ついに蹂躙編開始です!
感想、誤字等ありましたらご連絡ください!
【蹂躙編 プロローグ『サハラの生還者』】
災害のキャスター消滅から十日が経過した。
開発都市オアシス千年の歴史が塗り替わり、新たな時代が始まろうとしている。
そして、富裕層の住まう開発都市第六区もまた、激動の日々を迎えていた。
人々にとってこの一週間は、地獄そのものであったろう。
そして今なお、彼らは悲劇の真っただ中にいる。
柳生石舟斎宗厳が師範を努める柳生剣道場にて、彼は真剣を杖代わりに膝をつき、息を切らしていた。
彼の後ろには、習い事に精を出していた筈の、無力な少年たち。
彼の前には、少年たちのボディガードを担っていたサーヴァント。
少年たちを守るべき彼らは皆、戦闘不能に陥り、倒れ込んでいた。
石舟斎の必死の立ち回りにより、彼らは消滅を免れている。だがそれも、時間の問題と言える。
ものの数分でこの惨状。彼らの敵は、その圧倒的な力を遺憾なく発揮した。
石舟斎は全身汗と血に塗れながら、道場の壁を壊して回る敵を睨みつけていた。
二足歩行の雪男のような見た目であるが、齧歯類のような鋭い牙を有している、サーヴァントならざる悪獣。
古代中国神話にて英雄『后羿』に退治された怪物『鑿歯(さくし)』である。
この悪獣は突如、この剣道場の目前に召喚され、暴れ回っている。
神話の獣であるが故に、並のサーヴァントでは到底及ばない。三騎士のサーヴァント達がいとも容易く殴り倒されていった。
唯一善戦したのは石舟斎。一切動じることなく、鑿歯とのプロレスに応じたのだ。だが、神獣が如き存在は最初から一対一の戦闘を好まない。決闘では無く、殺戮。鑿歯は剣道場内にいた戦闘不能のサーヴァントを蹴り、投げ飛ばし、石舟斎を翻弄する。
結局彼はこの獣を前に、守る為の戦いを強制され、ついに膝から崩れ落ちたのだ。鑿歯の興味が子ども達へ向けば、もはや惨劇は逃れられない。無論、石舟斎はその前に、食らいついてでも止めるつもりだ。自らの命を賭してでも、少年たちを守ることを覚悟している。
「先生……」
「案ずるな。この石舟斎、肉体は老いようと、心までは朽ちておらん。柳生剣道場で習ったことを、覚えているかな?」
「まろばし、です。どんな時でも、落ち着いて。」
「左様。貴殿らがそれを忘れぬ限り、柳生の教えは末代へ継がれる。ならば我が第二の生に悔いは残らず。」
石舟斎はゆっくりと立ち上がる。その両手に一本の剣を携えて。
鑿歯は破壊活動に準じながら、無力な人間、無力なサーヴァント達を嘲り嗤っている。
自由気ままな殺戮こそ、鑿歯の生きる喜びだ。
怪しく光る瞳は、未だ戦う意思を有する石舟斎を捉えた。
鑿歯は一リットル余りの唾液をまき散らしながら、老体へと飛び掛かった。
「破っ!」
石舟斎は目にも留まらぬ早業で、鑿歯の四肢を切り落とす。
それは匠の剣技。たとえ平教経であっても、辿り着けない境地だ。
切断された肉塊は道場の四方へ転がっていく。
だが、鑿歯は止まらない。
この悪獣は、災害のバーサーカーの手によって蘇りし存在、よって神話級の恩恵が与えられている。
切断した断面から瞬時に手足が再生する。そして何事も無かったかのように、石舟斎をその両腕で絞め落した。
「蜥蜴の尾……か」
鑿歯は老体に馬乗りになると、力の限り、石舟斎の顔面を殴り続ける。
その慈悲なき暴力に、生徒たちは嗚咽する。
もはや彼の消滅は逃れられないだろう。
「よもや…………」
鑿歯は悪魔のように嗤い、殴打を繰り返す。
石舟斎はあらゆる箇所から血を噴き出しながら、それでも悪獣を睨み続けた。
そして鑿歯が渾身の一撃を振り下ろす瞬間、彼は目を見開いた。
「遅いぞ、英雄殿。」
石舟斎は、鑿歯の最後の攻撃が、自らに届かないことを知っていた。
そう、彼はギリギリのところで救われたのだ。
待ち望んでいた、増援がそこに。
鑿歯の胴体は天井を突き破り、道場外まで吹き飛んでいく。
この悪獣も、何が起きたかを理解していなかった。
「遅れてすまない。後は拙者たちに任せろ。」
血に飢えた獣を切り裂く一閃。それは開発都市第六区において最強と名高い男の一振りだ。
遠坂組最高戦力『平教経』が駆けつけたのである。
教経は遠坂組のサーヴァント部隊を引き連れ、この場に現れた。
彼はバーサーカー『舩坂弘』を含めた全部隊サーヴァントに、子ども達やそのボディガードの救護を任せる。
鑿歯のような物の怪の類を相手取るのは、教経以外には厳しいだろう。それ故の判断であった。
剣道場からの避難経路を確保した後、鑿歯が吹き飛んだ先へ、単身向かって行く。
彼の耳元に装着された通信ユニットから、参謀である衛宮禮士のオペレートが届く。既に教経は禮士のお陰で、鑿歯の回復速度を計り知っていた。
「拙者だ。救護対象は全て回収した。ぱーくおぶえるどらーどの開門を頼む。」
〈あぁ。既に受け入れる体制は整っているよ。鑿歯は?〉
「禮士の見立て通り、数十秒の内に全ての傷は癒えるだろう。宝具を用いて、一撃のもとに消滅させねばなるまい。」
〈あまたん……海御前も急ぎそちらへ向かっている。念には念を込めて、ね。〉
「それは心強いな。」
教経は道場の外で鑿歯が再生するのを確認すると、通信ユニットの電源を落とした。
そして愛刀『桜丸』を携え、鑿歯の元へにじり寄る。
悪獣は完全復活を遂げると、壊れかけのスピーカーのような声で空に吠えた。
「参る。」
教経は大きな一歩を踏み込むと、鑿歯へ急接近する。
暗殺者のような身軽さで巨躯の教経が近付いて来ることに、鑿歯はただ驚くことしか出来なかった。
この軽やかさは、以前、石舟斎の元で学んだ『無刀取り』の型に近い。素早く敵のレンジに入り込み、一瞬のうちに決着を付ける。
手の持つ刀を十文字に振り、鑿歯の肉を切り裂いた。
だがそれは掠り傷で終わる。
鑿歯はその類まれなる動物的直観で、刀の軌道を読み切っていた。レンジから退くことは出来ないにせよ、最小限のダメージで抑え込む。
そしてすかさず反撃に出た。剣のような硬度を持つその前歯で、教経の腕にかぶり付く。
「くっ……!」
教経の腕に突き刺さる二本のナイフの如き牙。
貫通し、穴の隙間から血液が漏れ出す。
鑿歯はそのまま腕を食い千切るつもりで教経を押し倒そうとする。この悪獣の怪力を以てすれば、人間の腕力に劣る筈も無い。
だがどうにも、この鑿歯という怪物は大きな勘違いをしているようだ。
教経は神霊級のサーヴァントでは無い。鑿歯の思考範囲における人間のカテゴリーで間違いないだろう。
しかしながら、この男は『平家一門』である。海の藻屑になろうとも、源氏への怨念のみで化け蟹や河童に生まれ変わった猛者たちだ。
平教経はその生前に悔いは残していないが、それでもこの男の執念深さは平家随一と言っても過言では無いだろう。
鑿歯の牙が突き刺さる箇所、その筋肉を極限まで引き絞る。結果、鉄のような彼の肉を嚙み砕くことは叶わなかった。
それどころか、鑿歯の前歯を抜くことすら許さない。鑿歯はここで初めて、自らが追い詰められていることに気付いた。
教経の対人宝具『抜刀白魔』はその刀で捉えたもの全てを一撃で切り捨てる必殺技。だが鑿歯の速度と強固な前歯に阻まれる可能性は大いにあった。だからこそ、肉を切らせて骨を断つ、そんな選択をしたのだ。
この悪獣を切り捨てるには、片腕もあれば充分である。
「刃を満たすは空蝉の朱
友成の鉄、並べて腐らず」
古備前友成の打ちし愛刀に光が宿る。何人切り捨てようと、その切先が折れることは無い。
鑿歯は必死の抵抗を試みる、が、無念。
前歯が抜けるより先に、教経がその刀を抜いていた。
「此れ称するに『抜刀白魔』」
下から上へ、彼の刃は弧を描く。
その絶技はえらく静かに、それでいて確実に成された。
鑿歯は断末魔を轟かせることも無く、ただ砂となり、風に流されていった。
大英雄『后羿』の倒した六の悪獣、その一匹を完全に消滅させたのだった。
「………っ」
鑿歯が塵になるのと同時に、前歯が抜けた腕の穴から大量の血液が漏れ出した。
教経は布を巻きつけ、ふらふらと歩き出す。遠坂組総本山にて治癒を施さなければならない。
彼は通信ユニットを起動し、禮士の指示を仰いだ。
「禮士、『鑿歯』の討伐に成功した。一週間前、我々が取り逃がした個体と同一だ。」
〈ご苦労様。流石、遠坂組最高戦力、だな。〉
「悠長にはしていられない。后羿の伝説ではあと五体、似たような獣がいるのだろう?対策を練らねば……」
〈そうだな。まずはこちらに戻ってきてく…………〉
禮士の声が止まる。
教経はどうしたと呼びかけるが、数秒間反応が無かった。
緊急事態の発生が考えられる。
〈教経、君のいる場所の近くに高濃度の魔力反応を確認した。鑿歯と同じものだ。そちらへ急激に近付いている!〉
「やれやれ、休む暇など与えてはくれまいか!」
教経を強敵と認識して、なお襲い掛かる第二の悪獣。
獰猛な双頭の大型猪、魔猪のカテゴリーに含まれるだろう。
その名は『封豨(ほうき)』。剣道場を前足で押し潰し、堂々と教経の前に現れ出た。
教経の口から自然と漏れ出た言葉は、大きい、という一言。
それもその筈、歴史文献における封豨はこのように全長二十メートルも無かった筈だ。
否、記載が無かっただけかもしれないが、それでもこれは規格外である。
妖の類と戦った記憶のある教経でも、ここまでの巨大さは初だろう。
もし猪の速度で体当たりされようものなら、即座に教経の肉体は霧散するだろう。
現に、封豨の鼻息だけで、彼は数歩後退させられている。
「禮士、通信を切るぞ。」
〈いや、この戦い、俺も参戦したい。もうまもなく、あまたんが到着する。通信越しで悪いが、俺の指示通りに動いてくれないか?〉
「何か策があるのか?」
〈あぁ。これでも元軍隊の参謀だからね。作戦立案には慣れているのさ!〉
「なら任せよう。龍寿(マスター)も認めたその手腕。拙者にとくと見せるがいい。」
そして到着した海御前を交え、彼らの戦闘は開始した。
教経と海御前は高速で封豨の周りを走り回り、その刀で、槍で、肉を裂く。
が、しかし、封豨の体表は硬く、安易な攻撃では傷一つ付かない。
この悪獣にとっては蚊に刺される程度のものだ。動じることなく、それどころか欠伸をしている始末。
鑿歯とはまた異なるタイプの害悪獣だが、防御面に関しては封豨の方が数段上だろう。
〈生らかな攻撃は屁でも無い、か〉
「禮士さま、どうしましょうか?」
〈目や鼻といった、通常ならば弱点になるだろう部位への攻撃はどうか?〉
「鼻は不可能だ。息をするだけで軽々と吹き飛ばされる。目を刃で抉るか。」
教経が跳躍し、その眼球目がけて刀を突き入れると、流石の封豨も覚醒したのか、暴れ始める。
前足をばたつかせ、首を左右に振り回し、二人を払いのけた。
そしてその瞬間、後ろ脚に力を籠め、突進攻撃に転じる。
海御前の機転で、巨大な水球を生み出し、これを阻止。クッションとなって弾き返そうとするが、水のボールはいとも容易く割られてしまった。結果、彼らは封豨の顔面タックルを直に受け、後方に飛ばされていく。
もし水球のバリアすら無い状態で攻撃されていれば、一撃で戦闘不能に陥っただろう。
「此方の水が、割られた……」
「元来、封豨は雨降らしの神と祀られた獣だからな。水は彼奴の専売特許でもあるのだろう。」
「なに?此方は役立たずと言いたい訳?」
「言っていない。現に水の盾が無ければ拙者たちは敗北していた。戦い方次第、ということだ。」
教経は体毛を濡らした封豨を見て、その特性に勘付いた。
そしてそれを禮士へと伝える。
「禮士、封豨は水を皮膚から取り込む性質があるようだ。雨に纏わる獣ということは……」
〈鯨の潮吹きのような器官が存在し、体内の液体を一度に噴出しているのか。それが封豨の雨降らしの正体……〉
「海御前の水を用いた戦術は通用しない。本来ならば戦闘スタイルを変えるべきであるが、拙者はむしろこれを利用できると考えている。」
〈そうだな。俺もそう思うよ。今から俺が伝えた通りに動いてみてくれるか?〉
「ああ。やってみよう。」
禮士は教経と海御前両名に作戦の概要を伝える。
その間にも、封豨は暴れ続けている。次なる突進を間一髪で避けた彼らは、禮士の指示を受け、各々準備に入った。
まずは教経から。
封豨の後ろに回り込み、宝具を発動する。タイムラグを最小限に抑える為、海御前が封豨の前に立ち、囮になっている。
教経の絶技は、強力な対人宝具『抜刀白魔』のみならず。
彼が過去に経験した戦場を部分的に切り取り、現代において再構築する。
それは平家一門にとって有利な海上戦の再現であり、この幻想は平家の者に絶大なステータス増強の恩恵を与える。
第六区の田園に突如、大量の水が注ぎこまれ、そして無数の舟が浮かび上がった。
海御前は当然、その光景を知っていた。平家最後の輝きにして、彼らの嘆きが残る場所。
即ち、それは、壇之浦。
『壇之浦・艘舞台(だんのうら ふなぶたい)』
突如、田園を飲み込んだ水流に、封豨は圧倒される。
教経と海御前は流れてくる木造の舟に飛び乗ると、封豨の様子を見守った。
この悪獣もまた船の上にその足を乗せる、が、その体躯で乗船出来る筈も無く、壊れた木片と共に、教経の海へ沈んでいった。
そして直後、轟音と共に、彼らの舟が暴れ出す。
沈んだ封豨が海水を急速に飲み始めたのだ。無類の吸水率を誇る封豨により、数秒の内に教経の幻想は打ち破られる。
海を飲み込む魔物。それは彼らも相手にしたことの無い、破格の存在である。
教経の敷いた壇ノ浦の景色の一部分は消滅し、彼らはぬかるむ田の中へ舞い降りた。
ここまでは、禮士の思い通り。
「禮士さま」
「さて、ここからが勝負だ、あまたん!」
「はい!」
封豨は強烈な曖気と共に、両足を大きく広げた。
この怪物が飲み込んだのは幻なりとも、海そのもの。その重さは身体を鈍らせる。当然、吐き出さなければまともに戦闘など行えない。
双頭の中央、首の根本から、庭園の噴水のように水が噴射される。
そしてその瞬間を、海御前が逃す筈も無かった。
「やああああ!」
海御前は手に持つ長槍を振り被り、全身の力をバネに、封豨へ向かって投げつけた。
そしてそれは見事、封豨の噴出口へ突き刺さる。
槍が栓となることで、封豨はその気持ち悪さを体外に出すことが出来なくなる。
「今だ!あまたん!」
海御前は右の掌を頭の上に乗せ、左手で祈りを捧げる姿勢を取った。
彼女は水を操る大妖怪。槍の先端から封豨の体内の水へとアクセスする。
『骨を撫でれば時雨来りて
皿を砕けば雷走る
此れ称するに』
封豨の体内で、水が龍のように暴れ回る。この怪物の内側から食い破り、全身の穴が裂け始めた。
『天河破(あまがっぱ)』
海御前、第二の絶技。
水中に落ちる人間を容赦なく喰らい尽くす為に編み出された技。
槍の先、水の流れを変化させることで、水面に上がる希望を絶たせる。
今回は、封豨が海を飲み込んだために、体内で発現させることが出来たのだ。
次々と内側から外へ水が溢れ出し、封豨の固い皮膚は崩れていく。
そして露出した心臓を、教経の刀が二つに切り落とした。
見事、彼らは二体目の悪獣『封豨』の討伐に成功したのだった。
〈今度こそ、お疲れ様。流石に三匹目の来襲は無いようだ。〉
「そうでなくては困る。こちらもそれなりに消耗している。」
「ですが、まだこのような悪獣が少なくとも四匹はいるということですか……。神秘渦巻く時代の者でなければ対応できないというのも、難易度に拍車をかけているような……」
〈そうだね。俺たちに残されている時間はあまりない。出来ることをやっていくしかないよ。〉
教経と海御前は同時に頷くと、通信を落とした。
そして禮士もまた、オペレーションルームで通信を切った後、椅子にもたれ掛かり、大きく伸びをした。
本来この広い部屋には遠坂組のメンバー十数名が揃っている筈である、が、今は禮士を含めても二人しかいない。
禮士は現在のオペレーションの相方であるリカリーへと声をかけた。
「リカリー、『鑿歯』と『封豨』の戦闘データは?」
「バッチリです……と言いたい所ですが、まだ解析できていない箇所もありまして、本日中にはまとめて提出いたします。」
「やはり、こうもスタッフがいないと、一人当たりの仕事量が半端じゃないな。」
「仕方がありません。災害のバーサーカー『后羿』並びに、ミヤビ・カンナギ・アインツベルンの宣戦布告が一週間前に行われてからというもの、第六区は変わってしまいましたからね。」
ミヤビの独立部隊『三狂官』の一角、松の席、それがまさか災害のバーサーカーであるとは全ての人間が予想していなかったことだろう。彼女は災害を自らのコントロール下に置き、遠坂組のある第六区へと攻め込んできた。
后羿自身はまだ戦闘を行っていないものの、その使い魔である中国神話に名高き六の悪獣が解き放たれ、あちこちで暴れ回った。遠坂組の先鋭達は悉く敗北を喫し、残されたサーヴァントは教経、海御前、アマゾニアを含めた、あと僅かである。
開発都市第四区から来訪した、鬼頭充幸。そしてまさか生存していたマキリ・エラルドヴォールらの協力もあり、悪獣たちを一度は逃亡させることに成功した。だがこうして再び姿を現し、殺戮を開始したのである。
そして、第六区の区民は皆、パークオブエルドラードに一時避難をした。
当然、シェルターへ逃げることを拒否する者もいる。彼らは奇跡的に生き延びている者もあるが、その大半は獣に食い殺された。
親の命令で、普通の日常を過ごすことになってしまった子らもいる。それが先程、剣道場にいた少年たちだ。
教経が間に合わなければ、石舟斎共々、鑿歯に殺されてしまっていただろう。
シェルターに逃げた富裕層もまた、遠坂組への不信感を抱いている現状だ。
災害との共存を謳っていたにも関わらず、このような事態になったのだ。そして第六区の災害こと、焔毒のブリュンヒルデは何処か別の区に姿を晦ませたらしく、龍寿の災害融和政策は水の泡と化した。
龍寿を含めた遠坂組幹部たちは毎日、区民会議と第三者説明会に明け暮れ、身動きが取れなくなっている。
結果、禮士が教経に指示を出すマスター役に抜擢され、今日も戦い続けていたのだ。
「ここ最近、休めない日々が続いている。リカリーもあまり無理はせず、眠れるときは眠っておきなよ。」
「そういう禮士殿は休まないのでしょう?」
「…………俺はリラクゼーションルームへ行くよ。俺も少し休みながら、昔のことを思い出してみる。后羿とは浅い関係じゃないからな。」
リカリーは禮士の背中を見送り、溜息をついた。
これからのこと、不安に思っているのは何も区民だけでは無い。きっと第六区の誰もが、来るか分からない明日を思っているのだ。
だから禮士はきっと、リラクゼーションルームにおいても休息しないだろう。
だが、災害のバーサーカーのことを誰よりも知っているのは禮士だ。
無理をしないで欲しいと、声をかけられればどれ程良かったか。だが、それは出来ない。今は禮士だけが頼りなのだから。
※
禮士はリラクゼーションルームの休眠用ソファーに深々と座り、自らの魔術を行使する。
彼の魔術は自らの脳へ訴えかけるもの。
例えば、「固有時制御(タイムアルター)―神経拘束(アルファホールド)」という技がある。これは自らの脳神経へ直接アクセスし、無理に刺激を与えるもの。臨死体験を強制的に起こし、自らを走馬灯状態にする。結果、通常の時間軸において彼だけが誰よりも多く、深く、物事を考えられるようになる。こうして彼は様々な戦場で、参謀の役目を果たし、作戦立案に貢献してきた。
現在の彼は、サハラの地で自らのサーヴァントに『薬』を飲まされた結果、肉体の不老が無くなった。いつか来る生命の終了を先延ばしにされた状態である。回復力も若い年代の青少年とさほど変わらない。こうしてオアシスで数百年間、のらりくらりと生きてきた。
だが彼の脳だけは違う。脳は決して若返らない。彼が自らの魔術を行使する程に、ゆっくりと時間をかけて機能不全に近付いている。
短時間であれば問題は無いだろう。だが、彼が今からやることは、きっと長い時間をかけなければならない。
そう、彼はサハラの聖杯戦争の参加者であり、その記憶の殆どを、脳内の宝箱へ隠し、鍵を閉めた。
いつか后羿と相対するその時まで、絶対に忘れていまわないように。
禮士はこれから、その箱を開けるつもりだ。今こそ、サハラの記憶に向き合わなければならない。
「固有時制御(タイムアルター)―神経新生(ニューロジェネシス)」
禮士は思考空間へダイブした。
線と線が複雑に交わる海の中で、彼は四つのキューブを手にする。
それは彼が隠しておいた自身の記憶である。砂漠にいた頃は二十近くに分散し、保管していたが、気付けば、その欠損は甚だしく、保全されているのは残り四個のみであった。
彼は早速、その一つを取り込み、その記憶を追体験する。当時の感覚そのものを、今の禮士自身に移植したのだ。
時は遥か昔に遡る。それはサハラの聖杯戦争が巻き起こる前の話だ。
禮士はヌアクショット空港の玄関口で待機している。
待機命令は慣れたものだが、こうも乾燥していると、用意した水分の減りが早い。
彼にとってここ、モーリタニアは初の来国である。
前提知識としてあるのは、世界最大のサハラ砂漠があること。だがそれ以上は知り得ない。
そもそもこの国は、魔術とは縁も所縁も無い筈なのだ。
禮士は薄汚れたコートに付着した砂汚れを適度に払いながら、物思いに耽っていた。
日中気温がヒトの体温を超えることもあるこの地において、禮士の身に着けている衣服は異常そのものだ。
半袖のカジュアルな衣服や、民族の伝統衣装ブーブやメラファが当たり前の中で、彼は冬物のロングコートを羽織っている。
通行人は誰しも、見るからに暑そうな禮士に視線を集めたのだった。
「ちょっとそこの男!」
甲高い少女の声がこだまする。
なお禮士は考え事をしている為、この声に気付いていない。
「そこの場違いなロングコートの男性!貴方よ!貴方!」
「…………」
「こっちを向きなさいな!」
禮士は自らより遥かに背丈の低い少女に、コートの裾を引っ張られる。
そしてようやく、自分が呼ばれているのだと気が付いた。
「貴方が衛宮禮士、ですか?」
「え、あ、あぁ、そうだが……」
「場違いな服装だからパフォーマーかと思ったわよ!というか、不潔だし、臭い!何日洗っていないのよ、この服!」
「えーっと、最後に洗濯したのは……」
「とにかく着替えなさい!このマーシャスフィール・フォン・アインツベルンの隣を歩くのです!気品に満ちた格好を心掛けること!いいかしら!?」
「君が、マーシャ…………?」
その背格好は凡そ小学生高学年。禮士が取引の際に相対した初老の男とは明確に異なり、どういう訳か、小さな子どもが禮士の待ち人の名を名乗っていた。
「マーシャさんは、君のお父さんかな?それともお母さん?」
「キィイイイイイイイ!違います!私がマーシャ!年齢は十二だけど、立派な貴方の取引相手です!これから聖杯戦争を共に戦うバディなのよ!」
「君が?」
「いいから子ども扱いは辞めなさい!貴方がこれまで取引していたのは、私の代理人です。現地集合にしたのも、ここまで来たら貴方は逃げ帰らないだろうと思ってのこと!どうせ子どもだと舐めてかかってくるだろうと思っていたわ!」
マーシャはその場で駄々をこねるように暴れ回る。禮士は何とか彼女の怒りを収めた。
「悪かったよマーシャ。君が俺の相棒だという事は分かった。これからよろしくな。」
禮士は彼女の目線まで屈み、握手の為の右手を伸ばした。しかしそれは叩かれ、拒絶されてしまう。
「衛宮禮士。私は貴方のことを良く知っています。当然、アインツベルンは貴方のことを調べ尽くしている。フリーの魔術使いで、各国の情報機関や軍隊を行き来しながら、何故かスパイとして捕まることの無い男。悪知恵と逃げ足が一級品だということもね。言わば今の貴方はアインツベルンの人質です。私が某国に突き出せば、貴方はデッドエンド。ですが大丈夫、私に協力する限りにおいて、貴方の無事は保証するわ。」
「それはどうも。」
「余裕そうな顔が癪に障るわね。私たちは、貴方に妻と子がいることを知っている。場所は、まだ見つけられていないけれど、それも時間の問題だから。立場を弁えなさいよ!」
「大丈夫だ、君たちでは俺の妻や子をどうにかできないだろう。」
「はぁ?どうして」
「…………五年前に二人とも亡くなったからね。妻は病気で、そして娘は事故で。娘は丁度、君と同じくらいの年齢だった。このコートは、娘が誕生日のプレゼントにくれたものなんだ。」
「あ……えっと、その、ごめんなさい。……イライラして、少し言い過ぎたかもしれません。」
マーシャは失言に対し、深々と頭を下げた。きっと根は良い子なのだろうと禮士は思う。
禮士はどことなく、マーシャの姿に懐かしい娘を見ていた。妻に似て、天真爛漫な少女だった。
「ところでマーシャ、俺は君のことを何となくしか知らない。代理人こそが真の取引相手だと疑っていなかったからね。今回、俺たちは聖杯戦争に参加し、六人のマスター、そして六騎のサーヴァント達と殺し合うんだろう?こちらが召喚するサーヴァントと、具体的にどう戦っていくか、そこを話したい。」
「私たちは二人でマスターです。サーヴァントへの絶対命令権である令呪は、二人で共有します。ですが、私の許可なく令呪を使用することは認めませんからね!……サーヴァントの維持コストである魔力は、アインツベルン家の私が負担します。禮士には不可能でしょうから。」
「俺には不可能?」
「それは、私が召喚したサーヴァントは非常に強力だという事なの。それだけ維持するのにもコストがかかる。その点は私、マーシャスフィール・フォン・アインツベルンを信じてくれて構いません。」
「その、召喚するサーヴァントは?」
「ふふふ、聞いて驚きなさい!中国神話最強と名高き、英雄の中の英雄です!その名は『后羿』!九つの太陽を撃ち落とした偉業を持つ、神に近しき存在です!」
「そ、それは凄いな。」
慎重な禮士でも、思わず勝ち誇りガッツポーズをしてしまいたくなる、それ程の存在だ。
まず以て、並のサーヴァントで后羿を超えることなど出来ない。戦う土俵にすら立てないだろう。
正直な話、参謀の禮士などいなくとも、あらゆる方向に矢を飛ばせば、無理に押し通して勝てそうな気もする。
「勿論、后羿の逸話は知っていますよね?『裏切り』だけはしないように。彼は裏切られることが大嫌いだから。」
「分かっている。」
「なら、よろしい。」
禮士はどこか得意げなマーシャを見て、疑問符を浮かべていた。
裏切らない保証はどこにも無いというのに、まさか后羿という強力なストッパーがいるから大丈夫だと能天気にも考えているのだろうか。
禮士自身、これまで数々の修羅場から逃げ延びてきた。策を弄すれば、たとえサーヴァントに狙われようと生還できる自信がある。
「邪推、かもしれませんが、この小娘は簡単に裏切れるだろうと思っていません?」
「え、いや、まぁ、そうだね。正直に、君が俺と組むメリット、デメリットを考えたらば、マイナスの方が大きく感じるのは俺だけかな?」
「貴方だけよ。……私には叶えたい夢がある。貴方の力が必要なの。」
「聖杯に託す望みか。」
「ええ。貴方は無欲な人だろうけど、きっと叶えたい夢があるでしょう?そう、それは私の夢と同じもの。」
魔術師らしく、根源に至ること、だろうか。
それならば禮士とは異なる。禮士は魔術使いに過ぎない。
マーシャの返答は、禮士の想像を超えるものであった。
「世界を救う、正義の味方になること。」
マーシャは自信満々にそう言い除けた。
それは実に子どもらしい純粋さに満ちていて、大人が皆忘れてしまったこと。
具体性の欠片も無い、滑稽な夢。だが禮士は、どこか納得してしまった。
「正義のヒーローになりたくない男子はいないわよ。」
「…………あぁ、そうだな。」
「だから、よろしく。禮士。」
今度はマーシャの方から手を伸ばした。
そしてそれを禮士はしっかりと握り締める。
「よろしく、マーシャ。」
傍から見れば親子にしか見えない彼と彼女の戦いはこれより始まったのだ。
そして、彼らが歩き出した所で、第一のキューブは消滅する。
禮士は忘れていた少女の名を思い出し、深く噛み締めた。
「マーシャ」
十二歳の、好奇心旺盛な少女。
彼女の自信満々な笑顔が、禮士の救いでもあった。
後ろに逃げることじゃなく、前に進み壁に立ち向かうこと、それを教えてくれた女の子だ。
禮士は次のキューブへと手を伸ばす。
第二の解錠。彼は目を閉じ、海の底へゆっくりと沈んでいった。
次なる記憶。それは聖杯戦争が始まってすぐのことだ。
禮士はマーシャと霊体化した后羿を引き連れ、テルジットへと訪れた。
テルジットはオアシスの中でも比較的過ごしやすいという事で、聖杯戦争の監督役が巨大テントの宿泊施設にて過ごしている。戦争に介入することは殆ど無く、こうして態々マスター側が出向く他ない。
死体の処理があったとしても、砂がそれを消し去ってくれる。
禮士はテントの外から監督役へ呼びかける。すると可愛らしい返答と共に、その入り口から躍り出た。
禮士は咄嗟に、マーシャの目を両手で隠した。
そう、この監督役は何ともエロティックな格好をしている。扇情的、蠱惑的な顔立ちと美しい肢体。来ている水着のような布地から今にも零れそうな胸。どれをとっても、子どもには目に毒だ。
「何をする、禮士!」
マーシャはバタバタと手足を動かし抗議する。だが彼女に監督役の姿を見せる訳にもいかない。
「あ、あの、暑いのは分かるが、何か羽織ってくれないか。子どもに見せるには、ちょっと。」
「暑くないわよ?だって私サーヴァントだし。」
「じゃあ猶更頼む。」
禮士の必死の懇願に口を尖らせながら、監督役はローブを羽織った。
マーシャはようやく解放されるが、禮士の足をポカポカと叩いている。
「で、今回はどういったご用件でしょう?」
「あぁ。監督役として召喚された、『ルーラー』、君に聞きたいことがある。」
このモーリタニアを舞台とする聖杯戦争には聖堂教会は関与していない。
そもそもサハラ砂漠という地で戦争が開始されるなど、誰もが認識外のことなのだった。
招かれた者だけが、この地で殺し合い、血で血を洗い、願望を叶えることが出来る。
戦争の立役者『テスタクバル=インヴェルディア』も秘匿という一点のみにおいて神がかりであったのだ。
「聞きたいこと?」
「聞きたいことは一つだ。この戦争を仕掛けたのは、ダーニックを師事していた男、テスタクバルで間違いないよな?その彼に、一体何があったんだ?」
「ええ、テスタクバルは実際にアサシンのマスターとして戦争に参加しているわ。」
「そのテスタクバルとアサシンが、昨日突如消滅したって、君から伝令があった。どういうことだ!?」
禮士の研究により、テスタクバルのサーヴァントは暗殺者のクラスであり、その真名が『蛇王ザッハーク』だと判明した。
その翌日に、彼らの死亡が伝えられたのだ。
「どうもこうも。最初の脱落者になった、というだけ。」
「誰に、殺された?」
「それは言えないわよ、というか知らないし。アサシンの霊基は消滅。そのマスターの遺体も現地の人間が発見。まぁアサシンに反逆されて殺されたんじゃないかしら。それで霊基を保てなくなり、アサシンは退却した。」
「戦争の立役者が、そんなヘマをするのか?」
「したから、こうなったんじゃない?もしくはマスター自身が何者かに殺された、はありそうね。貴方たちではなにのかしら?」
「俺たちは…………違う。」
「そう。聞きたいことはそれだけ?それなら、簡単な使い魔のやり取りで済んだだろうに。」
「ルーラーの口から、事実を聞きたかったんだ。それだけだ。」
「ふうん。そっか。ま、生き残れるように頑張ってねー。」
気の抜けた声で、ルーラーはテントへ戻って行く。
背を向けた禮士はふと足を止め、彼女に意味の無い質問を投げた。
「なぁ、ルーラー。貴方の正体は誰だ?」
禮士が振り返ると、彼女はその端麗な赤髪を指で弄びながら、彼をまじまじと見つめる。
禮士はその吸い込まれそうな瞳に見惚れてしまっていた。マーシャに袖を引かれ、ハッとして目線を逸らす。
「私の名前ね。いいよ。私は『ナナ』。エミール・ゾラの名作の主人公ってことになっているかな。」
エミール・ゾラの名作『ナナ』は、あるファムファタールの物語。
主人公であるナナは、その美貌を武器に、踊り子として、数々の男と夜を共にしていく。
高級娼婦として、自由気ままに生き、多くの人間を破滅させた。
彼女はただ一人で、男を、社会を、経済を、世界そのものを崩壊させたのだ。
武力では無い。ただ人を『魅了』し、『消費』した。
凡そ裁定者とは成り得ない傾国美女だが、彼女はこうして第二の生を謳歌している。
その名を聞き、禮士は彼女と関わらない選択をする。
彼女は容易く心の内側に入り込み、ドロドロと溶かし始めるだろう。
そして取り込まれ、骨までしゃぶり尽くされる。
禮士は手を振る彼女に警戒心を露わにしつつ、その場を去って行ったのだった。
そして彼らはレンタルした小型車両で、別のオアシスへと向かう。
宿を転々と移動することで、敵に悟らせないようにする。
これだけ広大ならば、長期戦となるのは必至だろう。
禮士が運転し、マーシャが助手席に座る。いつも通り。
ある程度道を進むと、マーシャが静かな寝息を立て始める。これもいつも通りだ。
だが今日は珍しく、もう一人の同乗者が禮士に声をかけた。
「禮士。お前は先程の女をどう思う。」
「后羿か…………あのルーラーは、かなり危険だとは思う。ただ気ままにサーヴァントとして楽しむ分には、大丈夫だと思うぞ。」
「あぁ。私としては伴侶に迎えたいところだ。否、側室か。あれは抱き心地のよい肢体だろう。」
「おい」
「冗談だ。やはりザッハークは消え去っていたか。肩の蛇を見れば、誰であろうともその名が分かるだろう。一度しか戦闘しなかったが、あの男は良き王だと私は思った。」
「悪王として有名だけどな。でも確かに、気持ちのいい性格はしていたな。」
「私の遠距離射撃にも真っ向から立ち向かってきた。本当に暗殺者かと疑う程にな。」
「敵ながら、惜しいか?」
「惜しいさ。血の滾る戦闘は嫌いじゃない。」
后羿は英雄らしい英雄だ。
より強い者をリスペクトし、それでいて、弱者は必ず保護しようとする。
だが狂戦士のクラスで召喚された后羿は戦闘発生時のみ、バーサーカーらしさを見せる。
つまり、戦い始めたら決して止まらない。相手が退くか、死ぬか、それまで得物を振るい続ける。
ザッハークとの戦闘も、暴走する后羿を止めることにのみ心血は注がれた。危うく、手の内全てを晒す所であった。
無論、彼が負ける姿は未だ想像がつかない、が、まだまだ強力な英霊が隠れているかもしれない以上、カードは慎重に切っていきたい禮士である。
ふと、小さな声で、マーシャが寝言を言い始めた。
禮士と后羿は会話を止め、少女の言の葉に耳を澄ませてみる。
「パパ……ママ……」
それは、既に他界している彼女の父母への愛くるしい呼びかけだった。
禮士も大切な人を失っているから、彼女の痛みが理解できる。きっと彼以上に、少女は苦しんでいる筈だ。
マーシャの父母は、何者かに殺害された。
彼らは知る由も無いが、それは遠坂輪廻がテスタクバルに拉致された日と同じ。
そしてその犯人もまた。
幼過ぎたマーシャは愛を知らないままに屋敷のメイドたちに育てられた。
きっと、父母を殺した犯人を恨んでいるに違いない。
そんな少女が『正義の味方』を目指して、今なお戦っている。
悪を許してはならないと。自分のような境遇の子どもを二度と生み出さない為に。
「禮士」
后羿はただ彼の名を呼びかけた。
言いたいことは、理解できている。
「あぁ。マーシャの為にも、頑張らないとな。」
禮士は静かな運転を心掛ける。マーシャの優しい眠りを妨げない為に。
そして第二の記憶のキューブは霧散した。禮士は広大な海に取り残される。
記憶の中で見た光景、そして開発都市オアシスにおける矛盾点。
禮士に中で浮き彫りになる疑念。
「ザッハークは消滅した、筈だ。」
何かが強烈に脳内をジャミングしている。
整合性が取れず、気持ち悪さを覚える。
だが荒い呼吸を整え、深く、より深く思考する。
開発都市第五区の災害はアサシンでは無い、かもしれない。
アサシンを冠する少女の、暴力的なまでの魅力を、禮士は覚えていた。
決して彼女に取り込まれてはならない。禮士はマーシャと、そして海御前を思いながら、謎を解明していく。
キューブに眠っていたのはルーラー『ナナ』のメモリー。
そして同じ顔をした災害のアサシン。
もし同一存在であるならば、災害のアサシンは『蛇王ザッハーク』などでは無い。
「ナナが、災害。」
禮士は次なるキューブに手を伸ばす。
そして第三の記憶が、彼の脳内に溢れ出した。
山岳地帯にて、后羿が何者かと交戦している。
彼の剣と敵の剣が激しい音を立て、ぶつかり合った。
禮士はそれを観察しながら、敵の正体を探っていた。
「あれは、セイバーか?」
その剣技はさることながら、重要なのは手に有した剣そのものである。
禮士どころか、誰もがあの大剣の名を知っているだろう。それ程にまで著名な聖剣だ。
その剣の名は『バルムンク』。邪竜を葬った呪いの聖剣である。
そして禮士は双眼鏡で、彼らの打ち合いを確認する。
目にも留まらぬ速さ、であるが、禮士ならばこれを追うことが出来るだろう。
ようは自らの脳の処理速度を早めればいい、というだけ。
彼は剣士の背中に集中した。
その場所が敵の弱点であれば、その名は恐らく大英雄『ジークフリート』であろう。
后羿に指示を出し、執拗なまでに背中を狙わせる。
だが以外にも、守る素振りは見せなかった。その手に持つ大剣を振り回すだけである。
「ジークフリート、では無いのか?」
后羿もまたその違和感に気付き、戦闘中ながらも躊躇わず声をかけた。
「その見事な剣裁き、流石は大英雄といったところか。」
禮士の指示通りの言葉を発する。
これにどう反応するかで、その真名が分かるかもしれない。そう禮士は考えていた。
「大英雄……だと?」
「あぁ。」
「俺は、俺は英雄なんて腐った奴らじゃねぇ!俺は『人間』だ!」
禮士にも、后羿にも分かる筈は無かった。
英雄という言葉は、この男にとって、特大の地雷であったのだと。
彼らの敵はバルムンクを携えたまま、大きく飛翔した。
そしてあろうことか、彼は何処からともなく『弓』を取り出し、バルムンクを矢のように番えたのだ。
「魔力急上昇!まずいぞ!宝具が来る!」
「く……」
后羿は防御の態勢を整える。
そしてセイバー、否、アーチャーの絶技は発動した。
『投射式幻想大剣・天魔失墜(シューティング・バルムンク)』
目を焼き尽くす様な閃光と共に、聖剣は射出される。
后羿の立つ大地目がけて、一筋の光線が貫いていった。
大地は二つに割れ、僅かばかりの植物は悉く燃え尽きる。
辺り一面がクレーターとなり、巨大な落とし穴のように陥没した。
そして燃えるものなど少ない筈の砂漠に火が立ち昇る。
「これが……宝具」
禮士のいる場所までその衝撃が伝わった。
直下に佇む后羿が無事でいる保証はどこにも無い。
「バーサーカー!!」
禮士は思わず叫んだ。
まだ彼の右手に浮かぶ共用令呪は消滅していない。
生存している、筈だ。
彼は双眼鏡で必死に后羿の位置を探す。
するとそこに写ったのは、華やかな武装をした、新たなるサーヴァントであった。
黄金の柄から伸びているのは虹色の剣。
彼女こそが真のセイバーであると禮士は悟る。
后羿は自らの前に、可憐な銀の髪の少女が立っていることに気付いた。
彼は守られた訳では無い。この少女に見覚えも無ければ、守られる所以も無い。
少女はにこりと口角を上げ、空に浮かぶアーチャーに向けて叫んだ。
「やぁやぁやぁ!聞いて驚け!見て驚け!我はセイバーのクラスを以て現界した、大大大英雄、英雄の中の大英雄!」
「その名を『ディートリヒ・フォン・ベルン』!」
「我は我が親愛なる友、アルテラの剣を振るい、英雄たちと勝負しに来た!」
セイバーはあろうことか、真名を高々と言い放つ。
ディートリヒは『シドレクス・サガ』の主人公。ドイツにおける伝説の大英雄である。
アルテラを友とし、巨人族などと戦い抜き、大王として大国を平和に導いた。
彼女は本来『エッケザックス』と呼ばれる巨人の魔剣を有している筈だが、今回は軍神の剣の模造品を武器に戦うらしい。
「どいつもこいつも英雄、英雄などと……」
「天にいるのは我が友『ジークフリート』だな!クリームヒルトの取り付けた薔薇園での熱き勝負、この胸に刻まれているぞ!花は無くとも、血は踊る!いざいざ勝負!」
セイバーはロケットのように急速に飛び上がり、アーチャーを剣で叩き落とす。地に落ちた二人は、互いの魔剣で激しく打ち合った。
耳を割る鍔迫り合いの音。禮士から見て、アーチャーは剣技を得意としないように見受けられた。というより、ディートリヒが剣の戦いにおいて強すぎる、というのもある。徐々にアーチャーは追い詰められていく。
「聞いても良いか、アーチャー。」
「何だ、よ!」
「汝、『ジークフリート』では無いな。」
「っ……!」
セイバーは虹彩の剣をしならせ、アーチャーを大きく後退させると、大きく溜息をついた。
「つまらん。汝は酷くつまらん。」
「な……」
「汝に我の相手は務まらない。」
セイバーは衝撃的にも、アーチャーに背を向け去っていく。
その隙だらけの背に、アーチャーは切り掛かることをしなかった。
どうやら彼のマスターから帰還命令が下ったらしく、指示通り、彼はこの場を後にする。
血が滲むほどに唇を噛みながら。
そしてセイバーは茫然と佇む后羿の元へと現れた。
彼女は切先を彼に向ける。次はお前だと言わんばかりに。
「バーサーカー、今セイバーと戦うのは危険だ。」
「…………」
「バーサーカー?」
禮士の呼びかけに彼は反応しない。
后羿の中で、戦闘のスイッチが入ってしまったようだ。
「■■■■■ーーーーーーーーー!」
后羿は声にならない声で雄叫びを上げた。
禮士は頭を抱える他ない。
「いいぞ、いざ!勝負!」
「行くぞ!セイバァァァァァアアアアアア!!」
后羿は自らが持つ武器の全てでセイバーに襲い掛かる。
彼女もまた、悪い笑みを浮かべながら、真っ直ぐに受け止めに行った。
彼と彼女の殺し合いは、結局、宝具の発動までは至らなかった。
しかしその戦闘時間は三時間にも及んだ。
結果はドロー。いや、禮士側が勝っていたかもしれない。
敵のマスターより、マーシャの持久力が上だった。ただそれだけのこと。
禮士の隣で、マーシャは酷く疲れた顔を浮かべている。
維持だけでも大変な后羿が、三時間も戦い続けたのだ。
禮士には、彼女の汗を拭う事しか出来なかった。
そして第三のキューブは塵となり、消え去った。
「次が最後、俺のサハラの記憶、最後の……」
禮士は一瞬、手を伸ばすことに躊躇する。
この記憶を思い出してはいけないと。
彼は震えていた。
その手が、足が、鼓動が、覚えているのだ。
「……ここで悩んでいても、仕方ないのにな。」
禮士は意を決し、最後のキューブを優しく掌で包み込んだ。
そして流れ込む。サハラの聖杯戦争、最期の日。
禮士の目の前で、二騎の英霊が戦っている。
禮士とマーシャ、その二人を背にしているのは、虫の息となった后羿。
そしてその敵は、以前とはまるで別人となった、セイバーである。
「はぁ、もう、死んじゃえば?」
セイバーは勝利の聖剣、失墜の魔剣、軍神の剣を次々と取り出しては、后羿の肉体を貫いていく。
もはや勝利は絶望的だと、禮士はそう結論付けた。
このセイバーは自らを『ディートリヒ・ヴェルバー』と名乗った。
元のディートリヒだった少女は何か大いなるモノに飲み込まれ、消滅した。
彼女の目的は、彼女自身が公言している。
『愛する者と、二人だけの世界を造り上げること』
即ちそれは、人類の滅亡を意味している。
ここで、サハラで彼女を止めなければ、文字通り世界が滅ぶ。
「セイバー、お前は誇り高き剣士であった筈……巨悪に負けてはならない」
「悪?どうして?愛する人と一緒にいたいというのは、悪いことなの?」
セイバーは后羿の腹部にエッケザックスを突き刺し、肉を抉り出した。
「■■■■ーーーー」
「あら、もう降参?」
もはや、立ち上がることは不可能。
禮士は、多大なる魔力消費により倒れたマーシャを抱き締めた。
「(この子だけでも……)」
それは決して叶わぬ望み。
理解している。セイバーは、本当に殺す。誰であろうと平等に殺す。
たとえ十二歳の小さな命であっても。
だが、分かっていても、懇願する。
もう誰も失いたくないと。
「助けて……ください…………」
セイバーは禮士を蔑み、剣を振り上げた。
慈悲など無かった。
あぁ、当然だ。これは『戦争』なのだから。
分かっているだろう?
「私と巧一朗の楽園に、お前達はいらないよ?」
そして剣は振り下ろされる
筈だった。
子を抱く禮士の前に、誰かが、立ち塞がったのだ。
「オレは好きだぜ。藻搔いてでも、生きるべきだ。やっぱりオレ、ナイスタイミングだな。」
それは禮士の知らないサーヴァント。
船乗りの格好をした好青年だ。このサハラの地で、生存しているサーヴァントがいたのだ。
彼は驚くセイバーの剣を弾き返し、彼の同胞を呼ぶ。
「頼むぜ!『ダイダロス』!」
「ライダー!名で呼ぶな!キャスターと言え!」
禮士の後ろから現れたフルアーマーの男は、宝具を起動する。
『万古不易の迷宮牢(ディミュルギア・ラビュリントス)』
それは固有結界宝具、だが、世界は塗り変わらない。
キャスターはその世界そのものを右腕に内包したままに、セイバーを殴り飛ばした。
ギリシアの堅固な大迷宮を物理的に使用し、世界そのものでセイバーへ拳を振るったのだ。
結果、セイバーはその霊基に深い傷を負いながら、地面に転がっていく。
「おー、流石だな。ここまで暴力的なキャスターは世界を探しても、そうはいないだろう。」
「五月蠅い。反撃が来るぞ!」
セイバーは恨み言をぶつぶつと口にする。
蠅に集られたことが、彼女には我慢ならないようだ。
「死ね!有象無象が!」
セイバーが黄金の柄を天に掲げると、虹彩が彼らの元に降り注いだ。
その一つ一つが霊基を消滅させる威力を持つ。キャスターの迷宮宝具により、それらは何とか防がれている。
「くそ、あと一撃、早くしなければ回復されるぞ!」
「え?今アンタが殴ってダメージを負わせたのに?」
「知らんのかライダー!ディートリヒは『いつか蘇る王』だ。彼女に死という概念は無い!」
ライダーとキャスターは身動きが取れない。
セイバーは彼らへの攻撃に集中している。
禮士に抱かれたマーシャが、荒い呼吸を必死に整えながら、その手の甲の痣に願いを込めた。
彼らはこの瞬間、初めて令呪を行使する。
『令呪を以て命ずる。悪い敵を倒して、正義の味方になって』
使用されたのは二画。
その瞬間、赤い糸で繋がれたように、后羿の元に残された魔力が注がれる。
虫の息だった英雄は、この瞬間、立ち上がった。
助けを叫ぶ声があるならば、戦うのが英雄だ。
后羿はまごうことなき英雄なのだ。
「行くぞ、セイバー、我が全てをこの矢に乗せる。これが最期だ。」
后羿は淡いオレンジ色に包まれながら、最期の矢を番えた。
そして余りにも静かに、彼はその絶技を口にする。
『后羿射日(こうげいしゃひ)』
その矢は太陽を射抜き、落としたもの。
即ち、神を撃ち落とす一射。
セイバーを殺すには、相応しい一撃だ。
「射抜け。」
矢を放った后羿は、その行方を見守った。
一直線に飛んでいく矢は、見事、セイバーの霊核を砕く。
「あぁ……あぁぁあああああ」
セイバーの体内は太陽の火で燃え尽くされる。
「巧一朗!巧一朗!あああああああああああああ!」
そしてセイバーはその場で倒れた。
もはや消滅は時間の問題である。
「やった……のか……」
禮士はマーシャを抱いたまま、ふらふらと立ち上がった。
ライダーとキャスターも、セイバーの死を確認し、安堵の溜息を漏らす。
「だが、まだだ。ここで消滅しても、彼女は必ず蘇り、世界を破滅に導くだろう。」
「ならキャスター。やはり理想郷は必須だ。オレ達の舟を出向させる為に。」
「多大な犠牲を伴うぞ。」
「……………それでも」
「やるしか無いか。世界を救うために。」
「…………あぁ。」
ライダーとキャスターの話し声は、禮士らには届かない。
禮士はゆっくりと、后羿の元へ歩いて行く。
「后羿、俺たちの戦いはここが終点だ。」
「■■■■」
「后羿……」
分かっている。
禮士はこうなることを予想できていた。
后羿の心に灯った火が消えるまで、彼の戦いは終わらない。
彼は、あくまでも狂戦士なのだ。
どこまでも、狂っていたのだ。
「■■■■■■■■■■■■■ーーーーーーーー!!!!」
后羿は全身から血を噴き出しながら、ライダーとキャスターのいる方角へ駆けて行く。
最期まで、彼はマーシャの願いを遂行するだろう。
だからこそ。
禮士は最期の令呪を使用する。
もうマーシャが苦しまない為に。
后羿を『裏切る』覚悟を決めたのだ。
『令呪を以て命じる』
禮士は深く深呼吸をし、最期の命令を下した。
『自害しろ。バーサーカー。』
そして禮士は、マーシャを抱え走り去った。
逃げ足だけが取り柄の彼が出来ることは、逃げることだけだった。
どこまでも砂漠を走り抜ける。
暑さも、苦しさも、捨て置いて。
彼らが生きられる場所まで、駆けて行く。
ところが、気付く。
この場所はどこまでも砂の世界で。
帰ることの出来る場所など、無いという事に。
「あ……」
禮士は胸に抱いたマーシャに、頬を撫でられた。
彼女は度重なる戦闘の末、その全てを后羿に捧げてしまった。
だから、もう何も残されていない。
何も、無い。
「マーシャ……」
「禮士、不細工な顔」
マーシャは頬に力が入らないまま、笑ってみせる。
痛々しくも健気なその様子に、禮士の目から大粒の雫が零れた。
どうして、どうして、どうして
不幸な目に遭った彼女が
英雄に憧れた彼女が
どうして砂漠の真ん中で、寂しく死んでいかなければならない!
「マーシャ」
「禮士、勝てなかったね。」
「いいんだよ、どうでもいい。生きよう。生きていよう。お願いだよ、マーシャ。」
「禮士」
「生きたいって、そう願ってくれ。お願いだから、お願い…………だから…………」
禮士が零した涙が、マーシャの顔を濡らした。
「ねぇ、禮士、あのね。」
「マーシャ?」
「そのコート、本当はね。」
「凄く、禮士に似合ってる」
マーシャは最期まで笑顔で
禮士も釣られて、笑顔を見せた。
そして彼女は息を引き取り、彼はその場で気を失った。
禮士の記憶はここで途切れるが、この後、彼の元へにじり寄る影があった。
ふわふわと踊り子のように舞いながら、赤髪を風にたなびかせている。
「あら、こんな場所で寝ていたら干乾びちゃうわよ?」
反応の無い二人。
踊り子の少女は、マーシャを抱き上げる。
「魔術師の死体か。オアシスでも有効活用できそうじゃない?」
少女は嬉しそうにマーシャの亡骸を弄ぶ。そして連れ去ろうとする。
「あ、でも、これだと只の盗人か。モーリタニアの現地人に倣って、ちゃんと公平な取引にしないとね!」
踊り子の少女、ルーラーは禮士に三画の令呪を受け渡した。
彼女の中ではマーシャの亡骸は、令呪三画分の価値であるらしい。
そしてルーラーは舞い踊りながら去っていく。
彼女もまた、開発都市オアシスを目指して。
※
禮士はリラクゼーションルームのソファーで目を覚ました。
彼の手を握り、彼の帰りを待つ者が一人。
「あまたん……」
「禮士さま、大丈夫、ですか?」
禮士は泣いていた。
海御前はそんな彼を心配し、手を握り続けていた。
「ずっと、傍にいてくれたのか。」
「当たり前です。此方は禮士さまのサーヴァントです。」
「そうか、うん。そうだ。」
禮士は海御前を抱き締める。
海御前は最初戸惑ったものの、彼の身体の震えを感じると、彼女もまた彼の背に手を回した。
「禮士さま。此方はここにいます。」
「あぁ。あぁ。」
禮士は何度も、何度も涙を零した。
今日一日くらいは、これでいい。
きっとこれから、何度も辛い目に遭うのだから。
その分の涙も、ここで流していけば良い。
后羿を止められるのは、きっと、禮士だけなのだから。
【蹂躙編 プロローグ『サハラの生還者』】