バカンス回です。幻視急行編を先に読まれているとより楽しめます。
感想、誤字等ありましたらご連絡ください。
『緊急放送、緊急放送、災害のバーサーカーの使役獣『巴蛇(はだ)』の出現を確認。警戒レベル5。開発都市第六区市民の皆さん、直ちにパークオブエルドラードへ避難を開始してください。繰り返し通達。開発都市第六区市民の皆さん、直ちにパークオブエルドラードへ避難を開始してください。』
昨日、開発都市第六区ではシェルターからの外出許可が下りたばかりである。しかし、鑿歯、封豨に続き三体目の召喚ともなると、シェルターに戻る者達も溜息をつかざるを得ない。
もはや開発都市第六区における安全地帯は、ここパークオブエルドラードを除いて他に存在しない。シェルター生活二週間余りで住民の不満は爆発していた。
だが、彼らも慣れたもので、緊急放送の通達から十分余りで、外出していた者の九割近くがシェルターへと戻って来ていた。遠坂組実働部隊は、逃げ遅れた者の救助と、巴蛇討伐の為に、シェルター前で点呼を取っている。
巴蛇の出現場所は、のどかな田園風景よりもう少し先、巨大な湖のほとりである。この時期に湖水浴や釣りに出かける馬鹿はいない筈、と実働部隊も高をくくっていた。
が、禮士の元に直接入ったヘルプコールで判明する。
あろうことか水着姿で湖へ出ている連中が、身近過ぎる人間たちだった。マキリ・エラルドヴォールをはじめとした、第四区博物館の面々である。
「何をやっているんだ、彼女らは」
「禮士さま、いかが致しましょうか。」
「急いで救出に向かうに決まっているだろう!行こう、教経、あまたん!」
無駄な所で、胃痛を抱えることになる禮士。
怒り狂う住民を抑える為に異を痛めている龍寿の気持ちが、少し理解できた気がした。
一方、その頃。
緊急放送を受け、田園とは逆の、都心部から逃げようとするものが一人。
車椅子の片方の車輪が溝に落ち、バランスを崩してしまっていた。
彼女こそは、第六区にとって招かれざる客、アヘル教団員、アダラスである。
災害のアサシンの命令で、第六区に現れたミヤビ・カンナギ・アインツベルンの回収にやって来た。
「うぅ、ウラルン先輩たち、どこにいったのですかぁ……」
アダラスには同行者がいた筈である。が、どこかではぐれてしまった。
彼女は当然、区民のようにシェルターへ避難することは出来ない。今現在、パークオブエルドラードは区民以外にも一部解放されているらしいが、無論許可制であり、かつアヘル教団員はマークされているに違いないのだ。
もし巴蛇が彼女の近くに現れていたならば、彼女一人で相手取らなければならない。アキレウスのアンプルが強力だからと言って、災害の使い魔に一人で対抗できるとは思えなかった。
車椅子を巧みに扱い、猛スピードで区民たちと逃げていたが、車輪が引っかかるとこの始末である。焦る富裕層たちが彼女を助けてくれる筈も無く、見てみぬ振りをされながら、今は孤独に陥っている。
アキレウスのアンプルを使えば、走ることは出来るが、敵もいない中で自らの私利私欲で使うことは憚られた。何より、彼女の崇める災害先生が何と言うか分からない。
「でも仕方ないですよね。みんな自分の命が大事なのは当たり前だし。」
特に第六区の富裕層は、他区民に比べ、生存本能が高いだろう。自らの財産を守る為に、六区へ越して来た連中である。築き上げてきたものを手放す選択を、快く受け入れる者はいない。アダラスが同じ状況ならば、目の前で苦しむ障がい者に手を差し伸べることはしなかっただろう。歩けない、走れない少女など、お荷物なのだから。
「自分で考えて、泣きそうです。」
アダラスの両目には大粒の涙が溜まっていた。
彼女はぶんぶんと首を横に振り、自分に喝を入れる。
そして壁を杖代わりに義足で立ち上がり、車椅子にもたれ掛かった。
その時である。彼女は不意に二人の親子に声をかけられた。
「大丈夫ですか?」
「おねーちゃん、だいじょうぶ?」
まだ若いパパと、小学生ほどの息子が、虫取り網と籠を片手に、アダラスへ話しかける。
「え!あ、えっと」
「おねーちゃん、足が悪いの?」
「うん、そうなのです。車椅子の車輪が溝に……」
「おっと、本当だな。僕に任せて下さいよっと!」
成人男性は車椅子を持ち上げ、道の真ん中に移動させた。そして少年の肩を借りながら、アダラスは再び車椅子に座ることが出来た。
「あ、えっと、ありがとうございます、助けて頂いて。」
「ううん、ぜんぜんおっけー」
「緊急放送がありまして、呑気に虫取りに出かけていた我々も、逃げている最中だったのです。貴方もそうですよね。」
「あ、えーっと、はい。」
「でもこれでは大変だ。僕が後ろから押していきます。一緒にパークオブエルドラードへ行きましょう!」
「さんせー!」
「え、えぇ!そんな、悪いですよ!それに!」
アダラスはシェルターに向かうと不都合なことがある。
とてもじゃないが、言い出せる雰囲気ではない。
「もしかして、第四区から先日避難されてきた方々のおひとり、ですか?でしたら、許可証があれば入ることは出来ますけど……」
「きょ、許可証を、お落としてしまって!はい!」
アダラスは焦って嘘を付く。が、途轍もなく下手くそな嘘だ。
そもそも再発行をしろと一蹴されるような話だが。
「そーなの?じゃあ、ぼくのかぞくのへやにとまってく?」
「え!?」
「あぁ、それは良い考えですね。僕は敷山敦という名前ですが、敷山家として入れば大丈夫そうです。妻と娘がいるので、手狭かもしれませんが。」
急な提案にアダラスは状況を飲み込めていない。様々な問題が山積みとなった状態で、上手くいく筈も無いが、返答する前に車椅子は動き出していた。
「ちなみに、貴方のお名前は?」
「あ、え、私?私は、アダラ……アダ子ですわ、おほほ」
「では、俊平!アダ子さん!行きますよ!」
「ごーごー!」
「えぇええええええ!」
車椅子を押しながら、敷山家族は坂道を降りていく。
アダラスは他のアヘル教団員を置いて一人、パークオブエルドラードへの入場を果たすのであった。
【蹂躙編③『緊急バカンス』】
三時間前。
監獄に捕らえられた美頼は、ぶつぶつと念仏のように独り言を唱えている。
巡回を担当する男も、彼女が異様かつ不気味だったと後に発言している。
美頼はここ数日間の監獄生活に心を病んでしまっていた。
第六区を襲った災害のバーサーカーの手綱を握るミヤビという少女に顔が瓜二つなだけで無実の罪を着せられ、ここにいる。
当然美頼は、ミヤビ・カンナギ・アインツベルンについて一切の知識を有さない。会ったことも無い。
どうやらミヤビの召喚したサーヴァントにロウヒがいるようで、そんなところも全く同じであった。
だが美頼には無罪を主張する為の証拠が無い。
「美頼」
ロウヒが少女の名を呼ぼうとも、もはや聞く耳を持たなかった。
美頼はしきりに巧一朗の名を呼び続けている。これで恋愛感情がないとはお笑い草だ。
ロウヒが彼女の肩を叩くと、ようやく彼女は顔を上げた。
「客が来ているぞ。」
「客?」
美頼が鉄格子の外を見やると、そこには頼もしい存在が立っていた。
パリッとスーツを着こなした、大人な雰囲気の女性と、物腰柔らかな好青年。
マキリ・エラルドヴォールと彼女のサーヴァントであるロイプケが、面会に現れたのである。
「エラルさん!?」
「大変お待たせしたわね。助けに来たわ。」
ロイプケは古風な鍵で監獄を解錠する。美頼は開かれた鉄格子から飛び出ると、エラルに向かってダイブした。
彼女とはつい先日仲間になったばかりであるが、人懐っこい性格の美頼は、既にエラルをかけがえのない存在と認識していた。
そしてそれはエラルにとっても同じ。彼女とロイプケはロウヒによって命を救われている。目を失ったエラルにとって、博物館は真に拠り所となっていた。
「というか、エラルさん、その赤色の目は……」
「あぁ。これはね、義眼よ。いつまでも包帯を巻いている訳にはいかないしね。残念ながら視力を取り戻した訳じゃないから、彼のサポートは必須だけど。」
「僕がエラル様の目となります。それはこれからも、変わりません。」
ロイプケは監獄の中に鎮座していた、ロウヒに手を差し伸べる。
彼女はその手を払いのけると、エラルに一瞥をくれることも無く、監獄の外で出て行った。
「あ、ロウヒ……」
「彼女は美頼さんと違い、全てを把握しているのでしょう。第六区の現状も、そして、ミヤビのことも。ポホヨラの女帝なら、全てがお見通しという訳。とりあえず、今の状況を説明していくわね。」
「はい、よろしくお願いします。」
エラルはこの二週間ほどの出来事を順に解説していく。
まず、ダイダロスの迷宮内で、美頼とロウヒは、巧一朗らと離れ離れになってしまった。
無事入口に辿り着いたのは美頼のチーム。充幸とエラルは彼女らの救出に成功したが、第六区へ逃げ込んで間もなく、美頼とロウヒは収監されてしまう。
充幸の粘り強い交渉と、そして第六区へ来訪したミヤビ・カンナギ・アインツベルンの発見により、ようやく美頼への疑いが晴れたのだった。なお、巧一朗、キャスター、桜館長の行方は未だに掴めていない。
そして開発都市第六区の現状である。
第四区に太陽が降り注いだのと同時に、第三区の守護者たる災害のバーサーカー『后羿』が、ミヤビと共に第六区へ攻め込んだ。
后羿はミヤビと繋がっており、彼女が災害へと指示を出しているのだと言う。
そしてこの二週間で、后羿の使役する悪獣が二体、『鑿歯』と『封豨』が解き放たれた。
市民は中央巨大シェルター、パークオブエルドラードへの避難を余儀なくされた。八割は第六区に留まり、二割は他区へと逃げ込んだのだった。そして、第四区からの避難民も受け入れた結果、シェルター内はパンク状態で、第六区の治安維持に携わっていた遠坂組は非難の的となっている。代表取締役の遠坂龍寿は、富裕層への説明会の日々だ。
充幸とエラルは美頼の解放を条件に、遠坂組への全面協力を約束している。充幸は昨夜から衛宮禮士と共に、オペレータールームに入った。
「とりあえず、現状はこんな感じよ。今の博物館の目的は、巧一朗さん達を全力で探すこと、だけれど、完全に疑いが晴れるまでは、美頼さんとロウヒは第六区から出られない。そして多分だけど、第六区に留まるのが最善だと思うわ。危険地帯ではあるけれど、ミヤビの狙いは遠坂と私、そして恐らく博物館。」
「どうして、そんな」
「災害と結託しているからね。ダイダロスは第四区にて、太陽へと立ち向かった結果、消滅したらしいわ。ダイダロスと戦い、勝利とまではいかないけれど、彼の心を動かしたかもしれない博物館を、災害が敵視するのは当たり前よ。桜館長と合流が難しい以上、我々は遠坂組と協力関係にあるべきだわ。」
「そう、ですね。コーイチローが心配です。」
「きっと大丈夫、そう信じているわ。今は私たちが生き残るために、頑張りましょう。」
エラルは美頼の方へゆっくりと手を伸ばした。美頼はその意図を把握すると、彼女の両手をとり、ぎゅっと握り締める。
「ちなみに、エラルさん。私とよく似ているっていう、ミヤビ?は何処にいるの?私、冤罪で捕まったから、ちょっと腹の虫が収まらないというか……」
「ミヤビの潜伏している場所は既に把握済みよ。ただ流石はアインツベルン、オートマタ兵士をかなりの数、配備しているみたい。遠坂組が突入を検討しているのが、三日後ね。悪獣が出てくれば話は変わるけれど。」
「私も同行したいです!ぎゃふんと言わせてやるんだから!」
美頼は鼻息を荒くする。第六区を混乱させ、彼女自身とロウヒを監獄へと誘ったミヤビが許せないらしい。
エラルは美頼の手を握り締めながら、暫し考え事をした。充幸から聞かされていた、美頼の正体、そしてミヤビとの関係性。その全てを踏まえ、自らが取るべき選択を慎重に選んでいる。
「エラル様……」
「『波蝕の魔眼』があれば、因果の選択は容易だった。でも、今は違う。私の行動で、これからが大きく変わってしまう。それでも……」
「エラル……さん?」
エラルは美頼を握り締める手にぐっと力を込めた。
「痛いですよ、エラルさん」
「美頼さん、我々がまずこれからすべきこと、それをお話しします。」
エラルは改まって、美頼と向き合った。
美頼も雰囲気を感じ取り、姿勢を正す。
「私たちの、やるべきこと……」
「そう。」
「それは、何ですか?」
「湖水浴」
「はい?」
「水着を着て、泳ぎましょう!」
「はい?????」
※
開発都市第六区南西にある湖畔にて
区民の避難が終わり、閉鎖地域となったこの場所に、黒ビキニの成人女性が現れた。
温かい日差しで肌を温めつつ、同行者の登場を待つ。
最初に現れたのは、小麦色の肌をした白髪の青年だ。
「エラル様」
「ユリウス、着替え終わったの?」
「はい、お待たせしました。皆さんは?」
「まだね。どうして目の見えない私が最初なのかしら。」
「エラル様は今日既に下に水着を着ていらっしゃいましたから……」
頬を膨らませるエラルに対して、ロイプケは彼女の水着に見惚れていた。
実のところ、彼と彼女の関係は、他の者の与り知らぬところで飛躍的に発展していた。
パークオブエルドラードの部屋は二人で共同のもの。
そして水着、その上のスーツ、彼女の着替えを手伝ったのは他ならぬロイプケ。
初心な恋仲だった二人は、もはや互いの身体を知り合う関係となった。
ロイプケを蝕んでいた、悪魔に魅入られし才能。破綻者としての葛藤。それらがロウヒによって解きほぐされた所以だろうか。
彼はようやく、真の意味で、エラルの夫として傍に立つことが出来るようになったのだ。
「……」
「ユリウス?」
「あ、いえ、すみません。押し黙ってしまい。」
「何?見惚れていたのかしら?」
「え、えっと、そうです、はい。」
「ふふふ、今朝私のありのままの姿をまじまじ見つめていたのに?」
「……っ!あの、あれは、そのですね。いや、どちらも僕にとっては非常に魅力的と言いますか。どちらのエラル様も僕の創作意欲を刺激すると言いますか。何と申し上げたらよろしいか……」
「慌てないで。皆が来たら、赤面したロイプケを変に思うでしょう?」
「どうして、僕の顔が赤いと分かったのですか?」
「ほら、こんなに顔が熱い。」
エラルはロイプケの頬に手を当てる。
そして静かに、唇を近付けた。
彼もまた、鼓動を高鳴らせながら、彼女へと吸い寄せられていく。
そして
「あの、イチャイチャは二人きりのときにお願いできますか?」
現れた充幸によって制止させられた。
「み、充幸様!いつから!?」
「今です。今来ました。というか、私まで来る必要はあったのでしょうかね?」
「あら充幸、つれないじゃないの。一緒に水遊びしましょう?」
「はぁ、昨日オペレータールームの設備に関する説明を受けたばかりなのに、翌日仕事を放りだすなんて、禮士さんに怒られてしまいますね。許可を出してくれたリカリーさんが怒られてなければいいけど。」
「こっちに来てから休む暇も無かったし、今日ぐらいはいいじゃないの。」
充幸はやれやれと言った表情だが、その割に、しっかりと水着を用意していた。
白を基調とした落ち着いた雰囲気の水着に、向日葵を模したシュシュでサイドポニーテールにしている。
ロイプケから見て、彼女の毛先の桃色がより拡がっているように感じた。
エサルハドンの髪色に、近付いている。
「ところで充幸、あとの二人は?」
「みらいちゃ……倉谷さんですね。彼女はロウヒさんを着せ替え人形にして楽しんでいます。もうじき来るとは思いますが……」
ポホヨラの女帝に様々な水着を着せて楽しんでいる。不敬、不遜の極みであるが、意外にもロウヒはノリノリである。
「ところで、エラル。どうして博物館メンバーで湖水浴などと言い出したのですか?」
「ほら、この前、美頼さんの話を聞いたから。彼女には記憶が無いのでしょう?」
「それは、彼女がミヤビ・カンナギ・アインツベルンの専属従者、ドッペルゲンガーであることですか?」
「ええ。博物館はそれを知っていて、彼女を抱き込んだのよね。マキリのこと言えないぐらい、狡猾じゃないの。」
「元々、生前のミヤビさんとロウヒさんは、我々の取引相手でした。共に災害を倒すために立ち上がってくれたのがアインツベルンです。でもそれはミヤビさんの死によって変わった。倉谷未来。彼女は災害を支配下に置き、世界を恐怖と混沌に陥れようとしている。そもそも美頼ちゃんは未来に送り込まれたスパイです。博物館を監視するために、ロウヒさんと共に現れた。それはラプラスで結論付けられた事象に他なりません。」
「本当にそうかしら?」
「……こうなることは既定路線でした。しかしとある急行列車にて、歯車は狂い始めました。私たちにとっては『良い方向に』ですが。偶然、監視機能を有する無垢なる少女、美頼ちゃんは巧一朗さんと出会い、恋に落ちた。ただ博物館にスパイしにきたのとは訳が違います。彼女は真の意味でスパイでも、裏切り者でも無い。たとえその為の存在であったとしても。」
「倉谷美頼は、倉谷未来のドッペルゲンガー、彼女の現身であり、偽物。でも、貴方はそれを認めない。」
「はい。美頼ちゃんの恋心は、本物ですから。恋心こそが、我々の切り札。ミヤビを名乗る未来を止める、唯一の手段です。」
「恋心……」
エラルは松坂行急行列車にて、幻霊マールトと出会ったことを思い出した。
あの幻霊が何者であったのか、今となっては分からずじまい。
だが彼女の最期の言葉を覚えている。
『恋を止めないで、下さい。そして、恋を知る貴方達が、恋叶わぬ誰かを、助けてあげてください。』
それは美頼を心配する声だった。
エラルはそのことをずっと心に留めてきた。
どうして、恋叶わぬ誰か、と彼女は表現したのだろう。
どうして、エラルに託して消滅したのだろう。
「エラル様?」
「ユリウス。恋って、芸術的ね。女の子も、男の子も、心を震わせ、そして躍らせる。」
「ええ。」
「どうして、私とユリウスは生き残れたのか。これから何をすべきなのか。きっと答えはここにあるわ。」
エラルは口角を上げた。ロイプケはエラルの頼もしい顔を見て、どこか安堵の表情を浮かべる。
そしてようやく、着替え終わった美頼とロウヒが合流した。
美頼は淡いピンク色の花柄模様、加えてパレオを巻いている。
ロウヒは鮮やかかつシンプルな赤一色のビキニ、彼女のクールなイメージに適していると言えよう。
美頼が無理矢理ロウヒと腕を絡ませながら、エラルの元へ走り寄った。
「お待たせしました~!」
「倉谷さんもロウヒさんもとてもお似合いですね。とっても可愛いです。」
「そういうみさっちゃんもイメージに合っていて超可愛いよ!」
「ふうむ、可愛い女の子の可愛い姿を見られないのは残念……」
互いの水着を褒め合うターンは終了し、彼女らは早速、湖に足をつけた。
ここは六区の中でも有名な湖水浴場。近隣にはキャンプ場も併設されており、休日のレジャーにはもってこいの場所だ。
当然現在は無人であり、オーナーがいないキャンプ施設は利用禁止である。
富裕層の遊び場である為か、他区の湖水浴場に比べ、外観が美しく保たれている。水も澄んでいて、美しい。最初は付き添い気分の充幸も、湖に入った途端、笑顔ではしゃぎ始める。
「凄く気持ちいいですね!暑さが嘘のように無くなって。」
「みさっちゃん入るのが早いよ!まず準備運動しなきゃ!」
「確かに、心臓に負担がかかると言いますからね。ですがもう既に入ってしまいました。あがりたくありません!」
美頼と充幸は水の掛け合いを始め、息止め競争や、遠泳対決を始めた。
一方、エラルとロイプケはレジャーシートを広げ、パラソルを立て、砂浜で寛いだ。優雅に過ごすのもまた、湖水浴の楽しみ方の一つである。
そしてロウヒはその場で立ち尽くし、美頼と充幸の方を眺めていた。その表情はどこか暗く見える。
「貴方は、入らないの?ロウヒ」
「…………」
「折角の白いツルスベ肌が、焦げ焦げになっちゃうわよ。」
「……サーヴァントは日焼けしない。」
「確かにね。」
「目が見えていないのに流石なものだな。気配を感じ取っているのか。」
「貴方は特にオーラが凄まじいからね。何となく、そこにいるのが分かるのよ。」
「そうか」
ロウヒは美頼と充幸が楽しむ様子に、過去のビジョンを重ね合わせていた。
それは未来と、ミヤビの二人である。
年相応な未来、年甲斐の無いミヤビ、二人は暗くなるまで遊び惚け、満天の笑顔を浮かべていた。
ロウヒには眩しくもあり、それでいて、温かなものだった。
今はもう、遠くなってしまった幸せの形である。
「ロウヒ、私は貴方のことがよく分からないわ。貴方はミヤビのサーヴァントであり、そして美頼のサーヴァントでもある。あの急行列車で私と戦ったと思えば、災害のアーチャーから私を救ってくれた。」
「自惚れるなよ。我は貴様の生死に興味はない。間桐桜が貴様を必要としたから、助けた。そうすれば、災害の連中を打倒するのに近道だと告げられてな。」
「でも貴方のマスターであるミヤビは、災害を殺すことを望んでいない。ミヤビは災害をコントロールし、オアシスの完全なる支配を目論んでいる。」
「そうさな。」
ロウヒはそれ以上を話す気にはならなかった。
そしてエラルも、彼女が固く口を閉ざしたことを察知する。
龍寿から知り得た情報を踏まえ、エラルが辿り着いた答えが正しければ、凡そロウヒの意思は推測できる。
ロウヒが真に主人と認めているのは、未来でも、美頼でもない。既に命を落としたサンスイなのだろう。
だからあくまでロウヒは、サンスイの願いを継いでいる。災害を殺す、その為に博物館へと協力している。
サンスイと未来の関係性、サンスイは未来によって殺された、だからこそエラルはミヤビの名を語る未来を恨んでいる。
が、もしそこに秘匿された真実があるならば、ロウヒはそれを元に行動している可能性が高いのだ。
「ねぇ、バーサーカーも一緒に入ろうよ!」
美頼は湖から上がり、ロウヒの手を引いた。
ロウヒは渋々彼女に付いて行く。が、その表情は先程より明るく見えた。
そしてロウヒは湖の中に身体を沈める。
「気持ちいいでしょう?」
「あぁ、これは中々、心地いい。」
「エラルさんも、ロイプケさんと一緒に水浴びしたらいいのに。」
「エラル、実は泳げないんじゃないでしょうか。」
「えー、湖水浴を言い出したのはエラルさんなのに?」
「コラ、充幸、聞こえているわよ!私は泳げまーすー!行くわよ、ユリウス!」
「ちょ、エラル様!僕が先導しますから!」
五人は冷たさを身体で味わいながら、湖水浴を大いに楽しんだ。
エラルが深い場所まで行けない分、浅瀬や砂浜で遊び。
そして疲れたらレジャーシートでアイスを食べつつ休憩する。
博物館の面々が湖に到着してはや一時間。バカンスは大いに盛り上がりを見せたのだった。
いま、美頼とロウヒが深い場所まで泳いでいき、充幸とエラル、ロイプケが砂浜から彼女らを見守っている。
ロイプケはスキルで宙に空想のオルガンを出現させ、皆の為に演奏を始めた。
穏やかな旋律が、疲れた充幸とエラルに安らぎを与える。
そしてその音は、水浴びをするロウヒと、美頼にも届いた。
「ロイプケさん、素敵な曲……」
「あぁ。アムドゥスキアスは激情的な音に焦がれていたからな。今のロイプケには、遁走曲よりこちらが似つかわしいだろう。」
「アムドゥス……?」
「こっちの話だ。」
ロウヒはエラルを失った悲しみに囚われるロイプケと対峙した。そして神の才能に魅入られた悪魔をその手で排除した。
だがロイプケの才能が枯れた訳では無い。彼は悪魔と契約したから天才だった訳では無いのだ。天才が故に、悪魔に好まれた。
二度目の生において、彼は芸術と同価値、否、それ以上の存在に出会えた。
だからロイプケはそのままでいい。たとえ破綻者(コラプスエゴ)であったとしても、ユリウス・ロイプケが崩壊することはもう無いだろう。
「あぁ、楽しいなぁ。博物館の皆と遊ぶの、本当に好きだな。」
「美頼」
「…………巧一朗がいたら、もっと楽しいだろうなぁ。」
美頼は空を眺めた。
迷宮の中ではぐれてしまった、彼のことを思う。
桜館長やキャスターが傍にいるから、心配はそこまでしていない。
でも、それでも彼のことが気になってしまう。
「美頼、貴様にとって巧一朗はどういう存在だ?」
「どういうって、仲間、かな。友達?親友?」
「恋愛的な意味で、好き、という訳では無いのか。」
「うーーーーん、分からない。レンアイって何なのかなぁ。」
恋を知ったドッペルゲンガーは、ミヤビにより処分された。
今の美頼は、決して恋に落ちないよう調整されたオートマタ。
だが、今の彼女の赤く染まった頬を見て、誰が『恋を知らない』などと言えようか。
ロウヒは、頭を悩ませる美頼を見て、静かに笑った。
「バーサーカーってば、何で笑っているの!」
「いや、別に。もしも、巧一朗が貴様のことを愛していたならば、貴様はどう応える?」
「巧一朗が私を?ナイナイ!」
「仮定の話だ。」
「もしも、だね。どうしようかな。」
美頼の中で答えは決まっている。
勿論、二つ返事で『イエス』だ。
美頼が恋を知らなくても、巧一朗がきっと教えてくれる。
彼といれば、何をしたって楽しいのだ。ならばそういう意味での憂いや迷いはない。
「美頼、お前はやっぱり、恋をしているよ。」
「私が?うーん……」
美頼はもやもやした気持ちを振り払うように、ロウヒに背を向け泳ぎ始めた。
身体を動かしていれば、この気持ちも晴れるかもしれない、そう信じて。
その背中を目で追いながら、ロウヒは小さく呟いた。
「機能として削除しても、無理なのだな。それはそうだ。何故ならば、恋をしているのは美頼であって、美頼では無いのだから。巧一朗のことを真に愛しているのは———」
美頼はこれまでの様々な出来事を振り返りながら、泳ぎ続ける。
急行列車にて、巧一朗に救われた日。
博物館に配属され、和平松彦を暗殺した日。
聖遺物奪取の任務をこなす日々。
そして
「あれ?」
松坂行急行列車に再び乗った後、何かが起こった。
だが彼女はその記憶を失っている。
思い出そうとすればするほど、深淵へと落ちていく感覚。
美頼はその感覚に引き摺られるまま、湖の中へ沈んでいった。
そして彼女はふと目覚めた。
そこは夕陽が差し込む電車の中。
車両には美頼が一人。振動に合わせ左右に揺られている。
彼女は立ち上がり、辺りを見回した。
そこは思い出深い、初めて来る場所。
得も言われぬ孤独感が彼女を襲い、焦りを与える。
何かに導かれるように、美頼は先頭車両へ向け歩き出した。
「ここは」
歩けども、歩けども、車両は何処までも続いていく。
窓の外は赤とオレンジで構成された世界。
美頼はただ前に向かって歩き続ける。
〈次は終点『松坂』です。〉
男性の声でアナウンスされる。
この列車は終着駅に到達するらしい。
美頼の焦りは大きくなる。
彼女は何も分からぬまま、走り出した。
車両を跨ぎ、その先へと、がむしゃらに駆ける。
松坂駅に着く前に、彼女は全てを知らなければならない。
「その先には、何もありませんよ。」
美頼の後ろに立っていた少女が声を発した。
振り返ると、血のような赤色に染まった長い髪の女が、美頼を見つめている。
「何もない……?」
「そう。ドッペルゲンガーだから、貴方は空っぽ。全部借り物。作り話です。」
「何の話?」
「知っているでしょう?貴方は、未来の生み出した、未来の影法師。本当は、気付いていた筈です。」
「だから、何の話をしているの?」
「忘れてはいけない。貴方が成すべきことを。」
少女は、美頼の傍に寄り、
そして彼女の唇を奪った。
困惑する美頼の脳に、忘れていた全てが流れ込む。
彼女の存在。生きる意味。成すべきこと。
少女はゆっくりと唇を離した。唾液の線が二人を繋げている。
「私は……」
倉谷美頼。
彼女の正体は、ミヤビの召喚した『ドッペルゲンガー』。
宿主を模倣し、最終的にはそれを殺害するサーヴァント。
彼女は『スネラク』の人格が呼び出した、情報収集用の専属従者。
彼女が模倣したのは、『倉谷未来』の心である。
「貴方は未来の願いそのもの。夜の街のネオンに導かれた未来の願いを、風俗で働くことで叶え、学校に通い、友達と青春を謳歌したいという願いも叶え、恋をしたいという願いも叶えてみせた。」
「私が…………」
「そして未来の恋が成就する前に、貴方はスネラクとロウヒに抹殺された。そして、恋を失った機体として蘇った。」
美頼は、スネラクの精神の奥底で眠る『未来』そのものだ。
幼少期、父を手にかけ、サンスイとロウヒに大切にされた、未来なのだ。
「紛い物の貴方が成すべきことは一つ、ミヤビを殺し、楽にしてあげること。それだけです。それが『ドッペルゲンガー』である貴方の宿命なのです。」
「そんな……」
少女は背を向け、歩き出す。
列車はついに終着駅へと到着した。
彼女は扉の前に立った。別れの時間が来たのである。
「待ってよ、ねぇ、待って!突然そんな、私、分からないよ……どうしていいのか……」
美頼は少女の手を掴む。
その手は、ヒトの温もりを一切感じられない程に冷たかった。
「あ……」
「私の手を取っても、どうにもならないでしょう?」
「貴方は……何者なの?」
美頼は彼女の名を知っている。
彼女はあの急行列車で命を落とした、幻霊『マールト』。
だが、正しくはない。
本物のマールト、和平のサーヴァントだった彼女は既に消滅していた。
あの急行列車は、美頼が真実に辿り着かぬように作られた作り話。
美頼を守ろうとした、一人のサーヴァントの形作る世界。
「私は、マールト。貴方が思い出す必要のない、ありふれた存在の一人。」
「違う、違うよ。」
「違わない。」
「貴方は、未来を守りたかった人。未来の恋を応援する為に、幻を創り上げた人。」
美頼はその冷たい手を強く握り締めた。
その冷たさを、彼女は知っている。
ずっと傍にいたからこそ、知っているのだ。
「貴方の名前は『ロウヒ』。未来の、そして私、美頼のサーヴァント。」
少女は俯き、唇を噛み締める。
幻視急行と名付けるべき、一連の事件。
その黒幕である美頼を、最期まで守ろうとした。
自らの影奉仕を生み出し、自演で、それを抹消し、事件を有耶無耶にしようとした。
それが、他ならぬロウヒである。
美頼が最後に気付かなければ、彼女の恋心は守られていたのだ。
「だったら、何だと言うのですか。私がロウヒだとしても、貴方がすべきことは変わりません。」
「うん。分かってる。助けに行かなきゃね。もう一人の私を。」
「未来を、助ける……」
「それが貴方の望みでしょう?私は未来のサーヴァント、なら、ちゃんと責務は果たさなきゃ、ね。」
扉は開かれた。
ここが終着駅。美頼は彼女から手を離す。
「ここで、お別れかな?」
「ええ。そうですね。私は、もう暫く列車に揺られていたいと思います。」
「ここが終着駅なのに?」
「ええ。でも、列車の旅はまだ続きます。回送電車になって、車庫に戻り、そして、また明日には動き出します。」
「そうだね。じゃあ……」
美頼は駅に降り立ち、列車の中に立つ少女と向かい合う。
「ねぇ、聞いてもいいかな?」
「何でしょう?」
「どうして、ヒトはヒトを殺しちゃいけないんだと思う?」
美頼はその問いを、少女に問いかけた。
少女は暫く考えた後、口を開く。
「誰にでも『未来』へ進む権利があるからです。英霊には無い、人間の特権、ですから。」
「道徳的だね。」
「でも、未来がある誰かを殺してしまうのは『勿体ない』。幻だからこそ、私はそう思います。」
ポホヨラの凍土で、全てを手に入れた女主人。
彼女はその全てを失い、ここにいる。
失うことの悲しみを誰よりも知っている彼女が、もう二度と失わない為に。
「勿体ないか。そうだね。確かに、勿体ない。英霊だからこそ、繋いでいかなきゃね。」
「ええ。とても時間のかかることです。」
「壊すのは一瞬だけど、積み上げるのは大変だから。」
扉が閉まり、美頼は手を振った。
分からないことだらけ、でも、彼女がすべきことは理解できた。
紛い物ならば、紛い物の矜持で、本物を救いに行く。
そして美頼は目を覚ました。
※
「……っあえ!?」
「美頼ちゃん!」
「美頼さん、大丈夫!?」
レジャーシートの上で眠っていた美頼。
彼女は湖で溺れていたようだ。
ロウヒによって救出されたが、暫くの間、意識を失っていたらしい。
彼女は冷えないように充幸によって着替えも済まされており、全員帰り支度を済ませていた。
「あ、えっと、私……」
「良かった、良かったです、美頼ちゃん。」
「疲れちゃっていたのね。ユリウスの車でシェルターに戻りましょう。」
美頼はゆっくりと起き上がると、辺りを見回した。
そして離れた場所で見守っていたロウヒの元へ駆けだす。
「あ、美頼ちゃん!そんな急に動いたら!」
「ごめんね、みさっちゃん、私、行かなきゃ……!」
美頼はロウヒの手を取る。
相変わらず、ひんやりとした手をしていた。
「何だ、美頼」
「全部、思い出した。貴方が私を殺したこと。」
「………………だったら、何だ。」
「勿論、貴方に守られていたことも、思い出した。私がやらなきゃいけないこと、助けに行かなきゃならない人」
「っ……」
美頼はロウヒの手を引く。
「行こう、バーサーカー。一緒に。」
「美頼」
「答えを見つけに行くんだ。私と、あの子と、そしてロウヒの、答えを。いま、決着を付けないと、取り返しのつかないことになる!」
美頼はロウヒと共に、湖水場の外へ走っていく。
充幸はそれを黙って見送る他無かった。
「どうしたの、美頼さんは……」
「思い出したって、彼女は……」
「止めなくていいの?ロウヒと一緒に、ミヤビに会いに行くつもりよ。」
「止めなきゃ、だけど……」
ロイプケが離れている今、エラルを一人にしていいものかと充幸は考えた。
が、それを見透かしたように、エラルが充幸の背中を押す。
「ミヤビの潜伏場所、ロウヒは知っているだろうけど、あの場所はいま、アインツベルンの要塞と化している。きっとそこに災害のバーサーカーもいるわ。美頼さん、殺されるわよ!早く止めなさい、充幸!」
「エラルは……」
「ユリウスが戻って来てくれるわよ。貴方は急ぎなさい!」
「っ……分かりました!」
だが充幸が砂浜から走り出す、その瞬間。
巨大な地震が発生し、湖が大きく荒れ狂う。
揺れは数分間に及び続いた。その間、彼女らは身動きが取れなくなる。
湖の底より、大いなる何かがせり上がる。充幸はエラルを庇うように立ち、事態の把握に努めた。
一体、何が起ころうと言うのか。彼女らには知る由も無かった。
そして突如、この場所に后羿の使役獣『巴蛇』が召喚された。
湖の中から顔と尾を突き出し、砂浜を囲うように動いている。
巨体を大きくくねらせ、湖水場の出口を塞いだ。
充幸とエラルは巨大な大蛇によって、砂浜に囚われてしまう。
「何が、起こって……!」
「エラル!巨大な、へ、へびが現れました!突然、唐突に、何で!?」
「知らないわよ!もう美頼さんとロウヒは行っちゃったのかしら!?」
「そのようです!私達、閉じ込められたみたいです!」
「なんでぇ!?」
象すら飲み込むとされる巴蛇の出現に、只々慌てふためく二人。
美頼とロウヒがこの場から走り去った今、戦闘を行える者はいない。
互いに震える手を握り合いながら、急接近する大蛇から逃げ続ける。
「ユリウスが戻って来てくれたら、マキリの新兵器があるのだけれど!」
「マキリの新兵器!?」
「ええ、この状況を突破できると思うわ。ただ、ユリウスが戻れれば、だけど。出口を塞がれてしまっているし!」
「そんな…………」
巴蛇はその尻尾を振り回し、岩壁を削り取る。
そして砕かれた岩が充幸とエラルに向けて降り注いだ。
「あ」
充幸は巨大な岩を目前に、死を覚悟する。
そして本能的にそれを感じ取ったエラルもまた、充幸を握る手に力を込めた。
逃げ場を失った彼女らの元に隕石が如き凶器が落ちてきた。
砂埃が立ち込め、辺りに僅かばかりの静寂が訪れる。
巴蛇は彼女らを殺す目的のままに、岩を砕いた。そしてそれは見事的中した。
悪なる獣はほくそ笑む。顕現した直後に女を二人も刈り取ることが出来たのだから。
だが、それは巴蛇の思い込みに過ぎなかった。
彼女らは傷一つ付かず生き残っていた。岩は粉々に砕かれ、地面に転がっている。
『爆ぜろ(イシャータム)』
蒼炎に包まれた杖の先で、巴蛇の肉体を抉る。
水晶の杖を掲げる一人のサーヴァント。それは、この場にいた少女が覚醒した姿。
「充幸……?」
エラルはその姿を決して見ることは出来ない。
鬼頭充幸の銀色の髪は、淡い桃色に染まり、衣装も神々しいものへ変化している。
尊大、暴虐、悲哀に満ちた一国の王が、この場に現界したのだ。
「ふん、我の力に頼るとは。情けないな、充幸。」
このオアシスに、再び顕現したるは、アッシリアの王『エサルハドン』。
彼女は充幸の生命の危機に現れ、彼女を救ったのだ。
「エサルハドン……なのね。」
「エラルドヴォール、貴様は下がっているがいい。我の宝具を使用する。」
エサルハドンは杖を地面に突き立て、詠唱を開始する。
彼女の統治した世界。それをこの地に再構築する大魔術。
中国神話の悪獣を相手にしても、動じることは無い。
彼女は、彼女のセカイで立ち向かう。
『カサーダム。
其の道は我が選び、我が進む。
ナダ―ナム。
この生は占卜と共に在り、指し示すは悠久の果てたる神の庭。
これは遥かなる大地に現出する久遠の理なり。』
エサルハドンの領域より、光り輝く魔法陣が広がり、大地から星屑の粒子が空へと昇っていく。
湖は消え、この場所にアッシリアの景色が現界する。
『連綿たりし我の国(ダ―リウム・マートゥム)』
「さて、我の戦いを見せるとしよう。」
エサルハドンは杖を掲げると、巴蛇に対し、不敵に笑ってみせた。
※
充幸のエサルハドンへの覚醒を、外側から観察していた者がいた。
名は『ウラルン』。アヘル教団セントラル支部の幹部である。
彼女はかつて充幸と戦闘し、そして勝利している。
その際、充幸に英雄殺しの毒を打ち込んだ。
「英霊の力を使った。あと一回使うと死んじゃうのに。」
ウラルンはエサルハドンの顕現する瞬間を確認した後、その場から離れる。
彼女のミッションはあくまで、『スネラク』の暴走を止めることだ。
だが、スリーマンセルでのミッションだった筈が、他の二人とは離れ離れになってしまう。
ウラルンは深い溜息をついた。
「遠坂の人たちも駆けつけるし、ミッションの達成は高難易度。」
ザッハークはスネラクと后羿を止める指令を出したが、事態は予想以上に悪化していた。
既に悪獣は三匹放たれている。后羿本人が動き出す日も近いだろう。
新たな太陽が放たれてしまえば、第六区はジエンドである。
「撤収、する?」
不運なことにデバイスをどこかで落としてしまった彼女は、仲間たちを探して歩き出した。
勿論、まさかアダラスがシェルターにいようなど、彼女が気付く筈も無い。
ウラルンはさんさんと照り付ける太陽に目を向け、そして再び大きな溜息をついたのだった。
【蹂躙編③『緊急バカンス』 終わり】