マリシャスナイト第一夜『おにいちゃんの館』は観測者編より前の出来事
今回の話は、神韻縹緲編の直前となります。
ご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます。
誤字、感想等ございましたら、ご連絡ください。
「っ……つう」
「どうした、頭を抱えて。痛むのか?」
「……また、ヤな未来が見えました。」
「不完全な未来予測、たった十秒の先読み能力か。どんな未来が見えたんだ?」
男が指さす方向、霧峰探偵事務所の看板が、派手な音を立てて地面に落ちた。事務所内にいる老紳士は、窓からその光景を目の当たりにする。
そして口髭を弄りながら、「ほう」とだけ呟いた。
「ウチの老朽化している看板が、落ちました。幸い通行人はいません。」
「あれ、結構重いだろう。また設置するには骨が折れるな。」
「……手伝ってください、『ジム』。サーヴァントなら、軽々運べる筈でしょう。」
頭を抱える男、『霧峰 龍二』は、相棒のサーヴァント『ジム・バーネット』と共に、事務所の階段を降りていく。
老舗の小料理屋を彷彿とさせる味深い木製看板を、二人で担ぎ、再び上階へ。
その間も、龍二は頭痛に顔を顰めていた。
「……たった十秒の未来視、なんの意味もありはしない、私にとってこの能力は、悩みの種でもあるのです。」
「以前、龍二の能力はその歳になって、次のステージへ飛躍している、と言っていたな。」
「より鮮明なビジョンと、その事態のもたらす影響、視野が広くなったというべきでしょうか。今までは視力の悪い人間の視界のように、靄がかかっている感覚でしたが、まるでコンタクトレンズを付けたかのようになっています。でも結局、十秒では、何も変わらない。現実は厳しいものですよ。」
ジム・バーネットの正体は世紀の大怪盗『アルセーヌ・ルパン』。彼にとって十秒先の未来予測も、怪盗業務で考えれば、有用なスキルであった。だが龍二は、戦闘とも犯罪とも無縁の小市民である。鬼気迫る状況に陥ることは皆無に等しい。
「なぁ、龍二。」
一度事務所の中にて重量感のある看板を下ろすと、ジムは龍二と向き合った。
「どうしましたか、ジム。」
「猫探しやら、人探しやら、浮気調査やら、君のその能力が活用された試しはない。」
「ええ、そうですね。」
「それは君が平和な街の『探偵』であるからだ。……だがもし、君がより刺激的な人生を望んだならば、その不完全な未来視は花開くことになるだろう。君が頭を痛める理由も、見つけるかもしれない。」
「何が言いたいのですか、ジム。」
「忘れたかな?儂は歴史上最も有名な『怪盗』だ。君が望むなら、よりドラマティックな物語の主人公にさせてあげられる。美しいものを手にする喜び、それは退廃的な君の人生を変える筈だ。」
ジムは懐から、ヒビの入ったモノクルを取り出し、龍二の目に押し当てる。それはアルセーヌ・ルパンの愛用していた代物であり、龍二が彼を呼び出した際に使用した聖遺物でもあった。
「龍二は、何故、儂を召喚した?君の奥底に眠る野心、その片眼鏡から覗き込んでみるといい。」
「……馬鹿な話は辞めて下さい。私を犯罪者にしたいのですか、貴方は。」
龍二はモノクルをジムへ返却すると、彼から背を向け、窓の外を見つめた。
ジムは龍二の背を眺めつつ、不敵な笑みを浮かべていたのだった。
【マリシャスナイト:『探偵ⅴs怪盗』】
開発都市第二区に本社を構える『マキリコーポレーション』から、第四区博物館へ、指定文化財の寄贈が成された。
それは鑑識官である鬼頭 充幸あての贈答品である。中身は何と、裏取引されていた、アンティークアクセサリーであった。
金色のバングルは、古代エジプトの掘り出し物。これを触媒とする英霊召喚が万が一成された場合、歴代のファラオたる何者かが呼び出されること間違いなしだろう。
エラルは予めマスコミへ情報公開しつつ、博物館へ引き渡した。観衆は当然、その現物をその目で見ることを熱望し、急遽ではあるが、一般客向けの博覧会が開催されることとなる。
そしてそのイベントが滞りなく開催されて四日目のことだった。
第四区博物館へ、一枚の手紙が寄越される。
その差出人は、世紀の大怪盗『アルセーヌ・ルパン』であった。
〈明日の零時 金色の秘密を 頂きに参上します 怪盗アルセーヌ・ルパン〉
それは、かの怪盗紳士からの予告状であった。
第四区博物館が内々での解決を目指そうと図る中、マスコミにも同様の手紙が送付され、第四区全域に情報が拡散されることとなる。
結果、いま第四区博物館は警備部隊と協力することとなり、裏のスタッフたちは肩身の狭さを感じている。
巧一朗とキャスターは、表の女性スタッフである梶と脇、二人と共に警備部隊隊長とコンタクトを取り、連携を確認していた。
「当日ですが、スタッフの皆さまはモニタールームにて我々と待機していてください。部隊Åがバングル周辺を監視し、部隊Bが外の車両にて指示を待ちます。厳戒態勢を敷き、区民の立ち入りも禁止します。……敵はサーヴァントです。此方の部隊も三騎士のクラスを多数配備する予定です。」
「なんだか、大変なことになりましたね~」
呑気そうに煎餅を頬張る梶と、それを制するクールな脇。表の展示解説員である二人は、親友と呼べる間柄だった。
鉄心は彼女らと特に仲良く話しているが、巧一朗は仕事仲間といえど、殆ど会話をしたことが無い。その為か、巧一朗は普段に比べ、より無口であった。
代わりに、怪盗アルセーヌ・ルパンに興味を示したキャスターが、食い入るように部隊長と話している。
「そういえば、巧一朗君。鉄心や、倉谷さんはいないの?鬼頭鑑識官は今、仕事が立て込んでいるって聞いたけど。」
「脇さん、ええ、彼らは非番です。元々博物館側の人手は必要ないですし、俺がいれば問題は無いだろうという、館長の判断です。そう鬼頭教官から連絡を受けました。」
「館長の、ね。ここの館長、何故か私たちにすら姿を見せないのよね。こんな緊急事態だっていうのに。」
「そうですね。俺も会ったことがありませんから。」
頑なに姿を隠している第四区博物館館長、その正体は充幸しか知らない。
怪盗の予告状が届こうと、館長は動じないらしい。スタッフの判断に全てを委ねている。
「ちなみに、災害のキャスターはこの件について何か言っているのかい?」
キャスターは博物館として気になっていた部分を直球でぶつけてみる。警備隊長は災害の城の出入りを許されている数少ない人物だ。
「災害のキャスター様は我々に委ねる、と。あくまでバングルを使用した不正召喚があった場合のみ、自ら対応されるそうです。」
「それは、まぁ、そうだろうね。」
「怪盗アルセーヌ・ルパンは、ジム・バーネットの名で、探偵業をやっています。第四区の中心街にある、霧峰探偵事務所です。所長の霧峰龍二氏には、私自らが話を聞きに行きました。どうやらここ一週間、ジム・バーネットは消息を絶っていたそうです。」
警備隊長は、霧峰龍二とジム・バーネット、両者の写真を提示する。三十台前半の、キツネ目の男が霧峰で、髭を生やした紳士風の男がジムである。脇はジムの渋い風貌に顔を赤らめていた。
「ジム・バーネットは召喚されてから数年、真面目に探偵として仕事をしていたそうです。霧峰氏が所長ではありますが、立場的には逆転していたようで、霧峰氏はジムを師と仰いでいたそうです。ですが、突如、探偵事務所に顔を見せなくなり、そして……」
「今回の予告状が、こうして届いたわけだ。」
キャスターは証拠品である、ルパンの予告状を提示する。
筆跡鑑定から、書かれた文字はジムのものと見て間違いないようだ。
「霧峰氏の元には、マスコミ関係者や、テレビの取材が相次いだそうで、心身ともに疲れ切っていた様子でした。今回の件で無関係と断定することは出来ませんが、警備部隊は、ジムの単独的犯行だと睨んでいます。」
「まぁ霧峰龍二の名が既にマスコミに割れた以上、何をしたって足がつくからね。第四区の先鋭たる警備部隊に、最悪、災害も出張って来るんだから、一般人に出来ることは少ないだろう。」
「ねぇ、部隊長さん、第四区博物館には取材が入らないけれど、それはどうして?」
脇の質問に、煎餅を貪る梶も反応した。ミーハーな彼女らは、むしろ進んでテレビに出演したいと考えているようだ。裏のスタッフである巧一朗からすれば迷惑な話ではあるが。
「無用な混乱を避ける為、警備部隊がシャットアウトしています。既にテレビ局に断りの電話を入れて八件目。皆、怪盗ルパンの話題に興味津々なのでしょう。」
部隊長は溜息を零す。龍二同様、彼もこの件で色々と苦労しているようだ。
実際、第四区の民衆は、怪盗ルパンの登場に胸を躍らせている者だらけだ。それだけ、義賊としての側面を持つ彼の見事な手際に関心を寄せている者が多いという事だろう。華麗なるルパンの活躍を願う人間もいる程だ。
———そして、白銀の探偵ことキャスターも、その一人だったりする。
彼らが打ち合わせをしていると、突然、正面ゲートから来訪者が現れた。
四人の年若い男女が、警備の目を掻い潜り、巧一朗たちの前に現れる。
「何だ!君たちは!」
立ち上がり、その進行を食い止めようとする部隊長。だが。中央にいた女が、それをするりと躱してみせた。
「博物館スタッフの皆さん、ですよね!私はネットニュース番組『ドラマツルギー』の司会を務めております、西田薫子(にしだかおるこ)と申します。コメンテーターでおなじみ、かおるきゅんです!」
彼女は謎のポーズを披露するが、巧一朗とキャスターは茫然としたままである。
彼らとは異なり、梶と脇は、薫子の登場に目を輝かせていた。
「かおるきゅんって、あの、かおるきゅんだよね!かおるんポーズでお馴染みの!」
「そうよ、梶。朝から番組見てきたよ!すご、生だとめちゃくちゃ可愛い!」
普段はクールな脇ですら、薫子に羨望の眼差しを向けている。巧一朗が知らないだけで、どうやら有名人らしい。
薫子は後ろにいた残りの三人も手招きで呼び寄せる。
カメラを構える男が一人、あとは洒落た服を着た、美男美女のセットだ。
「こちらは、来月放送開始の『怪盗紳士の許嫁』にて主演女優を努めます、新谷美月(しんたにみつき)。」
「よろしくお願いします。」
「そのお隣が、同じく『怪盗紳士の許嫁』にて、ルパン役を演じる、森本俊平(もりもとしゅんぺい)。」
「よろしくどーぞ。」
「最後に、『ドラマツルギー』カメラマンの大久保雅也(おおくぼまさや)。」
「どうも、よろしくね。」
「是非、怪盗ルパンのこと、沢山取材させてくださいね!」
薫子は手短に、メンバーを紹介した。
巧一朗とキャスターは誰一人認知していなかった。
だが、梶と脇がキャーキャーと騒ぎ立てる様子から、芸能人が来訪しているということは窺い知れた。
薫子の説明によると、『ドラマツルギー』とは、ネット配信の番組で、注目の新作ドラマを紹介し、出演している俳優と共に、街ロケを実施したり、舞台となった場所を突撃取材する内容らしい。
『怪盗紳士の許嫁』という、ルパンをモチーフにしたゴールデンタイムのドラマが来月公開されるようで、タイムリーにも怪盗ルパンの予告状が博物館に届いたことから、『ドラマツルギー』は強行取材に赴いたようだ。
「待ちなさい、君達。ネット番組だか何か知らないが、第四区博物館への取材は一切禁じている筈だ。そもそも、今ここは立ち入り禁止になっている。外のイエローテープを潜って来たのか?とにかく、帰りなさい。」
部隊長は雅也の持つカメラを手で塞ぎながら、彼らを追い返そうとする。だが薫子は、正式な取材の許可書を自慢げに見せつけた。そこには、災害の認印もばっちりと押されている。
彼女らは何らかのルートを利用して、警備部隊を黙らせる手段を手に入れていたのだ。
「なっ……まさかそんな、災害のキャスター様がお認めになるとは……」
「流石に警備部隊隊長殿も、頷かざるを得ない、ですよねぇ。ふふ、独占取材ゲット!再生数うなぎのぼりだわ!」
『ドラマツルギー』スタッフと、俳優二人が部隊長とやり取りする間に、巧一朗とキャスターは気付かれないようにその場を去っていく。
裏スタッフが全区ネットに顔を晒すわけにはいかない。後は、梶と脇がそれなりに対処してくれるだろう。
彼らは裏口からスタッフルームへと戻り、二人して、大きな溜息をついた。
鉄心や美頼がいれば、などと珍しくも思ってしまっている。
「成程、鬼頭教官はこういう事態を見越して、皆を非番にさせたのかもな。」
「というと?」
「美頼も、鶯谷も、流行には敏感だろうから、多分奴らの取材に堂々と応じるだろ。」
「……確かにね。」
巧一朗はインスタントコーヒーをキャスターへ差し出した。彼自身は、朝に自動販売機で購入したメイプルレモネードを摂取し、落ち着きを取り戻している。
「それにしてもキャスター、予告状を見たか?」
「ああ、無論だとも。」
〈明日の零時 金色の秘密を 頂きに参上します 怪盗アルセーヌ・ルパン〉
今一度彼らは、コピーした予告状を眺める。
巧一朗は疑問に思っていた内容を、探偵であるキャスターに吐露した。
「この、金色(こんじき)の秘密(ひみつ)って、どういうことだ?金色はまぁ、バングルのことを指しているんだろうけど、何で態々、秘密、なんて表現をしたのか。怪盗ってのは洒落た文面が好きなんだろうか。」
「あぁ、それは、ルパンの下らないトリックというか、ジョークみたいなものだろう。」
「どういうことだ?」
「……もしかして巧一朗、分からないのかい?」
キャスターは彼のキョトンとした表情を嘲り、煽ってみせる。
いつものことではあるが、探偵は推理の答えを教えてくれないらしい。
巧一朗は再び深く溜息をつくと、謎多き予告状を眺め続けたのだった。
※
来たる、怪盗ルパン襲撃の当日。
第四区博物館周辺は、警備隊による厳戒態勢が敷かれていた。
部隊長と共に、梶と脇はモニタールームへ足を運ぶ。
一方、巧一朗とキャスターは館内を巡回し、異常が無いかをチェックしていた。
予告時間まであと三十分。巧一朗は警備部隊の囲うバングルを改めてその目で確認する。
「古代エジプトのアクセサリーね……そんなに欲しいのか、こんなものが。」
巧一朗にはその価値は理解できない。触媒として、ならば当然理解できるが、指定文化財を用いた違法な英霊召喚は、その区を管理する災害によって罰せられる。リスクを冒してまでのこととは思えない。
「目的は、何なんだろうな。」
巧一朗は後ろに立っていたキャスターへ語り掛ける。彼女から解答が返ってくることは無かった。
彼女はどうやら、怪盗ルパンの襲撃を心待ちにしているように思える。
巧一朗は警備部隊の人間、そしてサーヴァント達へ一礼すると、自らも、警備部隊の用意するモニタールームへ向かった。
正面玄関を出た所で、昨日の来訪者である『ドラマツルギー』スタッフたちに鉢合わせる。薫子は目を輝かせながら、巧一朗の元へ駆けてきた。
「アンタら、まだここにいたのかよ。流石に今日は部隊長の指示に従ってもらうぞ。」
「勿論そのつもりです。十分前には、我々もイエローテープの外へ戻ります。ところで、昨日あなた、取材する時にはいなかったわよね。」
「あぁ、今アンタらのカメラに映る気も無い。そういうのは苦手なんだよ。」
「大丈夫、まだカメラは回していないわ。でも、話だけは聞かせて頂戴な。怪盗ルパンの話。」
「俺と、彼女は何も知らない。知りたけりゃルパンの奴に聞いてくれ。……色々嗅ぎまわっているみたいだけど、アンタらの番組は盛り上がりそうか?」
「ええ、おかげさまで。怪盗ルパンのマスターである霧峰龍二にも取材して、より濃密な特ダネ放送へ昇華されました。是非私としては、貴方のことも教えてもらえると嬉しいのだけれど。」
薫子はわざとらしく、電源の入っていないマイクを巧一朗へ向ける。
だが彼は、それを右手で下ろさせた。
「ところで、『怪盗紳士の許嫁』という番組だったな。史実が元になったストーリーなのか?」
「いえ、かなり独自路線のストーリーになっていて、怪盗ルパンの正体も、本家とは一切関連しないものとなっているわ。」
「……なら、本物のルパンが見たら、怒るんじゃないか?」
「ふふ、そうかもね。でも『ドラマツルギー』の再生数は今までで一番のものとなっているわ。『怪盗紳士の許嫁』も高視聴率が約束されたようなものね。勿論、美月ちゃんと俊平君の人気のお陰もあるだろうけど。」
「二人は、そんなに有名なのか?」
「知らない方がおかしいわよ。今をときめく、大型新人の二大巨頭と言えば、彼らのこと。忙しい身だから、こうしてネット番組に出てもらえるだけでも本当に有難い話ね。でも二人がドラマにかける情熱は本物よ。『怪盗紳士の許嫁』を盛り上げる為に、スケジュールを調整して、自らPRの為に『ドラマツルギー』に出てくれたんですもの。」
「そうか。真摯な人達なんだな。」
巧一朗は薫子と話しつつ、その後ろでカメラの調整をしている雅也の姿を眺めた。彼は機材を収納した巨大な鞄を背負いながら、レンズのピントを合わせている。だが、どうにも何かしっくり来ていない様子だった。
「カメラマンの人、どうされたんですか?」
「あぁ、ねぇちょっと大久保、どうしたの?」
「あ、あぁ、薫子さん。いやね、倍率調整が上手くいかないというか……」
「何言っているのよ。普段使用しているものと違うレンズじゃない。しっかりしてよ、カバンの中に入っているでしょう。」
「あぁ、すみません。怪盗ルパンが来るという事で、緊張してしまって。」
雅也は急ぎ、カバンの中の機材を漁った。コードやらが乱雑に入っており、どこかいい加減さを覚える。果ては、カバンの中のものをぶちまけてしまい、円形のレンズが俳優の二人が休憩しているベンチの方まで転がっていく始末だ。
「もう、何をやっているのよ、大久保!」
「すみません!薫子さん!すみません!」
「大丈夫ですか、大久保さん、はい、これ。」
「あ、あぁ、美月さん、態々拾ってくれて有難う。」
薫子は頭を抱えている。雅也の風貌は新入社員のようには思えない、ベテランの風格だが、どうにも本番には弱いタイプのように思えた。
そして話している内に、予告時間の十分前となる。
巧一朗とキャスターは部隊の用意したモニタートラックへ乗り込み、博物館内の監視カメラを捉えた。
まだ、怪しい影は無い。
「部隊長、本当にルパンは来るのでしょうか。」
脇はどこか不安そうな顔で中央に座る部隊長へ話しかける。やはりいざとなると、ヒトは緊張してしまうのだろう。だが、脇とは異なり、梶は相変わらず呑気そうにチョコレートを頬張っていた。
「我々もこのような事態は初めてですから、未だ悪戯の線も大いにあると考えています。でも、霧峰氏の元から消えたジム・バーネットは、やはり偶然とは思えません。我々は第四区の守り人として、我々の責務を果たすのみです。」
部隊長は誰よりも、噛り付くようにモニターを見つめている。正義感の強い人だと、巧一朗は感じた。
そして時刻は0時、ついに予告時間となる。
警備部隊、博物館スタッフ、イエローテープの外側の民衆、皆に緊張が走った。
モニターの監視カメラ映像に釘付けとなる部隊長、そして梶と脇。彼らの目を盗み、巧一朗とキャスターはその場を離れる。
そのことに気付いていない部隊長は、各部隊に通信を入れ、怪盗の出現を待つ。
怪しい人物がいないかどうか、入念にチェックを怠らない。
「もしかしてルパン、既に忍び込んでいたりして。」
「それは無いわよ、梶。これだけの警備隊員とサーヴァントがいる中で、盗みになんて入れるはずが……」
脇がそう言いかけた、その時だった。
外にいる警備隊から緊急の連絡が通達される。
何やら民衆たちが騒ぎ始めている。
その理由は一つ、怪盗ルパンが、余りにも堂々と、第四区博物館に現れたのだ。
「ルパンはどこだ!?どこにいる!?」
「それが、第四区博物館の時計台の頂上にっ!」
部隊長はすぐさまモニター車を降り、その姿を確認した。
黒のシルクハットにマントをたなびかせる、演劇で見たようなシルエット。
夜闇にいても異彩を放つ、大怪盗ルパンが、優雅に立っていた。
「あれが……ルパン……」
梶と脇もその姿を確認する。
梶は所持していた菓子袋を力なく落としてしまう程に、彼に魅入られていた。
「ハハハハハハハ!諸君、今宵一夜限りのショータイム!儂は大怪盗ルパンの名のもとに、かの宝を盗みだす!」
「そうはさせないぞルパン!警備のアーチャー部隊は、奴に狙いを定めろ!必ず確保するんだ!」
「おや、いいのか?得物をこちらに向けてしまって。諸君らの『宝』が傷ついてしまうぞ?」
ルパンはその手に、金色のバングルを取り出し、ちらつかせた。
宝は既に彼の手に渡っていたのである。
「なんだと!?何故、バングルが……?」
「ハハハハハハハ!ぬるいぞ!ぬるすぎる!儂を止めたくば、ガニマールでも連れてくるんだな!」
ルパンは高笑いしながら、煙幕と共に、夜闇に姿を晦ました。
部隊長は歯を食いしばりながらも、部隊へ通達し、彼の行方を追わせる。
梶と峰は呆気にとられながらも、警備部隊が怪盗紳士を追いかける姿を見届けたのだった。
※
博物館から離れた、とある路地裏にて、一人の男が息を切らしている。
事件現場の博物館からここまで、休まず走り続けてきたのだ。
彼は背負っていた大きな鞄を地面に置くと、その中から金色のバングルを取り出した。
「はぁ……はぁ……」
彼はそれを見つめながらほくそ笑む。
全ては計画通りだ、と。
彼は気が緩んでいたのか、背後に立つ人物に気付くのに数秒要した。
もしかすると宝そのものに目を奪われていたかもしれない。
「ここまで、全力疾走、おつかれさん。」
男は急に声をかけられたことに驚き、数歩後ずさる。
そこにいたのは、巧一朗とキャスターだ。彼らは、男を追って、ここまで辿り着いた。
「……っ」
そしてその後に続き、なんと『ドラマツルギー』の薫子と、俳優の美月、俊平までもが、男を追いかけてきた。
彼らもまた、息を切らし、肩を上下させている。
「あれ、あなた、博物館スタッフの……」
「そういうアンタは、たしか、西田さん、だっけ。俳優さんたちもいるし、どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもないわよ!そこの、大久保!アンタがルパンの華々しい登場の際に、勝手に居なくなるから、探したのよ!」
薫子は、男を指さした。
相当怒っていることが窺い知れ、巧一朗は立ち竦んだ。
「大久保さん、どうしたんですか?顔色も悪いですし……」
俳優の美月が大久保を覗き込むと、彼は焦ったのか、手に持っていた金色のバングルを落としてしまった。
そしてそれを慌てて拾い上げ。隠すように両手で包み込む。
「大久保さん、それ……」
「大久保、アンタ、どういうこと……何でアンタがそんなものを……」
「まさか、怪盗ルパンの変装、なのか!?」
俊平は薫子と美月を下がらせ、男として前に出た。
大久保は沈黙を貫いている。
だが、この状況で、嘘を貫き通すのは、流石に無理があるだろう。
大久保は、バングルをポケットに仕舞い込み、そして
変装用のマスクを、首元から引き剥がした。
「……っ!」
薫子、美月、俊平は驚愕している。
それもその筈、変装していたのは、彼らの知る人物だったからだ。
「霧峰龍二…………!?」
マスクの下から現れたのは、彼らが取材した、怪盗ルパンことジム・バーネットのマスター、霧峰龍二だったのだ。
「霧峰さん、どうして……」
ショックを受けている薫子とは対照的に、俊平はこの事態を独自に推理してみせる。
「もしかして、最初からルパンと霧峰はグルだったんだろ。皆がルパンに気を取られている間に、お前はこっそり忍び込んで、バングルを盗みだしたんだ。大久保の姿に化けて、逃げ切ろうとした。」
「そんな…………」
薫子は、龍二と特段仲が良いわけではない。ただ取材に協力してくれた一般人という認識に過ぎない筈だ。
だがそれでも少なからず傷付いているのは、彼女が龍二のことを『善良な一市民』と信じ込んでいたからだろう。
「霧峰さん……ルパンに、唆されたんですか!答えて下さい!」
「…………私は……」
「探偵として頑張っていたのに、今ドロボーなんかやっちゃったら、犯罪者に落ちてしまう。そのバングルは素直に返しましょう、まだ間に合いますから……」
美月は龍二に手を伸ばした。
「そんなに、ソレが欲しいか?新谷美月。」
彼女の伸ばしたか細い腕を掴んだのは、傍で見守っていた巧一朗だった。
「え、な、なんのこと?というか離して!」
美月はその手を振り解き、数歩後退する。その姿に、薫子は理解が及んでいない様子だった。
「だが、生憎、本物のバングルはルパンも、そして霧峰も、所持していないぞ。そりゃあ、博物館に寄贈されたものだからな、当然、俺たち博物館が持っている。」
巧一朗はスーツの袖を捲った。するとそこには、煌びやかな黄金のバングルが装着されている。
最初から、誰も盗んではいなかった。怪盗ルパンも、そして龍二も。
「どういうこと…………」
「最初から計画されていたのさ。第五区の宗教組織の末端であるお前の犯行を食い止めるための、な?」
龍二の背後に、シルクハットの老紳士が現れ出る。
龍二はその姿を確認し、彼と共に口角を上げた。
博物館と結託した大捕り物、その始まりは、数日前に遡る。
霧峰探偵事務所にて
「龍二は、何故、儂を召喚した?君の奥底に眠る野心、その片眼鏡から覗き込んでみるといい。」
「……馬鹿な話は辞めて下さい。私を犯罪者にしたいのですか、貴方は。」
龍二はジムに渡されたモノクルを彼に返し、窓の外を眺めながら溜息をついた。
「私は大のホームズ愛好家ですよ。盗みに興味はありません。貴方を召喚したのも、ホームズのライバルとして彼を翻弄してみせた、怪盗ルパンへの興味からです。」
「そ、そうか。」
「それに、まず、大前提として、忘れないでください。」
「何をだ?」
「貴方は『探偵ジム・バーネット』です。私が召喚したから、貴方は探偵になったのです。今の貴方は探偵として一流だが、怪盗としてはスキルダウンしていること、知っておいてくださいね。」
「で、でもなぁ、龍二、君の不完全な未来視は、現状、君の足枷にしかなっていない筈だぞ。儂はその有用性を述べたまでで……」
「いいのです、足枷で。」
龍二は、落ちてきた木製看板の、『探偵』と書かれた部分に、そっと手を置いた。
「猫探しも、人探しも、浮気調査も、立派な探偵業でしょう。依頼者は皆、モヤモヤした気持ちを抱えながら、その解決を求めて、この事務所にやって来る。私が…………僕が、一所懸命走り回ったその十秒先で、依頼者が笑顔になっているならば、それが一番の『宝』なのです。」
龍二がそう格好つけた瞬間、窓の外で霧峰探偵事務所の広告ポスターが風に流され飛んで行った。
どうにも締まらない龍二に、ジムは思わず噴き出した。
「ちょ、笑わないでくださいよ、ジム。」
「ククク、確かに龍二には怪盗は不向きだな。見た目とは裏腹に、愛嬌があり過ぎる。」
「ちょっともー」
「————すみません、霧峰探偵事務所ってここであっていますよね?」
突然の来訪者に彼らは慌てるが、その顔を見て、彼らは手を止めた。
来訪者の青年は一度、ここへ足を運んだことがあった。それは数年前の話だ。
互いに懐かしさを覚えながら、見つめ合う。
「ようこそ、霧峰探偵事務所へ。今回はどんな依頼だろうか。『船坂優樹』クン。」
「お久しぶりです、霧峰さん。また貴方を頼りに来ましたよ。」
船坂優樹は、高校を卒業し、『遠坂組』へと就職を果たした。
現在は対宗教組織アヘル支部を立ち上げ、彼の親友であるモゴイこと、板垣充を追いかけている。
「へぇ、出世したのね。あの時は、あまり協力できなくてすまなかったよ。」
「いえ、霧峰さんに相談した結果、頭の整理が出来ましたし。でも今回は、かなり霧峰さんにご迷惑をおかけするかもしれない。」
「教えてくれ。」
優樹は資料を提示する。
それは近日中に、マキリコーポレーションから内密に、指定文化財が第四区博物館へ寄贈される旨を示したものだった。
だが、第五区の宗教組織が、この文化財を虎視眈々と狙っているらしい。
「元々、マキリが所持しているときから、奴らは目を付けていました。でも流石のセキュリティですから、アヘルと言えども手を出すことは叶いません。だからこそ、寄贈される今が彼らにとって千載一遇のチャンスなのです。当然彼らは、その情報を掴んでいます。」
「遠坂組は動けないのか?」
「はい、マキリの邪魔立てをするようなものですから。当主の龍寿様は、マキリ社CEOのエラルドヴォールと仲が良いわけではありません。遠坂がこの情報を掴んでいることでさえ、エラルドヴォールを怒らせる材料となるでしょう。」
「そうか。じゃあ依頼内容というのは?」
「アヘルの横暴を止めて下さい。彼らはこのバングルを不正に用い、絶大な力を手に入れる気です。」
「そうか、分かった、分かったが、私に何が出来るだろうか。マキリが隠している事実をそのままに、どうやって防げばいい?」
「龍二、儂と君にしか出来ないことがあるだろう?」
ジムは腕を組んで、得意げに笑った。
龍二はジムの思考を感じ取った。
「まさか、ジム……」
「エラルドヴォールは派手好きと聞く。ならば、ド派手に、陰に潜むコソ泥どもを、炙り出してやろうじゃないか。『大怪盗アルセーヌ・ルパン』の名を用いて、な?」
「指定文化財の寄贈を、一大イベントにするのか。そして、怪盗ルパンという第三者が、盗みを大々的に告知する。結果、警備部隊は厳戒態勢を敷き、宝は守られ、奴らは宝を盗みだすルパンを狙うようになる。」
「イグザクトリー!第四区博物館と連携が取れれば、難しい話では無いだろう。」
「待ってください、それだと霧峰さんとジムさん、二人が失うものが大きすぎる!」
優樹は自ら依頼したにも関わらず、その案を却下しようとしたが、龍二によって制される。
「霧峰さん……」
「私たちにしか出来ない仕事だ。怪盗であり、探偵である、私たちにしか。依頼を解決したその十秒後に、キミが笑顔になっていることを信じて。」
「依頼は受理されたぞ少年。霧峰探偵事務所、いざ、出動だ!」
そして龍二とジムは動き出した。
第四区博物館と緊密に連携を取り、作戦を立てていく。
ジムとキャスター、二人の探偵が手を取り合ったのだった。
そして時は戻り、路地裏にて。
巧一朗は美月を睨みつけ、その推理を披露する。
「お前らの組織はルパンの出現を知った時、焦った筈だ。影から掠め取るつもりが、人々の注目の的になってしまったからな。だから、ルパンの関係者たる霧峰と、事件の舞台となる第四区博物館、両方と接触し、強奪する計画を立てる必要に迫られた。」
「そう、つまりはこの巧一朗クンたち博物館、そして私、その両方に話を持ち掛ける人物こそ、犯人である可能性が高い。」
「第四区博物館は予め、全ての取材を禁止にしている。災害のキャスターの印付きの許可証も当然偽造だろう。警備部隊に一任している災害のキャスターが、態々こんなものを押す筈が無いからな。霧峰と情報共有し、アンタらの内の誰かがコソ泥だという事は簡単に判明したよ。」
「そ、そうなの!?」
薫子だけが、状況を飲み込めていなかった。
巧一朗の予想通り、彼女はシロだ。
「まぁ西田さん、アンタは利用されていただけだよ。でなきゃ、俺の質問に、あんなにべらべら喋る筈も無い。」
「そ、そんな……」
「俳優の新谷美月と森本俊平は超売れっ子だ。ネット番組の為にスケジュールを抑えて、というのも少しばかり違和感があった。どこかで本物の二人と入れ替わり、変装しているんだろうな。まぁ、そこのジムは犯人に目星を付けていたみたいだが。」
「どういうこと?」
薫子に、例の予告状を見せる。
改めて、ルパンの出した、その文面を確認した。
〈明日の零時 金色の秘密を 頂きに参上します 怪盗アルセーヌ・ルパン〉
「金色のバングルを、敢えて『秘密』なんて洒落た文言で言い換えたのには理由がある。これはアナグラムになっていたんだ。並び替えてみるといい。」
「えっと、こんじきのひみつ、だから、ひき、じん、みつこ、の、……言葉にならないわよ?」
「そう、ついつい、金色を『こんじき』と呼んでしまうよな。だが普通に『きんいろ』とも読める筈だ。きんいろのひみつ、これを並び替えると……」
「『ひろいんのみつき』……っ!ヒロインの美月!?」
「そう。俺たちはこのメッセージを受け取り、彼女を必ず視界に入れていた。」
「あと、私は大久保さんに頼んで、彼に扮していたが、新谷美月さんに私がルパンだと、変装していると、そう思わせる為に、一芝居打った。その道の匠である筈のカメラマンが、まるで素人のようなミスをする、その瞬間を、キミは目撃した筈さ。」
「……っ、貴様、騙していたのか!?」
美月は変装を解き、黒のローブを被った。
そして彼らから離れ、右手の甲の三画の令呪を見せびらかした。
「新谷美月、いや、コソ泥!逃げる気か!」
「ふん、まさか、私は偉大なるアヘル教団の『室伏ネム』!コソ泥呼ばわりは辞めて頂戴!」
ネムはまだ、自らの名を晒す程、余裕があるようだ。
彼女は目配りをし、森本俊平に合図を送る。
「いけ、キャスター『メスメル〔オルタナティブ〕』!全員潰してしまえ!」
「やはり、森本俊平も変装だったか!」
巧一朗は脳内データベースで、『メスメル』の名を検索する。
動物磁気説の第一人者で、後にそれは『催眠術』として昇華されることとなる。メスメルは医師として、特異な力で人々を治療したとされているが、現代において動物磁気の存在は否定されている。
本人は患者に寄り添い、癒しを与える立派な医師であるが、俊平を模していた彼は、そうではないらしい。
ネムは彼をオルタナティブと呼んだ。それは英霊の本来の姿とは、別側面の存在である。メスメルとしては有り得ない、イフの顔だ。
現在、彼らの前に立ち塞がるメスメルは、動物磁気概念が、催眠術という括りに変換されたことに怒りを覚える、奇人である。
故に、本来ならば蛇の者たちに手を貸す筈の無いメスメルが、こうして犯罪行為に手を染めているのだ。
メスメルオルタは両手の指先に『気』を集中させると、それを巧一朗に向けて発射した。
空気弾が彼の腹部に直撃する。そしてその瞬間、巧一朗の中で、何か、大きな流れのようなものが乱された。
結果、彼はその場で蹲り、意識を保てなくなる。
「巧一朗!」
キャスターが彼に駆け寄り、その症状を観察する。だが、彼の肉体に一切の異常は見られない。
存在しない筈の動物磁気が、存在するものとメスメルオルタに定義され、そしてそれを破壊された。
これは言わば幻肢痛に近い症状である。血が流れているならば、それを防げばいい、だが、巧一朗を今苦しめるのは、存在しない臓器の、存在しない痛みだ。キャスターとて、手の施しようがない。
「くそ、思い込みこそが敵か!」
「動物磁気を乱されたものは、嘔吐、失禁、意識の混濁、様々な賞状に襲われた後、血液の流れすら、そのやり方を失ってしまう。つまり死だ、死が待っている。」
「厄介だな、実に、厄介だ。」
ネムとメスメルオルタが、巧一朗のバングルを奪い取ろうと近付いて来る。
そんな二人を、ジムと龍二は押し留めた。
「キャスターさんでしたっけ?巧一朗クンを抱えて、ここから逃げて下さい。彼女らは私たちが相手します!」
「霧峰……龍二……あぁ、任せた。」
キャスターは意識を失った巧一朗を背負い、走り去った。
龍二は生まれて初めての戦いに緊張しつつも、事件解決の為、ネムを足止めする。
「メスメル、君はその独特の医術で人の心を変えてきた。儂も同じ、儂は財宝を盗みだすことで、人を惹きつけてきた。どちらが人を魅了させられるか、勝負と行こうじゃないか。」
「お前のような犯罪者と一緒にするなぁぁああああ!」
メスメルオルタは先程と同じ構えで、その両手に『気』を溜め込もうとする。だがジムがどこからか持ち出した縄でその両手を拘束した。
「掌が合わさって、ニホン流の祈りのポーズだ。今の君は神や仏に悔い改めた方が良さそうだね。」
「くそっ!」
メスメルオルタが拘束具を取り払おうと躍起になる隙をついて、ジムは彼の顔に飛び膝蹴りを食らわせた。クリーンヒットしたのか、メスメルオルタは地面に崩れ落ちる。
一方、ネムと龍二は、互いに拳をぶつけ合っていた。
小柄ながら、素早さで翻弄するネムは、龍二の顔や腕、みぞおちに、次々と拳を叩きつけていく。彼女は何か武道の心得があるようだ。その拳の重さは、彼女の見た目にそぐわない。
「信華様に習ったワザよ!只の一般人には重く突き刺さるでしょう?」
「(信華……誰だソレ。というか一発が滅茶苦茶痛い)」
龍二の拳は何度も彼女に当たっている筈、だが、彼女は怯むどころか嗤いながら襲い掛かってくる。まさに狂気そのものだ。
バングルを盗み取ろうとする彼女、何がネムという少女をここまでおかしくさせてしまったのだろう。
「龍二、大丈夫か!」
「ジム!」
「よそ見してんじゃねぇよ!」
地面に転がっていたメスメルオルタは、いつの間にか素足になっており、両足で『気』の流れを作り込んでいた。
そしてそれがジムへ向かって射出される。
「危ない!ジム!」
龍二は、当然、ジムの方がサーヴァントだから、強いことを知っている。
でも、自分の尊敬する探偵に怪我をさせることは、彼の意志が許さなかった。
ネムの追撃を躱した龍二は、ジムの前に躍り出、メスメルオルタの足技をその身体に受けてしまった。
そして先程の巧一朗と同じように、動物磁気が狂わされる。
「はは、ははは!終わりだよ!霧峰龍二!」
「おい!龍二!」
龍二はその場で膝をついた。
意識が朦朧とし、呼吸すらままならない。
———くそ、これは、マズイな。
全身の血液が沸騰し、破裂する感覚。
手足から、指の先まで、その動かし方を忘れてしまう。
冷静になろうとも、脳の中が濁流に荒らされ、まともに思考することも出来ない。
「龍二、しっかりしろ!龍二!」
ジムの声が段々と遠くなる。
そもそも、ジムとは誰だろうか。
龍二は、自分自身のことすら、失いつつあった。
どうして今、彼はここにいるのだろう。
何故、痛い思いをしてまで、戦っているのだろう。
頭が痛んだ。
激しい痛みだ。
龍二は、この痛みを知っている。
そして彼の脳裏に焼き付くのは、師と崇めるジム・バーネットの消滅だ。
メスメルオルタに暴力的に壊される、大切な相棒の姿だ。
龍二が見たものは、これから起こる未来。
全てを忘れようと、何もかもを認識できなくなろうとも、この未来だけは必ず起こる、その確信がある。
龍二は息を整えた。
色々と考えるから駄目なのだ。
やることは一つで良い筈だ。
それは十秒先の未来を変えること。
彼はカウントダウンを始める。
十、九、八、七、六………
頭が空になる。
数字のことだけを意識する。
五、四、三、二、一…………
「今だ!」
龍二は目を瞑り、立ち上がり、その拳を目の前の敵に叩きつけた。
それはメスメルオルタの顎の部位に見事突き刺さる。
不意を突かれたメスメルオルタは、只の一般人である龍二の行動を予測できなかった。
それ故の失態だ。彼は焦り、後方へ飛び移る。
「龍二……」
「はぁ……はぁ…………大丈夫ですよ、もう、大丈夫です。……足枷をぶん回せば、意外と攻撃にも使用できるものなんですね。」
「不完全なる十秒の未来視、か……」
「未来のビジョンが私の脳内をジャックする。偶には、役に立つものですね。」
ジムは龍二の肩に手を置いた。もう、龍二が惑うことは無い。
ネムはメスメルオルタを叱責する。たかが一般人に後れを取ったことが気に入らないようだ。
「すみません、ネムお嬢、次こそは俺の『気』で奴らを……」
「もう無理だ。メスメル。人の心を無理矢理動かしても、それは一時的なものだ。不協和音では、人間の心は響かない。儂が、アルセーヌ・ルパンが、華麗なる技で君たち二人を魅了してやろう。」
ルパンが指をパチンと鳴らすと、夜の空に金の財宝や煌びやかな宝石が打ちあがった。それら全ては、彼が大怪盗としてコレクションしてきたものだ。
そして聳え立つビルの壁を走り、黒のシルクハットのファントムシーフは、月をバックに両手を広げる。
華麗なる怪盗のショータイム。それは一大エンターテインメントであり、誰もが期待に胸を躍らせるのだ。
この耽美な空間は固有結界にも思えるが、その実、幻を見せているだけに過ぎない。怪盗のショーの観客は、今はネムだけだ。
「曲芸師の真似事をして、何を変えられる!?私を救うのはいつだって、災害のアサシン様だけなの!」
室伏ネムは叫ぶ。叫ばずにはいられない。
ネムの心の空白を埋めてくれたのは、災害のアサシンの寵愛だ。生きる意味を失った彼女が、唯一生きていていいと思える居場所なのだ。
怪盗紳士はそんなネムの心の闇を解きほぐすように、彼女を空へと連れて行く。
翼を持たない筈の少女は、ルパンに手を引かれながら、宝石の天の川を自由に羽ばたいた。
「こんな子ども騙しで!私を!」
「ネム、君が本当に欲しいものはなんだ?儂が、奪ってきてやろう。」
「欲しいのは!災害のアサシン様の笑顔だ!私はあの人の為ならば幾らでも手を汚せる!」
ネムは涙を流していた。
彼女の涙が夜の闇に溶け落ちていく。
彼女の『嘘』に、ルパンが気付かない筈が無い。
「本当に、欲しいものは、それかい?」
「あぁ、そうよ!」
ネムが手を握るルパンを再び見た時、そこには災害のアサシンがいた。
優しい微笑みで、ネムの手を柔らかく包んでいる。
「アサシン様……」
「ネム、有難う。任務を果たし、聖遺物を持ち帰ってきてくれて。」
「はい、私、頑張りました!アサシン様に喜んでいただきたくて!私!」
災害のアサシンの胸に抱かれ、その温もりを手に入れたネム。
だが彼女の頬を伝う雫は、増えていくばかりだ。
「違う……違う……違う違う違う違う違う!全然違う!」
「ネム?」
「アサシン様はっ……私の名前なんか覚えてくれない!私が誰かも知らないの!」
ネムは大粒の涙を零す。
災害のアサシンに扮していたルパンは、元の姿に戻った。
「アサシン様はヴェノムの幹部や、近い人たちのことしか覚えてないの!私のこと、知らない!」
「でも、君は、室伏ネムだ。ちゃんと名前がある。」
「そうよ、私はネム、ネムなの。誰か、覚えてよ。私のこと、教団の末端だの、コソ泥だの、言わないでよ。ちゃんと、私を私って思ってよ。ネムって、呼んでよ。」
「それが、君の欲しいものかい?」
「欲しい!私の本当に欲しいモノ!それは……」
大怪盗アルセーヌ・ルパンの宝具
それは幻の中で、この世界のありとあらゆる全ての事象を盗み取る。
財宝、情報、概念でさえ、全ては彼の手の中にある。
『怪盗紳士は今宵も空に舞う(ヴリル・エスポワール)』
「儂がネムの願いを、叶えてやろう。」
怪盗ルパンは天高く駆け上がり、彼女と共に消え去っていく。
そして、彼らは現実世界へと帰って来た。
「ジム、何がどうなっているんですか?急に敵が戦意喪失しましたけど!」
「龍二、怪盗に殺しはご法度だ。怪盗ルパンは何処までも華麗に優雅に、宝を奪うものだからね。」
メスメルオルタは、小柄なネムを抱きかかえる。
メスメルもまた、龍二の知らないところで、戦う意思を失っていた。
「これは…何だ、事件解決、なんでしょうか?」
「さぁてな。とりあえず、博物館の彼らに合流しよう。巧一朗君の治療もせねばなるまい。」
龍二とジムは、路地を走り抜け、巧一朗たちを追う。
だが二人が戦闘をする最中、キャスターと巧一朗もまた、新たなる脅威に相対していたのだ。
※
意識を取り戻さない巧一朗を抱え、キャスターは夜の街を走っていく。
だが驚く程に、人の気配がない。イエローテープの外にいた民衆は皆、散り散りになっていた。
これもメスメルオルタの動物磁気によるものだ。教団側が鼠を追い込むために、人払いをした。
「ここまで大規模に動くとなると、それなりに時間は掛かったはず。そう考えると、協力者がいてもおかしくはない、か。」
「当たり、かも。」
キャスターは背後の声に即座に反応を示した。
軍服を着たクールな女が一人、道の真ん中に佇んでいる。
その姿を一目見た時点で、彼女の中にある三つの魂が猛烈騒ぎ始めた。
災害と相対するような感覚だ。余りにも強烈なプレッシャーが彼女を押し潰す。
「そのバングル、頂戴。」
「知らない人間にプレゼントする訳無いだろう?」
「そう。」
女は残念そうな顔を浮かべている。口数は少ないが、意外にも、表情は豊かだ。
———だがその目から、異常なほどの殺気が消えることは無い。
「その人、危ないから、遠くに座らせて。傷付いたら、危険。」
「敵ながら、此方のマスターを心配してくれるとは。」
「私は、人間は、殺さないから。私が矢を放つのは、サーヴァント、だけ。」
「ほう、殊勝な心掛けだな。名は?」
「ウラルン」
「聞いたことが無いな。」
「別に覚える必要も、皆無。」
ウラルンは胸部のコネクタに、液体の入った注射針を打ち込んだ。
そしてその肉体は、サーヴァントへと進化していく。
〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムアーチャー』:『ケイローン』現界します。〉
ウラルンの主張の激しい胸部や臀部が、より強調されるフォルムとなる。
彼女の手には、年季の入った弓が召喚された。
キャスターは彼女の主張通り、巧一朗を離れた場所で休ませる。
そして彼女もまた、その手に一本の剣を呼び出した。
「アロンダイト……円卓の騎士?」
「さぁてね!」
キャスターは白銀の探偵から、犯罪界のナポレオンへと精神を入れ替える。
どちらも戦闘が特別得意という訳では無いが、状況が状況だ。そうも言っていられない。
「やぁああ!」
キャスターはアロンダイトを構えたまま、ウラルンに急接近する。白銀の探偵では人間すら戦闘負けするが、『モリアーティ』であれば、通常のサーヴァントと同じように戦える。
ウラルンは手に持った弓で応戦する。剣と弓の鍔迫り合い、押し勝つのは当然、剣だ。
キャスターが強く弾き飛ばした結果、ウラルンは後方に吹き飛ばされる。近距離ならば、現状キャスターの方が有利であるらしい。
だから、彼女から距離を置く訳にはいかない。キャスターはすぐさま走って、追撃の一手に出る。
ウラルンは矢を番え、キャスターへ向けて連射した。光弾が彼女の頬を掠めたが、何とか避けきり、再びウラルンのレンジに入り込む。
「さぁああ!」
「っ」
キャスターが剣を下から上に振り切ると、対応に遅れたウラルンは、その肉体に傷を負った。彼女の身体から血が零れ落ちる。
そしてもう一度、キャスターはアロンダイトを振り被る。ウラルンを無力化するための一手だ。これで終わらせる、そう息巻いた一撃。
だが当然、それは許されない。ウラルンが予め空に放った光弾が、追尾弾となって、キャスターに襲い掛かる。
「くそっ」
「空に輝く星座が見える?」
キャスターが距離をとった瞬間、ウラルンは再び矢を放った。
空からの攻撃に精一杯だったキャスターは、ウラルンの新たに放った矢に対応できない。
胸から足にかけて、数本の矢が、彼女の体に風穴を開ける。
「かはっ……っ」
そしてキャスターはアロンダイトを手放した。
彼女は円卓の騎士ランスロット本人では無い。これは言わばレプリカだ。意識を保っていなければ、この武器は霧散する。
キャスターの目の前には、矢を番えるウラルン。どうやら窮地に立たされたらしい。
彼女はウラルンと遭遇した瞬間、デバイスにて美頼と鉄心に救援要請を送っていた。
彼らの力を借りれば、ウラルンを退けられるだろうと信じている。
「(早く来てくれ、具体的に言うならばロウヒ!)」
「じゃあ、おしまい。」
ウラルンは弓を引き絞る。
キャスターは走馬灯のように、この一瞬であらゆることを思い浮かべた。
「あの、あのだな、ウラルン女史。君は何故教団に入信したのかな?」
「なに、突然」
「その、私も災害のアサシンには興味があって、ほら、凄いカリスマ性だろう?私も惹かれるものがあるんだよね、うん。」
「そう」
キャスターは必死に話を振って、時間稼ぎをすることに決めた。弁論こそが探偵、敷いてはモリアーティの武器だろう。
ウラルンは弓を下げ、キャスターの顔をまじまじと見つめた。
「(お、乗ってくれるか?)」
「———私は、アサシンのこと、嫌いだから。」
「え?」
「貴女の気持ちには寄り添えない。ごめんね。」
ウラルンは天高く指さした。
それはケイローンの権能を用いた一撃必殺宝具。空に浮かぶ星座からの急転直下の一射。
『星を蝕む災いこそが、救済の毒となる。—我が矢はもはや、放たれた』
夜空から降り注ぐ、一筋の光。
それはキャスターの霊核を砕くには、十分すぎる一手だ。
『天蠍惨毒一射(アンタレス・ヴェノムスナイプ)』
その光は、キャスターのいる地点へ降り注いだ。
もはや、キャスターに逃げ切る術はない。
閃光は、確実に、彼女の霊基を焼き尽くす。
ウラルンはその腕を下ろし、サーヴァントの消滅を確認する。
だが。彼女の中で大きな、違和感があった。
キャスターを確かに狙い、そして射抜いたはずだ、だが、手応えが全く無い。
ウラルンの疑念は、確信へと変わる。砂埃の立ち込める中で、確かに、キャスターは生きていた。
「……すごいね」
その一射を防いだのは、彼女の周りを飛び交う、無数の剣や槍である。
アロンダイトを呼び出したように、キャスターは招霊転化の記録媒体へアクセスし、その武器を、力を、模倣した。
「これ、本当に奥の手だから、マジで。」
それはキャスターの、モリアーティの最終奥義、否、最終定理と呼ぶのが相応しいだろう。
これは彼女が誰にも見せなかった、モリアーティとしての宝具だ。
全てを計算し、隣人であったはずの力の一端を、現代に再構築する。巧一朗が『糸』で縛りつけるならば、モリアーティは『数』で証明してみせる。
「我が最終式、終局的犯罪をここに証明する。世界は破滅で満ちているからネ。」
「それが、貴女の、力。」
キャスターが拳を突き出すと、無数の刃がウラルンを捉え、一斉掃射される。その数は、今まで巧一朗が酷使してきた疑似英霊の数に等しい。
「証明完了—————『終局的犯罪(カタストロフ・クライム)』」
無数の刃は一匹の大鯨のように、ウラルンの元へ降り注いだ。
力を出し尽くしたキャスターは、ぐったりとその場で倒れ込む。
これ以上の戦闘は、モリアーティそのものの霊基消失へ繋がるだろう。ウラルンを殺して、逃亡するしかない。
「巧一朗、まだ眠りこけているのか。」
キャスターはヨロヨロと立ち上がり、彼の元へ歩いて行く。
ウラルンがどうなったかは分からない。今は逃げることが最優先だ。
「くそ、君は何故だか重いから、背負いたくないんだよ。」
文句を言いつつも、巧一朗を抱え、二人で逃亡を開始した。
何とかバングルは守り通せただろう。
だが、現実は非情であるものだ。
女性の無機質な音声が鳴り、ウラルンは新たな姿へと変貌した。
そして、その刃の悉くを、手に持つ『盾』で防ぎ落した。
〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムシールダー』:『アキレウス』現界します。〉
「ヴェノム………………シールダー…………?」
ウラルンは先程と打って変わり、黄金の鎧を身に纏っている。
そしてその手には、巨大な盾が握られていた。
「嘘だろう…………?」
キャスターは絶句する。
だがもう、彼女にはウラルンから逃げ延びる術は一切残されていない。
真なる絶望が彼女を襲う。
もう、彼女が生き残る未来は消え去っていた。
「はぁ…………ここまでか。すまないね、巧一朗。」
白銀の探偵が死に、モリアーティが死に、そうすれば
彼女が、目を覚ます。
そして、オアシスは美しい終焉を迎えるだろう。
「これが本当の、終局的犯罪、かもね。」
キャスターは空を仰いだ。ここまで内なる怪物をよく押さえつけられたなと自分に感心する。
間桐桜の選択は正しかった。
———『偽証のアルテラ』。君の出番だ。
「おーい、キャスター!巧一朗!大丈夫か!」
キャスターは声の主の方を振り向く。そこには全力疾走で駆けつけた、鉄心の姿があった。
「鉄心、呼んでおいてなんだが、ここは余りにも危険だ。彼女は只者じゃない!」
「彼女?」
「そこにいるだろう?」
「いないけど……?」
キャスターがウラルンのいた場所を確認すると、既に彼女はどこかに消え失せていた。
何か用事があったのか、要請があったのか、兎に角キャスターは命拾いしたようだ。
「は……はぁ~~~~~~~~」
「大丈夫か?」
「だいじょばない。本当に、一年分くらいは仕事をした気分だよ。」
「お、おう、とりあえず、巧一朗を救護センターへ連れて行かないとな。ナイチン先生のクリニック、あそこなら夜間も対応しているだろう。」
「あれ小児科じゃなかったか、まぁいいや、ナイチン先生の優しさに触れれば、巧一朗も戻って来るだろう。」
こうして、霧峰探偵事務所の協力もあり、第四区博物館は、金色のバングルを守り通した。
誰一人欠けることが無かったのは、不幸中の幸いだろう。
※
後日。
霧峰探偵事務所の戸を叩いたのは、菓子折りを持った優樹であった。
龍二とジムの奮闘もあって、金色のバングルは無事、第四区博物館へ保管された。
第五区の介入も、それ以上は無かったようである。
「霧峰さん、お疲れ様でした。依頼料と、これ、つまらないものです……が……」
探偵事務所の扉の先に仁王立ちで構えていたのは、彼の知らない人物だ。
「あ、あの、どちらさまで?」
「バイトです。」
「バイト?ここで?」
「あー、優樹クン、ごめんね、態々。紹介するよ、探偵事務所の雑務を担ってくれている……」
「室伏ネムです!」
「そして俺がネムお嬢の執事であります、メスメル〔オルタナティブ〕です。」
「お、おう、はい。」
事務所の奥で、ジム・バーネットが満面の笑みでサムズアップする。
優樹は頭を掻きながら、片付いた探偵事務所の中に入って行ったのだった。
※
第四区博物館、地下施設にて。
キャスターは、桜館長と相対していた。
「かなり今回はまずかったよ。危ないところだった。」
「そうみたいですね。」
「そうみたいですねって、他人事みたく言わないでくれ、『元マスター』。」
「災害以外に、此方を脅かしてくる存在がいようとは、私としても想定外でした。こうなると、対災害用の手札は増やしておくべきでしょうね。」
桜館長は優雅にインスタントコーヒーを飲んでいる。
キャスターとしては、呆れる他ない。
「モリアーティ、貴方の召喚者は私です。だからこそ、私は貴方の多くを知っている。でも、貴方の主人格は貴方では無い。六人のマスターを看取りながら、オアシスに浮遊していたか細い霊基、それが貴方と、セイバーの端末に取り付いている。そこまで私には考慮できませんから。」
「白銀の探偵か。私が彼を捕まえ、取り込んだ。私だけではセイバーの制御は不可能だった。私という存在の全てをかの化物に悟られた時、主人格は乗っ取られるからね。『破綻者(コラプスエゴ)』とはそういうものなのだよ。」
「セイバーの端末にモリアーティそのものを支配される前に、主人格を探偵へ入れ替えた、ということですか。」
「そう。セイバーが目覚めるには、膨大な魔力で一時的に我々を黙らせるか、白銀の探偵を掌握する必要がある。化物は、探偵の名ですら未だ推理できていない。」
「名が知れたら、バッドエンドですか。それは余りにも危険な賭けではありませんか?いつか必ず、その名に辿り着く者が現れるでしょう?というかこういう話も、今はマズいのでは?」
「大丈夫、今は私の中で眠っているよ。起きている方が珍しいくらいだ。」
「それなら安心ですが……で、どうなんでしょう?そのやり方ではいつか綻びが生まれると私は思うのですが。」
「くくく」
「何が可笑しいんです?」
「桜、君は正しい。正しいが、モリアーティという人間を君はよく知らないようだ。」
「どういうことですか?」
「犯罪界のナポレオンと呼ばれた私が、そのような抜け穴を用意すると思うかね。完全犯罪メーカーだよ、私は。」
「つまり?」
「白銀の探偵には、元々『名前』なんてものは存在しない。」
「名前が、無い?」
「そう、実体が無い、と言い換えてもいい。どこにでもいるように見えて、どこにも存在しない。彼を証明することは、私にも難しいだろう。」
「ふーむ、良く分かりません。」
「せっかくだ、クイズ形式で話そう。まず『破綻者(コラプスエゴ)』という霊基についてだ。これは歴史において人間のカテゴリーにいながら、存在が認められない者や、複数の人格が入り混じる者に、当て嵌められるクラスだ。」
「オアシスという特殊環境が生み出したエクストラクラスですね。」
「では問題だ。例えば、探偵と犯罪者、アカイアとトロイア、水と油の存在が『破綻者』に成り得るだろうか?」
「それは、なるんじゃないですか?破綻していますし。」
「答えは『ノー』だ。いくら破綻しているといっても、自我の強すぎるものが駆け合わさることは無い。霊基として成立する以前の段階で、対衝突し、退却するだろう。混ざるには、混ざるだけの根拠が必要なんだ。……まぁ、最近私も認識したことだがね。」
「え、でもその説明だと……」
「そう、モリアーティなんて存在は、油の頂点みたいなものだ。水に決して混ざり合うことは無い。探偵と、同居する可能性など、万に一つも有り得ないのだよ。」
「いやいや、でも現状そうじゃないですか。」
「つまりだ。白銀の探偵は『探偵』でありつつも、モリアーティと混ざり合うだけの、根拠、を有していると考えるのが自然な筈だ。」
「探偵、なのに、まさか、『犯罪者』なのですか!?」
「そう。霧峰探偵事務所の『ジム・バーネット』のような存在であれば、モリアーティの霊基と溶けあうことが出来るのだよ。」
「なる……ほど……」
「では次だ。桜は当然、巧一朗の『招霊転化』を知っているな?」
「ええ、オートマタの電源を落とし、そこへ虚数海の『隣人』を召喚する魔術ですね。」
「あぁ。でもこれ、良く考えてみると、おかしな話なんだ。オートマタの電源は、アインツベルンの用意した安全装置(セーフティー)であり、本来の用途は、サーヴァントが万が一暴走したり、災害に反旗を翻したりしない為の、強制霊基消失システムである筈。では何故、毎回、キャスターとしての私はオートマタに宿るのだろう。それも、記憶を引き継いで、だ。」
「確かに、そうですね。」
「これには私も驚いたが、これは実は白銀の探偵の持つスキルが関係しているのだよ。巧一朗が虚数海に『糸』を垂らすのと同じように、探偵は『糸』よりも頑丈な『紐』を括りつけて、霊基の消滅を防いでいる。」
「どういうことです?」
「探偵は、オアシス式召喚では無く、通常の聖杯戦争と同じように召喚されているという事だ。それも巧一朗の意志では無く、オアシスそのものの意志として。探偵の持つスキルは『単独顕現』。探偵は気ままに、オートマタに宿ったり、別行動をしたり、自由気ままに生きているのさ。」
「…………貴方の説明だと、モリアーティよりも『恐るべき』存在と言いたいようですが。」
「あぁ、そう言っている。だがどういう訳か、白銀の探偵は興味のあることにしか行動を起こさない。巧一朗のことは割と、気に入っているようだがね。」
「……結局、どなたなんです?その白銀の探偵は。」
「整理しよう。
まず、第一に、探偵には『名前』が無い。
第二に、探偵は『探偵』であり『犯罪者』である。
第三に、探偵は気ままに『単独』で生きている。消滅しない、とも言えるかな。」
「…………………………まさか。」
桜が辿り着いた答えは、口にせずともモリアーティには理解できた。
幻のごとく存在し、推理を披露しては、どこかへ消えていく『名探偵』。
探偵には、最期まで、『名前』が与えられなかった。
もし彼を呼ぶならば
ヒトは彼をこう呼称するだろう。
『隅の老人』と。
【マリシャスナイト:『探偵vs怪盗』 完】