄る。
思わずたじろぐ桜館長とは対照的に、巧一朗とキャスターは、一歩も後退しなかった。
「僕はお前の器を見切った。僕が改めて、お前にあの言葉を言ってやろうか?お前の柔な心に突き刺さるナイフ、思い出させてやるよ。」
「…………母さんは、違う。俺は母さんに愛されている。」
「本当にそうか?」
「本当だ。本当に、俺は…………」
「『あなたなんて、生まれてこなければよかったのに』」
ダイダロスはその言葉を口にする。巧一朗に脳内に響き渡り、鈍痛を引き起こす。
キャスターは頭を抱える巧一朗を抱きとめる。彼を弄ぶ災害に、鋭い眼差しを突き付けた。
だがダイダロスは止まらない。巧一朗を追い詰める為、更なる一手を用意する。
「巧一朗、今度はキャスターを守れるか?」
「っ!?」
ダイダロスは掌からエネルギー弾を放出した。それは巧一朗を抱きとめるキャスターを目標に発射される。
巧一朗はキャスターを優しさあふれる手を振り解き、彼女の前に躍り出た。
彼は、今度こそ、彼女を庇ったのだ。
「巧一朗!」
唖然とするキャスターと桜館長の目の前で、巧一朗は被弾する。
エネルギー球体の熱に肉体を焦がされ、彼はその場で崩れ落ちた。痛みに喘ぐことすら許されない。
その肌は溶け、黒い煙と共に焼き消される。着込んでいたスーツも、灰となって風に流されていく。
そして座り込んだキャスターの元へ、彼のお気に入りの、メイプルシロップボトルが転がって行った。
「ふ……クク……ハハハハ!アハハハハハハハ!」
高笑いを続けるダイダロス。
桜はその場で固まり、動けなくなっていた。
そしてキャスターは、巧一朗の焼け焦げた衣服から、『何か』が動き出すのを見ていた。
『何か』は必死に彼女の元へ行き、
そして
こぼれたメイプルを、啜り始めた。
「ああ、巧一朗。お前は人間として戦った。大いに戦った。災害を代表し、僕がお前に敬意を評そう。…………だがお前は、実のところ人間では無かった!人間を精一杯演じていただけだ!」
「間桐巧一朗。お前の正体は『甘い蜜(メイプル)に集る、蟲』だ。」
※
過去の話
巧一朗が生まれ落ちた日の、間桐邸、蟲蔵にて。
裸体のまま、苦しみ喘ぐ間桐桜を、間桐臓硯は嗤っている。
「うぐううう……あぁあああ……いだ…いだいいいいいいい!うぐぁあああああああああ!」
桜の子宮から、『何か』が生まれ落ちた。
『何か』は元気に、その場で跳ね回っている。
「ほう、刻印虫の改良を経て『虚行虫』を開発し、はや一年。まさか遠坂の胎盤から逸品が生まれるとはのう。」
「うま……れ……」
「蟲共の子を孕むとは、お主の素養には感服するぞ。ワシの『お遊び』が、こうも世界を救う鍵となるとは。」
「わた……しの…………子ども…………?」
「そうじゃ。見てみよ。」
キチキチキチキチキチキチキチキチ
「あんなのが…………赤ちゃ……………おええええええぇぇぇぇぇええ」
キチキチキチキチキチキチキチキチ
「名を付けるか?桜よ。短命とはいえ、虚数魔術の多くを明かす存在になるのじゃからな、名前ぐらいないと可哀想じゃ。」
キチキチキチキチキチキチキチキチ
「ホホ、幼体の癖に跳ね回りよる。まるで家に湧いて来る、なんじゃったか、ゴキブリ、のようじゃな。」
キチキチキチキチキチキチキチキチ
「ゴキブリ……『コックローチ』…………ホホ、『こういちろう』なんてのはどうじゃ?人間らしい名じゃよ。」
「巧一朗……私の……………………………………息子」
桜はいつまでも、光を失った目で『何か』を見下していたのであった。
【神韻縹緲編⑩ 終わり】